「下谷神社と稲荷町」
西暦730年(天平二年)奈良の法隆寺に阿弥陀(あみだ)三尊像ができたころです。
国内の諸国(しょこく)を平定し知・勇・仁に優(すぐ)れた神様として上野忍ヶ丘の地に
大年神(おおとしのかみ)と日本武尊(やまとたけるのみこと)の二神をお祀りして「正一
位 下谷稲荷神社」とし この時からこの町を「稲荷町」というようになりそして明治五年
に「下谷神社」と改めたようです。その後大正十二年の大震災で焼失(しょうしつ)したの
で これを機に昭和三年に現在のところに移したとあります。 昔の寛政十年(1798)
江戸で初めての「寄席」(よせ)が ここにできて寄席発祥の地でもあります。今も誇れる
私達の「粋とイナセ」な下町文化は200年も前に根づいて上野・浅草界隈から樋口
一葉・正岡子規が輩出(はいしゅつ)しています。境内には子規(1867 ~1902)の
句碑があります。
寄席はねて 上野の鐘の 夜長かな 子規
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なおモメタ句の投票の〆は10/14日であります。 よろしくで~す。 頑じい。
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