法喜が語る

法喜が語る

2005年01月31日
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テーマ: 宗教的生活(67)
カテゴリ: 法喜の教え
神を信じる者は、日々の生活で神に感謝しています。キリスト教、仏教しかりほとんどの宗教が神に感謝しているのではないでしょうか。今回は特に宗教を特定しないのですが、イスラームだとわかりやすいのでシュクラン(感謝)でいきましょう。シュクラン、イスラームでは日々の生活は神の意志によって決まっています。よくキリスト教信者の言葉で不幸が訪れた時に神はいないのかと疑問を発することがあります。しかし神という者は特別な状況下でないと個々人には働きをかけないと思っていた方がいいいでしょう。それが神の意志に左右されるのであって、決して人間が望から神が行うのではない。それなのになぜ神に感謝しながら生きなければいけないのでしょう。神の働きかけは人間の意志とは別な次元で行われています。私たち人間が生活している中に善と思った時に神へ感謝する事、それは言い換えれば人間同士が感謝しながら生きていくという事です。神への感謝は実は神の現象を通して人間に向くのです。人間同士が感謝しあい、お互いを尊重し平安な世界を神は望んでいます。シュクランという言葉はまさしく感謝する相手をとうして神に語りかける言葉なのです。シュクランに限らず私たちが自分の為によい行いをされた時、グラシアス・サンキュウ・コープクン・有り難う・謝謝など感謝の気持ちを言葉に表しますが、その瞬間行為者のみならず被行為者も神に見守られています。その精神を神が望んでいるからなのです。感謝のない世界というものを想像できるでしょうか?感謝のない世界は地獄のようなものです。神なんかいらんという人も、感謝の大切さを知っています。神を媒介してもしなくても感謝し合えば、私たちはよい人間関係が作れるのです。神を信じなくてもいいのです。ただ人間が感謝し合える状況があれば。





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最終更新日  2005年02月06日 17時56分26秒 コメントを書く
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