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2007年11月15日
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めるせですべんつ に拾われた一行は、

「俺は、カタギじゃあ!」と聞いてもいないのに

弁明を繰り返す「若頭」風の夫婦(だと思う)と共に

襟裳岬から、「北へ!」向かうのでした・・・・・・





  若頭「俺はなぁ・・・今ではちゃ~んとカタギの仕事してるんやて」


若頭!!“今では・・・”って言いました???


  極妻「怖そうな顔してるけど、許したってな~」



若頭は、“ やっぱり ”以前は、関西地方で「そのスジの人」だったそうです。

「ほんっっっっっとに・・・いろいろ有ってなぁ」

流れ流れて北の果てまで来たそうです。



若頭の話です。

生まれは、九州のとある地方で極貧の家庭で育ったそうです。

お決まりのように、アル中の父親と

日雇い仕事で家計をまかなう母親と弟二人妹二人。

弟たちの遠足の弁当の為に卵を万引きしたのを皮切りに

母親の仕事を「貧民の仕事」とぬかした教師を殴って

停学・・・

妹の修学旅行の費用ほしさに、中学生の分際で

「カネをもっていそうだったから」と

柔道部の大学生3人と殴り合いになって

保護観察・・・

17歳で、広島に出てきて

「カタギ」になろうとしましたが、

警察の方と気が合うようで、

お泊りもするようになったようです。

20歳の頃に、

「天下取るなら大阪 じゃけん たい

と無理無理関西人となるも、

人の良さとケンカっ早いのがタマにきずで、

とうとう長期出張(塀で囲まれた所です)。


常に、誰かの為に罪を被る人生です。


松坂慶子の若い頃を思わせる奥さんが

  慶子「夢ばっかり語って、人の為にばかり生きて

     結局、騙されたり、濡れ衣着せられたり・・・

     そんなのばっかり・・・」

  若頭「イヤなら、広島へ帰れ!」




極妻慶子さんは、広島時代に若頭に恩があって、

   (詳しい経緯は語りませんでしたが)

その時に、自分の命は捨てたつもりで

「何か有ったら、自分を盾にしてでも守る」

そんな覚悟で、ず~っと若頭に付いて来てるようです。



話を聞いていると、慶子さんの為に

「そのスジ」での出世をあきらめたような感じです。

慶子さんも、それを感じていて、

どこまでも付いて行ってるのでしょう。

お互いに、そんな事は決して口にしませんが・・・



私も、自分の生い立ちを語りました。

  ◎うちのオヤジも酔っ払いであった事

  ◎小学生の頃、「もう、お米が無い」

   と言っていた母の為に一回だけお米を万引きした事。

  ◎その万引きが見つかった時、店の人が、

   「これは、うちの米じゃない!持って帰れ!」

   と、下手な演技で見逃してくれた事。

  ◎お金が無くて給食費が払えなかった時

   「 持ってくるのを 忘れました」と言って、

    毎日廊下に立たされた事。


・・・などを話していると



若頭は、急に“べんつ”を路肩に止めて

外に出て、しばらく空を見ていました。

戻ってくると、慶子さんが、

    「ジュンちゃん、また泣いてるんやろ?

     この人、すぐもらい泣きするんやから・・・」

  若頭「・・・・・・」

  慶子「ほら、ハンカチ」

  若頭「・・・・・・」

  慶子「ジュンちゃんも タマゴ万引きしたもんね~」

  若頭「・・・



私の話に同情したのと、自分の過去を思い出したのと、で

再び“ベンツ”を停めると、

ダムが決壊したかのように若頭は大声で泣き出しました。

私も、自分の過去がフラッシュバックされて、

一緒になって泣き出してしまいました。




ラチが空かないので、私と若頭は、後部座席に移され、

極妻慶子さんが運転を変わり、相方が助手席に座ります。



後部座席では、私と若頭二人が「ヒック・・ヒック」と

しゃくりあげて泣いています。




  慶子「着いたよ~、ごはんごはん」



厚岸(あっけし)あたりの、「トド岩」が見える海岸沿いです。

ドライブインの食堂で、トド肉の料理をご馳走になりました。

  慶子「もう、泣き止んだ?」

  若頭「泣いてへんわ!風邪引いたんじゃ!」

  慶子「はいはい」



腹いっぱい食べて、海を見ると、

北海道の、遅い春の気配が漂っています。

若頭も、“べんつ”も最初の「怖さ」「重圧」は

すっかり失せて、

まるで何日も一緒にドライブしているかのような

心地よさになっています。



  若頭「今夜の宿は、どないするん?」

  一行「雪もなさそうだし、どこかのバス停で寝ます」

  若頭「そうか・・・」


  若頭「これ、持ってけ!」

若頭は、財布から1万円札を三枚出して差し出します。

  一行「それは、ダメですって」

  若頭「メシ食わせたったんやから、言う事聞け!」


・・・若頭は、自分の気持ちを伝えるのが下手なようです。


  極妻「この子らだって、意地があるんやから、

     あんたやったら、どうする?受けとらへんでしょ?」


・・・極妻は、若頭をてなずけるのが上手そうだ。


  極妻「これやったら、持ってってもええでしょ。

     オミヤゲにも出来るし・・・」


紙袋に、さっきのドライブインで買った「とど肉の大和煮缶詰」

その他、缶詰の詰め合わせ。



その後、帰りのフェリーの中で缶詰を食べようとしたが
   缶切が無い事に気付く一行であった。
   (函館の“アニキ”に買っていただいた「カニ缶」も有る。)
   「とど肉缶詰」のスキマに「現金3万円」と慶子さんからの
   お手紙を見つけたのは、フェリーが太平洋に出航して数時間
   経った頃でした。・・・慶子さん、あっぱれ!






その後も、喫茶店で、ケーキをご馳走になり、

釧路の駅に到着しました。

別れ際にボソボソっと語りかけてきます。

   若頭「男はなぁ、“アカン”とわかっとっても

      やらなきゃならん時が有るんや!」

   若頭「男にはなぁ、守らにゃならんモンが三つ有るんじゃ

      ひとつは、己の信念じゃ、

      ふたつめ、プライドじゃあ、安っぽい見栄とは違う本物の

           プライドを身に付けにゃアカンで。

      そして、大切な人を守らにゃアカン!」


   私「最後のは、奥さんに言ったって下さいよ。」

   若頭「そんな事は安っぽく口にするもんじゃねえ!」





 「なんだかんだ言っても見栄張ってこんな車乗ってるけど、

  見せびらかしたいだけで、こうして時々アテもなく

  ドライブしてるところへ変な二人組みをみつけた・・・ってワケや」


 「自分の器(うつわ)以上の事をしようとして背伸びしても

  ロクな事はないな」


 「人間、どこに青い鳥がいるかわからんぞ」


若頭の一言一言が、今でも時々思いだされます。

「大阪や、広島や、故郷九州にも帰れん。」

と言ってた二人は、今でも北海道に住んでいると思います。

やはりこの二人も決して住所も名前も教えませんでした。

若頭は「ジュンちゃん」らしいですが・・・。


黒いベンツに乗って、助手席には松坂慶子(に似た奥さん)

関西訛りで、時々九州弁(とニセ広島弁)、角刈り、

黒いサングラス、涙もろい、おそらく生き方は「ヘタ」

・・・そんな“カタギ”の人でした。




昭和56年4月5日の夜がやって来ます。

お宿は、釧路市内の「 幣舞橋 」から数分歩いたところのバス停。

(早い時間でも、人のいるところでも、もはや「平気」)



つづく ⇒ 「さらば北の台地・・・内地へ!」




2007/11/15 03:11:46










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最終更新日  2009年07月02日 01時03分42秒
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