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これは時代の変化の兆しである。江戸幕府が成立した時、天皇に伊勢に移っていただき神主になってもらおうという、いわば天皇制廃絶の提案があった。他方、そんなことをしたら再び内乱状態に陥る。徳川家康が天皇を補佐してこそ諸大名も万民も治まるのだ、との反論があった。
政治と権威の共存を、松岡正剛は「デュアル・スタンダード」と呼んだ。文化全般に共通する古代からの日本独自の方法である。これはダブル・スタンダードでも対立でもなく、主権者が天皇を支えることで安定する仕組みであった。
戦後憲法下では主権者は国民であるから、国民の気持ちをくみ取り国民と価値観を同じくする天皇であってこそ、国民が支え社会が安定する。戦後の天皇皇后たちはそれを十分に理解し、平和を希求する国民と共にあることに尽力してきたと言ってよい。
一方、 戦前は「力による覇権」を目的に、政治家や軍部が天皇を利用し続けた。私は改正皇室典範の決め方を見ていて、戦前と同じ危うい気配を感じた。 憲法の主権者である国民と価値観を共有してきた上皇さまと現天皇陛下の影響力を排除し、外部者を入れて力による支配に利用しようという意図なのではないか。
◇ ◆ ◇
改正典範が通った時、新聞に掲載された百地章氏の意見に仰天した。
「皇位とは公のもの」なので「私情は抑えてでも皇位を伝えることが大事」であり「皇室とジェンダー平等は最も遠いところにあり」「歴史と伝統を変えるのは現代人の思い上がり」だと。天皇家の人々への人間らしい思いがひとかけらちない。
彼らの人生は私情を抑える程度のものではない。日々の生き方、他者や家族との関わり、結婚、出産、言葉による攻撃を回避できない状況、そして男児を出産しなければ、女性が責められる。人権のほとんどが奪われているのである。皇室の女性たちが心を病んできたことは、誰でも知っている。結婚して一般人となれば人権を守られるはずだが、プライバシーを侵害され配偶者をおとしめられる。見ていられない。国民の価値観とこの実態の乖離は、「統合の象徴」の危機ではないのか。
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考えるべき方法が二つある。 一つは改正を廃棄し、天皇家のあり方について根本から考え直す方法である。基準は憲法だ。 全ての国民が生まれた時に持つ、人として自らの意思で生きる権利、つまり「人権」を、皇室の人々も共有する方法を考えることである。無論その中には、女性・女系天皇容認が入る。
もし、それが皇位継承とどうしても矛盾するのであれば、主権者たる国民は、皇室の方々の天皇制からの解放を考えねばならない。 戦後日本をここまで支えてきた天皇一家を永遠に苦しめ、人権の空白地帯を国の中心に据えてまで、天皇制は大事にすべきなのか? そこまでして、私たちは一体何を守っているのか? 皇帝や国王を廃絶した、健全で豊かな国は世界中にいくらでもある。逆に、伝統に固執して人々が苦しんでいる国もいくらでもある。私たちはそのどちらを選ぶのか。今回の改正は、それを考える好機である。
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