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ここで旅行記を小休止して一昨日5/22(金)に岐阜まで出かけ、参加した岐阜県ハンガリー友好協会の総会と懇親会の様子を載せたいと思います。午前10時半受付開始、11時開始の総会でした。会場は新緑の金華山の上に岐阜城が見える岐阜グランドホテルの12階でした。ロビーには鵜飼いの鵜と漁火に見立てたオレンジのお花、そして生け花が飾ってありました。エレベーターで一気に12階まで上がり、総会が行われました。錚々たるメンバーの中に私が一人混じっているという感じ。私はF市長の隣の席でした。総会は滞りなく終了し、同じ会場で懇親会のランチが始まりました。私は食事が楽しみで出席しているようなものです。年1回ここでしか会えない方々と会うのも楽しみです。SNSでつながっている方もいて、話が弾みました。午後1時ごろには閉会になり、記念に全員で集合写真を撮りました。仲良しのKさんと記念にツーショットを。そして午後1時過ぎに帰りました。この日の気温は30.2度の真夏日でしたが、長良川沿いの道路は風が強く吹き、あまり暑さを感じないほどでした。・・・そして今朝は8時過ぎに出かけて会場の準備をします。顕彰会の理事は8時30分集合で午前中はリハーサル。そして午後、坪内逍遙博士生誕祭が始まります。後片付けをして夕方には帰れると思います。一人でも多くの皆様の参加を願っております。
2026.05.31
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国宝鎌倉大仏と長谷寺を巡って鎌倉見学1日目を終え、鶴岡八幡宮近くのホテルに午後3時過ぎに到着。イタリアンのお店は満席でシラス入り海鮮丼と漬けマグロ丼で夕食を済ませました。翌朝は午前7時からホテルのビュッフェで朝食を済ませ、ゆっくり9時頃に江ノ電に乗って江の島を目指しました。歩いていくと右手に船着き場があり、「歩いていくと40分かかりますよ。船なら10分で着きますよ。」の甘い声に誘われて、江の島まで船に乗ることにしました。釣りをしている人が多かったです。海釣りをしている人たち荒々しい岩場を散策したり記念撮影をする人たち赤いスロープは何だろうと上がって行きました。弘法大使や日蓮上人、源頼朝など多くの高僧、武将が祈願の為に岩屋を訪れて籠ったそうですが、私達は洞窟内には入りませんでした。第一岩屋は奥行き152メートルもあるんですよ。写真を見ただけでもう充分でした。湘南の海ではマリンスポーツを楽しむ人たちでいっぱいでした。写ってませんが、サーフィンをする人たちやヨットを楽しむ人たちが江ノ島の向こう側にものすごく大勢いました。江の島にどれぐらいの時間いたでしょうか。もう充分だと思ったので引き返すことにしました。船がやってきました。折り返し船が出るので、それに乗って帰ります。帰りは2組4名だけの客が乗りました。レガッタが何艘も練習をしてました。江の島が遠ざかります。これで船着き場に戻ってきました。橋の下から向こうの方にたくさんのヨットやサーファーの姿が見えていました。さぁこれから由比ガ浜に行きましょう。(つづく)
2026.05.30
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今回はコンサートに出かけるのが主な目的だったので、観光は二の次と言いましょうか、おまけでした。こちらはホテルの自分の部屋に行くまでの目印でした。1階から2階のフロントへ行き、4階の部屋までの目印になりました。さて、旅の続きに参りましょう。長谷寺も7年前はお堂や洞穴の中に入って見学しましたが、今回は外から眺めただけでした。くどいかもしれませんが、今日も7年前の長谷寺を載せておきます。千体地蔵様は増えていたような気がします。先祖供養や水子の供養をされる方が多いのでしょうね。こちらは阿弥陀堂です。阿弥陀如来座像があります。かきがら(牡蠣殻)絵馬は初めて見ました。7年前はなかったように思いますが…鐘楼観音堂の外観です。十一面観音菩薩立像が安置されています。すべて撮影禁止です。トンビが1羽、くるりと輪を書いていました。トンビに目を突つかれないように注意と書いてありましたが、トンビは人間の目を狙うんでしょうか?熊も怖いですが、トンビも怖いですね。高台にある見晴台から由比ガ浜海岸、三浦半島、鎌倉の街を一望しました。ホテルにチェックインできる時間が近づいてきたのでそろそろホテルに戻ることにしましたが、この日は土曜日なのでバスの本数が少なく、仕方なく鎌倉駅に向かってどんどん歩きました。しかし、あと2駅ぐらいの所でバスに乗りました。そして3時過ぎにホテルにチェックインしたのでした。(つづく)先週(5/20)開催された坪内逍遙顕彰会の執行部会の議事録を2ページにまとめてやっと書き上げました。私は理事で庶務もやっておりますので。今日は朝からハンガリー友好協会の総会で岐阜のホテルまで出かけます。そして今度の日曜日(5/31)はいよいよ坪内逍遙生誕祭が開催され、朝8時過ぎから準備に出かけリハーサルがあり、午後は生誕祭の本番です。その後、少しだけ余裕ができますので、また旅行記を続けようと思います。
2026.05.29
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7年前とは逆行程で国宝鎌倉大仏を拝観してから長谷寺まで歩きました。ちょうど昼時でしたが、長谷寺の周りの食べ物屋さんは観光客が中に入り切れず、外で待っていました。私達も30分あるいはそれ以上待たされました。近くに長谷寺が見えるこのお店しかもうなかったんです。餅、たらこ&チーズ入りもんじゃ焼きと焼きそばを食べました。ノンアルのシャルドネを飲みながらここでまた7年前の長谷寺を振り返ります。前回は若かった(?)のでエネルギッシュに堂内も洞窟内も回りましたが、さすがに今回は長谷寺の境内をゆっくりと巡ることにしました。それで今日は前編としてお庭を紹介します。穏やかなお顔をした地蔵様を眺めるとホッとします。紫陽花はまだ咲き始めでした。花盆栽というのがあるのですね。故エリザベス女王から「緑の魔術師」とたたえられた世界的ランドスケープデザイナーの石原和幸氏が作り上げた花と盆栽を融合したインスタレーション(空間アート作品)なんだそうです。花菖蒲やアヤメも咲いていました。(つづく)昨日、2年前の写真が主催者から送られてきました。ご笑覧ください。ロビーで先生に抱っこしてもらったのが気持ち良かったです。
2026.05.28
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今日から5/23~5/25の「いざ鎌倉へ!」の旅を振り返ります。実は2019年5月11日のブログに前々回の旅の様子が書かれています。(前回の旅は鎌倉では鶴岡八幡宮しか訪れていませんので)あれからもう7年が過ぎました。月日が流れるのは本当に早いです。さて、早朝自宅を出発して約7時間後に鎌倉に到着。宿泊するホテルは午後2時でしか駐車場を使わせてもらえないので、紹介してもらった駐車場に行きましたが、すべて満車。仕方なくホテルの周りを3周ほどしてやっと1台分見つけ、苦労して入れることができたのでした。駅前からバスに乗って最初に行ったのは国宝 鎌倉大仏でした。鎌倉大仏もインバウンドの観光客で混雑していました。この混雑ぶりです。日本人より外国からの観光客がかなり多かったです。人を入れずに柔和な表情の大仏様を撮るのは難しかったです。高徳院・鎌倉大仏殿で頂いた栞によりますと、「鎌倉大仏の名で親しまれている高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像は1252年(建長4年)から10年前後の歳月をかけて造立されたとみられる。制作には僧浄光が勧進した浄財が当てられたという。(中略)原型作者も含め、創建に関わる事情の多くは謎に包まれている。尊像を収めていた仏殿は1334年(建武元年)と1369年(応安2年)に大風で損壊したらしい。15世紀以後、同仏殿が再建された形跡は認められない。台座を含む総高 約13.4メートル仏身高 約11.3メートル重量 約121トン7年前にできなかった胎内拝観をしました。お日柄も良く、お茶会も開かれておりました。裏の方に行ってみました。与謝野晶子さんの句碑がありました。やはり情熱的な与謝野晶子さんらしい句だわと微笑んでいる自分がいました。大仏様がお立ちになり歩かれるとこんな大わらじがいるのかなと思いました。その後、長谷寺まで歩きました。(つづく)
2026.05.27
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今回鎌倉へ出かけた目的はヴァイオリニストとピアニストのデュオリサイタルを聴くことでした。観光を早めに切り上げ、ホテルから歩いて数分の場所なので、5月24日(日)の午後6時半少し前に会場に向かいましたが、既に大勢の方々がロビーで待ってらっしゃいました。午後7時開演で、休憩なしで1時間半余り演奏されました。クララ・シューマンの曲、ロベルト・シューマンの曲、ロベルト・シューマンにフランツ・リス:献呈の曲、セザール・フランクの曲をヴァイオリンとピアノで情熱的でロマンティックに演奏されました。どうしてヴァイオリニストの前田朋子さんなのかという理由は年末年始にオーストリア・ウィーンへ旅行した時に私がウィーン学友協会でニューイヤーコンサートを聴いている間、相方は前田朋子さんにウィーンの街案内でお世話になったからなんです。美術館巡りだけでなく、地下鉄に乗って買い物に出かけたようです。それ以来、日本にいらっしゃるお母様と連絡を取り合い、今回のコンサートに出席する運びとなりました。コンサートが終わって、午後9時からアフターということで夕食に歩いてイタリアンのお店に行きました。そこはなんとソフィアローレンレストランで日本初出店のお店でした。まずシャンパンで乾杯をして、お料理を頂きました。ヴァイオリニストの前田さんとピアニストの浦山さんも参加され、すべてのテーブルを回られてにぎやかで楽しいディナータイムでした。ウィーンへ旅した方々も参加され、なんと、私たちが着席したテーブルのご夫妻はウィーンの楽友協会でニューイヤーコンサートを楽しまれ、しかもお聞きしたら同じホテルに滞在されてたそうで不思議なご縁がありました。しかも前田さんともお知り合いで、繋がりがありました。それで食事中も共通の話題で話が盛り上がりました。記念に写真を撮らせていただきました。楽しい食事会は盛り上がり、午後10時半過ぎにお開きになりました。楽しい余韻を感じながらホテルに戻ったのでした。PS) 昨夜午後6時半過ぎに無事自宅に戻りました。やはり鎌倉からも7時間かかりました。後日、カメラで撮った写真を載せたいと思っています。
2026.05.26
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鎌倉2日目(5/24)は日曜日とあって鎌倉駅周辺はにぎわっていました。しっかりホテルの朝食を食べてホテルのフロントから外へ出て鶴岡八幡宮に向かって歩き、鶴岡八幡宮へ挨拶をしてから江ノ電に乗って江の島へ行きました。歩くと40分かかると言われ、船に10分乗って江の島へ到着しました。江の島をぐるりと回って釣り人や海を眺め、たくさんのヨットが出てましたし、サーフィンをする人たちも多かったです。カヌーを練習する人たちも何艘かに分かれて練習してました。その後、また船で乗り場に戻りました。次に江ノ電で由比ガ浜まで行き、降りましたが、反対側に歩いたからなのか住宅街が続き、お店は全くないので結局、由比ガ浜から鎌倉駅まで歩きました。私達は旅に出ると結構歩きます。でも歩いたおかげで、こんな自販機を見つけましたし、鎌倉カーニバルの行列にも出会いました。面白かったので一部を写させていただきました。途中で昼食を食べ(あとは撮り忘れました)、小町通りの珈琲店は前回も入ってゆっくりしましたので今回で2度目です。アフタヌーンティーに珈琲を飲んでゆっくり休憩。夜は午後6時半開場、7時開演のコンサートに出かけました。(昼間に撮っておいた写真です)その様子はまた後日ということで…(つづく)そして今日はもう自宅に帰ります。あっという間の2泊3日間でした。
2026.05.25
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昨日の早朝4時半過ぎにバタバタと準備をして5時前に自宅を出て、新東名をひた走り、途中SAで休憩を二回取り、途中で東名に入ったり新東名に入ってやっとのことで横浜へ。茅ヶ崎で降りてから渋滞で時間がかかりました。結局下道で1時間以上かかったので、自宅を出て6時間以上かかって到着したのは鎌倉です。鎌倉を訪れたのはこれで3度目。実は今夜のイベントに出席するために出かけてきたのです。そのことは後日紹介するとして(今はまだ内緒です)鶴岡八幡宮の赤い門のすぐ前のホテルに到着。しかし、ホテルの駐車場は午後2時以降でないと入れないので鎌倉駅の周りをぐるぐる駐車場を探して回りました。3か所目でやっと1台分見つけたけれど、細い道路に後ろから車がどんどん来るのでバックするのが大変で時間がかかりました。私は後ろでひやひやしながら道案内をしました。鎌倉駅へ歩いて行ってその後、バスに乗って高徳院の鎌倉大仏を参拝に行きました。前回は長蛇の列で胎内拝観ができなかったんですが、今回も土曜日とあって大勢の人がいましたが、何とか胎内拝観ができました。その後、長谷寺まで歩くことにしました。途中のお店へ昼食に入ろうとしましたが、お昼時でどこのお店も店内や屋外で待っています。仕方ないので長谷寺が見えるところまできて30分以上待ってやっと昼食を済ませました。(もんじゃ焼き)そして長谷寺に参拝しました。しかしこのところのインバウンドで右を見ても左を見ても外国の方々ばかりで、飛び交う言葉も様々です。石段を上がって拝観と参拝を済ませ、帰り道もかなり歩きましたが、もう少しで駅というところでバスに乗りました。そして午後3時過ぎにやっと2泊するホテルに到着。夕食はホテルの近くのイタリアンのお店に出かけましたが、満員で入れず、シラス入り海鮮丼のお店に入りました。そして1日目が終わりました。(つづく)
2026.05.24
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昨日の午後、今年度の第21回坪内逍遙大賞の受賞者の発表がありました。こちらは2025年3月30日のブログに載せた内容です。『今日は午後1時前に集合して、手伝いをする予定です。第20回坪内逍遥大賞受賞式及び記念事業があるからです。私も坪内逍遥顕彰会のメンバーですので、チケットは買ってありますが、手伝いに要請されました。チラシをコピーしましたが、大きすぎて入り切りませんでした。今回(第20回)坪内逍遥大賞に選ばれたのは野村萬斎氏です。国内外で多数の狂言・能公演に参加され狂言師として古典の知恵を現代に活かすことを根本にして古典の技法を駆使した作品の演出など幅広く活躍されています。記念事業の狂言「法螺侍(ほらざむらい)」は原作はW.シェイクスピア「ウィンザーの陽気な女房たち」です。(作:高橋康也 演出:野村万作)ストーリーも面白そうです。今日は狂言を生で見るのが楽しみです。』そして野村萬斎氏の狂言を見た様子です。2025年3月31日のブログ・・・・・そして昨日の午後、第21回坪内逍遙大賞受賞者の発表記者会見がありました。今回の受賞者はこの方です。坪内逍遙大賞選考委員長(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長)と市長、副市長、教育長が発表しました。脚本家の三谷幸喜氏に決定しました。授賞式、記念事業が8月22日(土曜日)に予定されています。記念事業は選考委員とのトークセッションだそうです。今から楽しみです。そして5月23日のTBS22:00の「情報7days ニュース」で三谷さんが「実は昨日第21回坪内逍遙大賞受賞者の発表がありまして、私、受賞しました。」と言っていただくと最高ですね。さて、どうでしょうね。
2026.05.23
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長らく鳥取と島根の旅にお付き合いいただきありがとうございました。旅行中やはり季節のお花に目が留まりました。先ず滞在中、毎日通った鳥取砂丘では駐車場の近くの草むらに咲くクレマチスの花に気づきました。たぶん誰の目にも止まらないだろうと思って写してきました。こちらは出雲大社の参道から外れた池に咲いていたあやめです。そしてこちらは松江城の周りに咲いていたヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)の白い花こちらは松江城のお濠、堀川の河畔に咲いていたヤマボウシです。また、私が旅行中、仲良しグループの人たちはローズガーデンに薔薇の花を観に行ったようです。動画を送ってもらったので編集しました。そして昨年は仲良しの皆さんと一緒に石屋さんの庭へアルパハープやヴァイオリン演奏を聴きに行ったけれど、今年は私だけ失礼したので薔薇園の様子と音楽の調べを動画で送ってくださいました。薔薇のお庭でアルパハープ演奏です。ヴァイオリン演奏も頂きましたが、お顔がはっきりわかるのでやめました。薔薇の動画を編集しました。すぐ近くの別のお家の庭でも薔薇の花が色とりどりに一斉に咲き誇りそれはそれは見事で綺麗でしたが、個人のお宅なので許可を取らないと載せられないと思いました。やっぱりお花は心の癒しになりますね。お友達も皆さん、お花が好きな方ばかりです。庭にたくさんのお花や薔薇の花が咲いています。その一部を紹介します。他にも薔薇の花は色々咲いていますが、今回はここまでとします。
2026.05.22
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いよいよ鳥取・島根の旅も最終日になりました。3泊4日、長かったようで短かった時間でした。最終日にホテルをチェックアウトして真っ先に向かったのは鳥取砂丘でした。前回は毎日通ってもラクダさんとは全く縁がなかったけれど、今回はラクダに乗れただけでラッキーでしたが、欲を言えば、ラクダに乗って砂丘を歩くことでした。道中、青空が広がり無風状態。わずかな期待を持って出かけたのでしたが、砂丘に近づくにつれて、風で木々が揺れているので今回もダメかと半ばあきらめ気味で砂丘を上がって行くと、なんとラクダさんが2頭もいるではないですか。しかも写真撮影だけでなく、砂丘も歩けるということでやっと2年越しの夢が実現しました。2分40秒ほどの動画を撮ってもらいましたが、自分では結構、砂丘を歩いたような気がしました。アラビアのローレンスになった気分でした。(ちょっと大げさかも)動画を編集したものを再掲します。充分満足できたのでもう思い残すこともなく帰れました。それで相方の希望で砂の美術館に立ち寄り、売店で相方が買い物をしてそのお土産を持ってお気に入りのママさんの喫茶店へ挨拶に行き、お土産を渡したら満足したらしく、やっと帰途につきました。いよいよ鳥取の街ともお別れです。途中、まだ訪れたことのないお城を眺めながら走りました。この城は河原城(正式名称は丸山城跡)と言います。織田信長に中国攻めを命じられた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が鳥取城を攻めた時に本陣を置いたお城だそうです。丸山城は他にも2城あるのでこの城は河原城と呼ばれています。私は方向音痴なので、しばらく南に向かって走っているように感じました。そして中国自動車道をひた走り、途中でやっと車が北に向かって走っているように感じてきました。途中から新名神に入りました。そしていつものように宝塚北SAで途中休憩してリボンの騎士に会ってから、また走り続けいつの間にか名神に入って養老SAで最後の休憩をして午後6時過ぎに自宅に帰れたのでした。(完)旅行記にお付き合い頂きましてありがとうございました。昨日は坪内逍遥顕彰会の会議に出席しました。今月末(5/31)の生誕祭に向けて色々と準備があります。当日大勢の方々に参加して頂きたいと願っています。
2026.05.21
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大江の郷から今度は若桜駅(わかさえき)まで行きました。ここは二人とも一度も訪れたことのない駅でした。駅舎内はレトロな感じでした。そして改札を抜けるとこれまたレトロな列車が停車しておりました。列車内の様子です。後ろから見たところ前から見たところ既に乗客が数名乗ってらっしゃいました。そして時間になると出発していきました。周りの様子です。SLも動かしてくれました。蒸気が出て汽笛が鳴っているのが聞こえました。他にも子供が乗るようにミニSLや電車もありました。この日はここまで遠出をしてから2時間かけて鳥取に戻りました。途中ママさんのお店でアフタヌーンティーでリラックスし、果物が食べたくてフルーツ店にも寄りました。リンゴ、グレープフルーツ、オレンジ等を買ってきました。そしてホテルの部屋で食べました。久しぶりの果物がとても美味しかったです。(つづく)昨日の小学校での読み聞かせの様子です。真ん中でうつむいているのが私です。子供たちの反応はすごかったです。
2026.05.20
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旅3日目(5/10)になりました。この日もラクダさんに乗って砂丘を歩きたかったので一番に鳥取砂丘に行きましたが、ラクダさんはGWと週末までよく働いたので今日は1日お休みですと言われ、がっかりしました。折角来たので、仕方なくロープウェイに乗って砂丘を見渡せるところまで行きました。途中で記念写真を撮る所があって二人そろってロープウェイに乗っているところを写してもらました。商売繁盛だと思います。3階まで階段を上がって砂丘を180度見渡しました。そしてまたロープウェイで下りて行きました。この後、1時間半から2時間近くかかって大江の郷へ行きました。道中、緑の山また山を眺めながら進みました。やっと大江の郷に到着。ところが、日曜日とあってここもかなりの賑わいでした。なるべく人を入れないように写真を撮りましたが、実際は大勢の人たちで食べ物のお店も30分から1時間待ちでした。右側のお洒落なお店には今回も入れませんでした。💦前回会えなかったヤギさんにも会えました。この建物の中で買い物や食事をしました。やはり田舎でもお洒落な建物に皆さん集まってきますね。特にこの日は母の日で家族連れが多かったです。(つづく)今日は今年度初めて小学校での「読み聞かせ」の日でした。午後1時からの昼休みの時間に3冊の本を読み聞かせしてきました。低学年の子供たちが大勢聴きに来てくれました。高学年はこの暑い中、運動場で遊びたいのだそうです。一昨日当地は31度、昨日は32.9度まで気温が上がりました。今日もとても暑いですので、熱中症に気を付けてほしいです。
2026.05.19
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昨日5月9日に訪れた小泉八雲記念館と旧居を載せましたが、ここで1日前にタイムスリップ!実は5月8日に鳥取砂丘と砂の美術館を訪れた後、大好きなママさんのお店でランチを食べゆっくりしたのですが、ホテルにチェックインするにはまだ時間が早く、駐車場に車を入れて鳥取駅周辺をぶらぶら歩いてみました。ちょっとわかりにくかったですが、階段の上にある鳥取民芸美術館に入ってみました。「1949年に鳥取の医師、吉田璋也により柳宗悦が見出した「民芸の美」の思想の普及と新たな創造の指針を示すため、鳥取の民芸運動の拠点として創設されました。朝鮮陶磁器、日本・中国・西洋や鳥取地方の古民芸、吉田璋也が作った新作民芸など、収蔵品は総数五千点以上。現在の建物は1957年に新築され国の登録有形文化財建造物となっています。」(リーフレット参照)頂いたリーフレットです。1階、2階に展示されていました。その後も鯉を見ながらこの辺りをぶらぶら。まだ時間があったので鳥取県立博物館に行きました。内容は大体他の博物館と同じで鳥取県内の動植物や鉱物、太古からの土地の成り立ちなどが紹介されていました。近くに鳥取城跡があったんですが、残念ながら工事中でした。※ 出雲大社で紹介するのを忘れてましたが、やはり、なで牛となで馬がいました。皆さん拝んでからなでるので頭と顔がピカピカでした。鳥取、島根では車で出かけた途中で麺類をよく食べました。宍道湖SAでも往復食べましたし、ママさんのお店でも頂きました。明日から時系列で載せられるといいのですが、何せ旅行から帰ってからも毎日何かと行事が入っていますので忘れてしまうことが多々出てきますのであしからず。💦(つづく)
2026.05.18
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昨夜の弦楽四重奏コンサートは写真がありません。ヴァイオリン2名とビオラ、チェロの4重奏が大変素晴らしかったです。約2時間ほど弦楽の調べに酔いしれました。これだけしか書けないのです。・・・さて、松江城を後にして、歩いて歩いてやっと目の前に八雲記念館の目印が見えてきました。やっと近くまで来ました。右手を見るとありました。連続テレビ小説の影響で大勢の見学者で混雑していました。中は撮影禁止でした。遺品が展示されていましたし、彼の一生が大きく説明されていました。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は1850年にギリシャで生まれ、アイルランドで育ちました。私の感想ですが、少年時代に家族、特に両親の愛情をあまり受けずに育った孤独な少年だったという印象を持ちました。母親は少年が幼い時に国に帰ってしまい、父親はあまり少年と会うことがなかったようです。「19歳で単身アメリカに渡り、新聞記者、作家として執筆活動をする中で、日本に興味を抱き1890年(明治23年)に来日しました。日本の文化、習慣に強い関心を持ち日本に関する多数の著書を執筆し、1896年(明治29年)日本に帰化して小泉八雲となり、1904年(明治37年)54歳で心臓の病気で亡くなりました。」(頂いたリーフレットより)こちらにも大勢の見学者がいました。小泉八雲は1891年(明治24年)6月、妻のセツとともにこの家に転居し、熊本に赴くまでの約5か月を過ごしました。八雲は美しい庭を特に気に入り、帰宅すると和服に着替え、三方の庭を眺める至福の時を過ごしたそうです。(リーフレットを参照)北側にある第二の庭が特にお気に入りの庭だったそうです。家の中の様子です。松江藩主の武家屋敷であった根岸家はちょうどそのころ空き家になっていて庭のある侍の屋敷に住みたかった八雲の希望通りの家だったのです。来た道とは違う道を通って駐車場まで戻りました。松江城の周りのお濠を遊覧する船もそろそろ終わりそうでした。前回、相方はこの船で遊覧しました。私は眺めているだけ充分でした。ヤマボウシの白い花が咲いていました。堀川をまた船が通っていきました。芥川龍之介と志賀直哉の説明もありました。大正の初め、二人の文豪が内中原町を気に行って居を構えたそうです。ここから数十メートル南にある堀川の街、内中原町です。志賀直哉が居を構えた翌年、芥川龍之介が松江を訪れ、気に入り、水と緑に囲まれた生活を作品にも記しているそうです。とにかくこの頃、既に午後4時を過ぎていたので、途中の宍道湖SAで食事をして島根から鳥取のホテルに帰るまで2時間かかったのでした。(つづく)昨夜は地元の国際交流協会の総会と懇親会に出席するため、午後5時に出かけ準備をして、後片付けに午後9時までかかりました。派遣生に選ばれた若い人たちが現在海外でも活躍している姿をリモートで現地(ドイツ)から話してもらって刺激をもらってきました。
2026.05.17
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出雲大社を後にして、向かったのは松江城です。多分約2時間近くかかったと思います。松江市に入ってからなかなか駐車場が見つからずに同じ道を何度も通りながら、小泉八雲館を見学する人のために土・日だけ駐車場を無料開放している島根県民会館に入ると満車でしたが、かろうじて停めることができました。ところが、そこから結構歩くことになりました。駐車場から最も近い裏側から石段を登って松江城へ入ることにしました。私は咳が出るし、ヒーヒー言いながら後ろに続いて上りました。目の前に現れたのは興雲閣。島根県指定有形文化財で松江市歴史的風致形成建造物です。中の様子は以前相方が訪れた時に写真に撮って見せてもらったのでパスしました。入り口でリーフレットだけ頂いてきました。明治36年(1903年)竣工し、大正天皇の山陰道行啓で御旅館となり迎賓館の役割を果たした建物です。木造2階建てで、バルコニーがあり、1階・2階ともコロネード(列柱廊)をめぐらせた洋風の外観で、屋根は純和風で、明治期の疑洋風建築です。隣には松江神社がありました。先へ進みます。そしてやっと国宝・松江城が見えてきました。説明を読んでよくわかったので天守閣まで登りませんでした。相方は以前天守閣まで登ったようです。天守閣には登りませんでしたが、今までに国宝のお城、松本城、彦根城、犬山城、姫路城、松江城の五つの城を訪れたことが記念になりました。お城の周りにはヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)の白い花が満開でした。小泉八雲館に向かってひたすら歩いていきました。私は靴ですが、相方は下駄を履いていますので、歩きにくいところもあったと思います。(つづく)
2026.05.16
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旅2日目(5/9)のことです。車の車窓から、右手には日本海の押し寄せる白波とたくさん並ぶ風力発電のブレードを眺めながら、左手にも風力発電のブレードも並んでいましたし、大山も見えてきました。途中の宍道湖SAで休憩。運転手にはソフトクリームを食べてリフレッシュしてもらいながら静かな宍道湖を眺めて気分転換。その後、また走り続け、鳥取から約2時間で出雲市に到着。私は半世紀以上前に訪れたことがありますが、相方は数回訪れているので道をよく知っています。出雲大社に参拝しました。参道を進むと、途中から両側に分かれます。なんでも松の根っこを痛めないようにとの配慮からです。松の木も老木が多く、傾いている木に支え棒がしてある木があちこちで見られました。池ではちょうど紫や黄色のあやめが見頃でした。相撲の土俵も作ってありました。因幡の白うさぎがたくさんいましたが、日差しが強く、木洩れ日とウサギの区別が写真ではあまりわかりませんでした。入り口から小さな白兎がたくさんいるので、外国人の女性がウサギに声をかけながら、すべて写してみえました。松の参道を先へ進み、手水舎で手を洗って清めました。すると左手に菊の御紋が見えました。勅使館と社務所があるそうです。その近くに大国主大神の「御自愛の御神像」が立っていました。ちょっと見えにくいですが、左下に白うさぎがいます。「因幡の白うさぎ」の場面を再現してありました。皇后陛下の歌を刻んだ大きな石もありましたが、どの皇后陛下なのかよくわかりませんでした。参道の右側に見えたのは青銅の像で「ムスビの御神像・大国主幸魂奇魂像」です。大国主大神は海のかなたから光が飛んでくるのに遭遇し、その光が御身に宿る幸魂奇魂であることに気づきその御霊に生かされていると自覚しました。(ネットを参照)日差しが強くわかりにくいと思います。右側に大国主命(おおくにぬしのみこと)左側に海のかなたから飛んできた光みんなが興味津々で触っていた松の木はどういういわれがあるのかわかりませんでした。四の鳥居は銅の鳥居です。拝殿と御本殿が見えてきました。拝殿のしめ縄をアップにしてみました。こちらが奥にある素鵞社です。皆さん全員4拍手をしてみえました。しかし最初の2礼や最後の1礼をする姿は見られませんでした。出雲大社は2礼4拍手1礼ということを私は初めて知ったのでした。(つづく)PS) 夕方から岐阜へ出かけ、コンサートを聴いてきます。今夜は帰りが遅くなりそうです。
2026.05.15
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今日も砂の美術館の後編を紹介しますが、先ずその前に、鳥取砂丘で6度目の挑戦でラクダさんの背中に乗って砂丘を歩いたことを仲良し仲間に話したところ、一人はモロッコで乗って歩いたことを思い出したと言われ、もう一人はトルコでシルクロードを少し乗って歩いたと言われ、もう一人はドバイで座っている姿勢からラクダさんが立ったのでラクダは後ろ脚から立ち上がるので身体が前のめりになって立ち上がるまでに相当揺れたと話してくれました。皆さんワールドワイドな方々ばかりで、鳥取砂丘で喜んでいた私はそれ以上何も言えませんでした。💦・・・さて、砂の美術館の続きです。イベリア半島の動物です。ガウディ建築-グエル公園全体像を再掲します。後ろはアルハンブラ宮殿とアルカサル(セゴビア)前はグラナダ陥落ーレコンキスタの完成スペイン内戦ーゲルニカ爆撃ガウディ建築(裏側から見たところ)スペインの美術ーゴヤ(1808年5月3日)スペインの観光地美食大国スペインそしてこれで最初の作品の所へ戻ってきました。「聖母の戴冠(サグラダ・ファミリア降誕のファザード)」です。この後、3階に上がって全体像を見渡しました。左側から順に右の方へ写しました。今回も砂の美術館でスペイン編を観られて本当に良かったです。一期一会のアート「砂像」は砂と水だけを圧縮して砂の塊を彫刻してつくられていて、制作中も完成後も「のり」などの凝固剤は使用していないそうです。展示が終わると作品を壊して元の砂に戻し、また同じ砂を使って新たな作品を作るんだそうです。14か国20名の世界で活躍する砂像彫刻家たちがこの作品を作っています。(つづく)
2026.05.14
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まず初めに武下さん制作の5月のカレンダーを紹介します。5月(皐月)の絵は木蓮(モクレン)添えられた言葉は「あなたと めぐり会い 花あり 笑顔あり」です。・・・3泊4日の旅から帰りましたが、走行距離は1,216キロでした。今日から少しずつ撮りためた写真を紹介したいと思います。5/8午前4時に自宅を出て、途中2回ほどSAで休憩。まず最初に向かったのは鳥取砂丘でした。昨年は毎日通い通づけても風が強くてラクダさんはお出ましにならなかったんです。相方は何が何でも私をラクダに乗せ砂丘を歩かせたかったのです。ところがこの日は風が強く吹き、背に乗って写真は撮れるけれど、GWに働きすぎたのでそろそろ中止にしようと思ってると言われました。何とか写真だけは撮れました。ラクダさん、初対面の私を歓迎して私のすぐ目の前でものすごい勢いでオシッコをしました。初めての経験でしたが、人間のスケールではないことを見せてくれました。それで私は初めてラクダの背に乗ったのです。風に乗って細かい砂が目の前に舞い上がっているので目の前は真っ白に見えました。それで砂の美術館に向かいました。ところが入り口でお隣の国の団体さんが30名以上入館され、かなりの時間がかかりましたし、中に入っても皆さんは個人で砂像の前にご自分の姿を入れて撮影されるのでなかなか砂像が撮れません。いなくなる瞬間を待ってシャッターを押しました。開館20周年を迎え、「砂で世界旅行」17回目の2026年の旅先はスぺインでした。聖母の戴冠(サグラダ・ファミリア 降誕のファザード)からご覧ください。サグラダ・ファミリア次は闘牛です。スペインの文学「ドン・キホーテ」です。西ゴート王国スペインの国章ガウディの建築「アル・アンダルス」イスラム勢力が西ゴート王国を破ってイベリア半島に侵入した711年以降、半島の大半を占める。その支配地域はアル・アンダルスと呼ばれました。10世紀ごろの首都、コルドバは西ヨーロッパ屈指の大都市として栄え、世界の文献がここに集約され、ヨーロッパに流布するなど、学問の都でもありました。アリストテレスは哲学を注釈してイスラム教と調和させ、後のヨーロッパ哲学に大きな影響を与えた哲学者、イフシ・ルシュドの肖像と背景には巨大モスクノメスキータを制作の砂をくり抜く技術を多用した繊細で美しい細工がしてありました。ガウディの建築ーモデルニスモ後ろはスペインの風景ーアルハンブラ宮殿とアルカサル(セゴビア)前はグラナダ陥没ーレコンキスタの完成コロンブスースペイン国王への謁見コロンブスの出航グラナダ陥没スペイン帝国黄金期ーフィリピン入植今回はここまでです。(つづく)
2026.05.13
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旅4日目でいよいよ帰る日になりました。ホテルともお別れです。朝8時半過ぎにホテルを出て真っ先に向かったのは鳥取砂丘でした。出かける頃は青空で無風状態でしたが、砂丘に近づくにつれ木々が風で揺れ、上り旗がパタパタと翻っていました。私はなんと運が悪いのかと思いながらサラサラの砂を踏みしめながら砂丘に上がって行くと、ラクダさんがいるではないですか。しかも乗って写真を撮るだけでなく、砂丘を歩けるとのこと。2年越しで6回目の挑戦でやっと実現しました。「為せば成る、なさねばならぬ何事も」じゃないけれど、雨女の私にやっと夢が実現したのです。まずラクダさんの前で記念撮影。満面の笑みを浮かべているでしょ。動画も撮ってもらったので編集しました。最初砂丘を下るときに結構揺れましたが、その後はスムーズに歩いてこれました。これでやっと夢が実現しました。思い残すこともなく、大好きなママさんのお店に別れの挨拶に行き、コーヒーブレイクをしていよいよ鳥取ともお別れしました。中国自動車道をひた走り、新名神に入り宝塚で遅い昼食を。毎回宝塚北のSAへ寄ることにしています。今回もリボンの騎士にあってきました。また走り続け、名神の養老SA で休憩して、午後6時過ぎに無事に帰宅しました。(つづく)後日、カメラで撮ってきた写真を載せようと思っています。
2026.05.12
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昨日(5/10)旅3日目のことです。この日もカメラで撮ったので、スマホ画像は少ししかありません。9時頃に鳥取砂丘へ着いて、ラクダさんに9時半から乗って砂丘を少し歩く予定でした。9時半に砂丘へ行くとラクダさんがいません。ラクダ屋さんに戻って事情を聞くと、前日よく働いたので、今日は体を休めさせたいので乗って写真を撮るだけならできるけれど、乗って歩くことはできないと言われました。ラクダさんもやはり働き方改革で身体を酷使することはできないそうです。仕方ないのでこちらで記念撮影だけしました。そしてロープウェイに乗って一番高い場所まで行き、そこから砂丘を見下ろしながら撮影しました。次に向かったのは大江の郷です。見渡す限り新緑の緑に色づいた山々を眺めながら進みました。到着すると、日曜日とあって大勢の人でした。隣の建物に毎回入りたいと思うのですが、お店の外の椅子は満席で30分待ちとのこと。いつもは1時間、2時間待ちの時もあるそうであきらめました。大江の郷でヤギさんにやっと会えました。そして昨年も入ったお店で昼食を軽くいただきました。なぜか私は食欲がわかなかったからです。デザートもあまり進まず相方に助けてもらいました。買い物だけして、次の目的地へ行きました。こちらは二人とも初めて訪れるところでした。そこは若桜と書いて「わかさ」と読みます。駅舎もレトロな雰囲気でしたが、電車も1930年の車体でまだ現役で走っていました。他にも蒸気機関車もあって、向こうの方で汽笛を鳴らしていました。すべてカメラで撮ったので後日載せますね。若桜から帰ってくるのに片道2時間かかりました。とても疲れたので、また若いママさんの喫茶店へ直行して相方はコーヒーゼリーとエスプレッソを、私はアイスコーヒーを飲んで一息つきました。1時間以上滞在して、すっかり疲れも取れたので、なんだか果物が食べたくて、ママさんに聞いたお店までまた車を走らせたのでした。イチゴが甘くて美味しかったです。リンゴやネーブル、グレイプフルーツなどを買ってホテルに戻ったのでした。(つづく)5/10は「母の日」なので旅先へお祝いの電話がかかってきました。身体を気遣ってくれて嬉しかったです。いよいよ今日は3泊4日の旅を終えて帰ります。
2026.05.11
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旅2日目(5/9)は朝7時過ぎにホテルを出発し、西へと向かいました。右手には次々と白波が押し寄せる日本海と日本海の強い風でゆったり動いている(昨日はあまり動いているようには見えなかったですが)水力発電のブレード(羽根)を見上げながら次第に左手には大山が見えてきて途中で宍道湖SAに立ち寄り運転手の休憩。そして出発から走ること2時間で島根県出雲市に到着。向かったのは出雲大社池にあやめがたくさん咲いていました。本殿に到着しました。驚いたのは参拝する時にどの人も4拍手を打ったことです。最初は韓国の人たちが大勢いたので、韓国の習慣なのかと思っていましたが、日本人も誰もが全員4拍打つので、私はいつも神社で参拝するときは2礼、2拍手、1礼に慣れていたので、そばに立っていた守衛さんに聞きました。すると「明治時代から4拍と決まっています。」との返事。生まれて初めての経験でした。次に松江城へ向かいました。すべてカメラで撮ったのでスマホ画像はこれだけです。これで国宝のお城を松本城、彦根城、犬山城、姫路城、松江城と5つ訪れたことになります。松江城では本当によく歩きました。私は靴なので大丈夫ですが、相方は下駄履きでした。まず駐車場がないので探し回り、県立図書館へ駐車してから松江城の裏側から急な石段を登り、松江城を眺め、そこから約2キロ歩いてまず小泉八雲記念館を見学しました。テレビドラマの影響もあって大勢の人たちで混雑していました。次に隣にある旧居を見学。こちらは写真撮影ができたので撮ってきました。後日載せようと思います。そしてまた2時間余りかけて島根から鳥取に帰ってきたのでした。帰りもやはり宍道湖SAで休憩して食事をしてきました。ホテルに帰ったのは午後6時を過ぎていました。(つづく)
2026.05.10
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まだ咳が出て体調は万全ではないものの、以前から予定していた鳥取への旅を実現しました。昨日午前2時半に起きて、3時半には自宅を出て、車で7時間かけて鳥取にやってきました。途中2回ほどSAで休憩を取りながら。午前10時半過ぎには鳥取砂丘に到着。実は前回、鳥取旅行をした時に3日間砂丘へ通いましたが、風が強く、ラクダさんの出番がなく、残念でしたが、あきらめて帰ったのでした。相方は今までに5,6回あるいはそれ以上、島根県と鳥取県へ来ているので、ラクダに乗って記念写真を撮ったり、砂丘をラクダに乗って歩いたりしたことがあったのでした。それで何としても私をラクダに乗せたかったようです。ところが昨日も風が強く、ちょうど着いた頃にラクダ屋さんに行くと「今日は風が強くなってきたのでそろそろ終わりにして、これ以後は中止にしようと思っている。」と聞き、あわててサラサラの砂の坂をヒーヒー言いながら駆け上がり、何とかセーフで記念写真が撮れました。私達の後は中止になったようです。💦風が強い日はラクダに乗って砂丘を歩くことはできません。GWにラクダさんによく働いてもらったので少し休憩させてあげたいそうです。強い風が吹く中、何とか撮れた写真です。鳥取砂丘です。その後、砂の美術館へ行きました。前回と違って今回はスペイン編でした。以前も立ち寄った大好きなママさんが経営するお店でお昼を食べた後、ホテルにチェックインするにはまだ早く、駐車場に車を入れて鳥取駅周辺をぶらぶら散策。鳥取民芸美術館に入って見て回ったり、鳥取駅内をウィンドウショッピングしてもまだ時間を持て余し、車で鳥取県立博物館へ行きました。残念ながらすぐ近くの鳥取城跡は修理中であきらめました。ホテルにチェックインして寛いだのでした。
2026.05.09
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昨日はぐんぐん気温が上がり、岐阜県では多治見市で29.5度を記録しました。他にも29度以上の地点が2か所も出ました。岐阜市は28.2度で当市は28.1度でした。10日ぶりにダンスレッスンに出かけましたが、やはりまだ身体が回復してないのでフラフラで踊れませんでした。仕方ないので少し変えてもらった足型のおさらいをしました。名古屋で踊った振り付けを先生が少し変えると言われたのです。先月末(4/26)に名古屋で踊った会場は私の頭では教室とは180度反対に踊らないといけないので、180度反対向きに練習し続けました。しかしこれから先、踊る会場はすべて180度反対なので、頭を元通りに切り替えて練習しないといけません。先生は自分の頭の中で180度変えて踊ればよいと言われますが、私にはそれができないのです。一緒に出場する他の皆さんは会場に着くと、「あそこが教室の入り口で、あそこが鏡、あそこが音響デッキが置いてあり」と方角を変えて覚えられますが、私の頭はカチカチで固いので、天井のシャンデリアを見ているうちに方角がわからなくなってしまうのです。途中で立ち止まるわけにはいかないので、やはり教室で方角をきちんと覚えないと動けないのです。それで、今は方向を180度反対で踊るのに必死なんです。先生は「あと1か月あるから大丈夫。」と言われますが、途中で色々と行事があり正確には半月しか練習ができません。💦あぁ、どうしましょ。今週末は東京の先生のレッスンがありましたが、それもキャンセルしました。今は「牛にひかれて善光寺参り」の途中です。自宅を午前4時に出てきました。私は本当はやめたかったんですが、強引に連れてこられました。この続きは時間ができましたら、今夜にでも・・・
2026.05.08
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GWも終わり、今日からまたいつもの生活に戻ります。先日受診したばかりの呼吸器科をもう一度受診して咳が酷くて苦しかったことを話してこようと思います。ダンスレッスンも10日間休んでいたので、顔出しして説明してこようと思っています。ブロ友の皆様にご心配をおかけしました。温かく優しいお言葉を頂き、本当にありがとうございました。具合の悪い時でも友人からは色々と情報が寄せられました。富山県砺波市へチューリップまつりに出かけた方からはチューリップが咲き乱れる様子に心癒されました。また5/5(火)は岐阜県揖斐川町へ「いびまつり」に行ってきた方から祭りの様子、巫女さんたちの舞姿、神楽、見事な子供歌舞伎などの動画が送られてきました。動画を編集して加工したので小さくなりましたが、華やかなお祭りにほのぼのとした気持ちになりました。以下は動画を加工しました。その後、天空の茶畑へ登ったそうですが、岐阜のマチュピチュだそうで、80歳を超えた男性なので、駐車場から山登りがかなりきつかったそうです。楽しい1日を見せてもらって私も少しずつ元気を分けていただいた気がします。
2026.05.07
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4月下旬に天候不順で肌寒い日があったり、雨が降ったりで、とうとう風邪をひいてしまいました。持病の気管支ぜんそくの具合も悪くなり、夜中も咳が止まらず、酷い咳が昼夜続きました。それでGWも自宅でひたすら養生しておりました。仲良しグループの皆さんはそれぞれの生活を楽しんで、一泊旅行に出かけたり、コンサートに出かけた人などが写真をたくさん送って見せてくれました。中にはお寺参りをして17年ぶりの御開帳で、次回は生きているかどうかわからないからとその様子を動画で送ってくれた人もいました。私は皆さんの活躍を見せてもらうだけで満足でした。モーニングに1回出かけましたが、シナモンの味さえもわからず、まだ味覚が戻ってないようです。栄養補給に一度だけランチに出かけました。5月5日は端午の節句でしたが、柏餅や粽を買いに出かけることもできませんでした。近くで山野草展が開催され、いわちどりがたくさん出品されていたと写真が届きましたが、会場に出かける気力もありませんでした。今日もう1日ゆっくり養生しようと思っています。
2026.05.06
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長らくお付き合い頂いた今回の1都5県の旅も今日で最終回です。鶴岡八幡宮へ参拝した後、牡丹園を見て回りました。入り口から奥の方に向かってそれはそれはたくさんの牡丹の花が咲いていました。すべては載せられませんので、ピックアップしました。ちょうど私たちが見て回っている間、鶯がどこからかやってきて、美しい鳴き声を披露してくれました。そして見終わって帰る頃に飛んでいくのがわかりました。動画にたくさん鶯の声とともに牡丹を写しました。美しい牡丹の姿と綺麗な鶯の声を聞いて気分爽快になり、鎌倉小町通りを散策する気分になりました。ウィンドウショッピングをした後で、中華料理店へ入って昼食です。その後、また小町通りを散策して喫茶店で休憩です。時間は充分ありました。鎌倉からJR小田原駅まで送ってもらって、4日間運転してもらったバスの運転手さんといつまでも別れを惜しんで皆さんは手を振りあいました。JR小田原駅前にあった北條早雲公の像です。午後4時半過ぎの新幹線でJR名古屋駅に向かったのでした。そして名古屋駅で解散して各自、帰途に着いたのでした。(完)
2026.05.05
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いよいよ関東方面への旅も最終日になりました。4月末に風邪をひき、こじらせたのでGWはどこへも出かけず、もっぱら近くへモーニングに行くぐらいで自宅で養生しております。旅4日目、4/15(水)のことです。前夜は横浜の中華街から千葉県浦安市までバス移動して宿泊しただけで、翌朝は鎌倉へ移動しました。朝ホテルから大きな荷物を宅配便で自宅へ送ったので身軽になりました。鶴岡八幡宮へ到着。11世紀後半に源氏の守り神として創建され、以後、鎌倉武士の守護神となりました。修学旅行の学生さんたちが多かったです。確か北海道から来たようなことを言ってました。参道わきに夏越の祓(なごしのはらえ)が作ってありました。夏越の大祓は毎年6月30日に舞殿で執り行われるそうで、半年の罪や穢れを祓で清め無病息災を祈ります。この日はまだ4月半ばでしたが、茅の輪くぐりを作法通りにくぐって無病息災を願ってきました。私もそこに書いてある作法通りに輪をくぐり抜けました。そしてお参りをしました。さあそれでは石段を登りましょう。石段の両側には狛犬がいます。本宮へ続く大石段の下にある朱塗りの建物は舞殿です。前回訪れた時は結婚式が執り行われていました。神聖な舞台です。大石段は61段ありました。以前は大イチョウが石段の横にあったそうですが、源実朝が暗殺された舞台として知られますね。(大河ドラマ・鎌倉殿の13人で登場しましたね)大石段を登って本宮(本殿)にお参りをしました。随身門の両側には随身(平安時代以降、貴人の護衛に当たった武人)が守っています。日光東照宮にもありました。口を開けている方を阿形(あぎょう)、口を閉じた方を吽形(うんぎょう)と呼びます。絵馬もたくさん吊るしてありました。ゆっくりお参りはできませんでした。お参りが済んだものから左右に分かれてまた石段を下りていきました。入り口まで戻ると「ぼたん見頃です」という案内を見つけたので、そちらの方で歩いていきました。集合時間にはまだまだ十分な時間があったので牡丹園を観ることにしたのです。(つづく)
2026.05.04
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皇居宮殿参観と迎賓館赤坂離宮の見学が済んでバスで一路、横浜中華街へ移動しました。このお店で中華料理を頂きました。私と相方で半分こでした。夕食が終わりかけの頃に、中国の伝統芸能である「変面ショー」が始まりました。扇子をひらひらさせながら勇ましい踊りをしている途中で顔にかぶったお面が一瞬で変わりました。そのたびに見物している観光客から歓声が上がりました。テーブルを回りながら、熟女たちは握手をしたり大歓声を上げました。後でわかったんですが、演じていたのは若い男性。しかもまだ学生さんのように見えました。素顔に戻り、入り口でバスを待つ間、おばさん達の握手攻めと記念写真を撮ったり、大人気。大きなバッグに衣装を詰めてみんなの歓声を背に帰っていきました。私達も歩いてバスに戻りました。ここの景色は以前横浜中華街に来た時に通った道なのでよく覚えています。私達一行は横浜から浦安市までまたバスに揺られたのでした。その日のバス走行距離は約285キロでした。(つづく)、
2026.05.03
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4/14(火)皇居宮殿の参観を終えて、次に向かったのは国宝 迎賓館赤坂離宮でした。皇居は写真付き身分証明書(パスポート、マイナンバーカード、運転免許証)のいずれかを見せて、チェックしてもらうだけでしたが、迎賓館赤坂離宮はより厳しいチェックがありました。空港と同じくX線ゲートを通る人、バックル付きベルトやブレスレットなどの装飾品類を外して籠の中に入れ、バッグは口を開けて中をすべて見せなければなりませんでした。もちろん水や液体の入ったペットボトルも持ち込み禁止でした。そして参観者は正面玄関ではなく、建物の向かって右側から入りました。頂いたパンフレットによりますと、「かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった場所は明治を迎え皇室に献上され、仮皇居などが設けられてきました。明治42(1909)年、東宮御所として誕生した日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋宮殿が、現在の迎賓館赤坂離宮の本館です。建設の総指揮を執ったのは片山東熊(とうくま)。【中略】戦後は国に移管され、日本と国際社会の関係が活発になる中で、昭和49(1974)年に迎賓館として蘇りました。現在は、世界各国から賓客をお迎えする外交の舞台となっています。創建から100年を迎えた平成21(2009)年には、本館、正門、噴水などが明治期以降の建物で初めて国宝に指定されました。」と書いてあります。内部の撮影は禁止でしたので外観だけ写してきました。迎賓館として蘇った明治の西洋宮殿です。ちょっと遠くてわかりにくいですが、西洋建築様式の中に日本的要素が散りばめられています。正面中央の屋根の両端には甲冑を身に着けた一対の武士像が鎮座しています。左は口を開け、右は口を閉じた「阿吽」の配置になっています。他にも天球儀が飾られています。輝く金色の星をちりばめた天球儀、それを守護するかのように羽を広げ、4羽の霊鳥が配され、その傍らに五七の桐の紋章が飾られています。正面玄関上のペディメント(三角破風)には菊花の紋章のレリーフが施され、その横には日本の甲冑、主庭側のペディメントには洋風の甲冑が装飾されています。・・・迎賓館赤坂離宮は海外の国王、大統領、首相などの国賓などに対しておもてなしを行う迎賓施設です。内部の写真は頂いたパンフレットから拝借いたしました。正面玄関・大ホールです。朝日の間です。朝日の間の天井画です。壁には緑色の紋ビロード織があしらわれています。床に敷かれている「緞通」は職人さんたちが手作業で織りました。紫色を基本とした47種類の糸を使って桜の花を表現しています。彩鸞(さいらん)の間です。金箔が貼られた浮き彫りの装飾はとても華麗で、鎧や兜など日本の和のデザインもあります。10枚の大鏡は合わせ鏡になっていて部屋が広く感じられるのだそうです。金色に輝く鳥のレリーフ。これは古代中国の想像上の鳥である「鸞」で鳳凰の一種です。国が平和で栄えるときに現れると言われています。晩さん会が催される花鳥の間です。天井には狩猟で見る動物や植物の絵が描かれていて自然の恵みが表現されています。シャンデリアの重さは1つ1,125㎏で内側にスピーカーが組み込まれていて音楽を流すことができるそうです。30枚ある七宝焼きは特別な作品で七宝焼きの最高傑作だそうです。こちらは羽衣の間です。羽衣の間の天井画です。日本の能で使われる謡曲「羽衣」の場面をフランス人画家が描きました。シャンデリアはクリスタルガラス約7,000個の部品からできています。舞踏室にぴったりの仮面や楽器の装飾が施され、迎賓館で一番大きくて豪華な部屋です。特注品のピアノとオーケストラボックス(中二階にはオーケストラが音楽を演奏するための場所)があります。年末年始に訪れたウィーンのシェーンブルン宮殿を思い出しました。最近使われたのはテレビでも見たことがある場面、日本の現首相やフランスの現大統領の写真が飾ってありました。まずもって自分たちとは全く縁のない世界(室内)でした。(でも花鳥の間か羽衣の間で思いっきり踊れたらさぞ気持ちがいいだろうなぁと空想だけはしました。)その後、カフェで休憩して庶民の感覚に戻りましたけどね。そして迎賓館赤坂離宮を後にしたのでした。この後、横浜中華街に移動して夕食になりました。(つづく)
2026.05.02
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旅行の記憶もそろそろ薄れていく頃ですが、4/12~4/15まで3泊4日の旅はまだまだ続きます。旅3日目4/14(火)のことです。福島県いわき湯本温泉を早朝に出発して一路東京へ。スカイツリーや国技館が見えてきました。昼食はすしざんまいで頂きました。昼食後、皇居へ移動しました。私達は旅行者だとわからないように、胸につけていた旅行社のバッジを外して、バスの中に置いていくカバンの中に旅行の行程表などを入れました。一行は日光輪王寺の関係者ということで添乗員さんは入れませんでした。そして先ず全員が屋外で身分証明書を見せました。ほとんどの人がマイナンバーカードを見せていました。無事に入り口を通過して、大きな部屋で説明を受けました。日本語から始まって英語、フランス語、中国語など各国の言葉で説明を受けました。午後1時半から参観するので、それまでに売店でここしか売ってないお土産を買いました。部屋に入って1時間ぐらいかかったでしょうか。順次グループに分かれて宮内庁係員さんの後ろについて出かけました。まず最初に説明を受けたのはここ、富士見櫓です。徳川幕府の中心だった江戸城本丸の建物の中で現存する貴重な遺構です。そのころは富士山が見られたんでしょうね。宮内庁庁舎です。ここに差し掛かる前に目の前を白バイが5,6台と黒塗りの車がやはり5,6台正面玄関に来ました。私達は宮内庁係員さんの後について通り過ごしたのでこの後、どうなったのかわかりませんでしたが、翌朝のテレビのニュースで天皇、皇后両陛下が「日本国際賞授賞式」に出席され、天皇陛下が午後3時半過ぎに新国立劇場で受賞者に対してご挨拶をされたそうです。そして夜はホテルオークラで晩さん会があり、天皇陛下が初めて晩さん会にも出席されたそうです。ニュースではホテルオークラで挨拶をされている姿が写ってました。私達が歩いていたのがちょうど午後1時半頃でしたので、時間的にはお出ましになられた時間でした。坂下門が見えました。宮殿の東庭を歩いていくとお正月と天皇誕生日の一般参賀に天皇、皇后陛下を始め皇族方がお出ましになる長和殿の中央バルコニーです。天皇陛下から新年のお言葉をこの場所で頂きます。正門鉄橋(二重橋)です。宮内庁係員が向こうに見えるビル群が対照的だと言われました。伏見櫓です。こちらの宮内庁係員が説明してくださいました。ガラス戸に四角い印がある所が天皇、皇后陛下がお立ちになる場所だそうです。松林を通過してから色鮮やかな皐月のお庭を散策しました。山下通りです。振り向くと大勢の参観者が続いてきます。瓦には菊の御紋が付いていました。桔梗門から入り、一周して桔梗門から出ました。お堀に出てきました。これからバスに乗って迎賓館赤坂離宮に向かいます。(つづく)
2026.05.01
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