法喜が語る

法喜が語る

2005年01月22日
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テーマ: 宗教的生活(67)
カテゴリ: 法喜の教え
少し前にイギリスでたかが仮装パーティーでナチスの紋章つけて社会的問題になった事があるが、いまだに過敏な人がいることにびっくり。日本と東南アジアの関係と同じではないか?大人なヨーロッパでもそうだったのかとショックを受けました。私などは戦争の経験者でもないので被害者、加害者の気持というのははっきり理解したくても理解できない立場にいます。

当時イギリスの経済学者は経済の先行きに大きな不安を抱いていましたが、ヒトラーの政策には驚き驚嘆し羨望しました。イギリスではいくら経済学者が正論を言っても、ヒトラーのように行動力と理解が政府になく経済は停滞していたのです。
アジアの国で確かに日本は侵略行為を繰り返しました。しかしその中ではプラス面もあったのかも知れません。台湾など良い例ではないでしょうか?
私は過去を忘れろとかは言いませんが、それが全てではないのです。悪人を許せない。人間だから憎しみもあるでしょう。しかしそれを乗り越えることが出来るのも人間なんです。加害者を憎み許さず殺すこと。それでは加害者と同じではないでしょうか?どうせ繰り返すのであれば良いことを繰り返してください。憎しみから憎しみが生まれるのが普通です。しかし私は将来憎しみから愛情が生まれるような社会を望んでいます。なにを馬鹿なことを説いているのだと笑われるかもしれませんが、私たち人間がよりよい社会を望むのであればそれも一つの方法なんです。
私事で恐縮ですが、以前ベトナムでのことを紹介します。
ベトナムなどでバイクタクシーに乗ったときに暗闇に連れて行かれ財布を取られる事故がよくあります。私もこれにやられました。バイクで公園の暗い道に連れて行かれ「ここでお金を払え。」と脅され財布を出したときに仲間が登場して財布をバイクでかっさらって行くという事件です。私は私が乗っていたバイクの運転手に、仲間のところへ行くように促して中身はいいから財布だけ返せと交渉しました。そして中身のみならずいくらかの大金を手数料として運転手に払ったのです。それで無事に財布は戻ってきましたが普通なら警察にいうとか殴るとか対処するのかも知れませんが、その私を犯罪に巻き込んだ男と飯を食べに行きました。男は私のことをクレイジーだといいました。なんせ罠にはめた男を飯を誘うなんて。しかし私は確かに彼にはめられ金を巻き上げられましたが、彼が犯罪なのではありません。彼がたまたま犯罪を犯しただけです。なぜ彼を憎む必要があるのでしょうか?憎みべき事は犯罪です。犯罪と彼はイコールではありません。彼は本当にびっくりしていました。彼の常識では考えられなかったのです。しかし世の中の常識だって所詮は人間が作ったものなのです。
憎しみの感情は時間と共に癒されるのでしょうか?そんなことはないと思います。憎しみの感情は増幅していくのです。その場で許すことの出来ることは、憎しみを増幅はしないでしょう。しかし一度許すチャンスを逃すと、憎しみはなかなか許すことが出来なくなるのです。過去から憎しみを学ぶのではなく、未来を学びたいものです。





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最終更新日  2005年01月29日 23時58分42秒
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