.     47歳今まで中途半端に生きてきたけど,この歳になって「今から医者になる」と決意しました

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2009年03月07日
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29年前・・・昭和55年3月

当時20歳になった私は、2年間の浪人生活の末、

大学に合格しました。



その2年前の現役受験で、「身の程知らず」の大学を受け

見事に玉砕しました。

当時の我が家は、

“星一徹が24時間酔っ払っている”ような父親が健在で、

しかも、その父親の教育方針が、

「学校以外での勉強は許さん!

という理不尽なものでした。

  ※「お金を払って」「義務教育でも無いのに」

   「おまえ(私)の意思で」学校へ行っているのだから、

   そこで、全身全霊知識を吸収してこそ、

   通わせている意義がある。

   従って、俺の目が届く範囲で“学校の勉強”は、まかりならん!

   ・・・という理屈です。

“義務教育”の中学生の頃からの方針ですので、

「授業料」を払ってまで通う高校時代は、更に徹底していました。

当然、学校で買い求めた以外の「参考書」や「問題集」はご法度です。

試験前は、

「友だちの家で“遊んで”来る」

と言って、図書館などで、

   こっそりと・・・

   ビクビクしながら・・・

試験勉強してました。

ある日、近所のおばさんが、

「かむ太郎君は、いっつも図書館で“勉強”して感心やねぇ。」

などと父親の前で私を褒めました。










「ぐ~」で殴られました。

それ以来、町立図書館の数少ない「漫画コーナー」で

「のらくろ」のハードカバーに、教科書を隠して

更に、「ビクビク」「どきどき」しながら

ゴルゴ13並に背後を気にしながら勉強してました。

・・・おかげで、今でも試験会場で「最後列」以外は落ち着きません。

「家に帰ると、すぐ“勉強しろ”と言われて鬱陶しい。」

などと、“勿体無い”発言をする友達が羨ましかった事を覚えています。




そういう事が、原因では有りませんが、

私は、好きな事しか勉強しない子供でした。

高校生になってからは、

「学校の勉強ではない」と言い切れる本ばかり読んでました。

今でも愛読する「ブルーバックス」「岩波新書」などは

家の中でも、“大手を振って”“白昼堂々と”読めるので

私の「心のバイブル」でした。

少ない小遣いで買うので、ひたすら内容を吟味し、

『かむ太郎格付け』で

「AAA(トリプルA)」の本しか買いません。

「AA」あたりは、図書館で借りてきます。

文字通り、擦り切れる程読んだので、

今でも時折その時の記憶が蘇ったりします。




ですが、学校の勉強とはシンクロしませんので、

読書量と学業成績は必ずしも比例しません。




2年生の時の「物理」の試験で、

難問揃いの中、見事最高得点を取りました。v(^.^)

この中のほとんどは、「ブルーバックス」から得た知識でした。

それ以降も、シンクロした時は、

「満点」や「学年トップ」の偉業も有りました。

「アカン!」時は、とことんアキマヘン・・・




最近になって、当時から

「いつでも」「どこでも」「どんな精神状態でも」

本を読んだり、勉強したりできる事が役立ってます。




・・・が、大学受験はそれほど甘くも無く、

結局18歳の春「受験失敗」⇒「浪人」となりました。

この頃から、我が家の歴史が大きく傾き始め

両親が離婚し、悪夢の「連日の借金取り御一行訪問

の道を辿ることとなります。

  ※10歳の頃にも一度「御一行訪問」を経験してます。

   当時は今のような法規制も無く、

   「黒い外車」「黒い服」「黒いメガネ」の

   絵に書いたような強面のお兄さん方が、

   遠方から数人で「費用対効果」などは無視して

   我が家に押しかけ、

   土足でヅカヅカ上がりこむような地獄絵図でした。




当時は、「国立1期校」「国立2期校」と、

国立大学は、2つのグループに分かれていて、

それぞれ1校ずつ、合計2回受験の機会が有りました。



しかし、

「1期校」には拒否されたものの、

「2期校」を受験しに行く旅費も、宿泊費も無い・・・

結局、「2期校」は受験しませんでした。




1浪時代から、我が家の家計の事も重くのしかかり、

翌年、見事に「関西の某有名私立大学」に合格したものの、

入学金や、授業料や、初年度納入金というのを準備できず

納入期限を過ぎ、自動的に「入学拒否」となりました。

翌年は、「フルタイム」の仕事に就き、

1年間働きながら勉強してました。

 (職場の人たちは、ゲーム類が好きでした。

  お付き合いのマージャンも、トランプゲームのナポレオンも、

  私にとっては、「絶対負けられない場」です。

  低いレートとは言え、絶対に負けない!

  負ければ、お金が減るし、勝てば「稼ぎ」になります。

  そこそこ稼がせて頂きました。

  ・・・もう時効ですよね。)




その頃既に両親は離婚し、父親はいないのですが、

相変わらず、ゴルゴ13並に背後を気にしながら

“こっそりと”勉強してました。




そして、2年間浪人(というか社会人受験に近い)して

ようやく20歳になって「合格」を勝ち取りました。



合格発表の日は、

前夜から、いても立ってもいられない状態で、

もう、若い奴らがいなくなった頃を見計らい

 (当時は「現役」と「浪人生」の間の目に見えない「溝」を感じ、

  ましてや「2浪」となると「1浪」からも一線を画した感がありました。

  「若い奴ら」=「18歳現役」の兄ちゃん姉ちゃん。)

夕方5時頃に、「そ~~っと」発表を見に行きました。



夕闇迫る頃、色んな事が走馬灯のように頭をよぎり

掲示板の前で、涙が出てきました。



   今でもやってるのかどうか知りませんが、

   当時は学生がアルバイトで、

   「合否電報」というのを受け付けてました。

   「サクラサク」とか「サクラチル」というやつです。

   我が人生の分かれ目を他人に見極めさせるのは

   どうにも、心もとないので「仕事」を早退して

   現場まで行きました。

   当時は、高校の合格発表は地元新聞で

   「別冊」のようになって一斉に実名が発表されましたし、

   大学の発表も「地方欄」に

   【○○大学△△学部 ※※高校出身 かむ太郎】

   というように「個人情報だだ漏れ」状態でした。

   発表の翌日、

   『合格したから仕事辞めんとアカンけど、急な事でどないしよう

   と途方に暮れながら出勤しました。

   そこで私は、

   クラッカーの嵐で迎えてくれた職場の人たちの前で

   号泣いたしました。

   (合格発表は既に新聞で知っていたようで、

    家庭の事情や、私の図書館での姿も皆知ってたようです。)




そんな29年前に、勝るとも劣らない

「落ち着かない夜」が今夜です。



そうです。

明日(日付変わって、今日)・・・

「前期日程」の発表が有ります。





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最終更新日  2009年03月08日 02時16分20秒
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