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人はなぜ、本を読むのだろう。 暇つぶしのため。知識を得るため。新しい世界に出会うため。答えはきっと、本を読む人の数だけある。そしてこの物語『アウシュヴィッツの図書係』の主人公の少女、14歳のディタにとって、それは生きるため、人間らしさを失わないためだ。 「絶滅収容所」と呼ばれたアウシュヴィッツの31号棟は、子ども専用の収容所。そこには、世界で一番小さな秘密の図書館があった。蔵書はたった8冊。ページがばらばらになった地図帳や、幾何学、世界史の本。表紙のないロシア語の小説や精神分析入門など、ふつうの暮らしをしていたら、本棚の奥に押し込めたまま見向きもしないかもしれない本たちが、ここでは千金に値する宝物だ。 収容所の冷酷な看守たちが恐れているのは、剣でも、鈍器でもない。表紙がばらばらになり、ところどころページが欠け、読み古された一冊の本が、子どもたちから人間性を剥奪しようとする者たちにとって最大の脅威になる。本は、とても危険だ。なぜなら、それは囚人たちに、「ものを考えること」を促すから。 看守たちに本が見つかりそうになったとき、14歳のディタは自分の命をかけて本を守ろうとする。彼女が服の下に隠し、痛いほど強く抱きしめて守ろうとしているのは、インクの染みがついた単なる紙束ではない。彼女にとって本は、人間の尊厳を支える知恵の象徴、生きる希望そのものだ。 どんなささやかな希望も、容赦なく踏みにじられ奪われていくディタと子どもたちの物語に耳を傾けながら、『夜と霧』の精神科医、V.E.フランクル博士の言葉を思い出さずにはいられない。 私たちは、人生に起こるさまざまな出来事に意味を求め、時に何かが与えられることを期待し、「自分らしく」生きようとする。でも、本当はそうではない。「人生が何をわれわれから期待しているかが問題」なのだ。今、この瞬間も、人生は私たちに問いかけている。「それで、あなたはどうするの?」と。そして、人生から出された問いにどう答えるかという選択において、たとえ肉体を拘束されていても、私たちの精神はかぎりなく自由だ。 古今東西、無数に書かれてきた本の中には、さまざまなやり方で人生からの問いに誠実に答えようとした先人たちの経験と知恵が、ぎっしり詰まっている。極限まで情報が制限された世界一小さな図書館の物語は、情報が溢れ飽和状態になった時代に生きる私たちに、書物をひも解くことの本質的な喜びを思い出させてくれる。どんな状況の下にあっても、人間は自分の意志で「答え」を選べる。本はいつでもそこにあって、問いに答えようと試行錯誤する私たちに、手を差し伸べてくれているのだと。
2018.12.20
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夕方は、毎日戦争だ。坂の多い道を、自転車で走り回ること1時間。別々の保育園に通う子供たちをピックアップして帰宅。「おなかすいた」の大合唱をBGMに、大急ぎで上の子の食事と、下の子の離乳食を準備。子どもたちの食事が終わったら、お風呂の準備をしながら、ささっと自分のごはんをかき込む。赤ちゃんをお風呂に入れながら、自分の体を大急ぎで洗い、今度はお兄ちゃんのお風呂。ほっとする間もなく子どもたちにパジャマを着せ、いろいろな薬を飲ませたり塗ったりし、お兄ちゃんの歯を磨き、赤ちゃんが眠る前に飲むミルクを用意すると、あっという間に就寝時間。お兄ちゃんがレゴで車を作っている間に、赤ちゃんの寝かしつけをする。暗闇で、赤ちゃんが眠りに落ちるのを待ちながら「ああ、食器洗わなきゃ」「保育園から持ってきた洗濯物、バッグに入れっぱなしだ」と、心のタスクリストにするべきことがどんどん積み上がっていく。 *本当は、子どもたちとゆっくり遊んだり、家族でゆっくり食卓を囲んだり、したい。でも、私は要領がよくないから、しなければならないことに追われて、朝夕の時間があっという間に過ぎてしまう。 *風邪気味のせいか、いつもより寝つくのに時間がかかった赤ちゃんに布団をかけて、お兄ちゃんのいる居間に戻る。弟が生まれ、すっかりひとり遊びが上手になった長男が、背中を丸めて静かに車を組み立てている。やさしくしてあげなきゃと思うのに、「子どもが寝る時間」をとっくに過ぎた時計を見ると、つい長男を急かしてしまう。「早く片付けて」「トイレに行って」食器を洗いながら次々と指示を出す私のところへ長男がやってきて「おかあさん、ココアがのみたい」と言う。「ココア? なんでもっと早く言わないの? だめよ。こんな夜遅くに。明日にしなさい」長男は何も言わず、黙って俯いて立っている。涙がこぼれて床に落ちる。私は食器を片づける手を止めた。「分かった。お兄ちゃん今日もがんばったからね。特別にココア飲もう。飲んだらすぐ歯みがきしようね」長男はにっこり笑って「おかあさん大好き」と言った。 *牛乳を温めてココアを作っていると、ふんわり甘い香りが立ちのぼる。「お母さんも一緒に飲んじゃおうかな」二人分のココアを作って、テーブルに向かい合って座る。「あ~おいしい。あったまる~」マグカップの底に溜まった粉をかき混ぜながら、長男は大事そうにココアを飲んでいる。「甘くておいしいね」「お母さん」「なに?」「こんなふうにさ、二人でココア飲むの初めてだね」あ。「うん。そうかも。初めてだ」こんなふうに、夜、子どもを叱りつけたり急かしたりせず、にこにこ笑ってただ一緒に過ごすこと。「たまにはさ、こういうのもいいね」長男が言った。「うん。ほんとだね」ココアは甘くて、あたたかくて、こわばっていた気持ちがするするとほどけて、ここしばらく忘れていた穏やかな気持ちが戻ってくるのを感じた。 *私は要領がわるいので、何とかお母さんらしい形を整えるのに必死で、いつもぎりぎりいっぱい。大切なものを見落としてしまう。でもそのたびに、君が宝物を拾い上げて「お母さん、見て」と思い出させてくれたこと、君が大人になっても、自分がおばあさんになっても、お母さんは絶対に忘れない。 *ココアを飲んだ後、二人で私の雑誌をめくって、「この服はお母さんに似合いそう」と批評し合ったり、「このスカート、変な模様!」とげらげら笑ったりした。子どもが寝る時間はとっくに過ぎちゃったし、夜甘いものを摂るのはよくないし、食器は洗ってないし明日の準備は何もできてないけど、でも。たまには、こんな夜があってもいいよね。
2017.01.18
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雨の日は、長男の保育園までバスで行く。この街は坂が多いので、水たまりがあちこちに。「雨の日だいすき!」という息子が、水たまりに長靴を突っ込んでじゃぶじゃぶ遊ぶのを、内心ひそかにうらやましく思っていた。大雨の朝、スニーカーの中までずぶぬれになって、ついに長靴を買うことを決意。そして選んだのがこれ。日本野鳥の会の、バードウォッチング長靴!!バードウォッチング長靴の新色メジロ入荷!バードウオッチング バードウォッチング長靴【メジロ】[SS~3L]【レディース メンズ 靴 長靴 フェス キャンプ アウトドア 山ガール 日本野鳥の会】■BW-04-2M■8000885【5400円以上で送料無料】【定番】【05P01Mar16】【05P11Mar16】【05P18Jun16】色は「メジロ」を選んでみたんだけど、これ、想像以上にかわいかった。「B」の文字にくちばしがついた野鳥の会のロゴマークもかわいいし、足首がきゅっとしてて長靴っぽくない。何よりも、「ひょっとしたら、日本野鳥の会の会員さんが、同じ長靴を履いて森の中で鳥を探しているのかも…」と想像するのが楽しい。雨の日がちょっと楽しみになるレイングッズなのでした。
2016.09.23
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朝夕の風に、秋の気配を感じる季節になりました。皆さま、いかがお過ごしですか?わが家は3月に次男が生まれ、4人家族になりました。8月にまた引っ越しをして、今度は坂の多い、都会の街に住んでいます。5歳になった長男はすっかりお兄ちゃんらしく成長して、一生けんめい弟をかわいがってくれています。6ヶ月になった次男は寝返りを覚え、にこにこ笑いながら布団の上を転がり回っています。この街には、水平線に沈む夕日や、本物の森はないけれど、私の大好きな本の森(本屋さん)がたくさんあるので、疲れたときに駆け込む場所には事欠きません。どこに住んでも、その場所が自分にとっての天国だと思って暮らしたい。雨の日曜日、家族がひとりの時間をプレゼントしてくれたので、東京都美術館に展覧会を見に行きました。世界中の素晴らしい絵や彫刻を見ることができるのも、都会の好きなところのひとつ。朝一番に到着したのに館内が混んでいて、ゆっくり見られないかなあと思ったのですが、お客さんは皆「ポンピドゥー・センター」展の方へ流れていき、私が目指していた「木々との対話」展はほとんど貸し切り。会場に着いたら、木の香りがふわっとして、本当に森に来たみたい。最初に土屋仁応さんの展示室に入って、息を呑みました。木で彫られた白い動物たちは何だか生きているみたいで、触れたらぬくもりが伝わってきそう。一部を除き写真を撮ってもOKという展覧会だったので、気になった子たちをカメラに収め、図録も買って帰ってきました。会期終了までに、時間を作れたらもう一度見に行きたい。出産、引っ越しと慌ただしい毎日の中で、少し先の未来に気をとられて、私はまた「いま、ここ」に生きることを忘れそうになっていたなあと思う。今、私の傘に当たる雨粒の音や、秋の虫が鳴く声に耳を澄ますこと。子どもと一緒にいるときも、「後でね」「ちょっと待ってね」「今忙しいから」を連発しているけど、本当は、子どもの顔を見て話を聞くより大事なことなんて、めったにないはずなんだ。家に帰ってから、「お母さん一緒に遊ぼう」と子どもが言うので、洗濯物のかごをいったん置いて床に座り、子どもがレゴブロックで作った車をよく見てみた。いろんな色や形を組み合わせて、ロボットに変形することもできるという大きな車を作っている。いつの間に、こんなに上手にブロックで遊べるようになったんだろう。ついこの間まで、「お母さん車作って」と言っていたはずなのに。私が未来ばかり見て、子どもの「いま」の目線でものを見ることを忘れている間に、子どもと一緒にいられる時間はあっという間に過ぎて、どんなに懐かしんでも二度と戻ってはこないのだ。「わあ、かっこいい車だね。ロボットに変形するところも見たいな」と言ったら、子どもが私をじっと見て、最近見たことがないような嬉しそうな顔で、笑った。
2016.09.12
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リニューアルした「ku:nel(クウネル)」を読む。そして分かった。これは「リニューアル」というより、まったく新しい別の雑誌に生まれ変わったのだな。 *私の手もとにある一番古いクウネルは2004年11月発行の10号「小さな町へ」。この号の特集を読んで、いつか必ず行きたいと思っていた嬉野温泉。昨年末、10年越しの夢が叶って嬉野に行ったときは、何度も読み返してボロボロのクウネルをカバンに入れて出かけた。あのころの自分に、「10年後のあなたは夫の転勤で九州に住んでいて、息子とおなかの赤ちゃんと一緒に念願の嬉野温泉へ行くよ」なんて言っても絶対信じないだろう。 *この号を買ったころの私は就職したばかりで、「ストーリーのあるモノと暮らし」どころか、掃除も料理もろくにせずに仕事ばかりして、深夜に帰宅しては玄関で倒れて寝るようなひどい生活をしていた。「ちゃんとごはんを作って、何かひとつでも家に帰る楽しみをつくらないと体も心もだめになる」と気がついて、おそるおそる自炊を始めた私の毎日を、灯台のあかりみたいに照らしてくれたのが、クウネルだった。 *この10年間で数えきれないほど引っ越しをしたけれど、買い集めた数十冊のクウネルのバックナンバーはいつも一緒だった。時間が経っても古びるということがなくて、読み返すたびに新しい発見がある雑誌。高山なおみさんもハナレグミも、アリステア・マクラウドもジュンパ・ラヒリも、最初に知ったのはクウネルの特集だった。お弁当のコーナーや、川上弘美さんの小説、江國姉妹の往復書簡も大好きで、毎号楽しみだったなあ。 *本も、雑誌も、売れなければ始まらない。すべては変わっていく。だけど、ひとつだけ確かなことがある。次の10年も、私は引っ越しのたびに、荷造りの手を止めて今まで集めた数十冊のクウネルを読み返し、1冊ずつ大切に箱にしまい、新しい家ではまた本棚の一角にずらっと並べて夫にあきれられるだろう。そういう雑誌と同じ時代を過ごせたことは、たぶん、とても幸福なことなのだ。読書日記 ブログランキングへ
2016.01.27
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寒い朝。明け方、こちらでもほんの少し雪が降ったのですが、すぐにみぞれに変わり、陽も差してきて、どうやら積もる気配はないみたいです。それでも、久しぶりに雪を見たのが嬉しくて、ぴょんぴょん跳ね回る息子。君はたくさんたくさん雪が降る街で生まれたんだよ…と話しても、何だかぴんとこない様子できょとんとしている。それはそうだよなあ。1歳の誕生日を迎える前に、引っ越してしまったんだから。あたためた車のチャイルドシートに赤ちゃんだったちびを座らせて、車を雪山から掘り出した日が、まるで昨日のことみたいに感じるのに。 *いよいよ産み月が近づいて、階段の上り下りもきつくなってきた。今月、わが家は自治会費の集金当番で、エレベータのない建物を5階まで上り下りして、各家を訪ねて回らなければならない。あいにく夫は出張中。どうしようかなあ…とひとりごちていたら、ちびが颯爽と上着を羽織り、「ぼくが行ってやるよ!」とついてきてくれた。ちびの身長は、まだ玄関の覗き窓に届かない。それで、訪ねた家の人がちびの存在に気づかず、内側から勢いよく開いたドアに何度か鼻をぶつけながら「だいじょうぶ!」と泣くのをがまんして最後まで付き合ってくれた。1人で上ると苦しい階段が、ちびと一緒だとなぜかちっともつらく感じなかった。自分の子だけど、何だかいいやつに育ったな。 *今朝は出がけに家の鍵が見当たらなかった。慌てて探していたら、「ぼくが探してやるよ!」と外に駆け出していったちび、昨日歩いた階段や公園、ゴミ捨て場まで、雪の舞う中一生けんめい走って探してくれた。鍵は結局、私のコートのポケットに入っていた。昨夜、集金のときあまりにも寒かったので、いつもと違うあたたかいコートを引っ張り出して着たのだけど、そのポケットに鍵を入れたままクローゼットに戻してしまったのだ。「お母さんうっかりしててごめんね」と謝ったら「いいんだいいんだ、ぼくだって忘れることあるよ」と息子。「走ったら汗かいてあったかくなったね」だって。ほんとだね。雪が降っているのに、ちっとも寒くない。 * ちびを保育園に送り届けた後、息子の言葉を思い出して心がしんとする。小さな君がささやかな失敗をしたとき、あんなふうに余裕のある言葉を、お母さんはかけてあげられていただろうか。「何やってるの! 使い終わったらちゃんとカバンにしまいなさいって言ったでしょう!」なんて、イライラしながら探していたはず。この冬一番の寒気が来ているというのに、私がちっとも寒くなかったのは、たぶん、鍵を探して走り回ったからじゃない。大切なことを、お母さんはいつも君から教えてもらっているみたいだ。
2016.01.19
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子どもを持つことは不自由になることだと、長い間思っていた。生まれてきてしばらくは、好きな時間に眠ることも、ゆっくりごはんを食べることもできない。少し大きくなるとずっとお母さんの後をついてくるから、ひとりでほっとする時間はおろか、トイレにもゆっくり入っていられない。こんな不自由な状態がいつまで続くんだろう、早く自由になりたい…と思っているうちに、息子は4歳になった。毎朝、大きなリュックサックに着替えをつめて元気に保育園へ出かけていく。最初のころは泣いて「行きたくない」と言うこともあったけれど、いつの間にかそんなこともなくなった。ニコニコ笑いながら手を振って、一度も振り返らず友達のところへ駆けていく。さっきまでつないでいた手を見つめて、ふと寂しい気持ちになったりするのだから、親なんて勝手なものだ。気持ちに少し余裕ができて、ようやく気づいたことがある。子どもが生まれて、物理的には不自由なことがたくさんある。でも、私の精神は、子どもを産む前とは別人のように自由になった。小さな息子には、まだできないことがたくさんある。みそ汁を引っくり返し、トイレに失敗し、靴下を履くのに信じられないほど長い時間がかかる。そのひとつひとつに苛立ってしまうとき、私はたぶん、できないことがたくさんある自分自身にも苛立っていたのだと思う。未熟な親だった私も、いつのころからか、少しずつ「この子にはまだできないことがたくさんあって、これからひとつずつできるようになっていくんだな。かわいいな」と感じられるようになった。するといつの間にか、自分自身の未熟さも受け容れていることに気がついた。私の中に住んでいるいじけ虫の小さな女の子を、楽天的で社交的な息子が手を引いて外に連れ出し、新しい世界をたくさん見せてくれた。子どものころからずっと文章を書く仕事がしたくて、けれど思いの強さのあまり、叶わないことが怖くてがんじがらめになっていた私が、好きな仕事への一歩を踏み出すことができたのも、ある意味で息子のおかげだと思っている。子どもを持つことは、不自由だ。手間と時間と、気の遠くなるような辛抱強さが必要。けれど、これほど途方もない自由をもたらしてくれる存在はほかにない。そのことが本能的に分かるから、多くのお母さんが「二人目の育児は楽」と言うのではないだろうか。単純に考えても仕事は二倍、物理的に楽になるはずはないにもかかわらず。私の胎内には今、二人目の息子がいて、着々と生まれる準備を進めているらしい。新しい子どもがどんな不自由と、自由を抱いて生まれてくるのか、とてもとても楽しみだ。読書日記 ブログランキングへ
2015.11.17
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朝晩肌寒い季節になりました。南の島には「秋」という季節がなかったから、今年の秋は殊更に嬉しい。からりとした風が吹くのも、コスモスが咲くのも、金木犀が香るのも、お芋が甘くおいしくなってくるのも、ひとつひとつわくわくして幸せ。新しい町でも、フラを習い始めました。体を動かすのは、やっぱり気持ちいい。そしてどんなときも、フラを踊っていやな気持ちになることは絶対にない。今はまだ、一緒に踊っている皆の名前も覚えきれないけれど、少しずつ馴染んで、ここを離れるころ大切な場所になっていたらいい。宮本輝・吉本ばなな『人生の道しるべ』を読む。Webで連載しているときから楽しみに読んでいたのだけれど、単行本でじっくり読むとますます素晴らしい!宝物みたいな本だ。宮本氏の「文学というのは、自分の小さな庭で丹精して育てた花を、一輪、一輪、道行く人に差し上げる仕事なのではないか」という言葉に涙がこぼれそうになった。(もとは柳田国男の言葉だそう)人生は、きれいごとばかりじゃない。「こんなに汚れているなら、もうきれいごとだけ見て生きていこう」と思っていた時期もあったけれど、それだけでは、人に差し上げて喜ばれる花を育てることはできない。きれいごとばかりじゃない土壌から、どうやって美しい花を咲かせるか。もうどこにも逃げないで、私はそのこととまっすぐ向き合っていきたい。読書日記 ブログランキングへ
2015.10.15
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あっという間に秋がやってきました。大好きな金木犀の季節です。皆さまいかがお過ごしでしょうか。最近、また引っ越しをしました。南の島から少し北上して、波のない、静かな海辺の町に住んでいます。「職場に花を飾りたい」とくまが言うので、一輪挿し用の小さな花瓶と、ガーベラを二本買ってきました。一輪は夫のために、もう一輪は家に飾るために。ちびが生まれて、家中のものを触ったり口に入れたりするようになり、私は花を飾る習慣をすっかり忘れていた。息子はもう、花をちぎったり食べたりする赤ちゃんではなくなったというのに。家の中に花があると、そこからあたたかい光が出ているような気がする。こちらが気にかけた分だけ、花も私を気にかけてくれる。花を長持ちさせるコツを、明日の朝くまにも伝えよう。毎朝水切りをすること。それから、ときどき互いを気にかけること。読書日記 ブログランキングへ
2015.10.01
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文章を編集する仕事は、ミシンを踏むのに似ている。大まかな注文を受けて、細部をどんなデザインにするか、生地の柄をどう生かすか、何番の糸を使うか、ひと通り決めたら、あとは気持ちを平らかに保ち、出来上がりのイメージを心に持って、縫い目が乱れないようにコツコツ作っていく。今手がけているのは、講演の音声を基に、一冊の本をつくる仕事。語られている内容は、私の頭の中から生まれたものではない。でも、事実関係を1つずつ精査し、話し言葉を書き言葉に変換し、読み物として面白く読めるようストーリーをつくるには、ちょっとしたコツがいる。 *少し前、制作をお手伝いした本に「簡潔にまとまっていて分かりやすい」「ちょうどいいスピード感」「講演の温度を感じる」などのレビューがついているのを見つけて、小さくガッツポーズ。誰が読んでも理解できること。話し言葉のドライブ感、温度や勢いを損なわないこと。その二つを自分に課して書いた原稿なので、読む人に伝わってとても嬉しい。さまざまな文章を書かせてもらうことは、本当に勉強になる。いつかつくりたい自分の本の青写真を胸に抱いて、今日もカタカタミシン…ではなく、キーボードをたたくのです。読書日記 ブログランキングへ
2015.06.10
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ゴールデンウィークは、夫の実家でのんびり過ごしました。飛行機が着陸して、東北ならではの優しい緑の色や、屋根の形を見ただけで胸が熱くなり、そんな自分に驚く。子供のころから引っ越しの多い根無し草の人生で、「ふるさと」というものに対する思い入れは、人よりも少ない方だと思っていた。でも、まるで外国みたいに気候や植生の違う南の島に暮らし、久しぶりに東北に降り立ったときの「帰ってきた」「守られている」感は圧倒的で、故郷を想い、愛する人の気持ちが、少しだけ分かった気がする。今年の東北は例年よりもずいぶん暖かくて、いつもはゴールデンウィークに咲く桜も散ってしまっていたけれど、長い冬を越えて芽吹いたばかりの新緑がまぶしく光り、色とりどりの花が競うように咲き誇って、まるで夢の中にいるみたいだった。両親にちびを預けて、夫とふたりで宮沢賢治記念館へ。何度か訪れているけれど、来るたびに新しい発見がある場所。賢治の脳内宇宙を旅する気持ちでじっくりと見る。ここを訪れるたび、必ず読むことにしている書簡がある。晩年の賢治が、病床から教え子の柳原昌悦に宛てた手紙。あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんが、それに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。私のかういふ惨めな失敗はただ今日の時代一般の巨きな病、『慢』といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かが空しく過ぎて漸くじぶんの築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。悩み、迷い、葛藤しながら、泥の中から蓮の花が立ち上がるように珠玉の言葉を紡いだ賢治の思いを、ひとりの物書きとして私は忘れずにいたい。心身の中身が入れ替わったような、清々しい気持ちで記念館を後にする。明日から、また私の場所でがんばろう。最近、共感した一冊。『拝啓 宮澤賢治さま 不安の中のあなたへ』神格化された賢治ではなく、繊細に震える魂を持った、ひとりの弱い人間としての「賢治さん」の姿を、愛情を持って浮かび上がらせる名著です。興味のある方は、ぜひ。読書日記 ブログランキングへ
2015.05.10
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恋に落ちてしまった。少し前から習い始めたフラが、楽しくて仕方がない。今習っている「レイハリア」(思い出のレイ)という曲の美しい振付、何度踊っても飽きるということがない。ゆっくり教えてもらっているのでまだ1番しか踊れないけれど、夕食の支度をしながら、あるいは仕事の合間に、その1番をいつまでも、何度も何度でも踊っている。フラの手の動きは、手話のように、ハワイ語の歌詞の意味を表している。ハワイに吹く熱い風や、レイの甘い香りを自分の体で表現できるのは、なんて素敵なことなんだろう。私の専門は、この世界の美しさ(人の心も含めて)を言葉で表現すること。でも、仕事場でひとり言葉と向き合う時間が長いから、放っておくとどうしても煮詰まるし、頭でっかちになる。そんなとき、外に飛び出して、いろんな年代の、この島で生きている生身の女の人たちと他愛のない話をし、大声で笑い、一緒に体を動かし、頭を空っぽにして、ハワイの空や海や風や花を全身で感じることがどれくらい救いになるか。とても言葉では言い尽くせないほど。そしていつでも「うふふ…」と笑っているかわいい先生の踊り、見れば見るほど大好きになる。「ちょっとやってみるね」という軽い感じでも、先生が踊り始めると、周りの空気がさーっと変わる。先生の手足の動き、ひとつひとつから目が離せない。踊る先生の周りにあたたかい霧雨が降り、南国の花が咲き、波が打ち寄せる。ハワイの有名なミュージシャンが「涙そうそう」をハワイ語にアレンジした「カノホナピリカイ」という曲を先生が踊ってくれたときには、あまりの美しさに目頭が熱くなった。フラを始めて、ハワイへの思いは募るばかり。あのゆったりした時間の流れが恋しくて、手に取ったのはよしもとばなな『ゆめみるハワイ』。そしてこんな一節に行き当たった。私は、フラの世界で自分だけの道を歩んでいる。(中略)そこには私だけに見えるなにかがあり、私だけの小さな上達があり、挫折がある。休みがちだし、運動神経がなくっても、確かに道はそこにある。フラをやっていない人たちが全く知らないハワイの言葉や歌を歌い、踊れるというかすかな喜びを感じている。そして私はすばらしいダンサーやクムが、私を見るとほっとするような存在でいたい。(中略)自分が自分にとってぴったりくる役割の中にすんなりいること。その中でたったひとり、遅い歩みでも進んでいること。自分が自分でいるだけ、それ以上の幸せがあるだろうか。小説の現場とフラの現場で役割は違っても、自分でいるだけでいい。私は、息子が「もう引っ越しはいやだ」と言う日まで夫と一緒に根なし草の暮らしをすると決めているから、たったひとりの先生に師事し、ひとつのハーラウに所属してみんなと歴史を積み重ねる、という在り方はできない。でも、旅人の私にしかできないことがきっとあるはず。それを探しながら、仕事もフラも、ゆっくり長く、自分だけの道を歩いていきたいな。読書日記 ブログランキングへ
2015.02.28
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最近、紙の本を作る仕事を手伝わせてもらっている。何十回も読み返して、「絶対にひとつの間違いもない!」と自信を持って原稿を納めるのだけれど、校正の方にチェックしてもらうと、必ず直すべき箇所があって、真っ赤になって返ってくる。早朝の静かな部屋で、校正の赤字を確かめながらひとつずつ間違いを正していると、会ったことのない彼女(筆跡から察するに、たぶん女性なのだ)と、会話しているような気持ちになる。「ここ、こういう表現にした方が伝わりやすいかもしれませんよ」「ああ、本当ですね!こっちの方が分かりやすい。全然気づきませんでした」という具合に。脳みそが沸騰するほど調べて、練って、格闘した原稿を、自分と同じくらい真剣に、集中して読んでくれる人がこの世にいるのは、なんて心強いんだろう!網目の細かいネットを大きく広げて、受け止めてもらうような安心感。それにしても、この方の校正は本当に素晴らしい。誤字・脱字から、言い回しの不自然さ、事実関係の間違いや前後のつじつままで、信じられないくらい丁寧に見てくれている。まさに職人芸。あんまり感動したので、編集者の方との打ち合わせのとき「校正の方…素晴らしいですよね!」と思わず言ったら、「そうなんです!本当にすごい校正なので、指名して、ずっとお願いしているのです」とのこと。私とその方は会ったことがないし、たぶん、これからも会うことはないだろう。でも、原稿を通じてつながっているふしぎな縁。彼女の仕事に恥じないように、手紙を書くつもりで次の原稿もがんばろうと思うと、何だか背すじが伸びてくる。本が出来上がるまでの長い道のりが、楽しみにすら思えるのだ。読書日記 ブログランキングへ
2015.02.05
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よく晴れた大晦日。夫と息子は車を洗いに出かけました。私はラジオを聴きながら、家じゅうのカーテンを外して洗い、新聞紙で窓を磨き、お布団を干し終わったところ。窓がきれいになると、外の景色がくっきり見える。曇りのなくなった窓から、素敵なことがたくさん入ってくるといいな。掃除のコツは、余計なことを考えず、今、この場所をきれいにすることが人生最大のミッションであると心から信じて、一心不乱に磨くことだと思う。過去や未来に気持ちが飛んでいるときに比べて、仕上がりの気持ちよさが全然違う。ああ、掃除だけじゃないな。最近の私、料理をするときも、散歩をしているときも、本を読んでいるときでさえ、過ぎ去った時間や「これが終わったら次は何をするか」に気をとられて、地に足が着いていなかった。新しい年は、「今、この瞬間」にしっかり根を下ろして過ごしたい。 *今年一年、本当にいろいろなことがあった。ご縁をいただいて、大好きな文章を書く仕事ができるようになった。まさか、南の島で年を越すことになるなんて、去年の大晦日には思いもよらなかったな。息子はすくすくと成長し、いつの間にか「だっこ、だっこ」と言わなくなった。この間、「お母さん、ぼく、どうして生まれてきたと思う?」と聞くので「どうして?」と聞き返したら、「お母さんが大好きだから生まれてきたんだよ」と言われて、本当に驚いた。「子育て」というけれど、子どもに支えられ育てられているのは、本当は私の方なんだろうな。家族と過ごす時間を自分の土台に置いて、空に向かって枝を広げ葉を繁らせていこう。2015年が、皆さまにとって、実り多い豊かな時間になりますように。
2014.12.31
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多和田葉子『献灯使』を読む。いつも美しい言葉の魔法で、私たちを異世界へいざなってくれる著者が、今回はどんな冒険を用意しているのか。主人公は、「無名」という変わった名前の病弱な少年。彼の世話をするのは、曽祖父で小説家の義郎である。曽祖父?読み進めるうちに、だんだん状況がわかってくる。物語の舞台は、未来の日本。はっきりと示されないものの、おそらく幾度かの大地震と原発事故、気候変動によって変わり果てた世界だ。東京23区は「長く住んでいると複合的な危険にさらされる地区」に指定され、日本政府は民営化。鎖国政策を採っており、外来語が使われることはない。インターネットも使われなくなって久しい。子どもは病弱ですぐに死んでしまい、一方老人は「死ぬことができない」。「敬老の日」と「こどもの日」は名前が変わって、「老人がんばれの日」と「子供に謝る日」になり、「体育の日」はからだが思うように育たない子供が悲しまないように「からだの日」になり、「勤労感謝の日」は働きたくても働けない若い人たちを傷つけないために、「生きているだけでいいよの日」になった。(56p)「あの日」以来、この国で暮らす多くの人の心に巣食うようになった漠然とした不安が、明確な輪郭を持ってくっきりと描き出されている。ずっしりと重みのある厳しい作品だけれど、ふしぎと苦しい気持ちにはならない。ひとつには、著者独特の軽やかな文体。もうひとつは、「不安」の正体を見きわめるまなざしが的確だからだ。誤魔化さない、隠さない、なかったことにしない。現実は決して甘くない。それでも、暗がりにひそむものたちを見なかったことにして、得体のしれない「何か」に怯えて暮らすより、その奥にあるものを、自分の手で掴み取って目に焼き付けなさい、というメッセージを、私はこの小説から受け取った。本のタイトルにもなっている「献灯使」は、物語の希望の象徴だ。八方塞がりに思えるときこそ、未知の世界に自分をひらいてゆくことを心に留めて、新しい年を迎えたい。読書日記 ブログランキングへ
2014.12.26
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その瞬間は、突然訪れる。たとえば、朝、保育園に出かける準備をしているときのこと。今朝はここまで順調。まだ一度も声を荒らげていない。トーストを一口かじっては遊び、ちっとも食べ終わる気配のない息子を、何度となくテーブルに引き戻してはようやく完食させた。着替えを嫌がる息子を「お着替え競争」に誘い、いつもより早く着替えさせることに成功。いよいよ靴下を履いて出発!という段になって、ぐずり始める息子。靴下のかかとの、縫い目がぽちっと飛び出しているのが気に入らない。違う靴下を持ってきても「イヤ!」。履いては脱ぎ、脱いでは履き、次第にぐずりがひどくなってかんしゃくを起こし、泣いて暴れながら靴下を放り出す。こうなったらもう、何をしてもダメ。なだめても、言い聞かせても、叱っても、おやつで気を引こうとしても、「お母さん大きらい!」最初はやさしく言い聞かせていたわたしの口調もだんだんヒートアップ。「勝手にしなさい!」と近所中に響き渡る声で叫んだ後、ああやっちゃった…と自己嫌悪。自分はなんてダメな母親なんだろう。わたしがこんなだから、子どもがわがままに育ってしまったに違いない…そんな、些細なきっかけで始まるかんしゃくが毎日のように繰り返されて、けっこう追い詰められていた今日このごろ。ふと手にとった本にこんな一節があって、目がくぎ付けになる。「正直に言うと、私が育児のクラスを始めたのは、はなはだ利己的な理由からでした! 靴下の縫い目がチクチクするという理由で、30分も泣き叫ぶ子どもといっしょに暮らすのがどんな感じかをわかってくれる人に、私自身が話を聞いてほしかったのです。」思わず笑ってしまった。自分のほかにも、靴下のことでかんしゃくを起こす子どもに手を焼いている人がいるなんて!本のタイトルは『言うことを聞かないのはどうしてなの? スピリッツ・チャイルドの育て方』。「癇が強すぎる」「かたくなすぎる」「感受性が強すぎる」「知覚が鋭敏すぎる」子どもたちのことを、著者はスピリッツ・チャイルドと読んでいるらしい。診断テストをしたら、どれもこれも当てはまる項目ばかりで笑ってしまった。大人から見ると些末なことに異常にこだわり、一度言い出したらテコでも動かない頑固さ。そしてとにかくエネルギッシュで、感情の量が多い。気に入らなければ1時間でも泣き続けるし、3歳になった今も、寝かしつけに1時間以上かかることが珍しくない。一体誰に似たんだろう…と実家の母に愚痴をこぼしたら、「あんたも好奇心旺盛で、こだわりの強い子どもだったよ」と笑いながら言われた。何も解決していないのに、何だかほっとした。そのときはどうしてだかわからなかったけれど、この本を読んだ今ならわかる。母はわたしに「あんたは落ち着きがなくて、かたくなな子どもだった」とは言わなかった。それは、すごく大切なことだ。自分の子ども時代を振り返るにつけ、わたしはお世辞にも育てやすい娘ではなかった。と思う。極度の人見知りで怖がり。神経過敏で刺激に弱く、おまけに頑固。当然のごとく集団生活に馴染めないわたしに、母は「あなたは人より感受性が強い。生きづらいかもしれないけれど、それは特別な才能で、将来必ず花開く」と繰り返し言って聞かせてくれた。だからわたしは、自分の敏感すぎる性質を嫌いにならずに済んだし、夢は必ず叶うと信じて今日まで生きてくることができた。ひるがえって、うちの息子。気づかないうちに、わたしは、目先の大変さに心折れて、子どもにマイナスのレッテルを貼ろうとしていたのかもしれない。かたくな。落ち着きがない。神経質。たとえば彼の性質を、こんな言葉に置き換えてみよう。「感受性豊か」「エネルギッシュ」「意志が強い」「好奇心旺盛」というふうに。善悪やルールを教えることは親のつとめだけれど、そのことと、子どもの可能性を信じることは別。親が信じてやれなければ、子ども自身も、自分を好きになることは難しい。息子には、いいときも悪いときも自分で自分を好きと思える、人格の「芯」みたいなものをプレゼントしてやろうと、お母さんになったあの日、わたしは自分に誓ったはず。この先も、母親としてたくさんの困難に当たるだろうけれど、何度でもスタート地点に立ち返って、この場所からやり直そう。迷いながら悩みながら、母がわたしにしてくれたように。読書日記 ブログランキングへ
2014.11.19
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上橋菜穂子『鹿の王』読了。ああ、なんて面白いんだろう!ページをめくる手が止まらない。少しずつ、大切に読み進めるつもりだったのに、上下巻あっという間に読んでしまった。「守り人シリーズ」や「獣の奏者シリーズ」で、私たちの前に壮大な異世界を描いてみせてくれた上橋さんが、今度は一体どんなテーマを選ぶのだろうと思っていたら、うーん、そう来たか!という感じ。期待を裏切らないスケール観と、考えぬかれた緻密な世界観。どのひとりも余すことなく徹底的に掘り下げられた登場人物のリアリティ。世に「面白い」小説は数あれど、「いつまでも読みつづけたい。この世界から出たくない」と思わせてくれる一冊との出会いは滅多にない。もちろん最後は号泣したけど、物語に感動して泣いているのか、ヴァンやホッサルとの別れが悲しくて泣いているのか、自分でもわからない。 *ああ、遠いなあ。目指す頂は遥か頭上、雲海の彼方にある。生きている間に、たどり着けるかどうかもわからない。それでも、行かなければならない。理由はわからない。物心ついたときから、それだけがただひとつの夢だった。あまりにも強く思いすぎて、叶わないことがこわくて身動きできないほど。「もっと楽な道を選んだっていい」と自分をだましても、その答えに自分が納得しないことは、自分自身がいちばんよく分かっている。死ぬほどこわいけど、頂上からの景色を見たいなら、自分の足で登るしかない。山を登るときと同じだ。息が苦しくても、不安でも、一歩ずつ、順番に足を前に出して行けば、必ずその場所にたどり着ける。 *中腹の休憩所に着いたら、深呼吸して、もう一度最初から『鹿の王』を読もう。そのときの自分に必要な言葉に、きっと出会えるはずだから。読書日記 ブログランキングへ
2014.10.06
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秋分の日を過ぎて、暦の上では秋ですね。こちらは、まだまだ暑い日が続いています。みなさまは、いかがお過ごしですか? *午前中の予定がぽっかり空いた今日は、ヨガ教室の後、美術館に行ってきました。天井が高く、内部の曲線がやわらかく、展示室もゆったりしたつくりで、素晴らしい美術館!しかも、人が全然いない!!(今日は、わたしのほかにもうひとりしかお客さんがいなかった。静寂の中でゆっくり作品と対話できるのはもちろん最高の贅沢だけれど、こんなにいいところなのにもったいないなあ) *内間安瑆(うちま・あんせい)という版画家は、今日まで知らなかった。沖縄にルーツを持つ、カリフォルニア生まれの作家なのだそう。晩年の「Forest Byobu」のシリーズがよかった。繊細なグラデーションがとても綺麗で、絵の前に立つと心が落ち着く。この人の版画、好きだなあ。ヨガの後だったから、余計にすっと色彩が心に入ってきたのかもしれない。 *ゆっくり呼吸すると、自分を取り巻く景色や、時間の粒子が細かくなる。両方の足が、しっかり大地とつながっている感じがする。毎日長い時間ものを書いていると、わたしの本体が言葉の森に迷い込んで、ふわふわ空中を歩いているような状態になる。だからときどき、ちゃんと地面につなぎ直すことがとても大切。たとえば静かに息を吐くとか、子どものあたたかい手をぎゅっと握るとかして。
2014.09.25
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また、雨が降り出した。空が暗くなってきたと思うと、大きな雨粒が落ちてきて、5分と経たないうちに、夏休みのプールの底が抜けたようなスコールになる。そしてまた、降り出したときと同じように唐突にやむ。さーっと空が明るくなり、生命力の強い植物たちが露をつけてきらきら光っている。車で走っていると、雨雲の境目―ここまでは地面が濡れているけれど、この先はからからに乾いている―を通ることもたびたびだ。毎日、そんな調子だから、出かけるときは、洗濯物を外に干せない。外に干しても、常に湿度が高いから、日差しが強いわりに、案外すっきり乾かない。思うぞんぶん洗濯がしたいものだなあと思っていたら、ちびくまが「おかあさん、これよんで」と絵本を持ってきた。さとうわきこ『せんたくかあちゃん』せんたくかあちゃんは、せんたくが大好き。「きょうもいいてんきだねえ」と言いながら、家じゅうの服や靴やカーテン、動物や子供たちまで、ふというででごしごし洗ってどんどん干してしまう。そして、一言。「せんたくものをほしたあとは ラムネのんだみたいにすっきりするねえ」そんなせんたくかあちゃんのところに、ある日うすよごれたかみなりさまが落ちてきて…というお話。さとうわきこの絵本は、子どものころから大好き。せんたくかあちゃんも、ばばばあちゃんも、自由奔放。そして豪快。「大人はこうあるべき」なんて思い込みは最初から突き抜けて、時には子どもたちよりのびのびと遊んでみせる。どちらかと言えば、大人の目を気にして、「こうあるべき」という思い込みが行動の基準になっているような子どもだったから、正反対の場所にいるせんたくかあちゃんに、余計憧れたのかもしれない。三つ子の魂百まで。絵本が擦り切れるまで読んだところで、突然強くて大らかな母ちゃんになれるはずもなく、いたずらざかりの息子を追いかけ回すガミガミ母ちゃんになったわたしだけれど。絵本を読む時間だけは、幼稚園のピアノの陰で本を読んでいたちびの女の子に戻って、ちびくまと一緒に物語の世界をたっぷり冒険することにしている。こうして一緒に絵本を読んだ時間のかけらが、ちびくまの心のどこかに残って、いつか、どこかで彼の助けになるといい。わたし自身が、そうやって何度も、数えきれないほど本に助けられてきたように。「おかあさん、えほんよんで」の時間を、あと何回、ちびと持つことができるかな。読書日記 ブログランキングへ
2014.09.05
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いつも、透き通った涼しげな声を聴かせてくれる鳥の名前が知りたくて、軒先に来ているところをそうっと観察する。頭は青くて、おなかが赤い。調べたら、「イソヒヨドリ」というのだそう。島ではスズメのようによく見られる鳥なんだとか。どうやら近くに巣があるようで、つがいで愉しげに鳴き交わす姿をたびたび見かける。島には大きな虫がたくさんいるよ、と言われて、虫が苦手なわたしはとても怯えていたのだけれど、家の近所であまり見かけないのは、きっと、この鳥のおかげ。ありがとう、イソヒヨドリ。 *昨晩は、玄関先で初めてヤモリに会った。虫は苦手だけど爬虫類はわりと好きなので、ヤモリが出ると聞いて楽しみにしていた。トカゲは見たことがあるけど、ヤモリは初めて。白く透き通って、きれいな体をしている。触ったら、きっとひんやりして気持ちがいいだろう。「家守」というくらいだから、家を守ってくれているにちがいない。よろしくお願いします、とあいさつしたら、しゅるしゅると素早い動きで物陰に隠れてしまった。けれど、今日は一日、外に出るたび同じヤモリに会ったから、たぶん新入りとして認められたんだろう。 *「見るもの聞くもの、なんでも素敵!南国最高!ばんざい!」という観光客的ハイテンション期を過ぎて、慣れない土地での暮らしに困難を感じる「抵抗」の時期に入った。子どものころから、ひとつの土地に落ち着くことの少ない根なし草の人生なので、この感覚もいつものこと。この時期を上手にやり過ごせば、やがて「適応」期に差しかかり、少しずつ生活のペースができてくる。「抵抗」期は神経過敏になり、少しのことで腹が立ったり、悲しくなったり、自信を失ったりする。 *そんなとき、窓の外に、見上げるべき大きな空があると、本当に救われる。雪国にいたときは、勝手口を開けると、息をのむような美しい夕焼けが見えた。(思い出すだけでなつかしくて泣きたくなる。何かに抱きとめられるような、本当にきれいな空だった)そしてこの街の空は、海を抱いている。くたびれても寂しくても落ち込んでも、少し車を走らせればそこに海がある、というのは、健全な心身をたもつためにすごく効果的だ。ぽかんと口を開けて、海の蒼と、空の青を見比べていたら、あの詩のことばが思い浮かんだ。空の青さをみつめているとわたしに帰るところがあるような気がするだが雲を通ってきた明るさはもはや空へは帰っていかない谷川俊太郎「62のソネット」、41番。たしか、以前にもこの詩のことをブログに書いたことがあったような…と探したら、7年前、くまと結婚して、雪国に引っ越したばかりの頃だった。☆2007年10月9日の日記読み返したら、今と大して変わらないことを考え、変わりばえのしないことをやっているので、可笑しくなって笑ってしまった。ということは、この島を離れるころ、わたしはきっとこの街を大好きになっていて、「離れたくないよう」と言ってまためそめそするんだろう。そうやって、地球のあちこちに大好きな場所が増えていくのだとしたら、根なし草の暮らしもそうわるくない。読書日記 ブログランキングへ
2014.08.22
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この夏から、南の島で暮らすことになりました。新しい暮らしに慣れるには少し時間がかかりそうですが、ここはとてもいいところ。朝、目が覚めると、本州では聞き慣れない鳥の声がする。海からの強い風が吹くと、生命力の強い植物たちが、応えるようにざあっと揺れる。海まで、車で15分。「ちょっと、海でも行ってこようか」とふらりと出かけ、足だけ洗って帰ってきて、家でゆっくりシャワーを浴びられるような距離です。今日は、ちびと一緒に砂浜で珊瑚のかけらを拾って、手のひらに収まりのいいものをいくつか家に連れてきました。『海からの贈物』のアン・モロウ・リンドバーグに倣って(彼女の場合は貝殻ですが)、ときどき珊瑚を手に取りながらこの文章を書いています。 *あわただしい引っ越しの最中、ふわふわしがちな気持ちを鎮めるように、毎日少しずつ大切に読んでいた本。最相葉月『セラピスト』。新刊が出れば必ず追いかけている文筆家、最相葉月さんが、今度は心の病の治療とカウンセリングをテーマにすると知って、これは必ず読まなければ!と思っていた。読みはじめて2ページ目、中井久夫先生の名前を見つけて「あっ」と思う。神戸で仕事をしていたとき、阪神大震災のことを調べる中で中井先生の著作に出会い、その静かな語り口にひかれ、知識のためというよりは、むしろ自身の精神安定のために、随筆を読むことを楽しみにしていた。それから、河合隼男先生の箱庭療法。そして、『夜と霧』の翻訳者として知られる霜山徳爾先生の名前も。めくるめく豪華な登場人物に、読み進めながらくらくらとめまいがする。心理学に関する本をむさぼり読んでいた、10年くらい前の記憶がよみがえる。歯車が噛み合わなくなるように、日々のいろいろなことがうまくいかない気がして、バランスを崩していた時期があった。カウンセリングも、絵画療法も経験がある。ロールシャッハも、バウムテストも知っている。遡れば子供時代に、箱庭療法を受けたこともある。井戸の底で膝を抱えて、丸く切り取られた青空を見上げるような感覚で、生きていたように思う。外の世界に救われる方法を探してじたばたしたけれど、最後に結局、自分の心と向き合って生きていくしかないという結論に達した。いいところも、しょうもないところもたくさんある、この心。『セラピスト』に登場する治療家たちは、全身全霊人生をかけて、しかし臨床の現場ではあくまでさりげなく、クライエントに寄り添い、彼らの心と真摯に向き合っていく。最相氏の端正な文章でその営みを読んでいたらなんだか泣けてきて、あのころの自分まで救われるような気がした。 *大きな環境の変化や、心身に無理を強いなければならない状況が続いて苦しいとき、祈りのように唱える言葉がある。『セラピスト』の内容からは少し離れてしまうけれど、読み終えた後最初に思い浮かんだその言葉を、引用してみたいと思う。「孤独は長くつづいた愛のように、時とともに深まり、たとえ、私の創造する力が衰えたときでも、私を裏切ることはないだろう。なぜなら、孤独に向かって生きていくということは、終局に向かって生きていく一つの道なのだから」(メイ・サートン『海辺の家』より)読書日記 ブログランキングへ
2014.08.16
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写真家、林典子さんのインタビュー記事を担当させていただきました。☆キルギス『誘拐結婚』の真実 林典子さんインタビュー(上)☆『誘拐結婚』を通じ、女性の幸せを考える 林典子さんインタビュー(下)林さんは、中央アジアの国キルギスで行われている『誘拐結婚』という慣習を単身取材した、新進気鋭のフォトジャーナリストです。彼女の魅力が伝わる記事になるよう、一生けんめい書きました。ぜひ、読んでいただけたらと思います。そして、林典子さんの写真集『キルギスの誘拐結婚』を、お手にとってみてください。センセーショナルな題材からは意外なほど、美しい本です。読書日記 ブログランキングへ
2014.06.27
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『だれも教えてくれなかった ほんとうは楽しい仕事&子育て両立ガイド』という本を読む。著者は、保育園へのお迎えつき夜間保育&学童保育所あっとほーむ(晩ごはんを食べ、お風呂に入ることもできるそう!)を運営する小栗ショウコさんと、松蔭大学で女性のキャリアについて研究しながら、仕事と子育てを両立してきた田中聖華さん。スーパーウーマンじゃない、ごくふつうの女性が育児と仕事を両立していくための、肩の凝らないアドバイスがたくさん紹介されていて、「ほっ」とする内容。最後の章、放課後の長い時間を「あっとほーむ」で過ごしてきた子どもたちの「あっとほーむはどんなところ?」という質問の答えが、泣けた。「しつけもしてもらった。小栗さんはあきらめない。言うことを聞かなくても、ダメなことは、ダメだとわかるまで、ずーっと教えてくれた人。」家族のほかに、本気で自分を思ってくれる人がいると感じながら育った子どもは、社会に出ても人を信じられるだろうし、困った人に手を差しのべることができる大人になると思う。それから、このくだり。「子どもがママに求めるのは、笑顔でぎゅ~っと抱きしめてもらい、今日1日の出来事をゆとりを持って聞いてもらうことです。たまにはスーパーで買ったお惣菜でもいいし、納豆ご飯だけでもいいんです。1日くらいお風呂に入らなくても、それでママが笑顔で自分の話を聞いてくれる時間ができるなら、子どもにとってこれほど嬉しいことはありません。」できないことを数えてイライラするとき、わたしはたいてい子供の顔を見ていない。そんな母親を、息子は心配そうな顔でじっと見守っている。「お母さん、大好き」と言ってくれることもある。それはたぶん、お母さんの笑顔が見たいから。完璧じゃなくてもいい。部屋が多少汚くても、ごはんのおかずが一品少なくなってもいい。子供の顔を、ちゃんと見よう。「今日は何をして遊んだの?」って話しかけよう。それができないくらい追いつめられているときは、誰かに助けを求めよう。声を上げれば、助けてくれる人は必ずいる。そんなことを、あらためて思わせてくれる本だった。読書日記 ブログランキングへ
2014.06.26
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ふだん、ミステリは滅多に読まない、観ないのだけれど(ポリシーがあるわけじゃなく、ただ単に血がこわいだけ)、きっかけがあって、国内外のハードボイルド小説をいくつか読む。日本の小説でしびれたのは、大沢在昌『新宿鮫』映像的で、ドライブ感抜群、カタルシスもあって、爽やかな読後感。そしてレイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』。中毒性のある独特の文章を読み進めながら、何度も頭を撃ち抜かれるような衝撃を覚える。なんだ、このかっこいい小説は!フィリップ・マーロウの魅力は言わずもがなだけれど、テリー・レノックスの描写が抜群。あとがきで村上春樹が書いている通り、ギャッツビーを想起させる哀しさと儚さ。仮にも「本読み」を自称しながら、こんなに面白い小説を30年も見逃してきたなんて、自分のばかばかばか!!そして、遅ればせながらようやく気づく。優れたミステリ作家は、暴力や殺人を描きたくて小説を書くのでなく、「ミステリ」というジャンル(制約)の中で、自分が小説家としてやりたいことを実現するんだ。たとえばチャンドラーの文体実験のように。そこで「制約を生かす」という前回のエントリーに思考がつながる。これは、どうやら当面のテーマになりそうな予感。読書日記 ブログランキングへ
2014.06.25
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最相葉月『仕事の手帳』を読む。ノンフィクションライターの最相葉月さんが「仕事の心得」や、聞くこと、書くこと、読むことについて語った随筆や書評が収められた一冊。『絶対音感』『星新一』に衝撃を受けた最相ファンとしてはもちろん、ライターとしても、学ぶところが多い。星新一を例に、制約によって羽ばたく創造力について書かれた『制約を生かせますか』という文章が、心に残った。書く仕事をしていく上で、手もとに置いて、たびたび読み返したい本。読書日記 ブログランキングへ
2014.06.24
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「flier(フライヤー)」という本の要約サイトで、記事を書かせていただくことになりました。 読みたい本はたくさんあるけど、なかなか時間がなくて…という方のために、4000字程度でビジネス本の内容を要約、購入前に「試食」ができるユニークなサイトです。私が今回担当した『小さなチーム、大きな仕事』という本の要約は有料会員のみの閲覧ですが、無料会員でも、リード部分はお読みいただけます。このほかにも、無料会員向けに、常時20冊程度の要約が掲載されているので、興味のある方は登録してご覧になってみてくださいね。読書日記 ブログランキングへ
2014.06.10
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少し前ですが、日経ウーマンオンラインというサイトで、本のおすすめ記事を書かせてもらいました。☆GW、旅するように読む厳選5冊の本☆GW、じっくり向き合う厳選本5冊選書から任せていただいて、本当に楽しいお仕事だった!大好きな本をみんなにおすすめしたくて、長い間ここでほそぼそと書きつづけてきたことが、こんな形で実を結ぶ日が来るなんて、夢にも思わなかったなあ。いつも見てくださっている方、本当にありがとう。あなたのおかげで、わたしの夢がひとつ叶いました。これからも、どうぞよろしくお願いします。読書日記 ブログランキングへ
2014.05.19
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長めの休暇をとって、1週間、ハワイに行ってきました。毎朝、ベランダにやってくる鳥のさえずりで目が覚めて、ビーチで一日を過ごし、部屋に帰ってきて、夜景を眺めながら地ビールを飲む幸せな日々。知らずに慌ただしく過ぎていた時間の流れが一度リセットされて、いいにおいのする南国の風が、体の中に吹きつづけている。久しぶりにわが家に帰ってきて、目についたのが、台所と居間の間に立てていたチャイルドゲート。狭い家を、自分でますます窮屈にしているのがばかばかしくなって、思い切って外してしまった。家の中の風通しがよくなり、何だか住みやすくなったみたい。ちびくまも、心なしか生き生きしている。もちろん、ちびのいたずらには気をつけていなきゃならないんだけど、そのストレスは、思っていたよりもずっと小さくて、気持ちがのびのびする効果の方がうんと大きい。ちびは、今まで間近で見られなかった台所仕事に興味を持って、昨夜は、わたしがホームベーカリーに材料をセットする様子をじーっと観察し、「パン、できるかな?」とわくわくしながら就寝。朝起きると同時に台所へ走ってきて「パン、できた!?」と目を輝かせていた。小さな壁ひとつだけど、わたしが自分の気持ちの中につくっていた壁の象徴だったんだな、と気づかされた出来事。ハワイよ、ありがとう。
2014.05.18
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満開の桜は、何だか光っているみたいな感じがする。桜にかぎらず、花は何でも。咲いている時間の中でも、光って見えるのはほんの一瞬だ。来年の桜は、どこで見ることになるのだろうなあ。
2014.04.08
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週末、高校の同窓会に行ってきました。卒業以来、初めての開催。女子高だったから、女の子(?)ばかり25人!顔を見て、話しはじめたら、15年の時間があっという間に吹き飛んで、高校生に戻ったみたいだった。楽しかったなー。話しすぎて、笑いすぎて、声が枯れた。みんなと過ごした濃密な時間が、今の自分の根っこを作っているなあとあらためて。また会える日まで、わたしはこの場所でがんばろう。 *「シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々」読む。あちこちで賞賛の書評は目にしていて、でも、シェイクスピアの名を冠したタイトルから、教養がないと読み進めるのが難しいタイプの小説かしら…と勝手に敬遠していた。ああ、もったいないことをした!もっと早く読めばよかった!!語り手は、血なまぐさい事件専門の(元)新聞記者!この時点でかなり感情移入。友達になった泥棒の秘密を暴露したせいで脅迫され、パリに逃げてきたばかり。そこで出会ったのが「物書きなら誰でもタダで泊まれる」シェイクスピア&カンパニー書店というわけ。ひと筋縄ではいかない連中が集まるその本屋で、誰よりも強烈な個性を放っているのが、店主のジョージ。奔放で、冒険好き、少年のように恋をして、何よりも本を愛している魅力たっぷりの人物。まるで小説の主人公みたいな!この人物が、シェイクスピア&カンパニー書店と共に実在するというのだから、今すぐセーヌ左岸に飛んでいきたくなる。シェイクスピア&カンパニー書店に集う人びとは、世間の常識の枠から少しばかりはみ出しているけれど、繊細さや情熱、人生への夢を大切に抱いていて、大さわぎの毎日の中に、ひとしずくの切なさと優しさがある。どんなに楽しくてもいつかは幕が下りてしまう、ちょうどシェイクスピアのお芝居を観ているような感じ。ラストシーンも秀逸で、期待を裏切らないあたたかな読後感を残してくれる。本好きならもちろん、そうでなくともきっと優しい気持ちになれる、現代のおとぎ話。読書日記 ブログランキングへ
2014.03.17
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ちびをくまに託し、ひさしぶりのコンサート。武満徹ソングブック・コンサート@東京文化会館小ホール。この日を楽しみに一週間がんばってきたのです!文化会館、小ホールは初めてだったけれど、広すぎずこじんまりした雰囲気で、シンプルな照明も親密な感じを引き立ててすごくよかった。武満徹と言うと、前衛的な現代音楽のイメージが強いけれど、本当にきれいなメロディをたくさん描いた人だったのだとあらためて。冒頭、アンサリーさんの「めぐり逢い」に泣く。この人の声は、いつも身体のいちばん深いところにまっすぐ入ってくる。おおたか静流さん、ちびくまと一緒にいつも「にほんごであそぼ」で見てるけど、生で聴くの初めて。すごい迫力!伸びやかな声にうっとり。「島へ」でおおはた雄一さんがギターを持っていなかったからハラハラ?したけど、二回目の登場でショーロクラブ笹子重治さんとのミニセッションが聴けて、幸せ。後半、松田美緒「ワルツ〜他人の顔」→おおたか静流「三月のうた」→アンサリー「死んだ男の残したものは」の流れが圧巻だった。松田美緒さん、初めて聴いたけど、一編の映画を観たようなドラマティックな歌いぶりに、すっかりファンになってしまったわ!そして谷川俊太郎さん。お茶目でかわいらしい方だった。静かな語り口の端々に、生前親交があり、作詞も手がけている武満徹の音楽への愛が伝わってくる。音楽と言葉が溶け合って、分かつことのできないひとつの世界をつくる。いつまでも聴いていたかったけれど、楽しい時間はあっという間。いい夜だったなー。夜が明けた今も、身体の中に響きが残っていて、いつもより時間の密度が濃い感じ。こうして、素敵な音楽を生で聴ける機会が多いのは、都会に暮らしていいことのひとつ。ショーロクラブ with ヴォーカリスタス/武満徹ソングブック読書日記 ブログランキングへ
2014.03.09
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岩城けい『さようなら、オレンジ』読む。優れた小説というのは、きまって、「この作者はなぜわたしのことを知っているんだろう」「これは自分のために書かれた物語だ」と思わせてくれる。『さようなら、オレンジ』もそんな作品。舞台はオーストラリア。アフリカから逃れてきた難民のサリマ。夫に逃げられ、スーパーで肉を捌く仕事をしながら、ふたりの男の子を育てている。研究職の夫と共に、日本からやってきたハリネズミ。まだ言葉も話さない子どもを抱え、異国でひとり孤独と闘っている。職業訓練校の小さな英語教室で、ふたりは出会う。初めはお互いを異質な者と認識し、距離を保っているが、ある出来事をきっかけに、深く関わるようになる―― *読み進めながら、ハリネズミはわたしだ、と思った。仕事も友達も、夫以外に親身になってくれる身内もない土地で、ひとりぼっちという言葉の意味を知った日。乳飲み子が生まれ、眠ることも思うままにはならない日々の中、自分にないものばかり数えてじりじりと灼けるような焦りを感じた夜。子どもがいても、いなくても、迷い悩みながら生きている女性なら誰でも、サリマやハリネズミに共感できるんじゃないだろうか。読者の数だけさまざまな読み方を許す重層的な小説だと思うけれど、わたしは図書館のシーンがぐっときた。言葉が違っても、生まれた場所や育った環境が遠く隔たっていても、人は分かり合い、繋がることができる。そのことを思い出させてくれる、力強い物語。読書日記 ブログランキングへ
2014.02.08
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内田洋子『ジーノの家』読む。イタリアでジャーナリストとして活躍する著者が綴る、10編のエッセイ。どれもこれも、ため息が出るほどうまい。そして最高にかっこいい!上質な短編小説のような読後感。イタリアを描いた日本の作家といえば、まず思い浮かぶのは須賀敦子。須賀敦子のイタリアが、文学の香り漂う石畳の街並とすれば、内田洋子のそれは、暗黒街ありファーストフード店ありの雑多な都会。イタリアの今を生きる人びとの息づかいが伝わってくるような、生き生きした筆致だ。特に心に残ったのは、著者が恩人の病気見舞いに訪れたナポリでの出会いを描いた「初めてで、最後のコーヒー」。ゴミ回収業者のストで、街中ゴミの山と化したナポリに降り立った著者は、タクシー運転手に騙されかける。けれどここからが内田さんのすごいところで、自分を騙そうとした運転手の心をつかみ、とっておきの場所へ案内してもらうのだ。そしてこの短編の、ラスト五行が最高にかっこいいのです!読み終えた後、しばらく動けなくて、本の間に指を挟んだまま、目を閉じてしばらく余韻に浸っていた。小説よりも小説みたいな現実が、この世界には確かにあるのだ。読書日記 ブログランキングへ
2014.01.07
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明けましておめでとうございます。お正月休み、ゆっくり過ごせましたか。わが家はクリスマスを熱海で過ごし、年末はくま両親とスパリゾートハワイアンズで南国気分を満喫。お正月はわたしの実家に帰省してきました。すっかりおしゃべりが上手になったちびくまは、旅のあいだ中「なんかたべたいなあ」を連発。おじいちゃんおばあちゃんに、好物の果汁グミと野菜ジュースをもらってご満悦でした。個人的には、昨年中の出会いが芽吹いて、いろいろと新しいことが始まりそうな予感。のんびりと、移り変わる景色を楽しみながら、歩いていきたいと思います。2014年最初の読書は、高山なおみ『気ぬけごはん』。『暮しの手帖』連載のエッセイ&レシピをまとめたもの。高山さんのレシピにはひとつずつストーリーがあって、作り手の人生や、そのときの気持ち、窓から見える景色まで、全部がひと皿に載っている。まっさらな鼻と舌で感じたあれこれをありのまま綴った文章は、武田百合子さんに通じるものがあると思う。高山さんのレシピを読むと、とにかくお腹がすく。日々ごはんを食べるということは、食べ物が持つ有形無形のエネルギーを体に取り込み、生きる力に変えること。目に見えないエネルギーをつかまえるコツが、本書のいたるところに散りばめられている。「気ぬけ」のレシピから、まずは冷蔵庫に残ったお正月のハムで、ミネストローネを作ってみようかな。読書日記 ブログランキングへ
2014.01.05
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アンサリー『森の診療所』を読む。アンサリーさんは、シンガーでお医者さん。ふたりの女の子のお母さんでもある。透明感のある涼やかな歌声そのままに、本書に収められたエッセイも、コップに満たした甘い湧き水のように、じんわり体に染み込んでくる。子どもたちが野山を駆け回れる環境をもとめて、山のそばに引っ越したというアンサリーさんの、自然と共にある暮らし。病院で働き、週末は歌をうたい、子どもがふたりいるなんてどんなにか忙しいだろう…という想像とはうらはらに、彼女を取り巻く時間の流れはとてもゆったりしている。することがたくさんあるから忙しいんじゃない。情報に埋もれて、自分の内側の心地よいリズムを忘れているから慌ただしく感じるんだな。最後に立ち止まって空を見上げたのはいつだろう。雪国に住んでいたころ、散歩中に出会った見知らぬ花の名前を調べるのが楽しみだったっけ。1年とすこしの都会暮らしで忘れかけていた大事なこと、この本に思い出させてもらったみたい。「子供という存在もまさに自然そのもの」という記述にも、はっとした。森を歩くとき、次の予定を気にしながら、うつむいて大急ぎで歩く人は、あまりいない。鳥の声や川のせせらぎ、香ばしい木の香り、木漏れ日が作り出す模様。五感をいっぱいに使って森を感じながら、ゆっくり歩きたいと思うはず。子どもと接することも、たぶん同じなのだ。「汚れるからだめ」「早くして」「ちょっと待ってね」口ぐせのように繰り返すたび、大切な贈りものを、指のあいだから取りこぼしていたのかもしれない。遠くの雄大な自然に憧れるのもいいけれど、まずはいちばん身近にある小さな自然、子どもとの時間を抱きしめることから始めよう。エッセイと一緒に届いた同じタイトルのCD『森の診療所』の、やさしく、どこかなつかしい歌声を聴きながら、そんなことを思った。 *CDの情報はこちら「おおかみこどもの雨と雪」主題歌「おかあさんの唄」、「満月の夕」、小田急ロマンスカーのCMソングなど盛りだくさんの内容で、ファン必聴!読書日記 ブログランキングへ
2013.12.15
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クリスマスシーズンがやってくると、かならず読みたくなる絵本。クリス・ヴァン・オールドバーグ作、村上春樹訳、『急行「北極号」』わくわくして、なかなか眠れなかったクリスマスイブの夜、クリスマスの朝、いつもより早起きして、プレゼントの包みを見つけたときのときめき。「北極号」は、子どものころの気持ちを、昨日のことのように鮮やかに思い出させてくれる。なんと言っても、オールドバーグの絵が美しい。奥行きがあり、今にも動き出しそうで、けれど、現実とはどこか違う、ふしぎな夢の世界。1枚ずつの絵を、いつまで眺めていても飽きない。どの絵も、あたらしい物語が始まりそうな予感に満ちている。ちびくまがもう少し大きくなって、「サンタクロースはいるの?」と聞かれる日が来たら、この本を手わたしたいと思っている。小さな銀の鈴と一緒に。読書日記 ブログランキングへ
2013.12.06
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松家仁之『火山のふもとで』を読む。美しい小説だ。豊富な知識と教養に裏打ちされたディテール、ゆったりと、それでいてめりはりの効いたストーリーテリング、ノスタルジックな舞台設定、魅力的な登場人物。完璧な小説、というものがあるとしたら、まさに本書がそうだろうと思う。そりゃあそうだ、だってこれは、何よりも小説を愛し、誰よりも長く小説について考え続けてきたであろう松家仁之さんの、満を持したデビュー作だもの。レンガを積むように、ひとつずつ丁寧に重ねられてゆく細部。読書の喜びを存分に味わいながら、それぞれの場面に身をまかせている間、読者は自分が経験している細部の意味について気づくことはない。考えることを忘れさせるほど、文章が美しく豊かなのだ。あるところまで読みすすめ、読者はふと足を止める。自分が読んできた一ページずつが、一文の無駄もなく、ひとつのたしかな意思のもとに築かれた精緻で美しい建築物を構成していたのだと気づき、目を見張る。物語の起承転結は、主人公である若き建築家が「夏の家」で経験する四季の移り変わりと、見事に一致している。夏が過ぎ、秋が来て、やがて人生の冬を迎えた主人公が、夏の輝きを振り返る描写の美しさは、この小説の白眉だ。切なくて、ほろ苦く、しかし思いがけないほど豊かな贈りものが用意されている。編集者としてたくさんの作家を育ててきた著者の、本と物語への愛情は、たとえば老建築家が語る、こんな言葉に現れている。「ひとりでいられる自由というのは、これはゆるがせにできない大切なものだね。子どもにとっても同じことだ。本を読んでいるあいだは、ふだん属する社会や家族から離れて、本の世界に迎えられる。だから本を読むのは、孤独であって孤独でないんだ。子どもがそのことを自分で発見できたら、生きていくためのひとつのよりどころになるだろう。読書というのは、いや図書館というのは、教会にも似たところがあるんじゃないかね。ひとりで出かけていって、そのまま受けいれられる場所だと考えれば」読み終わるのが惜しい、いつまでも小説の世界に遊んでいたいと思わせてくれる本との出会いは、そうたびたびあるわけではない。こんなにも贅沢な読書の時間をプレゼントしてくれた著者に、それから、どこにいるかわからない本の神さまにも、素晴らしい本をありがとうと手を握って感謝したいような気持ち。さて。最初のページに戻って、もう一度読み返そう。読書日記 ブログランキングへ
2013.12.02
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念願の椅子を手に入れた。読書のための椅子。原稿を書くための椅子。台所仕事の合間、ほっとひと息つくための椅子。この先も、当分借り暮らしが続きそうなわたしたち。大きな椅子はかさばるから、今まで、座るたびにぎしぎしいう折り畳みの小さな椅子に体を押し込めて、読んだり書いたりしていた。けれど、椅子に座って過ごす時間がしだいに長くなり、居心地のいい椅子を探していて、ひょんなご縁からわが家にやってきたのが、天童木工の図書館の椅子。以前、働いていた図書館にあって、とても座り心地よかったのを覚えていた。いよいよわが家に届いて、包装を解き、そっと腰かけてみる。おお、なんという心地よさ!背中から足にかけて、すっぽりと包みこまれるよう。座るだけで、腰がぽかぽかあたたかく感じるのはどういうわけだろう。背もたれに体を預けて本を読むのはもちろん、長時間の原稿書きにも、ちょっと座ってお茶を飲むときも、「やあ、おかえり。待っていましたよ」という感じで、やさしく受けとめてくれる。欠点があるとしたら、居心地がよすぎて立ち上がりたくなくなることくらい。長田弘『読書からはじまる』の中に、「読書のための椅子」という章がある。「自分の椅子を自分で手に入れる。どんな椅子でもかまわないのです。それが自分にとって自分の椅子と言えるものであれば。そうすれば、ミュージシャンが自分のギターを手に入れることによって自分の音楽を手に入れるように、本読む人も自分の椅子を手に入れたら、自分の読書を手に入れることができるかもしれない。」この文章に出会ってから、「自分の椅子」を探し続けていたけれど、ようやく、これこそ自分の椅子と感じる椅子に出会うことができた。さて。わたしの椅子に腰かけて、今夜はどの本を読もうか。読書日記 ブログランキングへ
2013.11.30
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毎冬恒例、柚子ジャム作り。寒い夜、熱い紅茶にいれて飲むのが好き。 *『上野千鶴子〈おんな〉の思想 』を読む。温度の高い書物だ。論文、あるいはエッセイと硬軟自在に文体を変える著書の本をたくさん読んできたけれど、上野千鶴子がこんなにも自分を開示している文章は今までなかったんじゃないだろうか。日本の女性学、フェミニズム研究のパイオニアであり、現在も最先端を走りつづける上野千鶴子。その思想を形づくってきた古今東西の書物たちを、著書自身が解説した一冊。強く影響を受けた本について語ることは、もちろん、自分自身について語ることだ。たとえば本書の冒頭に置かれた、森崎和江『第三の性』の解説。「戦争に負けた後……朝鮮からの引揚者だった森崎は、これまで男たちが使ってきた、どんな手垢にまみれたことばにも頼るまい、と決意した」あるいは著者が、水田宗子に面会した際心に残ったという、水田のこんな言葉。「友人がねえ、わたしの論文のなかに、少しもわたしが出てないって怒るのよ。わたしは、こんなに自分をさらけ出しているのにねえ」これらの文章を、まるで上野自身の経験のように感じてしまうのは、深読みしすぎだろうか。著者が言葉の力を信じて、渾身の力で後進に手わたしたバトン、とわたしはこの本を受け取った。「しっかりしなさい!」と先人たちに背中を叩かれ、あるいは励まされ、不安でもおぼつかなくても、とにかく自分の足で一歩を踏み出そうと思わせてくれる一冊。読書日記 ブログランキングへ
2013.11.27
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子どもの足は、あっという間に大きくなる。昼間、走り回っているときは意識しないけど、夜、無防備に足を投げ出して眠っているのを見ると、「いつの間にこんなに大きくなったんだろう」とびっくりする。初めて自分の足で立ち上がった、最初の一歩を歩きはじめた日が、ついこの間のような気がするのに。わが家では、靴を買い換えるのはお父さんの役目。日々ちびの後を追いかけるのに夢中で、昨日までぴったりだった靴が小さくなっていることに、お母さんはちっとも気づかないのだ。こうやって、一生けんめい追いかけて、追いつけないまま、いつか手の届かないところへ行ってしまうんだろうな。自然のなりゆきだし、そうなってくれないと困るんだけど、もちろん。小さくなった洋服や、履き古した靴を捨てられないのは、自分や誰かのところに男の子が生まれたらもう一度使うかもしれない…という理由だけじゃない、たぶん。ちびくまが大人になるまでに、わたしたちは、あと何足の「あたらしいくつ」を彼にプレゼントできるだろう。読書日記 ブログランキングへ
2013.11.25
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本日のおさぼり晩ごはん。 高山なおみさんレシピの焼きトマトごはん。ときどき、無性に食べたくなるのです。 *音楽家のエッセイを読むのが好き。華やかなステージで、非日常の夢を見せてくれる「選ばれし天才」の日常を垣間見たいというミーハーな気持ちがひとつ。芸術家の感性のフィルターを通すと、世界はこんなふうに見えるのかという純粋な驚きもある。青柳いづみこ『我が偏愛のピアニスト』青柳いづみこさんは、ピアニストで文筆家。敷居が高いと思われがちなクラシック音楽の世界を、専門知識のない読者にもわかりやすく解きほぐして伝えてくれる。本書は、青柳さんが個人的に惚れ込んだピアニストに取材して、その魅力にせまるインタビュー集。ピアニスト同士だからこそ聞ける繊細な表現のお話が、とてもおもしろい。ピアノが弾けない私でも、コンサートでステージに立つってこんな感じかな…と想像しながら十分楽しめるわかりやすい文章。音楽とピアノ、何より個性豊かなピアニストたちに対する著者の熱い思いが、乗り移ってくるよう。読みすすめるうち、ページから音楽が聴こえるような感覚におそわれる。文中で紹介されている名曲たちを、本書のエピソードと共にあらためて聞いてみたくなる、ピアノ音楽入門としても最適な一冊。 *音楽家の名エッセイと言えば、左手のピアニスト、舘野泉さんの『ひまわりの海』。過去記事(2008.11.19)彼の音楽と同じように、透明で、しずかな気持ちになる美しい文章。読書日記 ブログランキングへ
2013.11.21
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今日、あなたは空を見上げましたか。「うつくしい」と、あなたがためらわず言えるものは何ですか――。詩人•長田弘さんと、画家•いせひでこさんの絵本『最初の質問』。足を止めて目を閉じて、来た道を静かに振り返りたくなるような質問が、やわらかな色彩の挿絵と共に並んでいる。言葉が絵を引き出し、絵の上に言葉が憩う。詩と絵画の幸福な出会い。絵本って素敵だなあとあらためて感じさせてくれる一冊。ひとりの時間に、窓を開けておいしいお茶をいれて、ゆっくり読みたいなあ。贈りものにもおすすめ。 *長田弘さんの詩集は『人はかつて樹だった』がいちばん好き。神社で大きな樹を見つけると、つい手を触れずにいられない方なら、きっと気に入ってもらえると思う。過去の記事『人はかつて樹だった』(2009.12.30) *いせひでこさんは、どの絵本もそれぞれよさがあって好きだけれど、一冊挙げるなら『ルリユールおじさん』子どものころページがすり切れるまで読んだ、なつかしい本のことを思い出す。過去の記事『七つめの絵の具』(2010.08.23)読書日記 ブログランキングへ【送料無料】
2013.11.19
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川上弘美『なめらかで熱くて甘苦しくて』読む。生と死のあわいにたゆたう人びとの物語。風邪をひいた熱っぽい頭でページをめくったのが、夢の論理で紡がれた文章にちょうど馴染む感じ。人が頭で考えて構成している現実は世界のほんの一部。わたしたちの体は、脳みそとは別の次元で太古の叡智をたくわえている。体の言葉に身を委ねると、時間の流れも生死も超越した、思いがけない世界の扉がひらく…というようなことを思った。体は常に、世界とひとつになることを希求していて、それが故に他者を求めるのかもしれない…とも。 *こちらの過去記事も、よろしければ。川上弘美の最高傑作のひとつと思う。『神様』『センセイの鞄』(2009.12.10)センセイの鞄読書日記 ブログランキングへ
2013.11.18
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日光へ、紅葉狩りに行ってきました。自然の中をのんびり歩いて、体も心もあたらしく生まれ変わったみたい。友達の紹介で、ときどき、書く仕事をさせてもらえることになりました。もう一度書く仕事ができるなんて、夢にも思っていなかったから、本当に本当にうれしい。書店で、自分の名前が入ったページを見つけて、ちょっと泣きそうになった。紹介してくれた友達、長いブランクがあるのに信頼してまかせてくれた先輩、家事や育児に協力してくれた夫、お利口に待っていてくれた息子、みんなのおかげで好きなことさせてもらって、感謝の気持ちでいっぱい。仕事を始めてさっそく、20代の自分が聞いたら卒倒しそうな憧れの方にお会いする機会もあり。一生けんめい生きていれば、いいことってあるんだなあ。
2013.11.03
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朝晩涼しい風が吹く季節になりましたが、皆さまいかがお過ごしですか。ちびくまはこの夏で2歳になり、「おとうしゃん」「おかあしゃん」と呼んでくれるようになりました。わたしが体調を崩したり落ち込んでいると、「なでなで」と言って頭をなでてくれる。ほんの少し前まで、おちちを飲んで泣いてばかりいた子が、いつの間にか「じぶん」と「他者」のちがいに気がついて、相手の気持ちを推し量ることができるようになる。それは本当にふしぎなことだなあと思うのです。吉田篤弘『つむじ風食堂と僕』読む。『つむじ風食堂の夜』、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』、電子書籍『レインコートを着た犬』に続く、月舟町の物語、番外編。今度の主人公は、サンドイッチ店「3(トロワ)」店主の息子、12歳のリツくん。彼が路面電車に乗って、月舟町のつむじ風食堂に通い、大人たちに問いかける。「あなたは、どんな仕事をしているんですか?」なんでも売っている文房具屋さん。救急病院の当直医の心意気で、コンビニで働くお兄さん。オレンジ色にひかれた果物屋さん。吉田篤弘さんの描く「働く大人」は、とても魅力的。何がかっこいいって、ぜんぜんバランスがとれていないところがいい。バランスをとろうなんて、はなから思ってもいない。宇宙の片隅に自分の場所を見つけて、そこで自分にできることを、淡々と黙々と、時にはこだわりを持って、うんと偏りながらつづけている。働くことって、つまるところ居心地のいいかたちに「偏る」ことなんじゃないかと思うくらい。つむじ風食堂でリツくんに出会ったら、今の自分に何が言えるだろう、と考えてみる。それはつまり、未来のちびくまに、働くということについて何が言えるか、ということでもあるんだけど。この本をひらく前なら、きっと、お母さんになる前に経験した会社勤めについて話していたかもしれない。でも今は、「お母さん」という仕事について、ちょっと背すじを伸ばして、クロケット定食を食べながら語ってみたい気持ち。さて。あなたは、どんな仕事をしていますか。
2013.09.26
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北海道の生まれ故郷に行ってきました。両親と、わたしたち家族と、妹夫婦の7人で。どこまでもつづくまっすぐな道路。高くて大きい空。ゆったりうかぶ雲。土のにおいのする風。麦やネギやビーツが植えられた広大な畑。なだらかな緑の丘。白樺の並木。今では実家も関東だし、祖父母が亡くなって訪れる機会も少なくなったけど、「ふるさとは?」って聞かれたら、やっぱりわたしは、これからも「北海道」って答えるだろうな。いつも親戚が集まっていたなつかしい伯母の家は、あのころと同じにおいがして、伯父と伯母が変わらない笑顔で迎えてくれた。変わったのは、伯父の白髪が増えたことと、赤ちゃんだった従兄の子どもが、ちびくまの面倒を見てくれるやさしいお兄ちゃんに成長していたこと。大切な人の結婚式に出席して、みんなで温泉に入って(母と妹と3人、深夜1時に待ち合わせて露天風呂に入り、長湯していろんな話をした)、本当に楽しい旅だった。日々の暮らしは楽なことばかりじゃないけれど、地道に前向きにコツコツがんばっていれば、こんなご褒美みたいな時間もある。流れる時間はとめられなくても、大切な景色や時間を、お守りにして胸に持ちつづけることはできる。でもいつか、わたしは北海道に住みたいなあ。どんなに冬がきびしくても、1年の3分の1を雪に閉じ込められても、関東より東北、東北より北海道がわたしは好きみたいだ。 *最近、こころに残った本。池澤夏樹『双頭の船』。冒頭の物語に熊が登場するのは、これは池澤さんの祈りだ。あの地震のあと、この希望の物語を書かずにいられなかった作家の思いに、涙がとまらない。ありえないこととわかっていても、だからこそ。砂漠で水を飲むように、絵空事が必要なときが、人間にはある。D・ムラースコヴァー/文、出久根育/絵『かえでの葉っぱ』。金色のかえでの葉っぱが、旅をする絵本。出久根さんの描くチェコの自然が、涙が出るくらい美しい。ラストシーンが本当に好き。ちびに読み聞かせていたはずが、いつの間にか、お母さんが夢中になって読んでいた。それから夫にすすめられて読んだ百田尚樹『永遠の0』。「おもしろい」とか「感動した」とか、月並みな言葉では言い表せないほど深いところにずしっと響いた。これはすごい本だ。決して軽くはないテーマを扱っているのに、読後感の爽やかさは圧巻。小説の世界に入り込みすぎて、読み終えた日は飛行機の夢を見た。
2013.07.10
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今年の桜。雪国の桜は、まだつぼみもかたいだろうなあと思いながら、ベンチに座って満開の花を見上げていたら、「さくら、満開ですね。もう散っているかと思った」と声をかけられた。 見ると、隣にご婦人が座っている。大きな荷物を持っているので、「どちらからですか?」とたずねたら、なつかしい雪国の地名を。 「わたし、去年の夏までY市に住んでいたんです」と言ったら、「えっ!わたしW市です」とご婦人。YとWは、隣の町。 「W市の本屋さんが好きで、しょっちゅう通っていました」「わたしはY市のスーパーでいつも買い物しますよ」としばし地元トーク。彼女のお孫さんと、うちのちびくま、同じ産婦人科生まれだったことが判明。 「広い世間で、こんなことってあるんですねえ」とご婦人。 春休みに、孫を連れて、息子さんの家に遊びにいく途中なんだとか。 しばらくお話したところで、夢中で電車の写真を撮っていた小学生くらいの男の子が走ってきた。お孫さんに手を引かれて立ち上がりながら、「お話できて楽しかった。ありがとう」とご婦人。 「お会いできてうれしかったです。よい旅を」と見送ったあとも、なつかしい雪国の景色が心にうかんで、一日幸せな気持ちだった。 あの町で暮らした時間は、わたしの宝もの。 なつかしむ気持ちが桜に届いて、今日のひとときをプレゼントしてくれたんだと信じたい。冬のあいだ、体調のわるさも手伝って、なんとなく心ぼそい気持ちだった。雪国に帰りたい、都会は息がつまると泣きたくなる夜もあった。だけど、このところ夢中で読んでいる荻原規子「RDG(レッドデータガール)」の6巻で、主人公泉水子がふるさとの山に帰郷する場面に行き当たり、ああ、いつでも帰れるんだと気がついた。その場所はいつでも、わたしの中にある。いつでも視界に入っていた、遠い山の稜線。空をグラデーションに染める、美しい夕焼け。さくらんぼの白い花。勝手口を開けると入ってきた、緑の風のにおい。週末ごとに通った店の、おいしいジェラート。考えてみれば、雪国に引っ越したばかりの冬だって、わたしは心ぼそさで泣きそうだったのだ。けれど5年をかけて、あの町はかけがえのない、もうひとつのふるさとになった。思い浮かべるだけで元気が出る、ゼロに戻れるような、大切な場所。新しい町でも、時間と、それから手間をかけよう。ここで暮らす日々が、ちびくまにとって楽しいものになるように。ひとつずつ、自分のペースで、「わたしの場所」にしていこう。
2013.04.06
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暦の上では春ですが、まだ寒い日がつづきますね。年が明けてから、ちびとかわるがわる風邪をひいていました。おまけにわたしは、(たぶん)ストレスが原因の胃炎になってしまって。けれどある朝、目がさめて「あ、一段階よくなった」と感じたのです。朝だ、今日はどんな一日だろう、と楽しみに思う気持ち。きのうまでは、さあ、今日一日どうやって乗り切ろう、だったのに。体調をととのえる大切さって、つまりはそういうことですね。 *ちびくまが昼寝しているあいだに、予約しておいた電話カウンセリングを受ける。結婚前、仕事をしていたとき以来だから、とてもひさしぶり。話し始めたら涙がとまらなくなって、自分でもおどろく。そうか、わたし苦しかったんだな。育児は育自とよく言われるけれど、ほんとうにそう思う。がまんも世間体もない、自我むき出しで丸ごとぶつかってくる子どもと日々向き合っていると、わたし自身の感情も裸にされる。ひとりでいたとき、ふたりでいたときには、とりあえず棚の上にのせておいて何の問題もなかったパンドラの箱が開いて、自分自身と向き合わざるを得なくなる。決して楽な作業ではないから、苦しくて逃げ出すことばかり考えていたけど、ピンチはチャンス。あたらしい命がやってきて、わたしに変わるきっかけをくれたんだ。45分、話したら、雨上がりの空みたいに気持ちがすっきりした。カウンセリング、また、しばらくつづけてみようと思う。河原理子「フランクル『夜と霧』への旅」を読む。記者の方が書いた本だから、著者がフランクルにゆかりのあるさまざまな人に会って話を聞く、ルポタージュなのかと思っていた。たしかに著者は、すこし前に朝日新聞でそういう連載をしていたのだけれど、この本は、新聞連載とは趣を異にする。連載が終わったあと、フランクルについてより深く知りたいと感じた著者が、取材を重ねながら自分の内側の深いところに降りていって、くみ上げてきた言葉がつづられている。「夜と霧」は、たぶん世界中の多くの人にとって、そしてわたし自身にとっても折に触れ読み返す大切な本。学生のころは、旧訳本の冒頭に置かれた解説と、末尾に添えられた資料写真が怖くて、フランクル氏の文章をきちんと味わうことができなかったけれど、年を重ねるといいこともある。最近やっと、落ち着いた気持ちでじっくり読めるようになった。この本が、なぜこれほど深く心にしみるのか、著者は読者の手をひいて、フランクルと彼の思想をめぐる冒険に連れていってくれる。「すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。(中略)人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。」(V.E.フランクル『夜と霧』/霜山徳爾訳)
2013.02.21
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とても長いあいだごぶさたしてしまいました。年の瀬を、みなさまいかがお過ごしでしょうか。わが家は夏にぶじ引っ越しをすませ、あたらしい街での暮らしにもようやく慣れてきました。友達も、お気に入りの場所もできました。ちびくまは1歳4ヶ月になり、とことこ歩きまわったり、名前を呼ぶと手を上げてお返事したり、自分でスプーンを持ってごはんを食べたり(まだまだ失敗も多いですが)、できるようになりました。クリスマスは、家族で伊勢神宮へ。ずっと行きたかった場所なので、本当に楽しみにしていた。宇治橋をわたったとき、ああ、ここはふだんわたしたちが暮らしている場所とは別の世界なんだ、と感じた。参道には、年とった神さまみたいな木が無雑作にたくさん生えていて、歩いているだけで、背筋から頭のうしろあたりがすーっとするような、笑い出したくなるようなすがすがしさ。現世に生きる悩みも迷いもなくなったわけじゃないけれど、すべてひっくるめて、今ここにいる、伊勢の森に抱かれている自分が最高に幸せ、という思いがこんこんとわいてきた。旅行最終日には、雪国の友に再会。 打ち合わせたわけじゃなく、たまたま同じ時期に伊勢への旅を計画していた。 電車の時間があったから、すこしの時間だったけれど、顔を見て話をして、手のぬくもりを感じて、何だか涙が出そうになった。 この人とは、離れていても、頻繁に連絡を取り合わなくても、特別な約束をしなくても、大事なときにちゃんと会えるようになっている。そういう気がする。 帰り道、宇治山田駅でお弁当を選んでいたら、向こうから、おばあさんとその娘さんらしいふたり連れがやってきた。 「まあ、なんてかわいらしい!」とちびに声をかけてくれて、ちびがにっこり笑い返した。 「あら、笑ってくれたの、ありがとう」とちびの手にチュウをしたおばあさんは、ひょっとしたらすこし涙ぐんでいたかもしれない。 かばんからお財布を出して、「これで何かおいしいものでも食べて」とちびに千円札をにぎらせてくれた。 くまとわたしは仰天して「いやいやいやいや!通りすがりの方にそんなことしていただくわけには!!」とあわてて返そうとしたけど、娘さんがおばあさんの肩を抱くみたいにして、「じゃあね、ありがとう」と急ぎ足で行ってしまった。 わたしたちにはわからないけど、ひょっとしたら、ちびは何か、おばあさんとちびにしかわからない、秘密の言葉を彼女に伝えたのかもしれない、と後でふと思った。田口ランディ『サンカーラ』を読む。自分にとって特別になる、ずっと手もとに置いて折にふれ読みかえすことになる本は、手にとって数ページ読んだところで「ああ、そうか」とわかる。指をはさんだまま本を閉じ、深呼吸する。特別な出会いを、きっとどこかにいる本の神さまに感謝する。4章で、自分が人生かけてやりたかったことを思い出し、体がふるえた。そして震災の後、家族を守らなきゃ…と必死に暮らしていて気づかなかった、というより気づかないふりをしていたが、自分がとても傷ついていたのだと気づいた。本をひらいたまま、子どもみたいにわあわあ泣いた。失ったものをなつかしみ、悲しんでいいのだと、ようやく自分に許すことができた。6章、自然に惚れられた人びとの言葉。7章、問いを立て、考えつづけることの本当の意味。魂こめて書かれた言葉が、読み手の奥深くまで届いて、無意識を変容させる。そういう力のある本だと思う。
2012.12.28
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引っ越しをすることになりました。(ブログではなく、ほんとうの)いつかはこの日が来るとわかっていたけれど、いざ決まってみると、とてもさみしい。5年前、結婚してここに住みはじめたときは、夫以外に知り合いもいない、見知らぬ町だった。だんだんお友達ができて、馴染みの場所も増えて、子どもまで産んで、いつの間にか、ここを大好きになっていたみたい。名残を惜しんでいるあいだにも、出発の日はどんどんせまってくる。11ヶ月になったちびくまは、つたい歩きもはいはいも、高いところによじのぼるのも自由自在。たっちもおぼえて、いよいよ目が離せない。おまけにくままで長期出張に行ってしまって、引っ越しの荷造りどころか、家のあちこちに積み上がった不用品を処分する時間すらない。このままではゴミと一緒に引っ越すことになりそうなので、一大決心をして、初めてちびを人に預けることに。身内以外の人にまかせるのは初めてだったから、前の晩は眠れないほど緊張したけれど、ふたを開けてみたら杞憂だった。預かってくれるIさんは、経験豊富なやさしい方で、ほんとうにちびをかわいがってくれたし、ちびくまもすっかりIさんになついて、とことこ追いかけて歩いている。わたしはわたしで、ひさしぶりにひとりの時間をゆっくり過ごして心のゆとりができた。この町で、わたしはひとりぼっちじゃない。助けてくれる人がそばにいると思えるだけで、どれほど励まされることか!そんな毎日の中で、ページをめくっては勇気をもらっていたのが、梨木香歩『雪と珊瑚と』。生まれたばかりの赤ちゃん、雪を抱えて離婚した主人公珊瑚が、街角で「赤ちゃん、お預かりします」という貼り紙を見つけるところから、物語が始まる。貼り紙の主、くららとの出会いが、珊瑚の人生を大きく動かしていく。珊瑚には、お金も経験も知識もない。その代わり、動物的な勘と決断力、そして、なりふりかまわず他人に助けを求める勇気がある。それはもちろん、珊瑚という女性にもともと備わった資質なのだろうが、子を持つということは、いやおうなしにそれらの能力を研ぎ澄ますことなのだ、たぶん。珊瑚の周りには、さまざまな知識や経験を持った個性的な人物がたくさんいるけれど、「すてきな人が集まってくる」という感じではない。むしろ、彼女が周囲の人の才能を引き出して、パッチワークのように縫い合わせ、ひとつの場を立ち上げていくように見える。そして、雪の存在。日々成長していく赤ん坊の生命力と、新しい場所が誕生ずるときの熱みたいなものが重なって、のびざかりの植物を見ているようにわくわくする。うまくいくことばかりじゃない、珊瑚に冷や水を浴びせるような手紙が届いたり、雪の夜泣きと仕事の両立に疲れ果てて倒れることもある。それでも、珊瑚の周りには、くららをはじめとするゆるやかな人の輪があって、バランスを崩したときにはふわりと受け止めてもらえる。受け止められる経験を通じて、珊瑚自身も、受け止める幅を広げてゆく。次々起こる予想外の出来事や、これまでの自分の価値観でははかりきれない人の行動を、裁くのでなく、ただそこにあるものとして了解する。そういうふところの深さを、珊瑚がどんどん見せるようになる。 *思い通りにならない現実を、ありのまま受け入れること。勇気を出して、隣人に助けをもとめること。子どもを育てていると、教えられることがたくさんある。母親と赤ん坊は、世界にひとつしかない組み合わせ。その組み合わせでしか学べないことが、かならずある。「子どもを産むということが、ときに生死に関わるほどのダメージを母体に与えるのと同じように、子どもを育てるということも、長いスパンで、ときに母親自身の存在を揺るがすほどのすさまじい影響力を持つものなのだろう。私は雪を産んで、人生が変わった、と珊瑚は自覚していた。自分の主義主張、生き方まで変えるほど、なりふり構わずに人と交わっていかなければ、子どもは育てられない。そのことを自分が潔しと思っているかどうかは別にして。」赤ちゃんと一緒に泣いてばかりいた、たよりない新米の母親にそっと手を差し伸べてくれたすべての人と、人生を変えてくれたちびくまに感謝して、新しい町へ行く。
2012.07.12
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