「ウェブ進化論」を読み進めていくと、自然と、さらに、また別な新たな対立構造があることに気付く。それは、 ベンチャー起業家 VS 一般PCユーザー
、という構図だ。もちろん、この構造も非和解的に明瞭に分かれているわけではないが、双方の極は、大きく離れて対極に位置している。
「ウェブ進化論」は、もっともメインのターゲットとする読者は、日本の若きベンチャー起業家(たらんとする人)たちに向けて書かれているようだ。しかしながら、ヤフーやMSだって、簡単にはグーグルほどのことはできない、と著者が断言するように、他の、いかに野心に燃えた起業家たちにだって、さらにもう一つのグーグルを作るなんてことは、そうそうやすやすとできることではあるまい。だが、その可能性はゼロではない、と著者は力説する。
しかし、一般PCユーザーという立場に安穏とする私のような立場の人間は、自分がいまさらグーグルを超えるような企業やシステムを作ろうなんてことは、夢にも思わない。もちろんのことだ。どこまでも一ユーザーであろうとする。
グーグルはネット空間に巨大な情報発信基地を作ろうとしているという。しかし、もともとのネット社会の未来像として、私が思い描いていたのは、むしろ、Winny(その清濁については不問とする)のような、お互いのPCのファイルを交換しあうような、中央集権的なコンピュータのない世界だった。まず、ここに、 大きな違和感
がある。
世の才能のある人間達は、自分の才能の活路を見出すべく、社会を作り変えていく。私の思い描くコンピュータ社会も、まるで可能性のない社会でもないはずだ。しかし、それでは、どこにビジネスモデルを作るのか、というところで、つまづいてしまっているようにも見える。
グーグルの知の再編成にしたところで、本来は、地球上の無数に存在するPC上の情報を「整理」する、というところに着目しているだけであって、地球上の情報をグーグルがすべて創り出そうとしているわけではない。まぁ、そこの錯覚がグーグルの目のつけどころなのだろう。
5、グーグルの組織マネジメント
p078
情報共有こそがスピードとパワーの源泉という思想
p078
企業としてのグーグルが素晴らしければ素晴らしいほど、ベンチャー起業家ならぬ、一ユーザーでしかない個人としては、せいぜい、そのサービルを利用しつくし、あるいは、株でも買おうか、という程度の態度に終始してしまう。著者も取締役として関与する(株)はてな、などにも、応援歌を送りたくなる程度であり、決して、じゃぁ、私も起業しよう、などとは考えない。
「採用とテクノロジー」
p080
「ベスト・アンド・ブライテスト」主義
p082
5000人がすべての情報を共有するイメージ
p084
情報共有によって研ぎ澄まされるエリートたちの激しい競争
p086
この辺の著述については、関心がないわけではないが、どうもタイミングではない。そのようなエリート集団に属する人間でもないし、また、エリートを相手に何事かの仕事をしているわけでもない。それだけのエクセレントな企業を経営しようとしているわけでもないので、この辺については、一般的な情報として、なるほど、と一読するにとどめる。
フューチャリスト宣言 <1> 2007.06.06
ウェブ仮想社会「セカンドライフ」 2007.06.05
Web屋の本 2007.06.05
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