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2017.02.13
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カテゴリ: 探訪 [再録]

来迎院を下り、泉涌寺道に出る手前で 「今熊野観音寺」への石標 が目に止まりました。
今熊野川の谷に架かる 「鳥居橋」 です。東山トレイルは、この橋の少し手前から、鳥戸野陵の傍を通る道がトレイルルートなのです。何度も東山トレイルを歩いています。このトレイルのルートを一部辿り途中から東大路通に出ることができます。そこで、この道を利用することにしました。東山トレイルを歩いた時はいつも横目に見ながら通りすぎていましたので、今熊野観音寺に立ち寄ってみようとふと思いました。

鳥居橋の手前に 「今熊野観音寺全景」図 が掲示されています。
泉涌寺・来迎院から今熊野観音寺・鳥戸野陵地域の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

橋を渡り、坂道を上っていくと、

一段高い境内の端に建つ「茶所」(休憩施設)の土台側面の下にある塀の傍に石造五重塔が見えます。

子護弘法大師立像
かけがえのない大切な子供達を護ってくださる弘法大師を讃えて建立された銅像のようです。




                   石段を上がると、正面に 本堂 が見えます。
今熊野観音寺は、真言宗泉涌寺派のお寺
寺伝によると、大同2年(807)に弘法大師空海が東山山中で、現れた白髪の一老翁から十一面観音菩薩を授かったことにより、この地に一堂を建立されて法輪寺と号されたのが、当寺の起こりと伝えられているそうです。左大臣藤原緒嗣が壇越となって伽藍の造営が始まり、その子・藤原春津により斎衡2年(855)に亡父の発願が果たされて、仙遊寺と名を改めたと言います。しかし平安期の観音信仰の興隆により、観音寺の名で親しまれたのです。後白河法皇が永暦元年(1160)新 (いま) 熊野神社の創祀にあたり、観音寺をその本地堂とされ、「新那智山」と称されたと言います。それが山号の由来です。
弘法大師空海の前に現れた白髪の老翁が熊野権現と告げたという伝承から、この地は熊野修験の中心地にもなっていたそうです。後白河法皇は、熊野御幸の際の潔斎場(精進場)をこの地に設けられ、その参籠のための観音寺大路が開設されたと言います。 (資料1,2,3)
本堂
現在の本堂は中興宗恕祖元律師により江戸時代・正徳3年(1713)に再興されたもの。
本尊は秘仏の十一面観世音菩薩
脇仏として、不動明王像(伝智証大師円珍作)と毘沙門天像(伝運慶作)が配されています。
さらに、本堂には大聖歓喜天(聖天)、薬師如来、准胝観音、三面大黒天、恵比須神などが祀られています。 恵比須神は「泉山七福神巡り」の一柱 です。


  昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり  御詠歌

堂内には 「観音大菩薩」と墨書された赤色の大提灯
今熊野観音寺は、 「西国三十三所観音霊場」の第十五番札所、「洛陽三十三所観音霊場」の第十九番札所 です。



            屋根の 鬼瓦 とちょっとめずらしい造形の 飾り瓦
霊獣の亀の上に座るのは老翁の形に表された水天でしょうか?それとも熊野権現示現伝説の表象としての老翁でしょうか? 課題が残りました。
 本堂の斜め前に立つ 「ぼけ封じ観音」
「ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場会」の第一番札所 でもあります。
観音像の周囲に奉納されているのは、おじいさん・おばあさんの姿形の「身代わりの石仏」です。 (資料4、以下境内説明でも参照)

本堂に向かって左側に 地蔵堂 があります。

堂外からのデジカメでのズームアップさせていただきました。
本尊は地蔵菩薩 で、十一面観音像と弘法大師像も祀られているようです。


地蔵堂の左脇に、覆い屋を設けて「三重石塔」が置かれています。
駒札によると、 今熊野観音寺の創建当時の石塔 で、平安様式の塔だそうです。


一方、本堂の右側の一段高くなった境内地には 「大師堂」 があります。

大師信仰の人々からは、 「東山大師」 と呼ばれているとか。このお堂には、不動明王、愛染明王を併せて祀り、当寺の伽藍造立に貢献した 左大臣藤原緒嗣の像 も安置されているといいます。


大師堂の近くで、 下部に南無観世音菩薩と陰刻された笠付型墓塔 があります。 正面に観音菩薩立像がレリーフされています。


大師堂の南側には、鎮守社が二社祀られています。
この写真の 右が「熊野権現社」、左が「稲荷社」 です。
東山山中で、空海上人の前に現れ、熊野権現だと告げて一寸八分の観世音を授け、この地の守護神になると約されたという熊野権現示現伝説が、この鎮守社を祀ることと深く関係するのでしょう。
東寺の建立にあたり、稲荷明神と空海上人の関係は密接な関係にあります。善能寺に日本最初の稲荷社が祀られているように、真言宗の当寺もまた鎮守社として奉祀されているのでしょう。

鎮守社から南方向に位置する 鐘楼 。周囲に石塔・石仏が集合して安置されています。

第二次世界大戦の折に、この梵鐘も一旦供出されていたそうですが、金属に鋳つぶされることなくもとの姿で残っていたのだとか。それが昭和21年に修理されて今ここに戻っているのです。
五智水
本堂と石段との間にあります。弘法大師空海が「観世音をまつるのにふさわしい霊地を選ぼうと、錫杖をもって岩根をうがたれると霊泉が湧き出ました」 (資料4) といわれるところです。 観音御利生の水 として崇め 「五智水」 と名づけられたとのこと。
「五智」とは「大日如来のそなえる五つの智慧。法界体性 (ほっかいたいしょう) 智・大円鏡智・平等性 (びょうどうしょう) 智・妙観察智・成所作 (じょうしょさ) 智の五つ」 (『日本語大辞典』講談社) をいうようです。
次のような説明も他書にあります。 (資料5)
 1) 法界大性智 法界の自性を明確にする智
 2) 大円鏡智  鏡の如く法界の万象を顕現する智
 3) 平等性智  諸法の平等を具現する智
 4) 妙観察智  諸法を正当に追求する智
 5) 成所作智  自他の作すべきことを成就せしめる智
ここで言われる「法界」とは「あらゆる法がそれぞれ自体を異にしている意で、意識の対象となるすべてのものごと、あるがままの理法の世界などに用い、大乗仏教ではあらゆる差別の事物も唯一法界とし、万有の本体である真如であるとする。また宇宙というような意味に用いる」とされ、同様に「諸法」とは「存在・一切の現象」の意味だと説明されています。 (資料5)

脇道にそれました。境内探訪に戻りましょう。

この駒札の立つところから、次回にまとめたい「今熊野西国霊場」巡拝の道を経由して「医聖堂」に至ります。大師堂の背後からの坂道を登っても行けます。私はこの駒札を逆に降りてきてから気づいたのです。

「医心方」の1000年記念の碑 として建立されたものです。
左にその建立主旨の銘板が嵌め込まれた碑が並んでいます。
「平安のむかし 医博士・針博士 丹波康頼(912~995)によって選述された「医心方」三十薪は 984年・永観2年11月28日朝廷に献じられた 「医心方」は わが国医学の源流を示す 現在最古の医書であるとともに 中国ですでに失われた多くの医書を含む 東洋医学の貴重な文化遺産である 「医心方」一千年を記念して ここに医聖堂の傍らに碑を建て康頼の偉業をたたえる」と記されています。
1984年10月10日に医心方一千年記念会により建立されたもの。日本医史学会と日本東洋医学会の名前が併記されています。



医聖塔
平安様式の多宝塔。「医学と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立」 (資料4) されたものだそうです。
最初に載せた本堂の建つ境内地の写真の本堂の右奧、つまり本堂東側の山上にそびえている塔がこの医聖塔です。
医聖堂の傍には、平安時代以降の医家の名前を列挙した石碑が建立されています。

医聖塔から「今熊野西国霊場」の道沿いに下ってくると、池の傍に出ます。その先が上掲の駒札のところに至ります。

池の傍には、「金龍弁財天」が祀られているのですが、写真を撮りもらしています。

一方、こんな祭祀碑を撮っていました。中央の神名は頭の文字がさだかではありませんが、豊光大神・丹平大神という名称が左右に刻されています。

大師堂の北方向に行くと、一隅にあるのが、 亀趺の上の石に南無観世音と刻されたこの碑 です。

さらに北側に行くと、 「霊光殿」(納骨堂) があり、台座の上に阿弥陀如来が鎮座されています。この先が墓地域になっています。

入口に六地蔵が祀られ、近くの墓域の一角に大きな木がありました。墓域を世話されている方から樹名を聞いたのですが思い出せません。この種類の木として、これほど大きなものは珍しいそうです。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 由緒沿革 今熊野観音寺ホームページ
2) 『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著 駸々堂
3) 今熊野観音寺  泉涌寺 山内寺院の紹介 :「御寺 泉涌寺」
4) 境内伽藍 今熊野観音寺ホームページ
5) 『新・佛教辞典 増補』 中村元監修  誠信書房 p177

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
今熊野観音寺  ホームページ
西国三十三所巡礼の旅  ホームページ
洛陽三十三所観音巡礼  ホームページ
ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場会  ホームページ
医心方  :「e国寶」
医心方  :ウィキペディア

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.02.15 22:08:15
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