エレナ・バスネルによれば、彼女の父をもっとも憤慨させたのは、音楽家たちの間で出回っていたあらゆる種類の逸話の類が、ソロモン・ヴォルコフによる『証言』の中ではショスタコーヴィチ自身の口から語られたことになっていたことでした。ショスタコーヴィチが逸話の類には「我慢がならない質」だったというエレナ・バスネルの主張については、エリザベス・ウィルソンの著作 ”SHOSTAKOVICH A Life Remembered” やマキシム・ショスタコーヴィチの回想(マキシムの友人ミハイル・アルドフによる著書)などを参照するといささか疑問があり、彼はむしろ風刺めいた、あるいは他愛のない冗談のようなエピソードを繰り返し語るのを好んだようです。しかし、『証言』の中で語られている話の大半は、当時の西側の読者にとっては新奇なものであっても、ソ連の音楽家たちの間では周知の噂話や逸話が多いという点については、マキシムやロストロポーヴィチらのコメントからも窺えます(なお、ロストロポーヴィチについては、別に改めて書くつもりです)。