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「勝手で 気ままで 母らしからぬところなどは たくさんあるけれど それを補ったとしてもなお余る人間としてのおもしろみや、愛情の深さを見てこれが私の母なのだと 再認識した。いつまでも楽しく、おもしろく、美しい母でいてください」 昨夜、娘から母の日のプレゼントにお洒落な黒のタンクトップを貰った。最近復活させたウォーキング用にちょっとお洒落なものをと。それに添えられていた手作りのメッセージカードの言葉。最近、涙もろい・・・涙腺がゆるい・・・。上の娘は東京で孤軍奮闘中、息子はこの春から社会人で超多忙ときてるから末娘が、上の2人の分も含めて選んでくれたらしい。そう・・3人からママへと。子を産んだから、母になったのではない。子を産んでから、母になっていく。「ママ」と呼ばれて二十数年経っても、まだまだ育てられている。支えられている。まだまだ・・・。
May 14, 2007
自然界の営み、また人生の営み、からだの営みの中に「対極性」を見ることができる。昨今流行の右脳と左脳もそうかもしれない。その分野に詳しくはないのであまり言及した書き方は出来ないけれど右脳教育が重要と言いつつも、右脳だけが発達すればいいものでもなく、左脳とのバランスなのだろう。呼吸も、呼気と吸気の交互の営みによって生きている。そして、最近よく耳にする自律神経も。リラクゼーションには欠かせない副交感神経が優位になることも交感神経優位の状況が長いと心身にかかるストレスが多いので弛めてくれる副交感神経の存在が取りざたされているが、ずーーっと弛んでいたら良いものでもない。緊張と弛緩・・これもバランス。自分の身体の機能を見ても、健康で日々を過ごすにはどこまで行ってもバランスが重要だとわかる。思考や感情でも、集中と拡散、掴むことと手放すこと、受け取ることと与えること、すべてバランスが必要。けれど、このバランスはちょうど真ん中を見つけ出すことではない。どちらも知り、どちらでも必要に応じて選択できることだと思う。このバランスがどこかで崩れだすと、ひとつのことだけで済まずに他にも影響してしまう。しかし、バランスをとるために気をつけるのではなく、結果としてバランスが取れている状況が望ましいんだと思う。昨日の真夏のような晴天のあと、朝からどんよりした雲に覆われ雨が降り出した今日。バタバタと動き回った翌日には、こんなことを考えるにはちょうどイイ日なのかもしれない。あぁ・・光と闇も対極ですねぇ・・。
May 10, 2007
若いうちは問題に飛び込んで行くが、年を取ると問題が飛び込んで来る。(英語)In youth we run into difficulties;in old age difficulties run into us.(ジョシュ・ビリングズ)今朝、届いたメルマガに書かれていた言葉。若いうちは、問題に飛び込んでいけるパワーもエネルギーも、そして時間も持ち合わせている。そして、問題自体がまたまだ限られた中で起ると言えると思う。けれど、年齢を重ねるごとに関わりも増え、それにまつわる問題も当然増えていくことになり、思わぬところからの問題にぶち当たることが起こる。だからと言って、逃げても逃げ切れないものだから、どんな問題も立ち向かうしかないのだけれど、自分の問題としてみることが出来るかどうかが鍵なのかもしれない。誰のせいでもなく、自分の問題として。一見、人のせいで起っているように見えることであったとしても。自分に起っている、自分が感じる不都合は自分の問題なのだから。相手のせいにしていても何も解決しないんですよねー。自戒の意味を込めて。
May 9, 2007
講師をするスクールで初回にお話しすることにしているのが、セラピストとしてクライアントに「何かをしてあげるというスタンスではなく、いまの状態から少し楽になられるためのサポートが最大」これを最初にお話しすることにしている。セラピストと言うと、癒してあげる人の代表のような言い方もあるけれど、少なくとも「してあげる人」ではないと思う。(反対にさせていただく・・とまでへりくだる必要もない気がしている)例えば、警察官は市民を守ってあげるとは言わないし、ドクターは病気を治してあげるとは言わない。もっと言えば、お買い物に行って「売ってあげる」なんて言われたら・・「じゃ、いらない!」って、言いたくなりませんか?(私がへそ曲がり?)けれど、セラピスト志望の方に動機を聞くと「自分も癒されたから、今度は癒してあげたい」と仰る方がとても多いのに驚く。辛口表現になるが、ケースによっては、他人に“してあげる”ことで、自己価値を見出そうとしているの?とさえ感じることもある。実際の場で、“してあげる”とは言わないだろうけれど。心の持ちようは、姿や振る舞いに現れるものだと思う。サポートするのが最大であり、サポートとは“したいことをするのではなく、クライアント(相手)がして欲しいと思うことをする”ってことなんじゃないかな。もちろん、クライアント(相手)の言いなりになると言う意味ではなく。クライアント(相手)が真の意味で望むことを。。。ソレは簡単には言葉にしてくれないかもしれないし、クライアント(相手)自身も気づいていないかもしれない。そこに向き合っていけるかどうかなんだと思う。サポートとは、“したいことをするのではなく、クライアント(相手)がして欲しいと思うことをする”ってことだと思う。
May 4, 2007
嫌なことがあった→気分を害する→不機嫌→夫や子ども達に八つ当たり→夫や子ども達も不機嫌→みんなで不機嫌こんなことは日常茶飯事に起っていた。不機嫌な顔を人様には見せないようにしていても、「どうしたの?」なんて気づかれてしまうと、心の中で「あー、イケナイ・イケナイ」と気持ちを切り替えようとする自己コントロール機能が働く。けれども、それが家族となると…、甘えか?怠慢か?それとも依存?一番大切な存在なのに、この自己コントロール機能が働かなくなることが多々あるから始末が悪い。他の誰かに貰ってしまったマイナスエネルギーであったとしても、他の誰かに渡すものではないし、渡していいものでもない。「あんなこと言うなんて信じられない」とかの言葉、「それはないでしょ」とかの行為を感じたとき、その時に発せられるマイナスエネルギー受け取るから私自身がマイナスエネルギーを帯びてしまって、同じくそれを発してしまっているんだわ。「じゃ、一緒やん・・・。」ソレはないでしょと思ったくせに。いい人になりたいのではない。けれど、不機嫌でいたくないから、マイナスエネルギーは受け取らないでいたいと思う。たいがいの場合、相手を傷つけようとか、不機嫌にしてやれとかの想いで何かをするってできないモノ。何かのストレス下において、自己防衛のために、自分を守るために、相手を攻撃するかのような言動になるような気がしている。なら、自分を守ろうとしている人の気持ちを理解するかどうかは別として、私を否定したり攻撃したいんじゃない意図は理解する。ただ、方法がまずかっただけ。そこを意識すれば、マイナスエネルギーは随分と減る気がした。嫌ですよね。関係ない出来事から、みんなで不機嫌家族なんて。
May 3, 2007
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