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<私のお気に入りスポット(Dallas3)> 今回のダラスフライトは、ちょうど週末に当たったので、ちょっと足を延ばして フォートワースまで<ロデオ>を見に行きました <ロデオ>を見るのは始めてです 「テレビで見るのと同じなのかな?」皆、ワクワクしながらフォートワースまで 行きました フォートワースの街を歩くと<Howdy(ハウディ)>(こんにちはの意味)と、 陽気な地元の人たちが気さくに声をかけてきてくれます 西部時代のまち並みが残り、今でも騎馬警察官がパトロールしていたりと、 数百年前の時代にタイムスリップしたように感じます 私が幼い頃、思い描いていた<テキサス>そのままの街です 愛称<CowTown(牛の町)>と呼ばれる<Fort Worth>は、 ダラス市からは約30マイル (50km) 西部に位置する、人口約60万人の タラント郡の郡庁所在地です <Texas>の名前は、インディアン語で<友達>の意味だそうです。 アラモの戦いで勝利の末に勝ち取った独立、テキサスの歴史は「アラモの砦」 なしには語れません 1682年、最初に同地の開拓に成功したのはスペイン人でしたが、3年後には フランス人が入植し、フランス領を宣言しました。 長い間スペイン領になったりフランス領になったりした末、1821年メキシコが スペインから独立してメキシコ領となりました。 1835年、メキシコ政府との対立から義勇軍が蜂起して反乱を起こします。 翌年、義勇軍182人はサンアントニオにあるアラモの砦で、4000人近い メキシコ軍相手に13日間におよぶ抗争を続けましたが、夜明けの襲撃に遭い 全滅しました。 しかし、1836年のサンジャシントの戦いで、サンタアナ将軍率いるメキシコ軍を、 サム・ヒューストン将軍率いるテキサス軍が破り、同年独立を宣言して テキサス共和国が誕生しました。 ジョン・ウェインの映画「アラモ」を思い出します・・・ 1845年、アメリカ合衆国に加盟して南北戦争では南軍につき、戦後は牧畜が 主要産業となりました。 市場はネブラスカやカンザスへも広がった為、フォートワースにストックヤードと 呼ばれる牧畜の市が立つようになり、カウボーイのイメージが定着しました。 そこで<Cow Town>と呼ばれるようになったのですね・・・ 私達は<カウタウン・コロシアム>に行きました フォートワースのストックヤードにあり、ここでは毎週末ロデオが行われています 中に入ると家族連れが多くて、子供達が体を乗り出して見ています 柵が開いて、暴れ牛が現れました。どれくらい跨っていられるのか? 皆、ひやひやしながら応援しています ロデオの他にも、縄を投げ子牛を捕まえる時間を競うものや、ロデオの馬バージョンも あって楽しい~! ロデオを見終わって、さあ夕食にしましょう! お腹がペコペコ・・・ <ステーキ・ハウス>が軒並みあって、どこにしようか?迷ってしまいます 一緒に行ったキャプテンお勧めのレストランに行きました ビールと<Tボーンステーキ>をミディアム・レアで食べて・・・美味しい! 食事の後は、ぶらぶらとショッピングをしました カウボーイハットとブーツを買って満足・・・ とっても楽しい一日でした タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.31
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<モーニングーティ・パーティ> 今日の<モーニングティ・パーティ>は<New Year’s Party>も 兼ねて開催されました 総勢30名の出席者です 手作りの<おにぎり>、<炊き込みご飯>、<切り干し大根>等々が並んで、 とても<At Home>なパーティになりました いつも来ている中国人のKさん、アルゼンチンのNさん、フィリピンのJさん、 お子さんを連れてエクアドルのEさんのお顔に会えて嬉しい・・・! 去年の6月から始まった<モーニングティ・パーティ>も8回目になりました これからも、皆さんが気軽に参加できるような<楽しい集い>にしていきたいと 思っています 今日は<新年会>という事なので、ゲームをたくさん用意しました 先ずは<福笑い>からです アメリカ人のTさんが挑戦しました目隠しをして、眉、目、鼻、口と順番に・・・ こじんまりと纏まって、とっても可愛い顔が出来上がりました その後、Uさんやタイ人のNさんが続いて挑戦です 皆で大笑いをした後は、<伝言ゲーム>と<伝写ゲーム>で遊びました 4チームに分かれての対戦です 最初の人と、最後の人では、全然違う言葉や絵になってしまって・・・ たった6~7名の間に全く意味が変わるなんて、不思議です 人の記憶は当てにならない・・・ 楽しい時間がアッという間に過ぎてしまいました 来月は、いつものようにゲストスピーカーを招いての<モーニングティ・パーティ> の予定です 又、3月には<料理教室・アジア麺くらべ>を開催いたします アジア4カ国の麺料理を4人の講師と一緒に作ります タイ、ヴェトナム、インドネシア、香港、各々自慢の料理を賞味したいと思います。 タイ<春雨と海老炒め> ヴェトナム<フォー(米粉)> インドネシア<ミーゴレン> 香港<メンセン(麺繊)> 今からとても楽しみです・・・タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.29
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<私のお気に入りスポット(Dallas2)> 次の日も良く晴れたお天気でした ロビーで皆と待ち合わせて、リムジンのようなタクシーに乗りました 中がサロンのようになっていて、真ん中にテーブルがあり回りにソファが 配置されているのです バーカウンターまである豪華なタクシーですが、料金は普通のタクシーと 同じなのです ホノルルでも時々、見かけますが・・・日本の狭い道では無理かも・・・ 遠足に行くような気分で、ワクワクしながら<ケネディ記念館>に着きました 教科書倉庫だったという茶色のレンガ造りのビルです 「ここが、そうなんだ・・・」と思うと感慨深いものがあります 中に入った途端に<J.F.ケネディ>の世界に包まれました 当時の模様が順を追って再現されているのです 窓の外を見ると、ケネディ大統領の乗ったオープンカーがカーブを曲がって 近づいて来る場所が見えます オズワルドが発砲したと言われる位置が示されています ここから車までは、とても遠い距離に感じられます 薄暗い、この部屋から凶弾を撃ったなんて・・・? その場面のビデオテープは日本でも何度も放映されていますが、ここで見ると 又、新たな実感が湧いてきます <リー・ハーベイ・オズワルド>が犯人だとした<ウォレン委員会報告>から 今年で、もう44年が経ちました 2039年まで封印されているという<真実>が早く知りたい・・・ サム・ジアンカーナとの関わりは? フランク・シナトラやマリリンモンローとは、どんな絡みがあったのかしら? 「ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺の黒幕の一人と言われるイタリア系マフィアの サム・ジアンカーナは、シナトラの歌手デビュー当時から密接なつき合いが あり、また、ケネディ大統領とその死の直前まで交際があったマリリン・モンローを 紹介したのがシナトラであったことから、ケネディ大統領暗殺の際には何らかの 役割を果たしたのではないかとも言われています。 これに関して、ケネディが大統領選に立候補する際、ケネディの父親で マフィアと繋がりの深かったジョセフ・ケネディが、ショービジネス界を 裏で握っているサム・ジアンカーナに選挙運動に協力するように頼んでほしいと シナトラに頼んだとのこと。ところが大統領当選後、ケネディ家とマフィアとの 関係を怪しんだフーバーFBI長官(当時)がケネディ大統領に目をつけたため、 弟のロバート・ケネディがマフィアを徹底的に取り締まると発表しました。 ケネディ兄弟の暗殺はこの<裏切り>に対する報復であっただろうとする見方も あるのです。 ちなみにシナトラはケネディ大統領暗殺事件の直後、 自分が出た映画<3人の狙撃者>のフィルムを回収して回りました。 なぜなら、そこでのシナトラの役は大統領狙撃未遂の主犯だったからです??? シナトラは、ケネディ大統領が当選した1960年の大統領選挙の際には、 知人であったケネディの為に友人のマフィアとともに労組票の取り纏めを 行うなど協力しました。 しかし、ケネディの父親<ジョセフ・パトリック・ケネディ>は、 禁酒法時代に密造酒製造・販売で財を成してのし上がった過去があり、 密造酒商売を通じてマフィアと関係を結んでいたのです。 父の協力で大統領に当選したケネディは、その事が表ざたになることを恐れ、 マフィアとの繋がりがあるシナトラを露骨に避け始めました。 このような仕打ちに怒ったシナトラは徐々に反ケネディに傾いて行き、 しまいにはケネディのライバルであるリチャード・ニクソンと密接な関係を 結ぶまでになったと言われています。」 <マリリンを殺した4人の男たち>より「DOUBLE CROSS」by Sam Giancana and Chuck Giancana P370-373より抜粋 「1962年6月、モンローの女優としての評判は下降線を辿っていた。 モンローはCIAと組織の陰謀を知っていた上、著しく精神の安定を欠いていた。 7月にはボビー(ロバート・ケネディ)との関係も切れ『何もかもばらす』と 脅しをかけるようになった。彼女の電話を盗聴し逐一監視していたCIAは、 復讐にかられた麻薬中毒のモンローに全てを暴露されることを恐れ、 ムーニー(サム・ジアンカーナ)に彼女の始末を依頼した。 1963年8月5日、殺し屋たちは暗くなるのを待って、午前零時前に 自宅に侵入した。 すでに彼女はボビーの医師が鎮静剤を打っていたおかげで、ぐったりしていた。 彼らはマリリンを裸にすると、口をテープで封じ、医師が特別に処方した ペントバルビタールの座薬を注入した。 口から致死量の睡眠薬を服用させれば嘔吐しかねないが、座薬は肛門膜組織から 直接血管に吸収され、胃から検出されるものは何も無い。 彼らは彼女が完全に意識を失ったのを確認すると、テープをはがしマリリンの 口元をきれいに拭いて、そして静かに消えて行った」 あと32年も待っていたら、当時を知っている人達は殆どいなくなってしまうこと でしょう・・・ そんな思いで<ケネディ記念館>を後にしました そして、その後も私はダラスのフライトが入る度に必ずここを訪れたのです <9.11同時多発テロ>の後、ダラス直行便が無くなってしまいました でも、もう一度ぜひ行ってみたいと思っています 今度はダンナと一緒に、二人でゆっくりと廻ってみたい・・・ ダンナも<J.F.ケネディ>が大好きで、今でも二人でいろんな本を読んだり TVを見たりしているのです タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.26
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<私のお気に入りスポット(Dallas1)> 「ダラス直行便が始まるんだって・・・早く行きたいね!」と皆が 話しています <テキサス>というと、幼い頃にテレビで見た風景が思い出されます 又、1956年のワーナー映画「ジャイアンツ」の舞台になった<テキサス>、 エリザベス・テイラーやロック・ハドソンと共に、私の大好きな ジェームス・ディーンの何とも魅力的な表情が印象に残っています 牧場の使用人だったジェット〈ジェームス・ディーン〉が油田を掘り当てて 大富豪になるまでを描いた、ジェームス・ディーンの主演3作目にして最期の 映画です この映画の撮影終了後、翌日に彼は自動車事故で死去したのですが・・・ それから、<ダラス>と言えば<ジョン・F.ケネディ記念館>です ずっと以前から行きたかった場所で本当に楽しみです ダラスの直行便がスケジュールに入った時は心が躍りました 今から44年前の1963年11月22日にダラスで遊説中に ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されました 彼は私達の年代にとっては<永遠のヒーロー>です 1961年、史上最年少43歳でアメリカ大統領になり、50年代における アメリカの停滞を打破し、対ソ連外交ではベルリン問題、キューバ危機では フルシチョフ首相と渡り合いながら、ニューフロンティア政策を掲げ続けたのです その中で、マリリン・モンローやフランク・シナトラとの関係、父親の時代からの マフィアとの絡み等々、興味が尽きません 「ダラスの暑い日」を読んだり、「JFK」の映画を見て真実は一体、何だろう? この衝撃的な出来事の為に、<City of hate>(嫌われ者の都市)とのレッテルを 貼られたというダラスって、どんな街なのだろう? 早く行きたい~!・・・ やっと、<ダラス・フォートワース空港(DFW)>に到着しました 延々と続く砂漠の上を飛行しての長いフライトでした DWFは1975年に建設され、アメリカン航空のハブ空港とされています ここからアメリカ国内や南米各地へ路線が分かれているのです 私達は眠い目をこすりながらC.I.Q.(入国検査)を受けました ホテルまでのバスを待っていると、真っ青な空が広がっています J.F.ケネディ暗殺の日もこんな青空だったのかしら? ダラスの名前は第11代副大統領ジョージ・ダラスに因んで命名されました。 テネシー州の政治家ジョン・ニーリー・ブライアンが入植して、一帯で栽培される 綿花の集散地として発展させたそうです。 その後、1872年には南北を結ぶMKT(ミズーリ・カンザス・テキサス)鉄道、 翌年にはカリフォルニアパシフィック鉄道が開通したことにより、 内陸の交通要衝として発展しました。 20世紀になってテキサス東部で油田が発見され、市況は大いに潤い、又 同年代に航空機産業誘致に成功し、とりわけ軍用機産業が発展して、 中南部最大の都市としてめざましい発展を遂げたのです。 1980年代はアメリカ全体の不況の煽りを受けるが、1990年代から 石油産業、エレクトロニクス産業を軸に復興して今日に至っています ホテルに着いて早速、<ケネディ記念館>へのアクセスを調べました やはり、タクシーで行くのが一番いいようです 明日の朝10:00、ロビーに集合する約束をして、先ずは「お疲れさま!」の ビールを飲む事にしましょう! 天井の高い素敵なホテルの中のレストランで、分厚いハンバーガーを頬張って 山ほどあるフレンチフライを食べながら、飲むビールは美味しい・・・ タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.24
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<今日の日本語教室> 朝から小雨が降る寒い一日でしたが、皆さん元気に出席しました 総勢20名の活気溢れる<日本語教室>でした お子さん達も防寒具に身を包み、ホッペを真っ赤にして階段を 上って来ました可愛い・・・ 思わず抱き締めたくなってしまいます M先生の上級クラスには、5名が参加者しました 皆さん、とっても日本語が上手です 今日の<New Comer>はカナダのトロントから来日した Nさんです中国人のYさん、Wさん共々に個人レッスンをして います 私はタイ人のSさん、バングラディッシュのBさんを受け持って、 外国人が最も苦手とする<助詞>の使い方を学習しました 難しいけれど<助詞>を正確に使えれば、綺麗な日本語が話せると、 二人とも一生懸命です Bさんは、これから3年間、K大学の研究室で御主人と一緒に勉強する ことになっています 今は、一人娘のFちゃんの幼稚園捜しに奔走していて・・・ 私も、明日Bさんと一緒にK幼稚園の見学に行く予定です 少しでもお役に立てれば嬉しいと思いながら・・・ 昼食は皆で、いつもの<中華料理>の店に行きました Bさんは、宗教上の理由で豚肉が食べられません ラードを使ったスープ等も駄目なので、食べられる品がほとんど無いのです いろいろ迷った挙句、<魚介類のたんめん>に決まってニッコリ・・・ Sさんは、牛肉が食べられませんが、豚肉はOKです 本当に、国によって食べ物の習慣も違うので皆さん大変です 「いただきます」と「ご馳走さまでした」という言葉は日本語だけで、 他の国には当てはまる訳がないようです・・・う~ん 来週も又、元気で会いましょう タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.22
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<私のお気に入りスポット(焼津)> 幼馴染み5人と一泊で<焼津>に行って来ました 美味しい料理とお酒が大好きな私達は小学校からの同窓生です Gくんが焼津に単身赴任しているので「焼津のマグロ」を皆で食べに行かない? という事になり・・・ 今回の運転手を引き受けてくれたJちゃんの家の最寄り駅で待ち合わせて、 東名高速で3時間、おしゃべりに夢中になっていると、もう富士山が見えてきました 良く晴れていて綺麗!間近に富士山を見るのは久し振り・・・ 焼津ICに着くとGくんが待っていてくれました 「焼津にようこそ!先ずはお昼を食べよう。美味しい鰻屋を予約しておいたよ!」 嬉しい!浜名湖が近いので鰻も美味しいのね・・・ <焼津港> 焼津港は、遠洋マグロ・カツオの根拠地として世界有数の水揚高を誇り、 現在、港に水揚げされる漁獲高は年間約21万t、約504億円にものぼります。 市場では早朝から活気に満ちたセリがおこなわれ、新鮮なカツオやマグロが セリ落とされていきます。 Gくん<お勧めの店>の鰻重でお腹がいっぱい~!すごく美味しかった! 骨せんべいをお土産に買って、ちょっと腹ごなしに散歩しようと<大井川蓬莱橋>へ 行きました <大井川・蓬莱橋> 「越すに越されぬ」大井川に、明治12年、架けられた「蓬莱橋」。 明治維新後、徳川直参の御家人が駿府に移住、島田の対岸で茶の生産を始め、 橋が必要となり、組合をつくって架橋し今は「世界一長い木造歩道橋」です。 全長900mのクラシックな橋を往復しながら、いろんな話しをして・・・ 幼馴染みってホントにいいものだなァ~と思いました 40年以上も前の出来事を昨日の事のように覚えているのです 皆、最近のことは忘れっぽくなっているのに・・・ その後、焼津港で<さくら海老>、<しらす>等々をお土産に買って皆、満足です 夕食までホテルの部屋で一休みした後、さあ宴会の始まり~! Gくんの奥様とお嬢さんも参加しました スゴイ!海の幸がずらりと並んでいます 鰻の肝、サザエの煮浸し、刺身(中トロ&赤身・ツバス・スキ身・烏賊)、 金目鯛の煮付け(あまりの大きさにビックリ!)、鮟鱇の肝の吸い物仕立て (始めて食べる味です)、サクラエビのかき揚げ(美味しい!衣のつけ方にコツが あるとか・・・)、 鮪のカマ(おろしポン酢で食べると美味)、 にぎり寿司3貫(白魚・つばす・鮪)、 太刀魚の骨せんべい(鰻の骨せんに続き今日はカルシュウムたっぷり!) 最後はあさりの味噌汁です 皆、それぞれ好きなお酒を飲みながら次から次へと平らげていきました Jちゃんは、他のものを食べている間に金目鯛が無くなっていたとブツブツ言って います ここの焼酎は<お茶割り>なのです。さすがお茶どころ・・・ よく食べ、よく飲み、本当に美味しかった~! 二次会は<カラオケ>です アッと思って時計を見ると、午前2時・・・何と4時間も歌っていました 長い楽しい一日が終わりました 二日目は、太平洋を一望できる<大崩海岸>を廻って、登呂遺跡内に建っている <芹沢美術館>に行きました 前から行きたかった場所で皆、大感激・・・来てヨカッタ! <芹沢美術館> 静岡市立芹沢美術館は、郷里の静岡市に作品とコレクションが寄贈されたのを 機に建設の運びとなりました。 昭和56年の開館以来、様々な企画展示、作品の保存収集、調査研究を通して、 芹沢氏の芸術を広く紹介し、その偉業を後世に伝えるべく活動を続けています。 わが国では珍しい染色作家の美術館として、日本内外から多くの染色ファンを 集めています。 また、建築家白井晟一氏(1905~1983)の設計による建物も訪れる人々の 注目するところです。 弥生時代の遺跡として名高い登呂公園の一隅に位置し、その遺跡の雰囲気に 自然に融け込むように、石、木、水という天然素材を選んで構成されたこの建物は、 白井晟一氏の個性が遺憾なく発揮された代表作です。 石を積み上げた量感ある外壁。ゆるやかな銅板葺きの屋根。 そして手斧の跡も温かい白木の楢材の組天井を持つ展示室が池を巡るように 配されて、鑑賞の場にふさわしい、ゆったりとした空間を演出しています。 現在収蔵されている芹沢氏の作品約800点とコレクション約4500点は、 年に3回展示替えが行なわれて順次公開しています 昼食は<鞠子のとろろ汁>を食べに行こう!ということになりました ムカゴ揚げ団子が美味しい~! 昨夜の酷使した胃に優しい味でした 本当に楽しい二日間がアッと言う間に過ぎ去りました 「また必ず行こうね!」タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.19
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<今日の日本語教室> 今年に入って始めての<日本語教室>に18名が元気に顔を合わせました 「本年もどうぞよろしくお願い致します。」と皆で挨拶をして、 いつものように和気藹々の雰囲気で、授業が始まりました 昨年の12月中は、大学のレポート提出の為に忙しくて来る事が出来なかった 中国人のJさんも久し振りに出席しです Jさんの笑顔に会えてウレシイ~ ボランティアグループに入会を御希望の方が見学に参加されました ニューヨークに住んでいた頃に、多くの方に親切にして頂いたお礼に少しでも 日本に住んでいる外国人のお役に立ちたいそうです 昨年のイベントに参加した方で、その時から入会したいと思っていたとの事 でした そういう方が増えていくのは本当に嬉しい!Welcomeです 今日の<New Comer>はタイ人のSさんです 航空会社の客室乗務員だったSさんは、2ヶ月前に日本人と結婚して、 来日しました飛行機の中での日本語は全く不自由しなかったのですが、 今後は難しい漢字や日本の習慣などを勉強していきたいと張り切っています とってもチャーミングで素敵な女性です 3月に予定している「世界の麺大会」にも、タイの麺を作ってくれるそうです やはり、タイ料理が恋しくて毎日の夕食に作っているとか・・・ タイ人の客室乗務員はどこの国に行っても自国の調味料を持参しているのです 日本でうどんを食べる時でも、それを振り掛けています 汗が出るような辛い香辛料なのですが、「アロ~イ!(美味しいのタイ語)」 私達が醤油を外国に持って行くのと同じですネ・・・ <日本語教室>の後は、皆で中華料理を食べに行きました そこでも、又タイ料理の話しになって・・・ 「グリーンカレー」や「蟹カレー」には、どうしてタイ米の方が合うのかしら 私も以前、バンコックからタイ米を買ってきて「レッドカレー」を作った事がありました 粘り気の無い、細長い米が独特の香辛料にマッチするのですね! ダンナは日本米の方が好きだと言っていますが・・・ 私達のバンコックステイ時のホテルから歩いてすぐの<ソンブーン>レストランの 人気メニューである「蟹カレー」が急に食べたくなってしまいました 来週も又<日本語教室>でお会いしましょう <Sawadee ka!>(サワディーカー) お元気でね・・・ タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.16
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<我が家のパーティ> ペルー人のRさんが「ペルーに帰国する前に新年会をしたいな~!」という事で 我が家に<日本語教室>の生徒さん7名が集まりました Rさんは13日発の飛行機で帰るので、15日から始まる<日本語教室>には 出席する事ができないのです 3月までペルーの実家にお里帰りなので、当分お会い出来なくなります エクアドルのEさんやアルゼンチンのNさんが淋しくなると言ってお子さんを連れて やって来ました タイ人のSさんも珍しい果物ランブータンをお土産に持って遊びに来ました 今日は私のダンナも休みなので、皆で<たこ焼き>を作ろうとはりきっています 実は、この<たこ焼き器>はゴルフの景品でダンナが貰ってきたのです 腕の見せ所とばかりに彼のお得意のおでんも昨日から仕込んでいました 味が浸み込んで美味しそう~・・・ この<たこ焼き器>は、19個の穴があってヒーターの構造上で早く焼ける場所と 遅い場所があるのです・・・ 早く焼き上がったものからお皿に取り上げて、串で順番に早く焼ける場所に 移動させなければなりません 忙しいけれど、面白くて・・・大いに盛り上がりました ソースも甘口と辛口の両方を用意して、ビールを飲みながら皆でパクパク々々・・・ Rさんは皆が大好きなペルー料理の<ワンガイーナ風ポテト>を作ってきました ピリッと辛いソースがとっても美味です Nさんはアルゼンチンのチーズ料理(チーズをパイ生地に練りこんで焼いたもの)を 持参してきましたワインとの相性が抜群です Eさんはお花をいっぱい抱えてきましたEさんの御主人はお花の輸入業をして いるのです綺麗なお花をテーブルに飾るととっても華やかになって素敵・・・ 3人はスペイン語圏ですが、ペルーとエクアドルのスペイン語は似ていてアルゼンチンの スペイン語は少し違うようです アルゼンチンの方が強い言い方をするとか・・・ 「たとえば?」と聞いたら<YOU>は「あなた」がペルーとエクアドルで、 「あんた」がアルゼンチン、「アルゼンチンの言い方は大阪弁みたいヨ!」という 答えが返ってきました Rさんは、御主人の実家の広島でお正月を過ごして来たそうです 広島弁には、なかなか慣れる事が出来なくて・・・アルゼンチンのスペイン語より 難しいと言っていました 皆さん日本人と結婚して故郷を離れて日本に住んでいます 日本からペルーまでは23時間、アルゼンチンまでは36時間もかかるので帰りたいと 思っても直ぐに帰れません ダンナも「皆さん、本当に精神的に強いんだね~」と感心しています 言葉や習慣もまるで違う日本でお子さんを生んで生活をしているのですが、とっても 明るくて活き活きとしているのです 「どうして?」と聞くと皆いっせいに「主人が優しいからヨ!」という答えが返って きました タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.12
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<私のお気に入りスポット(San Francisco3)> 私が飛び始めた頃、サンフランシスコのステイホテルは<チャイナタウン>の入り口 <ドラゴンゲート(Dragon’s Gate) >の前にありました Bush St(ブッシュ・ストリート)とGrant Ave(グラント・アベニュー) の交差点です 今はもう無くなってしまったのですが・・・小さな古いホテルでした 1階には、和食の店があって元気な日本人の女性が働いていました 飛行機が早朝に到着するので、私達はいつもその店のカウンターで朝食を食べました ご飯、味噌汁、漬物、ハムエッグのメニューでした 懐かしい・・・もう、35年以上も前の事です サンフランシスコのチャイナタウンは、全米で最大規模を誇るチャイナタウンです このチャイナタウンの中は、中国語があふれ、「ここはどこ?」という感じになって しまいます米中が入り交じった不思議な場所です いたるところ漢字の大洪水にビックリ・・・ 二匹の竜と狛犬が出迎えてくれる<チャイナタウン・ゲート>を通ると、 活気とパワーに溢れた中華街です 8万人の中国系移民が暮らしています アメリカ最大のチャイニーズ・コミュニティサンフランシスコの中でも異国の情緒が 漂っていますチャイナドレスの専門店、中国食材店等が24ブロックにわたって 並んでいるのです 1970年に完成した異国への入口、チャイナタウン・ゲートのあるグラント・ストリートは サンフランシスコ最古の通りといわれています 竜の壁画や中国風の外灯など、注意深く観察すると興味深い発見も・・・ ここから先は別世界、エキゾチックな中華街で私たちはよく夕食を食べます ビールや老酒を飲みながら、お腹いっぱい料理を食べた後に出てくる <フォーチュン・クッキー>が私のお気に入りです <Fortune Cookie>とは、中に運勢の書かれた紙片の入ったクッキーです アメリカ合衆国ではほとんどの中華料理店で見ることができます フォーチュン・クッキーのアイディアは、マコト・ハギワラという日本人によるもの だそうです 1894年、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・パークで <Japanese Tea Garden>を開いていたMr.ハギワラは、 煎餅(Japanese Cookie)を二つ折りにしてその中に言葉を書いた紙を入れたものを、 店を訪れる客にお茶請けとして出していました Mr.ハギワラとその家族は特に金儲けのことは考えていなかったので、 このフォーチュン・クッキーに関する一切の特許をとっていませんでしたフォーチュン・クッキーは、日本の神社で新年の祝いとして配られていた辻占煎餅に 由来するものであると言われています。 今日のフォーチュン・クッキーはアメリカ人の口に合うように甘く味つけされていますが、 古い時代の辻占煎餅は甘くはありません。 辻占煎餅の習慣は、日本ではあまり広く知られていないようですが、煎餅の中に辻占 (運勢などを書いた紙片)を入れたものです。 京都などではよく見られますが、かつては金運や商売の運勢について書かれた詩でした。 第二次世界大戦後、いくつかのアメリカの中華料理店がMr.ハギワラの煎餅の アイデアを取り入れ、フォーチュン・クッキーは非常に一般的なものとなったようです その頃、偶然に引いた<Fortune Cookie>で今も忘れられない言葉があります <If you think you can,you can!> (あなたが出来ると思えば、それは可能になる) 私はいつも、その言葉を糧として今までやってきたような気がしますタイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.09
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<私のお気に入りスポット(箕面2)> 箕面山の山深くに勝尾寺があります 車から降りると冷たい風が吹いてきましたここは2~3℃温度が低いようです 勝尾寺に来たのは40年以上も前でしょうか? すっかり変わっているのでビックリ・・・とっても綺麗になっています 来る途中の道で猿がたくさん遊んでいました 車が通っても平気な顔で道の真ん中にいるのです 猿の為に車の渋滞です・・・ そういえば<モンキー煎餅>も箕面の名物です 孫悟空のような可愛い顔が書いてある煎餅ですどの店でも同じ顔?不思議です・・・ 駐車場が混んでいてやっと車を停めました 寒いので、小さなお子さんが毛布を巻きつけて歩いています 毎年お参りに来ているのでしょうか?ご高齢の人達が杖をついて石段を上がっています 私達も人波に押されながら厄除け祈願をして、今年の干支<猪のお守り>を 買いました <勝尾寺の開基> 双子の兄弟、藤原善仲と善算が神亀4年(727年)に庵を結び修行している時 一人の修行者に出会いました。 この修行者は光仁天皇の皇子、開成皇子であったといいます。 兄弟は般若経の書写を開成皇子に託し、相次いで世を去りました。 開成皇子は宝亀6年(775年)に書写を完成し、堂を建てて経を納め、 十一面千手観世音菩薩を安置し、この寺を『弥勒寺』と命名したとされています。 その後、行巡上人の代に清和天皇の病気治癒の祈祷を行い、天皇の病が癒えたことから 寺の法力が王に勝ったということで、天皇が『弥勒寺』を『勝王寺』に改名したと いわれています。 しかし、寺側はあまりにも畏れ多いとして、『王』を『尾』に変え『勝尾寺』としたと 伝えられています。 勝尾寺が勝利祈願の寺として有名になったのは、源氏、足利氏など歴代の武将が 勝運祈願をしたことに由来しているそうです。 又、勝尾寺は真言宗の寺でありながら浄土宗の開祖とされる法然上人と深い関係が あります。 法然上人は既成の宗教集団から迫害を受けて四国に流されました。 有力な帰依者が多かったことから、約1年で配流が解かれましたが直ちに京に戻ることは 許されなかったそうです。 法然上人は京都に戻るまでの約4年間を、ここ勝尾寺の「二階堂」で過ごしたといわれて います。 法然上人は建暦元年(1211年)に許され京都に戻りましたが 翌年79歳で死去したそうです 大小の達磨があちこちに置いてあります 厄除け・受験・病気・選挙・スポーツ・芸事・商売など、あらゆる勝負の願い事に 勝ちダルマで勝運祈願をしているのです 私達の勝運祈願は?<馬券が当たりますように・・・> 清々しい気持ちで帰途につきました さあ帰ったら、熱々のお好み焼きを食べながらビールを飲みましょう!タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.06
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<私のお気に入りスポット(箕面1)> 箕面に来ています 「明けましておめでとうございます」とお屠蘇で新年の挨拶を交した後で 初詣は箕面山の< 瀧安寺>と<西江寺>へ行きました 昔ながらの<紅葉のてんぷら>を売る店が連なっている<滝道>を上がって行きます この<紅葉の天麩羅>何とも不思議な味がします 紅葉の葉を洗って一年間、塩漬けにして作るのだそうです 今日、店先で揚げているのは一年前の紅葉です 塩漬けにした紅葉をよく洗って塩抜きをし水気を拭き取って油で揚げます 天麩羅の衣は企業秘密で、店によって味は独特のものだそうですが・・・ 甘い味がします。お菓子みたいで美味しい~ この細い山道は箕面の滝まで2.8kmの行程で、途中に<瀧安寺>と<西江寺>が あります <西江寺>の裏手には、初日の出が見える絶好の場所があり、澄んだ箕面川には 小さな魚や鯉が泳いでいます 何て静かで綺麗なのでしょう 白鷺が一羽、川の畔にいました。最初は置物かと思ったのですが・・・ 羽を広げて、こちら側に来ました~! 皆、びっくり・・・ 箕面国定公園は、昭和42年に「明治百年」を記念して国定公園に指定され、 東海道自然歩道の西の終着点です 東の起点は東京都の高尾山です 公園は、箕面市北部の低山岳地帯(標高100~600m)に位置し昔から紅葉と滝で 有名な963haの地域です 大阪市近郊にありながら、およそ1,100種の植物と3,000種の昆虫を数える 「自然の宝庫」として自然観察やハイキングなど四季を通じて多くの人々が訪れています < 瀧安寺>に着きました この寺は、白雉元年(650年)、箕面滝で修行を積んだ役小角(えんのおづぬ)が 建立したとされています。 役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ)を開祖とする修験道では、 ここ「箕面の滝」は特別な場所だそうです。 葛城山で修行中(金剛山や生駒山とも言われていますが)、役行者は北に「光りを放つ山」 を見つけます。 その「山」が箕面山であり、箕面に入山した役行者はこの滝の向こうの龍窟に招かれました。 そこは龍樹菩薩の浄土であり、弁財天などを拝したのち神通力を持つようになったと 言われています。 そして役行者自ら龍樹菩薩と大弁財天の等身大像を造り、堂を建てたのが箕面寺であると 伝えられています。 場所を下流に遷し名を変えた箕面寺が、現在の瀧安寺です。 又この寺は、江戸時代に寺社などで流行った富くじ発祥の地でもあります 世界の“くじ”の歴史をたどると、約2,000年も昔、ローマ時代にまでさかのぼります。 しかし、今日のような“近代的富くじ”となると、時代はぐっと後になり、 約560年前のオランダで、町の建設や要塞構築などの資金調達のため“富くじ”を 発行した記録が残されています。 一方、日本の“富くじ”の起源は、約380年前の江戸時代初期。 摂津箕面のここ、瀧安寺で、正月の元旦から7日までに参詣した善男善女が、 自分の名前を書いた木札を唐びつの中に入れ、7日の日に寺僧がキリで3回突き、 3人の“当せん者”を選びだし、福運の“お守り”を授けたのが起こりとされています。 私も富くじを買ってみました 唐びつの中には、番号札が入っています 私が引いたのは1等?ではなくて・・・7等のタオルでした タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ただいまOPEN記念、送料無料サービス中
2007.01.03
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