ある後追いファンが語る河合奈保子さん

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2024.11.30
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最初に訂正のお知らせになりますが、過去の記事でLaurel Fayを「ファーイ」、Richard Taruskinを「タルスキン」と表記していましたが、いくつかの動画を確認した結果それぞれ「フェイ」「タラスキン」のほうが適切と判断し、ひととおり修正しています(見落としている箇所があるかもしれませんが…)。なお、私がフェイの表記を修正するきっかけとなったダニエル・エルフィック氏の動画 "​ The Shostakovich Wars ​" は、『ショスタコーヴィチの証言』(以下『証言』)を巡る論争について簡潔かつ的確に解説しており、英語に抵抗のない方にはおススメです(再生回数の少なさを気にする必要はまったくありません)。

さて、以下は前回の記事に続いて、"SHOSTAKOVICH RECONSIDERED"(以下『再考』)に反論するエレナ・バスネル(ヴェニアミン・バスネルの息女)による記事「体制と卑俗」について紹介します。

エレナ・バスネルによれば、彼女の父をもっとも憤慨させたのは、音楽家たちの間で出回っていたあらゆる種類の逸話の類が、ソロモン・ヴォルコフによる『証言』の中ではショスタコーヴィチ自身の口から語られたことになっていたことでした。ショスタコーヴィチが逸話の類には「我慢がならない質」だったというエレナ・バスネルの主張については、エリザベス・ウィルソンの著作 ”SHOSTAKOVICH A Life Remembered” やマキシム・ショスタコーヴィチの回想(マキシムの友人ミハイル・アルドフによる著書)などを参照するといささか疑問があり、彼はむしろ風刺めいた、あるいは他愛のない冗談のようなエピソードを繰り返し語るのを好んだようです。しかし、『証言』の中で語られている話の大半は、当時の西側の読者にとっては新奇なものであっても、ソ連の音楽家たちの間では周知の噂話や逸話が多いという点については、マキシムやロストロポーヴィチらのコメントからも窺えます(なお、ロストロポーヴィチについては、別に改めて書くつもりです)。
「体制と卑俗」によると、ヴァインベルク、ティシチェンコおよびバスネルの3人に関しては、「見え透いた偽物」(以下「偽物」)の記事への署名にあたり、当局から何らかの圧力があった可能性は「完全に論外」である(すなわち自らの意思で署名した)と述べています。残りの3人について言及していないのは、彼らが強制されたと言うことでは必ずしもなく、単にエレナ・バスネルには知見がなかったためと見たほうがよいでしょう。そして、彼女は当時のソ連においてしばしば当事者の意思に反して非難記事への「署名」が行われた点を踏まえつつも、「偽物」の記事に関しては、それはあてはまらないと主張しています。
さて、このように「偽物」の記事への署名に関するエレナ・バスネルの回想と『再考』の内容は真っ向から対立しているわけですが、どちらが信用に値するでしょうか。署名が強制されたものだとする『再考』の記述は推測と伝聞にもとづくばかりでなく、これまで縷々指摘してきたように、各種文献から恣意的な「切り取り」を行い、あまつさえ元の記事に操作を加えて文脈を改変しようと試みるようなレベルの内容(本記事​ 「その5」 ​参照)に信が置けないことは、少なくとも私にとっては自明といえます。
なお、エレナ・バスネルは最後に、記事のタイトル「体制と卑俗」の意味に関わる点について言及しています。彼女は、音楽家であれ、そうでない人であれ、ショスタコーヴィチが「親ソ」であったか「反ソ」であったかが最も重要な問題であるような人々を「気の毒に感じる」と述べています。そして、ショスタコーヴィチの交響曲第五番のフィナーレ(いわゆる「強制された歓喜」)や交響曲第十番のスケルツォ(「スターリンの音楽的肖像」)に関する『証言』に述べられた言辞は、「プリミティブで単細胞レベルの理解」である、とかなり強烈な批判を述べています。そして、彼女にとって堪えがたい「卑俗さ」が「体制に反対する闘士ではなかったが、その存在の本質においてあらゆる種類の卑俗さに抵抗した」ショスタコーヴィチに対して浴びせられようとしている、と述べた上で、交響曲第十番のスケルツォ(第二楽章)は天才の作品であり、卑俗さに対する抗議であり続けるだろう、と言います。
少し違う観点から、私もまた、交響曲第十番のスケルツォが「スターリンの音楽的肖像」であるなどと言うのは、極めて貧困な発想としか思えません。何故なら、実際にスターリンによってなされたことは、残念ながら音楽で表現できる次元をはるかに超えているのであり、それはペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」がいかに痛切な音楽であっても、実際に広島で起こった惨禍を表現し切れるものではないのと同様です。仮にショスタコーヴィチが、交響曲第十番のスケルツォを「スターリンの音楽的肖像」として表現しようとしたと言うのであれば、それは確かに「卑俗」としか言いようがないでしょう。
<参考文献>
Alan B. Ho and Dmitry Feofanov編著 "SHOSTAKOVICH RECONSIDERED"
Malcolm Brown編著 "A Shostakovich Casebook"
Elizabeth Wilson "SHOSTAKOVICH A Life Remembered" 





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最終更新日  2024.11.30 00:00:23
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