遊心六中記

遊心六中記

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Comments

Jobim@ Re:スポット探訪 京都・下京  七条大橋・松明殿稲荷神社(05/02) 神社にお地蔵さま、珍しい取り合わせです…
茲愉有人 @ Re[1]:観照 京都国立博物館 -3 特別展「雪舟伝説」(04/30) Jobimさんへ 雪舟の与えた影響がどれほど…
Jobim@ Re:観照 京都国立博物館 -3 特別展「雪舟伝説」(04/30) 雪舟展ではありません、というのが面白い…

Favorite Blog

まだ登録されていません

Shopping List

2024.05.06
XML
カテゴリ: 探訪

宇治川に架かる隠元橋付近は萬福寺を開山した隠元禅師の渡岸地です。
この ​隠元橋から萬福寺に向かう道沿い、徒歩数分のところに、 許波多神社 があります​
所在地は宇治市五ヶ庄古川です。

5月4日(土)の朝日新聞朝刊の25面「京都」(地方版)に載った記事が目に止まり、 昨日(5/5)久々に再訪 してきました。
「京アニ作品の『聖地』宇治・許波多神社」 と題したけっこう大きな記事が目に止まった​ のです。



ということで、 拝見していなかった大神輿を拝見に行きました
併せて、対応公開された神輿を眺めてきました。

報道記事の見出しは、アニメファン向けの表現です。
響け! ファンへの「神」対応
登場した大神輿 公開日追加に歓喜の声
という見出しが上掲見出しに併せて記されています。

私は知らなかったのですが、 京都アニメーション制作の「響け! ユーフォニアム3」 という現在NHK・Eテレで放映されている作品にこの許波多神社と大神輿が出ているそうです。



「許波多神社略記」 を載せておきます。

屋形石灯籠
参道の両側に、このスタイルの石灯籠が奉納されています。



石鳥居 があり、 「許波多神社」の扁額 が掲げてあります。

参道の奥には、 朱塗りの鳥居 が見え、参道両側には奉納された幾基かの 石灯籠

朱塗りの鳥居の手前左(西)側に、 手水舎 が見えます。




手水鉢へは 龍像の口から水が注がれ ています。


手水舎の覆屋の傍に 駒札 「橋桁復元」 が設置されています。
「左右の石は旧鎮座地(現・宇治市黄檗運動公園)の宮川に架かっていた橋桁」を復元したものと記されています。



朱塗りの鳥居の手前に 狛犬石像 が奉献されています。台座の記銘からは何時頃のものか判読できませんでした。


鳥居をくぐると、参道の前方に 「割拝殿」 が設けてあります。参道の右(東)側方向に社務所があり、参道脇に

木柵囲いの中に 「柳大明神」と記された襷 を首に掛けた 「神馬(シンメ)」 が設置されています。

「神馬とは神様がお乗りになる馬のことです。
 許波多神社が創建された飛鳥時代のような昔には、神様に祈願する際、願い事が成就するように、馬を神馬として奉納されることがありました。許波多神社においても、昔には、神馬が奉納され、祭礼が行なわれたと考えられています。
 江戸時代以前、柳山(現在の宇治市黄檗公園)に鎮座していた頃は、社前から西の大池(巨椋池)に逹する東西一直線の馬場道があり、北部・南部に分かれた氏子地域によって、祭礼が執り行なわれていたという伝承が残されています。
 社宝として現存する二つの鞍と鐙(アブミ)は、二頭の神馬が馬場道を荘厳に駆けていた様子を想起させます」 (駒札転記)


割拝殿は唐破風の屋根になっていて、唐破風の頂点部の 鬼板 を眺めると、 「柳」という文字 が陽刻されています。 柳大明神の柳なのでしょう

割拝殿の中央部は本殿への参道になっています。
参道から見上げると、唐破風屋根を支える 蟇股等はシンプルな形 です。


参道の左(西)側の拝殿部分に 、今回のハイライト、 「大神輿」が2基 公開されていました。
大神輿の細見は次回にまとめます。


割拝殿を通り抜けた先には、 本殿手前に拝所とその左右に本殿を囲む朱塗りの瑞垣 が見えます。



          拝所の手前はこんな感じです。


左側に回り込んで見ましたが、側面からも本殿は殆ど見えません。



主祭神は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサヤアカツカツハヤヒアメノオシホミミノミコト) で、
天津日子彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホニニギノモコト)
神日本磐余彦尊 諡 神武天王 (カンヤマトイワレヒコノミコト)  を 併せて三座 が祭神です。



割拝殿の右(東)側に は、当社の案内として、 詳しい案内文 が掲示されています。
詳細は神社にご参拝いただき、お読みいただくとして、次の事項を要約します。
*創建 孝徳天皇大化元年(645)、山背国莵道郡許畑、柳山に神殿を造営
*創建当時、許波多神社あるいは木幡神社と号した。柳山鎮座の故に、後に柳大明神と称され、それが正式社号になっていった。
*明治9年現在地に移転後、元の名称に復称した。
*移転の理由は、明治8年、陸軍火薬庫建設のために、社地全域が社地全域が無償上地となった。つまり政府に接収された。
*現在地は御旅所だった。ここに移転させられた。




この 古地図 も掲示されています。

大神輿の公開は今後の大型連休にも予定されていると報じられています。
6月1~5日、7月13~15日、8月10~12日、9月14~16日です。11月4日も追加されるとか。

次回は、大神輿の細見をいたします。

つづく

補遺
許波多神社 ​  :ウィキペディア
許波多神社[宇治観光]  ​ :「京阪宇治線 おけいはん」
割拝殿 ​  :「大阪文化財ナビ」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.05.06 15:45:48コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: