文豪のつぶやき

2008.07.17
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カテゴリ: 時代小説
太子堂は三田陣屋のすぐ近くにある小さな堂で聖徳太子が祀られており、板敷きの部屋の二間のそのひとつには囲炉裏がある。
 もともと、このお堂は藩祖景範が謙信の毘沙門堂に倣って建立したものであり、代々の藩主がここで一人籠もって瞑想に耽ったりした。
 それが、いつの頃からか藩主の親衛隊ともいうべき馬廻役の集合場所となった。
 馬廻役は上士の子弟から選ばれる。彼らはこの太子堂に寄り合い、寝食を共にし、友情を深め、やがて藩幹部になってゆく。
 無論、青木ら先ほどの藩首脳の面々も若き日太子堂の囲炉裏を囲んでいる。そして篠原もまた、一昨年御用人に抜擢されるまでは太子堂の囲炉裏の前に座っていた。

 太子堂の顔ぶれは六人。
 青木正之、国家老の青木正和の長子で齢二十七。
 伊藤孫兵衛、軍奉行の押見八郎太の次子。剣術指南役伊藤家に婿入りし、姓を変えた。齢二十六。
 加藤善右ヱ門、勘定奉行加藤博信の次子。齢二十四。

 宮下俊輔、郡代官宮下九郎治の長子。槍の名人を買われ、昨年の春より藩主の姉橋姫の武州毛呂藩輿入れの供として随従、護衛のためそのまま毛呂に滞在していてこの男だけが三田にはいない。齢二十四
 白井一馬、他の五人が上士の出身なのに対しこの男だけが藩貴族ではない。出自は低い。武士ですらない。足軽の出である。しかも足軽頭にさえなれない家に生まれた。この藩では上士の子弟が藩校である麒麟館で学ぶのに対し、足軽の子等は般若寺で学ぶ。般若寺は真言宗の古刹で格も高い。ここの住職は代々藩主連枝がなる。白井一馬はここで学んだ。文武両道に優れていたが特に剣は抜群で藩主の弟であった住職が藩主に推挙した。早速、麒麟館で上士の子弟相手に試合をしたが、当時麒麟館の龍虎と云われた矢口、伊藤を苦もなく叩きつけ、麒麟館師範の藩剣術指南役伊藤義清を相手に三本中二本までとった。
 白井はこれにより藩主連枝の住職と藩剣術指南役伊藤義清の推挙をえて上士になった。齢二十五。





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最終更新日  2008.07.17 08:29:25
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