「パックス・モンゴリカ」
チンギス・ハンがつくった新世界
ジャック・マッキーバー・ウエザーフォード /星川淳監訳 横堀冨佐子訳 2006/09 日本放送出版協会 原書GENGHIS KHAN and the Making of the Modern World 2004
Vol.2 No.309 ★★★★☆
タイトルに惹かれて借りてはきたが、あまりに厚い本なので、よく読まずに返そうとしたところ、監訳者の名前に気づいて、ふと立ち止まった。相変わらずの鋭い感性で先進的な仕事をしている監訳者には、いつも敬服する。
出版企画の成立後、私が国際環境保護団体グリーンピース・ジャパンの事務局長に就任したため、序章以外の訳を横堀冨佐子さんに、お願いし、そのあとで監訳の作業を行なった。
p428「監訳者あとがき」
1975年の 「存在の詩」 以来、2007年の 「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」 まで、訳書・著書を含め、その活動を傍らでぼぉと眺めてきた。あっと言う間の30数年だった。もう30年なのか、という気持ちと、まだ30年なのか、という気持ちがないまぜとなり、はて、何がどう変化したのか、いろいろ考えてしまうことになった。
パックス・モンゴリカ=モンゴル帝国下の平和、安定
表紙見返し
本書の英文タイトルは「GENGHIS KHAN and the Making of the Modern World」である。サブタイトルの「チンギス・ハンがつくった新世界」でほぼ言い尽くされている。では、さて、「パックス・モンゴリカ」というタイトルはどこから来たのであろうか。本文も全然読まないうちにそんなことを考え始まった。
監訳者も参考にしたという 「モンゴル帝国の興亡」 の杉山正明は、 「モンゴル帝国と長いその後」 でこう書いている。
ひとりひとりの人間が、人類というかたまりを意識して暮らさざるをえない地球化時代の鍵は、やはり地上最大のこの大陸のゆくえにかかるところが大きいだろう。そこは、人類文明の多くを生みだした交流の大空間であった。人間もしくは人類に役立つ大きな「知」というものがあるならば、それはおそらく、歴史と現在をつらぬくまなざしのなかにこそ、求められるのではないか。 杉山正明 「モンゴル帝国と長いその後」 p17
そしてまた別な書においてはこうも書いている。
21世紀という「とき」の仕切りに、はたしてどれほどの意味あいがあるものなのか、わたくし個人にはよくわからない。しかし、人類社会もしくは地球社会という空前のあり方のなかで、生きとし生けるものこぞって、ともども生きていかなければならない時代となった。たしかに、「いま」は、これまでの歴史とは画然と異なった「とき」に踏み込んでいる。かつてあった文明などといった枠をこえて、人類の歩みの全体を虚心に見つめ直し、人間という立場から共有できる「なにか」をさぐることは、海図なき航海に乗り出してしまったわたくしたちにとって、とても大切なことだろう。それは、一見、迂遠な道におもえるが、実はもっともさだかで有効なことではないか。 杉山正明 「疾駆する草原の征服者」 p374
杉山もまたモンゴルに暮しながらも、多言語を駆使し、多くの文献にあたりながら、新しいモンゴル像を描きながらも、そのような感想をもったようだ。本書の著者ジャック・ウェザーフォードもまた10年以上に渡る研究の なかから本書を生み出したということだ。
アメリカの文化人類学者である著者は、モンゴル人学者と共同研究チームをつくり、5年にわたってモンゴルをフィールド調査した。小説を読むようにおもしろい、新しい視点のモンゴル史。 表紙見返し
小学生以来、地理や歴史の単語を覚えるのを最初からあきらめている私としては、まして小説嫌いを恥ずかしくもなく公言している当ブログとしては、「小説を読むようにおもしろい」と言われると、最初からひいてしまうのであった(笑)。しかし、モンゴルについての本の何冊か目読してみると、いままでもっていたイメージとあきらかに違うモンゴルの世界が見えてくる。だからモンゴル研究の最新に触れることは楽しみのひとつではある。そして、さらに私たちにはヨーロッパ+アジア=ユーラシアという世界観を超えた、地球丸ごとのグローバル時代に生きている、という自覚が芽生えてきている。
パックス・ロマーナやパックス・アメリカーナが文字どおりの「平和」を意味するものではないように、本書もモンゴル帝国による破壊と殺戮に目をつぶるわけではない。それに対する恐怖と憎悪は、われわれ日本人も含め、襲われた人々の集合意識に刻まれている。ここでいう「パックス」は、野放しの「カオス」に対する一定の体制秩序のことである。
しかも、その秩序内部ではおおむねプラスの影響連鎖をもたらし、辺縁でも鉱物の結晶化に似た新秩序形成作用を現す。元寇前後の鎌倉幕府と武家台頭を思い起こすとわかりやすい。そして、これらの影響連鎖がマイナスに転ずるとき、秩序は崩壊に向かう。モンゴル帝国の黄昏はペスト(黒死病)によって早められたらしい。
また、モンゴルの直接的打撃を受けたイスラム文明に対し、ルネサンスから大航海時代へつながるヨーロッパの興隆が、被害は比較的軽微でパックス・モンゴリカから得るもののほうが多かったところに起因する点も示唆に富む。以後、パックス・エスパーニャ、パックス・ブリタニカ、パックス・アメリカーナと続いた欧米秩序のあと、次にどこが浮上するかのめやすになるかもしれない。 p430星川淳「監訳者あとがき」
ブータンに長く暮らした今枝由郎は著書の中でこう言っている。
ヒューマニズムとは、堂々たる体系をもった哲学理論でもなく、〇〇主義と称される思想でもなく、洋の東西も、時の古今も問わず、あたしたちがなにをする時でも、なにを考える時でも、かならずわたしたちに備わっていたほうが望ましい、ごく平凡な人間らしい心がまえである。 今枝由郎 「ブータンに魅せられて」 p168
パックス・モンゴリカやパックス・アメリカーナは、グローバル時代の未来の指標となることはないだろう。One Earth One Humanityを標榜する当ブログ「地球人スピリット・ジャーナル」としては、「パックス・ヒュマニカ」を提案したい。言語的に、このような表現が正しいかどうかわからないが、地域や民族や人種を超えて、ヒューマニティこそ基盤とする平和を求めたい。
チベット仏教とモンゴル帝国には、 チベットを「帰依所」とみなし、モンゴルを「大施主」とみなす、という相互関係があったとすれば 、新しき「パックス・ヒュマニカ」をもたらす「地球人スピリット」をささえる勢力はどこにあるのだろうか。その勢力は、すでに国家や、地域や、人種や、カースト、あるいは階級や世代、というところにはないだろう。それは、インターネット社会や国境なき自由な往来が生み出す新しい時代の人々であるに違いない。当ブログでは、そのヒューマニティの流れを仮称「アガータ」と呼んでいる。
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