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4月も今日で終わります。 今月初日から勤め始めた保育園の中にある一時保育室(昨年4月の開設)で パートのじいちゃんをしています。子どもたちは1歳から2歳の子どもたちです。 一時保育は、通ってくるお子さんの顔ぶれが毎日変わります。 保育者にとって大変といえば大変ですが、反対に一回一回が真剣勝負ですから、 あるしゅスリリングでもあり、その分独特の醍醐味もあり、 自分自身不断にスキルアップしていけるかという保育センスを磨く道場でもあります。 有り難いことに最近では家庭でお爺ちゃんっ子が昔より多くなっていますので『パートのじいちゃん』の私にとってはその分保育をやりやすいです。既に飛行場は下地ができているのですからあとは飛行機のソフトランディングの心くばりに努めればいいのです。 今年から入室したお子さんも、昨年に引き続きこの保育室に通っているお子さんの中にも、 毎朝泣くお子さんが何人かいます。 『ああ、日本中の保育園&保育室で泣いている子がいるのだろうな・・・』 大好きなお母さんと別れるのだから母恋しとなく思いは痛いほどわかります。 とりあえずは泣かせてあげます。だってなんてったってお母さん大好きなんですもの。 泣く子をあやしつつも心掛けているのは、なるべく長泣きしないで遊びを見つけてほしいと 心に念じつつ一人一人の『泣き』の心情に向かい合います。 何故泣いているのだろうかの理由は『母恋しの悲しみ』で泣いているだけではありません。 ほかの理由として考えられるのは、その子が感じ取っている『不安』『心配』です。 不安を凌いで安心をつかむ過程で、その子が何に興味を魅かれるか、 何が好きで何が好みでないのか、保育士のセンサーは多極的に見取っていきます。 子どもたちは力士の如く、新しい環境という土俵の真ん中で『不安』や『心配』とがっぷり四つに 相撲を取っているのです。保育士は『安心』という軍配を構えて「ハッケヨイノコッタノコッタ」 子どもが遊びだして笑顔が出たら『勝負あったー。安心の勝ち~~』 安心は子供自身が心の内側から自らつかみ取って定着するものですから 大人が子供の心の外側から押し付けても本物には至りません。 子どもさんたちとの間で『安心』を見つけやすくするような「共通言語(共有言語)」や「動作」を作り出していくのはパズルを解いていくときのような醍醐味があります。 『安心』に立ち戻れるためのアイテムの言葉や言葉を伴ったアクションとしては、 背中をトントンしながら『だいじょうぶ(だよ)』と囁いたり、『お昼寝しておやつ食べたらママお迎え来るよ』、おもちゃをはいどうぞと手渡したり、さらにまた、はいどうぞとリプレイの繰り返しを多用します。子どもは繰り返しが大好きです。やりもらいの循環は喜びを活性化します。 子どもから差し出されたら「ありがとう」と一旦受け取って、またそのおもちゃを、『はいどうぞ』と手渡して循環させます。 保育者はなんかかんか用事のたびに保育室の出入り口を日に何度も開け閉め出入りします。 せっかく安心を見つけかけて遊んでいたものの、ドアの開閉を見るたびに母恋いしを再燃させます。とりわけ部屋を出ていくときには事務的に出て行くのはご法度です。 悲しみを思い出しかけている子供さんからのオーラを背中越しに感じたら、そんなときは手のひらを大きく開いてパーを作りその子の手のひらを受け止め「たっち!」をし、「行ってきます」「すぐ帰るね」と言葉を添えます。タッチをすると子どもの哀しみの根雪は雪解けの陽だまりに換わります。 部屋に戻ってくるときにも事務的にドアは開けません。 必ず「ただいま~」といいます。黙って凝視している子には「『おかえり~』って・・・たぁ~ち!」 「いっ・てき・まーす&いって・らっしゃい」「ただいまー&おかえり」のことばをやりもらいできる人間関係を大切に育んでいきたいです。食事場面では個別への言葉かけの他にテーブルを共にしている仲間全体に対して「たべ・てる・かーい」&「たべ・てる・よー」「おい・しー・かい」&「おい・しー・よ」が育ってほしいものです。会話のひな型は示しますが、押しつけはしません。コミュニケーションが深まれば『安心』は増大します。 このひと月でかなり泣き声が激減しました。長泣きし続ける子はほとんどいなくなりました。 有り難いことです。毎日出勤するのが楽しい職場です。
2016.04.30
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今夜の発見です。味覚再発見。意外なほどに日本酒に合うのです。 お金がない、あるいは所持金が心もとない…となれば、酒の当てを変えるまでのこと。 スーパーの営業の閉店に近い時間帯に買い物をします。 『半額』のレッテルが、もとい、半額のシールが貼られているパックに入った惣菜やら弁当やらのコーナーをざっと見ます。私流に言いますと「半額反応ショッピング」といいます。 たんなる節約経済というのではなく、市民運動としての廃棄前食品の購入消費、という意識でもう長いこと以前から実践行動してきていました。 そうこうしていましたらこの間ラジオのトーク番組で小耳にはさんだのですが『フードレスキュー/私をおうちに連れてって』というキャンペーンが始まっているらしい。なんでも、連日店頭で売れ残った食品の廃棄処分される総量が膨大なものらしく、これに対して賞味期限間近であってもまだまだ十分に食べられる食品群に対して起こしたアクションらしい。いい訳でもなく強がりでもなく私のささやかな市民運動(半額ショッピング)は「フードレスキュウ」でもあったのです。 たまたま今夜はお金も乏しかったし、悠長に買い物する時間も作りそびれていました。 そこで、冷蔵庫に備蓄していた『梅干し(正確には梅漬け)はちみつ漬け』を酒の肴に、あと、たべるにぼしをつまみに軽く晩酌しました。そしたら、日本酒に『梅干し』が思いのほか似合うのです。 梅干し(紀州南高梅)は店頭で売られていた時のパック(約300グラム入り)のままで食卓に乗せましたので、パックのふたを開けると、さてどれをつまもうかなと『迷い橋』するくらい一粒一粒が個性的な顔をしていているのです。「私を食べて」「僕こそあなたの晩酌にふさわしい」などと、一粒一粒がアッピールしてきます。 スーパーの半額弁当をレンジでチンする前に「たべるにぼし」と「うめぼし」を肴に2合ほど日本酒しました。
2016.04.24
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トウモロコシでもなく、サトウキビでもない、人間の動作や動きに絡まった『きびきび』のお話です。 きびきびその1 行きつけのスーパーのレジのお兄ちゃん、多分、夕方から閉店まで(?)のアルバイトさんです。 彼のレジチェックがこれまたシャープでキビキビで気持ちがいいのです。若いエネルギーにあふれたレジなのです。 勤務していない夕方もありますが、姿を見つけたときには隣近所に空いているレジがあっても彼のレジに並びます。 レジの会計が済んで私より後ろに他のお客さんが並んでないときには毎回質問を1~2個します。大学生なのかなと思っていたら高校を卒業したてだそうです。 お父さんの年齢をうかがいましたら私よりも一回り(12歳)も若いそうです。 趣味はと訊いたら「ダンス」だそうです。 エグザエルみたいなの目指しているの?と彼の夢を問いましたら爽やかに『はい』と一言。 若さっていいね、可能性にあふれているよね。 「夢は持っている限り自分のものだし、原料値上げも消費税もかからないから夢は簡単に捨てないでね」とエールを送りました。 きびきびその2 私は洗濯はもっぱら近所のコインランドリーでしています。たいていは深夜か極めて早朝の時間帯に利用します。ほかの利用者がいない時間帯であれば、コインランドリーは朗読の練習に格好の場所なのです。たまたま今日は土曜日の朝8時半過ぎに利用しました。 洗濯物の出し入れの手間の時間プラス選択槽が500円で21分、乾燥機が300円で24分、洗濯物たたみが25分、大体1時間30~40分ぐらいは滞在します。 店内の清掃やら機械のメンテナンスをするスタッフのおばちゃんが連日10時から午後3時くらいの間詰めています。今日の担当のおばちゃんは私の年齢プラスマイナス前後3年くらいの方でした。 洗濯物をたたみながらちらちら人間観察しました。 この方の動きがきびきびでした。先ず何より驚くほど姿勢がいいし、姿勢がいいから歩き方もスッスッス。テンポはややゆったり目ですが、ながれるような動作には『若さ』からくるきびきびとは一味も二味も違う芳醇なきびきび感。動きに迷いと無駄がないのです。働きもんなのでしょうね。 感応して私の背中も伸びました。幸せな気分と元気をもらいました。
2016.04.23
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片道1時間50分ほどかかる職場に移りました。駅からは私電を3路線乗り換え乗り継ぎます。しかも通勤ラッシュといわれる時間帯のど真ん中にです。 駅までの道は極力徒歩で通っています。 というのは路線バスはその日その日の交通事情で大幅に遅れたり、バス停に時刻表通りに近いぴったり近辺の到着をしたりでムラが大きいことと、はたまた途中の交差点から駅までの区間がいきなり大渋滞に巻き込まれて駅への到着時間がこれまた大幅に変動するetcで、時間にゆとりのない時などに乗り合わせていた日には定めし大きなストレスとなることは疑う余地もありません。 それならば自分の二本の足でさっさか歩いたほうが確実です。 ちょいと大股気味に足の指5本で大地を鷲掴みし地表を掻き毟るようなイメージで歩きます。 近所にアトリエを持つ石彫家の友人が十年くらい前「駅まで歩くと46分かかる」という話を小耳にはさんでいましたので所要時間は最低その位はかかるものと心を決めて歩いていました。 内心「筋トレ筋トレ」と呪文を唱えるように自分の身体に言い聞かせながら、わき目も振らずにせっせこ、さっさこ歩きます。すると徒歩約36分で駅まで着けることが判りました。 これには靴が力を発揮しています。自分で改良した特製の靴です。 靴本体は靴屋やホームセンターなどの靴売り場で売っているような高級なスニーカーではなく、作業用品屋などで販売されているで極めて廉価な軽くて靴底の薄ぺらい靴を買い求めました。数か月なり、一年未満で履き潰しても惜しみなく買い替えられるからです。 が、しかしこの靴、どうも歩いていて疲れるというか足底が痛いのです。 歩いた後に疲労感も残ります。歩いていて足裏が痛いので快適ではないので楽しくありません。 そこで奮発して靴の中敷きをおごりました。 靴本体の値段と大差ない位の反発素材の厚手の中敷きです。 これがまた非常に馬鹿ッ調子いいのです。歩いていて楽しいのです。 出勤前、毎朝戸外でラジオ体操をしています。特製のアレンジスニーカーで体操して気づいたことがあります。ラジオ体操第一の一番目の動作『背伸びの運動』この動作が意外と難しくて、これまでしばしば動作中によろけて背伸びしきれずにいました。 よろけながら体操していたのですが、靴の中敷きをアレンジしてから、ここでも靴底が力を発揮してくれます。背伸び運動しても靴底が踏ん張ってくれて全くよろけなくなりました。
2016.04.19
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近所の道端ですが10年以上前から毎年咲いている場所を知っていましたから、5年前「来年は花が咲き出す前に数株移植しよう」と思って行動を起こしたらなんと地主さんが草刈機で全部刈り込んだ後でした。願いかなって4年前にその場所(近所の道端)から移植を試みました。やれ嬉しやと安堵しておりましたがこの年はうまく根付きませんでした。諦めずに翌年(3年前)に再び3株移植をしました。この時は上手く根付き次の年(昨年)5株に増えました。堪能しました。そして今年は実に嬉しいことに53株に増えました。当然30メートル位の敷地の際のあちこちに植え直し、最盛期には黄色の花があっちにこっちに点在し私の朝を寿いでくれることでしょう。囲碁の盤面に石を置きスペースを演出するような感覚です。意外にも今週の初めに一輪咲いた後の薄赤くしぼんだものを発見しました。おやせっかく咲いてくれたのに見落とした、残念今朝咲いたんだな、と判り翌朝からは丹念に点検し始めました。そして今朝も昨日の朝もその前もあっちでこっちで毎朝一輪ずつ咲いています。勿論半数以上の株にはたくさん花芽が来ていますから来週以降は毎朝数輪咲き出します。その次の週には数十輪以上咲き乱れることでしょう。そう思い描くとワクワクして来ます。この花は早朝から花開き昼頃にはしぼみ始めます。見事に爽やかな黄色でパワーをもらえます。毎朝7時ころには出勤し日中は留守となる今度の生活(4月から職場を変えました)にもってこいの花です。
2016.04.16
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先日3/26(土)第8回ワンコイン朗読会で朗読しました。一本木の野原の北のはずれにある綺麗な女のカバノキにそれぞれ恋心を抱いている「狐」と「土神」の物語。結末は土神がきつねを捻り殺して終わります。決してハッピーエンドではないこのお話の最後に、たとえティースプーン1杯分にも満たないほどの『救い』であってもそれを表現することができたらと様々な試みをして日々の稽古でかなり格闘できた作品です。今回この作品の朗読に関しては特に『原作の一字一句を忠実に声にする』というスタイルをとりやめにしました。喜怒哀楽の『笑い声』や『泣き声』をいわばラジオドラマの中で用いられる効果音の一つの如くに積極的に取り込んで全体を構成して朗読してみました。効果音を「より効果的に生かす」にはなるべくぎりぎりのところまで挿入を我慢し絞り込んで極少の添加を心掛けてみました。読み終えた達成感は勿論有りますが、今回の朗読会でゴールインしたというよりもむしろここから新たにスタートしたような気分です。例えば、マラソンランナーが大会に出場してレースを完走したとしてそれで終わりではない。次の大会、其のまた次の大会にチャレンジする心持ちにどこか似ています。『土神と狐』という作品はまさにそのような作品です。今後何年間かかけてさらに深く仕上げていきたいと思っています。とことんのところで自分自身を信じることのできないキャラとして狐も、土神もこの物語に登場してきます。その二人の個性がややこしく絡み合ってその挙句に狐は土神に殺される。もしくは土神がきつねを殺してしまう。土神は衝動的にきつねを殺してしまうのだが、殺してしまったその直後、土神はきつねの大ウソを知り、大ウソに振り回されていた自分自身を悟り、大ウソをつかずにはいられなかったきつねの悲しみを感じとった。もう止めようもなく泣かずにはいられない土神が居る。慟哭する土神の「泣き声」と「泣く」という根源的な行動の深淵に踏み込めるようになるまでにはまだまだ私の稽古は足りません。仕事がら保育で3歳児が『ダダコネの大泣き』をする場面とたびたび向かい合います。賢治さんの『土神ときつね』という作品の朗読に取り組んでいて気づかされたことといえば、私は「ダダコネの大泣き」にどこまで本気で向かい合ってきたか、どこまで本気で向かい合おうとしてきたのかと猛省しています。土神の泣きに肉迫できる契機をこんなにもっていながら今一つ共感の内側に踏み込めない現段階の私です。
2016.04.01
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