PR
Free Space
Freepage List
Calendar
Category
Keyword Search
Comments
「最初に自殺を考えたのは小学六年生の時です」―自らの未遂体験を通じ、作家・柳美里が高校生に問う、生きる意味。作家、マラソン選手、アイドル歌手、いじめによる中学生の死など、多くの自殺具体例の核心を見据えて掲げられる、逆説的“自殺のすすめ”をあなたはどう読むか?文庫化に合わせ大幅加筆。

【中古】【古本】自殺/柳美里
今一番『死』に近いところにいそうな作家、柳さんの
ズバリ『自分で死ぬということ』に関した本です。
感想は・・。
柳さんの自殺に関する考え方はあちこちでワタシにとっては違和感のあるものでした。
”日常という非情に我慢できなくなって自殺した太宰治という人は、私たちのかわりに死んだ殉教者”
と言ったり
”『抵抗詩集』という本があるんです。第2次世界大戦でドイツに占領されたレジスタンスで、ナチに捕まって拷問にあっまひとたちが、牢獄の壁に書き殴ったりした言葉を編んだ詩集なんです。その中にある「ぼくはきょう拷問を受けた。きょうは仲間の名前は売らなかった。けれどもし、あした同じ拷問を受けたらわからない」という詩もとても好きなんです。(中略)もし明日、ものすごくつらい目にあったらわからないけれども、とにかく今はまだ死ぬ時期ではない、ということなんです。(中略)この詩の意味がわからない人はこういうんです。「あなたはまだ若い。未来がいっぱいあるじゃないか。」って。「ばかやろう」と思うのね。未来を考えた場合、死ぬことしか決定していないんですよ。”
という辺り、特に。
仕事や学校でつらいことがあるのと、ゲシュタポに拘禁されて
拷問を受けるのと・・同じことなのかしら?
当人にとっては同じくらいつらい、同じくらい逃げ場の無いことだと
言いたいのかもしれないけれど・・。
片方には家で布団をかぶってフテ寝する自由があり片方には、ない。
拷問を受けたほうの人たちはきっとこの意見に賛同はしないと思います。
人間、生の中に死があるのだから必ず訪れる死への準備をするべきだ、というのが主な主張のようですが。
それはそれでいいんですけれども。
”私は自尊心を守るために小説を書いていつようなところがあるのです。もしも、これから各小説が、担当編集者、文芸ジャーナリスト、評論家、他の作家、そして読者からこぞって否定されれば、私は筆を折るしかありません。書けなくなれば、私の生きる根拠はなくなってしまいます。”
とのことですが、そうして他人の評価がそんなに大切なのでしょうか?
書くことが生きることそのものなのであれば、なおのこと。
誰がなんと言ったって書けばいいじゃないですか。
それが生きることなのであれば。
そうではなくて他人に評価されなければ自分の尊厳が保てない=自殺する、
というのであればいじめられたから自殺する、というのと何も変わらないと思います。
ワタシは宗教を持たないし、自殺そのものを否定する気持ちもありません。
自殺してしまった人たちはそれはそれでその人たちなりに人生を完結させたのだと思わないでもないです。
後に残された人たちのことなど考えもせず、考えてもどうにもならなく
死んでしまったのならそれはそれでその人生の終わりなのだと。
だけど、日常がつまらなくても人生に意味が無いと思われても
つらいことがあっても、華々しく自分で人生と閉じるよりも
”まぁ生きてるだけで80点”みたいな人生のほうがステキだなと思います。
この本は柳さん20代のときに書かれた物なので余計に
アラフォーのワタシとしては違和感があるのかも。
もしワタシが20代のときに読んでいたらもっと共感できたのかしらね?
めざめ 藤堂志津子 Apr 11, 2025
少女 湊かなえ Apr 8, 2025
夫婦の情景 曽野綾子 Jan 23, 2025