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1942年の秋、ナチス占領下のポーランドでは、ユダヤ人の強制連行が始まっていた。クラクフの街に住む11歳のユダヤ人少年ロメックは、愛する両親と別れ、ひとり田舎の村に隠れ住む。ロメックを預かった農夫グニチオにはふたりの息子がおり、兄のヴラデックは当初ロメックを嫌い高圧的な態度を取るが、幼い弟のトロは彼を慕うようになる。別れた両親への思いを胸に秘めながらも、ヴラデックやトロ、両親をなくした大人びた少女マリアとともに、徐々に村の生活にとけ込んでゆくロメック。しかし、ナチスの侵攻は村にまで伸びてきていたのだった...。戦争という厳しい状況下を懸命に生きる子どもたちの姿を描く、感動のストーリー。
ぼくの神さま
映画の脚本を小説化した本のようです。
ナチ、ホロコースト
・・とモチーフが重なるためか
スピルバーグ監督か??なんて思いましたが
・・違いました。
元が映画なせいか、状況描写がとても映像的。
表紙だけでなく本の中にも映画中の写真があって
登場人物全員、想像した姿ではなく
その写真をイメージしながら読む羽目になりました。
これって小説を読むには いいような悪いような。
なので主人公の少年はあくまでオスメン君の
笑っていても 泣いてるみたいな顔
を思い浮かべながら読むことに。
ストーリーもしっかりしていて、言いたいことも
よく分かるのですがもう少し色々なことを掘り下げて書いて欲しかったかなぁ。
映画としてはちょうど良いのかもしれないけれど
小説としては物語の上面のみなぞってるみたい
で
とてももったいない感じ。
最後のほう、弟分のトロがユダヤ人と間違えられて
収容所へ向かう汽車に乗せられるとき、
主人公やトロの兄が“その子はユダヤ人じゃない!”といって
助けようとしてナチの将校が“あいつらがポーランド人だといっているのはお前のことか?”とトロに聞くのを自分が“はい”と
答えたら兄や主人公まで汽車に乗せられてしまうのではないかと
心配して自己犠牲の元にその呼びかけを無視する、という
エピソード。
トロ、ちょっと神様に心酔してるけど、
6歳ですよ?
知らない人たちに囲まれ恐ろしげな汽車に乗せられるときに
兄がこっちへ来い!って言ったら拒否しないでしょう。
戦時下、6歳とはいえユダヤ人がどうなるのか、どこへつれて行かれて
具体的にどんなことをされるのかいろいろ知っていたという設定でもないし
収容所=死の意味も汽車=収容所の意味も良く分かってないみたいだし。
もしかすると自己犠牲といったって
少しの間汽車に乗って嫌なところへ連れて行かれるのは
彼らを巻き添えにしないために仕方ない、
くらいの気持ちだったのだとしたら
死の瞬間 大後悔
したに違いない。
だとしたらなおさら痛々しい・・。
あともうひとつのテーマが”神さま”。
カソリックの神父でありながらユダヤ教の少年を助けるために
”信じているふり”をすることを許す神父。
でも信じているふりすら罪悪感を感じる少年に洗礼の際
カソリックの神様が祝福したウェハスではなく
ウェハスを切り取った後の”端っこ”を与える神父。
人間この寛容さが重要ですよね?
信じたり拝んだりすることは”罪”とされていることを考えると
この神父の行動はキリスト教的には正しいことではないのかもしれない。
でも 自分の神様以外を信じる人を罪人と見下す
よりも
それをも受け入れて尊重する
、この姿勢こそが
一番大切なことなのではないかと思います。
映画も機会があったら見てみたいと思います。
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