文豪のつぶやき

2005.06.25
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カテゴリ: 新撰組
文久三年(1863年)2月4日幕府の徴募に対して、350名を越える浪士が集まる。策士清河八郎の計画に踊らされた幕府が京都治安とと将軍家茂上洛に際しての警備のためである。(清河は京に着いたらこれを天皇の直接の軍隊にし、革命軍として幕府を打つ浪士隊にするつもりであったが)
当時、新宿区市谷柳町に道場を構えていた近藤勇も師弟ごとこれに参加する。
天然理心流という古武術でははやらなかった。
今の、ボクシングを考えればいいだろう。ボクシングはもとは喧嘩であり、素手で殴りあうのが練習としても実戦的ではあるが、ボクシングはすでに今は喧嘩ではない。
剣術もすでにこの傾向があった。
千葉周作の興した北辰一刀流がそうで、今までの剣術練習が木刀を主にしていたのが、周作が竹刀というものを考案した。このため北辰一刀流は爆発的な人気となり、千葉周作一代で江戸三大道場の一つとして数えられるようになった。(無論、千葉周作が当代でも傑出した剣豪であることは間違いない)
ともあれ、食い詰めた天然理心流道場の師弟は丸ごと浪士隊に人生を賭けた。
四代続いた天然理心流を廃業するなどよほどの決意だったのではないか。





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最終更新日  2005.06.25 09:57:46
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