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四弘誓願衆生無辺誓願度煩悩無量誓願断法門無尽誓願智仏道無上誓願成衆生は無辺なれども誓って度せんことを願う煩悩は無量なれども誓って断ぜんことを願う法門は無尽なれども誓って知らんことを願う仏道は無上なれども誓って成せんことを願う
2014.07.14
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【ブッダのことば、九二二】眼で視ることを貪ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。八つの詩句の章 九二二『ブッダのことば』中村元訳「遠ざかり離れること」と「平安の境地」について問われブッダはこう答えるのだ。『迷わせる不当な思惟の根本をすべて制御せよ。』いうなれば上記はその方法論である。極めてシンプルではあるが、ブッダが真理を説いてからこのかた、深甚なるその方法を得た人はいまだ少ない。
2014.04.10
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【司馬遼太郎 菜の花忌】昨日、二月十二日は司馬遼太郎さんの命日「菜の花忌」であった。その日、司馬さんの記念館(大阪)は黄色に染まるという。司馬さんが、今だにどれだけの読者をもち、そして愛し続けられているかを、菜の花の黄色が如実に示すのだ。司馬さんの作品は、小説もさることながら随筆も多くある。珠玉のそれらを通して、我々は容易に司馬さんの作家論(それは畢竟、人間司馬遼太郎を知るということ)を得ることができるのだ。たとえばこうだ。何故、司馬さんは歴史小説を書くのか。それは『この国のかたち』に綴られた一文をもって知る事ができる。「私は、日本史は世界でも第一級の歴史だと思っている。」創作の根源にあるのはその思いと司馬さんの情熱である。そして何故、司馬さんはかくも多くの著書を残すことが出来たのか。「知的で無私で情熱的な持続力をもった面白がりが、たくさん居れば居るほど、その社会は上等-といえば語弊があるが-楽しくなる。」~街道をゆく・耽羅紀行~何より、司馬さんは歴史を書くことが楽しかったのだろう。楽しいから出来た。そして情熱を持って書き続けた、そういうことだと思う。代表作『竜馬がゆく』は、その楽しさと情熱が昇華してが生まれたわけだ。幕末は、司馬さんのいう「面白がり」に枚挙の暇はない。雲霞の如く出てくる人物の中で、筆頭が竜馬であり西郷だ。司馬さんのペンは紙面の中で、彼らを所狭しと動き回らせる。我々は嬉々として、その一言半句に心を躍らせるのである。ここに司馬さんの人生観を知り、『竜馬がゆく』を理解する一文がある。産経新聞からの孫引き(次代への名言~司馬さん遼なり~ 2012.5.1)である。「司馬さんが《自分に課していた哲学》があった。《人間はいさぎよく生きて見苦しくなく死ねばいい》ことだった。」司馬さんの竜馬と西郷に対する愛情を容易にはかることができるのだ。「竜馬にいわせれば、自分の命にかかずらわっている男にろくな男はいないというのである。」「どうせ死ぬ。死生のことを考えず事業のみを考え、たまたまその途中で死がやってくれば事業推進の姿勢のままで死ぬというのが竜馬の持論であった。」~竜馬がゆく 近江路~司馬さんと竜馬はつながる。つまり司馬さんは竜馬が大好きなのだ。それは何故と問われれば、きっと「生き方に共感が出来る」とご返答いただけたことであろう。『竜馬がゆく 近江路』では、刺客の情報を得て中岡慎太郎は、竜馬に対し暫時身を移すよう進言する。しかし竜馬は拒絶するのだ。「竜馬の一分がゆるさない。」司馬さんは、竜馬の心境をそう綴る。これは司馬さんの、竜馬に対する最大級の賛辞であると私は読んだ。「生死は、天命にある。それだけのことだ。」『竜馬がゆく』を、湧きあがる熱情の中で読みすすめた読者なら、きっと感涙にむせんだ一文であろう。私はシビレた!そして作品の眼目をここに見てとった。もちろん、司馬遼太郎という作家も。『竜馬がゆく』では、最後に、刺客に襲われ落命寸前の竜馬は、中岡をみて笑うのである。それは「澄んだ、太虚のようにあかるい微笑」であったという。私は、司馬さんという御仁にシビレそして惚れたのである。記念館の菜の花に想いを馳せ、今宵は司馬作品をつまみ食いしながら、司馬さんを偲びたいと思う。
2014.02.13
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坂本竜馬かく語りき人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。 「竜馬がゆく」司馬遼太郎 常に心に念じていたい、そう思う。自戒を込めて。
2014.01.30
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先日は、内村鑑三先生から薫陶を受け(コチラ)、先帝の御製に感動し(コチラ)、出光佐三氏からご垂教(コチラ)をいただいた。明治、その高尚にして気高い時代に、おおいに想いを馳せる今日この頃である。そんな折も折、このたびは内村鑑三先生から具体的な訓育を授かった。『我等は人生の大抵の問題は武士道を以て解決する、正直なる事、高潔なる事、寛大なる事、約束を守る事、借金せざる事、逃げる敵を遂わざる事、人の窮境に陥るを見て喜ばざる事、是等の事に就て基督教を煩わすの必要はない、我等は祖先伝来の武士道に依り是等の問題を解決して誤らないのである。』 内村鑑三「武士道と基督教」「武士道」こそ、明治の高尚や気高さの元であり、それはまた現代の悩みや誤りを解くキーワードでもある。その内容たるや、明快そしてシンプルなにより極めて常識的なのだ。これが真理の実相である。我々が現実に抱えている問題、それは内村鑑三先生のいう『人生の大抵の問題』のひとつなのだが、それらは『武士道』をもって解決がかなう、そういうことなのだ。今の社会を俯瞰し、合わせて己の行状を省みたて、『武士道』に疎かなることは明白だ。そしてまた内村先生に『祖先伝来』と突きつけられると、ただただ恥じいるばかりである。今、我々は『武士道』に戻らならければならない。そして、それをもって『大抵の問題』をひとつひとつ確実に解決していくべきだ、そう思う。道徳教育が見直されている昨今である。願わくは、内村先生の七カ条を、日本国民として守らなければならない七つの事、として道徳教育の根底に掲げていただきたい。内村鑑三先生の言葉に触れ、日本の未来に希望の曙光を認めた次第だ。気が付けば、周りはすべて我が師なのである。感謝。
2014.01.09
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明治にかえる『私に命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない。』 内村鑑三 講和録 「後世への最大遺物」 より。内村鑑三先生は聴衆に思いの丈をぶつけた。『一つの何かを遺して往きたい。』然ればそれは何か。『誰もが等しく後世に残せるもの、それは勇ましい高尚なる生涯である。』聴衆は皆、血湧き肉躍ったことであろう。講和録は現代まで読み継がれ、そして数多の人々に多大な影響を及ぼした。聴衆の興奮を想像するに難くはない。それにしても「高尚」という言葉は久しく目にしていなかった気がする。昭和は遠くなりにけり、いわんや明治をや。そういうことであろうか。かつて日本は、しかもさほど遠くはない過去、清らかで気高い意志が充満していた。翻って現代を見渡す時、私は少なからず失望を懐くことを禁じえない。だがしかし、ありがたいことに我々は、今こうしてこうやって良書から薫染をこうむることが出来るのである。願わくは、一人でも多くの方に内村先生の、明治の思いを読んでいただきたい。平成二十六年、明治にかえり精神修養に励みたい、改めてそう思った次第である。降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
2014.01.07
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僕は青年に呼びかける。政治家をあてにするな、教育に迷わされるな、そして祖先の伝統の血のささやきを聞き、自らを頼って言論界を引きずれ、この覚悟をもって自ら鍛錬し、修養せよ、そして、その目標を明治時代の日本人たることに置け 出光佐三新保祐司氏(文芸評論家)の小論『「日本人に返れ」の声が聞こえる』からの孫引きである。出光興産創業者の出光佐三氏は近年、小説で有名だ。出光佐三氏の力強い言葉に接し、中年の身も血わき肉おどる。平和ボケした現代人へのまさに檄文である。早速、私は拙い文字で書き写し書斎に掲げた。2014年はこの言葉を指針に行動し、そして物事の判断にしよう。それにしても、我らが見習うべきは明治の人物なのである。出光氏の檄文を目にしそのことを改めて認識した次第である。
2014.01.06
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【ブッダのことば、九四四】古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引するもの(妄執)にとらわれてはならない。八つの詩句の章 九四四『ブッダのことば』中村元訳在職中は言うべきを言い、為すべきことを為し、去り際もよく、人物といわれた御仁が今頃になって表舞台に上がってきた。自ら去った人は、ものは申さぬほうがいい。内容が問題ではない、その未練である。未練は日本の美風に馴染まない。そしてまた未練は妄執である。故に醜なり。必ずや晩節を汚すことになろう。黙して語らず、されど胸中知る人は知る。もしくは死して後、歴史に濾過され衆人の知るところとなる。それが本当に彼の人にとって言うべきことであり、正しい事であったなら。我が私淑の師、中村元先生は『ブッダのことば 九四四』をこう解説する。『転換期に当たって、或る点に関して古いものを残すか、或いはそれを廃止して新しいものを採用するか、という決断に迫られるのであるが、その際にはその決断は一定の原理に従ってなされねばならぬ。~中略~それは「ひとのため」であり、それが同時に高い意味で「わがため」になるのである。』もちろん、それは貧弱な経験や軽薄な理論、なにより偏狭な思想に立脚したものであってはならないことはいうまでもない。ただ悲しいかな人はおしなべて無明である。だから自己に縛られ自己のみを主張するのだ。お歴々には、「すべては移り行く」というということを認識し、まずは降壇してほしいものである。そしてブッダのことばを理解してほしい。※追記(2013/10/30)「やはり変人か?」こう報じているものが目についた。以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞真実義というわけか。誠に残念である。
2013.10.29
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【ブッダのことば、七〇二】村にあっては、罵られても、敬礼されても、平然とした態度で臨め。(罵られても)こころに怒らないように注意し、(敬礼されても)冷静に、高ぶらずにふるまえ。大いなる章 七〇二『ブッダのことば』中村元訳常に平常心を保つというのは、いかに困難なことであろうか。ブッタもこう言う。『これは行いがたく、成就しがたいものである。』そして結ぶ。『しっかりとして、堅固であれ。』我々はこれを目標とし、日々の鍛錬に励むべきである。
2013.04.26
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【ブッダのことば、九四四】古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引するもの(妄執)にとらわれてはならない。十五、武器を執ること 九四四『ブッダのことば』中村元訳※中村先生解説より『すべては移り行くということの認識にもとづいて、現実に即した柔軟性に富んだ実践原理が成立するのである。人生の指針として、こんなすばらしいことばがまたとあるだろうか!』これに続き、中村先生は一ページに渡り解説を綴られている。ブッダのことばもさることながら、中村先生の解説は我々に生きる勇気と智慧を授けてくださる。心ある方は、是非「ブッダのことば解説」をお読みいただきたい。
2013.04.19
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【ブッダのことば、一〇六四】わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。彼岸に至る道の章 一〇六四『ブッダのことば』中村元訳※中村先生解説◆最上の真理→不死、ニルヴァーナ、をいう。◆ここでは、徹底した「自力」の立場が表明されている。仏は、人々を救うことができないのである。
2013.04.12
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【ブッダのことば、七一七】心が沈んでしまってはいけない。またやたらに多くのことを考えてはいけない。腥(なまぐさ)い臭気なく、こだわることなく、清らかな行いを究極の理想とせよ。大いなる章 七一七『ブッダのことば』中村元訳※註腥い臭気なく→煩悩のない者となって、の意。
2013.04.09
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書を捨てよ、旅に出よう 吟遊映人泉下の寺山修司氏にお許しを願い一時(一字)変更しました(^^)v一定の年齢以上の方には、あまりにも有名な一文です。書を捨てよ、町に出よう 寺山修司あらためて見ても、このアジテーション味を帯びたスローガンには震えを覚えます(笑)それにしてもこの一文をもって、かつて青年は書物に耽ったことがわかります。翻って昨今の風潮は「活字離れ」。青年が読書に勤しんでいた頃は、その言葉も概念も存在しなかったような気がします。とはいえ、今日は寺山兄ではなく「旅」についてです。季節柄か旅がテーマのコラム二つを目にしました、ご覧あれ♪■京都新聞 凡語汽車旅の楽しさ春の行楽シーズンが到来し、旅にいざなう広告をよく見かける。格安航空会社の参入も相次ぎ、飛行機のスピードは捨てがたい。でも、やはり旅は列車に限る気がする。作家の出久根達郎さんが編んだ「むかしの汽車旅」(河出文庫)を手にしてみた。漱石や鴎外など30人の作家の汽車の旅についての随筆集である。永井荷風には路面電車にふらりと乗り込む妙な習慣があったようだ。「別に何処(どこ)へ行くという当(あて)もない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体を揺(ゆす)られるのが、自分には一種の快感を起させる」と記し、車内で乗客の会話に耳を澄ます。他の多くの文人も夜汽車で、二等車で、三等車で乗り合わせた人々の人間模様に関心を寄せる。全員が進行方向を向く今の新幹線では、乗客同士が顔を合わさず、こうはいかない。4人掛けの列車でこそ可能な細部にわたる人間観察は、作家の小説取材でもあったのだ。停車駅では駅弁を買い求め、時に駅頭に降り立って土地の名産品を求める。食事は長い時間をかけ食堂車でとる。車窓を流れ去る風景をさかなに、ゆったりと杯を傾ける。先を急がない先人たちの旅がうらやましい。そういえば、昭和の初めに文庫本が創刊されたのは、電車内で読書する人が増えたためという説がある。文庫本をポケットに入れ、この春は列車の旅に出掛けようか。■北國新聞 時鐘3月は鉄道ニュースの季節である。東北新幹線(とうほくしんかんせん)が時速320キロを記録。旧型(きゅうがた)の上越(じょうえつ)新幹線が引退(いんたい)。首都圏(しゅとけん)の私鉄と地下鉄の乗り入れもあった。記念のホームは鉄道ファンで埋(う)め尽(つ)くされ押し合いへし合い罵声(ばせい)が飛ぶ。携帯(けいたい)やデジカメが林立(りんりつ)する。一種異様(いっしゅいよう)な光景(こうけい)だ。遠ざかる列車と静かに別れるなどという情緒(じょうちょ)とはほど遠い。学生のころの思い出がある。東北本線に乗っていた。ある駅で、まだ幼顔(おさながお)の残る少年が横に座った。当時の客車は窓(まど)が開(ひら)いた。ホームに見送りの母親がいた。就職(しゅうしょく)で上京(じょうきょう)すると言い、どこのだれかもわからない旅(たび)の学生に「東京までよろしくお願いします」というのだった。昨日の本紙「レトロ写真館(しゃしんかん)」は1964年の集団(しゅうだん)就職の一枚だった。中学を卒業した子どもたちの不安(ふあん)と夢(ゆめ)がホームを埋(う)め尽(つ)くしていた。同世代の一人として「あゝ上野駅(うえのえき)」は今も切(せつ)ない。二十歳(はたち)過(す)ぎても親のすねをかじっていた後(うし)ろめたさが胸をよぎる。上京する列車の窓から見た景色に初めてふるさとを意識したと詠(よ)んだ詩人(しじん)もいた。春3月の鉄道から「切なさ」が消えたのはいつのころからだろう。青春の日、目にした一行半句に触発され、気ままな旅を謳歌した者にはどうにもムシが疼くコラムです。しかしながら今となっては、書はいくらでも捨てられるのですが(笑)、自分ひとりでは捨てるに捨てられない世のしがらみで、出たくとも、なかなか出られない旅なのであります。しかしそれを恨んでみてもせんない事。ならば青年には自分の分まで旅を謳歌して欲しいもよと思う次第なのであります(^^)宮本常一氏のご尊父は、子息の上京に十の垂訓をされました。その一つを旅の心得として青年に贈ります♪『汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているか、育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうところをよく見よ。駅へ着いたら人の乗り降りに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置き場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。』 それにつけても、青年よ。まずは音楽のイヤホンを外し、そしてスマホから目を上げてください。自ずから見て、聞いておおいに刺激を受けて欲しいものです。すべからく青春の旅は素晴らしいものなのですが、人生を過ごした後に、それこそが実学であったと必ずや理解されるときがくるでしょう。宮本父の訓も、後に必ずやその含蓄の深さをおわかりいただけることと思います。さあ青年よ、イヤホンを外し、スマホから目を離し、そして旅に出よう!
2013.03.21
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『安岡正篤先生訓』恋愛いかなる異性を恋するかは自己人格と密接に関係する。すなわち自己の人物相応に恋する。故に人は恋愛によって自己を露呈するのである。すでに我が身は恋愛とは無関係ですが(笑)、対象を友人知人の類に置きかえ考えてみると、おおいに合点がいくのであります。まずは己を知り自己研鑽に努力(つと)めましょう、そういうことです!
2013.03.18
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【菊池寛 男気なり!】閉門即是深山読書随処浄土 菊池寛三月六日は菊池寛の六十五回目の命日でした。東奥日報のコラム「天地人」で知りました。まずはそれをご一読ください。小説家の菊池寛は親友の芥川龍之介が死んだ時、その枕元で泣いた。直木三十五が死んだ時は東大病院で号泣したという。よほど無念だったのだろう。二人の名前にちなんで芥川賞と直木賞を創設した。「(二つとも)あの涙から生まれたような気がする」と、小説家の川口松太郎が書いている。小説家の織田作之助が発病して宿屋で寝ているのを菊池が見舞った時は、織田の方がおいおい泣いたという話もある。いま「競争だ」「合理化だ」と世間の風は世知辛い。そんな人間味のない風に当てられているせいか、菊池にまつわる話は心にしみる。旧制一高(東大教養学部の前身)時代、菊池は窃盗事件で友人の罪をかぶり退学した。「文教関係に勤める父が職にいられなくなる」。友人がそう言って泣くので、菊池は罪を認めさせようという気になれなかったのだ。新渡戸稲造校長が後で真相を知り、寛大に計らおうとした。が、菊池は「前言を翻すのは卑怯」と、最後まで罪をかぶる。そんな男気もあった。とはいえ、金もなく行く当てもない。そこを金持ちの同級生に救われるのだから、世の中は面白い。同級生の親が経済的な面倒を見てくれたため、菊池は京大に進むことができた。文藝春秋の社長でいた頃、食えない作家がやってくると、ポケットから五円札、十円札を取り出し、無造作に与えたという。少年時代に受けた恩を忘れず、世間に返し続けていたのだ。まるで人情物語のような人生だ。菊池は65年前のきょう59歳で亡くなった。補足を致しますと、上記の窃盗事件とは文壇では有名な「マント事件」です。菊池寛が知人の部屋からマントを盗みそれを質入したというのです。真相はというと、犯人は佐野某。彼は質屋から得た金で倉田百三の妹とデートしていたといいますから落語話のようです(^^)余談で恐縮ですが、五代目古今亭志ん生師には、高座をつとめるために師匠から借りた羽織を質入して飲んでしまった、という武勇伝があります。結果はというと、志ん生師曰く「師匠ぉをしくじってしまいましてね」とな(笑)それにしても新渡戸稲造の尽力に「前言を翻すのは卑怯」と通したのはサスガは菊池寛、男気の人だと思います。苦し紛れの末に「方便」とこたえひんしゅくと軽蔑を買った御仁に、氏の爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいものです。ときに菊池寛は読書によって青春の蹉跌を抜けました。上野図書館や麹町の大橋図書館、日比谷図書館を馴染みにしたそうです。彼のあくなき知的欲求を図書館での読書が満たしてくれたというわけです。閉門即是深山 読書随処浄土なるほど、含蓄に深いものを感じますねぇ活字離れや本の電子化で、図書館の存在そのものが危ぶまれる昨今、ここは菊池寛を偲び、週末には図書館に出かけてみたいと思います。それはそうと、東奥日報のコラムは秀逸です!現状批判ばかりが多いコラムの中で、新聞のコラムの役割をちゃんと心得ていらっしゃると思います。東奥日報 天地人に感謝(^人^)
2013.03.08
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竜馬か西郷か、司馬さん真理を説く!人物評は楽しいものだ。いつの時代も、人が寄れば人物を語ったものである。吟遊映人の回りもまたしかり。 「西郷と竜馬はどちらが人物か」 巷のそういう声にこたえるがごとく、司馬さんは『竜馬がゆく』のあとがきに真理を説く。 「西郷は竜馬と別の場で計量されるべき人物」 口角泡を飛ばし、やれ西郷だ、やれ竜馬だ、とほえていた諸氏はハタと我に返るのではないか。そして気がつくはずである。総じて人物評には、好悪の念に行き着くまでの、感情の占める割が多分にあることを。 ともあれ、司馬さんは両者に好感を抱いていることは作品から読んでとれる。竜馬も西郷もともに人物中の人物あり、時代のある部分で天に必要とされた人であるということだ。 坂本竜馬、西郷隆盛、ともに大偉人なり。これでよし(^^)司馬遼太郎「菜の花忌」に関してはコチラまで(^^)
2013.02.15
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竜馬、かく語りき。竜馬、絶対真理を喝破せり。それは竜馬の無量なる懐の深さの所以でしょう。そしてまた竜馬、見事なまでに謙虚である、そう思うのです。人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるというところだ。 「竜馬がゆく」司馬遼太郎 自戒をこめ、常に心に念じていたい金言だと思うのでありました。 関連して、先日の北國新聞のコラム「時鐘」を掲載します。こちらも、謙虚で誠によろしい!新聞を読んで清々しい気分に浸れたのは久しぶりです(^^) 昨年秋から今年にかけて80歳代の元上司(じょうし)二人を亡(な)くした。時期は違ったが、ともに「時鐘」を長く担当した先輩(せんぱい)だった。古い「時鐘」を読み返し、戦前生まれの力にあらためて感じ入った。身内(みうち)をほめるのではない。どの業界にもある世代間の壁(かべ)ではないかと思う。戦争体験者には筋(すじ)の通ったものがある。戦後生まれには真似(まね)られない時代の力だ。辛(つら)さを受け入れる力とも言える。元上司と同年配の映画監督(かんとく)・大島渚(おおしまなぎさ)さん(80)が先日亡くなった。人々が見たい映画を作るのではなく、見たくないものを作り続けた映画人だと評(ひょう)された。社会には見たくない現実や真理がいくらもある。それを残すのも表現者(ひょうげんしゃ)の責任だというのである。新聞にも似た責務(せきむ)がある。戦後の主力部隊(しゅりょくぶたい)・昭和一ケタ生まれの先輩は「コラムの打率(だりつ)は3割なら上出来(じょうでき)」と生前語った。7割以上は空振(からぶ)りか凡打(ぼんだ)。言葉足らずで忸怩(じくじ)たる思いが残ることも再三(さいさん)だ。年に1本か2本会心(かいしん)のヒットがあれば喜べと言うのだった。読者にはお叱(しか)りを受けそうな低打率だが、当欄(とうらん)の世代を繋(つな)ぐ一人として、素振(すぶり)りを重ね稽古(けいこ)するしかない。願わくは、自信と驕慢を勘違いされているような大手新聞のご担当にもお読みいただきたい、そう思った次第です。~竜馬の教え~◆竜馬、かく語りき。其之弐「道はつねに幾通りもある。」 コチラ◆竜馬、かく語りき。其之壱「人の運命は九割は自分の不明による罪である。」 コチラ
2013.01.29
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人生を達観する。それは大いなる目標にして遥かなる彼方です。大晦日に、縁あって志ん生師のリマスター版を手にすることができ、嬉々として「拝聴」する毎日です。以前は原音版を我慢して聞いていたのですが、機械的な雑音もさることながら、省線の走る音や観客の騒ぎまでひろっており、閉口顔で笑っておりました(はぁ?)それにくらべるとリマスター版の快適なことといったらありません(^^)志ん生師の笑いを心ゆくまで楽しんで確信しました。この芸は本物だ、と。そして思いました。この人は達観しているな、と。以前の芸人はよく、芸のために遊ぶ、と言いそれを実践しておられました。それはそれで本物だと思います。ただ、そこまで。しかし志ん生師はその先まで行っている。人生と芸が渾然一体なのです。それが芸人における人生の達観なのでしょうか。「どうです?師匠。」そう尋ねたところで「そういうナニは、まぁナンだねぇ。」くらいにはぐらかされてしまうことでしょうがね。さて、達観といえばこの人もおおいに達観されておりました。むこう(彼岸)で志ん生と会えるのが楽しみ、そう言ってサッサと逝かれてしまった小沢昭一さんです。今頃、彼岸ではあの小沢節をもって、志ん生師をおだてては毎日噺を聞いていることでしょう。うらやましいなぁ~その小沢さんの達観を感じる一句です。遙なる次の巳年や初み空詠まれたのは前回の巳年。ご自身の解説によると、「おそらく次の巳年には永の眠りに入っているだろう。」その通りに、今年の巳年は迎えることはかないませんでした。自分のことをちゃんをわかっておられたのですね。そして、この斜と達観の妙が小沢昭一の小沢昭一たる所以なのでしょう。「どうです?小沢さん。」そう尋ねたところで「そのココロだぁ~!」くらいにはぐらかされてしまうことでしょうがね。ひとつ言えるのは志ん生師も小沢氏も、そこにそよ風が吹く以外にとりたてて何もない、そういうことなのだと思います。ということで、私目もその境地にむかい粛々と邁進してまいりたい、そう決意を新たにした正月七日なのでありました。~追記~ときにリマスター版に関してひと言。デジタルの技術をもって音を再生することに何かと物議があるようです。幸か不幸か、志ん生師の落語を、かろうじて生で聞いたことのある世代として言わせていただければ、こと志ん生師につきましては違和感はありませんでした。先述しましたとおり、私は嬉々として「拝聴」しておりますから(^^)そうはいってもはじめてお聞きになられる方は、リマスター版とはいえ、その音の悪さにびっくりするかもしれません!老婆心より(笑)ですが!!昨今にない、本物の名人芸をご堪能いただけることは請け合いです♪昨日今日の落語とはワケが違いますから!五代目 古今亭志ん生、ぜひ一度お聞きあれ(^^)
2013.01.08
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新しい年に臨み、ただ漠然とではありますが、私は一陽来復の兆しを感じます。それはまさに初春の寿ぎというに相応しい感覚です\(^o^)/騒々しいことは昨年のうちに限りを尽くし、今年は「何か」とても明るい気配を感じるのです。少なくとも・・・三が日のうちはそういう気を持って暮らしたいと思います(笑)直木賞作家の山本一力さんは「明日は味方」を信念とされているそうです。なるほど、それは作品を読めば一目瞭然です。『明日を敵に回すより、味方にできれば生き方が変わる。どんな状況でも夜が明けることが楽しみになる。』実に明快で何とも気力あふれる一力さんのひと言だと感服します。一力さんの歩みを見聞させていただくに、その人生経験から得られた信念だと推察するに難くはありません。艱難辛苦に接し「明日は味方」そう唱えることで一力さんは生きてこられた、そして広大なる気力を得られたのだと思います。試しに「明日は味方」そう声に出してみました。何だか気力が漲ってまいりましたよぉ!一力さんの信念をお裾分けいただき、氏のように粛々と人生を邁進したい、そう思う次第でありました(^^)vそしてもうひとつ。『行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。』いわずと知れた勝海舟の喝破のひと言で、その解釈(真意)は各々ですが、勝という人物に真の英雄を感じるひと言です。私は新しい年に臨み、こう理解をしてそれを実行したいと思うのです。己の行動は、出るも引くも曲がるも越すも、それみな己の判断による。だから人に誉められようが毀(そし)られようが惑わされない。因果のすべては己の責任にあり、そう心得るべし。少し前は世間を評して「無責任」といいましたが、昨今ではさらに「責任のなすりつけ」へと悪化の一途をたどっていると思います。何はさておき、私はその風潮にだけは棹差して生きていきたい、そう思いかたく心に誓うのです。以上、てんこ盛りの我が正月でありました(^^)はてさて、平成二十五年はいったいどんな年になりますことやらね♪
2013.01.02
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ツァラトゥストラはかく語りき自然の大いなる営みの中に、圧倒的絶対的なものを見つけ、人間の卑小なるを思い知らされたとき、人には多少なりとも哲学的な思考が芽生えるものです。冬の或る日、ある場所。天気晴朗なれども、その孤高なる一木に「陽」の明るさを感じることはありませんでした。とはいえ、そこに「陰」なる影を感じることもく、それは人の一切の感情を拒絶した、ただ一木の存在あるのみでした。実は一興までに「アルプス交響曲」を聴きながらこの景色を眺めていました。次は同じくシュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が続きます。その時、私の哲学的思念のスイッチが入りました(笑)ティンパニーは我が漫然の心に覚醒の楔を打ち込み、金管は嚢中の迷路を電光石火で突き進み、このごろでは錆びついていた哲学的思念回路に灯をともしたのです。私はとりとめもなく沈思黙考に耽りました・・・さて、シュトラウスがニーチェに刺激を受けて(というか、ツァラトゥストラ、はタイトルもそのまんまなのですがね・笑)この曲が生まれたのは明々白々です。きっとシュトラウスはニーチェを精読した後にツァラトゥストラを作曲したはずであり、彼もその哲学的な思惟をベースに譜面に向ったのであろう、私はそう確信します。ただそれはそれとして・・・「アルプス交響曲」も「ツァラトゥストラはかく語りき」もお気に入りの曲ですし、何よりシュトラウスはバイロイトにて敬愛してやまないワーグナーの「タンホイザー」を指揮したこともあり、彼は好きな作曲家の一人なのですが、新聞で気になるコラムを目にしました。▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼シュトラウスも少し変わった人だったのだろう。大芸術家なのに金の勘定ばかりしており、作曲家マーラーの妻アルマに「シュトラウスの頭の中にあるのはお金のことだけだった。四六時中、鉛筆を握って、収益を最後の1ペニヒに至るまで計算していた」と書かれた。ドレスデンで「サロメ」のリハーサルを終えて帰ってきたシュトラウスに息子が、「パパ、いくらもうかったの」と聞いたところ、「お前もやっと自分の息子になった」と言ったという逸話さえある。産経新聞 【from Editor】 2012.12.1 ▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼なんだかなぁ(>_
2012.12.10
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人よりも一尺高くから物事をみれば、道はつねに幾通りもある。 司馬遼太郎:竜馬がゆく ~夕月夜~中岡慎太郎は決死の形相をもって竜馬に詰めよりました。「竜馬、言うちょくが幕府は砲煙のなかで倒す以外にないぞ。」竜馬はかく語ります。「しかない、というものは世にない。人よりも一尺高くから物事をみれば、道はつねに幾通りもある。」まずもって竜馬は議論をよしとしません。なぜなら議論は、幕末の混沌とした時期に、その大方は目的を失い、議論のための議論となっていると見ていたからです。つまりは時間が押し迫り(未来から見てるとね♪)待ったなしの竜馬には、議論に費やすいとまなど無かったわけです。そしてまた議論は、幕末の熱い輩をいっそう熱くするものであることを竜馬は見抜いておりました。竜馬は、ふっかけられた議論を上手にはぐらかしていたことでしょう。そういう背景の中で竜馬の言葉が冴え渡ります!人よりも一尺高くから物事をみれば、道はつねに幾通りもある。これは真理です。したがって神仏にはそっぽをむく竜馬ですが、竜馬の宗教観のようなものを見て取れます。また、勉学熱心と言うには程遠い竜馬ですが、竜馬の学問(実学を言う)の結集が見て取れるのです。心居つくことなく、物事を全面的に多面的に全体的にとらえて万策を導き出す。この真理は、竜馬が人生実学から得た、実行的かつ実際的な崇高な理念(哲学)だと思います。それが証拠に、実践(実行的かつ実際的)に即していたからこそ、薩長同盟の締結も大政奉還の成功も相成ったということでしょう。言うなれば、明治維新はこの理念の基に成った、そう言っても過言ではありますまい!だから我々は、事ここに臨むに至ったときは、竜馬の言葉を思い出し、『しかない、というものは世にない』→心そこに居つくことなく(心冷静に)『一尺高くから物事をみ』→物事を全面的多面的全体的にとらえ『道はつねに幾通りもある』→あらゆる方法を考え出す。竜馬を想い、これを常に心がけたいと思うのであります(^^)v世の中は騒々しいのですが、センセイといわれる方々は「心居つくことなく物事を全面的多面的全体的にとらえあらゆる方法を考え」お臨みくださいませ。夏目漱石曰く『いずくんぞ知らん、門外に一天開くを』と、貧弱な天井に固執せず、その先にある無限の青空をご覧なさいな♪※「竜馬、かく語りき。其之壱」はコチラから。
2012.11.19
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竜馬、かく語りき。人の運命は九割は自分の不明による罪である。 司馬遼太郎:竜馬がゆく ~秘密同盟~慶応三年十一月十五日、竜馬は京都の近江屋で賊に遭難し命を落としました(-人-)ちなみに生まれも十一月十五日(天保六年)、幕末の大立者は生没にも異彩を放っています。藤堂平助を評じた竜馬は人生論を語ります。相手は三吉慎蔵。これは竜馬の行動指針に他ありません。つまりはどう生きるのか(生き方)ということです。「九割は自分の不明」とは、己の采配(責任)によるもの、ということでしょう。竜馬の胆力(=覚悟)を知るものです。また、まんじゅう屋長次郎にはこう諭しています。男は、喧嘩をするときには断乎喧嘩をするという大勇猛心をもっておらねばならぬ。又曰く男はどんなくだならぬ事ででも死ねるという自信があってこそ大事をなしとげられるものだ。 司馬遼太郎:竜馬がゆく ~三都往来~薩長同盟も大政奉還も、すべてはこの覚悟があったからこそ成し遂げられた、そう思います。この故に、我々が竜馬を想う時は、『何事であれ覚悟を持ち、すべてを自分の責任と心得て臨むべし』そう心に誓わねばならぬと思うのです。ときに昨今、大先生方の間では「生命をかけ・・」は常套句。命も薄っぺらなモノに成り下がったわけですねぇ(汗)とはいえ、そういう御仁に限って何かと竜馬を引き合いに出す始末です、嗚呼(涙)願わくは、覚悟のない大先生方に竜馬をひいてほしくはない、そう思うのであります。全国の竜馬ファンを代表し、心よりお願い申し上げ奉りまするぅm(_ _)m竜馬に衷心の合掌(-人-)を捧げ、大先生には真正の言葉(^o^)を捧げます!『正直にやることだ、誠実に。』 司馬遼太郎:竜馬がゆく ~横笛丸~もちろん我が自戒をこめての事ですよん(^^)v
2012.11.15
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みずからは正しい誓願を起こしていること、これこそ人生に喜びと確信を与えるものである。~スッタニパータ(ブッダのことば)~中村元『小なる章』註より
2012.07.21
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みずからの主体的な心のもち方により、喧噪や誘惑はないのと同様になるのも可能である。~スッタニパータ(ブッダのことば)~中村元『小なる章』註より
2012.07.20
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山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 ~草枕~ 夏目漱石
2012.06.09
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評論家の吉田秀和先生がお亡くなりになられました。享年98歳、なされるべきことはすべてなされた先生の逝去は、まさに大往生というにふさわしいのかもしれませんが、それでも先生の薫陶を受けた者としては誠に寂しい限りで、なにより日本国が英知の柱を失ってしなったような気がして、おおいなる喪失感を禁じえないのです。今はただ先生のご冥福を心よりお祈りするばかりです、合掌。思えば吟遊映人がこよなくバッハを愛するようになったのは、先生の著書を味読してからです。そして行き着いたところがグレン・グールド。今日は55年のモノラル録音を聴きながら、終日、先生の著作に浸りたいと思います。※先生の各評です。今更ながら、先生の表現は優雅で格調高く何より的確であると痛感しました。「宇宙的なハーモニーのやさしさに満ちた気高さと美しさ」・・ギュンター・ヴァント「天才の純潔とでも呼ぶほかない」・・ピアニスト、グレン・グールド「比類のない鍵盤上の魔術師」・・ウラジーミル・ホロビッツなおホロビッツの評に関して、29日付産経新聞(産経抄)に詳細がありましたので、そのままあげさせていただきます。【産経抄】5月29日 昭和58(1983)年に、今世紀最高のピアニストといわれたウラジーミル・ホロビッツの初来日が決まると、クラシック界は上を下への大騒ぎとなる。5万円という史上最高値の入場券はあっという間に売り切れてしまった。 ▼78歳の巨匠は、グランドピアノ3台を空輸し、料理人や医師、調律師とともに意気揚々と乗り込んだ。ただ肝心の演奏は、「素人耳」にもミスタッチが目立つ散々の出来だった。「ひびの入った骨董(こっとう)品」。音楽評論家の吉田秀和さんが、テレビ中継で述べた感想に、多くの人が共鳴する。 ▼あまりに的確な批評は、ホロビッツの耳にも入ったらしい。酒や睡眠薬をやめ、心身ともに健康を取り戻して、3年後に再来日を果たす。「霊妙なアロマ(芳香)」。汚名返上の演奏に、吉田さんは最大限の賛辞を贈った。なぜかこちらは、話題にならなかったが。 ▼戦前では珍しいピアノのある家で育った。母親に習って、バッハやモーツァルトを弾いて遊んだものだ。同時に、「どうしてベートーベンはこんな旋律を作ったのだろう」などと考える子供だった。 ▼9年前にドイツ生まれの妻、バルバラさんを亡くし、50年以上続いてきた執筆を一時中断した。しかし、悲しみを乗り越える力をくれたのも音楽だった。90歳を超えてから取り組んだテーマが、詩と音楽のかかわりだ。 ▼「中原中也にフランス語の手ほどきをしてもらった」。天才詩人との交流から書き起こしたエッセー集『永遠の故郷』(集英社)は、昨年4部作で完結した。独り暮らしの自宅で亡くなったのは、編集者に原稿を手渡した翌日だったという。98歳の現役の音楽評論家には、どこを探してもひびなど見当たらなかった。
2012.05.30
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妻子も、父母も、財宝も穀物も、親族やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩めスッタニパータ、蛇の章六十 中村元訳
2012.04.30
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『安岡正篤先生訓』科学と哲学「自然をいかに化するか」ということを考究するのを科学というならば、「人間をいかに化するか」ということを考えるのがいわゆる哲学である。本当に「化そう」と思ったら、やはり深い哲学や信仰を持たなければいけない。
2012.02.14
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ひらめく書を読むの際は、生きた人生に連想が及ぶことことが必要だ。それを頭がひらめくと云う。学問が身についてきた証拠だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書とは何か、畢竟それは安岡先生の「学問」にほかならない。吟遊映人は、安岡先生に「学問が身についてきた証拠だ」と言われるよう、日々精進するのみである。
2012.02.13
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『魂の感動』いくら科学を研究しても安心立命が得られるわけではない。あるいは自己を喪失することもあろう。魂の感動に基づかなければ真の生命を得ることはできない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吟遊映人が安岡先生に私淑するきっかけとなったのは論語である。だが、このところ多忙にかまけて先生から遠ざかっていた、猛省!上の訓は先生の識見の妙である。先の震災で、我々は経済至上主義に基づいた「科学の絶対的優位」という思想が単なる妄想であることを身をもって知るに至ったのだが、先生はかねてより警句を発していたように感じるのである。ということで、これからは三読の結果を少しずつご紹介していきたい。吟遊映人は、皆様が安岡先生の薫陶を得られることを願ってやまない次第である。
2012.02.10
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山頭火に学ぶ其中漫筆一、何を食べてもおいしく一、何を為てもおもしろく一、何を見てもたのしく一、何を聞いてもたのしく昭和十年かくありなん、そう思う今日この頃です。吟遊映人
2012.02.03
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真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し、真理の定めを知り、真理をそこなうことばを口にするな。みごとに説かれた真理にもとづいて暮せ。「ブッダのことば(スッタニパータ)」中村元訳
2012.02.02
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耳を通じて耳を通じて心がうらぶれたときは 音楽を聞くな空気と水と石ころぐらいしかない所へそっと沈黙を食べに行け 遠くから生きるための言葉が 谺してくるから清岡卓行
2012.01.14
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『ザ・タウン』から【翻訳】これでやっと、過去と訣別できる人生を変えようとも罪からは逃れられない。俺の行く道は長いでもいつか会えるここか あの世で【英語】Maybe if I go I can stop looking.No matter how much you change...you still have to pay the price for the things you've done.So I got a long road,But I know I'll see you again.This side or the other.吟遊映人の『ザ・タウン』ブログはこちらです。
2012.01.09
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木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを見つめている。星野道夫「ラブ・ストーリー」から
2011.12.28
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遠い昔に会った誰かが、自分を懐かしがっていてくれる。それは何と幸福なことだろう。星野道夫「ラブ・ストーリー」からメリークリスマス♪
2011.12.24
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寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。星野道夫「ラブ・ストーリー」から
2011.12.23
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生きる者と死す者。有機物と無機物。その境とは一体どこにあるのだろう。星野道夫「ラブ・ストーリー」から
2011.12.22
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どこにいようと、すべてのものに平等に同じ時が流れている。その事実は、考えてみると、限りなく深遠なことのような気がしてくる。星野道夫「ラブ・ストーリー」から
2011.12.20
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最高の目的を達成するために努力策励し、心が怯むことなく、怠ることなく、堅固な活動をなし、体力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。スッタニパータ(中村元訳)
2011.12.14
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世の中の遊戯や娯楽や快楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。スッタニパータ(中村元訳)
2011.12.12
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悪事を己に向え好事を他に与え己を忘れて他を利するは慈悲の極なり伝教大師
2011.12.11
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