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『第三は暴君型。 荀子は、身すぎ世すぎの便法として、一時的に暴君のようなトップに仕えざるを得ない場合もあるとして、次のように語っている。「そうした場合は、もっぱら相手の美点に目を付け、欠点には目をつぶることだ。成果を誉めてあげ、失敗には触れない。長所だけ語って、短所は口にしない。しかも、それをごく自然に演じて、わざとらしさを見せない方がよい」 また、「暴君に仕えるのは、カン馬に乗るようなものだ」として、カン馬を乗りこなす秘訣を、こう伝授している。 「うまく折り合いをつける必要はあるが、相手のペースに巻き込まれてはならない。大人しく仕えはしても、自分の信念を曲げてはならない。相手の言うことに決して逆らわないことだが、不正にだけは手を貸すべきではない」 逆らうな、しかし自分のペースを守れというのだ。暴君に仕えるのは、確かに難しい。荀子は、さらにこう続ける。 「もし相手の欠点を直したければ、相手の不安を利用すればよい。もし方針を変えさせたければ、相手の悩みを利用すればよい。また、君主としての心得を悟らせるには、相手の喜びを利用すればよい。取り巻きの小人どもを追い出すには、相手の怒りを利用すればよい。これが暴君を操縦する要諦である」 こういう言い方には、「性悪説」に立つ荀子の醒めた眼が感じられるが、それはまた、厳しい現実を生きる大人の知恵であるのだ。』(「中国古典の人間学」p278 守屋洋)欠点を直す ⇒相手の不安を利用方針を変えさせる ⇒相手の悩みを利用君主の心得を悟らせる ⇒相手の喜びを利用取り巻きの小人どもを追い出す ⇒相手の怒りを利用実に勉強になります。
2009.08.28
『海水を器にくみ、その器の海水を海に返せば、死生の道理をすぐ目の前で了解することができる』『海水を器にくみ、器水を海にかえせば、死生は直ちに眼前に在り』(「言志四録」 佐藤一斎)すさまじい言葉です。心に突き刺ささりすぎて、怖いくらいです。
2009.08.13
『あるとき、人生を大きく変えるアドバイスをもう一つもらった。第3章に出てきた友だちからのアドバイスと違って、今度のアドバイスは、使えて、賢くて、実証的に正しかった。パリでのクラスメートで、小説家志望のジャン=オリヴィエ・テデスコは、私が地下鉄に飛び乗ろうと走り出すのを止めてこう言ったのだ。「電車なんかで走るなよ」 自分の運命なんて鼻で笑ってやれ。私は自分に、予定に合わせようと泡を食って走り回らないようにしろと教えてきた。これはとても小さなアドバイスのように思えるかもしれない。でも、しっかり心に残った。電車を捕まえようと走ったりするのをやめて、私は優雅で美しい所作の本当の価値を知った。自分の時間や自分の予定、そして自分の人生を自分の思いのままにするということだ。電車を逃して残念なのは捕まえようと急いだときだけだ!同じように、ほかの人があなたに期待する成功に追いつこうとするのがつらいのは、まさしく、そんなことをしようとするからである。 自分の意志でイタチごっこや序列を捨てるのなら、それはイタチごっこや序列を外れるのではなく超えるということだ。・・・ 母なる自然は、私たちに自分を守る仕組みをくれた。イソップの寓話にあるように、そんな仕組みの一つは、手が届かなかった(あるいは手に入れなかった)ブドウはすっぱいに違いないと思える能力だ。でも、最初からブドウなんてバカにして相手にしないという積極的な理性主義のほうがもっと実り多い。積極的に行こう。ガッツがあるなら、仕事を捨てられる人間になろう。 自分でつくったゲームなら、だいたいは負け犬にはならない。 黒い白鳥の文脈で言えばこうなる。ありえないことが起こる危険にさらされるのは、黒い白鳥に自分を振り回すのを許してしまったときだけだ。自分のすることなら、いつだって自分の思いのままにできる。だから、それを自分の目指すものにするのである。』(「ブラック・スワン」(下) NNT P217-218)最後の締めがこれなのかと、一瞬、目を疑った。これはこれで、すばらしい話しだが、いい人すぎないか?仕事で、いろいろな人と接する。多くの人が、そして、重責を担っている人は特に、自分の決断が正しいと思い込む傾向が強いと感じている。恐らく認知的不協和を避けて、意思決定とその後の対応を行える人はいないだろう。人は一貫しているように他人(自分?)に見せたがるがゆえに、一貫しない判断を行う。若いころは、年齢を重ねれば、今よりも正しい判断ができると思っていた。しかし、年齢を重ねるにつれ、様々な利害の中で、一貫した答えを求める私は、自分が思っている以上に正しい判断ができないでいるのかもしれない。だからこそ、一人で生きていくのは難しい。
2009.08.12
政治家は本気で話しをしているのだろうか?本当に内需拡大で景気が回復すると思っているのか?外需なくして景気が拡大した時期がこれまで日本にあったのか?人口が減少することが確定している日本で、内需拡大を踏まえて、将来予想を行う人間が政治家にいることが信じられない。頭の悪い国民には、都合の良い未来を見せておけば、選挙に勝てると思っているのか、本気で内需拡大が景気回復を引き起こすと信じているのか、判断できない。はっきり言って、私は心から欲しい「お金で買えるもの」なんてない。でも世界には、「お金で買えるもの」が心の底から欲しいと考える人が大勢いる。私は、車だって走ればいいし、家だって住めればいいと考える。でも、世界には、高級住宅に住み、高級車に乗ることのために、必死な人が大勢いる。私は、高速道路が1000円になっても、遠くに行こうと思わない。明日から○○手当を貰うより、年金として貰える額を確定して、先日付小切手で渡して欲しい。出来ない約束はしなくていいから、今ある制度の中で、将来を約束して欲しい。それが暗い未来であっても、正しい試算であるのなら、嘘よりましだ。私たちは、上の世代がこのままの路線で迎える結末を正確に数字で示して欲しいと願う。彼らが描いた暗い未来を明るい未来に変えるのは、彼らではなく、私たちの世代なのだから。
2009.08.11
IT革命の本質は、人間から情報を切り離して管理できるようになったことかもしれない。ここで綴った文字は、バナーのアフィリエイト広告に反映される。テキストマイニングのひどく原始的なやり方ではあるが、私が書いた文章が、私からも、書いた文章からも離れて、一つの情報として、別の情報に変換される。家電量販店のポイントカードも私や、私が買った電化製品とは別の場所で、次の購買を誘発する何かのデータを形成している。私のデータが一部を構成するデータ郡を用いて購買を誘発する人間は、私ではなく、私のような私と似た趣向を持った人間。私は、その人を知らない。本当は、そんな人いないのかもしれない。貨幣経済の延長にある私の代替可能性がより一層加速していく。もはや私は代替可能なのではなく、なんらかの情報の集合体。代替可能どころか、ドットで描かれた画面の淀みのようなものかもしれない。例えば、牛乳から得られる無限に近い情報「どこどこの牛から得られた牛乳 何時何分に絞られた牛乳 どこどこのスーパーで購入された牛乳」と私から得られた情報「○年○月○日生まれ 昨日、コンビニで何を買い、 今日、どこで何を食べ、何時に寝た」この2つに違いはあるのだろうか。労働力としての機械と人間の代替可能性。効用を得んがための貨幣による代替可能性。情報としての物体と人間の代替可能性。私たちは、切り刻まれて、そして何かになっていく。売られる体売られる私の情報
2008.08.12
今後の売上予測を立てるとき、当然ながら、その精度が問題になる。そんでもって、いろいろ探していると、SQL Server 2005 Data Mining Add-ins for Office systemhttp://www.microsoft.com/japan/sql/dmaddin/default.mspxを見つける。なんか、いろいろ出来そうだが、その真価はいかほどだろう。データマイニングはやっていると楽しくて時間を忘れるが、仕事をしているのか、していないのか、よく分からない状況になり、日常業務を踏まえた生産性を考えると、休日にゆっくりやるのがいいのかもしれない。自分では、会心のデータを見つけ出しても、意外に相手に響かなかったり、よくよく考えてみると、精度がイマイチだったり。それでも知見が溜まるし、将来予測であれば、当たる当たらないがはっきりするので、密かな楽しみとしては、良い感じ。データっていじっていると、手触り感があって、その部分も面白い。
2008.08.08
ストリートビュー見事過ぎる。今日という日の記念に書き残しておく。
2008.08.06
月間PLAYBOYが休刊らしいhttp://mainichi.jp/select/wadai/news/20080801k0000e040021000c.html正直、売っている所を見たことがないが、エロ本が休刊となるのは寂しいものだ。エロ本で記憶に残っているのが、今は亡き、英知出版の「デラべっぴん」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A9%E3%81%B9%E3%81%A3%E3%81%B4%E3%82%93wikiにも書かれている通り、エヴァンゲリオン特集が凄まじく充実していたことを思えている。「Quick Japan」と混同している部分もあるかもしれないが、エバと岡崎京子とR.D.レインを強引に繋ぎ合わせた特集は、当時高校生だった自分には、かなり新鮮だった。内的自己と外的自己とか、エロ本が語っていた時代。あれから、「24人のビリー・ミリガン」が世に出回り、心の闇が、「ジキルとハイド」型から「ビリー・ミリガン」型に移っていく。世間を境界にした、表と裏の世界が世間と心的内面が解け合った多様な世界へと世界の解釈が変わっていったように感じる。まぁエロ本自体、18禁を境とした表と裏の世界だけれど、ネットが普及すれば、そんな表だの裏だの関係なく、多種多様なフェチが横行する多元的世界が繰り広げられるわけで、自分と世界の境界線が曖昧になった分、自己を探究するのも面倒になっていくのかもしれない。気に入らない世界があれば、気に入る世界に逃げ込もう。多元的な世界ならそれができるけれど、表と裏しかない世界なら、それこそ離人症になってしまう。離人症になれば、逃げ場がなくなるから、結局前を向けるということで、懐古主義的な前世紀肯定論を展開してみたりする。
2008.08.04
祖父が死んだ。90歳だった。年齢的には大往生と言っていいのかもしれない。地元で会社を経営していた祖父の葬式には、多くの人間が参列した。そのことが誇らしくもあり、羨ましくもあった。自分の葬儀の時は、いったいどのくらいの人が参列してくれるのだろう。私自身、身内が死ぬのは初めてのことで、骨壺に納まる祖父の骨を見ても、死があまり実感できない。それは、90歳という年齢が、周囲に死を予感させていたことも原因の一つかもしれない。両親も今年で60になる。親族が集まる中で、私は、自分が中心世代であることを確認した。親族が全員一つ屋根の下で暮らしていたのなら、明らかに私は、一家の大黒柱で稼ぎ頭でなければならない。もう既にそんな年齢になってしまった。祖父から見て、曾孫もいる親族の中で、平均値をとって見れば、死に近いグループにいる。人生は短い。どんなに核家族化が進んでも、命を受け継ぎ、次の世代に繋いでいくことに変わりはない。そんなことを考えると、子供の頃に感じたような恐怖が頭の中をよぎる。ちゃんと大人になれているのだろうか?
2008.08.04
『 たとえばパーキンソンの法則。この法則は1960年代に英国の社会学者パーキンソンが「官吏の数はなぜ多いか、会議の運営や決定はなぜうまく進まないか」を研究し、●役人の数はなすべき仕事の量に関係なく、一定の割合で増加する(第一法則)●お金は必要と否とにかかわらず、入っただけ出る性質を持つ(第二法則。予算消化のための年度末の建設工事を思い出していただきたい)●拡大は複雑を意味し、複雑は腐敗を意味する(第三法則)●ある組織の立派な建物の建設は、その組織の崩壊点で計画され、その完成は組織機能の崩壊を意味する(都庁の建物がそうでないとよいのだが)など、組織の非効率化の課題を発表したものである。 このパーキンソンの法則は、第一次オイルショック後の不況時(75年から76年頃)、わが国でも一時ブームとなり経済誌にも書き立てられたが、すぐに忘れ去られた。不況の間は注目されたが、組織の通弊として、喉元過ぎれば忘れてしまったのである。そしてそれ以後も我が国の行政組織は拡大を続け、バブル崩壊のあとも改善は進んでいない。われわれは、もっとまじめに先人の正しい知恵を学ぶべきである。まじめとは実行するということである。本当は、バブルのはじけたいまこそ、われわれはパーキンソンの法則に学ぶべきなのである。 』(「意思決定のための分析技術」 後正武 p249-250)上の文章を読むと、●一定の割合で常にリストラ●お金は与えない●組織は拡大させない●立派な建物を建てさせない企業経営であれば、この4つは納得できる。平均寿命が伸びる中、お役所で上記4つを行っていくことは、結構難しいかも。
2008.08.01
『こうなると、個々人の行動のこのような違いがどこから来ているのかが知りたくなる。信頼に値する行動をした人々の場合、血液検査によって、快楽や幸福につながるホルモンであるオキシトシンのレベルが高いことがわかった。どうやら、最初のプレイヤーが相手を信頼する態度を見せて幾ばくかの金を差し出すと、プラスのホルモン反応が引き起こされるらしい。「つまり、人間は環境にひじょうに敏感だといえるのではないだろうか」筆者がクレモントにザックを訪ねると、ザックは筆者に向かってそういった。「プラスのシグナルを受けた人は、プラスの幸福なホルモン反応を起こし、それが行動に反映される」 ザックは、信頼とオキシトシンの関係こそが、世界中で起こっている数多くの経済病理を理解する上での鍵だと考えている。オキシトシンは幸せと関係があり、人々の幸福感が高いとされている国々は、同時に人々の信頼度が高いとされている国々である。そして信頼度は、その国の経済がうまくいっているかどうかを計る格好の指標でもある。「信頼度は、これまで経済学者たちが発見してきた経済成長に関連するさまざまな要素の中でも、最大の要素なんだ」とザックは述べている。』(「もっとも美しい数学 ゲーム理論」 トム・ジーグフリード p169-170)経済学は脳内ホルモンの領域まで進み、学問のボーダレス化は著しい。面白いので切り抜き。
2008.07.27
礼儀正しさにまさる攻撃力はない。すばらしい言葉です。「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」キングスレイ・ウォード
2008.07.26
全部うる覚えだが、殴り書き。例えば、「カラマーゾフの兄弟」でイワンが語る話、小さな子供が閉じこめられて、どうしようもない絶望の中、神に祈ること。例えば、大江健三郎の講演?の中で長男が鳥の囀りを聞き、それについて言葉を口にしたとき、もう一度だけ、鳥に鳴いて欲しいと願う大江氏の感情。例えば、スザンヌ・ヴェガの「ルカ」って曲の中の独白を暗示させる「You don't care any more.」って歌詞。どれも、何かに触れようとする想い。触れられないことを知っていても、その行為がもしかしたら無意味かもしれないと思っていたとしても、駆り立てられてしまう状況。それが祈りだとしたら、秋葉原事件の容疑者が携帯電話の掲示板へ書き込んだその行為は祈りだったのだろう。貧富の格差が拡大するから絶望したのか、彼女ができなかったから絶望したのか、多分そうではなくて、彼なりの祈りが届かなかったから絶望したのではないだろうか?宗教なんてよく分からないけれど、宗教的な何かは、彼の絶望の受け皿に成り得たはずだ。携帯の待ち受け画面の光は、ある人にとっての天窓から礼拝堂に差し込む光だったのかもしれない。殴り書きついでに、曽田作品が相変わらず、めっちゃ高いクオリティ。「昴」の副題 「スタンディング・ソリチュード」は多分、スザンヌ・ヴェガのアルバムタイトルをモチーフにしていて、「昴」のテーマも孤独の中、バレエを通じて、何かに触れようとする祈りにも似た真摯さを扱っているのかなぁって読んでいて思ってしまう。「カペタ」が逆に人間の繋がりの中での真摯さを描こうとしているのと対照的だ。
2008.07.09
『真実なんてのはな、ホントは存在しないんだよ曖昧な記憶の集合体でそれが真実の顔をして堂々とのさばっているだけだだからその記憶の持ち主を殺せば真実なんてのは消えてしまう一番簡単で確実な完全犯罪の方法を教えてやろうか誰にも知られないように殺し誰にも知られないように山の中に埋める継続どころか捜査もされないよ何せ事件としては取り扱われないわけだからな日本で一年間に起こる殺人事件は約一千数百件その一方で特異家出人・・・つまり犯罪に絡んで行方不明者になっている人間の数は約15000人仮に殺されてるのがその内の一割だとしても1500人の完全犯罪が成立してるってわけだ俺たちの知っている真実なんてのはなほんの一部だ 』(ドラマ『ケイゾク』より) 個人が抱える記憶だけでなく、社会が抱える記憶さえ曖昧になっていく。戦争体験という、国家的な記憶さえも個人の中ではかなり曖昧だ。私は、戦争と自分の体を結びつけて考えることができない。空腹や苦痛、不安と戦争は私の中では結びつかない。これが、個人の精神面にも影響を与えるように思える。岡崎京子「チワワちゃん」死んでしまった“チワワちゃん”について周りの友人が様々に語っていく。一つに纏まりきらない故人の人間像。一つの存在する体に宿っていた曖昧な記憶の集合体は、体が失われてすぐに、それぞれの人の間でバラバラになっていく。身体とは、記憶を繋ぎ止める大きなハブ。情報があふれ、どんどん頭と体が切り離されていくこの社会で感情や感覚という体に根ざしたもの以外に私たちは他人と共有できるものがあるだろうか。死は周りの人に喪失感を与える。その人が居てくれて楽しかったこと安心できたこと腹が立ったことそういった感情が喪失していく。その寂しさが、喪失感だとすれば、感情的な交わりがなかった人間関係において死は喪失を生まない。なぜ世界の解釈は、多元化していくのだろう?確かな記憶とは一体なんだろう?共有された記憶とは、歴史とは一体なんなのだろう?
2008.07.09
最近なんとなく、ライブドア堀江元社長を思う。会社をやっていて思うのだが、人を増やしていくことは、かなり難しい。信頼できる人間を探すこと自体、かなり難しい作業。今日一緒に働いていた人間が、明日会社に来ない可能性だってかなりの確率で起こりうる。もちろん、企業に信用力も資金力もない訳だから、俗に言う、夢とかやりがいとかを見せつつ、巻き込み、巻き込み。そんな中で、ギラギラしたフラグシップを掲げ、社員を引っ張り、前に進むことは、戦略的な組織運営方法であり、その部分を切り取って、拝金主義だと言い立てるのは、正直、イカガナモノかと思う。確かに、成功している創業社長が、企業理念の重要さを口にするのは分かるが、企業を経営したこともない、さらには、文筆家等の組織に属さないフリーの人間が、拝金主義だとか、アングロサクソン型市場主義がダメだとかしたり顔で語るのを見ると、従業員を路頭に迷わせることができない経営者の本音と建て前を少しは分かって上げられないものかと考えてしまう。勿論、これは自分の想像で、堀江氏が何を考えていたのかなんて、分かるはずもないのだが。組織を大きくするための方法と、その方法を実践していく個人の価値観は、必ずしもイコールではないと思う。友好的な人間が、場合によって、好戦的な立場を採らなければならないことだってあり、好戦的な人間が、友好的に振る舞うことも場合によってはありえる。その企業が置かれた状況に応じて、臨機応変に方法を選択していくことが正しいのか、如何なる状況においても終始一貫したスタンスを保ち続けることが正しいのか、正直まだ分からないが、組織を維持、発展させることは、本当に難しい。
2008.07.08
注文中であり、手元に届いていないが、amazonレビューが大変気になる。経営戦略のフレームワークは、正直、静的なもの過ぎて、フレームワークがどこまで有用なものか日常的に疑問を感じている。そんなこと当たり前だろと言われればそれまでだが。経営で重要なのは、情報と適応だ。いかに、情報を把握し、そこに適応していくかが経営の舵取りには重要であり、これが全て。このことを考慮すると、企業規模に応じて、情報の種類や適応の方法が大きく異なるように思えてくる。当然、社員に求められる役割も。それを考えると、もう少し、SFAを推し進めたり、CRMにおいても次のステージが見えるのかもしれない。昔、沼上先生の講義を受けたとき、ライフサイクルモデルなんて、実際の事業運営においてほとんど意味をなさない、なぜなら、その事業が、成熟期にいるのか、衰退期にいるのか、当事者には厳密に見分けることはできないし、衰退期だからといって、キャッシュが獲得できない訳ではなく、衰退期、即、撤退とはなりえない、というようなことを聞いた記憶がある。(うる覚え過ぎて、全然違うことを言ってたのかもしれないけど・・・)企業って生物のようで、見ていて本当に飽きない。
2008.07.08
■送料120円■通常盤■Perfume CD【love the world】08/7/9発売かなり、perfumeの「edge」がやばい。YMOの「BGM」状態。無敵感全開。「たくさん売れた後だからこそ好きなことができたアルバム。」(細野氏談)いやシングル。しかも2曲目にしらっと。こんなマニアックな音がオリコン上位に入る日本になるとは、ホント、退屈な世の中に一石投じる、毒のような一曲。卵ポーロにマリファナが混在しているような、ファイトクラブの「プロジェクト・メイヘム」のような、とにかく最高です。
2008.07.08
麻婆豆腐は飲み物です。成長の理由はトレンドです。経営力というよりも、事業ドメイン選択力です。っていうか、そもそもトレンドって何?技術革新であったり、法規制の変更であったり、助成制度だったり、大きな流れが来ているときは、何が一番変わっているのか?例えば、インターネットが普及し始めたとき、何が変わった?インターネットに限って言えば、距離が変わった。産業革命、活字革命も含めて情報と僕たちの距離が変わった。このことが意味することは何だろう?距離が変わると市場はどのように変わるのか?例えば、北海道に2時間で行ける世界と北海道に行くと2ヶ月かかる世界では何が違うのか?1人の意見を聞くのに1日かかる世界と100人の意見を聞くのに1時間もかからない世界とでは何が違うのか?時間あたりの情報量が変わっていっている気がする。情報とは?時間が適応だと考えてみよう。情報は・・・情報は、例えばそれ自体は意味がないもので、フィードバックがあって始めて意味をなすものだと考えてみよう。適切な時間内に適切なフィードバックが得られなければ、企業は生きていけないとするならば、適切な時間を決めるのは、運営者の生計だったりする。生計可能な範囲でフィードバックという名の対価を得られれば企業は存続できる。トレンドとは、時間あたりの情報量が変わることだとすれば、トレンドが大きく正に振れると、時間あたりの情報量が増える。とするならば、何をすればそのトレンドを正しく捉えられるのか。鉄道を造ればいいのか、活字印刷の設備を作ればいいのか、ケーブルを引けばいいのか・・・イメージとしては、ゴールドラッシュで売れたのはジーンズみたいな感じ。情報量とは・・・需要の喚起とは・・・もはや何がなにやら。ペンにすら愛されないのか・・・祇園より。
2008.06.09
ニッチとは何だろう?経営とは何だろう?経営者の力量により企業規模は変わるのか?大企業の社長は、中小零細企業の社長と比べて企業規模程優秀なのか?人材の能力の総和が、若しくは、シナジーも考慮した力の和が企業規模の差なのか?恐らく違う。市場規模の問題と、スケールの問題だろう。物体の大きさとは・・・企業の大きさとは・・・それは、顧客と企業との距離である。なんか違う感じ。企業の大きさとは、企業の成熟度を測る物差しとは、市場規模と企業規模の関係で決まる。なんか合ってるっぽいぞ。中小企業はニッチを狙えと、ブルーオーシャンはニッチにと、なんか違う感じ。ニッチとは市場規模のカテゴライズの仕方だとすると、市場を限定することと、企業が存続することの間にはどのような関係があるのだろう。キーとなるのは適応と情報にあるはず。適応と情報適応=規模情報=フィードバックではなぜ会社は存続しないのか。存続に足る収益を上げることができないから。収益とは何か?顧客からの期待するレスポンス。顧客からのフィードバック。適応とは?もはや何がなんだか。
2008.06.09
『●ほとんどの人には、自分の言葉、信念、態度、行為を一貫したものにしたい、あるいは、他の人にそう見られたいという欲求があることを、心理学者はずっと以前から認識していた。この欲求は、三つの要素によってもたらされる。第一に、一貫性を保つことによって、社会から高い評価を受ける。第二に、公的なイメージに及ぼす影響は別にしても、一貫性のある行為は、一般的に日常生活にとって有益である。第三に、一貫性を志向することで、複雑な現代生活をうまくすり抜ける貴重な簡便方略が得られる。すなわち、以前の決定と一貫性を保つことで、類似した状況に将来直面したときに、関連するすべての情報を処理する必要が少なくなり、以前の決定を思い出して、それに一貫するように反応しさえすれば良いことになる。●承諾誘導の世界では、鍵となるのは、最初のコミットメントを確保することである。コミットメント(つまり、自分の意見を言ったり、立場を明確にすること)をしてしまうと、人はそのコミットメントに合致した要請に同意しやすくなる。したがって、多くの承諾誘導の専門家は、後で要請しようとしている行動と一貫するような立場を最初にとらせるように誘導するのである。しかし、すべてのコミットメントが、後でそれと一貫した行動を同じように効果的に引き出せる訳ではない。行動を含み、公にされ、努力を要し、自分がそうしたかったのだ(強制されたのではない)と見なされるコミットメントが最も効果的である。』(「影響力の武器」 p180-181 )『一貫性こそ、論理性、合理性、安定性、そして誠実さの確信をなすものなのです』(同 p102)一貫性が変化を妨げる。良い面もあれば、悪い面もあり。
2008.05.05
組織を運営するにあたり如何にコントローラブルな状態を維持するかが重要になっている。最近やたらと倒産する会社が多いが、どちらかというと小規模企業より中堅規模の会社が倒れやすい。売上規模が縮小した時に、人件費等固定費負担を賄えないことが原因なのだが、恐竜が体温調節を上手にできないようなものだ。もはや、規模が大きい企業がすばらしいという時代ではなくなっている。ダウンサイジングによる機動的経営を後押しする背景として情報インフラの発達が上げられるが、それ以上にアウトソーシングの流れが加速している。分社化を推し進め、各構成企業が自社の業務範囲を強化し、他社業務を請け負うことにより、全社的売上規模を拡大させることは、かなり現実的な戦略となりつつある。これは大企業だけでなく、中小企業もしかりだ。また様々な分野において、モチベーションの管理手法が確立されつつあり、小規模な組織を複合的に連動させる方が、生産性が上がる可能性が高い。悪い言葉で言えば、10人程度の規模の会社であれば、社長はテクニカルな方法(誉めたり、空かしたり、褒美を与えたり)により、社員を効率的に管理できる。社員が何万人いる会社の社長にそれが可能か?サラリーマン部課長にそれをやるインセンティブはあるのか?組織に求められている資質が変わり始める面白い時代だ。
2008.05.03
『3.返報性のルールで承諾を導くもう一つのやり方として、この基本的テーマの単純なヴァリエーションがある。最初に恩恵を与えてその見返りを期待する代わりに、最初に譲歩して、そのお返しとして相手の譲歩を引き出すのである。これが、「拒否したら譲歩」法あるいはドア・イン・ザ・フェイス・テクニックと呼ばれる手続きであり、相手の譲歩に返報しなければならないという圧力に依存するやり方である。確実に拒否される極端に大きな要請から始めて、次にそれより小さな要求(もともと目標としていた要求)に引き下げる。そうすると、要求の引き下げが譲歩に見られるため、小さな要求を受け入れる傾向が強まる。研究によると、「拒否したら譲歩」法を使うと、相手がイエスと言う傾向が強まるだけでなく、相手がその要求を実行し、将来の同じような要求にも同意する傾向が強まる。4.返報性のルールを使って私たちの承諾を得ようとする人に対する最善の防御法は、他者の最初の申し出を常に拒否してしまうことではない。むしろ、最初の好意や譲歩は誠意をもって受け入れ、後でトリックだと分かった時点で、それをトリックと再定義できるようにしておくことである。そのように再定義することができれば、受け取った好意や譲歩を返さなければという気持ちになることはないであろう。』(「影響力の武器」 p93)書き方によっては、性善説的な価値観を持った人に不快感を与えるような展開も十分に可能だったはずだが、どちらかというとマイルドな文章になっている。この本を読むと、どうしても「利己的な遺伝子」等の社会生物学的アプローチが頭によぎる。例えば返報性についても、素人としては現象面以上にその解釈が気になるところだが、その部分を深く掘り下げないあたりが、学者としての強さを感じさせる。
2008.05.03
『1.社会学者や人類学者によると、人間文化の規範のなかで最も広範囲かつ基本的なものの一つに返報性のルールがある。このルールは、他者から何かを与えられたら自分も同様に与えるように努めることを要求する。返報性のルールは、行為の受け手が将来それに対してお返しをすることを義務づけるので、人は自分が何かを他者に与えてもそれが決して失われるわけではないことを確信できる。このルールに将来への義務感が含まれることによって、社会にとって有益なさまざまな持続的人間関係や交流、交換が発達することになる。したがって、社会のメンバーはすべて、このルールを忠実に守るべきこと、守らないと重大な社会的不承認を被ることを子どものころからたたき込まれる。2.他者の要請を受け入れるか否かの決定は、しばしば、返報性のルールによって影響を受ける。承諾誘導の専門家が好んで使う儲けの手口の一つに、最初に何か与えておいて、相手からお返しを求めるという方法がある。このやり方が効を奏するのは、返報性のルールに含まれる三つの特徴による。第一に、このルールは、極端なまでに強力な力をもっており、普通は要求を受け入れるか否かを決めるはずの諸要因の影響力を凌駕してしまう。第二に、このルールは、望みもしない好意を最初に相手から受けた場合にも適用されるので、借りを作るなら誰にしたらよいかを、自分で選ぶことができなくなり、その選択を他者の手に委ねることになる。第三に、このルールによって不公平な交換が導かれることがある。恩義という不快な感情を取り除こうとするために、人は親切を施された相手から何か頼まれると、お返しにそれ以上の事をしてあげることが多い。』 影響力の武器 p92-93関連として『人間はプログラムされているから融通性のあるふるまいをする。人間の心には組み合わせ方式のソフトウェアがたくさんあって、思考や行動を際限なく生み出すことができるのだ。行動は文化によってさまざまかもしれないが、行動を生み出す心のプログラムのデザインはさまざまである必要はない。知的な行動がうまく学習されるのは、私たちがその学習をする生得的なシステムをもっているからである。』『人間の心がどの程度の標準装備を備えているかという問題については、ピンからキリまでさまざまな見解がある。』(『人間の本性を考える』 2005.01.06 日記より)
2008.04.27
『私たちが現実と思っていることは、ほとんど脳のつくりだした表現なのです。そういった表現の世界が、文化、伝統、社会と呼んでいるものです。 もう一つ、無意識的な表現というものがあります。それは、世界の至るところにある。皆さんがちょっと外に出て柳の木を見る。あれは人間がつくった恣意的な表現ではありません。しかし、われわれの意識は、表現の世界になれていますから、自然を表現として受け取ってしまう。むしろ、進化的に考えるとそちらのほうが先でした。つまり、自然の状況が先にあって、それを表現として受け取っているのが動物です。 人間は、その中で意識的な表現を重点的に増やし、ついには意識的表現のみで世界が占められるという状況にまで達します。それが、われわれが住んでいる世界だと私は思っています。・・・・・でも、そんなことをしなくても、もっと簡単にやる手があります。私がこの演台に完全に裸になっていきなり出てきたらどうでしょう。たちまちパニックで、警察からパトカーが駆けつけてくる。どうして人間の身体は露出が認められていないのかというと、人間がつくっている空間にはそういうものを置かないという約束になっているからです。 こういうことを考えても、いかに皆さんが意識の世界を護ろうとしているかがわかります。なぜ、裸がいけないか。それは誰も設計図を出していないからです。ということは、誰も私の身体の状態に対して責任が持てないということです。責任を持つ人がいないということは、危険思想です。 猥褻論というのは、じつはこういうことに構造的に深く関係しています。現代社会は、人間がつくった意思的なものが実在である社会で、それを維持するために、ある種の表現は徹底的に規制する。それが都市であると定義すると、われわれが文化的特徴と呼んでいるものは、じつは意識的な現実がどういうものであるかをそれぞれ歴史的に規定してきた表現の集団である、ということができます。』(『自分は死なないと思っているヒトへ』 養老孟司 p179-180)先日、上海に行ってきた。様々なデザインのビルが乱立し、道路は車で埋め尽くされ、地下鉄も人でごったがえしていた。そして街を歩いていて至る所で目にする煌びやかな広告の数々。若く綺麗な女性が化粧品や電化製品、アルコール等を片手に微笑んでいるポスターが壁を埋め尽くしている。地下鉄の構内、車内には、液晶モニターでそれらの広告が変わる変わる映し出される。街全体が欲望で渦巻いているようだった。どの広告も直接欲望を刺激するような、ひたすら直球勝負の広告ばかり。そんな上海から戻り日本を見渡すと、上海で見た直球広告の位置には、日本では消費者金融の広告が貼ってある。その広告で微笑んでいる女性からは、清潔感を重視し、欲望など感じさせないような、不自然な抑制を感じる。欲望は、意識、文化といった言葉とは相容れないものだ。経済的発展の原動力は欲望であるとしたら、経済的発展が作り出す管理された都市と原動力たる欲望は矛盾するのではないだろうか。上海の広告が自分にとって印象的だったのはその矛盾を感じたからかもしれない。上海の街は予想よりも綺麗だった。おそらく権力によって管理されているからだろう。管理の皮をかぶった、はちきれんばかりの欲望が、正直うらやましいと思った。話でしか聞いたことのない過去の日本。今の上海のような雰囲気の街だったのだろうか。
2008.04.21
『この厄介なシステムの研究にとってさらに独特な要素の一つが、数学者のブノワ・マンデルブロによって指摘された。当時たまたまIBM社の「自分が好きなことを研究する」研究開発班に所属していたマンデルブロは、通常はカオス的で不規則な自然過程であると考えられているもののなかにパターンと構造を発見しようと努めていた。これは当然大部分の科学者がやっていたことだが、マンデルブロが根本的に他と違っていたのは、遠近感への彼の接近法だった。 「対象物の大きさとはなんだろう?」。マンデルブロは自問してこう答える。「それは君と対象物との距離に依存する」と。大変遠距離から見ると、対象物は一点でしかない。一メートルの距離からだと、対象物の占める空間は容易に輪郭をはっきりできる。しかし、さらにどんどん対象物に接近するにしたがって、領域を測定する課題はますます面倒になる。対象物の表面が乱雑で、不規則で、そして起伏があることがはっきりする。 縮尺の違う地図で国境線の延長を調べようと思ったとき、マンデルブロにとってこの問題は明らかなものになった。彼は「イギリスの海岸線の延長は?」というきわめて単純な質問をしてみた。「百科事典でみれば数字が出ているよ」という標準的な反応は、マンデルブロには満足できないものだった。彼の主張はこうだ。「イギリスの海岸線は、いやこの問題ではどこの海岸線だって同じだが、無限に長い。決め手はどれだけ近づいて観察するかだ。最小の湾の内部にもっと小さい湾を発見できるし、入り江のなかにまた入り江があるというわけで、海岸線の総延長は永久に増大していく」・・・・・・ マンデルブロの方法に独特な要素は、きっちりと分化された境界内で現象を部分的に研究しようとはしなかったことである(学問領域が違えば、根底にある現象が同じであっても、たとえば、化学者は原子物理学者の領域にくちばしを差しはさむことは許されていないのが普通なのだが)。彼が求めたのは、全体構造をそれが作り出す分岐との関連で理解することだった。同じようにして、私たちはさざ波(ripples)を「小さい波(small waves)」としてとらえる見方を選択することができる。つまり、風が原因となって作り出される再帰構造全体のなかの点としてとらえるのである。 それでは、潮の満干はどうか?これもまたフラクタル現象が原因だろうか?表面的にはそう見えるだろうが、実際には月の重力による索引が原因であることを、私たちはすでに知っている(すなわちフラクタル現象が原因ではない)。 重要な点はこうである。私たちは定期的に、いろいろ異なった段階で繰り返し発生する経済や金融の現象を見出す。今後本書でもこのような現象のいくつかに遭遇することになろう。しかしときどきは、一見フラクタルであるように見えながら、実は満ち潮と波のように相互に無関係の現象を見出すこともあるだろう。景気循環はその例である。』(「相場の心理学」 ラース・トゥヴェーデ p72-74)波の例えはかなり興味深い。人間の心理についても同様のことが言えるかもしれない。私は、何の影響を受けているのだろう。部屋の温度か、他人の感情か、時代の息吹か。相場も含めて、一つの答えが用意できないことが沢山ある。むしろ、私たちを取り巻く全てのことにあてはまるようだ。この場合、正しい回答は存在しない。対象との距離によって、考えられる回答は異なってくる。しかし、全てが全てに映りこんでいる。無限の視点から見た、対象物が私が見た対象物に映りこんでいる。観察者が確定せざるを得ない対象物の距離感が、対象物を歪める。これまでの経済学が取り上げることができなかった観点だ。ソロスがクオンタムという名前に託した相場に対する姿勢は、上記の意味において正しい。
2008.04.20
『その十六年後、タイム誌に特集記事が組まれたときは、ウィリアム・ショークロスが、ソロスはポパーの「魔術にかかっている」と書いており、その魔術の成果について、次のように簡潔に述べている。 ソロスが「再帰性」という独自の哲学的発想を得たのは、ポパーからだった。したがって、これは完全にソロスの独創というわけではないが、なかなか筋の通った理論と言えるだろう。その理論とはこうだ。人々は常に不完全な知識あるいは理解のもとに行動する。人々は真理を-たとえば金融市場や法律、あるいは日常生活において-追求するだろうが、決して真理に到達することはない。なぜなら、観察という行為そのものが実像を歪めるからだ。ソロスは言う。この理論を使って、私は「自分のなかに存在する異種の要素を統一のとれた全体へと変えて」きたのだ、と』(「ソロス」マイケル・T・カウフマン p160)私はソロスが好きだ。これは、私の想像に過ぎないが、彼は、人間全体については、大きな興味を抱いているが、人間個々人については、それほどまでに興味を抱いていない。幼少期に特殊な状況に置かれていたため、自身と他者が代替可能であるという、俗に言うところの「他人の立場で考える」という考えに至りづらかったのではないか。例えば、ある人が、自分を攻撃した場合、攻撃してくる人物の今の気持ちを感じようとすることと、攻撃している人物の攻撃する理由を考えることは大きくことなる。前者については、その人物の立場を自分に置き換えて考察するが、後者については、その人物を普遍化し、因果関係を重視して考察するため、人物個々の詳細な感情の機微はある程度、省略される。生延びるためには当然後者の考え方が重要である。しかし、安定した人間関係を築くためには前者の考え方が重要だ。どちらにしても、他者との接触がなければ、考察は深まらないけれど。
2008.04.20
『二十世紀もあと数ヶ月で幕が閉じようというころ、ソロスは自分がやっと一人前の”プレーヤー”になった当時のことを語りながら、子供時代から彼をとらえて放さなかった救世主幻想についても触れた。「昔から、自分は偉大な人物になるのだという幻想、いや妄想みたいなものを抱いていて、それに突き動かされて進んできた。このことについては、基本的に後悔はないね。まず第一に、おかげで人生が面白くなった。つまり、そんな幻想を抱いていなければ得られなかったような壮大な冒険ができたからね。しかも夢のような冒険だったから、もしじっくり味わう暇があれば、もっと大切にしたと思うんだが、すべてはあっという間に起こって、気づきさえしないこともあった。すぐにまた何かが起ったからね。結局、すべては壮大な冒険なんだ。可能性の限界まで突き進んで、悪い意味ではなく、良い意味での欲望に従って行動する。これはたぶん父から受け継いだものだと思うよ』(「ソロス」 マイケル・T・カウフマン p434-435)『私は、「喜びに満ちた人生の秘訣は、危険な生活をおくることだ」というニーチェの意見に賛成する。喜びに満ちた人生とは積極的な人生である。それは、いわゆる幸福のような、だらだらした静的な状態のことではない。アナーキーで、革命的で、エネルギッシュで、悪魔的で、ディオニュソス的な情熱の炎が燃えたぎり、創造への怖ろしいほどの衝動に溢れるほどに満たされる。これこそが、成長と幸福のために、安全と幸福を危険にさらす人間の人生だ。」(『悪魔に仕える牧師』 リチャード・ドーキンス P108)『アイデンティティを達成し、保持するためには二つの側面が必要である。つまり個人が自分は自分自身だとする単純な確認と同時に他者によって自分が確認されることが必要である』(たぶん「引き裂かれた自己」)内的自己と外的自己の乖離というか、分裂病気質というか、端的に言うと、「青い」のだ。
2008.04.20
『理想をいえば、ほかの点ではおなじである言語を異なったものにしている特質の複雑さを何らかの方法で固定されたただ一つのパラメーターで説明できるとよいと思う。』『私たちは言語獲得の問題を大筋は決定されたシステムにおいてパラメーターを設定するようなものとみなしている。』(チョムスキー)『ビジネスやお金は一種のエネルギーなのだ。そこに渦が発生したら気をつけないとそのパワーでやられてしまうのだよ。特にお金にはいろんなエネルギーが満ちている。欲望、怒り、悲しみ、ねたみなどが詰まっているのだ。そのエネルギーをきれいに流してやらなければ、どこかからそれは出てしまうものなんだよ』(「ユダヤ人大富豪の教え」 本田健 p247)お金は目に見える。現金や預金通帳上の数字で。しかし、お金はきっと、言葉よりも人間の本質に近いエネルギーだ。『概念形成能力があれば知覚したり範疇化を行ったり記号化したり、おそらくは単純な推論を行うことさえできるでしょう。しかしこの概念システムが真に強力なものとなるのは、計算能力と結びついた場合にのみなのです。人間の進化の過程において最も重要な一歩だったのは、元々は全く別々に進化してきた二つのものがたまたま偶然にも驚くほど実り豊かな形で相互作用しあうようになったことなんじゃないかと思うんです。一方には概念システムの基本的な要素であった。例えば、物体認識や知覚の恒常性といったものや、さらにもう少し進んで計画を立てたり、他の有機体の意図を理解したりする能力です。このような概念システムは部分的には他の霊長類にも共有されているかも知れない類のシステムです。 さてここである説明がつかない理由によって、計算能力が発生したと考えてみてください。おそらくは脳の大きさが変化したことか何かが原因で起ったことなのでしょうが。もちろん、このような計算能力の一部はすでにずっと人間の歴史を通して潜在していたもので例えば自然数の諸特性を理解するような能力がそれに当たります。この能力は自然選択によって生じたものではありません。なぜならそれは人間がほぼ現在の状態にまで進化するまでは、決して顕在化しなかったからです。この計算能力は、単に何らかの理由で発現したと言うしかないのですが、その理由とは、もしかしたら、論理形式や統語構造を無限に形成する能力と関わりがあるのかも知れません。そして、この能力が概念システムと結びついた時に人間言語ができ、これによって思考や計画、評価などを無限の範囲にわたって行う能力が得られ、完全に新しい生物が出来上がったのです。』(「生成文法の企て」 ノーム・チョムスキー P72)計算能力は、交換に根ざしていると考えている。高度な交換を可能にすることが計算能力の本質ではないだろうか。概念形成能力は、この交換にかかる能力を空間に落とし込むために発展していったものだとすると、交換とはそもそもなんなのだろう。
2008.04.20
『組織の生存を確実にせよ マネジメントにとって最大の責任は、組織の生存を確実にすることである。組織の構造を健全かつ堅固にし、打撃に耐えられるようにすることである。急激な変化に適応し、機会をとらえることである』(「経営の哲学」P16)責任が、機会をとらえることとは、厳しい言葉である。常に何が変化しているか知るため、アンテナを高くもつ。機会ととらえるためには、情報を分析しなければならない。対象は、自社の状況、環境、様々だ。そのためには、学び続けること。それが重要。
2008.04.20
『マネジメントの三つの役割マネジメントには、自らの組織をして機能させ、社会に貢献させるうえで三つの役割がある。第一に、自らの組織に特有の使命を果たす。第二に、仕事を通じて働く人たちを生かす。第三に、自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。』(「ドラッカー名言集 経営の哲学」 P15)私の属する組織の使命は、企業が抱える問題を解決し、成長を支援することにある。その中で自ら成長し、さらにその成長を企業に還元しなければならない。『人間は単独ではなく、社会の一員として生きるように定められた。人間は人類という身体の単位であり、だからこそ周囲の人間との関係に関する多数の義務を生み出すのである。その行動は隣人に影響し、隣人の行動もまた彼に影響する。』(「タルムード入門」P121)
2008.04.20
全てを疑う疑いがあっても、それは疑いではない。学生時代、疑問と出会い、考えを進めていくと、突き当たりにある答えだった。人はなぜ生まれたのか?正しいこととは何だろう?なぜ人を殺してはいけないのか?時代が進むにつれて、全てを疑う疑いが徐々に僕らの中心に向かって後退し始めている。美意識とか、正義感とか、心地よさとか、徐々に明かされる人間の中に構築されたプログラム。世界は徐々に文脈を変えながら、美しさも、より残酷さと交差し始める。
2008.04.19
奇術的な経営について経営戦略以前の問題として、社会心理学等から、ある程度集団の活動を統制することが可能であるのならば、経営の本質とはなんなのだろう?従業員を定められた方法で管理することができるのなら、むしろ経営は、より環境適応、すなわちトレンドとそこから導かれる自身の最適規模に焦点をあてざるを得ない。ホーソン実験から学ぶことのできる結果を、より機械的に適用することによって、偽物の幸福を作ることが可能なのだろうか。片田舎の凄まじく閉鎖的な地域で、同族的な幸福の中、人間を完全にコントロールした一定の規模のニッチな業態を築き上げること、それが理想の経営というのなら、なんという悲劇だろうか。日本的な経営の成功とは、意外に文学的で、僕たちがかつて思い描いてきた悲観的近未来像(手塚漫画のような)に限りなく近いのかもしれない。悲惨であったであろう戦後の状況や単一民族であること、政府が打ち出すスローガン、目に見える3種の神器。社会心理学的な見地から読み返す日本の高度経済成長の歴史は、綺麗なほどに、システマチックだ。
2008.04.19
『日本人の平均寿命は女性が八十五歳、男性も七十八歳に達し、長寿化は着実に進んでいる。すなわち退職後には膨大な自由時間が残されている。退職後の人生の持ち時間は、たとえば一日のうち十時間を自由時間と少なめに見積もってみても(残る十四時間を就寝や食事その他の時間と仮定)、六十歳から八十歳までの二十年間で七万時間以上もある。これは小学校から大学までの全授業時間の三倍をはるかに超え、平均的な日本人(大卒)が二十二歳から六十歳まで働く生涯勤務時間に匹敵する。すなわち何かを学ぼうと思えば学生時代の三倍も学べ、何か足跡を残そうと思えばそれまでの勤務人生と同等の時間資源を使えることになる。この豊富な自由時間を有意義に使えば、個人としても、社会としても実にさまざまなことができる。これは、もはや余った人生=“余生”などという時間量ではなく、明らかに第二の人生=セカンドライフと捉えるべきものである。・・・・・・ 社会的観点から見ると、団塊世代が納税者から受給者になることで、国家財政には暗い影がたち込めている。しかし日本の総人口は今後減少するものの、総自由時間は増大する。金と同様、時間もまた資源であり、金とは異なる国富と捉えることができる。これを使って何ができるか、個人のみならず、国家運営上の新たな視点にもなりうる。』(「2010年の日本」 野村総合研究所 p29-30)70代の中小企業経営者は結構いる。しかも若くて、生気がみなぎっている。ところが引退し、第一線から退くと途端に老け込むということはよくある話だ。一度、リタイアし、企業人としての生活から退くと、年齢が年齢だけに復帰は難しいのではないだろうか。生きる目的がないと人間枯れてしまう。それは、どんな人でも否定できないだろう。生きることは、社会参加するということであるなら、定年退職者の就労機会の創出は、国家にとっても重要な課題だ。国家主導で解決できる問題ではないが、私自身、そのような就労機会創出の手伝いができないものかと考えている。
2008.04.01
靴やブーツにこれっていいかも。試しにやってみます。
2007.02.21
『米7月非農業部門雇用者数が予想+14.5万人のところ、結果+11.3万人、米7月失業率は予想4.6%のところ、結果4.8%でした。(21:30)』米国経済失速。ドル急落です。今のところ予想通り114.20まで下落。かなりいい感じ。この下はないと踏んでますので、スワップも踏まえ、中長期的に買ってみます。とりあえず、損切りはするとしても、8日まで様子見。
2006.08.04
『おもしろまにあっくす デスノートの原作者は『ラッキーマン』だった!!ちょwwデスノの原作者は「大場つぐみ」さんとなってるんすけど、実は「とっても!ラッキーマン」の”ガモウひろし”先生だったんすて!!!ラッキーマンとデスノのギャップすごすぎw事後確認すけど「蒲生(がもう)ゼミナール」とか、遊び要素があったんすね』http://omomani.blog53.fc2.com/blog-entry-1232.html久々に驚いた。「ラッキーマン」高校の頃、かなり流行ってました。あの微妙な感じが堪らないと、当時は思っていたなぁー本気でバカをやっているふりを本気でやるふり。そんな感じでしょうか。デスノート原作者ですか!かなり驚き。確かにデスノートも本気でバカなことを考えている妄想野郎を本気で考えるふりをする、現実とは微妙な位置がいい感じ。エックスファイルで大爆笑するのと似ているかな?
2006.08.03
『世間では、欲望と恐怖が金融市場を動かしている、といわれているが、これは部分的にしか正しくない。恐怖は確かに役割を果たしているが、ほとんどの投資家は、欲望よりも希望に対して、より強く反応する。恐怖の存在は、投資家が特に好ましくない出来事に注意を向けることにつながる一方で、希望の存在は、投資家が好ましい出来事に注意を向けることにつながる。希望や恐怖のように一般的に作用する要素に加え、投資家は自分自身が切望する個別の目的を持っている。・・・・・ 希望と恐怖は、投資家が代替手段を評価する方法に影響を与える。恐怖によって投資家は可能性を下方から見上げて、「事態はどれくらい悪くなりうるのか」という疑問を抱く。希望によって、投資家は上方から可能性を見下ろして、「事態はどこまで良くなりうるのか」という疑問を抱く。ロペスの用語でいえば、下方から見上げる見方は、安全性に関する願望を強調し、上方から見下ろす見方は、事態がよくなる可能性への欲求を強調することになる。ロペスがいっているのは、これら2つの見方は、両極端としてわれわれの中に共存している、ということである。しかしそれらはバランスがとれていない傾向があり、どちらか一方が、もう片方に勝っている。』(『行動ファイナンスと投資の心理学』ハーシェ・シェフリン著 P158-159)希望的観測という言葉には、どこか悲壮感が漂う。「貧すれば鈍する」ではないが、余裕がない人ほど安全に配慮しない傾向にあるようだ。夢と希望は違う。夢は恐怖を抱えながら、到達する形であって、希望は、恐怖とは対極にある。夢は抱くが、恐怖を抱きつつ、現実を見詰めながら一歩一歩。ようするに、一歩先には希望を抱いて、二歩先には恐怖を抱くのが正解なのかも。
2006.08.02
『「為替」 本日の東京外為市場概況(114.45)/ドル・円東京為替市場概況ドル・円東京市場概況-「本日の東京外為市場概況(114.45)」2006年8月2日(水曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*17:04JST 「本日の東京外為市場概況(114.45)」 2日の東京外為市場のドル・円は、中国人民元切り上げ観測を受けて、114円65銭から114円21銭まで下落したが、中国筋による114円00銭オプション・トリガーの防戦買いで下げ渋り114円61銭まで反発した。ユーロ・ドルも1.2850ドルオプション・トリガーへの買い仕掛けで1.2815ドルから1.2836ドルまで強含みに推移した。ユーロ・円は中国人民元切り上げ観測を受けて147円00銭から146円52銭まで軟調に推移した。』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060802-00000043-fis-brf昨日の23時過ぎの大幅な動きの時に仕込み、予定通りのドル安。よって朝方決済。その後、ちんたら動いています。もう少しだけ円安に振れたら、ポジションとってみます。
2006.08.02
『「為替」 本日の東京外為市場概況(114.75)/ドル・円東京為替市場概況ドル・円東京市場概況-「本日の東京外為市場概況(114.75)」2006年8月1日(火曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*17:01JST 「本日の東京外為市場概況(114.75)」 1日の東京外為市場のドル・円は、ポールソン米財務長官の講演、米6月のコア個人消費支出(PCE)価格指数、7月のISM製造業景気指数を控えて、ドル・ショートポジションを買い戻す動きが優勢となり114円48銭から114円85銭まで強含みに推移した。ユーロ・ドルも1.2780ドルのアジア筋からの売りオーダーを背景に利食い売りが優勢となり、1.2773ドルから1.2720ドルまで軟調に推移した。ユーロ・円は146円42銭から145円90銭まで軟調に推移した。』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060801-00000043-fis-brf『日米金利差で1ドル=150円』(週刊エコノミスト 臨時増刊8/14号 P41 藤巻健史氏のコメントより)一方で『バフェットは米経常赤字について、「経済学者のほとんどがソフト・ランディングは可能と見ているようだ。しかし、私にはどうすれば(6180億ドル=05年2月時点=という)巨額な赤字額を徐々に減らすことが可能なのか分からない」と心配した。「今日では何億単位のドルをフリードマンのいう『電脳投資家集団』らの手によってクリック一つで動かせる。この2、3年でドル熱は冷めつつあり、毎日20億ドルの資本流出超が確認されている。この先皆さんが描いているような結果は待っていないかもしれない」と警告した。』(同誌 P22 『バフェット「ドル熱はさめつつある」』より)藤巻氏、雑誌の中で異彩を放っております。個人的に応援したい予想ですが、自分の金がかかっていると、目先のテクニカルに目がいってしまう。また、賢人の話が現実となれば、世界はとんでもないことに。アジア通貨危機からの教訓により、世界中がドルの上に微妙な均衡を築いているということでしょうか?ジェンガをやっている感覚?年末にかけては、115円前後と書いてみる。
2006.08.01
『「為替」 本日の東京外為市場概況(114.45)/ドル・円東京為替市場概況ドル・円東京市場概況-「本日の東京外為市場概況(114.45)」2006年7月31日(月曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*17:03JST 「本日の東京外為市場概況(114.45)」 31日の東京外為市場のドル・円は、米国の利上げ打ち止め観測を受けたドル売りの流れを受けて早朝のシドニー市場で114円48銭の安値をつけた後、米系証券によるオプション防戦買い、本邦輸入企業による買いで114円84銭まで反発した。しかしながら、米利上げ打ち止め観測を受けたドル売り圧力強く、海外勢からの断続的なドル売り、本邦資本筋からのドル売りで114円25銭まで下落したが、114円00銭のオプション・トリガー防戦買いで下げ渋った。 』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060731-00000046-fis-brfとりあえず、先週からのドル売りが奏功し、利益が出ました。これからどうしよう?アメリカ景気失速は織り込み済みとして、ユーロ、オーストラリア、イギリスで政策金利が発表され、利上げ通貨がドルに対して高くなることは予想できます。とりあえず、ユーロ/ドル買っとく?
2006.07.31
『「為替」 窓(116.15円-116.55円)の中で膠着(116.20)/ドル・円東京為替市場概況ドル・円東京市場概況-「窓(116.15円-116.55円)の中で膠着(116.20)」2006年7月27日(木曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*13:54JST 「窓(116.15円-116.55円)の中で膠着(116.20)」 ドル・円は依然として116円18銭から116円43銭までで小動き、4月ワシントンG-7後の窓(116.15円-116.55円)の中での膠着が続いている。ドルの買い手は、本邦輸入企業、本邦資本筋、米系ファンド筋。ここを下回ることは、相場のテーマが「世界的な不均衡是正」となり、対米黒字NO1の中国人民元への切り上げ圧力、NO2の日本への円高圧力がかかることになる。11/7の米国議会中間選挙を睨んで、9/30のシューマー・グラム法案採決期限までに、ポールソン米財務長官に対して人民元対策が要請されたことで、米利上げ打ち止め観測に、ドル売り材料が加わった。人民元は7.9796元まで強含み、昨年7月の切り上げ後の元高値を更新した。』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060727-00000035-fis-brf現状窓から食み出てます。予想以上の円高。損切りしたいが、戻すはずと信じている自分が。出足で誤ると、終日いやな感じが付き纏う。結果どうなる!
2006.07.27
『1997年4月に、英国『ファイナンシャル・タイムズ』紙は、経済学者リチャード・セーラーによって提案されたコンテストを行った。コンテストの勝者にはロンドン-ニューヨーク間またはロンドン-シカゴ間の、英国航空往復ビジネスクラスチケットが2枚プレゼントされると発表された。このコンテストで読者は、0~100の間の整数を1つ選ぶように求められた。そして勝者は、参加者が選択した数字の平均値に3分の2をかけた値に最も近い数字を書いた人である、と決められた。 『ファイナンシャル・タイムズ』紙は、読者の理解を助けるために、以下のような短い実例を提供した。コンテストに5人が参加して、彼らが10、20、30、40、50と書いたとしよう。この場合、平均値は30であり、その3分の2は20である。したがって、20と書いた人が勝者となる。 この「番号選びゲーム」のポイントは、もしあなたがこのコンテストに勝ちたいと思うならば、他の参加者がどう考えているかを理解する必要があるということである。たとえば、上の設例で20と書いた人が勝者となると書いてあったので、このコンテストに参加する人が全員、設例どおり20を選ぶとあなたが考えたと仮定してみよう。この場合あなたは、20の3分の2、すなわち14に最も近い数字を選ぶべきである。 しかしあなたが、ここでもう少しよく考えてみると、他の参加者もほとんど皆同じような考え方をしていて、その結果14を選ぶことを計画している可能性があると思うかもしれない。その場合、あなたの最も良い選択は10(=14×2/3)になるだろう。そして、あなたがこのようにして自分の選択を再考し続けていけば、結局勝つためには1と書かねばならないということに気づくだろう。そして皆がこのように考えたとすれば、実際勝者は1と書いた人となるのである。 ところが、普通の人々、しかも高等教育を受けた人々のグループであっても、勝者は1と書いた人にはならないだろう。2枚の大西洋横断往復切符がかかっている『ファイナンシャル・タイムズ』紙のコンテストでは、勝者は13と書いた人であった。もし仮に1を選んでいたとすれば、参加者は誰も自分の選択を誤らなかったということになる。しかし実際には13と書いた人が勝者であったということは、ほとんどの人が誤りを犯したということになる。このゲームの本当のポイントは、あなたがこのゲームをきちんとプレーするためには、他のプレーヤーの誤りの程度に関する理解が必要になるということである。脚注:このコンテストには1,468名の参加者があり、回答の平均は18.91だった。正解の13を言い当てたのは、31名だった。』(『行動ファイナンスと投資心理学』 ハーシュ・シェフリン著 鈴木一功訳 P7)単純に考えて、全員が100だった場合、答えは67(全員はずれ)。だから、0~67までが答えとなる。仮に全員67だったら、答えは45。どんなに考えても、45以下の数字が答えになると考える。回答の平均は19ぐらい。19を2/3で割ると約29。これまた単純に考えると、大方の人は、回答の平均が30であると考えたことになる。私の場合は、1とは答えないだろう。全員が45と答えた場合の答えは30。この数字が一つの目安になっているのかもしれない。19という答えは、大きすぎるように感じる。そんな感じで答えを書き込むと思う。あなたは私であり、私はあなただ。あなたの頭の中身は、概ね私と同等だろう。ここで言うあなたは、世間一般の人ってことで、大方の人は、自分は平均以上の知能を持っていると考えてしまっている。自分が適当に考えるぐらいが、世間一般の人が真剣に考えるのと同等だ。我が身を振り返ると、心当たりがないこともない。こういう卑しい考え方が、大衆心理を醸成し、世界に揺らぎを持たせている。自然によって齎された、人間の能力の一つなのだろうか。
2006.07.26
『「為替」 本日の東京外為市場概況(116.85)/ドル・円東京為替市場概況ドル・円東京市場概況-「本日の東京外為市場概況(116.85)」2006年7月26日(水曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*17:04JST 「本日の東京外為市場概況(116.85)」 26日の東京外為市場のドル・円は、本邦輸出企業からのドル売り、海外勢の利食い売りで117円24銭から116円84銭まで軟調に推移した。』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060726-00000045-fis-brf昨日深夜に円安に動いた後、緩やかに円高に向かう。超短期117.00まで戻すと予想。
2006.07.26
『「為替」 本日の東京外為市場概況(116.80)/ドル・円東京為替市場概況ドル・円東京市場概況-「本日の東京外為市場概況(116.80)」2006年7月25日(火曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*17:04JST 「本日の東京外為市場概況(116.80)」 25日の東京外為市場のドル・円は、5・10日の仲値不足観測を受けて116円61銭から116円98銭まで強含みに推移したものの、本邦輸出企業からのドル売り、中国国家統計局が外貨準備の分散投資に言及したことから116円53銭まで反落した。』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060725-00000044-fis-brf序盤で売りから入ったため、苦戦。でも、短期売買って、儲からない代わりに大きく損しない。波を掴んで、超短時間売買、効率を追求します。しっかし本当に凪ってる。
2006.07.25
米国の減速基調が様々なところで採り上げられている。『日銀が7月14日、ゼロ金利政策の解除(利上げ)を実施。しかし、市場はすでに織り込んでいたため、反応は鈍かった。もっとも、為替市場は別の要因で動いている。 イラン、北朝鮮など相次ぐ地政学リスクの台頭で、再び市場心理が悪化。リスク回避から株価は下落し、資金回帰でドルが堅調となった。 ただ、米国の経済指標を見ると減速基調が目立ってきた。一方で、日本は、なお設備投資を中心に景気は堅調に推移。またユーロ圏も景気は予想より強い。ドル安が消極的なドル買いで支えられている限り、ドルの上値は限定的とみたほうがよいだろう。』(『週刊エコノミスト 8/1特大号』 P98)なんかチャート見てると短期的に116.00ぐらいまで下がるような気がしてきた。それにしても、日本に住んでいながら、日本の景況感がまるで分からない。日本って景気がいいのか?金融が引き締められて、通貨の流動性が問題になる局面の米ドルの力の方が、高齢化が進んでいく日本の円よりも、数段信頼できると思えるのは気のせいか。これから勉強していこう。
2006.07.24
筋肉少女帯復活。http://eee.eplus.co.jp/king-show/アスキー連載はやはり伏線だったのでしょうか。ライブ行きたいのはやまやまですが、中野サンプラザ、チケット入手は困難極まりないこと予想でき、今から、ヤフオク落札覚悟が必要かと。かつ今から、ライブがDVD化するのを期待しつつ、っていうかライブ、年末って、時間空き過ぎ。新曲、メディア露出を楽しみに。
2006.07.24
『「為替」 窓(116.15円-116.55円)の中で膠着(116.55)/ドル・円東京為替市場概況ドル・円東京市場概況-「窓(116.15円-116.55円)の中で膠着(116.55)」2006年7月24日(月曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*14:16JST 「窓(116.15円-116.55円)の中で膠着(116.55)」 ドル・円は116円12銭から116円74銭まで反発後、116円50-60銭で小動き。相場のブラックホールとも言える4月ワシントンG-7後の窓(116.15円-116.55円)の中での推移となっている。 』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060724-00000043-fis-brf買いから入り小さく利益確定。新たな材料を求めて、膠着状態。明日以降の動向が読めません。金曜日の発表に向けての動きを期待。テクニカル的には、116.50ぐらいまで下げる。
2006.07.24
『「為替」 本日の東京外為市場概況(116.30)/ドル・円東京為替市場概況ドル・円東京市場概況-「本日の東京外為市場概況(116.30)」2006年7月21日(金曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*16:59JST 「本日の東京外為市場概況(116.30)」 21日の東京外為市場のドル・円は、マクロ系ファンド筋からの断続的なドル売り、中国人民元切り上げ(2005年7月21日)一周年で追加切り上げ観測などから、117円14銭から116円22銭まで下落した。 』 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060721-00000040-fis-brf前日116.80から116.30へ上記内容は全く知らなかったものの、売りから入り、利益確保。個人的なイメージは短期的には116.60ぐらいなので、少し戻すような気がする。中期的には円安、ドル高を見込み、1ヶ月ぐらいかけて、117円まで戻すと予想。予想⇒実践⇒回顧⇒予想修正のサイクルを回します。そうこう書いているうちに、116.10まで下がってますが。
2006.07.21
『ドル・円東京市場概況-「本日の東京外為市場概況(116.80)」2006年7月20日(木曜日)株式会社フィスコ 担当 山下政比呂[ドル・円東京為替市場概況]*16:54JST 「本日の東京外為市場概況(116.80)」 20日の東京外為市場のドル・円は、米系ファンド筋からの売りで116円89銭から116円55銭まで下落したものの、本邦輸入企業からの買い下げ渋り116円80-85銭まで反発した。』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060720-00000041-fis-brf&kz=brf今日からFXを始める。スタンスは短期スタンス。手始めに米ドル/円取引。一日の初めに買いか売りを決め、ロスカット(3%下落)利益確定(5%)22:30に手仕舞いとする。しばらくこれでやってみる。
2006.07.20
『労働価値説(ろうどうかちせつ、labour theory of value)とは、人間の労働が価値を生み、したがって労働が商品の価値を決めるという思想。この思想はカール・マルクスによって完成し、マルクス経済学における中心概念となっているが、樹立されたのは古典派経済学によってであり、体系化したのはアダム・スミス、デヴィッド・リカードなどである。』「ウィキペディア 労働価値説より」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E4%BE%A1%E5%80%A4%E8%AA%AC株価というのは、本当によく分からない。将来にわたる収益を現在価値に割り戻したものが、企業の価値なんだと昔は思っていたが、実際、株に触れていると全くもって、カオスである。需要と供給の交点。美人投票とか言われるが、この表現って意外と考える余地がありそう。それに利潤を追求することと、環境に適合することの関係とか、なんで、資本主義、市場主義があらゆる文化を超えて浸透していくのかとか、人間の本性に根ざした何かがあって、でも、それはどこか本当の意味での欲望とは違う気がする。お金が構築する関係を信じざるを得ない人間の弱さとか、そんな安っぽい言葉じゃなくて、関係性を構築するためだけに、市場経済があるような気がする。生理的欲求とか、関係性の欲求とか、そう言った階層別の欲求ではなくて、言語コミュニケーションのように、人間に根ざしているもの。資本主義経済って本当に無意味なことを繰り返しているようで、賽の河原で、石を積み上げていくような。それでも、この関係性の中に意味があるとしたら、貨幣を仲立ちとした関係は、多分、すごくシステマチックで、言葉を産み出す源泉のような、産まれて来る前から僕達に備わっている、空間を把握する能力に似た、人間の思考にとっての前提条件になるような仕組みなのだろうか。
2006.07.18
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