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2 1 世 紀 に 発 生 し た 自 然 災 害内 閣 府 の 防 災 白 書 な ど に よ る。被 害 者 数 順 トルコ・シリア大地震は 2023年3月1日時点発 生 年 死 者 ・ 行 方 不 明 者 数スマトラ沖大地震 2004年 22万6000人以上ハイチ地震 2010年 22万2600人ミャンマーのサイクロン 2008年 13万8400人中国・四川大地震 2008年 8万7500人パキスタン地震 2005年 7万5000人トルコ・シリア大地震 2023年 5万1000人以上東日本大震災 2011年 1万8423人
2023年03月06日
先 祖 調 査 に つ い て( 参 考 )先祖調査にはまず先祖の戸籍の取得です。この費用はすべてを自分で行うならば安いです。戸籍収得代金は 数千円~1万円程度で済むかと思います。古いところまで戸籍を取り、明治時代初期の先祖の本籍地が確認できたら、今度は当該地の旧土地台帳( の写し )も取得してみましょう。旧土地台帳の取得は無料ですから、郵送代だけになります。古い戸籍が廃棄され、江戸時代を生きた先祖名が分からないというよう場合でも、旧土地台帳には明治時代前期の土地所有者として名前が記載されているケースがあります。これは法務局で保管しているもので、その謄本を発行してもらえます。旧土地台帳というのは、明治時代から戦前まで使用されていた課税用の台帳です。管轄地域の法務局に電話して「 旧土地台帳を郵送で請求したい旨 」伝え、必要事項を聞いてその指示に従って下さい。旧土地台帳を見れば、その土地が明治時代には誰の所有地だったのかが分かります。先祖の名前が載ってるかもしれないし、賃貸していたならまったく聞いたこともない人の名前が出てくると思います。現在につながる戸籍制度がスタートしたのは明治5(1872)年のことです。民法の改正があったために、戦前と戦後とでは戸籍の編製方法、記載方法が大きく変わりますが、それでも親子関係が連綿と記載されているところは変わりません。一人の人間といえども、転籍や婚姻によって新たに戸籍が編製されるので、複数の戸籍を渡り歩くのが一般的です。しかし、いくら転籍等を繰り返しても、それ以前にその人物がどの戸籍に属していたかは必ず記載されています。戸籍を取得したら、一つ前の戸籍を役所に請求します。それが取得できたら、また一つ前の戸籍を請求します。これを繰り返していけば、やがてその人物が出生した時の戸籍までたどりつくことになります。そこには実親、養親の情報が記されていますので、次はその親の戸籍を同じ方法で取得していき、出生時まで遡ります。親が出生した際の戸籍までたどりつけば、さらにまたその親の戸籍を取得していきます。戸籍が存在する限り、自身の直系尊属( 父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母・・・ )を遡っていけるのです。ちなみに、傍系と呼ばれる父母や祖父母の兄弟を目指して戸籍取得することはできません。取得できるのは直系の戸籍に限られます。参考文献: 著者 丸山 学「 ご先祖様、ただいま捜索中! 」
2023年02月28日
先 祖 調 査 に つ い て( 参 考 )戸籍制度というのは、明治時代初期から現代にいたるまでの親子関係のリンクが、どれだけの転籍を繰り返してもきっちり張り巡らされているという点で非常に優れたものだと言えます。現代につながる戸籍制度がスタートしたのは明治5年のことですが、明治5年式の戸籍( その年の干支にちなんで壬申( じんしん )戸籍とも呼ばれます )は市町村では保管していないので取得できません。現在取得できる最も古い戸籍は明治19年式のものになります。これは必ずしも明治19( 1886 )年当時に作成されたというわけではありませんが、同戸籍にはおよそ明治19年ごろに生きていた方々が記載されており、父親名まで載っているのが一般的です。明治19年の時点で生存していたということは、その多くは江戸時代後期を生きていたということにもなります。明治19年式戸籍まで取得できれば、今から160~170年前の先祖の情報を得ることができるのです。ただし実際に明治19年式戸籍までたどりつけるかどうかはやってみないと分かりません。役所によっては戦災や災害により、古い戸籍が失われている場合があるからです。戸籍を請求するには本籍地のある役所に請求します。役所では、自分の戸籍について存在するものすべて取得したい旨、また直系尊属( 自分の上の代 )の戸籍が存在するのであればすべて取得したい旨を伝えます。役所の担当者はその役所に存在する限りの戸籍を発行してくれます。なお、古い戸籍について「 除籍 」「 改製原戸籍 」と呼ばれるものがあります。一つの戸籍内に存在する人間も、婚姻や死去により、その戸籍から除かれていきます。全員が除かれた戸籍( いわば抜け殻 )は、除籍簿と呼ばれるものに綴られます。全員がいなくなった古い戸籍のことを役所では「 除籍 」と呼びます。また、法律の改正により戸籍の書式が全国一律で新しいものに代えられる時があります。その場合、たとえ戸籍内の人物がまだ生きているときでも、戸籍はいったん閉じられてしまい新しい書式で戸籍が再編製されます。そうした事情で閉じられてしまった戸籍のことを「 改製原戸籍( かいせいげんこせき )」と呼びます。現在使われている戸籍のことは「 現戸籍( げんこせき )」と呼びます。「 改製原戸籍 」と呼び方が似ており紛らわしいため、「 改製原戸籍 」については「 はらこせき 」などと呼んで区別するのが一般的です。
2023年02月28日
先 祖 調 査 に つ い て( 参 考 )戸籍を取得したいと思ったらまず役所に電話しましょう。必要とする書類について、伝えます。郵送でも取得できますが、転籍している場合は別の役所になることがあるので電話確認は欠かせないことです。封筒の宛名には、申請する市区町村の住所・名称を記載して「 戸籍謄本等戸籍申請書在中 」と書き添えておくのがよいでしょう。次のものを同封して申請をしてください。1 定額小為替( 取得費用支払いのため )2 返信用の封筒( 送り先を記載済み )3 返信用切手( 切手代は役所と調整すること )戸籍取得の費用はほぼ全国一律で、1通あたり、現戸籍は450円、改製原戸籍と除籍は750円になります。取得費用については役所の担当者に確認しましょう。定額小為替は、郵便局で購入 して下さい。 返信用切手代金は役所に聞くといくらの切手を同封して下さいと教えてくれます。
2023年02月27日
家 系 図 の 書 き 方( 参 考 )家系図作成はまず自分の戸籍を取得することから始まります。参考になる知識を覚えましょう。古い戸籍の本籍地を見ることによって、正確な先祖の本籍地がわかります。現在と違い明治時代には「本籍地=居住地」がほとんどです。戸籍で分かった最古の本籍地こそが先祖の人が暮らした土地であり、江戸時代から居住していた土地であると推測できます。古い明治期の戸籍だとたとえば「二十五番地」ではなく「 二十五番戸 」「 二十五番邸 」といった現在では見慣れない表記があります。この「 番戸 」「 番邸 」というのは現在の地番とはまったくリンクしておらず、現在の何番地に相当するかは役所でもわかりません。その当時だけ使われていた表記です。多分ですが、地域の端から一番戸と番号をふっていたようです。そういう場合には、最古の戸籍の次の時代の戸籍をみます。そこには、「 番戸 」「 番邸 」ではなく「 番地 」という、現在と同じ地番表記がされていることが多く、それにより初めて、現在にも通じる正確な本籍地を知ることができます。最近では家系図作成用のパソコンソフトなどがあります。しかし調査の段階では家系図作成は手書きがお勧めです。一人一人の名前を直筆で書くことにより、名前はもちろんですがその関係性が理解・記憶できるためです。家系図の書き方については、決まりはないです。一般的には婚姻している男女の間は二重線で結びます。( 子はいるが婚姻していないという男女間一本線で結びます )。また実子の場合は親との間を一本線で結びますが、養子の場合には二重線で結ぶのが一般的です。
2023年02月23日
江 戸 時 代 の 名 前 の こ と( 先 祖 探 し の 参 考 )江戸時代の先祖に関しては、特に位牌や墓石に戒名だけが記されているケースが多く過去帳との照合が必要です。過去帳の焼失などにより照合ができない場合もありますが戒名だけでも分かったらそれは素晴らしいことなのです。江戸時代というのは、一人の人間が一生のうちでいくつもの名前を持っていた時代です。生まれた時に付けられる名前が幼名。その後、15,6歳で元服すると、いわゆる実名が付けられるのが一般的です。そして家督を継ぐと、その家の当主名を名乗ることになります。ですから、江戸時代中の家系図では同じ名前が何代にもわたって続くことが珍しくありません。また、隠居すれば当主名は嫡男に譲り、新たに隠居名を名乗ります。そして戒名です。戒名とは、ご存じの 通り本来は生前に付けるべきものです。しかし、実際には死後に付けられることが多いのです。このように、出生から死亡後まで様々な名前を名乗るのが一般的なのです。現在では、みだりに氏名を変えられるようにすると犯罪に悪用されるので勝手には氏名変更ができないようになっていますが、江戸時代までは「 元服 」「 家督相続 」「 隠居 」「 死亡 」といったような自らの立場の変化に合わせて名前を変えていき、改名することにより「 それ相応の自分 」になるという文化があったのです。しかし戒名以外の名前、つまり「 幼名 」「 実名 」「 当主名 」「 隠居名 」といったものは親が命名したり、家に昔から伝わる名前を踏襲したりするものです。どちらかといえば、本人の人となりとは無関係に付けられている名前といえます。 ところが、唯一、戒名だけは生前の本人の人生・性格を反映したものになっています。一般的な戒名の形式は宗派によって異なります。浄土真宗ではそもそも戒名という言い方はしいません。真宗の場合は「 法名 」と呼び、「 釈○○ 」と全3文字になるのが一般的です。参考文献: 丸 山 学 「 先 祖 を 千 年 、遡 る 」
2023年02月13日
戸 籍 の こ と ( 2023年2月現在記載 )現在でも明治19年式の戸籍まで取れる可能性がある戸籍は公文書という最も信頼できる書類です。現行の戸籍制度ができたのは明治5年( 1872年 )のことです。以来、140年以上にわたり今日まで連綿と戸籍制度が続いているのです。明治5年式の戸籍( 干支にちなんで俗に壬申(じんしん)戸籍とも呼ばれます )というのは現在では取得することはできません。この壬申戸籍というのは江戸時代中に作られていた公文書である宗門人別長の影響が色濃く残っており、家族の情報の他にその家の菩提寺や氏神などまでが記載されています。一説によると江戸時代中に受けた罰についても記載されているものがあるとか無いとか・・・・まあ、そのように現代においては非常に問題があるものですから法務局に厳重封印されて誰も見ることができないようになっています。これは人権擁護の観点からいっても必要な措置といえるでしょう。という訳で、現在取得できる最も古い戸籍はその後に様式が改正された明治19年式のものからになります。明治19年式の戸籍と最近の戸籍を比べると、だいぶ印象が異なるかと思います。現在では「 筆頭者 」と呼ばれるところが「 戸主 」となっています。これは昔の戸籍が戸( 家 )を中心としていたことを表しています。戸主の隣に「 祖父 」・「 祖母 」が書かれています。現在の戸籍には載らないことです。現在の戸籍制度では、三代以上( 祖父・父・子 など )が一つの戸籍に入ることはありません。現在の戸籍は「 一組の夫婦とその子供 」・・・つまり二世代までしか一緒の戸籍には入れません。それに比べると戦前までは「 家 」が中心でしたから、一つの家にいる人物は家長である戸主を中心として何世代でも同じ戸籍に入りますし、子供の妻はもちろん戸主の兄弟や伯父・伯母まで入っていることも珍しくありません。実際にはこの戸籍が作られた当時は族籍記載もありました。江戸時代中に武士だった家は「 士 族 」。農家・商人だった家は「 平 民 」となっていました。それらは現在では消されています。その結果、明治19年式戸籍といっても、そこから読み取れる事項は各人の氏名、生年月日、死亡年月日等であり、さほど現在のものと変わらないのです。どんな職業に就いていたかも戸籍からは読み取れませんし、江戸時代中の身分記載も消されているので自家の江戸時代中の暮らしぶりなどもうかがうことはできません。明治19年式の戸籍であっても役所によっては戦災等で焼失しているケースや、古いものを廃棄してしまっているケースもあります。参考文献: 丸 山 学 「 先 祖 を 千 年 、遡 る 」
2023年02月10日
ご 先 祖 探 し は「 謎 解 き 」の 面 白 さ先祖探しを難しく考える必要はありません先祖探しは一級のエンターテイメントです。自分の先祖が数百年前や千年前まで分かるとしたら、かなりドラマチックなことだと思いませんか? そう、まずは楽しむことが重要なのです。上質のミステリー小説を読むのは楽しいものですが、先祖探しは小説内の主人公の話ではなく自分自身の「 謎 解 き 」ですから、どんな面白い小説も及ばないエンターテイメントであり感動に溢れているのです。その先祖探しを楽しむには相応のコツというものがあります。それは「 上から 」と「 下から 」を意識することです。先祖探しの最終的なゴールは、平安期の頃の「 姓 」までたどりつくことです。千年前である平安期やその後の鎌倉期などを「 上 」と考えます。上の方の時代からルーツを考えていくことを「 上から 」と呼ぶことにしています。現在の自分( 下 )を起点に徐々に遡っていくことを「 下から 」と呼ぶようにしています。江戸時代中に先祖が大名家で、明治期には華族だったという家では「 上から 」たどっても簡単に自家・自分までの系譜をたどれるはずです。そもそも、そうした家の末裔である場合には家に明確な系図が残されているでしょう。一方、江戸時代中の先祖の様子さえよく分からないという一般的な方は「 下から 」地道にたどっていくしかありません。しかし、先祖探しという観点から申し上げますと、これはもう絶対「 上から 」考えていく方が楽しいのです。参考文献:丸 山 学 「 先 祖 を 千 年 、遡 る 」
2023年02月08日
家 系 図 作 成 ・ 戸 籍 取 得 等 の 参 考我が家の家系図を作成し後世に残しませんか!!先祖が存在することで今の自分があるのです。当然、今の両親、祖父母、子供、孫などの写真・アルバムなども自分の生きているうちに整理して後世に申し送ることが必要です。以下に記載したのは参考事項です。現在、日本の名字は30万種類もあるといわれています。これは世界に類を見ない豊富さです。江戸時代中の武士の身分というのは10%未満です。戸籍というのはどの役所でも必ず「 筆頭者( 戸主 )+ 本籍地 」でインデックスされています。ですから、戸籍を請求する時は必ず「 筆頭者 」「 本籍地 」を明確にしなければ発行してもらうことはできません。そして、戸籍内の各人物には、「 従前にはどの戸籍に入っていたか 」ということが必ず記載されています。ですから、その従前戸籍の「 筆頭者 」「 本籍地 」を使って当該役所に申請していけば、古い戸籍を入手していくことができるのです。もちろん、出生の際には従前の戸籍というものは存在しませんが、基本的には「 父 」「 母 」の戸籍に入る形になっていますので、自分の出生前の先祖もどんどん遡っていけることになります。戸籍の本来の目的は「 徴税 」と「 徴兵 」でした。明治時代に戸籍が作成され始めた時の本来の目的は「 徴税 」と「 徴兵 」です。徳川幕府を倒した新政府は、まず財源を確保しなければならず、そのためには何を置いても国民一人一人の存在を把握して徴税を厳密に行う必要がありました。また、それまでは兵役は武士だけに課せられた役目でしたが、近代国家になるためには廃藩を断行し武士社会を解体して国民皆兵制度を実現する必要もありました。そのためにもやはり、国民一人一人を把握することは必須でした。つまり、戸籍作成は非常に重要な国策だったといえます。その後日本は見事に近代化を成し遂げたために戸籍作成の目的も変化していき、現在では親子・親族関係を明確にするために重要なものとなっています。ただいずれにしろ、この明治初期から140年以上にわたり連綿と親子関係が明確になる戸籍は先祖探しには欠かせない必須アイテムになっています。名字や家紋によって遠い祖先の「 匂い 」が感じられる、ということとは異なり、戸籍は公文書として明快に自身の家のルーツを教えてくれるものです。ちなみに現在取得できる最も古い戸籍は「 明治19年式 」と呼ばれるものです。ただし、地域によっては戦災や災害で戸籍が焼失していたり、役所によっては古いものを廃棄している場合があります。その場合は残念ですが、とりあえず取れるところまでだけでも取っておくしかないのですが、かなりの確率でまだ明治19年式のものまで取得可能です。明治19年式の戸籍には、当然幕末を生きた人も多く記載されています。全国どこの役所の分でも戸籍は郵送で取得することができます。家系図作成・先祖探しにおいて、お墓は情報の宝庫といえます。昨今では、自家のお墓は霊園にあり、それも比較的新しいものだけという家も増えているので、そういうお墓にはそれほど情報があることは望めません。しかし、地方の古いお墓には、墓石に刻まれた文字情報はもとより、墓石の位置関係などまで含めて先祖の人の暮らしぶりを感じられる「 歴史 」が詰め込まれています。過去帳はいつの時代から存在しているのだろうか?過去帳というのは、お寺の檀家の死亡記録と考えれば分かりやすいでしょう。お寺では法要を行う、あるいは日々の供養のために檀家の死亡記録を付けておく必要があります。現在であればパソコンで檀家の管理をしているお寺もありますが、江戸時代や明治時代であれば手書きで行い、帳面にしています。それを「過去帳」と呼びます。お寺によっては戦国時代から過去帳が存在しているケースもあります。しかし、ほとんどのお寺では過去帳を付け始めたのは江戸時代前半の寛永年間(1624~1643年)以降からです。寛永といえば島原の乱(1637年)が起こった時代です。この乱以降、徳川幕府のキリスト教弾圧が厳しくなりました。以降、日本中の家々はキリスト教徒でない証としてどこかの寺の檀家になることが義務付けられていきました。その結果、国民と寺の関係は非常に密接になりました。そうなると、お寺としても顧客管理の重要性が生じ、過去帳をきちんと付けるケースが多くなっていきました。ですから、保存状態がよく、かつ火災、戦災等を免れ過去帳がきちんと現存していれば、それにより江戸時代の前期までは調べられるということです。ただし、実際にはそれほど古い過去帳が残っているお寺だいたいは江戸時代中や明治時代の火事(この頃多い)で焼失し、ここまでたどれない方が多いのが実情です。参考文献: 丸 山 学 「 先祖を千年、遡る 」
2023年02月06日
家 系 図 作 成 の た め の 戸 籍 用 語 を 知 ろ う ( 参考 )現 戸 籍現時点での最新の戸籍を「 現戸籍( げんこせき )」と呼びます。日本国籍を有している方であれば、必ずどこかの市区町村に本籍を置いていて、そこに自身の現戸籍が保管されています。古い戸籍を遡っていく場合でも、まずは自身の現戸籍を取得するところから全ては始まります。除 籍一つの戸籍に記載されている人々も、やがて「 死亡 」や「 婚姻 」によって、その戸籍から一人また一人と削除されていきます。( 昔の戸籍では名前に ✖ 印が付けられます )。そうなると、どんな戸籍でもいつかは誰もいなくなる日がやってきます。いわば「 戸 籍 の 抜 け 殻 」です。そうした戸籍は除籍と呼ばれ、除籍簿に綴られていくのです。除籍簿に綴られた除籍の保存期間は戸籍法により現在では150年と定められています。今、ひっそりと除籍簿に綴られているご先祖様の除籍も処分される時をじっと待っている訳です。改 製 原 戸 籍戸籍の様式は法令で変更されることがあります。そうした戸籍が新たに書き換えられることを「 戸籍の改製 」と呼び、従前の不要となった様式の方を 改 製 原 戸 籍 と呼びます。不要になったとはいえ、相続時など様々な身分関係を証明する時に必要になりますので、当然これもしばらくの間は保存されます。ところで、戸籍が改製される時は、内容は同じまま様式が新しいものに書き換えられるだけなので現戸籍だけ取得すれば事足りると思ったら大間違いです。書き換えられる時点で、すでに婚姻や死亡で削除されている人は新しい戸籍の方には全く転記されないのです。つまり現戸籍の方に載っていない人が改製原戸籍の方には載っていることがよくあります。ですから、先祖探しにおいては必ずこの改製原戸籍も洩らさずに取得しておく必要があります。ところで、この改製原戸籍は「 かいせいげんこせき 」とというのが正しい呼称です。しかし、「 げんこせき 」という音は現戸籍( げんこせき )と非常に紛らわしいです。そのため、役所の人は通常この改製原戸籍のことを「 は ら こ せ き 」と呼ぶようにしています。そうしないと電話でやりとりする際には非常に混乱しますので、是非、覚えておきたいところです。三 代 戸 籍 禁 止 の 原 則現代の戸籍は、「 一組の夫婦とその子供 」が単位、つまり、親子二代までしか一緒の戸籍には入れません。そのため子供が結婚した場合には、親の戸籍を抜けて新たな戸籍を編製することが必要になります。家 督 相 続現在と違い、戦前の旧民法下の戸籍単位は「 家 」でした。家、つまりは、家長を「 戸主 」として、その子供、さらには子供の配偶者まで一緒の戸籍に入るのです。戸主には、家を統括するための特別な権利義務が認められており、そうした特別な権利は「 戸主権 」と呼ばれていました。戸主の許可がなければ家族は婚姻や分家をすることもできないのですから非常に強大な権限であったといえます。家督相続いうのは、この戸主権の継承のことを指します。古い戸籍の中には、この言葉が頻繁に出てきますので、その意味を理解しておくことが大切です。 家督相続が発生する原因としては、「 戸主の死亡 」「 女戸主の入夫婚姻 」「 戸主の隠居 」などが考えられます。余談ですが、「 隠居 」という制度も昔は正式に民法に定められていたのです。ですから、隠居をする際には旧法にのっとり、きちんと役所に届出をしていたのです。廃 家これも旧民法の制度です。戸主が他家に養子縁組などで入る場合には、従前の家を廃家とします。その際に廃家とする戸主の戸籍に入っていた家族は、その戸主について入家先の戸籍に入ることになります。分 家今でも地方では「 分家 」という言葉を普通に使いますが、やはり旧民法上の制度であり正式には戦前だけにあった制度です。戸主以外の家族が、その家から分離して新たに家( 戸籍 )を創ることを分家と呼びました。養 子昔の戸籍を取得すると養子が多いことに驚かされます。女の子ばかり生まれる家では、男の子を養子にとり、適齢期になると長女と婚姻させ家を継がせるというのが定石でした。家系図を作る際には、このことも理解していないとおかしな家系図になってしまうので注意が必要です。これなどはまだ簡単なケースであり、もっと複雑な養子縁組と婚姻が重なり合って家系図に表すのに一苦労というケースもあります。妾いわゆる愛人です。この「 妾 」が法律上、認められていた時代があったというのですから現代人にとっては驚きです。明治3年(1870年)布告された「 新律綱領 」の中で、妾は妻と同等の親族の範囲に含まれ戸籍にも記載されたというのです。江戸時代中の感覚がまだ抜けていなかったということをうかがわせます。しかし、明治15年(1882年 )の旧刑法の実施に伴いこの規定はなくなりました。ですから、現在取得できる最も古い戸籍である明治19年式以降ではもはやこの記載を見ることはできません。私は、調査の中で個人宅に所蔵されている明治5年式の壬申戸籍も数多く見てきましたが、いまだこの「 妾 」の記載に出会ったことはありません。いちど見てみたいものです。ざっと、この程度のことが頭に入っていれば戸籍の請求・取得、そして読み解きもスムーズに行くはずです。戸籍はその本籍地を管轄する市区町村役場で発行してもらえます。戸籍の請求は郵送でも行えますので、たとえ遡っていく中で遠隔地の本籍地が出てきても大丈夫です。ただし、現在ではプライバシーの観点から戸籍取得にあたっては身分証明の提示や、その戸籍を取得する権利があるか否か( 自分から見て直系の戸籍しか取得できません )の審査が厳しく行われます。窓口に行く場合でも郵送で請求する場合でも、予め電話で必要書類をよく確認されることをお勧めします。可能な限り古い年代まで遡って自家の戸籍を取得してみましょう。参考文献 丸山 学「 先祖を千年、遡る 」の書籍より転記しました。また、カテゴリ「 頭出し小説等 」に関連文を記載しています。
2023年02月03日
2022年9月22日(月)は敬老の日である。敬老の日の発祥地は?敬老の日の発祥の地とされる兵庫県多可町( 旧野間谷村 )が昭和22年9月15日を「としよりの日」とし、はじめて敬老会を開いてから、今年で75年になる。その後、41年に国民の祝日に、さらに法改正で平成15年から9月の第3月曜日に移った。( 産経新聞より )
2022年09月19日
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