「祖母・白洲正子 魂の居場所」
白洲 信哉 2002/09 世界文化社 269ページ
Vol.2 No.0243 ★★★☆☆
最近、元総理大臣の孫でロック・シンガーという青年がたびたびテレビに顔を出すようになった。もの覚えの悪い私はまだその「スター」の名前もよく覚えていないのだが、顔はすぐ判別つくようになった。そしてその彼のジェスチャーと、特徴的な手袋(と言っていいのかな)も。
彼は、消費税が上がった時に総理大臣の孫で、小学生(だったと思うが)時代には、クラスメイトや教師からさえ、お前のじいちゃんのせいだ、みたいに言われていたらしい。
そんなこともあってか、ロック・スターを目指す彼は、最初、自分の出自は秘密だったという。そして20代をロック修行にあけくれてきたのだが、どうも芽がでなかったようだ。 先日、日曜朝のテレビ番組「サンデー・ジャポン」にでて、いろいろインタビューに答えていた。
最初はどうして自分が総理大臣も孫だって隠していたのですか、という質問には、ロックと政治、って真逆(まぎゃく、と発音していた)じゃないですか。それに、なんだかパワーを出してきたな、って思われたくなかった、と答えていた。
でもそれなのに、なぜ最近になって、自分が総理大臣の孫だっていうことを公開したのですか、という質問には、いやぁ、自分もまもなく30になるので、いつまでこんなことやっているんだって、そろそろなりふり構ってはいられなくなったから・・・・、と「正直」な受け答えをして、大いに受けていた(爆)。
正直言って彼の歌はあまり上手ではないように思う。いやテレビで数曲聴いただけだから、本当のところはよくわからない。しかし、彼は彼なりにスターにのしあがっていく素質がありそうだ。他のどこぞの総理大臣の子供も、俳優としてデビューしたのがいたが、はて、この世の中、どのような足がかりで生きていくのか、みんなそれぞれでいいのかもなぁ、と、ひとり溜息をついてみる。
白洲信哉は、白洲次郎・正子の孫。「祖母・白洲正子」というタイトルまでつかって「なりふりかまわぬ」活躍ぶりだ。著者は信哉になっているが、正子の文章が使われたり、他の人々との対談あり、写真家・小林庸浩の多数の写真があったりする。信哉が独自に開拓した読者層にむけた本というよりは、 「古典美に憧れる中年婦人たちのカリスマ的存在」 であった祖母のファンというか信者というか支持層というか、その読者たちが求める、本来であれば、祖母が務めるべき位置をちゃっかり受け継いで、出版社の企画にうまく乗っかっている、という雰囲気がある。
かのロック・スターが割とすんなり世の中に受け入れられているように、信哉の場合も、特段の違和感もない。ましてや小学生時分から正子の旅のお供をした、という「経歴」があればこそ、その位置は信哉以外には務めることができない仕事といえるのかもしれない。
本としては素適な本だ。文章もあくびがでるようなのうのうと長い文章は見当たらず、適度に切り離されている。写真もたっぷりある。誰もがこのような本を出すことができるとは限らない。うまい位置をしっかり受け継ぐことができた、と慶賀すべきなのだろう(か?)。
彼には
「白洲次郎の青春」
という本もある。なかなか巧みな技をつかう使い手だ。
「魂の居場所」というタイトルも好感を持つ。いまさらなりふり構っていられない孫が、かと言ってあまりガツガツしたところも見せずに、うまく時流に乗ろうとしている(と言ったら言いすぎだろうか)。うまくいくかどうかは、もうすこし時間が経過してみないとわからない。うまく行ったとしても、本人が満足するか、本人の魂が成長するか、は別ごとだが。
文章は上手だと思う。決して長くなく、なんども推敲された結果であろうが、なかなか美文であると私は思う。ただ、よくよく考えてみれば、昨今の スピリチュアル・ブーム とやらにもうまく乗っかろうとしている向きもないではない。もちろん、かつてのアンノン族に対するようなマーケティングではないにせよ、「古典美に憧れる中年婦人たち」を惑わす「アイドル」的存在としての自分の立ち位置を求めているような雰囲気がちょっぴり感じられる。
1965年生まれで今年43歳という働き盛りのお孫さんゆえ、この辺でひとつ、おじいちゃん、おばあちゃん、あるいはご先祖さまたちから離れて、独自の世界を切り開くことも、必要になってくるのではないだろうか。「魂」という言葉は、簡単に使いこなせる言葉ではないが、この言葉を本当に使いきれる存在に成長することを期待したい。
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