「ソクラテスの弁明・クリトン」
プラトン /三嶋輝夫 1998/2 講談社 文庫 236p
No.962 ★★★★★
古
典中の古典。この本なくしては何も始まらない。 Oshoがなんと言おうと
、はずすわけにはいかない。いやいや、よく読んでみると、西洋哲学史としては、 「ツァラトゥストラ」
についで Oshoもまたその愛読本の二番目
にこの本を掲げている。かくいう私ごときでも、ミドルティーン時代からこの小品にはなんども目を通している。
かつては、旧仮名づかいで註だらけで、思考がずたずたにされそうになりながら、なんとか読み終えるなんてことが多かった。インドの雑踏の中を、リキシャやら牛やら自転車やらを漕ぎ分けて、なんとか向かい側の歩道まで横断する、なんてイメージがないでもなかった。
し
かし、最近は、素晴らしい訳本ができて、割と簡単に私にも読みきることができる本が多くなってきた。本来の意味や、もともと持っていたニュアンスが削られたり、すりかえられたりしていることもあるのかも知れないが、まずは大意をつかめればいいなぁ、という当ブログとしては、あまり細かいことにはこだわらない。
「クリトン」、あるいは「クセノポンの『ソクラテスの弁明』」もこの本に含まれているが、ソクラテスの全貌を知るには、彼の弟子や同時代の哲学者達や作家達の作品を幅広く読んでいく必要がありそうだ。Oshoに 「ソクラテスは25世紀後に再び毒を盛られた」
Socrates Poisoned Again After 25 Centuries
という講話シリーズがある限り、一体、ソクラテスとは誰か、ということは抑えておきたい。
さ
て私が私的には、あちこちめぐり歩いては以上のことを忠告してまわって忙しくしているのに、公の場では、群衆の真ん中で壇上に上がって国家のために皆さんの利益となることを敢えてしないという事実は、ひょっとすると奇妙に見えるかも知れません。その原因は、私がいたるところで話すのを皆さんが再三聞かれたことのあるものにあるのです。すなわち、私には何か神と神格に関わりのあるもの(ダイモニオン)が生じるのです。そしてそれこそは、訴状においてもメレトスが茶化して書いたところのものなのです。それは子供の時以来私につきまとい、ある種の音声として生じるのですが、それが生じる時にはいつでも、それが何であれ、私がまさに行おうとしていることを私に止めさせようとするのです。
p54
この部分を読んでいる限り、ソクラテスは実は フィンドホーンの住人
だったか、と錯覚するようで面白い。
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