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モスクワを訪問していた中国中央軍事委員会の張又俠副主席がアンドレイ・ベロウソフ国防相と会談、ミサイル防衛と戦略的安定について協議し、両分野における協力強化で合意したという。アメリカはヨーロッパだけでなく日本列島にも大陸を攻撃できるミサイルの発射施設を建設しているが、そうした動きを意識したものだろう。 自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書は、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画について説明している。アメリカの計画に基づいて自衛隊は軍事施設を建設したと言える。核弾頭を搭載できるトマホークを配備するともされているが、トマホークが発射されたなら、相手は核弾頭が搭載されているという前提で反応する。つまり核兵器で反撃される可能性がある。 ロシアの周辺部にもアメリカはミサイルを配備、NATOを東へ拡大させた。これはナチ時代のドイツによるソ連への軍事侵攻、バルバロッサ作戦を彷彿とさせる動きであり、ロシアが反発しただけではない。 ウォール・ストリート・ジャーナルによると、リチャード・ニクソン元米大統領は1994年3月21日にビル・クリントン大統領へ手紙を出し、その中でウクライナの内部状況が非常に危険だと警告。ウクライナで戦闘が勃発すれば、ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争は「ガーデンパーティー」のように感じられるとしている。 また、「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンは1998年、NATOが拡大について「これは新たな冷戦の始まり」であり、悲劇的な過ちだと批判、この政策を決めたアメリカ上院での議論について表面的で無知だと指摘している。 こうした政策は必然的にロシアから悪い反応を引き出すことになる見通し、NATOがロシア国境までの拡大すれば新たな冷戦を引き起こすことになるとしていた。ポーランド、ハンガリー、チェコで拡大が止まれば、そこで新たな分断線が引かれるともケナンは予測していたが、実際はそこで止まらず、ウクライナを制圧しようとする。「新バルバロッサ作戦」だ。 ヘンリー・キッシンジャーは2014年3月5日付けワシントン・ポスト紙でウクライナとロシアの関係について論じている。 ロシアの歴史はキエフ・ルーシで始まり、宗教もそこから広がり、ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、その前から両国の歴史は複雑に絡み合っていたと指摘している。ロシアにとってウクライナが単なる外国ではないということだ。特に東部と南部はロシアとの繋がりが強い。 こうした「旧保守」の警告をネオコン(新保守)は無視、対ロシア戦争を始めてしまった。簡単にロシアを屈服させられると考えていたのだろうが、逆襲で敗北必至のNATO諸国はパニックに陥っている。NATO諸国を率いている人びとは今でもロシアの戦力、工業力を過小評価し、自分たちの戦力と工業力を過大評価しているようだ。 ウクライナで敗れたアメリカやイギリスは東アジアの軍事的な緊張を高め、自分たちの存在感を高めようとしているが、中国とロシアの同盟は強化されている。バラク・オバマ政権がウクライナでクーデターを仕掛けた当時、日本でも中国とロシアが手を組むことはありえないと主張する「知識人」が少なくなかったが、それは妄想にすぎなかった。 東アジアの均衡を保つための前提、「ひとつの中国」を高市早苗首相は否定、核を保有しない、製造しない、持ち込まないという非核3原則に否定的な姿勢を示した。台湾と中国が別の国だということは台湾にアメリカが軍事基地を建設して「航空母艦」にできるということであり、日本列島に並べられたミサイルの核弾頭を搭載することもできるということを意味する。高市は首相に就任して早々、中国を軍事侵略するかもしれないと脅したわけだ。 ネオコンは中国やロシアを脅して屈服させようとして失敗したが、高市首相も同じことをしている。EUは自分たちの経済を支えていたロシアのエネルギー資源を断ち切ることで破滅へ向かっている。菅直人政権の前原誠司と同じように、高市首相は日本にとって最大の貿易相手国である中国との関係を悪化させた。日本を破壊しようとしている。 高市首相が民族派? まさか!**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.22
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次の「櫻井ジャーナルトーク」を12月19日(火)午後7時から駒込の「東京琉球館」で開催、「ウクライナ後の東アジア」について考えてみたいと思います。予約受付は12月1日午前9時からですので、興味のある方は東京琉球館までEメールで連絡してください。なお、「櫻井ジャーナルトーク」は12月で定期的開催を終了します。東京琉球館https://dotouch.cocolog-nifty.com住所:東京都豊島区駒込2-17-8Eメール:makato@luna.zaq.jp アメリカの軍事や外交をコントロールしてきたシオニストは1991年12月にソ連が消滅した直後、世界制覇プロジェクトを始めました。その計画書とも言える文書が1992年2月に国防総省のDPG(国防計画指針)草案として作成されています。1990年代以降の世界を考える場合、この文書からスタートしなければならないということになるでしょう。 その当時の国防長官はリチャード・チェイニー、文書作成の中心にはポール・ウォルフォウィッツ国防次官がいました。そこで、この文書は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれています。このドクトリンの前提はライバルのソ連が消滅、アメリカが唯一の超大国になったということであり、他国に気兼ねすることなく、国連を無視して好き勝手に行動できるとチェイニーやウォルフォウィッツを含むシオニスト、いわゆるネオコンは考えました。 しかし、21世紀に入ってウラジミル・プーチンが登場、ロシアの再独立に成功します。そこでネオコンはロシアを再属国化するため、2度のクーデターを仕掛けました。2004から05年にかけて実行された「オレンジ革命」と2013年から14年にかけてのユーロマイダンを舞台としたクーデターです。 しかし、ソ連時代にロシアから割譲された東部や南部では住民の多くがクーデターを拒否、クリミアではロシアと一体化する道が選ばれ、東部のドンバスでは武装抵抗が始まりました。旧体制の軍人や治安機関の少なからぬメンバーがクーデター体制を拒否、その一部は武装抵抗に合流したとも言われています。 抵抗運動は強く、NATOはクーデター体制の戦力を増強しなければならなくなります。そのための時間を稼ぐ必要が生じました。そこで成立させた停戦合意が2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」です。その後、8年かけてNATO諸国は兵士の育成、訓練、兵器の供与などでクーデター体制の戦力を増強しました。 2021年から25年にかけて大統領を務めたジョー・バイデンはロシアに対して軍事的な挑発を強め、クーデター体制は22年に入ると反クーデター勢力への砲撃を強め、大規模な軍事作戦が始まると噂されました。そうした中、ロシアが先手を打って2月にウクライナ軍部隊や軍事施設などを攻撃、戦闘は始まります。 出鼻をくじかれたウォロディミル・ゼレンスキー大統領はロシアと停戦交渉を開始しました。交渉の仲介をしていたのはイスラエルとトルコで、仲介役のひとりだったイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットは交渉内容を詳しく説明しています。トルコ政府を仲介役とする停戦交渉は仮調印にこぎつけていました。 ベネットは2022年3月5日にモスクワへ飛んでプーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけることに成功、その足でドイツへ向かってオラフ・ショルツ首相と会っていますが、その3月5日、SBU(ウクライナ保安庁)のメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームで中心的な役割を果たしていたデニス・キリーエフを射殺してしまいました。そして4月9日、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとウクライナの停戦交渉を壊します。(ココやココ) ジョンソンはウクライナ人に対し、最後のひとりになるまでロシアと戦えと命令、ヨーロッパ諸国に対しては資金と長距離ミサイルをウクライナへ集中させるように求めました。ジョンソンを含むヨーロッパの嫌ロシア派やアメリカのネオコンは簡単にロシアを倒せると信じていたようですが、NATO側が8年かけてドンバス周辺に築いた要塞線も突破されてロシアの勝利は決定的です。最後のひとりになるまで戦えという号令の効果はありません。 すでにウクライナ戦争から距離を置き始めているドナルド・トランプ政権はロシア政府と停戦、安全保障、ヨーロッパの枠組み、将来の関係について水面下で話し合いを進めていると伝えられています。マイアミでアメリカのスティーブ・ウィトコフ中東担当特使とロシアのキリル・ドミトリエフ特使が会談しているようですが、これは事実上、敗者であるNATOと勝者であるロシアとの降伏交渉だと言えるでしょう。トランプ政権としては、その結果がアメリカの降伏に見えないように演出したいはずですが、プーチン政権は「ミンスク合意」の二の舞にならないよう事を進めるはずです。 それに対し、ヨーロッパの嫌ロシア派とアメリカのネオコンはそうした交渉を認めようとしないでしょう。「停戦」ではなく恒久的な和平が決まった場合、欧米諸国で戦争を推進してきた勢力は厳しい状況に追い込まれてしまいます。 権力を維持するため、欧米の「エリート」はベネズエラや東アジアで新たな戦争を始める可能性もあります。1995年以降、日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれ、中国やロシアと戦争する準備を進めてきたことは本ブログでも繰り返し書いてきました。そうしたことを最終回に考えてみたいと思います。櫻井 春彦
2025.11.21
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国連の安全保障理事会は11月17日、ドナルド・トランプ米大統領のガザ計画を承認する決議を採択した。13カ国が賛成し、中国とロシアは棄権している。当初の決議案ではパレスチナ主権の可能性について言及されていなかったのだが、追加されたことでアラブ諸国やパレスチナ自治政府が決議を支持、ロシアは拒否権を行使するという姿勢を撤回、中国も棄権に加わった。s ガザを民族浄化して地中海リゾート開発を行うべきだとトランプが公言していたことを考えると、この決議はトランプが構想する開発を実現するための地上げを承認するためののものだと見ることもできる。 この決議によると、ガザの復興調整を担う暫定政権としての平和委員会設立を歓迎、暫定的な国際安定化部隊(ISF)を設置する権限をその委員会に与えている。その委員会を指揮するのはトランプ大統領になるため、ISFもトランプの指揮下に入る。 ガザではイスラエルによる破壊と殺戮に抵抗するため、ハマスが武装闘争を続けてきたが、そのハマスを武装解除することが決議では定められている。 ハマスが武装解除されたのち、イスラエル軍はガザから撤退するというのだが、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はパレスチナ国家への反対を改めて表明し、そのような事態は決して起こらないと断言している。ハマスもこの決議について、これはガザに国際的な監視メカニズムを押し付けるものであり、パレスチナ国民はこれを拒否していると宣言、決議を拒否した。つまり、今回の決議では当事者の意思が無視されている。 ハマスが武装解除を拒否する可能性は小さくないが、そうなると、トランプが指揮する部隊とハマスの戦闘が始まる可能性がある。しかもハマスが武装解除されなかった場合、イスラエル軍はガザに居座るとしており、三つ巴の戦いになるかもしれない。イスラエルやアメリカの影響下にあるパレスチナ自治政府が出てきても、事態が複雑になるだけだろう。安定化部隊はパレスチナ自治政府と連携しないという見方をする人もいる。 パレスチナでは今回と似たような展開の出来事があった。1981年6月7日にイスラエル軍はイラクのオシラク原子炉を空爆、7月17日にはベイルートにあったPLO(パレスチナ解放機構)のビルに対して大規模な空爆を実施した。 それに対して国連のブライアン・アークハート事務次長がイスラエルを説得するようにアメリカ政府へ働きかけ、停戦が実現する。イスラエル側ではアリエル・シャロン国防相も準備不足だとして停戦を望んでいた。 シャロンは1982年1月にベイルートを極秘訪問、キリスト教勢力と会い、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決め、1月の終わりにはアメリカに送るメッセージについて話し合うためにペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開いた。イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないという合意を取り付けることが目的だった。 1982年6月に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使を暗殺しようとするが、この3名に暗殺を命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派だった。イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという。(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018) この出来事を口実にしてイスラエル軍はレバノンへ軍事侵攻するが、8月21日にアメリカの仲介で戦闘は終結、西側諸国が監視する中、パレスチナの戦闘員は9月1日までにベイルートから撤退。西側諸国は難民と難民キャンプの保護を保証していた。 撤退の直後、イスラエルのメナヘム・ベギン首相はレバノンのバシール・ジェマイエル大統領と会談し、イスラエルとの和平条約への署名を強く求めたが、イスラエルとの和平条約の締結を拒否し、残存するPLO戦闘員を掃討するための作戦を承認しなかった。 パレスチナ難民の安全を保証していた国際部隊は9月11日にベイルートから撤退、ジェマイエルは9月14日に暗殺され、その翌日にイスラエル軍は停戦協定を無視して西ベイルートへ侵攻するが、パレスチナ難民キャンプへはファランヘ党の部隊を入れることにしていた。 ファランヘ党を中心とする部隊は9月16日、イスラエル軍から提供されたジープに乗り、イスラエル軍から提供された武器を持ち、イスラエル軍の命令に従って行動、サブラとシャティーラの難民キャンプに侵攻し、大量虐殺を始めた。1万数千名の市民が殺されたとされている。その際、レイプなどの残虐行為も行われたという。 パレスチナ人を虐殺したのはレバノンのファランヘ党だが、そのファランヘ党にパレスチナ人を虐殺させたのはイスラエルであり、反イスラエル感情は世界に広がる。 要するに、イスラエルはパレスチナでの民族浄化を放棄することはなく、保護するという西側諸国の保証は信用できない。ハマスが武装解除に応じようとしないのは当然なのだ。トランプ政権もそうした展開を予想しているだろう。西側諸国にしろ、アラブ諸国にしろ、ロシアや中国にしろ、ハマスが武装解除に応じなければ、イスラエル軍がガザ占領を続けることを容認する口実ができる。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.20
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モスクワのトロエクロフスコエ墓地で破壊工作グループがセルゲイ・ショイグ安全保障会議書記を暗殺しようと計画、それをFSB(連邦保安庁)が阻止したと11月14日に発表された。花瓶に偽装された爆弾を国外からの遠隔操作で作動させる仕掛けになっていたようだ。 爆弾を仕掛けようとしたグループには中央アジアからの不法移民、麻薬中毒で有罪判決を受けたロシア人ふたり、そして殺人と武器密売の容疑でロシアが指名手配していたキエフ在住の人物が含まれ、その容疑者とウクライナの情報機関GURの工作員が連絡を取り合っていたことが判明したとされているが、その背後からアメリカやイギリスの情報機関が指揮していたはずだ。 すでにNATOはロシアをテロで攻撃している。例えば、ロシア軍の放射線・化学・生物防衛部隊を率いていたイゴール・キリロフ中将は昨年12月17日にモスクワで暗殺された。電動スクーターに取り付けられた爆発物が遠隔操作で作動したという。ウクライナの情報機関が実行したとされているが、その背後にはアメリカやイギリスの情報機関がいる可能性は高い。 実は、2022年2月にロシア軍がウクライナを攻撃する前からCIAはロシア政府の高官を暗殺していた疑いが濃厚だ。バラク・オバマ政権は2014年2月にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、その2年後の16年8月、マイク・モレルはチャーリー・ローズの番組に出演した際、司会者のローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語ってる。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えているのだ。モレルは2010年から13年までCIA副長官を務めた人物。退職した理由はヒラリー・クリントンを支援するためだった。 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡。 さらにロシア政府の幹部が変死していく。例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。モレル発言の前、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTの創設者がワシントンDCのホテルで死亡している。 テロを実行するのは軍事的に相手を倒すことが困難な集団、つまり弱者が採用する戦術だ。CIAやMI6には正規軍を動かす力はなく、破壊活動、つまりテロを使うしかない。ウクライナでは当初、ウクライナ軍を手先として利用していたが、兵士も兵器も枯渇してロシアに勝つことは不可能に近い状態になっている。少しでもロシアを疲弊させようとアメリカやヨーロッパの国々はウクライナ政府に対して対ロシア戦争の継続を命令してきたが、限界に達し、NATO軍が前面に出ざるをえなくなっている。 ロシア軍が掃討作戦を進めているポクロフスクではGURが特殊部隊をUH-60Aブラックホークで送り込み、救出しようとしたが、これは包囲された舞台の中にCIAの上級工作員、あるいはNATOの将校がいるからだと見られている。 また、キエフ州ボルィースピリにある特殊部隊の訓練基地をロシア軍はマッハ10という極超音速ミサイルのキンジャールで破壊したが、そこで訓練を受けていた傭兵の出身国はドイツ、フランス、イギリス、そしてポーランドだとされている。ロシア軍はスムイにある深さ50メートルという地下バンカーを極超音速巡航ミサイルのツィルコンで破壊したとも伝えられているが、そこにはイギリス軍の将軍とフランス軍の大佐、そしてウクライナのGUR(国防省情報総局)高官がいたという。キリーロ・ブダノフが公の席に現れるかどうかが注目されている。 西側ではNATOの正規軍が出てくると主張する人もいるが、アメリカ軍が出てくる可能性は小さく、ヨーロッパ諸国だけではロシア軍に蹴散らされることは必至だ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.19
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【非核三原則の見直し】 高市早苗首相は11月11日、衆院予算委員会において、核を保有しない、製造しない、持ち込まないという非核3原則を堅持するかどうかを問われ、明言を避けた。見直しを検討しているという。 自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」は報告書の中で、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画について説明している。アメリカの計画に基づいて自衛隊は軍事施設を建設しているわけだ。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する核弾頭の搭載が可能な巡航ミサイルを日本政府は購入する意向を表明したのだ。 トマホークの射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制核攻撃できるということになる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。 高市首相は10月7日、衆院予算委員会において、台湾で軍事衝突があれば軍事介入する意思を示した。日本にしろ、アメリカにしろ、「ひとつの中国」という主張を受け入れているわけで、中国と台湾が軍事衝突したなら、それは「内戦」ということになる。その内戦に日本が軍事介入するということになる。これは少なからぬ人が指摘している。 中国との戦争を覚悟しているということになるが、ならば食糧やエネルギーをどのように確保する準備をしなければならないが、高市の行っていることは食糧生産を弱体化させ、エネルギーをどうするかも考えていない。中国に依存しているレアアースを輸入できなくなれば、日本経済は破綻するだろう。ウクライナでの対ロシア戦争で自爆したヨーロッパと同じだ。 リチャード・ニクソン大統領は1972年の中国との共同声明で、台湾海峡両岸のすべての中国人が中国は一つであり、台湾は中国の一部であると主張していることを認めると表明した。それが「ひとつの中国」にほかならない。2022年8月2日、アメリカの下院議長だったナンシー・ペロシが台湾を訪問してこの原則を揺さぶったが、それでも「ひとつの中国」という立場は維持している。日本も同じだ。その立場を変更するとなると、その前提で動いてきた政治や経済の関係も崩れる。【日本の核兵器開発】 1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。(NHK、「“核”を求めた日本」、2010年10月放送) 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、予想された通り、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。 ところが、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。 第2次世界大戦後、日本を原子力を日本へ導入したのは中曽根康弘である。彼は内務省を辞め、1947年4月の衆議院議員選挙に出馬して当選し、河野一郎の配下に入り、児玉誉士夫と知り合った。 中曽根が権力の階段を登り始めるのは、1950年6月にスイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席してからだ。MRAはCIAとの関係が深い疑似宗教団体で、岸信介や三井高維も参加していた。そこで中曽根はヘンリー・キッシンジャーを含むCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合っている。 中曽根は1953年、キッシンジャーが責任者を務めていた「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加しているが、このセミナーのスポンサーはロックフェラー財団やフォード財団で、CIAともつながっていた。 中曽根が国会に原子力予算を提出したのは1954年3月。修正を経て予算案は4月に可決された。その背景には、1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。 1964年10月に中国が核爆発の実験に成功した3カ月後、佐藤栄作首相はワシントンDCを訪れ、リンドン・ジョンソン大統領と秘密会談を実施、もしアメリカが日本の核攻撃に対する安全保障を保証しないなら日本は核兵器を開発すると伝えた。それに対し、ジョンソン大統領は日本にアメリカの「核の傘」を差し出すと約束している。 1976年にアメリカ大統領となったジミー・カーターは潜水艦の原子炉技師を務めた経験を持つ人物で、プルトニウムと高濃縮ウランについて熟知していた。そのカーターは1978年に核拡散防止法を議会で可決させた。この法律はウランとプルトニウムの輸送すべてに議会の承認を得るように義務付け、日本からの多くの機密性の高い核技術の輸入を阻止するものだ。 当時、アメリカのエネルギー省では増殖炉計画が注目されていたが、カーター大統領はその流れにブレーキをかけた。その方針に反発したひとりが原子力規制委員会のリチャード・T・ケネディにほかならない。そのケネディを助けたアメリカ海軍大佐のジェームズ・アウアーは後にバンダービルト大学の終身教授に就任、同大学の米日研究協力センター所長にもなっている。 しかし、1980年にロナルド・レーガンが大統領に就任すると状況は一変し、ケネディたちを喜ばせることになる。そのケネディをレーガン大統領は核問題担当の右腕に据え、ケネディはカーター政権の政策の解体させていく。そして始められたのがクリンチリバー増殖炉計画。エネルギー省は1980年から87年にかけて、このプロジェクトに160億ドルを投入するが、議会は突如、計画を中止する。 世界的に見ても増殖炉計画は放棄されるのだが、日本は例外だった。その日本とアメリカの増殖炉計画を結びつける役割を果たした人物がリチャード・ケネディ。アメリカのエネルギー省と手を組んでいた日本の動力炉・核燃料開発事業団(後に、日本原子力研究開発機構へ再編された)はCIAに監視されていたが、動燃が使っていたシステムにはトラップドアが組み込まれていたとも言われている。 この計画に資金を提供することになった日本の電力業界の関係者は核兵器に関する技術を求め、兵器用プルトニウムを大量生産していたプルトニウム分離装置をリストに載せた。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術である遠心分離機が運び込まれている。 アメリカは日本へ技術を提供するだけでなく、日本へ限りなく核物質を輸出し、それを制限なくプルトニウムに再処理し、他国へ再移転する権利が与えられていた。イスラエルへも再移転できるということだろう。 それだけでなくイギリスやフランスの再処理業者が日本へ返却するプルトニウムも核兵器に使用できるほど純度が高く、アメリカ産の核物質はトン単位で日本へ輸送されているようだ。 高市の発言は重い。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.18
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ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーは2024年5月に大統領の任期が切れた後も大統領を自称している。そうしたことを可能にしているひとつの理由は彼がイギリスの対外情報機関MI-6を後ろ盾としているからだろうが、ウクライナがロシアに敗北していることを隠し切れなくなった現在、西側のメディアもゼレンスキーにとってマイナスになる情報を伝え始めている。そうした記事のひとつがイギリスの体制派メディアとして知られているスペクテイターに掲載された。 ウクライナ国家汚職対策局(NABU)の捜査により、ティムール・ミンディッチの所有物の中に、純金製のトイレや200ユーロ札が詰まった戸棚などが含まれていることが判明した。ミンディッチは家宅捜索の数時間前に国外へ脱出、イスラエルへ向かったとも言われている。 ミンディッチは不動産、肥料、銀行、ダイヤモンドの取り引きで富を築いているが、ゼレンスキーが率いるテレビ制作会社「クヴァルタル95」の共同所有者でもある。ふたりの関係は緊密だ。 アメリカ大使館が管理していたNABUとSAPO(専門汚職対策検察庁)をゼレンスキーは自分の配下に置くことに決め、自分が任命する検事総長に従属させる権限縮小法案を今年7月に可決させた。自分たちに対する汚職捜査を阻止するためだったと見られているが、この試みは国民の抗議活動を引き起こし、失敗に終わる。アメリカ政府からの圧力もあったはずだ。 NABUが注目していたのは、ロシアのミサイルやドローンからエネルギー施設を守る防空システムの建設を請け負った業者からの「キックバック」疑惑に焦点を当てていたようだ。これは1億ドル規模の汚職計画で、ウクライナの国営原子力発電会社エネルゴアトムを含む大手公営企業が関与していたとされている。 イギリス、ドイツ、フランスの政府や欧州委員会の幹部は今でもゼレンスキーを支援、これまで彼をコントロールしてきたイギリスのMI-6、ゼレンスキーに忠誠を誓っている治安機関のSBU(ウクライナ保安庁)を傘下に置いてきたCIAがどのように出るかが注目されている。 かつてロシア人を虐殺するべきだと主張していたユリア・ティモシェンコ元首相はウクライナが「主権を失いつつあり、権利を奪われた植民地」だと訴えたようだが、2004から05年にかけての「オレンジ革命」でビクトル・ヤヌコビッチ大統領の誕生を阻止された段階で主権は奪われていた。ティモシェンコ自身、ウクライナの主権を放棄した仲間のひとりだ。 西側諸国からウクライナへ流れ込んだ資金の相当部分をゼレンスキーたちが盗んだことは明確になっているが、資金を送った国々の「エリート層」へもキックバックされていた可能性もある。2013年11月から14年2月にかけてキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で展開されたクーデターの後、ウクライナはマネーロンダリングの舞台になったとも言われてきた。盗まれた資金はシティを中心とするオフショア市場のネットワークへ流れ込んでいる可能性が高い。 クーデター当時、アメリカの副大統領だったジョー・バイデンの息子であるハンターはウクライナのエネルギー企業ブリスマ・ホールディングスの取締役を務めたが、元国務省職員でFFO(自由オンライン財団)を創設したマイク・ベンツによると、ブリスマはCIAの作戦であり、ロシアのガスプロムを解体しようとしていたという。 ハンターはNDI(ナショナル民主主義研究所)の所長諮問委員会メンバーを務めていたが、この団体はIRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターなどと同じように、NED(ナショナル民主主義基金)の資金、つまりCIAの資金を流す役目を負っている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.17
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【日本はアメリカの従属国】 日本がアメリカの植民地なのかが国会で問題になった。高市早苗首相は日本を主権国家だと主張したが、日本がアメリカの支配層に従属していることは言うまでもない。 アメリカの支配層の中核には金融資本が存在、その下に日本の外務、軍事、治安のトライアングルが存在している。その支配構造の基盤が「日米安全保障体制」にほかならない。財務省の打ち出す政策もそこから出てくる。自衛隊がアメリカに刃向かう恐れがなくなった現在、アメリカは日本国憲法の第9条を必要としなくなったどころか邪魔な存在になった。 現在の日本は単にアメリカの従属国ということだけでなく、アメリカの戦争マシーンに組み込まれていることは本ブログで繰り返し書いてきた。ソ連が1991年12月に消滅した直後、92年2月にアメリカの国防総省内でDPG(国防計画指針)の草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」が作成された。 そのドクトリンの作成で中心的な役割を果たしたポール・ウォルフォウィッツはネオコンの大物だが、そのネオコンはソ連の消滅でアメリカが唯一の超大国になったと確信、世界制覇戦争を始めようとする。そして作成されたのがDPG草案だ。 その中にはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合して民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。アメリカにとっての平和地帯とは、アメリカが支配し、誰も逆らわないという地域を意味する。要するにドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 このドクトリンが作成された時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュだが、その政権の中にもネオコンの世界征服プロジェクトが危険だと考える人もいたようで、有力メディアにリークされた。日本の政治家や官僚の中にも危険だと考える人がいただろう。 1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、ウォルフォウィッツ・ドクトンに従ってアメリカは世界制覇戦争に乗り出すのだが、日本もそれ追随している。 国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていたが、すでにそうした配慮は放棄されている。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。 日本は中国やロシアと戦争する準備を進めてきたが、高市早苗首相はそうした動きを加速させようとしている。【明治維新から日本は米英の影響下にあった】 ところで、第2次世界大戦で敗北する前から米英の金融資本は日本に大きな影響力を持っていた。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、関東大震災以降、アメリカの巨大金融資本の影響下に入った。復興資金調達の結果、日本の政治や経済をアメリカの巨大金融資本JPモルガンが動かすようになり、治安維持法によって思想弾圧が強化され、「満蒙は日本の生命線」と言われるようになった。その構図を象徴する存在が1932年から駐日大使を務めたジョセフ・グルーだ。 その年にアメリカでは大統領選挙があり、ウォール街が支援していたハーバート・フーバーが落選、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが勝利する。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の大物たちはニューディール派政権を倒し、ファシズム体制を樹立すためにクーデターを計画したが、スメドリー・バトラー退役海兵隊少将によって阻止された。 グルーはアメリカの金融資本に属す人物である。彼のいとこ、ジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻なのだ。しかもグルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーにほかならない。こうした背景もあり、グルーは天皇周辺に人脈を持っていた。 グルーが親しくしていた日本人には松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、最も親しかったのは松岡洋右だと言われている。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945~1952』時事通信社、1994年)グルーは1942年6月に離日する直前、商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007) ジョン・W・ダワーによると、「上流階級の一定の『穏健な』人々に対して、個人的な敬意と好意を抱いていることは決して隠そうとしなかった」のだが、日本人一般は人間扱いしていなかった。日本を「全員が女王蜂(実生活では天皇)に使える騒がしいミツバチの巣」に例えていたという。(ジョン・W・ダワー著、猿谷要監修、斎藤元一訳、平凡社、2001年) 豊下楢彦が指摘しているように、第2次世界大戦後、日本はダグラス・マッカーサーと吉田茂ではなく、ウォール街と天皇を両輪として動き始めた。ドイツが降伏する直前、アメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、ニューディール派の力は急速に衰え、ウォール街が実権を奪い返していた。 そうした中、ジャパン・ロビーと呼ばれるグループが戦後日本の基盤を築き上げていく。そのグループの中核的な団体が1948年6月にワシントンDCで創設されたACJ(アメリカ対日協議会)。設立メンバーの中心的な存在はジョセフ・グルー。そのほか、ニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、同誌東京支局長だったコンプトン・パケナム、トーマス・ハート提督、ウィリアム・プラット提督、ウィリアムキャッスル元国務次官、弁護士のジェームズ・カウフマン、ユージン・ドーマン、ジョセフ・バレンタインたちが含まれ、その支援グループにはジョージ・マーシャル国務長官、ロバート・ラベット国務次官、ジェームズ・フォレスタル国防長官、陸軍省のケネス・ロイヤル長官とウィリアム・ドレーパー次官、ジョン・マックロイ、フランク・ウィズナーなどが名を連ねている。 JPモルガンの前はイギリスの金融資本と関係が深かった。例えば、日露戦争で日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。 この戦争について、セオドア・ルーズベルト米大統領は日本が自分たちのために戦っていると語り、日本政府の使節としてアメリカにいた金子堅太郎はアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。1910年に日本が韓国を併合した際、アメリカが容認した理由はこの辺にあるだろう。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) 明治維新の背後でもイギリスの怪しげな人脈が蠢いていた。アヘン戦争で清(中国)に勝利したとされているイギリスだが、内陸部を支配することはできなかった。そこで、サッスーン家と同じようにアヘン取引で大儲けしたジャーディン・マセソンは日本に目をつける。 同社は1859年にふたりのエージェントを日本へ送り込んできた。ひとりは長崎へ渡ったトーマス・グラバーであり、もうひとりは横浜のへ送り込まれてあウィリアム・ケズウィック。歴史物語ではグラバーが有名だが、大物はケズウィックだ。母方の祖母は同社を創設したひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉なのである。 グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決め、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)が選ばれる。この若者は1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンだ。 薩摩も1865年に留学生15名をイギリスへ派遣しているが、この時に船を手配したのはグラバー。その留学生の中には五代友厚、森有礼、長沢鼎も含まれていた。年少の長沢以外はロンドン大学へ入学した。 その後、薩摩からの送金が途絶えたことから9名の留学生は帰国したが、長沢や森を含む6名はアメリカへ渡り、ニューヨークに拠点があった心霊主義を信奉するキリスト教系団体「新生兄弟」へ入る。イギリスでこのカルトに取り込まれていたのだろう。 何人かはすぐに離脱したが、長沢と森は残る。その森も1868年に帰国したが、長沢ひとりは残った。のちに長沢は教団を率いることになるが、1890年代前半に解散している。その一方、ワインの醸造所を建設してビジネスは成功、「ワイン王」とも呼ばれている。 森は文部大臣に就任、「教育勅語」を作るなど天皇カルト体制の精神的な基盤を作るが、その一方、森の下、日本へ迎えられたルーサー・ホワイティング・メーションを中心に唱歌が作られる。安田寛によると、その目的は日本人が讃美歌を歌えるようにすることにあった。(『唱歌と十字架』音楽之友社、1993年) 日本の中国侵略は1872年に琉球を併合した時から始まる。「維新」で誕生した明治体制は琉球併合の後、1874年に台湾へ派兵、1875年に江華島へ軍艦を派遣、そして1894年の日清戦争、1904年の日露戦争へと進んだが、こうした侵略はアメリカやイギリスの外交官に煽られてのことだった。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.16
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危機的な状態に陥った人びとを救うために大活躍する「高市」を主人公とするNetflix映画「新幹線大爆破」がヒットしたようだ。主人公で車掌の高市和也を演じたのは草彅剛、高市と並ぶ作品の中心的な存在である運転士の松本千花をのん(能年玲奈)が演じた。この作品の宣伝などで「高市」という名前を嫌というほど聞かされた印象がある。 ところで、同じ高市という苗字の人物が今年10月21日から日本の総理大臣を務めている。右翼キャラの人物で、好戦的なパフォーマンスをしてきた。その高市は10月7日に衆院予算委員会において、「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだ」と発言した。 これを聞いて驚いた人は少なくないだろう。最も大きな軍艦で、強力な艦砲が装備された「戦艦」だが、すでに時代遅れで、運用している国はないとされている。軍艦の中でまだ使われている航空母艦も時代遅れで、相手国を威圧する程度のことしかできない。戦闘になれば、対艦ミサイルで簡単に撃沈されてしまう。イージス・システムを搭載した駆逐艦は使われているが、これも対艦ミサイルには脆弱。すでに海軍は潜水艦が主力になっている。高市首相のイメージは第2次世界大戦で止まっているのか、あるいは「宇宙戦艦ヤマト」が刷り込まれているかもしれない。 中国が台湾に対する軍事行動を起こすとするならば、最も可能性が高いケースはアメリカ軍が中国への攻撃を念頭に基地を建設し、軍隊を入れる場合だろう。台湾は中国を攻撃するための「不沈空母」だと考える人もいる。 中曽根康弘は総理大臣に就任して間もない1983年1月にアメリカを訪問、その際にワシントン・ポスト紙の編集者や記者たちと朝食をとっている。その際に彼はソ連のバックファイア爆撃機の侵入を防ぐため、日本は「不沈空母」になるべきだと語ったと報道された。 中曽根はそれをすぐに否定するが、インタビューは録音されていた。そこで、「不沈空母」ではなくロシア機を阻止する「大きな空母」だと言い換えたが、このふたつの表現に本質的な差はない。日本列島はアメリカ軍がロシア軍を攻撃するための軍事拠点だと中曽根は認めたのである。 中曽根は首脳会談で日本周辺の「4海峡を完全にコントロールし、有事にソ連の潜水艦を日本海に閉じ込める」、また「ソ連のバックファイアー(爆撃機)の日本列島浸透を許さない」と発言した。「シーレーン確保」も口にしたが、要するに制海権の確保だ。 国外に出たことから口が軽くなったのかもしれないが、当時、アメリカとソ連との間で軍事的な緊張が高まっていたことは事実だ。例えば、1983年4月から5月にかけてアメリカ軍はカムチャツカから千島列島の沖で大規模な艦隊演習を実施、アメリカ海軍の3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加している。この演習を日本のマスコミは無視した。 この演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返し、米ソ両軍は一触即発の状態になったのだ。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年) 徳川体制を倒して成立した明治政権は1872年に琉球を併合、1874年に台湾へ派兵、1875年に江華島へ軍艦を派遣、1894年の日清戦争、そして1904年の日露戦争へと続く。その背後でイギリスやアメリカの外交官が暗躍、日本にアジアを侵略するように煽っていた。自覚していたかどうかはともかく、明治体制はアメリカやイギリスの手先として動いていたと言える。 日清戦争の結果、清朝政府は1895年に下関条約を締結し、台湾を日本へ割譲するのだが、その当時、台湾に住む人びとの間には共通のアイデンティティがなかったという。漢民族は祖先である氏族、あるいは故郷の福建省や広東省との結びつきをより強く意識、先住民族は部族的なアイデンティティで繋がっていた。日本の植民地になった後、台湾では共通のアイデンティティが形成され始めたようだ。 第2次世界大戦後、日本軍の将校、下士官、兵士が蒋介石軍によって処刑される中、日本は台湾との軍事的な協力関係を築いている。蒋介石が接近した旧日本軍大将の岡村寧次は海で戦犯として裁判にかけられたが、1949年1月に無罪の判決を受けてすぐに帰国、GHQ/SCAPの保護下に入っている。蒋介石が岡村の下へ曹士徴を密使として派遣したのは同年4月のことだ。 曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して「台湾義勇軍」を編成することで合意、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。 その白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡っている。 白団へ軍事情報を渡していたのは「富士倶楽部」、つまり陸士34期の三羽烏と呼ばれた服部卓四郎大佐、西浦進大佐、堀場一雄大佐、あるいは海軍の及川古四郎大将や大前敏一大佐たちだ。服部はノモンハン事件で作戦指導を行った軍人で、1949年には市ヶ谷駅の近くに「史実研究所」をつくり、その後、約20年間に白団へ6000点ほどの資料を渡している。その中には自衛隊の教科書も含まれていた。白団メンバーのうち23名は自衛隊へ入っている。 服部や大前を含む旧日本軍の軍人、つまり有末精三陸軍中将、河辺虎四郎陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将、大前敏一海軍大佐はアメリカ軍の下で活動している。このグループはKATO機関、あるいはKATOH機関と呼ばれた。 森詠によると、このうち辰巳中将を除く5名は東京駅前の日本郵船ビルを拠点にしていた。その3階には「歴史課」と「地理課」があり、歴史課は1947年5月から50年12月まで活動、地理課は朝霞のキャンプ・ドレークに移転した後、75年まで王子十条にあったアメリカ軍の施設内で活動していたと言われている。 歴史課には杉田一次陸軍大佐、原四郎陸軍中佐、田中兼五郎陸軍中佐、藤原岩市陸軍中佐、加登川幸太郎陸軍少佐、大田庄次陸軍大尉、曲寿郎陸軍大尉、小松演陸軍大尉、大井篤海軍大佐、千早正隆海軍中佐らが、また地理課には山崎重三郎陸軍中佐など参謀本部支那班の元メンバーが出入りしていた。こうした旧日本軍の軍人たちを統括していたのはGHQ/SCAPのG2(情報担当)を統括していた親ファシストのチャールズ・ウィロビー少将だ。(森詠著『黒の機関』ダイヤモンド社、1977年) ソ連が1991年12月に消滅した直後、92年2月にアメリカの国防総省内でDPG(国防計画指針)の草案が作成された。作成の中心は国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツだったことから、この文書は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ソ連の消滅でアメリカは唯一の超大国になったとネオコンは確信、世界制覇戦争を始めようというわけだが、そのドクトリンにはドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に統合し、民主的な「平和地帯」を創設すると書かれている。要するに、ドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、アメリカの支配地域を広げるということだ。 また、旧ソ連の領土内であろうとなかろうと、かつてソ連がもたらした脅威と同程度の脅威をもたらす新たなライバルが再び出現するのを防ぐことが彼らの目的だともしている。西ヨーロッパ、東アジア、そしてエネルギー資源のある西南アジアが成長することを許さないということだが、東アジアには中国だけでなく日本も含まれている。 1993年8月に成立した細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗するが、94年4月に崩壊。1994年6月から自民党、社会党、さきがけの連立政権で戦ったが、押し切られている。 日本側の動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に報告、1995年2月になると、ジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表してアメリカの政策に従うように命令した。そのレポートには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われている。 沖縄ではこの報告に対する人びとの怒りのエネルギーが高まるが、そうした中、3人のアメリカ兵による少女レイプ事件が引き起こされ、怒りは爆発する。日米政府はこの怒りを鎮めようと必死になったようだ。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。 この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。この1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンへ急ピッチで組み込まれていく。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、ウォルフォウィッツ・ドクトンに従ってアメリカは世界制覇戦争に乗り出すのだが、日本もそれ追随している。 国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。 専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていたが、すでにそうした配慮は放棄されている。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。 日本は中国やロシアと戦争する準備を進めているのだが、命令しているのはネオコン。ウクライナでロシアに戦争を仕掛けて敗北、ガザで苦境に陥り、中国との経済戦争でも負けている勢力だ。ネオコンの代理として日本人は中国やロシアと戦争させられようとしている。戦争が現実になった場合、ウクライナより凄惨な状況になるだろう。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.11
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ウクライナの国家汚職対策局(NABU)は11月11日、ウォロディミル・ゼレンスキーの側近として知られているティムール・ミンディッチが1億ドルを超す汚職を計画した容疑で起訴されたという。ミンディッチはゼレンスキーが設立した制作会社「クバルタル95」の共同所有者。彼の自宅などが家宅捜索されたが、本人は事前に何者かが知らせたようで、逃亡していた。逃亡先はイスラエルだと見られている。2021年から2025年までエネルギー大臣を務めたヘルマン・ハルシチェンコ法務大臣も捜索を受けたと伝えられている。 家宅捜索でアメリカの連邦準備銀行(アトランタとカンザスシティ)の包装が開封されていない状態の紙幣が押収されていることから、アメリカからウクライナへ届いた直後、銀行へ運ばれる前に盗まれた可能性がある。ゼレンスキーのライバルであるペトロ・ポロシェンコ元大統領が率いるウクライナ政党「欧州連帯」は政府解任手続きを開始すると発表した。 ウクライナを舞台とした戦争でウクライナ軍とNATO軍はロシア軍に敗北、ゼレンスキーやその背後にいるイギリスの対外情報機関MI6は追い詰められ、キエフは混乱しているようだ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.13
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ウクライナの情報機関がイギリスの対外情報機関MI6とオランダに拠点を置く「報道機関」のべリングキャットから支援を受けてキンジャール極超音速ミサイルを搭載したロシアのミグ31戦闘機を盗もうとしたとロシアの治安機関FSB(連邦保安庁)は11月11日に発表した。べリングキャットに所属しているとしていたフリスト・グロゼフはイギリスの情報機関員だという。 FSBによると、ミグ31のパイロットは昨年秋、ベリングキャットの研究員で、セルゲイ・ルゴフスキーと名乗る男から接触を受け、300万ドルの報酬とイタリアのパスポートを提示された。盗みだした戦闘機に黒海上空を飛行させ、ルーマニアのコンスタンツァ市近郊にあるNATO空軍基地で偽旗作戦を実施、その防空システムで撃墜されるかオデッサの飛行場に着陸させる計画だったようだ。 この作戦は11月4日に実行される予定だったというが、イギリスとしては、この作戦でNATO軍とロシア軍を軍事衝突させようとしたと言われている。 それに対し、ロシア軍は11月8日、スムイ、チェルニーヒウ、ニコラエフ、ポルタバ、ドネプロペトロフスク、ハリコフ、キエフに対して大規模なミサイル攻撃を実施した。ミサイルの中には多くのキンジャールが含まれていたようだ。 イギリスとしては、この作戦でNATO軍とロシア軍を軍事衝突させようとしたと言われているが、それに対し、ロシア軍は11月10日、キエフに近いブロヴァリーにあるGUR(国防省情報総局)の主要な電子情報センターとスタロコスティアンティニフ飛行場をキンジャールで攻撃したと報道されている。この飛行場は、ウクライナへ新たに供与されたF-16戦闘機が駐留していた。 ふたつの幹線道路が通り、ウクライナ軍の補給にとって重要な場所であるポクロフスクをロシア軍は制圧、NATO/ウクライナ側の兵站線を抑え、進撃のスピードが増すと見られている。しかも包囲された地域にウクライナ軍だけでなく、NATO軍の将校やCIAの上級エージェントも閉じ込められていると見られている。GURやCIAが必死に包囲網を突破して中の人間を救出しようとしているのはそのためだ。 すでにウクライナ側はNATO各国から特殊部隊や情報機関員を入れてロシアに対するテロ攻撃を繰り返してきたが、それも限界に来ているのだろう。対ロシア戦争の中心にいると見られているイギリスはNATOの正規軍を引き込みたいのだろうが、ロシア軍に勝てるとは思えない。アメリカはすでにウクライナから距離を置いている。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.15
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ポクロフスクをロシア軍が制圧、ウクライナでの戦闘が大きな節目を迎えている。ポクロフスクにはふたつの幹線道路が通り、ウクライナ軍の補給にとって重要な場所。これまでロシア軍は自軍兵士の死傷者をできるだけ少なくするため、慎重に作戦を進めてきたが、この要衝を抑えたことから進撃のスピードが上がる可能性がある。 すでにロシア軍はポクロフスクで相当作戦を展開しているが、そうした状況の中、ウクライナの情報機関GUR(国防省情報総局)が特殊部隊をUH-60Aブラックホークで送り込み、救出しようとした。少なからぬ人が無謀だと指摘していたが、CIAの上級工作員、あるいはNATOの将校を救出するためだったようだ。同じようにロシア軍が包囲しているクピャンスクにはNATOの突撃部隊と2名のアメリカ軍将校もウクライナ軍部隊と一緒に取り残されている。 バラク・オバマ政権が2014年2月にネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した当初からCIAやFBIの専門家数十名が顧問として送り込まれたほか、傭兵会社の「アカデミ(旧社名:ブラックウォーター、Xe、2014年6月にトリプル・キャノピーと合併してコンステリス・グループ)」の戦闘員約400名もウクライナ東部での戦闘に参加したが、2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」を利用し、8年かけてNATO諸国はクーデター体制の戦力を増強している。 2022年に入ると戦力を増強したウクライナ軍がドンバスに対する砲撃を強め、大規模な軍事侵攻を計画していると言われるようになる。アメリカ国防総省はウクライナで生物兵器の研究開発を進めていたが、そこで作られた生物兵器を利用する疑いもあった。そして2022年2月にロシア軍はドンバス(ドネツクとルガンスク)周辺に終結していたウクライナ軍の部隊、ウクライナ領内の軍事基地、そして生物兵器の研究開発施設を攻撃し始めた。 しかし、3月にロシア政府とウクライナ政府は停戦で合意、仮調印している。ウラジミル・プーチン露大統領は善意の印として、キエフ北部の地域を支配していた戦車部隊を3月31日から撤退させるようロシア軍に命じた。 そうした停戦の動きをイギリスとアメリカが潰している。例えば、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンが4月9日にキエフへ乗り込んでウォロディミル・ゼレンスキー大統領に対して戦争継続を命令(ココやココ)、4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。 交渉が決裂した後、ロシア軍は要塞戦の西端にあるマリウポリを攻撃し始め、2022年5月末までに制圧し、数千人のウクライナ兵を捕虜にすると同時に住民を解放した。 この時点ではイギリスもアメリカもロシアを簡単に打ち負かせるとまだ信じていたようだが、米英の動きを見たロシア政府は2022年9月に部分的動員を発表した。30万人の予備役を動員するということだ。2022年8月までにロシア軍では数千人の兵士が契約期限切れになることも動員を決意させた一因だろう。また消耗戦対策として、同年9月から12月にかけてヘルソン西岸から撤退し、ザポリージャとドネツクに防衛線を構築、2023年1月にはバフムートで激しい戦闘が始まる。 ドナルド・トランプ政権でウクライナにおける戦争に積極的な人物のひとりはウクライナ担当特使を務めているキース・ケロッグ退役中将。本ブログですでに書いたように、この人物はジョー・バイデン政権下の2023年2月28日にアメリカの上院軍事委員会で、「もしアメリカ軍を一切投入しないで戦略的な敵国(ロシア)を打ち負かすことができれば、それはまさにプロフェッショナルの極みだと私は考えている」と語っている。この段階でもロシアとの戦争に勝てると考えていたのだろう。 ところが、イギリスの国防相を務めていたベン・ウォレスは2023年10月1日付のテレグラフ紙に寄稿した論考の中で、ウクライナ兵の平均年齢はすでに40歳を超えていると指摘した。この時点でウクライナ側には十分な兵士がいなくなっている。ロシア軍が本格的な戦闘を始めてまもなく、戦況はロシア軍が有利になったわけだ。この後、ウクライナ軍の壊滅が始まった。 ロシア軍が作戦を慎重に進めた理由のひとつは自軍兵士の死傷者をできるだけ少なくするためだが、ゆっくり攻めることで兵站線が伸びることを避けたと見られている。それに対してウクライナ側の兵站線は西のポーランドから伸びているため厳しい。消耗戦はNATO諸国にもダメージを与えている。 かつて日本軍は第2次世界大戦の終盤、沖縄でアメリカ軍と激しい戦闘を繰り広げた。沖縄の自然は破壊され、戦死者は日本軍が9万4000人以上、アメリカ軍が約1万2500名、さらに住民約9万4000人も殺されているという。日本軍は沖縄を「捨て石」にしたと言われている。日本の中枢は沖縄で人びとが殺されることを気にしていなかっただろう。彼らは自分たちのことしか考えていない。ウクライナをめぐり、NATO諸国は似たようなことをしている。 そのウクライナに対する支援とロシアに対する「制裁」、つまり経済戦争を続けると高市早苗首相は主張している。官民一体となってウクライナの復旧復興を支援するとも語っているが、戦争がどのように決着すると考えているのだろうか?ウクライナで戦争を始めた当時に西側諸国が妄想した利権の獲得は困難な情勢だ。ロシアは永続的な平和を実現するため、アメリカやその同盟国をウクライナから排除するはずだ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.09
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【不快な質問?】 イタリアの通信社ノバは特派員のガブリエーレ・ヌンツィアーティを解雇した。10月13日、欧州委員会のポーラ・ピニョ首席報道官に対して「あなたはロシアがウクライナの復興費用を負担すべきだと繰り返し述べている」と指摘した上で、「ガザ地区の民間インフラをほぼ全て破壊したイスラエルはガザ復興のための費用を負担すべきだと思うか」と質問したが、これを「不快な質問」と感じた人がいたようだ。ノバの広報を担当するフランチェスコ・チビタノバによると、「ロシアは挑発を受けずに主権国家を侵略したのに対し、イスラエルは攻撃に対応したのだと弁明している。【ウクライナ】 アメリカの場合、外交や軍事に関する政策を決めてきたのはシオニストである。ジョージ・W・ブッシュ政権、バラク・オバマ政権、ドナルド・トランプ政権、あるいはジョー・バイデン政権ではネオコンに支配されていると言われているが、そのネオコンはシオニストの一派だ。つまり、政権がかわっても外交や軍事に関する政策は変わらない。 1991年12月にソ連は消滅したが、ウクライナの問題はその年の1月から始まっている。クリミアで住民投票が実施され、クリミア自治ソビエト社会主義共和国の再建が94.3%の賛成多数で承認されたのだ。ウクライナの最高会議で独立宣言法が採択されたのは、その半年後のことである。 西側諸国はウクライナの独立を認めたものの、クリミアの住民投票は無視。キエフ政権は特殊部隊を派遣してクリミア大統領だったユーリ・メシュコフを解任、クリミアの支配権を暴力的に取り戻した。 1994年3月27日にはドンバス(ドネツクとルガンスク)でこの地域におけるロシア語の地位、ウクライナの国家構造などを問う住民投票が実施され、キエフ政権にとって好ましくない結果が出た。 ウクライナの東部や南部に住む人びとの意思はソ連時代から明確で、一貫している。ビクトル・ヤヌコビッチを排除するため、2004から05年にかけて実施された「オレンジ革命」、そして2013年11月から14年2月にかけてのクーデターに東部や南部の人びとが反発、内戦に突入したのは必然だった。 ソ連消滅後、西側諸国はミハイル・ゴルバチョフ政権との合意を守らずにNATOを東へ拡大させるが、こうしたネオコン主導の政策は危険だと前の世代の「タカ派」は警告していた。 ウォール・ストリート・ジャーナルによると、リチャード・ニクソン元米大統領は1994年3月21日にビル・クリントン大統領へ手紙を出し、その中でウクライナの内部状況が非常に危険だと警告。ウクライナで戦闘が勃発すれば、ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争は「ガーデンパーティー」のように感じられるとしている。 「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンは1998年、NATOが拡大について「これは新たな冷戦の始まり」であり、悲劇的な過ちだと思うとしている。 この政策を決めたアメリカ上院での議論について表面的で無知だと指摘、「ロシアが西ヨーロッパへの攻撃を待ち焦がれている国であるという記述には腹立たしい」とした上で、ロシアから悪い反応が出ることも見通し、NATOがロシア国境までの拡大すれば新たな冷戦を引き起こされ、ポーランド、ハンガリー、チェコで拡大が止まれば、そこで新たな分断線が引かれるとも予測していた。ケナン氏はインタビューの最後で「これほどめちゃくちゃになるのを見るのは辛い」と語ったという。 このふたりが警告した後、ビル・クリントン政権はNATOを利用して1999年3月から5月にかけてユーゴスラビアを空爆している。この攻撃で主導的な役割を果たしたのは国務長官のマデリーン・オルブライト。この時に中国大使館もB2爆撃機で空爆されているが、その建物を目標に含めたのはCIAだ。 アメリカでユーゴスラビアを解体する工作は始まったのは1984年のこと。ロナルド・レーガン大統領がNSDD133(ユーゴスラビアに対する米国の政策)に署名、東ヨーロッパ諸国のコミュニスト体制を「静かな革命」で倒そうという計画が始動したのだ。1983年は大韓航空007便が領空を侵犯してカムチャツカからサハリンまで飛行、撃墜されたとされている。その年の秋には核戦争の寸前まで行った。それほど緊迫した時期だったのである。 ヘンリー・キッシンジャーもネオコンに批判的だった。彼は2014年3月5日付けワシントン・ポスト紙でウクライナとロシアの関係について論じている。 ロシアの歴史はキエフ・ルーシで始まり、宗教もそこから広がり、ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、その前から両国の歴史は複雑に絡み合っていたと指摘、ロシアにとってウクライナが単なる外国ではないとしている。特に東部と南部はロシアとの繋がりが強いのだが、その地域も含め、ウクライナと呼ばれる地域全てをNATO諸国は自分たちの支配下に置こうとしたのだ。 キッシンジャーも指摘しているように、人口の60%がロシア人であるクリミアは1954年、ウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがロシアとコサックの協定300周年記念の一環としてウクライナへ与えた場所だ。勿論、住民の意思は無視された。 クリミアだけでなく、ウクライナの東部と南部はソ連時代にロシアから割譲された。宗教はロシア正教でロシア語を話し、文化はロシア的。必然的に住民の大半はロシアに親近感を抱いていた。カトリック教徒が多く、ウクライナ語を話す西部とは異質だ。そうした国で一方が他方を支配しようとすれば内戦や分裂につながるとキッシンジャーは主張していたが、それが現実になった。 そうした警告を無視してオバマ政権は2014年2月にウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を暴力的なクーデターで倒した。そのクーデターで最前線にいたのがネオ・ナチだ。ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の人びとはクーデターを拒否、クリミアはロシアとの統合への道を進み、東部のドンバス(ドネツク、ルガンスク)では武装抵抗が始まった。クーデター後、軍や治安機関では約7割が新体制を拒否して離脱したと言われている。 そこで西側が仕掛けたのが「停戦合意」、つまり2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」だ。NATO諸国は8年かけてネオ・ナチ体制の戦力を増強した。兵器を供与、兵士を育成、そして地下要塞を核とする要塞線をドンバスの周辺に築いた。 クーデター政権は2022年に入るとドンバスに対する攻撃を強め始めた。大規模な軍事作戦が始まると噂される中、ロシア軍が先手を打って2月24日にウクライナ軍部隊や軍事基地、あるいは生物兵器の研究開発施設を攻撃しはじめた。 ロシア外務省によると、その時にロシア軍が回収したウクライナ側の機密文書には、ウクライナ国家親衛隊のニコライ・バラン司令官が署名した2022年1月22日付秘密命令が含まれていた。これにはドンバスにおける合同作戦に向けた部隊の準備内容が詳述されていた。 ロシア国防省のイゴール・コナシェンコフ少将によると、「この文書は、国家親衛隊第4作戦旅団大隊戦術集団の組織と人員構成、包括的支援の組織、そしてウクライナ第80独立空挺旅団への再配置を承認するもの」で、この部隊は2016年からアメリカとイギリスの教官によって訓練を受けていたという。 つまり、「ロシアは挑発を受けずに主権国家を侵略した」とは言えない。【ガザ】 アメリカの外交や軍事をコントロールしているシオニストはパレスチナに「ユダヤ人の国」を建設することを目標にしている。シオニズムの信奉者だとも言える。その信仰が登場してくるのはエリザベス1世の時代(1593年から1603年)。当時のイギリスは海賊行為で富を蓄積していた。 その時代、イングランドの支配層の間で、アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信仰が現れる。人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配すると予言されているという妄想が広まったのだ。 イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物としてブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られているが、17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世も自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。 その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルをはじめとするピューリタンも「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたとされている。クルムウェルはユダヤ人をイングランドへ入れることを許可したが、稼ぎ方を海賊行為から商取引へ切り替えるためだった灯されている。ユダヤ人は商取引や金貸しに長けていた。 エリザベス1世が統治していた時代、イングランドはアイルランドを軍事侵略、先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させた。 ピューリタン革命の時代にもアイルランドで先住民を虐殺している。クロムウェルは革命で仲間だったはずの水平派を弾圧した後にアイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺したのだ。 侵攻前の1641年には147万人だったアイルランドの人口は侵攻後の52年に62万人へ減少。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。 ダブリン出身でプリマス・ブレザレンを創設したジョン・ネルソン・ダービー牧師は1830年代から宗教活動を始めたが、彼はキリストの千年王国がすべての文明を一掃し、救われるのは選ばれた少数のグループだけだと考えていた。 世界の邪悪な力はエゼキエル書で特定されている「ゴグ」であり、そのゴグはロシアを指すと主張、ユダヤ人がイスラエルに戻って神殿を再建したときに終末を迎えるとしている。つまりキリストが再臨するということ。シオニストにとって対ロシア戦争とパレスチナ制圧は一体のことである。 19世紀のイギリス政界では反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)が大きな影響力を持っていた。彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿だ。 このように始まったシオニズムは19世紀に帝国主義と一体化し、パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開く。いわゆる「バルフォア宣言」だ。 シオニズムを信奉する人びとはパレスチナの先住民であるアラブの人びとを虐殺してきた。ガザにおける現在の大量虐殺はそうした流れの中で引き起こされたのであり、パレスチナ人はそうした侵略者と戦い続けてきた。 今回のガザでの大量虐殺に限っても、始まりは2023年4月1日にイスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺したところから始まっている。イスラエル政府が挑発したのだ。 4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃している。そしてユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入した。 そして2023年10月7日、ハマス(イスラム抵抗運動)を中心とするパレスチナの武装グループがイスラエルを奇襲攻撃する。この攻撃では約1400名(後に1200名へ訂正)のイスラエル人が死亡したとされ、その責任はハマスにあると宣伝された。 しかし、イスラエルのハーレツ紙によると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊。殺されたイスラエル人の大半はイスラエル軍によるものだと現地では言われていた。イスラエル軍は自国民を殺害するように命令されていたというのだ。いわゆる「ハンニバル指令」である。ハマスの残虐さを印象付ける作り話も流された。 こうしたイスラエルでの報道を無視して欧米諸国の「エリート」はパレスチナ人の抵抗を批判している。 今年1月9日、医学雑誌「ランセット」は2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数の推計値が6万4260人に達し、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表した。 「ハーバード大学学長およびフェロー」のウェブサイト「データバース」に掲載されたヤコブ・ガルブの報告書では、2023年10月7日にイスラエル軍とハマスの戦闘が始まる前には約222万7000人だったガザの人口が現在は推定185万人。つまり37万7000人が行方不明だ。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.13
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アメリカやイスラエルと同じように「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」を主導してきたイギリスから「ワクチン」の危険性に関する新たな情報が伝わってきた。イングランドとウェールズにおける15歳から19歳の男性の死亡者数に関する情報だ。 それによると、2020年の第1週から第52週にかけての期間に死亡した人数は434名だったのに対し、2021年の同じ期間では577名に増えている。32.9%の増加だが、第1週から第17週に限ると170名と172名。第18週から第52週では264名と405名。53.4%増えたことになる。 若者や子どもは「ワクチン」を接種した後に心筋炎や心膜炎を引き起こすとイスラエルで指摘され始めたのは昨年4月。日本で接種が急増する直前だ。日本の政府、自治体、マスコミなどは「ワクチン」接種を推進するため、この事実を隠したと言われても仕方がないだろう。いわば共謀者。 全世代で見ると、早い段階から帯状疱疹や⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)の発症、あるいは体の麻痺が指摘されていた。神経変性疾患という話も聞く。大きな血栓で脳梗塞や心筋梗塞になるケースもあるが、微小血栓によって脳、脊髄、心臓、肺などがダメージを受けているとも言われている。 接種が始まる前から懸念されていたADE(抗体依存性感染増強)も実際に起こっているという。「ワクチン」が作り出す「結合(非中和)抗体」がウイルスを免疫細胞へ侵入させ、免疫の機能を混乱させる現象。 コロナウイルスは変異しやすいことで知られているが、「変異株」に対して「中和抗体」が「結合抗体」化することも考えられている。通常の風邪を引き起こしてきたコロナウイルス、あるいは感染しても無症状だったウイルスでも深刻な影響が出てきている可能性がある。 EMA(欧州医薬品庁)で生物学的な健康への脅威やワクチン戦略を指揮しているマルコ・カバレリにしろ、FDA(食品医薬品局)の「ワクチン研究評価室」の室長を務めてきたマリオン・グルーバーと生物学的製剤評価研究センターで副センター長を務めてきたフィリップ・クラウスにしろ、「ワクチン」の追加接種(ブースター)に警鐘を鳴らしているが、当然だろう。 「mRNAワクチン」では不安定なmRNAを輸送するためにLNP(脂質ナノ粒子)が使われるが、そのLNPは人体に有害。投与されたLNPは肝臓、脾臓、副腎、そして卵巣に分布すると報告されている。LNPが卵子に影響、不妊につながることは否定できない。 「COVID-19ワクチン」の危険性が明確になる中、日本でもCOVID-19の蔓延が宣伝されている。その根拠とされているのがPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査。 この技術を利用したSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)の診断手順はドイツのウイルス学者、クリスチャン・ドロステンらが2020年1月に発表、その手順をWHO(世界保健機関)はすぐに採用、世界に広まったのだが、その当時、単離されたウイルスを使えなかったことをCDCは認めている。少なくともその時点でSARS-CoV-2の存在が確認されていないわけだ。しかも手順に科学技術的な間違いがあるとする指摘が出されるようになり、2021年1月20日にはWHOでさえPCR検査が診断の補助手段だとしている。 アメリカのCDC(疾病予防管理センター)が使っていた「2019年新型コロナウイルス(2019-nCoV)リアルタイムRT-PCR診断パネル」はインフルエンザA型とインフルエンザB型も検出できるとされていたのだが、CDCは2021年7月21日、この診断パネルのEUA(緊急使用許可)を12月31日に取り下げると発表している。COVID-19の原因とされる「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」とインフルエンザ・ウイルスを区別できないからだという。インフルエンザ・ウイルスと区別できないなら、コロナウイルス仲間を区別することもできそうにない。 そもそもPCRは分析の手段で、特定の遺伝子型を試験管の中で増幅する技術。その増幅サイクル(Ct)を増やしていけば医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても陽性になるだけでなく、偽陽性が増えていく。 偽陽性を排除するためにはCt値を17以下にしなければならず、35を超すと偽陽性の比率は97%になるとも報告されている。WHO(世界保健機関)が2020年12月14日、PCRのCt値を高くしすぎないようにと通告したのはそのためだ。 SARS-CoV-2を検出する手段としてPCRは不適切で、感染を確認などできない。これは「感染者」を数値化するための政治的な道具に過ぎないのだ。 しかも、ボツワナに続いて「オミクロン」が発見された南アフリカでは深刻な事態になっていないと南アフリカ政府の主席顧問を務めるバリー・シューブは話している。「オミクロン」とは何なのかを検証することなく、日本政府もPCRを科学的に無意味な使い方をして「感染」を演出、社会を麻痺させようとしている。
2022.01.18
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アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は4月8日現在、前の週より277名増えて2万6976名に達した。
2022.04.17
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アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は12月16日現在、前の週より180名増えて3万2908名に達した。なおVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われている。
2022.12.24
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このところロシア軍はウクライナの発電施設を激しく攻撃している。その結果、キエフ、スムイ、ドニプロペトロウシク、チェルカースイ、ポルタバ、キロボフラード、ジトーミル、ハリコフなどが停電で闇に覆われた。ウクライナ/NATOによるロシアのエネルギー関連施設への攻撃に対する報復という意味もあるだろう。NATOはロシア産の石油や天然ガスを輸入している国々に対し、ロシアから買わないように圧力をかける一方、ロシアの製油所などを破壊して供給能力を低下させようとしている。 ウクライナを舞台としているものの、ロシアが戦っている相手はアメリカやEUである。これらの国々はソ連政府との約束を破り、NATOを東へ拡大させてきた。ロシアから見ると、新たなバルバロッサ作戦にほかならない。しかもボリス・エリツィン時代のロシアでは西側の巨大資本がいわゆる「シャボス・ゴイム」を利用して資産を略奪、庶民は貧困化して西側に対する幻想が崩れ、反欧米感情が強まった。そして登場してきたのがウラジミル・プーチンにほかならない。西側の巨大資本はロシアを植民地化して耕作地や資源を奪おうとしたのだが、それをプーチンは阻止した。 それでも西側諸国は諦めず、NATOをウクライナへ拡大してロシアに対してチェックメイトを宣言するつもりだったようだ。アメリカのバラク・オバマ政権はキエフでクーデターを仕掛け、2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除することに成功した。 それに対し、ヤヌコビッチの支持基盤だったウクライナの東部や南部ではクーデター政権を拒否、クリミアはロシアと一体化する道を選び、オデッサでネオ・ナチが反クーデター派の住民を虐殺する様子を見た東部ドンバスの人びとは武装闘争を開始、内戦になった。 クーデター直後、軍や治安機関では約7割がクーデター政権を拒否して離脱、その一部はドンバスの反クーデター軍に合流したと言われている。アメリカはCIAの要員や傭兵会社の戦闘員を送り込んだものの、反クーデター軍に勝てない。そこで西側は停戦に持ち込む。それが2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」だ。これはクーデター体制の戦力を増強するための時間稼ぎだった。これは本ブログでも繰り返し書いてきた。 そして8年。クーデター政権は2022年に入るとドンバスに対する攻撃を強め始めた。そして2月24日にロシア軍はドンバス周辺に終結していたウクライナ軍や軍事基地、あるいは生物兵器の研究開発施設を攻撃しはじめた。 ロシア外務省によると、その時にロシア軍が回収したウクライナ側の機密文書には、ウクライナ国家親衛隊のニコライ・バラン司令官が署名した2022年1月22日付秘密命令が含まれていた。これにはドンバスにおける合同作戦に向けた部隊の準備内容が詳述されていた。 ロシア国防省のイゴール・コナシェンコフ少将によると、「この文書は、国家親衛隊第4作戦旅団大隊戦術集団の組織と人員構成、包括的支援の組織、そしてウクライナ第80独立空挺旅団への再配置を承認するもの」で、この部隊は2016年からアメリカとイギリスの教官によって訓練を受けていたという。 NATO側は8年かけ、兵器の供与や兵士を育成するだけでなく、マリウポリ、マリーインカ、アブディフカ、ソレダルの地下要塞を結ぶ要塞線をドンバスに築いていた。ウクライナの軍や親衛隊はドンバスへ軍事侵攻して住民を虐殺、ロシア軍を誘い出して要塞線の内側に封じ込め、その間に別働隊でクリミアを攻撃するという計画だったのではないかと推測されている。 2022年4月9日にイギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとの停戦交渉を止めるように命令(ココやココ)する。イギリスを含む西側は簡単にロシアを打ち破れると考えていたようだが、現実は違った。地下要塞が陥落した段階でロシアの勝利は決定的だった。 ウクライナ軍の死傷者数はロシア軍の約10倍と言われ、武器弾薬だけでなく兵士の数も足りなくなる。兵士不足は2023年の段階ですでに深刻で、この年の8月31日までイギリスの国防大臣を務めていたベン・ウォレスは同年10月1日、テレグラフ紙に寄稿した論稿の中でウクライナ兵の平均年齢はすでに40歳を超えていると指摘している。 西側諸国はウクライナに対して射程距離の長いミサイルを供与し始めた。ロシアのインフラを攻撃させているが、こうした種類のミサイルではオペレーターのほか、ターゲットに関する情報、ミサイルを誘導する衛星が必要。ウクライナ軍にそうした能力はなく、アメリカがイギリスが行うしかない。その段階でウクライナにおける戦争は事実上、ロシアとNATOとの間で行われている。 NATOはロシアに対する破壊活動も活発化させている。正規軍の戦いでNATO軍がロシア軍に勝てないため、テロを行うしかない。特に盛んなのはイギリスの対外情報機関MI6だと言われている。 2022年9月にはロシアとドイツがバルト海に建設したパイプライン、「ノード・ストリーム(NS1)」と「ノード・ストリーム2(NS2)」が爆破されたが、主犯はアメリカのCIAかイギリスのMI6で、NATO諸国が協力したと見られている。 イギリスの軍やMI6はクリミア橋(ケルチ橋)を破壊し、クリミアを軍事的に制圧しようともしてきた。また、NATOと共同作戦を展開しているウクライナの軍や情報機関は盛んにZNPP(ザポリージャ原子力発電所)を攻撃、外部からの電力供給を断とうとしている。 そして8月2日、ロシアのスペツナズ(特殊部隊)がオデッサに近いオチャコフでイギリス陸軍のエドワード・ブレイク大佐とリチャード・キャロル中佐、そしてMI6の工作員ひとりを拘束したと報道された。オデッサはMI6が対ロシア攻撃を実行する拠点だ。そこをロシアの特殊部隊が襲撃、イギリス側の重要人物を連れ去ってしまった。 ロシアのSVR(対外情報局)は、フランスがウクライナに約2000人の部隊を秘密裏に派遣する準備を進めていると主張した。兵士らはウクライナ国境付近のポーランドで訓練を行っているという。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.29
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死亡を含む深刻な副作用を引き起こしている「COVID(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」は限られたロットに集中しているとする報告が公表されている。ファイザーのアレルギー・呼吸器研究担当の副社長だったマイケル・イードンによると、副作用の90%を引き起こしたロットは全体の10%以下だというが、ロンドンを拠点としている研究者のクライグ・パーデクーパーは数%程度の毒性の強いロットが存在しているとしている。 この偏りが偶然なのか故意なのか不明だが、現在使われている「ワクチン」はいずれも正式に承認されたわけでなく、いわば「臨床試験」の段階。「プラセボ(偽薬)」が使われていも不思議ではないが、90%以上がプラセボなのかもしれない。少なくとも中身が違う可能性がある。 接種が始まる前から「COVID-19ワクチン」の危険性は指摘されていた。そうした懸念をWHO(世界保健機関)、FDA(食品医薬品局)、CDC(疾病予防管理センター)といった公的な機関は押し切って接種を始めた。もし毒性の強いロットが事前にわかっているなら、それを特定の地域で使うことも可能だ。 アメリカのCIAはベトナム戦争で特殊部隊を使い、住民を虐殺する秘密作戦を展開していた。「フェニックス・プログラム」だが、その目的のひとつはアメリカにとって好ましくない人びとを殺し、共同体を破壊することにあったとみられている。裏付ける証拠が存在するわけではないが、アメリカや日本の支配層にとって好ましくない考え方をする人が多い地域に毒性の強いロットを投入することも理屈の上では可能だ。 ちなみに日本では昨年8月下旬、政府が「モデルナ製ワクチン」の中に磁石へ反応する物質が見つかったとして160万本を回収したと伝えられている。
2022.01.21
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ドイツの医学者で免疫について研究しているミヒャエル・ネールスによると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」と称する遺伝子操作薬は記憶や空間学習能力に関係した器官の海馬に対して神経病理学的な攻撃、ロボトミー手術と似た結果をもたらす。 今年の「ノーベル生理学医学賞」はBioNTechのカタリン・カリコとペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマン教授に授与されるが、これはノーベル委員会が個人の人体に深刻なダメージを与え、少なからぬ人を殺している薬物を多くの人に接種させたいのだと言われても仕方がない。 WEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2016年1月、スイスのテレビ番組マイクロチップ化されたデジタルIDを脳に埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を連結して交信すると話している。つまり人間をコンピュータの端末にしようと計画している。ロボトミー手術と目的は一致している。そうしたシステムができあがれば、愚かな支配者が全人類を完全に支配できるわけだ。 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動は中国湖北省の武漢で2019年12月にSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が見つかったところから始まる。翌年の2月4日には横浜港から出港しようとしていたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」でも似たような症状の患者が見つかった。 それ以降、世界を「COVID-19」なる悪霊が徘徊し始め、その悪霊を退散させる「護符」として登場してきたのが「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」と称する遺伝子操作薬だ。 すでにDNAやグラフェン誘導体の混入、mRNAを細胞の内部へ運ぶLNP(脂質ナノ粒子)の毒性が問題になっている。接種が始まる前からADE(抗体依存性感染増強)を懸念する人は少なくなかったが、そもそも遺伝子操作薬の仕組みが危険だ。 その仕組みとは、細胞に病気の原因であるスパイク・タンパク質を製造させて抗体を作り出すというものだが、人間の免疫システムはその細胞を病気の原因だと認識して攻撃、炎症を引き起こす。それを抑えるために免疫を低下させる仕組みもあるが、人間の免疫システムも免疫を落とす。そうしないと全身で炎症が起こるからだが、その結果、AIDS状態になるわけで、VAIDS(ワクチン後天性免疫不全症候群)なる造語も使われ始めている。 遺伝子操作薬の接種が本格的に始まったのは2020年12月下旬で、先行したのはイスラエル。そのイスラエルで2021年4月に十代の若者を含む人びとの間で心筋炎や心膜炎が増え、問題になった。 スパイク蛋白質の相当部分は血管の中へ入り、体中を循環し、脾臓、骨髄、肝臓、副腎などに蓄積される。心臓や血管だけでなく臓器にダメージを与えることになるわけだ。心臓や神経にダメージを与えているとも言われている。心臓と同じように細胞が再生されない脳もスパイク・タンパク質でダメージを受けると回復しない。
2023.12.10
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厚生労働省は1月23日、昨年11月分の「人口動態統計速報」を発表した。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種者数は減少しているものの、死亡者数は13万3823人と水準は高いままである。
2024.01.25
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楽天ブログの「櫻井ジャーナル」へアクセスしにくくなっているという声を聞きます。そうした方は、下記へアクセスしてみてください。【Sakurai’s Substack】https://sakuraiharuhiko.substack.com/【櫻井ジャーナル(note)】https://note.com/light_coot554************************************************** ウクライナでロシア軍が攻勢を強めている。これまで慎重に戦ってきたロシア軍だが、兵站にとって重要な場所であるポクロフスクを制圧したこともあるのだろう。ウクライナ軍を率いているNATO軍の部隊に対する攻撃も目立つようになった。 ロシアのウラジミル・プーチン大統領は今年8月15日、アメリカのドナルド・トランプ大統領とアラスカのアンカレッジで会談したが、その後、米大統領がウクライナの戦況やロシアの経済状況について正確な情報を得ていないことを認識、話し合いでの解決を断念したのかもしれない。 ロシア軍は2022年2月24日からウクライナ軍をミサイルなどで攻撃しはじめたが、その際、アメリカの国防総省が建設していた生物兵器の研究開発施設も破壊している。国防総省のDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が約30カ所あったというのだ。その前からロシア政府はアメリカがウクライナで生物化学兵器の研究開発を進めていると非難していたので、ロシア軍は意図的にDTRAの施設を攻撃したのだろう。 ロシア政府はアメリカ軍がロシアとの国境に近いウクライナ領内で生物化学兵器の研究開発を行っていることを前から知っていた。ウクライナでクーデターが始まった2013年、アメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれ、実際、建設されている。 ジャーナリストのディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、各研究所は2010年から13年の間に建設されたという。 ロシア軍は2022年2月の攻撃でウクライナ側の機密文書を回収している。そうした文書の分析でアメリカが「万能生物兵器」を開発していたことが判明したと2023年4月に発表された。人だけでなく動物や農作物にも感染でき、大規模で取り返しのつかない経済的損害を与える遺伝子組換え生物兵器を開発していたというのだ。そうした兵器を秘密裏に標的を絞って使い、「核の冬」に匹敵する結果をもたらすことが目的だ。 ロシア軍の攻撃でウクライナに建設されていた生物化学兵器に関する施設も破壊されたはずで、資料やサンプルをウクライナ国外へ避難させただけでなく、新たな施設を建設しているようだ。そのひとつが日本ではないだろうか。 アメリカ国防総省がウクライナにそうした施設を建設した理由のひとつは、同国がロシアの隣にあるからだと考えられる。生物兵器をロシアに撒布しやすいということだ。ロシアとならぶアメリカの敵国である中国に近く、そうした兵器を撒きやすい国には韓国、台湾、そして日本が挙げられる。 その日本には「万能生物兵器」とも考えられる「レプリコン・ワクチン」の製造工場が存在、またBSL4(バイオセーフティレベル4)というエボラウイルのような最も危険だと分類されている病原体を研究する実験施設も作られている。ひとつは国立健康危機管理研究機構(前身は国立感染症研究所、その前は国立予防衛生研究所)の村山庁舎、そして長崎大学も指定された。ただ村山庁舎は周辺住民の反対が強いということもあり、新宿区戸山にある「財務局若松住宅」へ移転させる計画がある。予防衛生研究所は1992年、新宿区戸山の厚生省戸山研究庁舎へ移転しているが、そこは陸軍軍医学校があった場所だ。軍医学校は東京帝国大学や京都帝国大学の医学部と共同で生物化学兵器の研究開発を行っていた。 日本で生物化学兵器の研究開発が始められたのは1933年のこと。正確なデータを得るために生体実験が実施されたが、そのために編成された部隊のひとつが「関東軍防疫給水部」。「加茂部隊」とも呼ばれ、責任者は京都帝大医学部出身の石井四郎中将が務めた。後ろ盾は小泉親彦軍医総監だったという。 その後「加茂部隊」は「東郷部隊」へと名前を替え、1941年には「第七三一部隊」と呼ばれるようになった。生体実験には捕虜として拘束していた中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人が利用されている。うした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んでいた。 この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めた人物が石井四郎。途中、1942年から45年2月までを東京帝国大学医学部出身の北野政次少将が務めている。 1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺される。事態に気づいて食事をとならなかった捕虜は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。 石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。1947年にはキャンプ・デトリックからノーバート・フェルという研究者がやって来るが、この頃からアメリカ軍は第731部隊の幹部たちと協力関係に入る。 尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。 1950年6月に朝鮮戦争が勃発する。その頃、アメリカで細菌戦プログラムの中心的存在だったのはジェームズ・サイモンズ准将。その指揮下にあった406部隊は病原体の媒介昆虫に関する研究用の「倉庫」と見なされていたが、1951年当時、309名のうち107名が日本人だったとされている。 1952年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に抗議した。アメリカ側は事実無根だと主張したが、1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官が議会で行った証言の中で、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。 朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立されたが、北野政次が顧問に就任するなど、この会社は第731部隊と深い関係がある。後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになる。現在は田辺三菱製薬の一部だ。 第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は「伝染病対策」の中枢を形成することになる。その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設された。当初は厚生省の所管だったが、1949年には国立になる。1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名された。 大戦後、日本の生物化学兵器人脈が協力してきたフォート・デトリックの研究者はアフリカでも研究を続けている。2010年頃からギニア、リベリア、シエラレオネの周辺で研究していた。 その地域、つまりギニア、リベリア、シエラレオネで2013年12月からエボラ出血熱が広がりはじめ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染が拡大し、大きな騒動になった。2014年7月にはシエラレオネの健康公衆衛生省がテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。 生物兵器の専門家として知られているイリノイ大学のフランシス・ボイル教授の説明によると、テュレーン大学やCDC(疾病管理センター)が西アフリカで運営していた研究所では生物兵器を研究していたが、同じ場所にフォート・デトリックのUSAMRIID(アメリカ陸軍感染症医学研究所)の研究者もいた。 エボラは1976年8月にザイール(現在のコンゴ)で初めて確認されているが、エイズと同じように病気の始まりが明確でない。1976年の前は気づかれなかっただけなのか、病気自体がなかったのかは不明だ。(つづく)
2025.11.09
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アメリカのドナルド・トランプ政権はイランの現体制を破壊しようとしている。ロスチャイルド資本と関係の深いネオコンにしろ、ウラジミール・ジャボチンスキーを祖とし、ベンヤミン・ネタニヤフにつながるリクードの人脈にしろ、この点は同じだ。 イランでは1979年にイスラム革命で王制が倒され、その年の11月に「ホメイニ師の路線に従うモスレム学生団」を名乗るグループがアメリカ大使館を占拠、機密文書を手に入れる一方、大使館員など52名を人質にとる。 その翌年はアメリカで大統領選挙が行われた。現職だったジミー・カーターはパレスチナ人に近すぎるとして親イスラエル派に嫌われ、反カーター・キャンペーンが展開されていたのだが、52名の人質が選挙前に解放された場合、カーターにとって追い風になって再選の可能性があった。 そこでロナルド・レーガンやジョージ・H・W・ブッシュを支援していた共和党のグループはイスラエルのリクード政権と手を組み、人質の解放を遅らせようとする。この工作は成功し、人質が解放されたのはレーガンの大統領就任式の当日、つまり1981年1月20日のことだった。 この工作でイランの革命政権ともパイプができ、アメリカからイランへ武器が密輸される。この密輸の儲けがニカラグアの反革命ゲリラ支援に使われ、この工作が発覚してから「イラン・コントラ事件」と呼ばれるようになる。 この工作の背後にはズビグネフ・ブレジンスキーが始めたアフガニスタンでの秘密工作があった。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、サウジアラビアが雇い、送り込んできたサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心に編成した傭兵部隊と戦わせるという内容で、これは成功した。 アフガニスタンでの工作資金を捻出するためにCIAはヘロインを売る。そのため非合法のケシを栽培する中心地は東南アジア(黄金の三角地帯)からアフガニスタンとパキスタンの山岳地帯へ移動した。中米における工作ではコカインが使われている。 イスラム革命の翌年、1980年の9月にイラク軍がイランの南部を攻撃してイラン・イラク戦争が始まった。イラクのサダム・フセインはCIAの手先として権力を握った人物で、アメリカ支配層の要請を受けての行動だったのだろう。この戦争でイランはアメリカから武器を調達する必要に迫られ、イランとアメリカとの関係が接近する。 イラン・イラク戦争は1988年8月に終了、その翌年にイラン大統領となったのはハシェミ・ラフサンジャニ。この政権は新自由主義政策を進め、私有化や貿易の自由化を推進した。その結果、少数の大金持ちと多くの貧困層を生み出すことになる。 当然、イランの庶民は激怒、マフムード・アフマディネジャドが2005年の大統領選で勝利した。新大統領はこうした状況を変えようと試み、まず欧米の金融資本と結びついたパールシヤーン銀行にメスを入れようとしたのだが、成功しなかった。この勢力に西側は期待しているのだろう。 ハサン・ロウハーニ大統領は西側から「穏健派」、つまりラフサンジャニに近い人物だと見られていたが、西側の思惑通りには動かなかった。そこでトランプ政権による「制裁」につながる。 イランでは1951年にムハマド・モサデク首相がイギリス系のAIOC(アングロ・イラニアン石油)の国有化を決める。この会社を通じてイギリス支配層はイランの富を盗んでいた。1950だけでAIOCが計上した利益は1億7000万ポンド、そのうち1億ポンドをイギリスへ持ち帰っている。AIOCの筆頭株主はイギリス政府で、発行済み株式の約半分を保有していた、つまりAIOCの利益がイギリスの財政を支えていたのである。イラン国民はほとんど利益を受け取っていない。 そこでイラン政府はAIOCの国有化を決めたのだが、それに対してイギリス政府はアメリカ支配層の力を借りてクーデターを実行、モサデク政権を倒している。その際に米英側はイラン政府が石油をオープン・マーケットで売却することを阻止、イランは経済的に追い詰められた。そこでソ連に接近するのだが、この商談はクーデターで成功しなかった。 トランプ大統領はこの「成功体験」を再現しようとしたのだろうが、イランの石油の約6割を買っているという中国とインドがアメリカの命令に従わない。イランの石油輸出による収入は今年3月に比べて7月は6割増になっているという。アメリカが仕掛けた経済戦争は裏目に出たようだ。
2018.09.15
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アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は1月7日現在、前の週より363名増え、2万1745名に達した。 一般的にVAERSに報告される件数は全体の1%から10%程度にすぎ無いと言われ、実際は20万人から200万人に達するということになるが、COVID-19の副作用は通常より隠されていると見られている。 アメリカのCDC(疾病予防管理センター)は2020年4月、死亡した患者の症状がCOVID-19によるものだと考えて矛盾しないなら、その死因をCOVID-19として良いとしていたが、「COVID-19ワクチン」の場合は対照的だ。
2022.01.15
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アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は1月14日現在、前の週より448名増え、2万2193名に達した。一般的にVAERSに報告される件数は全体の1%から10%程度にすぎ無いと言われ、実際は20万人から200万人に達するということになる。また、死亡を含む深刻な副作用を引き起こしている「COVIDワクチン」が限られたロットに集中していることはVAERSでも確認できる。
2022.01.22
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アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は3月18日現在、前の週より418名増えて2万6059名に達した。 死亡者数が2万6000名の節目を突破したわけだが、この数字は実数の1%から10%程度にすぎないと言われ、実際は26万人強から260万人強に達するということになる。 この「ワクチン」は正規の手続きを踏んで承認されたわけではなく、死亡に至らないまでも、深刻な副作用で苦しんでいる人は少なくない。 早い段階から帯状疱疹や⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)の発症、あるいは体の麻痺が指摘された。血栓で脳梗塞や心筋梗塞になるケースもあるが、微小血栓によって脳、脊髄、心臓、肺などがダメージを受けているとも言われている。接種が始まる前から懸念されていたADE(抗体依存性感染増強)も実際に起こっているようだ。2021年4月にはイスラエルで年少者に心筋炎や心膜炎を引き起こすと報告され、その後、後発国でも同じことが起こっている。 そうした高リスクで本来なら認められないような医薬品を人びとに押し付ける根拠とされているのが「パンデミック」。WHO(世界保健機関)が2020年3月11日に宣言したのだが、その前、1カ月前に国際ウイルス分類委員会は病気の原因とされるウイルスにSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)と命名している。重症肺炎を引き起こすというイメージが生み出され、「黒死病」のように多くに人びとが死んでいくと思った人も少なくないだろう。 そのイメージを広めるため、CDC(疾病予防管理センター)は2020年4月、死亡した患者の症状がCOVID-19によるものだと考えて矛盾しないなら、死因をCOVID-19として良いとする通達を出している。 この通達をアメリカのスコット・ジャンセン上院議員は2020年4月8日にFoxニュースの番組で指摘、病院では死人が出ると検査をしないまま、死亡診断書にCOVID-19と書き込んでいると告発した。COVID-19で死んだことにすると、病院が受け取れる金額が多くなるからだという。 当初、死亡者の大半は心臓病、高血圧、脳卒中、糖尿病、悪性腫瘍、肺疾患、肝臓や腎臓の病気などを抱える高齢者だった。COVID-19で死亡したとされる人の平均はどの国でも80歳に近い。何が本当の死因なのか明確でない状態だ。CDCでさえ2020年8月、COVID-19だけが死因だと言える人は全体の6%にすぎないと認めているが、さらに1桁下だとする国もあった。 当然、人びとはCOVID-19で黒死病のようなことが起こっていないことに気づく。そこで宣伝され始めたのが「無症状感染者」である。感染者の8割とも9割は無症状だとされ、その無症状感染者は病気を撒き散らして他人を病気するというストーリーが語られ始めた。 そこで利用されたのがPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査。特定の遺伝子型を試験管の中で増幅する技術で、ウイルスそのものを見つけることはできない。 増幅の回数を「Ct値」と呼ぶが、その値を増やせば、つまり増幅回数を増やせば医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても陽性になるが、偽陽性の確率も増えていく。偽陽性を排除するためにはCt値を17以下にしなければならず、35を超すと偽陽性の比率は97%になるとも報告されている。 PCRを利用した診断手順はドイツのウイルス学者、クリスチャン・ドロステンらが昨年1月に発表したもので、WHOはすぐにその手順の採用を決めて広まったが、程なくして、その手順に科学技術的な間違いがあるとする指摘が出されるようになる。2021年1月20日にはWHOでさえ、PCR検査は診断の補助手段にすぎないと言うようになる。 CDCは「2019年新型コロナウイルス(2019-nCoV)リアルタイムRT-PCR診断パネル」を利用してきたが、この診断パネルのEUA(緊急使用許可)を2021年12月31日に取り下げると同年7月21日に発表している。つまり、すでに取り下げられた。そして今年3月15日、「COVID-19による死亡者数」を「訂正」した。それまで85万人とされていたのだが、それを78万人に減らしたのだ。子どもの死亡者は24%減少したという。
2022.03.26
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ガザでの「停戦」とはイスラエルによる住民虐殺に対する人びとの怒りを緩和させることであり、ウクライナでの「停戦」とは劣勢のNATO軍が戦闘態勢を整えるための時間稼ぎに過ぎない。ガザでの停戦は形式上、合意されたものの、予想通りに幻影で終わった。2014年の「ミンスク1」と15年の「ミンスク2」でNATO諸国に煮湯を飲まされたロシアは「停戦」に応じていない。いずれの場合も「停戦」は新たな戦争を始めることが目的だ。パレスチナでもウクライナでも戦乱の背後にはネオコンがいる。 ネオコンとはシオニストの一派で、イスラエル至上主義者でもある。例えば、バーナード・ルイス、リチャード・パイプス、ダニエル・パイプス、デイビッド・ホロウィッツ、ロバート・ケーガン、ポール・ウォルフォウィッツ、エリオット・エイブラムス、リチャード・パール、ポール・ブレマー、ダグラス・フェイス、I・ルイス・リビー、そしてリチャード・チェイニーやドナルド・ラムズフェルドもネオコンと呼ばれている。後にネオコンで中心的な役割を演じる人たちは若い頃、ヘンリー・ジャクソン上院議員の事務所で仕事を覚えている。 ネオコンの思想的な支柱はシカゴ大学教授だったレオ・ストラウス。この学者は1899年にドイツのヘッセン州で熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にウラジミール・ヤボチンスキーのシオニスト運動へ接近した。 1932年にストラウスはロックフェラー財団の奨学金でフランスへ渡り、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学、そしてプラトンやアリストテレスの研究を始めている。(The Boston Globe, May 11, 2003)カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、ストラウスの思想は一種のエリート独裁主義で、彼は「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) 1934年にストラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になる。教授として受け入れられた1944年にはアメリカの市民権も獲得。1949年から73年までシカゴ大学で教えているが、教授を務めたのは68年まで。その間、1954年から55年にかけてイスラエルのヘブライ大学で客員教授にもなっている。ウォルフォウィッツはシカゴ大学での教え子だ。 ストラウスと並ぶネオコンの支柱とされている人物が、やはりシカゴ大学の教授だったアルバート・ウォルステッター。冷戦時代、同教授はアメリカの専門家はソ連の軍事力を過小評価していると主張、アメリカは軍事力を増強するべきだとしていたが、その判断が間違っていたことはその後、明確になっている。 世界征服プロジェクトである1992年のDPG草案のベースを考えた人物は国防総省内部のシンクタンクONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルだ。この人物はバーナード・ルイスから世界観を学んでいる。 ルイスはイギリスで情報活動に従事したことがあり、イスラエルやサウジアラビアを支持していた。そのルイスから教えを受けたマーシャルも親イスラエル派で、ソ連や中国を脅威だと宣伝したきた人物としても知られている。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) ネオコンのシンクタンク、PNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)はDPGに基づく報告書、「アメリカ国防の再構築」を2000年に発表した。その中で、軍事体制の「革命的な変革」を迅速に実現するため、「新たな真珠湾」のような壊滅的な出来事が必要だとしている。(PNAC, “Rebuilding America’s Defenses,” PNAC, September 2000) 2001年1月から始まったジョージ・W・ブッシュ政権もネオコンに操られていたが、その年の9月11日からこの政権は世界征服戦争を始めている。その切っ掛けはニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃。この「新たな真珠湾」のような出来事で人びとは茫然自失、その間に侵略戦争は始められた。 ウクライナ担当特使を務めているキース・ケロッグ退役中将はドナルド・トランプ政権を戦争へと導いている。このケロッグは2023年2月28日にアメリカの上院軍事委員会で、「もしアメリカ軍を一切投入しないで戦略的な敵国(ロシア)を打ち負かすことができれば、それはまさにプロフェッショナルの極みだと私は考えている」と語っている。代理戦争だと公言したのだ。 イギリスにはドイツとロシア/ソ連を戦わせ、両国を共倒れさせようとしてきた。ふたつの世界大戦はその結果だと言えるだろう。21世紀に入り、ドイツの代わり、ウクライナとロシアを戦わせている。NATOがウクライナを支援すれば簡単にロシアを倒せると考えたようだが、この見通しは甘すぎた。ロシアを見くびった結果、NATO諸国は窮地に陥っている。ケロッグはロシアを倒した後、中国に集中して倒すとしていたが、この見通しも甘すぎた。 イスラエルはハマスやヒズボラに勝てず、イランには事実上負けた。ウクライナではロシア軍によってNATOが軍事的に疲弊し、EU諸国の経済は破綻、社会は崩壊しつつある。 ネオコンは無能だということだが、その事実を認められない彼らは妄想の中へ逃げ込み、状況をますます悪化させている。欧米ではその現実に気づく人が増えているようだが、日本の反応は鈍い。「神風」が吹くとでも思っているのだろうか?**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.08
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福島県沖を震源とする巨大地震が原因で東京電力福島第1原発の炉心が溶融する事故が引き起こされたのは8年前の2011年3月11日だった。内部の詳しい状況は不明で、事故が終結したとは言えない。勿論、コントロールなどできていない。 溶けた燃料棒を含むデブリは格納容器の底部へ落下しているが、地中へ潜り込んでいる可能性もある。そうしたデブリを回収し、廃炉にするまで相当の年月が必要だ。 日本政府は2051年、つまり34年後までに廃炉させるとしていたが、イギリスのタイムズ紙はこの原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定していた。その推測も甘い方で、数百年はかかるだろうと考えるのが常識的。廃炉作業が終了したとして、その後、10万年にわたって放射性廃棄物を保管する必要があると言われている。 事故の直後に相当数の人が放射性物質が原因で死んでいる可能性が高い。例えば、医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いていた: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 事故の翌日、2011年3月12日には1号機で爆発があり、14日には3号機も爆発、15日には2号機で「異音」がり、4号機の建屋で大きな爆発音があったとされている。 その後、建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片についてNRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で語っている。発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測するというのだ。 その後、建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片についてNRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で語っている。発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測するというのだ。 また、マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出している。 事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。 事故に伴って環境中に放出された放射性物質の放出総量をチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表しているが、その算出方法に問題があるとも指摘されている。 計算の前提では、圧力抑制室(トーラス)の水で99%の放射性物質が除去されることになっているが、今回は水が沸騰していたはずで、放射性物質の除去は困難。トーラスへの爆発的な噴出で除去できないとする指摘もある。そもそも格納容器も破壊されていた。 原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2~5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)が、10倍程度だと考えても非常識とは言えない。 数年前から甲状腺の異常が増えていると指摘されているが、日本に秘密保護法が存在している以上、日本の安全保障と深く関係する原発に関する情報がきちんと明らかにされるとは期待できない。
2019.03.11
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イラクのムスタファ・アル・カディミ首相はアメリカに対し、戦闘部隊を撤退させるように求めている。イラクの現体制は2003年3月にアメリカ主導軍の先制攻撃でサダム・フセイン(スンニ派)が排除されて出来上がった。これはシオニストの一派であるネオンコンの戦略に基づくのだが、親イスラエル派の体制を樹立することに失敗、シーア派(親イラン派)の体制が出来上がる。それ以降、イラクとアメリカとの関係は良くない。 イラクへの軍事侵略を含む国際面を指揮していたのは副大統領だったディック・チェイニーだと言われている。チェイニーはドナルド・ラムズフェルドと同じようにジェラルド・フォード政権で表舞台に出てきたネオコン。 ちなみに、フォード政権は共和党だが、ネオコンの若手を育てたヘンリー・ジャクソン上院議員は民主党で、1972年の大統領選挙では民主党の候補になったジョージ・マクガバンを落選させるため、CDM(民主党多数派連合)を組織している。ネオコンは超党派の勢力だと言えるだろう。 チェイニーの主席副補佐官を2003年から05年にかけて務め、イラクへの侵略に深く関与したと言われている人物がネオコンのビクトリア・ヌランド。その前に彼女はビル・クリントン政権でストローブ・タルボット国務副長官の下で働き、NATO常任委員次席代表を務めた。チェイニーの下を離れた後、2005年から08年にかけてNATO常任委員代表としてヨーロッパ諸国をアフガニスタンでの戦争へ引きずり込んだ。 ネオコンのイラク侵略は成功しなかったため、ジョージ・W・ブッシュ政権はフセインの残党を含むスンニ派の戦闘集団を編成、手先として使い始める。こうした動きは調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いている。その記事によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えた。そこでアル・カイダ系の武装集団、あるいはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が生み出される。 こうした戦闘員を送り込んでいたサウジアラビアはイギリスによって作り出された。イギリスは1916年5月にフランスと「サイクス・ピコ協定」を結び、オスマン帝国を解体し、その地域を盗もうとする。大雑把に言って、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスが支配、フランスはトルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンを支配下に置くとされた。 協定が結ばれた翌月、「アラブの反乱」が始まる。その「反乱」で中心的な役割を果たしたのはデイビッド・ホガースを局長とするイギリス外務省アラブ局。そこにはマーク・サイクスやトーマス・ローレンスもいた。一般に「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。 イギリスは第1次世界大戦の際、ウィリアム・シェークスピアというエージェントを後のサウジアラビア国王、イブン・サウドに接触させるが、このエージェントは1915年1月に戦死。そこでジョン・フィルビーが引き継いだ。 しかし、この頃、イギリスはイブン・サウドとライバル関係にあったフセイン・イブン・アリを重要視するようになり、ローレンスもイブン・アリを支援。このイブン・アリは1915年7月から16年1月にかけてイギリスのエジプト駐在高等弁務官だったヘンリー・マクマホンと書簡でやりとりをしている。その中で、イギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束した。いわゆる「フセイン・マクマホン協定」だ。 イブン・アリは1916年、アラビア半島西岸にヒジャーズ王国を建国し、1924年にカリフ(イスラム共同体を統合する指導者)を名乗るものの、イスラム世界から反発を受けて追い出される。ヒジャーズ王国は1931年にナジェドと連合、32年にはサウジアラビアと呼ばれるようになった。 その一方、1917年にはイギリスのアーサー・バルフォア外相がロスチャイルド卿宛ての書簡で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。この書簡を実際に書いたのはアルフレッド・ミルナーだ。その延長線上にイスラエルの建国はある。 今年6月からイスラエルの首相になったナフタリ・ベネットは宗教的な妄想を現実世界へ持ち込もうというタイプの人間だ。例えば、2017年にアル・ジャジーラの番組に登場、パレスチナがイスラエルのものだということは(旧約)聖書に書いてあると平然と口にしている。狂信的なシオニストだと言えるだろう。 しかし、ユダヤ教のトーラ(モーセ5書)などでは土地は神の物だとされている。ユダヤ人はトーラを守るという条件の下で、その土地に住むことを許されただけである。トーラのみを聖典だと考えるユダヤ教の一部がシオニズムやイスラエルを批判し、パレスチナ人と友好的な関係を結んでいる一因はここにある。 ユダヤ人が永遠に無条件でユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域を支配できるという「大イスラエル」の主張はプロテスタントの一部が言い始めたことである。その背後にはプロテスタント国の戦略が存在していた。そして一部のユダヤ人がこの戦略に乗ったわけだ。そのひとりがナフタリ・ベネットだ。
2021.07.25
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アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は1月21日現在、前の週より414名増え、2万2607名に達した。 一般的にVAERSに報告される件数は全体の1%から10%程度にすぎ無いと言われ、実際は20万人から200万人に達するということになる。また、死亡を含む深刻な副作用を引き起こしている「COVIDワクチン」が限られたロットに集中していることはVAERSでも確認できる。
2022.01.29
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マリウポリにある産婦人科病院を3月9日に破壊したのはロシア軍だという話を西側の有力メディアは広げている。そうした「報道」でアイコン的に使われたマリアナ・ビシェイエルスカヤはその後、報道の裏側について語っている。 彼女は3月6日、市内で最も近代的な産婦人科病院へ入院したが、間もなくウクライナ軍が病院を完全に占拠、患者やスタッフは追い出されてしまう。彼女は近くの小さな産院へ移動した。最初に病院には大きな太陽パネルが設置され、電気を使うことができたので、それが目的だろうと彼女は推測している。 そして9日に大きな爆発が2度あり、爆風で彼女も怪我をした。2度目の爆発があった後、地下室へ避難するが、その時にヘルメットを被った兵士のような人物が近づいてきた。のちにAPの記者だとわかる。そこから記者は彼女に密着して撮影を始めた。彼女は「何が起こったのかわからない」が、「空爆はなかった」と話したという。 APだけでなく、西側の有力メディアはロシア軍の攻撃で産婦人科病院が破壊され、母親と乳児が死傷しているというストーリーに仕上げたかったはず。実際、彼女の証言は記者に都合よく改竄されてしまう。 問題の病院から患者やスタッフがウクライナ軍に追い出されたことはマリウポリから脱出した市民も異口同音に語っている。その部隊はおそらくアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)だろう。脱出した市民によると、脱出しようとした市民をアゾフの隊員は銃撃、少なからぬ人が死傷したという。また市民の居住空間に入り込み、ロシア軍の攻撃を避けようとしてきたともしている。 現在、アメリカをはじめとする反ロシア連合はイメージ戦争を中心をブチャの死体へ移しているが、これは穴が多く、病院のケースと同じように信頼度は低い。ニューヨーク・タイムズ紙は4月4日、マクサー・テクノロジーズという会社かた提供された写真を掲載し、3月19日には死体が路上に存在していたと主張しているが、これも不自然な点がすぐに指摘され始めた。 おそらく多くの人が抱く最初の疑問は、比較のために載せられた2月28日の写真に比べ、肝心の3月19日に撮影されたという写真の解像度が悪すぎるのはなぜかということだろう。影や天候の分析から実際の撮影日は4月1日だとする推測もあるが、もし19日から約2週間、道路上に死体は放置されていたことになる。その間、氷点下になったのは28日の早朝だけ。29日には17度まで上昇している。 キエフの周辺で拷問を受け、殺害された死体が発見されているが、その一部が白い腕章をつけていることも注目されている。ロシア軍を意味するからだ。また、ロシア軍が配った食糧を持っている人もいたとされている。ロシア軍が撤退した後、親衛隊はロシア軍に対して友好的な態度を示していた市民を殺して回ったとも言われている。 しかし、西側の政府や有力メディアはネオ・ナチの親衛隊を善玉、ロシアを悪玉として描かなければならない。そのため、出来事を全て反転して描くわけだ。そうして作られた話に飛びつく人も少なくない。
2022.04.08
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1989年1月、アメリカ大統領はロナルド・レーガンからジョージ・H・W・ブッシュへ交代、その直後に新大統領はイギリスのマーガレット・サッチャー首相と会談、ソ連を崩壊させることで合意している。その当時、すでにソ連のミハイル・ゴルバチョフはCIAのネットワークに取り囲まれていた。ブッシュはその年の5月、ジェームズ・リリーを中国駐在アメリカ大使に据えた。 ブッシュはジェラルド・フォード政権時代の1976年1月から77年1月にかけてCIA長官を務めているが、彼はエール大学時代、CIAからリクルートされたと言われている。同大学でCIAのリクルート担当はボート部のコーチを務めていたアレン・ウォルツだと言われているが、そのウォルツとブッシュは親しかったのだ。 しかも、ブッシュの父親であるプレスコットは銀行家から上院議員へ転身した人物で、ウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった。言うまでもなく、ダレスはOSSからCIAまで秘密工作を指揮していた人物だ。ブッシュは大学を卒業した後にカリブ海で活動、1974年から75年まで中国駐在特命全権公使(連絡事務所長)を務めている。 ジェームズ・リリーはジョージ・H・W・ブッシュとエール大学時代から親しく、ふたりとも大学でCIAにリクルートされた。リリーは中国山東省の青島生まれで中国語は堪能で、1951年にCIA入りしたと言われている。 このエール大学コンビは中国を揺さぶりにかかる。中国のアカデミーはビジネス界と同じように米英支配層の影響下にあり、揺さぶる実働部隊は主要大学の学生。現場で学生を指揮していたのはジーン・シャープで、彼の背後にはジョージ・ソロスもいたとされている。学生たちと結びついていた趙紫陽の後ろ盾は鄧小平だ。 中国とアメリカは当時、緊密な関係にあると見られていた。1972年2月にリチャード・ニクソン大統領(当時)が中国を訪問、北京政府を唯一の正当な政府と認め、台湾の独立を支持しないと表明して米中は国交を回復させているのだ。1980年には新自由主義の教祖的な存在だったミルトン・フリードマンが北京を訪問、新自由主義の推進役だった趙紫陽は1984年1月にアメリカを訪問、ホワイトハウスでロナルド・レーガン大統領と会談して両国の関係は緊密化していく。 新自由主義は社会的な強者に富を集中させる仕組みであり、中国でも貧富の差が拡大、1980年代の半ばになると労働者の不満が高まる。社会は不安定化して胡耀邦や趙紫陽は窮地に陥り、胡耀邦は1987年1月に総書記を辞任せざるをえなくなった。学生は新自由主義を支持していたが、新自由主義に反対する労働者も抗議活動を始めたいた。 そうした中、1988年にミルトン・フリードマンは8年ぶりに中国を訪問、趙紫陽や江沢民と会談したが、中国政府はその年に「経済改革」を実施している。労働者などからの不満に答えるかたちで軌道修正したと言えるだろう。 胡耀邦は1989年4月15日に死亡。新自由主義を支持する学生はその日から6月4日までの期間、天安門広場で中国政府に抗議する集会を開いたのだが、新自由主義に反対する労働者も抗議活動を始めたいた。 西側の政府や有力メディアは6月4日に軍隊が学生らに発砲して数百名を殺したと主張していた。広場から引き上げる戦車をクローズアップした写真を使い、「広場へ入ろうとする戦車を止める英雄」を作り上げているが、この写真が撮影されたのは6月5日のことだ。 例えば、当日に天安門広場での抗議活動を取材していたワシントン・ポスト紙のジェイ・マシューズは問題になった日に広場で誰も死んでいないとしている。広場に派遣された治安部隊は学生が平和的に引き上げることを許していたという。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 学生の指導グループに属していた吾爾開希は学生200名が殺されたと主張しているが、マシューズによると、虐殺があったとされる数時間前に吾爾開希らは広場を離れていたことが確認されている。北京ホテルから広場の真ん中で兵士が学生を撃つのを見たと主張するBBCの記者もいたが、記者がいた場所から広場の中心部は見えないことも判明している。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 西側の有力メディアは2017年12月、天安門広場で装甲兵員輸送車の銃撃によって1万人以上の市民が殺されたという話を伝えた。北京駐在のイギリス大使だったアラン・ドナルドが1989年6月5日にロンドンへ送った電信を見たというAFPの話を流したのだ。 しかし、これはドナルド大使自身が目撃したのではなく、「信頼できる情報源」の話の引用。その情報源が誰かは明らかにされていないが、そのほかの虐殺話は学生のリーダーから出ていた。当時、イギリスやアメリカは学生指導者と緊密な関係にあった。ドナルド大使の話も学生指導者から出たことが推測できる。 また、内部告発を支援しているウィキリークスが公表した北京のアメリカ大使館が出した1989年7月12日付けの通信文によると、広場へ入った兵士が手にしていたのは棍棒だけで群集への一斉射撃はなかったとチリの2等書記官だったカルロス・ギャロは話している。銃撃があったのは広場から少し離れた場所だったという。(WikiLeaks, “LATIN AMERICAN DIPLOMAT EYEWITNESS ACCOUNT O JUNE 3-4 EVENTS ON TIANANMEN SQUARE”) イギリスのデイリー・テレグラム紙が2011年6月4日に伝えた記事によると、BBCの北京特派員だったジェームズ・マイルズは2009年に天安門広場で虐殺はなかったと認めている。軍隊が広場へ入ったときに抗議活動の参加者はまだいたが、治安部隊と学生側が話し合った後、広場から立ち去ることが許されたという。マイルズも天安門広場で虐殺はなかったと話している。(The Daily Telegraph, 4 June 2011) 治安部隊とデモ隊が激しく衝突したのは広場から8キロメートル近く離れている木樨地站で、黒焦げになった複数の兵士の死体が撮影されている。このデモ隊は反自由主義を主張していた労働者だったと言われている。路上での衝突と広場の状況を重ねて語る人もいるが、全く違うのだ。 吾爾開希をはじめとする反政府活動の学生指導者たちはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを運営していたのは米英の情報機関、つまりCIAとMI6だ。吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡って独立運動に参加、つまり台湾で軍事的な緊張を高める仕事を始めた。
2024.06.05
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イスラエルとハマスは1月16日、停戦協定が締結されたと発表した。42日間の停戦と捕虜交換が協定には含まれている。この協定締結で中心的な役割を果たしたと言われているスティーブン・ウィトコフはドナルド・トランプ次期大統領が中東特使に指名した人物。1月10日にカタールからイスラエルへ電話、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近に対し、翌日の午後にイスラエルを訪れて停戦交渉について会談すると伝えたところから話し合いが始まったという。 この停戦協定について好意的に評価する人が少なくないようだが、懐疑的な人も少なくない。例えば、ジャーナリストのクリス・ヘッジズはイスラエルがパレスチナ人との合意を履行してこなかったと指摘しているが、イスラエルだけでなくアメリカも外交的な合意事項を守らなかった過去がある。しかも合意の中には、イスラエルが合意を破棄し、爆撃と軍事作戦を再開する「権利」が含まれているという。 ちなみに、ヘッジズは1990年からニューヨーク・タイムズ紙で記者として働いていたが、2003年3月にアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が「大量破壊兵器」という作り話を口実にしてイラクを先制攻撃した際に政府を批判、編集部と衝突して辞職している。 ソ連大統領としてミハイル・ゴルバチョフが東西ドイツの統一を1990年に認めた際、西側はNATOを東へ拡大させないと約束していた。その約束をゴルバチョフたちソ連の首脳部は無邪気にも信じ、ソ連を消滅させて国民に塗炭の苦しみを舐めさせることになる。 例えば、ドイツのシュピーゲル誌によると、アメリカはそのように約束したとソ連駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っているほか、ドイツの外務大臣だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年2月にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたとされている。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009) そのほか、アメリカの国務長官を務めていたジェイムズ・ベイカーは1990年2月、NATOの支配地域を東へ1インチたりとも拡大させないと語ったとする記録が存在、ジョージ・ワシントン大学のナショナル・セキュリティー・アーカイブはその記録を2017年12月に公開した。 イスラエルのメディアYnetによると、ドナルド・トランプ次期大統領はベンヤミン・ネタニヤフ首相とロン・ダーマー外相に対し、停戦に応じ、ガザからイスラエル軍を撤退することに合意すれば、イスラエルが戦闘の再開を決定した場合、トランプ政権はイスラエルを支援すると約束している。 イスラエルはレバノンとも停戦で合意、それを利用してシリアを攻撃したが、そのレバノンでも合意を無視して攻撃を繰り返し、ガザでも停戦合意が発表された後、ガザ北部に大規模な爆撃を実施して30名以上を殺害したと報じられている。 アメリカやイスラエルは約束を守る、西側は民主主義体制だ、悪いことをしてもロシアや中国よりはマシだと唱え、欧米への信仰から抜け出そうとしない人が少なくないが、欧米やイスラエルの話は眉に唾をつけながら聞く必要がある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.01.19
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9月11日には世界の流れを変えるような大きな出来事が引き起こされている。1973年にチリでは、サルバドール・アジェンデ政権をアメリカのヘンリー・キッシンジャー国家安全保障補佐官に操られたオーグスト・ピノチェトの部隊がクーデターで倒し、2001年にはニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。 クーデター後のチリでは初めて新自由主義経済が導入され、富はアメリカの巨大企業へ流れ、その手先が富を築いた。その「実験」を経てイギリスのマーガレット・サッチャー首相が自国へ導入、それまでの社会システムを崩壊させた。2001年の9/11はアメリカ国内を刑務所化する「PATRIOT法(テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化する2001年法)」の導入や侵略戦争の本格化の切っ掛けとして使われている。 PATRIOT法は340ページを超す代物なのだが、それを議会は提出されて1週間で承認、憲法の機能を停止させてしまった。その結果、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになり、国内の治安機能を強化するため、2002年10月にはUSNORTHCOM(アメリカ北方軍)が設置された。 社会の収容所化は第2次世界大戦が終わって間もない頃、核戦争を想定して計画されているが、大きな節目は1982年のNSDD55。この指令によって戒厳令プロジェクトであるCOGが承認され、NPO(国家計画局)が創設された。 COGの内部は上部組織と下部組織に分かれ、「プロジェクト908」と呼ばれる上部組織にはジョージ・H・W・ブッシュ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジーたちが含まれていた。下部組織は「フラッシュボード」と呼ばれ、ホワイトハウスの役人、将軍たち、CIAの幹部、引退した軍人や情報機関員など数百人で編成された。(New York Times, April 18, 1994) このプロジェクトの基盤になったのはソ連を先制核攻撃する計画。例えば、1957年にはドロップショット作戦が作成され、それに合わせて沖縄の軍事基地かが推進され、アレゲーニー山脈の中、ウエストバージニア州のグリーンブライア・ホテルの地下には「地下司令部」が建設されている。いわゆるグリーンブライア・バンカーだ。この地下司令部は1990年代の前半に放棄され、ペンシルベニア州のレイブン・ロック山コンプレックスに新たな地下司令部が建設されている。いわゆるサイトRだ。 当初、COGは核戦争を前提にしていたが、1988年に大統領令12656が出され、始動する条件が「国家安全保障上の緊急事態」に変更されている。核戦争が勃発しなくても支配階級が国家安全保障上の緊急事態だと判断すれば憲法の機能を停止できるようになった。そして2001年9月11日にその緊急事態が起こる。 その日、世界貿易センターやペンタゴンに旅客機が突入、センターのツイン・タワーや7号館は爆破解体のように崩壊した。その不自然な崩壊から爆発物が仕掛けられていたと考える人もいる。 そこで注目されたのが1993年2月26日の事件。その日、世界貿易センターのノース・タワーにある地下駐車場に仕掛けられていた爆弾が遠隔操作で爆破される。これはラムジ・ユセフたちによる仕業だった。 ノース・タワーを倒し、サウス・タワーも破壊する計画だったが、建造物で最も弱いはずの地下を破壊してもノース・タワーはびくともしなかった。勿論、サウス・タワーも倒れていない。 その翌年の9月11日にはフランク・ユージン・コーダーなるトラックの運転手が盗んだセスナ150でホワイトハウスのサウス・ローンに突っ込み、本人は翌日に死亡。1995年2月には12機の旅客機を爆破する「ボジンカ計画」が阻止され、4月19日にはアメリカのオクラホマ州にある連邦政府ビルが爆破されて169名が死亡(ひとりは身元不明)した。 ノース・タワーでは地下駐車場が爆破された後、1994年から2000年にかけてACEエレベーターが貿易センターのエレベーター・システムの改良工事を実施(George W. Grundy, “Death of a Nation,” Skyhorse, 2017)、ストラテセク社は1996年から2000年にかけてビルの治安システムを導入するための工事を実施した。こうした工事を利用すれば、どのような仕掛けでも作れるだろう。 2001年の9/11ではサウジアラビアとイスラエルに疑惑の目が向けられていた。オサマ・ビン・ラディンの兄弟のひとりであるシャフィグは9月11日にジョージ・H・W・ブッシュやジェイムズ・ベイカーと会っていたほか、後にサウジアラニアの情報機関である総合情報庁を率いることになるバンダル・ビン・スルタンはアメリカ駐在大使として赴任中で、2005年9月までその職についていた。バンダルの後任大使、トゥルキ・ビン・ファイサル・アル・サウドは2001年8月31日、つまり9/11の11日前まで総合情報庁の長官を務めていた。 9月11日には140名のサウジアラビア人を乗せたチャーター機がアメリカを飛び立っているが、その中には24名のビン・ラディン家の人間も乗っていた。その航空機の搭乗者のひとり、アーメド・ビン・サルマンは9/11を事前に知っていたと後に語っているが、2002年7月に43歳の若さで心臓発作のために急死した。 9/11の前後に「イスラエル人美術学生」が逮捕されていることも話題になった。イギリスのテレグラフ紙によると、攻撃の前に140名のイスラエル人が逮捕され(Telegraph, March 7, 2002)、ワシントン・ポスト紙によると、事件後に60名以上が逮捕されている。(Washington Post, November 23, 2001)合計すると逮捕者は200名に達し、その中にはモサドのメンバーも含まれていた。後に全員が国外追放になる。 アメリカ国内に犯人はいると考える人も少なくないが、そのグループが国外の人間と連携した可能性もある。大々的に宣伝されたハイジャック話は信憑性が低い。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.09.12
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小泉進次郎防衛相は10月22日の記者会見で原子力潜水艦という選択肢を排除しないと語った。高市早苗が総裁に就任した自民党は日本維新の会と連立することになり、合意書を作成した。そのなかで、長射程ミサイルを発射できる垂直発射装置(VLS)を搭載し、長距離、長期間の移動を可能にする「次世代の動力」を活用した潜水艦の保有に向け政策を推進すると記載されている。 言うまでもなく、原子力潜水艦は核分裂反応で生成されるエネルギーを利用してスクリューを回転させる。沿岸海域で敵の艦船に備える攻撃型潜水艦としても使えるが、それならわざわざ高コストの原子力を使う必要がないだろう。長期にわたって潜水することができ、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を発射できるからこその原子力潜水艦だ。 アメリカの命令で中国やロシアとの経済的な関係が弱まり、日本企業は厳しい状況に追い詰められている。その苦境を軍需産業で切り抜けようとしているのかもしれないが、そうした政策をとったEUの経済は壊滅的な状態だ。 10月21日から総理大臣を務めている高市早苗は「右翼キャラ」の政治家だが、その高市が防衛大臣に据えた小泉進次郎はネオコンの手先として日本社会を破壊した小泉純一郎の次男で、関東学院大学を卒業した後、成績を無視する形でコロンビア大学大学院への入学が許可された。同大学院では、CIAとの関係が噂されているジェラルド・カーティスの研究室に3年間在籍したという。その後、進次郎はCSIS(戦略国際問題研究所)の研究員になる。 この研究所の創設に関わったレイ・クラインはジョージ・H・W・ブッシュに近かく、1958年から62年にかけてCIA台湾支局長を務め、引き続いて66年までは情報担当のCIA副長官を務めた。その後、1969年から1973年までは国務省情報調査局長だ。 原子力潜水艦の保有は「有識者会議」で提言されていた。つまり官僚たちは高市内閣が成立する前から原子力潜水艦を保有する方針だったと言える。また、日本はイギリスやイタリアと次世代戦闘機プロジェクトのGCAP(グローバル戦闘航空計画)を始動させている。南アルプスの地下を走る巨大建造物が地下要塞として使われるかもしれない。 日本政府は判で押したように「自由で開かれたインド太平洋の実現」を主張するが、有り体に言えば、インド太平洋をアメリカの管理下に置き、中国をはじめとする国々の海上輸送路を抑え込むこと。そうしたアメリカの戦略に日本は協力するわけだ。 アメリカは同じアングロ・サクソン系国のイギリスやオーストラリアとAUKUSを創設、アメリカ、オーストラリア、インド、日本はクワドなるグループを編成、軍事的な連携を強化してきた。 NATO(北大西洋条約機構)の事務総長だったイェンス・ストルテンベルグは2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーとするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言している。AUKUSの後、JAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なる軍事同盟も編成した。 また、AUKUSではアメリカ製の攻撃型原子力潜水艦を売却することになっている。そうした潜水艦を動かすためにはアメリカの軍人が乗り込む必要があり、事実上アメリカ海軍の潜水艦になるとも言えるだろう。山上信吾オーストラリア駐在大使はキャンベラのナショナル・プレス・クラブで2022年11月14日、日本がオーストラリアの原子力潜水艦を受け入れる可能性があると表明している。 日本では核兵器の保有も主張されてきた。そのひとりが石原慎太郎。福島県沖で巨大地震が発生する3日前の2011年3月8日、イギリスのインディペンデンス紙に石原へのインタビューに基づき記事が掲載されている。外交の交渉力は核兵器であり、日本は1年以内に核兵器を開発できるは主張していた。そうしたチンピラ的な発想に対し、ロシアは西側を凌駕する兵器を保有していることを示し、実戦でも使用している。 佐藤栄作政権も核兵器を持とうとしていた。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。実際、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。 第2次世界大戦後、原子力を日本へ導入したのは中曽根康弘である。彼は内務省を辞め、1947年4月の衆議院議員選挙に出馬して当選し、河野一郎の配下に入り、児玉誉士夫と知り合った。 中曽根が権力の階段を登り始めるのは、1950年6月にスイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席してからだ。MRAはCIAとの関係が深い疑似宗教団体で、岸信介や三井高維も参加していた。そこで中曽根はヘンリー・キッシンジャーを含むCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合っている。 中曽根は1953年、キッシンジャーが責任者を務めていた「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加しているが、このセミナーのスポンサーはロックフェラー財団やフォード財団で、CIAともつながっていた。 中曽根が国会に原子力予算を提出したのは1954年3月。修正を経て予算案は4月に可決された。その背景には、1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。 1964年10月に中国が核爆発の実験に成功した3カ月後、佐藤栄作首相はワシントンDCを訪れ、リンドン・ジョンソン大統領と秘密会談を実施、もしアメリカが日本の核攻撃に対する安全保障を保証しないなら日本は核兵器を開発すると伝えた。それに対し、ジョンソン大統領は日本にアメリカの「核の傘」を差し出すと約束している。 1976年にアメリカ大統領となったジミー・カーターは潜水艦の原子炉技師を務めた経験を持つ人物で、プルトニウムと高濃縮ウランについて熟知していた。そのカーターは1978年に核拡散防止法を議会で可決させた。この法律はウランとプルトニウムの輸送すべてに議会の承認を得るように義務付け、日本からの多くの機密性の高い核技術の輸入を阻止するものだ。 当時、アメリカのエネルギー省では増殖炉計画が注目されていたが、カーター大統領はその流れにブレーキをかけた。その方針に反発したひとりが原子力規制委員会のリチャード・T・ケネディにほかならない。そのケネディを助けたアメリカ海軍大佐のジェームズ・アウアーは後にバンダービルト大学の終身教授に就任、同大学の米日研究協力センター所長にもなっている。 しかし、1980年にロナルド・レーガンが大統領に就任すると状況は一変し、ケネディたちを喜ばせることになる。そのケネディをレーガン大統領は核問題担当の右腕に据え、ケネディはカーター政権の政策の解体させていく。そして始められたのがクリンチリバー増殖炉計画。エネルギー省は1980年から87年にかけて、このプロジェクトに160億ドルを投入するが、議会は突如、計画を中止する。 世界的に見ても増殖炉計画は放棄されるのだが、日本は例外だった。その日本とアメリカの増殖炉計画を結びつける役割を果たした人物がリチャード・ケネディ。アメリカのエネルギー省と手を組んでいた日本の動力炉・核燃料開発事業団(後に、日本原子力研究開発機構へ再編された)はCIAに監視されていたが、動燃が使っていたシステムにはトラップドアが組み込まれていたとも言われている。 この計画に資金を提供することになった日本の電力業界の関係者は核兵器に関する技術を求め、兵器用プルトニウムを大量生産していたプルトニウム分離装置をリストに載せた。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術である遠心分離機が運び込まれている。 アメリカは日本へ技術を提供するだけでなく、日本へ限りなく核物質を輸出し、それを制限なくプルトニウムに再処理し、他国へ再移転する権利が与えられていた。 それだけでなくイギリスやフランスの再処理業者が日本へ返却するプルトニウムも核兵器に使用できるほど純度が高く、アメリカ産の核物質はトン単位で日本へ輸送されているようだ。***********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.28
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ロシアのアヴィアコン・ジトトランスに所属するIl-76TD輸送機がベネズエラに着陸した。この会社はロシア軍や傭兵会社ワグナーの貨物を輸送したとしてアメリカから「制裁」されている。ベネズエラにはロシア製の防空システムなどがすでに運び込まれていると考えられるが、さらに兵器を持ち込んでいる可能性がある。対艦ミサイルが配備するかもしれない。地上作戦も予想されていることから、ワグナーの戦闘員が輸送されたとも考えられている。 今年5月にモスクワで署名されたロシアとベネズエラの「戦略的パートナーシップ及び協力に関する協定」がロシアで数日前に批准された。この協定はエネルギー、鉱物資源の採掘、輸送、通信を含む政治経済分野、安全保障、テロ対策、過激主義対策における二国間協力を強化するものだとされている。 その間、8月中旬にアメリカのドナルド・トランプ大統領は、認石油埋蔵量が世界最大であるベネズエラの沖へアメリカ海軍の駆逐艦3隻を派遣、軍事侵攻する姿勢を見せた。 ロシアの石油を奪うことに失敗、中東ではイランの体制を転覆させられず、中国との資源戦争で負けているアメリカとしては、ニコラス・マドゥロ政権を倒してベネズエラを征服するしかないのかもしれないが、軍事侵攻すればロシアとの戦争に発展する可能性がある。 ベネズエラの刑務所で誕生したという犯罪組織トレン・デ・アラグアを艦隊派遣の口実にしているが、これは2003年3月にイラクへ軍事侵攻する際に使われた「大量破壊兵器」を思い出させる。この大量破壊兵器話は嘘だった。アメリカの有力メディアがトレン・デ・アラグアを初めて取り上げたのは2024年6月のことで、その頃にはベネズエラへの軍事侵攻作戦が作成されていたのだろう。 アメリカのような帝国主義国は植民地を支配するために代理人を使う。その代理人を「シャボス・ゴイム」と呼ぶ人もいるが、ニカラグアのソモサ一族もそのような役割を演じていた。その独裁体制が1979年7月、サンディニスタによって倒され、アメリカを拠点とする巨大資本の利権が揺らぐ事態になった。そこで、CIAは革命政権を倒す秘密工作を開始する。 CIAは反革命軍を編成したが、それにはソモサ体制の武装集団、国家警備隊の隊員を再編成したFDN(ニカラグア民主戦線)、元サンディにスタのエデン・パストーラをリーダーとするARDE(民主的革命同盟)が含まれていた。 こうした秘密工作を実行する際、工作資金としてCIAは麻薬取引を利用してきた。例えば、ベトナム戦争の時には東南アジア(黄金の三角地帯)のヘロイン、アフガン戦争の際にはパキスタンからアフガニスタンにかけてのヘロイン、そしてラテン・アメリカではコカインだ。その源流はイギリスが中国を侵略するために仕掛けたアヘン戦争だと言えるだろう。 1980年代に入るとアメリカではコカインの流通量が急拡大した。イギリスのオブザーバー紙によると、チリの独裁者オーグスト・ピノチェトの側近たちも関係していたようだ。言うまでもなく、ピノチェトの背後にはアメリカの国家安全保障補佐官だったヘンリー・キッシンジャーがいて、キッシンジャーの命令でCIAの秘密工作部門が動き、1973年9月11日に軍事クーデターを成功させ、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒している。 そのピノチェト体制の軍隊と秘密警察は膨大な量の麻薬を1980年代初頭からヨーロッパへ密輸出、その量は96年と87年だけで12トンに達すると言われている。その密輸を監督していたのは、ストックホルムとマドリッドのチリ大使館に赴任していた秘密警察の担当官だとオブザーバーは伝えている。稼いだ資金はチリの支配者を富ませ、秘密警察SNI(1977年まではDINA)の活動資金になった。 CIAとコントラが麻薬取引に関係しているとする話を最初に伝えたのはAPの記者だったロバート・パリーとブライアン・バーガーであろう。ふたりはコカイン取引の話を嗅ぎつけた。 ふたりは取材を通じ、マイアミのエビ輸入会社「オーシャン・ハンター」がコカイン取引に関係している疑いを持つ。コスタリカの姉妹会社「プンタレナス冷凍」から運ばれてくる冷凍エビの中にコカインが隠されているという噂を耳にしたのだ。この噂が事実だということは、後にアメリカ上院外交委員会の調査で明らかにされた。 コントラ関係者の証言を基にして、コントラが資金調達のためにコカインを密輸しているとする記事をパリーたちは1985年に書いたが、AP本社の編集者がふたりの記事に反発、お蔵入りになりかかる。ところが「ミス」でスペイン語に翻訳され、ワールド・サービスで配信されて世界の人びとに知られることになった。 その後、サンノゼ・マーキュリー紙のゲーリー・ウェッブ記者の書いたコカインとコントラを明らかにする連載記事『闇の同盟』が1996年8月に掲載された。 当初、有力メディアはこの記事を無視していたが、公民権運動の指導者やカリフォルニア州選出の議員はCIA長官だったジョン・ドッチに調査を要求し始めると状況は一変した。ウェッブを攻撃し始めたのだ。 コカインが蔓延していたロサンゼルスではジャーナリストや研究者だけでなく、警察官もCIAと麻薬との関係を疑っていた。1980年代になるとロサンゼルス市警は麻薬取引の中心人物を逮捕するために特捜隊を編成、87年に解散した。その直後からアメリカの司法省は麻薬業者ではなく警察官を調べはじめ、その警察官は1990年頃、税務スキャンダルで警察を追放されてしまう。CIAの存在に気づいていた特捜隊の隊員は目障りだったのだろう。 CIAとコカイン取引の関係を疑う声は広がり、ドッチ長官は内部調査の実施を約束せざるをえなくなる。そして1998年1月と10月、2度に分けて公表された。CIA監察室長による報告書、いわゆる『IGレポート』である。内部調査だという限界はあるが、10月に出た『第2巻』では、CIA自身がコントラとコカインとの関係を認めた。 APの記事はアメリカの議会を動かすことになり、上院外交委員会の『テロリズム・麻薬・国際的工作小委員会(ジョン・ケリー委員長)』が1986年4月、麻薬取引に関する調査を開始。1989年12月に公表された同委員会の報告書でもコントラと麻薬業者との深い関係が明確に指摘されていた。 ドナルド・トランプ大統領が本当に麻薬密輸を根絶させたいと思っているのなら、ラングレーを攻撃しなければならない。**************************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.10.30
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リチャード・チェイニー元米副大統領が11月3日に死亡した。ジェラルド・フォード政権(1974年8月から77年1月)の時に表舞台へ登場してきたネオコンの大物だ。 フォードはリチャード・ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失脚したことを受け、副大統領から昇格したのだが、元々の副大統領はスピロ・アグニュー。そのアグニューが1973年10月にスキャンダルで辞任に追い込まれ、選挙を経ずに副大統領、そして大統領になった。 ニクソン大統領はデタント(緊張緩和)政策を打ち出していたが、フォード政権はデタント派を粛清していく。その中でも重要な意味を持つと考えられているのは、国防長官とCIA長官の交代だ。 国防長官は1975年11月にジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ交代、CIA長官は76年1月にウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。一連の粛正は「ハロウィーンの虐殺」と呼ばれている。チェニーはラムズフェルドの後任として1975年11月から大統領首席補佐官を務めた。 この粛正を主導したのは大統領首席補佐官だったラムズフェルドと大統領副補佐官だったチェイニーだとされているが、その背後にはポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターを中心とするグループが存在した。この人脈は後にネオコンと呼ばれるようになる。ラムズフェルドとチェイニーはロナルド・レーガン政権で地下政府プロジェクトのCOGに参加。レーガン大統領は1982年にNSDD55を出してCOGプロジェクトを承認、NPO(国家計画局)が創設された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007) ジョージ・H・W・ブッシュが大統領だった1991年にソ連が消滅、その翌年の2月に世界制覇を打ち出したDPG草案(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)が作成された。作成の中心になったのはネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官だが、その時の国防長官はチェイニーにほかならない。 2001年1月にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとはショックで茫然自失、それを利用してブッシュ・ジュニア政権はCOGを始動させ、軍事侵略を開始する。 ブッシュ政権は統合参謀本部の反対意見を押し切り、2003年3月にイラクを攻撃するが、計画通りには進まなかった。そこで同政権は2007年に方針を変更、ズビグネフ・ブレジンスキーのように、スンニ派の傭兵を利用することにする。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、ブッシュ・ジュニア政権は中東における最優先課題をイランの体制転覆におき、レバノンで活動しているイラン系のヒズボラ、イランの同盟国であるシリアを殲滅、そしてイランを倒すという計画を立てる。その手先としてスンニ派を使おうということだ。その中にはフセイン政権の軍人も含まれた。 この工作で中心的な役割を果たしたのは副大統領だったチェイニー、副国家安全保障補佐官のエリオット・エイブラムズ、2007年4月までイラク駐在米大使を務め、国連大使に内定していたザルメイ・ハリルザドで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの人脈と重なる。(Seymour M. Hersh, “The Redirection,” The New Yorker, March 5, 2007) この新しい工作にはイスラエルとサウジアラビアが参加するのだが、記事の中でジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルはサウジアラビアが動員するサラフィ主義者やムスリム同胞団は最悪の集団だと警告している。(Seymour M. Hersh, “The Redirection,” The New Yorker, March 5, 2007) その後も状況が好転しないまま2009年1月からバラク・オバマ政権が始まる。オバマは師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーの戦法を採用し、CIAの訓練を受けた戦闘員で武装集団を編成、その集団に戦わせようというのだ。 その戦闘員の登録リストが「アル・カイダ」にほかならないとイギリスの外相を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが05年7月に書いている。CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト、あるいはデータベースが「アル・カイダ」だというのだ。 オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を使った体制転覆作戦を始動させる。そして引き起こされたのが「アラブの春」。その流れの中でアメリカ、イギリス、フランスを含む国々がリビアやシリアに対する軍事侵略を始めた。 2011年2月に侵略戦争が始まったリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は同年10月に倒され、カダフィ本人はその際に惨殺された。その際にアル・カイダ系武装集団のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)とNATO軍の連携が明らかになる。反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられていた。 ジャーナリストのロン・サスキンドによると、例えばパキスタンの科学者がアル・カイダの核兵器製造開発を支援している可能性が1%あれば、それを前提に対応するべきだと主張した。いわゆる「1パーセント・ドクトリン」だ。(Ron Ruskind, “The One Percent Doctrine,” Simon & Schuster, 2006) 気に入らない相手は捻り潰せということだが、1991年12月にソ連が消滅した段階でアメリカが唯一の超大国になったとネオコンは認識、好き勝手に振る舞える時代になったと考えたのだ。 ところが、21世紀に入り、ウラジミル・プーチンがロシアの大統領に就任した後、ロシアが急速に経済力や軍事力を回復させ、新たなアメリカのライバルとして登場してきた。アメリカは軌道修正しなければならなかったのだが、ネオコンはそのまま突っ走ろうとする。そこでロシアを再属国化させようとするのだが、全て裏目に出た。ロシアは成長し、アメリカを含む西側諸国は衰退している。そうした道を切り開いたのはチェイニーだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】【櫻井ジャーナル(note)】
2025.11.06
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4月15日に米国マサチューセッツ州ボストンで爆弾が炸裂して3名が死亡、百数十名が負傷した。この事件の容疑者だとされているタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟のうち、兄のタメルランは射殺され、弟のジョハルは重傷で証言できる状態ではないという。 爆発はマラソン大会のゴール・ラインの近くであったのだが、レース前、その近辺には黒いバックパックを背負い、キャップを被った人びとがいた。警備/傭兵会社の人間だと見られていたのだが、実際は州兵だったようだ。その近くに爆発物探知犬がいたとするモビール大学でクロス・カントリーのコーチ、アリ・スティーブンソンの証言と考え合わせると、事前に爆破計画に関する何らかの情報を警備当局は入手していた可能性がある。 実は、容疑者のひとり、タメルラン・ツァルナエフをFBIは遅くとも2年前に事情聴取している。「イスラム過激派」を支持している疑いがあると外国政府(ロシア)から警告されてのことだ。この年、タメルランはダゲスタンに滞在、その際にチェチェンも訪れて武装勢力の幹部、アミル・アブ・ドゥジャナ(別名、ガジムラド・ドルガトフ)に会ったとも推測されている。昨年1月から7月にかけてロシアを訪れたともいう。 こうした背景がある以上、FBIが1度の事情聴取で終わらせるはずはない。何しろ、アメリカの捜査機関は、戦争や環境汚染に反対している人びとを「テロリスト」だとして監視、捜査の対象にしているほどだ。容疑者兄弟の母親によると、FBIは3年から5年前から兄のタメルランを監視、彼を「過激派」のリーダーだとしていたという。しかも、爆破事件から射殺されるまでの間に兄はFBIから電話を受けていると容疑者の家族は主張している。勿論、その間、ふたりは逃げようとしていない。 チェチェン系の兄弟が容疑者になって以来、チェチェン=イスラム=「テロリスト」だという話が流れている。ネオコン(親イスラエル派)系の上院議員、リンゼイ・グラハムやジョン・マケインは兄弟をジョージ・W・ブッシュ政権のように「敵戦闘員」と呼んでいるが、つまり公開の場で証言させたくないということだろう。 米英の情報機関、つまりMI6やCIAはロシアを揺さぶるためにチェチェンの反ロシア武装勢力を支援、同じように、ネオコンはACPC(チェチェンの平和のためのアメリカ委員会)などの団体を通して支援してきた。こうした事情がジョハルの口から飛び出すことを懸念しているはずだ。 先日、ロンドンで死亡したボリス・ベレゾフスキーもチェチェンの武装勢力と結びついている。彼はボリス・エリツィン時代のロシアで巨万の富を築いた人物だが、チェチェン・マフィアを暴力的な背景にしていた。そのグループは反ロシア勢力ともつながっている。 反ロシア勢力をグルジアのミヘイル・サーカシビリ大統領も支援してきた。彼は2003年の「バラ革命」で実権を握ったのだが、その黒幕と言われているのがグルジア駐在のアメリカ大使だったリチャード・マイルズ。ベルグラード駐在大使としてユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチを倒した後、2003年にグルジアへ移動している。 2008年8月にグルジア軍はサーカシビリ大統領の命令で南オセチアを奇襲攻撃した。そのグルジア軍を訓練してきたのがアメリカとイスラエルの傭兵会社。イスラエルの会社、「防衛の盾」は2001年から予備役の将校2名と数百名の元兵士を教官としてグルジアへ送り込んだほか、無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどの武器/兵器を提供している。 サーカシビリ政権にはふたりのイスラエル系閣僚がいた。ダビト・ケゼラシビリ国防大臣(2006年から2008年)とテムル・ヤコバシビリ再統合大臣(2008年から2010年。その後、駐米大使)。ともにヘブライ語を操ることができる。それだけグルジアはイスラエルとの関係が深いということであり、サーカシビリの言動はイスラエルの影響を受けているということだ。 南オセチアへの奇襲攻撃はイスラエル軍の作戦に基づくとロシア側は主張しているが、ロシア軍の反撃で軍事侵攻は失敗する。結果だけをみて「無謀な作戦」と言う人もいるが、背景を考えるとそうとは言えない。 ベレゾフスキーたちエリツィン時代に登場した富豪は多くがイスラエル系であり、当時のロシアは半ばイスラエルに支配されていたようなものだった。その勢力を抑えつけているのがウラジミール・プーチン。そのプーチン体制を倒し、再びロシアを手中に収めるつもりのように見える。 チェチェン、グルジア、コソボなどの状況を見ると、ネオコン/イスラエルとイスラム武装勢力(アル・カイダ)が手を組んでいることがわかる。1970年代の末にズビグネフ・ブレジンスキーが始めた中央アジアでのプロジェクトには、アメリカのほか、パキスタン、イスラエル、そしてサウジアラビアが加わっていた。 何度も書いたことだが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、2007年の段階でアメリカはイスラエルやサウジアラビアと手を組み、スンニ派の武装グループを利用してシリアやイランに対する秘密工作を始めていた。勿論、スンニ派の武装グループはアル・カイダと重なる。 ボストン・マラソンでの爆発事件では当初、サウジアラビア出身の学生、アブドゥル・ラーマン・アリ・アルハルビが容疑者とされた。4月17日にはサウジアラビアのサウジ・アル・ファイサル外務大臣がワシントンを訪問、バラク・オバマ大統領らと会談したという話も流れている。この人物からも、まだ目を離すことはできない。
2013.04.22
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ロシア軍の空爆でアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)は大きなダメージを受けている。現在、ISと最も密接な関係にある国はトルコだと本ブログでは何度も書いてきたが、2013年8月にシリアであった化学兵器による攻撃に与党の公正発展党が関与していると共和人民党(CHP)は10月21日に発表、注目されている。2014年4月17日付けロンドン書評誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事はCHPの主張と合致する。 公正発展党の最高実力者はレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領(2013年当時は首相)で、同国の情報機関を使ってISを支援しているほか、ISがイラクで盗掘した石油の密売でエルドアンの息子は重要な役割を果たしていると言われている。 その息子が所有するBMZ社の手で盗掘された石油はパイプラインでトルコのジェイハンへ運ばれ、そこからタンカーでイスラエルへ輸送し、そこで偽造書類を受け取ってEUで売りさばくという仕組みだというのだ。一説によると、販売を請け負っているのはサウジアラビアのARAMCO。 共和人民党によると、サリンが実業家の手を経てトルコからシリアへ運ばれてISが使用したことをトルコの検察当局はつかみ、早い段階で13名の容疑者を逮捕したのだが、政府の圧力ですぐに釈放されたという。 シリアのバシャール・アル・アサド体制に対する軍事攻撃は始まったのは2011年3月のことだが、反シリア政府軍を操っていたのはNATO加盟国のアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、ペルシャ湾岸産油国のサウジアラビア、カタール、そしてイスラエルなど。 WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権はサウジアラビアやエジプトと手を組んでシリアを不安定化させる工作を開始、2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めている。 その中でサウジアラビアと緊密な関係にあると指摘されているのがムスリム同胞団とサラフ主義者。この延長線上に2011年に始まったリビアやシリアへの軍事侵略はある。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書の中でも、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。シリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍側。彼らはアル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したともいう。そのDIAは2013年6月、アル・ヌスラに神経ガスを生産、使用する能力があると警告する報告書を提出している。 エルドアンたちはリビアと同じようにNATO軍とイスラム武装勢力の連係攻撃を目論んだ。2011年3月に戦闘が始まったときからトルコにあるアメリカ空軍インシルリク基地では、アメリカのCIAや特殊部隊、イギリスやフランスの特殊部隊から派遣された教官が戦闘員を訓練、シリアへ反政府軍の兵士として送り出している。 イスラエルでの報道によると、シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が潜入、ウィキリークスが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも最近、報道された。 当初から西側の政府やメディアはシリア政府による「民主化運動の弾圧」を盛んに宣伝していた。その情報源として重宝されていたのは、外国勢力の介入を求めていたシリア系イギリス人のダニー・デイエムやロンドンを拠点とする「SOHR(シリア人権監視所)」だ。 デイエムが「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像が2012年3月にインターネット上へ流出してしまうが、その後も彼を使っていたメディアは反省せずにプロパガンダを続け、その「報道」を引用する「リベラル派」や「革新勢力」もある。 SOHRは2006年に創設され、背後にはCIA、アメリカの反民主主義的な情報活動を内部告発したエドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトン、プロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在していると指摘されている。 内部告発を支援しているWikiLeaksが公表した文書によると、SOHRが創設された頃からアメリカ国務省の「中東共同構想」はロサンゼルスを拠点とするNPOの「民主主義会議」を通じてシリアの反政府派へ資金を提供している。2005年から10年にかけて1200万ドルに達したようだ。 デイエムの嘘が発覚した直後、2012年5月にホムスのホウラ地区で住民が虐殺される。その時も西側の政府やメディアはシリア政府に責任があると主張していたが、現地を調査した東方カトリックの修道院長は反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が実行したと報告、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っている。ロシアのジャーナリストやドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も同じように伝えていた。 そして2013年8月のサリン騒動。シリア政府が化学兵器を使ったと西側では大合唱だったが、早い段階からロシア政府が否定、国連へ証拠を添えて報告書を提出している。反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾していることを示す文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。 そのほか、化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事が伝えられ、10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。 12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 シリア政府が化学兵器を使ったとする話が嘘だということは、DIAの報告を受けていた統合参謀本部もバラク・オバマ大統領も知っていた。そうした中、ネオコンはシリア攻撃を主張していたのだ。 そして2013年9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射された。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまう。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。 ホワイトハウスの内部が揉めている中、ドイツから提供されたイスラエルのドルフィン級潜水艦からミサイルが発射されたが、シリア/ロシアによって墜落させられたという可能性がある。その後、ロシア政府は自国軍の戦闘能力が高いことを見えにくい形で示してきた。その延長線上にロシア空軍による空爆がある。 その空爆で大きなダメージを受けたISなどの戦闘員はEU、アフガニスタン、新疆ウイグル自治区などへ移動、「テロ」を目論んでいるとも言われている。その黒幕は言うまでもなくネオコンであり、その勢力に従属しているのが安倍晋三政権だ。
2015.10.24
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東アジアは言うに及ばず、全世界にとって最大の脅威はアメリカである。自国の軍隊を使って侵略することもあるが、NATO軍、アル・カイダ系武装集団、ネオ・ナチなどの手先を利用することも少なくない。各国に築いた手先のネットーワークを使ってクーデターも繰り返してきた。 アメリカ支配層が最終的に使う脅しの手段は核攻撃。本ブログでは何度も書いてきたように、第2次世界大戦後、アメリカは先制核攻撃を計画している。例えば、JCS(統合参謀本部)は1949年に出した研究報告の中で、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすと想定、54年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を考えていた。そして1957年初頭には300発の核爆弾でソ連の100都市を破壊するという「ドロップショット作戦」が作成されている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ライマン・レムニッツァーJCS議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を先制核攻撃する予定だった。その頃にアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。この攻撃を成功させるためにもキューバを制圧し、ソ連の中距離ミサイルを排除する必要があった。1963年11月、この計画にとって最大の障害だったジョン・F・ケネディ大統領はテキサス州ダラスで暗殺され、暗殺の背後にソ連やキューバがいるとする噂が流されたが、新大統領のリンドン・ジョンソンはFBIからの情報もあり、核攻撃を承認していない。 そして現在、アメリカはロシアや中国に対し、自分たちに従属しなければ核戦争を始めると脅しているのだが、効果はなく、アメリカの好戦派は挑発をエスカレートさせ、核戦争勃発の可能性は高まっている。戦争ビジネスや巨大金融資本を後ろ盾にし、ネオコン/シオニストやイスラム同胞団とも緊密な関係にあるヒラリー・クリントンが大統領になった場合、かなり危険な状態になるだろう。 そうした中、先制核攻撃の放棄をバラク・オバマ大統領は考えたようだが、断念したという。アシュトン・カーター国防長官やジョン・ケリー国務長官を含む政府高官の反対、あるいは日本や韓国の首脳から懸念が表明されたことなどが理由として挙げられている。こうしたアメリカの動きに呼応するかのようにして、9月9日に実施されたのが朝鮮の核実験だ。ちなみに、アシュトン・カーターは好戦派として有名な人物で、2006年にはハーバード大学で朝鮮空爆を主張している。 1963年や83年などに核戦争の可能性は高まったが、そうした時期に比べても、今は非常に危険な状態にある。そうした状況になった最大の原因はソ連の消滅にともない、アメリカ支配層が自分たちを「唯一の超大国の支配者」だと思い込んだことにありそうだ。 1991年12月にソ連が消滅したことを受け、1992年の初めに国防総省で作成されたのがDPGの草案。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配すとしていた。この草案は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に作成されたことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれ、今でもその方針に従ってアメリカ政府は動いている。 このドクトリンが作成された2年後、国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、日本が自立の道を歩き出そうとしていると主張、そして1995年に発表されたのが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成された。 「周辺事態法」が成立する前年、1998年にアメリカでは金正日体制を倒し、朝鮮を消滅させて韓国が主導する新たな国を建設することを目的とした作戦、OPLAN 5027-98が作られている。この年の8月、朝鮮は太平洋に向かって「ロケット」を発射、翌年の3月には海上自衛隊が能登半島の沖で「不審船」に対し、規定に違反して「海上警備行動」を実行した。 1999年になると、金体制が崩壊、あるいは第2次朝鮮戦争が勃発した場合に備える目的でCONPLAN 5029が検討され始めた。日本は朝鮮戦争に備えるためにアメリカ軍が日本や太平洋地域に駐留することを認めたという。なお、この5029は2005年にOPLAN(作戦計画)へ格上げされたという。このほか、朝鮮への核攻撃を想定したCONPLAN 8022も存在している。 2003年3月にアメリカ軍はイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃するが、その頃に空母カール・ビンソンを含む艦隊が朝鮮半島の近くに派遣され、また、6機のF117が韓国に移動、グアムには24機のB1爆撃機とB52爆撃機が待機するという緊迫した状況になった。 こうした動きを韓国の盧武鉉やアメリカ支配層の一部がブレーキをかけるのだが、その盧大統領は2004年3月から5月にかけて盧大統領の権限が停止になり、08年2月には収賄容疑で辞任に追い込まれた。次の大統領は軍需産業と結びついている李明博だ。 2009年7月に作成されたアメリカの外交文書によると、韓国の玄仁沢統一相はカート・キャンベル米国務次官と会談、朝鮮の金正日総書記の健康状態や後継者問題などについて説明した。なお、この文書は2010年11月にWikiLeaksが公表している。 玄仁沢統一相の説明によると、金総書記の健康は徐々に悪化、余命はあと3年から5年だとしたうえで、息子の金正恩への継承が急ピッチで進んでいると分析していた。金総書記は2011年8月に死亡している。 この会談で玄統一相は朝鮮が11月に話し合いへ復帰すると見通していたのだが、実際は10月に韓国の艦艇が1日に10回も領海を侵犯、11月に両国は交戦、話し合いどころではなくなった。玄統一相の分析が正しいなら朝鮮が自ら軍事的な行動に出る可能性は小さく、同相もそうした流れを望んでいるように読めるのだが、そうした流れを止めるようなことを韓国軍はしている。 そして2010年3月、韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域で韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没する。米韓が合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施している最中の出来事だった。この沈没に関して5月頃から韓国政府は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始めるが、CIAの元高官でジョージ・H・W・ブッシュと親しく、駐韓大使も務めたドナルド・グレッグなど、この朝鮮犯行説に対して疑問を投げかける人もいる。 そして11月には問題の海域で軍事演習「ホグク(護国)」が実施され、アメリカの第31MEU(海兵隊遠征隊)や第7空軍が参加したと言われている。そして朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。 1990年代にはアメリカの情報機関とも緊密な関係にあるとされている某宗教団体から多額の資金が朝鮮へ流れ込んでいると言われているので、アメリカと朝鮮が敵対関係にあると単純には言えないのだが、2000年頃からアメリカが朝鮮で戦争を始めようと考えていることは確かだろう。そうなれば、戦果は中国や日本を含む東アジア全域に広がる。見方を変えると、朝鮮はアメリカにとって重要な「火種」だということだ。
2016.09.09
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アメリカの選挙が公正に行われていないことは以前から指摘されていることだが、ここにきて新たな事実が明らかにされた。11月に予定されている大統領選の投票でフロリダ州やアリゾナ州を含む16州が使用する投票機械に疑惑の目が向けられているのだ。 この機械を製造しているのはイギリスのスマートマティック社だが、問題はその会長を務めるマーク・マロック-ブラウン。元国連職員なのは良いとして、オープン・ソサエティ基金の幹部なのだ。この基金は投機家のジョージ・ソロスが1979年に設立、各国の体制を巨大資本のカネ儲けに適した仕組みへ変える、つまり新自由主義化する「レジーム・チェンジ」を仕掛ける拠点である。 その主なターゲットはロシアを含む旧ソ連圏で、例えば2003年にジョージア(グルジア)で引き起こされた「バラ革命」、2004年から05年にかけてウクライナであった「オレンジ革命」の背後にもソロスはいたと言われている。 ウクライナの場合、「オレンジ革命」の実体が明らかになると反動があり、新自由主義路線からそれていく。そして引き起こされたのはネオ・ナチを前面に出したクーデター。2013年11月21日に約2000名がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)に集まってビクトル・ヤヌコビッチ大統領に対する抗議活動を開始する。 反ヤヌコビッチ派は2月18日頃からチェーン、ナイフ、棍棒を手にしながら石や火炎瓶を投げるだけでなく、ブルドーザーなど大型車両を持ち出し、中にはピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。 2014年2月21日にヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派は混乱の平和的な解決を実現するための協定に調印するのだが、現場でクーデターを指揮していたアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補がそうした方法を嫌っていることは2月4日の段階で明らかになっていた。 ヌランドがジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と「ヤヌコビッチ後」の閣僚人事について電話で話し合っている音声がYouTubeへアップロードされたのだが、その中で「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしている。なお、ヌランドが強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際にクーデター政権で首相を務めている。 また、欧州対外行動庁(EEAS)のヘルガ・シュミット事務次長と駐ウクライナEU大使のヤン・トムビンスキーとの会話もアップロードされ、その中でシュミット事務次長はアメリカからEUの対応が生ぬるいと言われていることを明らかにしている。 平和協定が結ばれた直後に狙撃が始まり、多くの死者が出始めた。西側では大統領側が銃撃していると宣伝していたが、憲法の規定を全く無視した形で大統領が解任された2日後、つまり25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相はそれを否定する。反ヤヌコビッチ派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどからパエトは聞き取り調査、その結果を26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告したが、それによるとスナイパーは反ヤヌコビッチ派の中にいるというものだった。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。 この報告によると、アメリカ政府が支援している勢力が狙撃している可能性が高いことになってしまい、クーデターに反対しなければならなくなる。アメリカの支配層から睨まれることは必至だ。そこで、アメリカ政府に忠実なアシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じた。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。 こうしたクーデターの背後にいると考えられているソロスの電子メールも最近、外部に漏れた。その中で、ソロスが国務長官時代のヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスしている。そのメールが書かれたのは2011年1月24日で、国務長官だったクリントンはソロスのアドバイスに従って動いたようだ。 こうしたことを考えると、スマートマティック社の問題は無視できない。
2016.10.25
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ふと、こんなことを考えた。 商品の売り上げは商品がどの程度売れたかで決まる。人気のある商品は売れるだろうが、人気がなくても売れれば売上高は膨らむ。商品が欲しいのではなく、買うことに意味がある場合もある。そうした買い手は通常の客ではない。そうした商品の場合、一般の客が不買運動をしてもカネの流れに大きな変化はないだろう。 かつてコロガシが問題になった。ある商品を何社かが転売していくのだが、その商品が欲しいわけではない。利益をプラスしながらコロガシていくのだ。誰も商品自体には興味がない。その商品を最終的につかんだ人間は、そのゲームの敗者だ。 昔々、そうしたゲームをして負けた会社が梱包を解いたところ、別の商品が入っていたことがあるという。
2019.04.24
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アメリカ大統領の国家安全保障補佐官、ロバート・オブライエンは10月16日、台湾は要塞化するべきだと語った。軍事侵攻だけでなく、経済的に台湾を孤立させるような政策を中国に取らせないためだとしている。アメリカ政府が中国に対して行っていることを中国が台湾に対して行うことは許さないということだ。 その発言の直前、アメリカ空軍のRC-135S偵察機が60回以上、中国の周辺を飛行、そのうち41回は南シナ海、6回は東シナ海、13回は黄海だったという。この情報を出したのは中国の南シナ海戦略情勢調査イニシアチブだ。 アメリカ側の動きを振り返ってみると、7月4日から2隻の空母、ロナルド・レーガンとニミッツを中心とする空母打撃群が南シナ海に入って軍事演習を実施。これは中国に対する威嚇以外の何ものでもない。 8月にはアレックス・アザー保健福祉長官、9月17日にはキース・クラッチ国務次官が台湾を訪問して蔡英文総統と会談しているが、こうしたアメリカ政府の高官が台湾を訪れるのは1979年にアメリカが台湾との関係を絶ってから初めてのことだ。 これに対し、中国軍は9月18日に18機の軍用機を台湾の防空識別圏近くを飛行させ、19日にはJ-16戦闘機など19機の編隊を派遣、一部は台湾海峡を飛行、台湾軍がF-16を緊急発進させる事態になっている。 その前、9月16日に中国外務省の汪文斌報道官は、アメリカ軍が偵察飛行の際に虚偽のICAO(国際民間航空機構)の24ビット・アドレスを使い、フィリピンなど他国の民間航空機を装っていたと発表している。 そして10月6日にアメリカのマイク・ポンペオ国務長官が東京で日本、インド、オーストラリアの代表と会い、中国との戦いについて話し合った。「4カ国同盟」だという。8日には岸信夫防衛大臣が横田基地で在日米軍のケビン・シュネイダー司令官と会談している。 アメリカ政府が東アジアの軍事的な緊張を高めようとしていることは明かだが、こうした戦略は遅くとも1992年2月にできあがっている。国防総省のポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)などネオコンがDPG草案という形で世界制覇プランを作成したのだ。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。 ジョセイフ・ナイ国防次官補(同)が書き上げ、1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」は、その戦略を日本へ強要することが目的である。 1991年12月のソ連消滅でアメリカが唯一の超大国になったとネオコンは認識、そのアメリカに君臨している自分たちが世界の覇者になったと考えたのだ。ソ連の復活を許さないだけでなく、最も警戒すべき潜在的ライバルである中国に矛先を向ける。これが東アジア重視だ。 21世紀に入ってロシアが曲がりなりにも再独立に成功、2014年にネオコンが仕掛けたウクライナのクーデターや香港の反中国運動が逆効果になって中国とロシアは現在、戦略的な同盟関係にある。アングロ・サクソンは中国とロシア/ソ連を分断し、個別撃破しようとしてきたはずだが、その基本が崩れた。この両国を倒そうとアメリカの支配者たちは必死だろう。 こうした状況の中に日本も巻き込まれている。首相だった安倍晋三は2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。一応、彼は自分の置かれた立場を理解していたようだ。こうした状況を理解していない人が安倍を馬鹿にすることはできない。 南シナ海は中国が進める一帯一路の東端にある海域にあり、重要な海域。アメリカがそこをコントロールすることで中国の交易計画を潰そうとしている。その手先にされようとしているのが海上自衛隊だ。 こうした動きはウォルウォウィッツ・ドクトリンに基づいているのだが、19世紀から続くイギリスの長期戦略にも合致している。制海権を握っていることを利用し、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧するという計画だ。それをまとめたのが地理学者だったハルフォード・マッキンダー。この理論は1904年に発表されている。大陸を締め上げる三日月帯の西端がイギリス、東端が日本。日本列島は大陸を攻める拠点であり、日本人は傭兵だ。 一帯一路は陸のシルクロードと海のシルクロードで構成され、今ではロシアの交通網やパイプラインと結びつきつつある。海のシルクロードを潰すために黄海から南シナ海でアメリカ軍は軍事的な緊張を高め、太平洋軍をインド・太平洋軍へ変えた。陸のシルクロードの要衝はいくつかあるが、そのひとつが新疆ウイグル自治区である。 こうした要衝を攻める場合、アメリカは少数民族を利用してきたが、ここも例外ではない。ウイグル問題で鍵を握る団体のひとつがハッサン・マフスームの創設したETIM(東トルキスタン・イスラム運動)。その政治部門がトルキスタン・イスラム党だという。1990年代にETIMは拠点をアフガニスタンへ据え、そこでマフスームはオサマ・ビン・ラディンらと知り合っている。 その前、1980年代に新疆で勧誘されたウイグル人がアフガニスタンでジハード傭兵に加わり、戦闘に参加しているが、その傭兵の中心がイスラム同胞団やワッハーブ派だということは本ブログでも書いてきた通り。2013年以降、ウイグル人がシリアで侵略軍の傭兵になり、一時期、1万8000人に達したと推定されていた。そうした経験を経たウイグル人を新疆へ戻っているという。 2003年にマフスームをパキスタン軍が暗殺、アンワル・ユスフ・トラニが新たなリーダーになり、本拠地をワシントンDCへ移動させる。アメリカで活動できるのはCIAという後ろ盾があるからだろう。 アメリカをはじめとする西側の有力メディアは「新疆ウイグル自治区に設けられた強制収容所」を宣伝してきた。その発信源は「人種差別撤廃委員会」に所属するゲイ・マクドゥーガル。この委員会は国連の人種差別撤廃条約に基づいて設立され、独立した専門家で構成されている。マクドゥーガルの発言は国連と無関係である。 マクドゥーガルの発言を取り上げたロイターはその根拠を示していないが、中国によるウイグル人弾圧に関する情報としてCHRD(中国人権擁護者)という団体の主張を引用している。このCHRDの資金の一部はCIAの工作資金を流しているNEDからのものだ。 ドイツの人類学者でキリスト教系カルトの信者としても知られているアドリアン・センスも中国におけるウイルグル人弾圧の情報源として重宝されている。中国批判は自分が神から与えられた使命だと考えているようだ。 こうした反中国プロパガンダの背景は明確になってきたが、100万人規模のウイグル人が拘束されているという強制収容所の存在を示す証拠は出てこない。ウイグル問題の根は中国政府による弾圧ではなく、CIAによる浸透にあると言うべきだろう。ここでもアメリカの支配者による情報操作は機能している。明治時代から日本で続く「反亜教育」の効果は絶大だ。
2020.10.20
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台湾の総督を2016年5月から務めている蔡英文は中国からの台湾独立を主張している。そのためにアメリカへ接近し、その力を使おうとしているのだが、その戦略ではアメリカが中国を制圧するための道具になるだけのことだ。実際、そうした道を進んでいる。その2016年に自衛隊は与那国島に施設を建設、19年には奄美大島と宮古島に作り、そして23年には石垣島でも完成させる予定だ。 アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が今年出したレポートによると、こうした施設の建設はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するとアメリカは計画しているのだが、インド太平洋地域でそうしたミサイルの配備を容認する国は日本以外にないとRANDコーポレーションは考えている。 その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという形にするしかない。そのASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画のようだ。 蔡英文の政策を有権者が支持しているとは言い難く、2018年に行われた統一地方選挙の投票では蔡英文総統率いる与党の民主進歩党(民進党)が大敗、首長ポストを選挙前の13から6へ減らし、野党の国民党は6から15へ増やしている。 この流れを変えたのが2019年に香港で始まった学生を中心とする反中国運動。市民の支持が広がらなかったこともあり、活動は途中から過激化していく。火炎瓶や石を投げ、施設の破壊や輸送を止めるだけでなく、市民と学生が乱闘になる場面も映像で伝えられた。傘で活動参加者が市民に殴りかかり、中国メディアの記者が縛り上げられ、活動を率いていた若者の中にはアメリカの国旗やイギリスの植民地であることを示す旗を掲げ、アメリカの国歌を歌う者もいた。 香港での反中国活動の背後にはアメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6が存在、若者の後ろには元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。その手先として黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、周永康(アレックス・チョウ)などが前面に出ているわけだ。こうした活動に法輪功なる団体も関係していると言われている。資金を提供しているだけでなく、メンバーを動員しているというのだ。 2020年1月に実施された総統選挙ではこうした香港の混乱、そして中国への警戒感を高めるように仕向ける西側の有力メディアが虚偽報道が台湾の蔡英文を助けることになった。 ところで、法輪功が出現したのはソ連が消滅、ウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成された1992年。その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教の福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行っている。この団体へはアメリカの政府機関USAGM(米国グローバル・メディア庁)から資金が流れている。 1989年に北京の天安門広場で大規模な反政府活動があった。その背後に元CIA長官のジョージ・H・W・ブッシュ大統領、ブッシュとエール大学時代からの友人だというCIA高官のジェームズ・リリーがいたことは本ブログでも書いた通り。ブッシュもリリーもエール大学の出身で、いずれも学生の秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーだった。 この抗議活動で多くの学生が死んだことになっているが、これを裏付ける証拠はなく、逆に広場での虐殺を否定する証言がある。これは本ブログで繰り返し書いてきた通りだ。この時、学生の指導者グループに吾爾開希なる人物がいる。彼は学生200名が殺されたと主張しているのだが、ワシントン・ポスト紙のジェイ・マシューズによると虐殺があったとされる数時間前に吾爾開希らは広場を離れていたことが確認されている。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) その後、吾爾開希を含む指導者はイエローバード作戦と呼ばれる逃走ルートを使って香港へ脱出、フランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを動かしていたのはCIAとMI6だ。吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡って独立運動に参加している。 郭文貴という亡命中国人も反政府活動を支援していることで有名。ドナルド・トランプ大統領の政治顧問をしていたスティーブ・バノンと親しい富豪だが、中国当局から汚職などの容疑で指名手配され、アメリカでも経済犯罪で摘発されている。汚職で逮捕され、有罪の判決を受けた元共産党幹部の周永康や馬建は郭文貴の後ろ盾だった。郭はアメリカへ亡命した後、偽情報を流すなど反中国運動を続けている。
2022.08.08
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次回の「櫻井ジャーナルトーク」は10月17日(火)午後7時から駒込の「東京琉球館」で開催します。テーマは「ウクライナ後のアングロ・サクソン帝国」を予定しています。予約受付は10月1日午前9時からですので、興味のある方は東京琉球館までEメールで連絡してください。なお、「櫻井ジャーナルトーク」は12月で定期的な開催は終了、来年は不定期開催になります。東京琉球館https://dotouch.cocolog-nifty.com住所:東京都豊島区駒込2-17-8Eメール:makato@luna.zaq.jp ヨーロッパ人やヨーロッパ人の移民先であるアメリカやオーストラリアは自由で民主的な文明国だというイメージを抱いている人が今でも少なくないようです。ヨーロッパ人は11世紀から13世紀にかけて中東地域を侵略、富や知識を手に入れました。いわゆる「十字軍」です。15世紀から彼らは船で世界へ乗り出し、各地で略奪と殺戮を繰り広げ始めました。いわゆる「大航海時代」です。その時期からアメリカやオーストラリアでは先住民を大虐殺、似たようなことが現在、パレスチナで展開されています。 16世紀に宗教改革でプロテスタントが出現、その世紀の後半にエリザベス1世が統治した頃、ヨーロッパはオカルトがブームになり、イギリスではシオニズムが生まれました。1590年に出版された『失われた十部族』には、アングロ・サクソン人、ケルト人、スカンジナビア人、ゲルマン人などが旧約聖書に登場するイスラエル人の直系の子孫であると書かれています。 17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世(イングランド王)/ジェームズ6世(スコットランド王)は自分をダビデ王の末裔だと信じ、その頃に出現した「ブリティッシュ・イスラエル主義」がシオニズムの始まりだとも考えられています。 その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたましたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルをはじめとするピューリタンもジェームズ1世と同じように「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたようです。 そのクルムウェルはユダヤ人をイングランドへ入れることを許可しましたが、その理由は金融や商取引に長けたユダヤ人の力を必要としていたからだとも言われています。そしてアングロ・サクソンとユダヤ教徒のエリートは同盟するようになり、19世紀の帝国主義を支えることになりました。 19世紀のイギリス政界では反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)が大きな影響力を持っていましたが、彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務め、ビクトリア女王にアヘン戦争を進言しています。 当時のイギリス帝国主義を動かしていた人物として、ネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、セシル・ローズたちも知られています。 ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会した後、『信仰告白』を書きましたが、その中で彼はアングロ・サクソンが最も優秀な人種だと主張、その優秀の人種が住む地域が増えれば増えるほど人類にとってより良く、大英帝国の繁栄につながり、秘密結社はそのために必要だとしています。 イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収します。アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開いたのは、1917年11月のことでした。いわゆる「バルフォア宣言」です。 ディズレーリが書いた小説『コニングスビー』の中に、次のようなことが書いてあります。「(ジョン・)ハムデン(オリバー・クロムウェルの従兄弟)による最初の運動から1688年の最後の最も成功した運動(名誉革命)に至るまで、イングランドにおけるホイッグ党指導者たちの最大の目的はベネツィア共和国をモデルとした高貴な貴族制の共和国をイングランドに樹立することであり、当時のあらゆる思索的な政治家がそれを研究し称賛することだった。」 一般的に「シオニズム」はセオドール・ヘルツルという無神論のユダヤ人が『ユダヤ人国家』という本を出版したのは1896年に始まるとされていますが、その遥か前からイギリスではシオニズムが存在していました。その後、資本主義世界を支配することになるアングロ・サクソン帝国の背景はここにありますが、そのシステムが現在、崩壊し始めています。その点について考えてみたいと思います。櫻井 春彦
2025.09.22
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マイケル・フリン国家安全保障担当補佐官が2月13日に辞任した。事実上の解任だ。ヒラリー・クリントンを担いでいたネオコンなど好戦派はロシアとアメリカのと関係改善、いわは「デタント」を推進すると公言していたドナルド・トランプを憎悪、その背後にいたフリンを排除しようと必死だった。 前回も書いたようにフリン攻撃の拠点のひとつはCIAだが、首席戦略官のスティーブ・バノンも同じ立場で、反フリンの波はトランプ政権の内部にも押し寄せていた。そうした波を侵入させるルートのひとつだと考えれているのが大統領の娘イバンカ。彼女が結婚したジャレッド・クシュナーは大統領の顧問を務め、その父親でドナルド・トランプの同業者でもあるチャールズは上級顧問になっているのだが、ユダヤ系なのだ。ユダヤ系の影響力という点では、多額の選挙資金を寄付したカジノ経営者、シェルドン・アデルソンも忘れてはならない。 今回の辞任劇はワシントン・ポスト紙が先陣を切った。トランプが大統領に就任する1カ月ほど前、フリンがセルゲイ・キスリャクと話をし、その中でアメリカがロシアに対して行っている「制裁」を話題にしたことが問題だと報じたのだ。 この「制裁」とはキエフのクーデター政権がクリミアにあるセバストポリの基地を制圧に失敗したことなどに対する腹いせだと言えるだろう。1997年にウクライナとロシアとの間で締結された協定でロシアはこの基地を20年間使え、さらに25年間の延長が認められていた。それに伴ってロシア軍は2万5000名の駐留が可能になり、実際は1万6000名のロシア兵が駐留していた。クーデター直後、西側の政府やメディアは「侵略軍」だと宣伝していたのはこの駐留軍だ。 クーデターを拒否する住民が多かったクリミアでは3月16日にロシアの構成主体になることの是非を問う住民投票が実施され、80%の有権者が参加、その95%以上が加盟に賛成し、すぐに防衛体制に入った。 この住民投票では国外から監視団が入り、公正なものだったことが確認されているが、その投票結果を認めるわけにはいかない西側の支配層は投票に不正があったと宣伝している。ネオ・ナチが憲法の規定を無視して実権を握ったキエフの暫定政権を正当だとする一方、クリミアの「民意」は認めないというわけだ。 このクーデターは2013年11月21日にキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で始まったが、その前日、議会ではオレグ・ツァロフ議員がクーデター計画の存在を指摘していた。ツァロフ議員によると、ウクライナを内戦状態にするプロジェクトをアメリカ大使館はジェオフリー・パイアット大使を中心に準備、NGOがその手先として動くことになっていたという。 抗議活動が広がる中、EUは話し合いでの解決を模索するのだが、それに激怒していたのがビクトリア・ヌランド国務次官補。2014年2月4日にYouTubeへアップロードされたヌランドとパイアットとの会話では次期政権の人事について話し合われ、ヌランドはアルセニー・ヤツェニュクを強く推していたが、その一方で「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしている。ちなみに、ヤツェニュクは実際、クーデター後、首相に就任した。 その音声が公開された後、2月18日頃からネオ・ナチが前面に出て来て暴力が激しくなる。棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めたのだ。 当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。同年9月にはヤツェニュクたちと新たな政党「人民戦線」を組織して議員になる。 広場では無差別の狙撃があり、少なからぬ犠牲者が出た。西側の政府やメディアは狙撃をビクトル・ヤヌコビッチ政府側によるものだと宣伝したが、スナイパーがいたのはパルビーの管理下にあったビル。2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だと報告している。 反大統領派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果で、その内容を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で報告する。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」 勿論、この報告はアシュトンにとって都合の悪い事実で、封印してしまった。 クーデター後、アメリカの傭兵会社、アカデミ(旧社名はブラックウォーター。2009年からXe、10年から現社名)系列のグレイストーンは400名の戦闘員を派遣、アカデミはウクライナ政府の要請で射撃、市街戦、接近戦、兵站などの訓練をしたようだ。また、アメリカ政府は訓練のためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として派遣、国防総省は戦略と政策の専門家チーム、つまり軍事顧問団をキエフへ送り込んでいる。2014年4月23日には第173空挺旅団をポーランド、エストニア、ラトビア、リトアニアへ派遣した。 空挺団が派遣される11日前、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問し、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作に関する会議が開かれている。この会議に出席したのは大統領代行、内相代行、SBU(情報機関)長官代行、そしてユーロマイダンの惨劇を演出したパルビー、さらにオブザーバーとしてドニエプロペトロフスクの知事で三重国籍のシオニスト、イゴール・コロモイスキー。 オデッサで反クーデター派の住民が虐殺されのは会議の10日後。その数日前にパルビーは数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチへ運んでいる。その装具を受け取ったミコラ・ボルコフは虐殺の当日、労働組合会館へ向かって銃を発射、状況をキエフの何者かに報告する様子が映像に残っている。 虐殺は午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた人びとがフーリガンやネオ・ナチを抗議活動が行われていた広場へ誘導したのだ。誘導した集団は「NATOの秘密部隊」だと疑われているUNA-UNSOだと言われている。 虐殺を仕掛けたグループは、住民を労働組合会館の中へ誘導、そこが殺戮の舞台になった。殺戮の現場を隠すことが目的だったとも推測されている。48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられているが、これは確認された数字で、住民の証言によると、多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名。虐殺の調査をキエフ政権は拒否、その政権の後ろ盾になってきた西側も消極的で、実態は今でも明確になっていない。 オデッサの虐殺から1週間後の5月9日、ソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日にキエフ軍の戦車がドネツク州マリウポリ市に突入、住民が殺された。記念日を狙ったのは心理的なダメージを狙っただけでなく、住民が街頭に出てくることを見越してのことだったと言われている。5月11日に予定されていた住民投票を止めさせることも目的だっただろうが、予定通りに投票は行われ、独立の意思が明確になった。 それに対し、6月2日にデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りし、そのタイミングでキエフ軍はルガンスクで住宅街を空爆、建物を破壊し、住民を殺し始めた。民族浄化作戦の始まりだ。この戦乱は今でも終結せず、ここにきてNATOがロシアとの国境近くで威嚇的な演習を実施、キエフ軍によるドンバスへの攻撃は激しくなっている。 ロシアを制圧するというアメリカ支配層の目論見は崩れ、その報復として行っているのが「制裁」なのだが、この「制裁」はロシアを助けることになっていると指摘する人もいる。ロシア経済に対する西側巨大資本の影響力を弱め、生産活動を活性化させたというのである。「制裁」の解除をロシア政府は歓迎しないだろうともいう。フリンがこの「制裁」についてロシア側と話し合ったことを問題にするのは、「制裁」がロシアにダメージを与えているという妄想に基づいている。そうした様子を見ている世界の人びとがアメリカに見切りをつける可能性も小さくない。
2017.02.15
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台湾がアメリカとの軍事同盟を強めようとしているという。蔡英文が総統に就任にした2016年以降、台湾は中国との関係を悪化させる一方でアメリカとの関係を強化してきた流れをさらに推し進めるということだろう。ロシアや中国を屈服させるために恫喝を続けているアメリカにとっては願ってもないことだ。 中国にとって台湾がどのような位置にあるかは、アメリカがキューバに対してどのような行動を取ったかを思い起こせば理解しやすい。アメリカとキューバとの距離は中国と台湾との距離は比べて遠い。そのキューバへアメリカが敵と見なしていたソ連の軍隊が入り、ミサイルを配備したところからキューバ危機は始まった。アメリカは軍事的に解決しようとしたのだ。アメリカ政府は自分たちの台湾、韓国、日本における行動が中国やロシアを刺激すると理解しているだろう。 アメリカの偵察機U2がキューバで地対空ミサイルSA2の発射施設を発見したのは1962年8月のこと。ハバナの埠頭に停泊していたソ連の貨物船オムスクが中距離ミサイルを下ろし始め、別の船ボルタワがSS4を運び込んでいることも判明している。(Martin Walker, "The Cold War," Fourth Estate, 1993) 当時、アメリカの軍や情報機関にはソ連や中国を先制核攻撃するべきだと考えるグループが存在していた。カーチス・ルメイ空軍参謀長もそうしたグループの一員で、彼らはジョン・F・ケネディ大統領に対して10月19日に空爆を主張する。キューバを空爆してもソ連は手も足も出せないはずだと主張したが、ケネディは強硬派の作戦に同意せず、10月22日にミサイルがキューバに存在することを公表、海上封鎖を宣言した。 10月27日にキューバ上空でU2が撃墜され、シベリア上空でもU2が迎撃されている。この直後にマクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2がシベリア上空を飛行している。アメリカの好戦派は政府の命令を無視して挑発を繰り返したわけだ。 同じ日にアメリカ海軍の空母ランドルフを中心とする艦隊の駆逐艦ビールがソ連の潜水艦をカリブ海で発見、対潜爆雷を投下している。攻撃を受けて潜水艦の副長は参謀へ連絡しようとするが失敗、アメリカとソ連の戦争が始まったと判断した艦長は核魚雷の発射準備に同意するようにふたりの将校に求めた。 この核魚雷の威力は広島に落とされた原子爆弾と同程度で、もし発射されていたならカリブ海にいたアメリカの艦隊は全滅、米ソは全面核戦争へ突入した可能性が高かったが、核魚雷は発射されなかった。ソ連の潜水艦にたまたま乗り合わせていた旅団参謀が発射の同意を拒否したからだ。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury USA, 2017) ルメイたちは大統領に対し、ソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたが、拒否されている。この時に好戦派はクーデターでケネディ大統領を排除してソ連に核戦争を仕掛けるつもりだったとも言われているが、10月28日にソ連のニキータ・フルシチョフ首相はミサイルの撤去を約束、海上封鎖は解除されて核戦争は避けられた。 ケネディ大統領の親友で最も信頼されていた側近だったケネス・P・オドンネルによると、ケネディと個人的に親しかったマリー・ピンチョット・メイヤーは危機の最中、ソ連と罵り合いに陥ってはならないと強く大統領に主張していたという。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyhorse, 2013) そして1963年11月22日にケネディ大統領はテキサス州ダラスで暗殺され、その暗殺に関するウォーレン委員会の報告書がリンドン・ジョンソン大統領に提出された3週間後の64年10月12日、マリー・ピンチョット・メイヤーは散歩中に射殺された。 ソ連がキューバへミサイルを運び込んだ背景にはアメリカやイギリスの軍事強硬派の計画が存在していた。例えば1945年8月末にローリス・ノースタッド少将はグルーブス少将に対してソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出、9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計、ソ連全体を破壊するためにアメリカが必要とする原爆の数は446発、最低でも123発だと算出されていた。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945) 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすと書かれている。1952年11月には初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てていた。 実行を想定していたと考えられる1957年作成の「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) これが1950年代に沖縄の軍事基地化が進められた背景であり、そうして建設された基地は中国やソ連を攻撃する拠点。核兵器が持ち込まれるのは必然だった。勿論、「核の傘」ではなく「核の槍」だ。沖縄にアメリカの海兵隊が駐留しているのも必然。屁理屈をこねる必要はない。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、アメリカの先制核攻撃は1963年後半に実行されることになっていたが、大きな障害が出現していた。ソ連との平和共存を訴えていたジョン・F・ケネディが大統領に選ばれたのだ。そのケネディは暗殺され、その責任をキューバやソ連に押しつけ、ソ連との戦争を始めようという動きがあったが、これは挫折した。(つづく)
2021.12.31
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駐日アメリカ大使を務めているラーム・エマニュエルは2008年11月6日にホワイトハウス首席補佐官の職を引き受け、翌年1月2日付で下院議員を辞職した。エマニュエルはヒラリー・クリントンの陣営にいたが、2008年の大統領選挙で当選したバラク・オバマの要請によるものだ。 そのエマニュエルは2008年11月6日、「深刻な危機」は今まで実行できずにいたことを実現するチャンスだと語った。2008年9月15日にリーマン・ブラザーズ・ホールディングが経営破綻したことを受けての発言である。 エマニュエルはイスラエルと関係の深い人物で、考え方はネオコンと重なる。そのネオコンは2001年9月11日に引き起こされたニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎への攻撃という衝撃的な出来事を利用し、1992年2月に作成した世界制覇プランを本格的に実行し始めた。 2014年2月のウクライナにおけるオバマ政権が仕掛けたクーデターも大きな出来事だが、それを上回る衝撃を「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動は世界に及ぼしている。 この騒動は2019年12月に中国湖北省の武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が見つかったところから始まる。当初、「2019-nCoV」と呼ばれていたのだが、翌年2月になると「COVID-19」へ変更され、病原体を確認しないまま、「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」と命名している。 WHO(世界保健機関)は2020年3月11日、「COVID-19」が流行しているとして「パンデミック」を宣言したのだが、その当時、世界的な感染爆発とは言えない状態であり、しかも死亡者が続出しているわけでもない。それにもかかわらずパンデミックを宣言できたのは定義の変更があったからだ。 定義が変更されたのは「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」が流行(2009年1月から10年8月にかけての時期に)する直前のこと。「病気の重大さ」、つまり死者数が多いという条件が削られている。 アメリカのFDA(食品医薬品局)は2020年2月4日、「2019-nCoVリアルタイムRT-PCR診断パネル」のCDCによるEUA(緊急使用許可)を発行したが、SARS-CoV-2は単離されていなかった。 パンデミックの定義から死者数という条件が消えたとは言え、WHOにしてみると患者数や死亡者数が少なくては困るだろう。WHOやアメリカのCDC(疾病予防管理センター)は2020年4月、医学的な矛盾がなく、明白な別の死因がないなら、あるいは適度な確かさがあるなら死因をCOVID-19としてかまわないとしている。死亡者数の水増し工作だ。 アメリカ上院のスコット・ジャンセン議員によると、実際、病院は死人が出ると検査をしないまま死亡診断書にCOVID-19と書き込んでいたという。その実態を告発する看護師も少なくなかった。 感染者数を水増しするために使われたのがPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)。これは特定の遺伝子型を試験管の中で増幅する分析のための技術で、診断に使うことは想定されていない。この技術を開発し、1993年にノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリス自身もPCRを病気の診断に使うべきでないと語っていた。マリスはPCRをAIDSの診断に使うべきでないと主張していた。 PCRを診断に使うことが不適切だということが徐々に知られるようになり、2021年1月にWHOはPCRについて「診断の助け」だと表現するようになる。PCRの陽性者と「感染者」を同義語として扱ってはならないということだ。 しかし、WHO、FDA、CDCなどを含む医療利権は死亡者数や患者数を水増ししてCOVID-19という悪霊を作り上げ、人びとを恐怖させ、安全性も効果も確認できていない遺伝子操作薬に「ワクチン」というタグをつけて接種させ始めた。 接種が始まった直後から帯状疱疹やTTP(⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病)が現れ、2021年4月にはイスラエルで心筋炎や心膜炎の発症が報告される。脳梗塞、心筋梗塞、微小血栓による脳、脊髄、心臓、肺などへのダメージ、神経の損傷にともなう麻痺、ADE(抗体依存性感染増強)なども問題になり、「ワクチン」の接種で免疫が低下して「AIDS状態」になることも明確になっている。 遺伝子操作薬とも言われている「mRNAワクチン」の場合、mRNAを輸送するためにLNP(脂質ナノ粒子)が使われているが、そのLNPは人体に有害な物質。投与されたLNPは肝臓、脾臓、副腎、そして卵巣に分布すると報告されている。そこでLNPが卵子に悪い影響を及ぼすのではないかた言われていたが、ここにきて精子にもダメージを与えると言われている。しかも遺伝する恐れがあるという。生殖に問題が生じる可能性があり、人類存続の危機だという人もいる。 また、スペインのパブロ・カンプラ教授は2021年6月、「mRNAワクチン」の中に「酸化グラフェン」があることを電子顕微鏡などで発見したと発表した。8月に日本政府は「モデルナ製ワクチン」の中に磁石へ反応する物質が見つかったと発表、160万本が回収されたと伝えられているが、その物質はグラフェンの誘導体だった可能性がある。 パンプラは11月、周波数の分析で酸化グラフェンが「ワクチン」に含まれていることを確認したと発表したが、その論文を読んだドイツの化学者アンドレアス・ノアックは酸化グラフェンでなく水酸化グラフェンだろうと解説している。 副作用の現れ方は均一でなく、ロットによって偏りがある。プラセボ(偽薬)が混じっているだけでなく、副作用の程度に違いがあると言われている。製造メーカーや政府は危険なロットに関する情報を持っている可能性が高く、恣意的に使うことも否定できない。こうした正気とは思えない政策が止まらない一因は学費にある。 アメリカでは出世の道が開かれている大学は「アイビー・リーグ」と呼ばれている。そうした大学へ入るためには多額の授業料を支払う資産とコネが必要だ。資産とコネがあれば相当愚かな人物でも入学が認められる。 そうした大学へ入学させるためには私立の進学校へ子どもを通わせる必要があるが、そこでも膨大な学費を支払わねばならない。そうした支出は中産階級にとって困難。公立の学校は荒廃が進んでいるため、少しでもマシな学校へ子どもを通わせるためには不動産価格の高い地域に住む必要がある。その結果、不動産で家計が破綻する人もいる。 トルーマン・カポーティは『叶えられた祈り』の中でウォール街で働いているディック・アンダーソンなる人物に次のようなことを言わせている。 「二人の息子を金のかかるエクセター校に入れたらなんだってやらなきゃならん!」(トルーマン・カポーティ著、川本三郎訳、『叶えられた祈り』、新潮文庫)「ペニスを売り歩く」ようなことをしなければならないというのだ。アメリカの中では高い給料を得ているはずのウォール街で働く人でも教育の負担は重い。 大学へは入れても授業料を支払うことが困難な学生は少なくない。少し前から話題になっているのは「シュガー・ベイビー」なるシステム。女子大学生(シュガー・ベイビー)と富裕な男性(シュガー・ダディー)を引き合わせ、「デート」のお膳立てをするというビジネス。売春の斡旋と見られても仕方がないだろう。現代版のクルチザンヌだと言う人もいる。 登録している大学のリストを見ると、有力校と考えられている南カリフォルニア大学(583名)、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(614名)、コロンビア大学(1008名)、ニューヨーク大学(1676名)も含まれている。 体を売らなければ大学へ通えないという状況はアメリカ以外の国でも問題になっている。例えば、2012年11月にイギリスのインディペンデント紙が行った覆面取材の結果、学費を稼ぐための「思慮深い交際」を紹介する、いわゆる「援助交際」を仲介するビジネスの存在が明らかになったのである。 アングロ・サクソンの後を追いかけている日本でも学費の負担が庶民に重くのし掛かっている。低所得層の子どもは教育を受ける権利を奪われているのが実態だ。教育課程審議会の会長を務めた作家の三浦朱門に言わせると、「できん者はできんままで結構。・・・限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』) こうした状況を改善するためには法律面からの働きかけも必要になるが、そうした問題に取り組むような弁護士が出てきにくいシステムに変えられている。司法試験を受けるまでに多額の資金が必要になり、試験に受かっても司法修習生に対する給付制が廃止になって新人弁護士の多くは借金まみれ。カネになる仕事、カネを出せる人物や組織の仕事を弁護士になって稼がざるを得ない。 アメリカでは体を売るような手段で学費を稼がずに済んでも、富豪の子供でない限り、学資ローンで卒業時に多額の借金を抱えることになる。その借金を返済するためには高収入の仕事に就かねばならない。その仕事を失えば破産だ。医師や弁護士が権力者の不正に沈黙する理由のひとつはここにある。彼らは一種の債務奴隷なのだ。日本もそうしたシステムに近づいている。 最近、アメリカの下院議員19名がジョー・バイデン大統領に書簡を送ったが、その冒頭、学生ローンの返済免除は有能な学生を軍人に雇う上でマイナス要因になると批判している。 かつてアメリカには徴兵制があった。建前上、全ての男子は軍隊に入る義務があったのだが、支配的な立場にある人びとは自分たちの子どもを戦場へ送り出さずに済む仕組みがあった。そのひとつが「シャンパン部隊」である。この部隊は戦場へ派遣されない。CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の「フォーチュネート・サン」はこうした部隊のことを歌っている曲だ。
2023.08.02
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イスラエルとハマスが合意した42日間の停戦は1月19日に発効するという。1月11日にイスラエルへ乗り込んだドナルド・トランプ次期大統領の中東特使、スティーブン・ウィトコフが実現したと言われている。ジョー・バイデン政権が1年以上かけてできなかったことを1日で成し遂げたというわけだ。 しかし、これでイスラエル軍によるパレスチナ人虐殺が終わると考える人は多くないだろう。2023年10月、ガザで戦闘が始まった直後、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出し、ユダヤ人の敵だとされている「アマレク人」を家畜と一緒に殺した後、「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神は命じたと主張してパレスチナ人虐殺を正当化しているのだ。 サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」と書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることであり、これは彼らの「大イスラエル構想」につながる。その目的を彼らは達成していない。 著名な医学雑誌「ランセット」は1月9日、2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数の推計値が6万4260人に達し、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表した。 ガザの保健省は24年6月30日時点の戦争による死亡者数を3万7877人と報告しているが、これはランセットの推計値の59%にすぎない。この時点で国連などは1万人以上の遺体が瓦礫の下に埋まっていると推定されていた。病気、あるいは飢餓で死亡する人は戦闘で殺される人よりも多いと見られている。現在、パレスチナ側は4万5338名が殺されたと発表しているので、それにランセットの推計を適用すると7万7000人近くに達する。 生活物資や軍事物資を国外からの支援に頼っているイスラエルは自力で戦争することはできない。そうした支援国はイスラエルによる破壊、虐殺、略奪の共犯者だ。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)によると、軍事物資の69%はアメリカから、30%はドイツから供給されている。輸送などでの支援にイギリスが果たしている役割も小さくない。 ガザでの戦闘が始まった直後、キプロスのアクロティリ基地にはアメリカの輸送機が40機以上、イギリスの輸送機が20機、そして7機の大型輸送ヘリコプターが到着した。装備品、武器、兵員を輸送したと見られている。そのほかオランダの輸送機が4機、緊急対応部隊を乗せたドイツの輸送機が4機派遣され、カナダ空軍は数機の輸送機を向かわせた。キプロスにはイギリス陸軍のSAS(特種空挺部隊)も待機中だと伝えられている。 そのほか、ヨルダンの空軍基地には25機以上のアメリカ軍の大型輸送機が飛来、通常はイギリスにいるアメリカ空軍のF-15E飛行隊がヨルダン基地に配備され、ドイツの輸送機9機も同基地に到着したという。イギリス空軍は連日ガザ上空を偵察飛行してきたとも伝えられている。 イスラエルの挑発で始まったガザにおけるイスラエル軍による住民虐殺を西側の有力メディアはきちんと伝えてこなかった。イギリスのBBCもそうしたメディアに含まれる。 そのBBCで中東デスクを率いるラフィ・バーグはガザでの戦闘に関するオンライン報道をほぼ完全にコントロール、全ての報道をイスラエルにとって有利になるように編集していると告発されている。会社側は否定しているようだが、こうした偏向報道は構造的なものであり、長年にわたって強制されてきたという。 BBCにおいてガザでの報道をコントロールしているこの上級編集者はこの放送局へ入る3年前、アメリカ国務省のFBIS(外国放送情報局)に勤務していた。この部署はCIAが隠れ蓑に使っていたのだが、2005年11月に新しく設立されたオープン・ソース・センターに統合されると発表されている。バーグは自分がCIAで働いていたことを否定していないが、イスラエルの情報機関、モサドとも関係している。 ガザの問題に限らず、西側の有力メディアは西側支配層にとって都合の悪い情報を隠蔽、あるいは書き換えてきた。バラク・オバマ政権が仕掛けたクーデターで始まったウクライナにおける戦乱の実態、あるいはアメリカの国防総省が始めたCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)プロジェクトもそうだ。 アメリカでは第2次世界大戦後、組織的な情報操作が始まる。「モッキンバード」だ。これは1948年にスタートしたCIAの極秘プロジェクトで、責任者はコード・メイヤー。実際の工作で中心的な役割を果たしたのはアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだという。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) グラハムの死後、妻のキャサリーンが社主に就任、その下でワシントン・ポスト紙は「ウォーターゲート事件」を暴くのだが、その取材で中心的な役割を果たしたカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞めて「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) またフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。 ウルフコテによると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ていると彼は警鐘を鳴らしていた。実際、オバマ政権やバイデン政権はロシアを挑発、核戦争の危機はかつてないほど高まっている。 アメリカのメディアは19世紀からプロパガンダ機関として機能している。ニューヨーク・タイムズ紙の主任論説委員を務めたジョン・スウィントンは1883年4月12日にニューヨークのトワイライト・クラブで次のように語っている。「アメリカには、田舎町にでもない限り、独立した報道機関など存在しない。君たちはみな奴隷だ。君たちはそれを知っているし、私も知っている。君たちの中で正直な意見を表明する勇気のある人はひとりもいない。もし表明したとしても、それが印刷物に載ることはないと前もって知っているはずだ。」 最近ではインターネット企業にもCIAの「元職員」が入り込み、どのコンテンツが見られ、何が抑制されるかを決定するアルゴリズムを事実上制御しているという。シリコンバレーの巨大企業はアメリカの情報機関と一体化しつつある。そうした流れにTikTokも飲み込まれたと伝えられている。 2012年6月、シリアへ入って戦乱の実態を調査したメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教はローマ教皇庁のフィデス通信に対し、「誰もが真実を語ればシリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」と報告している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.01.17
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第2次世界大戦中、日本は占領した東アジアの国々で人びとを強制的に動員して働かせた。徴用工だ。日本では1938年に国家総動員法が制定され、翌年に公布された国民徴用令によって厚生大臣は強制的に人員を徴用できるようになっていた。 この仕組みを国外で外国人に適用すれば国際問題になる。韓国との問題では1965年の日韓請求権協定で解決したことになっているが、日本側も個人の請求権は消滅していないことを認めている。韓国の大法院もそのように判断、日本の企業に賠償金の支払いを命じたわけだ。 日韓請求権協定自体の問題を含め、日本の過去は清算されていない。アメリカ支配層の力を借りて封印してきただけである。アメリカの力が弱まったことで、問題が表面化してきたと言えるだろう。韓国は何年も前からロシアや中国との関係を強め、アメリカから離れつつある。アメリカの属国である日本に気兼ねするような状況ではなくなってきたのだ。 本ブログでは何度か書いたことだが、日本軍は東アジアの占領地で財宝を組織的に略奪している。「金の百合」だ。 アメリカ人ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、プロジェクトが始まるのは日本軍が南京を攻略した1937年。政府が保有する資産を奪うだけでなく、銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪したという。財宝を探し出すため、憲兵隊は目をつけた家の娘を誘拐することもあったという。娘と引き換えに、隠した財産を差し出すか近所や親戚の財産に関する情報を教えろというわけだ。貧しい家の娘は売春宿に連れて行かれたともシーグレーブ夫妻は主張している。 この南京攻略戦に参加した少なからぬ日本軍の将兵が陣中日記の中で軍命によって捕虜を射殺したと記録しているが、個人的な略奪、殺戮、レイプなどもあったようだ。 この作戦当時、特務機関員として活動中だった中島辰次郎は、南京市内で「虐殺」と呼べる出来事があったことは間違いないと明言、総数はわからないとしたうえで、死体が山積みになった光景を見たと話していた。(筆者自身の取材) また、支那派遣軍の岡村寧次総司令官が「大暴行があったのは事実」と書き残しているほか、外務省の石射猪太郎東亜局長は「南京に於ける我軍の暴状」の報告に「目もあてられぬ惨状」と書かれていたと日記に記している。中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将は師団長クラスの退廃ぶりを嘆いていた。 南京攻略は形式上、松井石根が最高指揮官なのだが、実際は朝香宮鳩彦、昭和天皇(裕仁)の叔父にあたる人物だったと言われている。 スターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、「金の百合」を指揮していたのは天皇の弟である秩父宮雍仁で、その補佐をしていたのが天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳だという。秩父宮は駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルーと親しい。(つづく)
2018.12.03
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アメリカ軍のトップ、ジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長は上院軍事委員会に出席、軍事政策を変更して核兵器の先制使用を禁止することに反対すると述べた。 核兵器が開発して以来、アメリカの好戦派はその先制使用を目論んできた。当初、そのターゲットはソ連。今はロシアと中国を想定しているだろう。これまで先制核攻撃を実行しなかったのは、準備が整う前にソ連が反撃能力を持ってしまったからだ。アメリカがロシアや中国を圧倒できると信じる状況になれば、核攻撃をいつ始めても不思議ではない。 第2次世界大戦でドイツが降伏した直後、1945年5月に米英軍数十師団とドイツの10師団米英独でソ連を奇襲攻撃するアンシンカブル作戦を立てさせたウィンストン・チャーチル首相は下野した後の1947年にアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだと伝えられている。 その2年後、アメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容を含む研究報告を作成、1952年には初の水爆実験を実施、54年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 1957年に作成したドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(前掲書)このドロップショット作戦は実行するつもりだったと見られている。 アメリカが初めて水爆実験に成功したのは1952年11月だが、ソ連も53年8月に成功させている。この間隔から考えてソ連は独自に開発しているのだが、放射性物質の分析から技術的にはソ連が上だということが後に判明した。 それでもアメリカ支配層が先制核攻撃に積極的だった理由は核弾頭の数とその運搬手段。核弾頭をターゲットまで運ぶためには戦略爆撃機かICBM(大陸間弾道ミサイル)が必要なのだが、1959年の時点でソ連は事実上、このタイプのミサイルを保有していなかった。 アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれていた。そして1963年後半に先制攻撃するというスケジュールが決まったとテキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授は主張している。 しかし、この計画には大きな障害が存在した。ジョン・F・ケネディ大統領である。アメリカ側の計画を察知していたであろうソ連がキューバへ中距離ミサイルを持ち込んでいることが発覚したのは1962年10月。ICBMに対抗するためだったのだろう。 アメリカの軍や情報機関の好戦派は即時攻撃をジョン・F・ケネディ大統領に要求したが、大統領は話し合いで解決してしまった。1963年後半に予定した先制核攻撃計画でもケネディ大統領は大きな障害。その障害が取り除かれたのは1963年11月22日のことだった。大統領がダラスで暗殺されたのだ。 暗殺の直後、CIAはソ連やキューバが黒幕だとする偽情報を流したが、FBIがその事実を新大統領へ伝え、米ソ開戦には至らなかった。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、レムニッツァーは1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めている。沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、武装したアメリカ兵を動員した暴力的な土地接収が行われる。いわゆる「銃剣とブルドーザー」による接収だ。1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になった。その後、現在に至るまで沖縄はアメリカ軍の基地に苦しめられている。 沖縄の基地問題はアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついている。CIAは沖縄を中国や東南アジアに対する秘密工作の拠点として使ってきたが、それだけではないのだ。アメリカ軍が沖縄をはじめとする日本に基地を建設している目的を「防衛」だと考えるべきではない。 そうした意味で、2006年当時は非常に危険な状況にあった。アメリカ支配層の機関誌的な存在であるフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文によると、アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いというのだ。つまりアメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てるとこの筆者は考えていた。おそらくアメリカ支配層の相当部分もそう考えていたのだろう。アメリカは2002年にABMから離脱している。 この分析は2008年に崩れ去る。この年の8月、イスラエルやアメリカの支援を受けたジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃したのだが、ロシア軍の反撃で侵略軍は粉砕されてしまったのだ。つまり、アメリカやイスラエルの軍隊はロシア軍と同じような規模で衝突すると負けるということ。さらに、シリアでの戦争でロシア製兵器の性能は高いことが確認された。 アメリカ軍は通常兵器での戦闘でロシア軍に勝てない。先制核攻撃で圧倒することも難しい。そこで、自分たちに従属しないと人類を死滅させると脅しているように見える。 そしてアメリカ軍は2010年7月にポーランドとイージス・アショアの設置で合意、ルーマニアが続いた。日本も購入することになっているこのシステムが使用するランチャーは攻撃型の巡航ミサイルであるトマホークと同じで、ソフトウェアーを変更すれば攻撃用の兵器になるとされている。韓国へはTHAAD(終末高高度地域防衛)を強引に配備した。アメリカが先制核攻撃を放棄したなら、この軍事的な脅しが使えなくなってしまう。
2019.03.16
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見城徹なる人物の書いた秋元康に関する2019年4月17日付けのツイッターが話題になっている。秋元康が予約した名古屋の店で「各テレビ局のエース・プロデューサーたちと本音の会話」を楽しんだようだ。全部で16人だったという。 このアンコウ料理の店での接待は定期的に行われているようで、そうした会食について週刊新潮の2012年11月1日号で青沼陽一郎が書いている。その記事によると、店の名前は「得仙」。仕切っているのは秋元康の弟の伸介で、「こうした席に、必ず秋元の弟に寄り添っている人物がいる」とも指摘している。「写真週刊誌の編集長だった人物」だという。 言うまでもなく、見城のツイッターが話題になった大きな理由は、秋元康が事実上の最高権力者である芸能プロダクション配下の「アイドルグループ」におけるメンバー襲撃事件が決着していない中での会食だったからだ。 このグループとは新潟県を拠点とするNGT48。襲撃事件に関する調査を行うとして運営会社のAKSは第三者委員会を設置したのだが、その委員構成に疑問があるうえ、取材の窓口はAKS。 3月22日にAKSは報告書に関する記者会見を行ったが、出てきたのは委員でなくAKSの松村匠取締役とNGT48劇場支配人の早川麻依子を含む3名。会見は支離滅裂だった。それから1カ月後の4月21日、被害者の女性は信頼できるメンバー2名とともにNGT48からの「卒業」を発表している。そうした中、「各テレビ局のエース・プロデューサーたち」や見城は名古屋でアンコウ鍋をつついていたわけだ。 女性がオートロックのマンション内でふたりの男性に襲われた事件に対する「各テレビ局のエース・プロデューサーたち」や見城の認識はその程度だったということになる。 この事件を軽く見ているという点で、新潟県の花角英世知事も大差はない。4月24日に開かれた定例会見で、県がイベントのスペシャルサポーターに起用していたNGT48との再契約について「もう少し事態の推移を見守りたい」と発言したのだ。 被害者がNGT48を辞めざるを得ない情況になったことを受けて県は再契約をしない方向で調整していたのだが、知事はそうした方針を換えさせたようだ。 ところで、新潟県は広報活動の指導や報道機関との調整を担う広報監という役職を2017年に設置した。NGT48が躍進、その一方で襲われた女性に対する運営側からの嫌がらせが始まったとされる年でもある。初代広報監は電通東日本の岩佐文恵。昨年から電通東京本社ソリューションセンタープロモーション室長だった杉山秀人が後任として就任している。 新潟県では2016年の知事選で現職の泉田裕彦が突如立候補を取りやめ、米山隆一が選ばれた。その米山は週刊文春が2018年4月に掲載した知事の女性問題に関する記事が原因で辞任。そして行われた選挙で当選したのが花角だ。この間、新潟県でも原発の再稼働が問題になっていた。泉田と米山が慎重派だったのに対し、現知事は再稼働を容認している。
2019.04.26
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