「最後の極道辻説法」
今 東光 1977/12 集英社 単行本 266p、文庫本化
「毒舌身の上相談」
1994/05
Vol.2 No.432 ★
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セオソフィ(神知学)中興の祖といわれた人で、インド人でクリシナ・ウォルテという人がいるんだ。この人は天才でね、15歳で"To the Feet of Master"という本を書いたんだよ。「主の御足にひれ伏して」という意味だろうが、それを書いたためにケンブリッジで講演を頼まれたんだよ。たった15でだぜ。それでみんな大人たちが彼の前にひれ伏している。
バーナード・ショウの親友でアンネ・ベサントという金持ちの貴族が彼を引きとって、イギリスでイギリス流の生活をさせた。彼が招待されて遊びに行くところが、メーテルリンクがベルギーに持ってた城というんだから。それでメーテルリンクですらやっぱり彼の話を聞いてびっくりしているんだ。オレの父とも非常に親しくしていて、彼の肖像画を応接間にかけてあるもんで、よく人に「このインド人は誰ですか?」と聞かれるけどね。
ここではクリシナ・ウォルテと書かれているけれど、文脈で考えてJ・クリシュナムルティのことであることは間違いない。ここでびっくりすることは、日本では、これほどの知名度しかなかった彼を、今東光はよく知っているなぁ、ということ。そして、父親と親しくて、彼の肖像画を応接間にかけるほど親密感を持っていたということ。1977年当時、彼は日本の密教・天台宗の副貫主であったはずだ。瀬戸内 晴美は彼が住職を務めた平泉・中尊寺で得度を受け、寂聴となった。
ひるがえって、J・クリシュナムルティは日本においてはまだまだ一般的には無名だった。70年代末から80年代にかけて一気にJ・クリシュナムルティ本の出版がつづき、ブームが起きる。OshoはJ・クリシュナムルティを、G・I・グルジェフと並べて、現代の光明を得た存在としてたびたび引用するが、グルジェフに対しての卑屈なまでの称賛に比べ、何度もクリシュナムルティをジョークの中へ引っ張り出してきた。
1970年代初め、チベット密教の ラマ・カルマパ16世 は、J・クリシュナムルティについて聞かれて 「まず第一に、彼はインドにいない。第二に、彼は領解した魂だが、神性の化身ではない」 と即答している。 「マイトレーヤ」 においてもJ・クリシュナムルティについてのいきさつは縦横に触れられている。
今回、この今東光の本を思い出したのは、
玉川リスト
にJ・クリシュナムルティの名前がでていたからだった。自分のブログをひっくり返しても、あちこちでこの本に触れていることを発見した。
「禅とは何か」
、
「あの世 この世」
、
「お坊さんだって悩んでる」
、などなど。
もっともここで今東光が持ち上げている15歳のJ・クリシュナムルティが書いたとされる
「To the Feet of Master」
は、別人の手になるものだったらしい。今東光は、天台宗で出家する前に、出口王仁三郎から、直々に後継者としての打診を受けていたようだから、精神世界の集合的無意識はあちこちでつながっているようではある。
グルジェフ伝 神話の解剖 2009.01.14
ミルダッドの書<1> ミハイル・ナイーミ 2009.01.13
グルジェフ・ワーク 生涯と思想 2009.01.12 コメント(1)
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