猪突猛進ダンサー日記

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2026.05.17
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カテゴリ: 旅行記
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ヴァイオリン2名とビオラ、チェロの4重奏が大変素晴らしかったです。

約2時間ほど弦楽の調べに酔いしれました。

これだけしか書けないのです。

・・・

さて、松江城を後にして、歩いて歩いて

やっと目の前に八雲記念館の目印が見えてきました。



やっと近くまで来ました。

右手を見るとありました。

連続テレビ小説の影響で大勢の見学者で混雑していました。






中は撮影禁止でした。

遺品が展示されていましたし、彼の一生が大きく説明されていました。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は1850年にギリシャで生まれ、

アイルランドで育ちました。

私の感想ですが、少年時代に家族、特に両親の愛情を

あまり受けずに育った孤独な少年だったという印象を持ちました。

母親は少年が幼い時に国に帰ってしまい、

父親はあまり少年と会うことがなかったようです。

「19歳で単身アメリカに渡り、新聞記者、作家として

執筆活動をする中で、日本に興味を抱き1890年(明治23年)に来日しました。

日本の文化、習慣に強い関心を持ち

日本に関する多数の著書を執筆し、

1896年(明治29年)日本に帰化して小泉八雲となり、

1904年(明治37年)54歳で心臓の病気で亡くなりました。」

(頂いたリーフレットより)



こちらにも大勢の見学者がいました。



小泉八雲は1891年(明治24年)6月、



熊本に赴くまでの約5か月を過ごしました。

八雲は美しい庭を特に気に入り、

帰宅すると和服に着替え、三方の庭を眺める

至福の時を過ごしたそうです。

(リーフレットを参照)

北側にある第二の庭が特にお気に入りの庭だったそうです。




家の中の様子です。

松江藩主の武家屋敷であった根岸家は

ちょうどそのころ空き家になっていて

庭のある侍の屋敷に住みたかった八雲の希望通りの家だったのです。




















来た道とは違う道を通って駐車場まで戻りました。

松江城の周りのお濠を遊覧する船もそろそろ終わりそうでした。





前回、相方はこの船で遊覧しました。

私は眺めているだけ充分でした。

ヤマボウシの白い花が咲いていました。



堀川をまた船が通っていきました。




芥川龍之介と志賀直哉の説明もありました。

大正の初め、二人の文豪が内中原町を気に行って

居を構えたそうです。

ここから数十メートル南にある堀川の街、内中原町です。

志賀直哉が居を構えた翌年、芥川龍之介が松江を訪れ、

気に入り、水と緑に囲まれた生活を作品にも記しているそうです。



とにかくこの頃、既に午後4時を過ぎていたので、

途中の宍道湖SAで食事をして

島根から鳥取のホテルに帰るまで2時間かかったのでした。


(つづく)




午後5時に出かけ準備をして、後片付けに午後9時までかかりました。

派遣生に選ばれた若い人たちが現在海外でも活躍している姿を

リモートで現地(ドイツ)から話してもらって

刺激をもらってきました。





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最終更新日  2026.05.17 10:47:47
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