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2007年11月12日
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を元に綴っていますが、

読み返すと、2週間あまりの期間の中でも

今でも記憶に留まっているぐらいの出来事だけが

感嘆と、感謝と、不安と、空腹に包まれて

メモのように書きなぐってあります。

当然、この2週間の中には、

「詳細に記録しても、全然面白くも何とも無い事」や

「ひたすら、止まってくれる車を求めて何時間も国道に立っていた」

そんな事も沢山有ります。



クマの出現や、「今時そんな親切な人がいるか?」という

ドラマチックな事も、当時は(今でもそうかもしれませんが)

北海道に限らず、他の地でも体験しています。

人間、それほど捨てたモンじゃないんです。



この「北の大地・・・貧乏漫遊記」は、

当時の日記(毎日メモ帳に書き綴ってました)を元に

再現しています。


都会育ちの若い世代の方には、「フィクション(創作)」と

受け取られても仕方ない記載が満載です。

世知辛い昨今の日本ですが、

少なくとも、こういう人たちが現実に存在する事を

認識していただければ幸いです。





さて、そのメモ帳(日記)の表紙にも大きな字で

「Operetion シンザン」と書いてあります。

(“r”の次の“e”が間違っている。正しくは“Operation”)



その「シンザン」に遭う日がとうとうやって来ます。




昭和56年4月3日

バス停で一夜を明かした後、猟銃をぶっ放す「自称マタギ」

のおっちゃん宅で朝食をよばれて、

その後、「稚内」までドライブすることになりました。



「最北端の街:稚内」は、はっきり言って

「な~~んにも無い」所でした。(稚内の人、ごめんなさい)

「ようこそ最北端の街:稚内へ」という看板があって、

「最北端の碑」が有りました。

どこからか、「最北端音頭」とかいう音楽が流れてました。



マタギのおっちゃんは、

とにかく夕方まで子供の面倒を見るのが今日の仕事ですので、

特にあてもなく車で移動します。

行きがけに持たせてもらった「手弁当」も途中で食べて

早めの夕食も食べさせていただきました。

「手弁当」がなくなってしまったので、

「補給」と称して、途中の食堂で

「弁当4人前」を持たせてくれました。




夕方、自宅へ寄って奥さんに子供を託すと

旭川ステーションホテルに向かいます。
↑旭川駅構内での野宿の事です・・・念のため



「寒いから、これ持ってけ」

毛布か何かをくれるのかと思ったら

車の後部から取り出したのは・・・


「北の誉」の一升瓶です。


マタギのおっちゃんは、天真爛漫で、豪快です。









早めの時間から、酒盛りを始めながら

駅構内の一番暖かそうな場所を寝室として確保し、

寝袋を広げて「弁当4人前」を食べました。








明けて、昭和56年4月4日



もはや、どこでも熟睡できる身となった一行は

朝8時頃に駅員さんに起こされるまで、たっぷりと寝ました。

そして、ゆっくりと片付けをし、

段ボールの切れ端に


  「新冠・浦河」

と書きました。


3月に岐阜を出てから、二人が違うルートで

青森まで到達し、その後もヒッチハイクを続ける中で

初めて、具体的な地名を書いたのがこれでした。



もともと、目的なんかなくて、ここまで来たのですが、

なぜか「シンザンを見たい」という気持ちが

日増しに高まっていたのです。




流石に、ピンポイントで目的地を指定しているので

なかなか車は止まってくれません。



それでも、あきらめずにいると

お昼頃(開始後3時間ほど)に

ようやく1台の車が止まりました。

60歳ぐらいの夫婦です。



当ても無くドライブにでかけるようで、

「オペレーション:シンザン」の話をすると

「それじゃあ、一緒に牧場見に行くか~」



道中は、今までの経緯を二人でお話しました。

奥さんは、

「どうして、そんな事をしたいのかわからない」

と言います。

オヤジさんは、

「それが、男のロマンっちゅうモンだ」と言います。

奥さんは

「あんたも、そんな事ばっかり言って生きてきてるモンねぇ」

「ロマンでは、お腹が膨れないの!」

「あんたに騙されて苦労ばっかりしてきた」

と言う顔には、満足げな笑みがこぼれています。






新冠(にいかっぷ)から 浦河の谷川牧場

そこで、遂に「シンザン」にご対面



・・・・・・のハズだったのですが、

その日は、体調が悪いらしくて一般の見学は中止!!!



当分、一般見学は見合わせているとの事です。



もともと、それほど拘っていたわけではないので

「仕方ないな」という程度でしたが、

「ロマンチスト」のおっちゃんは、

何故か私たちよりも落胆しています。

「せっかく京都からはるばるシンザンに会いに来たのに・・・スマンなぁ」


おっちゃんが、謝る事じゃないって!

しかも、俺たちは「はるばるシンザンに会いに来た」ワケでもないんだって。



もう、おっちゃんの落胆は留まるところを知りません。

「どうしよう・・・このままでは申し訳ねぇ」とまで言います。



「ここまで来ただけで、満足ですから・・・」

「また、来年来ますから・・・」

「シンザンも見たかったんですが、襟裳岬も見たかったんです」



「そうか!襟裳岬は逃げも隠れもしないし・・・行こうか!!!」

  (・・・シンザンも逃げも隠れもしてないんですけどね)



おっちゃんは、途中で“お詫びに”夕食を奢ってくれて

「朝飯代」と言ってお金まで渡そうとします。

何とか、お断りしましたが、

「これならいいだろう」と

お菓子を袋一杯に買ってくれました。



こうして、この日は、襟裳岬のバス停をお宿にします。



太平洋側は、比較的雪も少ないそうですが、

一昨日の「音威子府」の大雪が信じられないぐらいに

襟裳は、ほとんど雪が有りません。


昭和56年4月4日のお宿は

「襟裳岬のバス停」です。

今夜も、食べ物だけは、どっさりと有ります。



  つづく ⇒ 「またしても、ピンチ到来・・・ 」



2007/11/12 19:29:55















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最終更新日  2009年07月02日 01時11分11秒
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