「世界共和国へ」
★★★★☆
著者の名前は、からたにこうじん、と読む。私の記憶の間違いでなければ、かなり昔からこの人の評論活動はつづいていて、新左翼、いわゆる「過激派」的な雑誌などで盛んに活動していたのではなかっただろうか。時期や好みの雑誌が違ったりすると、その文章に触れることがないまま終わってしまうことが多くあった。
初読 時のコメントではまったく触れていないが、実は、この本がネグリ&ハートの「<帝国>」と「マルチチュード」についての言及に触れた最初の本だったのだ。この本においては、さらっと読み進めてしまったが、続いて読んだ 「ネオ共産主義論」 において、ようやくマルチチュードなる概念に気付いたのだった。
この本はいわゆる社会主義や共産主義についての解説であり、わずかではあるが、未来への展望も書いてある。 「共産主義が見た夢」 などと、書かれている対象は共通するものがあるが、もちろん視点や意見は相当に違う。これらいくつかの「共産」論を読んでみて気がつくのは、過去の歴史をテーマとして選んであるとしても、さまざまな差異があり、ある意味、想像性に依存している部分がお互いに相当大きいのだなぁ、ということだ。
これはある意味、 「天上のシンフォニー」 などで取り上げられる「未来」についてと同じような現象だ。一つのものごとに対して、いろいろな見方があって当然なわけで、これら「共産」論についての差異について、比較しながら複数を読み進めてみるのも面白いかも、と思うが、今はそのテーマに脱線することはやめておこう。
いわゆる「マルチチュード」論において、ネグリ&ハートならびにその周辺の評論たちは、いわゆるネット社会の出現についてかなり高い評価を与えている。ところが柄谷のこの本においては、ネット社会について触れているところはない。この本を<再読>したのは <再読>したいこの3冊= ネット社会と未来 カテゴリ編 の中の一冊としてであった。としてみれば、この本には恩義は感じるけれど、「ネット社会」についての言及がない限り、この本は最後の一冊として選定するわけにはいかなくなった。
では、一国だけの社会主義革命も、同時的世界革命もありえないとしたら、どうすればよいのでしょうか。ここで鍵となるのは、19世紀のあいだずっと無視されてきた、カントの「世界共和国」という理念です。これは諸国家が主権を譲渡することによって成立するものです。カントは、その第一歩として、国際連合を構想しました。これは諸国をいわば「上から」抑制するものです。 p201
「世界共和国」という言葉は著者のちょっとしたサービス精神から出てきた新しいコンセプトだと思って読んでいた私は、あらためて自らの無知を再確認した。実は、この辺にまつわる認識を展開していくと、かなり今日的な話題に展開することになり、あるいはこの辺こそがもっともっと語られるべきであろうとは推測するが、準備不足のままあまりに恥をかくこともしたくないし、不用意な発言をして余計な議論に巻き込まれたくもない。 大事なテーマであるから、いつかはもっと機能性のある言葉でもっとリアルな書き込みもしてみたいが、今はできない。
さて、この本などでは、ムーブメント的言辞がむんむんしているのだが、例えばスピノザ 「エチカ」 などにおいては、ムーブメント的言辞はほとんどない。「神学・政治論」などでは、また違った展開になっているのかも知れない。
かけがえのない人間 2008.05.22
生きる意味 2008.05.21
「生きる力」としての仏教 2008.05.21
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