《櫻井ジャーナル》

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2013.08.08
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 NSAによるEU監視が伝えられると、ドイツ首相やフランス大統領はアメリカ政府を批判する発言をしたが、アメリカの情報機関が全ての国を監視対象にしていることは昔から有名な話。今更驚くのは不自然だった。

 ただ、ドイツの場合、東ドイツで国民を監視していたシュタージ(国家保安省)の記憶が残っていることもあり、政府は神経質にならざるをえない。ドイツ政府はアメリカ大使を呼び出したというが、その程度のことをしないと国民の怒りが自分たちに向かってくると考えたのだろう。

 しかし、膨大なデータが日々、 ドイツの情報機関からNSAへ 送られていることをスノーデンの持ち出した書類は明らかにした。政府が本当に知らなかったということはあり得るのだが、ドイツとアメリカの情報機関が密接な関係にあることは否定できない。6月29日に オブザーバー紙 はEUの7カ国以上がアメリカと共謀し、個人の通信データを集めていたと伝えていたという記事をサイトに掲載、短時間のうちに削除されてしまったが、この記事は正しかったのだろう。

 ドイツとアメリカの情報機関は第2次世界大戦の終盤から協力関係に入り、その関係は現在まで維持されている。1942年にナチ親衛隊が密使をスイスのアレン・ダレスの下へ派遣したことはともかく、44年にはドイツ陸軍参謀本部第12課(東方外国軍課)の課長を務めていたラインハルト・ゲーレン准将がダレスに接触している。この課は軍情報部のソ連担当だ。

 1945年の初頭にはダレスがナチ親衛隊のカール・ウルフに隠れ家を提供、さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。この段階で、ナチやナチ協力者はコミュニストと戦う「自由の戦士」として扱われはじめた。

 この年の5月にはゲーレンがアメリカ陸軍対敵諜報部隊(CIC)に投降する。彼が携えていたマイクロフィルムには、東方外国軍課に保管されていたソ連関連の資料が収められていた。

 第2次世界大戦が終わった翌年の7月、ゲーレンはアメリカと共同で「民間の情報組織」を創設する。いわゆる「ゲーレン機関」だ。言うまでもなく、CIAとは緊密な関係を結んでいた。1956年4月にゲーレン機関はBND(連邦情報局)という国家機関に昇格、ゲーレンが初代長官に就任した。戦後、「ソ連の脅威」を煽る情報源のひとつはゲーレン。ソ連の脅威を誇張することで自分たちの存在意義を高めようとしたわけだ。






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最終更新日  2013.08.09 03:56:48


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