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前の記事で、河合奈保子さんの初期のシングル曲の振付について書いたので、その後の曲の振付について書こうと思います。筒美京平さんと売野雅勇さんのコンビによる「エスカレーション」以降のシングル曲では、それまでの曲に比べると動きの大きな振付が目立つようになる印象があります。といっても以下の記事、言葉で説明してもわかりづらい部分が多々あると思いますので、もし見たことが無い方(この記事を読んでくださっている方にそんな人がいるかわかりませんが…)は、映像を確認していただければと思います。左手でマイクを持つ奈保子さんの場合、右手の振りが中心になることは前も書きましたが、「エスカレーション」ではほぼ全曲を通して右手のアクションが付いた振付になっています。間奏でオケのコードに合わせて繰り返し右手を真っすぐ高く掲げるところが特にポイントでしょうか。ちょっと余談ですが、1990年代の「ザ・ベストテン同窓会」で、奈保子さんはダチョウ倶楽部の3人をバックダンサーとして「エスカレーション」を歌っていますが、ダチョウ倶楽部の振付も奈保子さんのオリジナルの振りをアレンジしたような形になっていました。あと「エスカレーション」の「ダンサー」と言えば、何といっても「ザ・トップテン」のプールに出現したドイツ人が外せないところでしょうか(笑)。「エスカレーション」ではどちらかと言うと「縦」の動きが目立った印象がありますが、続く「UNバランス」では「横」の動きが中心の振付でした。平メロの部分ではあまり大きな動きはないのですが、サビの部分で右手を水平にして横に流れるような動きが特徴的です。おそらく「バランス」というワードから着想を得たのだと思いますが、私はこれを見るとついサッカーのメキシコ代表チームが国歌斉唱時にやる敬礼(?)を連想してしまいます。。曲の終わりでは右手を斜めにクロスさせるような振りを入れて、最後に高く上げてから折りたたむのですが、たしか「夜のヒットスタジオ」でここのタイミングを取り間違えて本来と異なる振りになって苦笑いするシーンがあったと記憶しています。こういう生演奏ならではのハプニングも魅力の一部だと思いますので、頼むから「夜ヒット」のボックスを(以下略)。次の「疑問符」は落ち着いたバラード系の曲ということで振りはほぼ無かったかと思います。振付ではありませんが、85年の「レッツゴーヤング」ではピアノ弾き語りで「疑問符」を歌っており、これはNHKの「河合奈保子プレミアムコレクション」に収録されています。ちなみに、この「疑問符」弾き語りの後、奈保子さんは続けて中森明菜さんの「セカンド・ラブ」のピアノ伴奏をしています。「プレミアムコレクション」の映像では、疑問符の演奏後、「セカンド・ラブ」のために素早く譜めくりをする奈保子さんの姿が映っています。「微風のメロディー」はまた一転して明るくポップな曲調ですが、こちらも振付はおとなしめで、しいて言えばサビのところで膝の動きでリズムを取るあたりが特徴でしょうか。続く「コントロール」はアップテンポのアグレッシブな楽曲ということで、イントロでのステップや、サビに入るところで膝を上げるアクションが入ったりしますが、歌唱中の動きはそれほど大きくありません。想像でしかありませんが、この曲は特にサビの部分でフルパワーでの歌唱が続くため、あまり大きなアクションは入れられなかったのではないかと思います。「夜のヒットスタジオ」など、フルコーラスで歌った後は若干肩で息をするような場面もあったように思います。ポイントとしては「コントロールやめて」のところで右手を前に伸ばして手を回転させる振りでしょうか。イントロの「コントロール」のコーラスでも同じ動きを入れているので、「コントロール」というワードから連想した振りのように感じられます。ちなみに、この曲の最後も「メキシコ代表ポーズ」で締められます。次のシングルは「唇のプライバシー」ですが、奈保子さんの大ファンであるシャンソン歌手のソワレさんが『タモリ倶楽部』に出演した時の放送「 “河合奈保子”振り付け祭りの特訓現場に潜入!!」でのランキングで一位になっているのが「唇のプライバシー」だったことを、とあるウェブサイトで見ました。私もこの順位には完全に同意したいと思います(笑)。ポイントはいろいろあるのですが、何といっても特徴的なのはサビの最後の部分「唇のプライバシー」のところで入れる右手の動きでしょう。歌詞の「唇」の入りのところで手を開いて顔の前にかざし、その後「のプライバシー」に入る前にこれを横向きの「チョキ」の形に変えて横に流していくのですが、ここでの艶のある歌声と相まって、一度見たら忘れない印象的な振りになっています。この「パー」から「チョキ」の動きは、バックのオーケストラヒットに合わせているのですが、生放送で演奏ごとにテンポが違う中でもタイミングを外さないのはリズム感の良さの表れでもあるかと思います。この後アウトロで横を向いてやや複雑なアクションを入れ、最後に再び右手を顔の前にかざして締めくくります。この手の動きは「唇」や「プライバシー」からの着想と思いますが、考えた人は天才です、と言ったら大げさでしょうかね(笑)。さて、テレビでのインタビューなどを見ていると、河合奈保子さんは自他共に認める「運動音痴」であったようです。たしかに、ミュージックビデオなどで走っている映像を見ると運動神経が良さそうには見えませんし、合宿中も施設にあるプールで「泳いだことがない」と言ったりしていることからも、積極的にスポーツをするタイプではなかったようです。ですが、特に「エスカレーション」以降の振付や、その後のライブパフォーマンスなどを見ていると、決して「運動音痴」という印象は受けません。もちろん、激しいダンスを交えながら歌うというようなことはないものの(といってもライブでは派手に飛び跳ねながら歌っていたりしますが)、テレビやライブでのパフォーマンスからはむしろ運動神経が良さそうに見えるのは、基本的にリズム感が良いことと、手や足の動きに「緩み」がなく、メリハリの効いたアクションをされていることによるものと思われます。ということで「北駅のソリチュード」以降の振付については、また記事を改めて書くつもりです。
2024.10.31
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河合奈保子さんのアルバム『DAYDREAM COAST』は、既述のとおりデイヴィッド・フォスターらが参加して初の海外レコーディングとなりました。アルバムはA面が「SURF SIDE 5」、B面は「WIND SIDE 5」という副題が付いています。「SURF SIDE」はいかにも西海岸的な明るいロックナンバーの「IF YOU WANT ME」に始まり、アダルトな雰囲気の「SECOND NATURE」とデイヴィッド・フォスターとのデュエット「LIVE INSIDE YOUR LOVE」を挟んで、ライブでも良く歌われた「I LOVE IT」「ANGELA」という曲順です。「WIND SIDE」のほうはリズムワークが目立つ「WHAT COMES AROUND GOES AROUND」に始まり、ピーター・セテラとのデュエット「LOVE ASSISTANT」、個人的には『NINE HALF』に入っていても不思議はない印象の「WISDOM RIDE」と続き、最後の2曲「HOME AGAIN, ALONE AGAIN」と「AS LONG AS WE'RE DREAMING」の2曲はバラードです。そういえば、奈保子さんのアルバムはバラードで終わる構成のものが多く、「Twilight Dream」「Sky Park」「ハーフムーン・セレナーデ」「FOR THE FRIENDS」など、世間一般にとってはともかく、ファンにとっては忘れがたい曲が多いのが特徴ではないでしょうか。変わったところでは企画アルバム『愛・奈保子の若草色の旅』の終曲「車窓」も隠れた名曲と言ってよいでしょう。アルバムでは最後に収録されていた「AS LONG AS WE'RE DREAMING」ですが、ミュージックビデオとして発売されたVHS版『DAYDREAM COAST』では冒頭に配されており、間奏とアウトロが長いロングバージョンとなっています。いっぽう、アルバムとは異なる英語バージョンの「AS LONG AS WE'RE DREAMING」がビデオの最後に収録される形を取っていました。これらミュージックビデオに使用されたバージョンは、後に発売されたSACD盤のボーナストラックとして収録されています。さて、アルバム『DAYDREAM COAST』の楽曲にはいずれも日本語のタイトルが付いていますが、「AS LONG AS WE'RE DREAMING」の日本語タイトルは「夢が過ぎても」です。原題を直訳すれば「私たちが夢見ている限り」ですので、これを「夢が過ぎても」と訳してしまうのは「意訳」というより「超訳」に近いのですが(少なくとも英語のテストならバツをもらうでしょう)、私はありだと思います。後のアルバム『NINE HALF』で「SAY IT WITH YOUR LOVE」を「何も言わないで」と訳してしまう売野雅勇さんならではの手法でしょう。「エスカレーション」を始めとする奈保子さんのシングル曲では刺激的な内容の歌詞が目立つ売野さんですが、アルバム作品では魅力的な詞を数多く書いており(いや、シングル曲の詞が魅力的でないと言うつもりは無いのですが…)、この曲もサビの「消えてゆく夢の前では 誰もやさしくなるわ」「ふたりであの日見ていた夢を 忘れないでね」といった歌詞が、使っている言葉自体は何の変哲もないのですが、高音から徐々に下降していくメロディーに乗ると、とても印象的に聴こえます。この「消えてゆく夢の前では…」の英語バージョンの詞は、私の貧弱なリスニングゆえかなり心許ないのですが「As long as we're dreaming there're some have their meaning it's all that it's seeming to be」と聴こえます( "its all that" の後はかなり自信ありません…文法的には"it seems to be" のほうが自然ですが、奈保子さんの歌は"seeming" のように聴こえます)。大雑把な意味としては「わたしたちが夢見ている限り そこには何かしら意味があり それがすべてじゃないか」みたいなかんじかと思われます。「ふたりであの日見ていた…」は「As long as we're trying ther's no denying…」という歌詞を反映しているように感じます。英語詞の場合、一つの「音符」に対して「音節」が対応し、場合によっては "we're" のように複数の単語を入れることができますが、日本語の場合、基本的には一つの音に一つのカナ音(専門的には「モーラ(拍)」と呼ぶようです)しか入れられないため、原詞に忠実な日本語の歌詞にするのは元より不可能なので、ここは訳詞者の腕の見せ所ということになります。"As long as we're dreaming…" という詞には、夢(dream)が過ぎてゆくものであるからこそ、そこに意味を感じ取ろう、というようなニュアンスがあり、それが「消えてゆく夢の前では 誰もやさしくなるわ」という形に汲み取られたのではないか、と私は想像しています。歌詞の話がいささか長くなりましたが、奈保子さんのバラードに関して、歌い方がどうのと贅言を要するのは野暮というものかと思います。しいて言えば、この曲はAORらしくメロディー構成がシンプルですが、低音の平メロに対して、サビでいきなり高音のド(C)に飛ぶところと、本作では積極的に使っているヘッドボイスを最後のロングトーンで聴かせるところがポイントでしょうか。こうした歌唱法は、2度目のL.A.レコ―ディングとなった『NINE HALF』でさらに洗練されることになりますが、それはまた後日ということで。
2024.10.30
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先日、出張のため休日に結構長時間の電車移動があったのですが、その移動中に久しぶりに聴いたのが『Ys I & II 完全版』のサントラでした。私が持っているのはMP3版で、基本的にすべての曲が2ループ分入っており、全56曲、トータルで実に3時間12分に及ぶ大ボリュームです。さすがに一気に全曲を聴き通したわけではありませんが、改めてその魅力に浸りながら聴き入ったのでした。もともとPC-88用のゲームとして制作された『Ys(イース)I』と『Ys II』は、その後さまざまなプラットフォームで再販されており、家庭用ゲーム機ではファミコン、PCエンジン(米光亮さんがアレンジを担当)などに移植されたほか、Windows向けのリメイクとして『エターナル』『完全版』、PS2版の『エターナルストーリー』に加えてPSP版の『クロニクルズ』と様々なバージョンがあり、BGMのアレンジもそれぞれ特徴があります。中でも私が特に気に入っているのが『完全版』で、これは『Ys エターナル』と『Ys II エターナル』を一本化したものですが、『Ys I』は「エターナル」のアレンジをベースとしつつ再アレンジが施されています。『Ys II』のBGMに関しては「エターナル」と「完全版」は同じものが使われています。後にPSPで発売された『Ys I & II Chronicles』では、BGMモードをPC-88版、オリジナルモード、クロニクルズモード(新アレンジ)の3種類から選ぶことができましたが、このうち「オリジナルモード」は『Ys I & II 完全版』と同じものです。私が持っているのは、この「オリジナルモード」がMP3で販売されたもので『Music From Ys I & II Chronicles (Original mode)』という、ややこしいタイトルになっています。さて、『Ys I & II 完全版』のアレンジの特徴は、FM音源のサウンドを多用しながら原曲のアレンジをバージョンアップしている点にあります。ファルコム作品のBGMは、1996年の『英雄伝説IV 朱紅い雫』や『ブランディッシュVT』を最後にFM音源からMIDIに移行していましたが、2000年代に入ると再びFM音源のサウンドを取り入れるようになり、『Ys II エターナル』でもFM音源が前面に出たアレンジとなりました。『Ys I & II 完全版』発売にあたり、『Ys I エターナル』のBGMが再アレンジされたのは、MIDIサウンドから『Ys II エターナル』と同じFM音源を取り入れたアレンジに変更して統一感を持たせるためだったと考えられます。私が持っているMP3版は、全曲が2ループ収録されていると最初に書きました。もともと古代祐三さんが作った楽曲は、1ループがそれほど長くないものが多く、中には「TEARS OF SYLPH」のように5小節しかないような短い曲もあるのですが、「完全版」のアレンジでは1ループと2ループでアレンジを変えたり、さらにブリッジまたはコーダ的なパートを追加するなど手を加えているため、曲によっては非常に長く、2ループで5~6分かかるものが少なくありません。元が1ループ5小節、2ループで1分もかからなかった「TEARS OF SYLPH」の場合、大きく引き伸ばして2ループで3分半弱になっています。古代さんによる原曲のエッセンスを損なうことなく、そこに音楽的な「展開」を加えることで、『Ys I』と『Ys II』の楽曲たちが理想的な「発展形」で生まれ変わったと言えます。FM音源だけでなく、要所にはエレキギターなども取り入れており、たとえば『Ys II』のラストバトル「TERMINATION」では主旋律にFM音源を使いつつギターとドラムも使ったヘビーなバンドサウンドになっており、間奏部ではエモーショナルなギターソロが聴けるなど、文句のつけようが無い素晴らしいアレンジになっています。演奏時間が実に7分42分と、ゲームミュージックとしてはけた違いに長いのですが、まったく飽きの来ない仕上がりです。また、曲をただ引き伸ばすだけではなく、激しい曲の中にも「静」の要素を取り入れたりと起伏の付け方も巧みです。「TERMINATION」に限らず、サントラ全体を通じてドラムや打ち込みビート系の音、その他パーカッションが抜けの良いクリアな音作りになっているのもポイントです。『Ys I & II Chronicles』で新アレンジを手掛けた神藤由東大(じんどう ゆきひろ)さんには申し訳ないところですが、私にとっては『Ys I & II 完全版』はサウンドも文字通り「完全版」と言うにふさわしく、これを超えるものは他にないと思っています。今後、新たな『Ys I & II』のリメイクが行われるとしても『完全版』以上のものを作るのは非常に難しい、というか、サウンドに関してはこれ以上リアレンジする必要はないと、個人的には感じています。ちなみに、神藤さんはFalcom Sound Team j.d.k.の社外スタッフとして、ファルコム作品のBGMに多く携わっていますが、もともとクラシック畑の出身であることもあってヴァイオリンを使った楽曲やオーケストラ風のアレンジを得意としています。『クロニクルズ』で一部ボーカルアレンジを導入したことについては、ファンの間で賛否両論あったようです(これが神藤さんの意向によるものかは不明ですが)。私はさほど目くじらを立てることではないとは思いますが、『Ys』シリーズに関して、ボーカル入りの楽曲は作品の世界観にそぐわない、という感覚はたしかにあります。と言いつつ、『パーフェクト・コレクション イース』に収録されている、南翔子さんが歌った「Endless History」(『Ys I』のエンディング曲「THE MORNING GROW」のボーカルアレンジ)は名曲だと思います。ところで『Ys I エターナル』と『Ys II エターナル』のオープニングムービーは、じつはアニメーション監督として有名な新海誠さんが手がけています。Wikipediaの記事によると、彼は学生時代から日本ファルコムでアルバイトをしており、そのまま入社してオープニングムービーの制作などに携わっていたようです。その新海さんによる現時点での最新作『すずめの戸締り』では劇中で河合奈保子さんの「けんかをやめて」が使用されて話題になったそうですが、私がこの話を知ったのはわりと最近だったりします…
2024.10.29
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河合奈保子さんの9枚目のアルバム『DAYDREAM COAST』は1984年8月28日にリリースされました。初のL.A.レコーディングとなった本作は、有名プロデューサーのデイヴィッド・フォスターがアレンジ、キーボード、デュエットで参加、他にもTOTO(トト)のメンバーであるジェフ・ポーカロ(ドラム)とマイク・ポーカロ(ベース)の兄弟、シカゴの元メンバーであるピーター・セテラ(アルバム帯の表記は「セトラ」)、マイケル・ランドウ(ギター)などのミュージシャンが参加しています。作詞・作曲はトニー・ハイネス、アル・マッケイ、ラルフ・ジョンソンなど複数のメンバーがクレジットされていますが、訳詞はA面を竜真知子さん、B面を売野雅勇さんが担当しました。80年代には多くの歌手が海外レコーディングを行っていますが、奈保子さんは本作の後も翌年の『NINE HALF』、89年の『Calling you』と、L.A.レコーディングのアルバム3作をリリースしています。本作から『さよなら物語』『STARDUST GARDEN -千・年・庭・園-』『NINE HALF』までの4つのアルバムには、シングル曲が一曲も含まれていません。これらの作品に並行する時期、奈保子さんは筒美京平&売野雅勇コンビによる「唇のプライバシー」「北駅のソリチュード」「ジェラス・トレイン」や林哲司さん作曲で初のオリコン一位を獲得した「デビュー」(両A面扱いで「MANHATTAN JOKE」とカップリング)やピーター・ベケットの「THROUGH THE WINDOW」など、非常に充実したシングル曲を歌っていたのですが、こうした楽曲群が一切アルバムに含まれていないことは、逆にアルバムの完成度やコンセプト性の高さを物語っているように思われます。ちなみに、85年以降バッキングボーカルMILKとして奈保子さんをサポートした宮島律子さんは、アルバム『DAYDREAM COAST』を聴いて奈保子さんの大ファンになったことをご自身のブログに書かれています。「Naoko Premium」ボックスのライナーノーツによると、『DAYDREAM COAST』のレコーディングは前作『Summer Delicacy』のリリースより早く1984年4月下旬から約3週間にわたって行われたそうです。このため、アルバムリリースより前の7月24日、よみうりランドEASTでのバースデーライブから始まった夏のツアーでは、すでに本作の楽曲が歌われていました。デイビッド・フォスターとのデュエット曲「LIVE INSIDE YOUR LOVE」は、ライブではトランザムの高橋のぶ(伸明)さんとの共演で歌われました。前述のとおりシングルカットはありませんでしたが、「ANGELA」や「IF YOU WANT ME」は「レッツゴーヤング」でも披露され、その映像はNHKの「河合奈保子プレミアム・コレクション」に収録されています。この2曲を始め、本作の楽曲はその後のライブでもよく歌われており、現時点で最後のライブとなっている1995年のツアー「音の流れの中で…」でもメドレーの中で「WHAT COMES AROUND GOES AROUND」が歌われていたことが、ネット上で確認できます。引き続き「Naoko Premium」のブックレットを参照すると、本作は奈保子さんにとって単に初の海外録音というだけでなく、アルバム(音楽)づくりとの関わり方が変わるひとつの転機となったようです。当時、いわゆる「アイドル」と呼ばれる歌手はレコーディングと言っても、バックの音が完成した段階で歌入れのみ参加するのが通例だったようで、多忙なスケジュールを考えれば無理もない話ではありますが、本作の場合、奈保子さんはリズムパートの段階からレコーディングに参加し、現地ミュージシャンとの交流とも相まって音楽づくりの楽しさを体感することができたようです。同年末、「唇のプライバシー」で日本レコード大賞の金賞を受賞した際のインタビューでも、このレコーディングで現地ミュージシャンから大いに刺激を受けた様子が窺え「歌手になってよかった」「これからもっともっと音楽というものを勉強していきたい」とコメントされています。また、同年秋ごろ、みのもんたさんが司会を務めるテレビ番組で「スター追跡クイズ」というコーナーがあり、その中で奈保子さんが空き時間に楽屋で何をしているか?というクイズがありました。この問題の正解VTRの中で、手書き譜を使ってポータブルシンセを弾きながら「秘めやかなラヴ・ストーリー」を歌っている貴重な映像が見られます。おそらく自作曲を歌いたいというモチベーションは元から持っていたのではないかと想像しますが、『DAYDREAM COAST』のレコーディングでの体験から、本格的な作曲活動につながっていったのかもしれません。ちなみにこのクイズ、「作詞」と回答した杉本哲太さんが正解ということになっていましたが「秘めやかなラヴ・ストーリー」は小谷野宣子さんの作詞で、VTRで歌われている歌詞「昔 読んだ詩集の…」は完成版と同じものです。したがって奈保子さんがしていたのが「作詞」だというのが正解になってしまうのは本当はおかしいのですが…笑。なお、「秘めやかなラブ・ストーリー」と同じく最初期の自作曲である「夢かさねて」ではご本人が作詞もされています。<参考文献>「Naoko Premium」ボックス ライナーノーツ(土屋信太郎)
2024.10.28
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前の記事で触れた通り、いまアラン・B・ホーとドミトリイ・フェオファノフによる "SHOSTAKOVICH RECONSIDERED" を読んでいます。英文が比較的平易なので読みづらいことは無いのですが、読み進めるうちに、果たしてこれが真面目な論評に値するものであるかどうか、かなり疑わしくなってきました。気になるところに付箋を付けながら読んでいますが、すでにかなりの量になっています。細かく検討し始めるときりがないので、ある程度はこだわらないほうが身のためかもしれません。この「気になるところ」というのは本書の内容を鵜呑みにするのが危険と考えられる箇所で、こういったところは可能であれば注釈で言及されている文献(特に、エリザベス・ウィルソンによる "SHOSTAKOVICH A Life Remembered" や、他の書籍、あるいは本書が批判するターゲットであるローレル・フェイやリチャード・タラスキンの見解も確認する必要があります。当然これには手間がかかりますし、私のような素人にはそもそもアクセスできない文献も少なくありません。何より、本書の注釈に頻出する典拠は "Conversation between Volkov and the authors" つまり「ヴォルコフと著者らの会話」です。これは第三者に確認のしようが無いばかりでなく、『ショスタコーヴィチの証言』の「信憑性」を証明するのに、当の著者であるヴォルコフとの会話を根拠としているのですから、タラスキンがフェオファノフを「ヴォルコフの弁護人」と断じるのは、単なる罵倒ではなく、フェオファノフの立場をそのまま表しているものと理解してよいでしょう(フェオファノフは法学の学位も持っているようです)。最近は、 "SHOSTAKOVICH RECONSIDERED" に対するタラスキンの批判は具体的な論拠を明確にしていない、という意見もあるようですが("SHOSTAKOVICH, SOVIET CULTURAL POLICIES, AND THE FIFTH AND THIRTEENTH SYMPHONIES: A CONTEXTUAL EVALUATION" Nathanael Tyler-James Batson, 2024)、ここまで本書を読んだ印象を率直に述べると、専門家の態度としては、本書を学問的な批判対象としている暇があったら自身の研究に労力を割いた方がまし、と考えるのは十分首肯できるところがあります。タラスキンの文章はたしかに論争的で、見方によっては挑発的とも言える面がありますが、彼の見解を批判するにあたり、ホーとフェオファノフの示した「証拠」を無批判に受け入れる態度は決して学問的とは言えません(そのタラスキンも先年亡くなってしまいましたが)。タラスキンに比べると、2002年の論文でホーとフェオファノフに対する反証を示したフェイは、ある意味几帳面と言えるかもしれません。私が "SHOSTAKOVICH RECONSIDERED" に対して感じる最大の違和感は、著者らがフェイの提示した根本的な疑義に対する論点を(おそらくは意図的に)ずらしているように見えることです。フェイの1980年の論文を紹介した記事で述べたとおり、彼女は『証言』に書かれている「内容」の真贋を問題としているのではなく、それが本当に「ショスタコーヴィチがヴォルコフに直接語ったものなのか」という点に疑義を表明しています。『証言』の真贋論争は、あくまでこの点が問題であることは、前の記事で強調したとおりです。そのうえで、この点が証明されない以上、どこまでがショスタコーヴィチの言葉でどこからがヴォルコフの見解であるのか判別することは困難だとフェイは述べているのです。『証言』の内容そのものに対してもいくつか疑問点を挙げていますが、それは副次的なものと見なせます。ところが、ホーとフェオファノフは、『証言』を「最初から最後まで嘘」と断じたソ連当局の見解をフェイがそのまま受け入れているかのように解釈しーもちろん、そんなことは無いのですがーその前提で、あたかもフェイやタラスキンが『証言』の内容をすべて否定しているかのような論調で、熱心に「反論」を展開しています。そのための資料収集の熱意は相当なものですが「ヴォルコフとの会話」を除けば新出資料はほとんどなく、既出の文献から自説に都合のよいところを切り取って使っているところが目立ちます。そこまでしていながら、そもそもの論点がずれているのですから、私には彼らが風車に立ち向かうドン・キホーテのように見えてくる、と言ったら失礼でしょうか。また、ホーとフェオファノフは、フェイをはじめとするヴォルコフの批判者が『証言』をまともに読まず「批判ありき」の姿勢で「真実」を歪めていると言うのですが、フェイの論文を通読したうえで本書を読んでいる私としては、はたしてホーとフェオファノフはフェイの論文をまともに読んだのか、読んだのだとしたら意図的に論点をずらしているようにしか見えません。というわけで "SHOSTAKOVICH RECONSIDERED" を読むのはかなり苦痛になってきているのですが、ホーとフェオファノフ流に「読まずに批判している」と言われても困るので、ともかくも通読を試みようと思います…<参考文献>Allan B. Ho and Dmitry Feofanov WITH AN OVERTURE BY VRADIMIR ASHKENAZY"SHOSTAKOVICH RECONDIDERED"Laurel E. Fay “Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?”
2024.10.27
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引き続き、河合奈保子さんのアルバム『Summer Delicacy』の曲を紹介したいと思います。既述のとおり、A面の楽曲を八神純子さんが作曲した本作ですが、B面の楽曲は来生えつこ(作詞)・たかお(作曲)姉弟が担当しました。そのB面の冒頭が「メビウスのためいき」です。奈保子さんの楽曲で「メビウス」というワードが使われている曲といえば、筒美京平&売野雅勇コンビによるシングル「唇のプライバシー」のB面に使われた「メビウスの鏡」もありますが、いずれ劣らぬ魅力的な作品です。というか、「メビウスのためいき」には「鏡」というキーワードも使われており、売野さんはに触発されて「メビウスの鏡」の詞を書いたようにも思われますが…さて、八神純子さんの曲は、シングル「コントロール」や前に紹介した「夏の日の恋」のように、高音域でフルパワーの歌唱や容赦ないロングトーンを要求されるタフな曲が目立ちますが、来生たかおさんの場合は、押しの強い派手さとは無縁ながら独特のメロディーラインが特徴で、こちらも違った意味で歌いこなすのが難しい楽曲を作られています。「メビウスのためいき」の場合、特にBパートの「だけどふだんは クールなひと」以降の半音階的にぐるぐる回るメロディーが連続するところがいかにも「メビウス」な雰囲気なのですが、かなり音程が取りづらい難所なのではないかと思われます。サビでは「もつれた心を」や「ためいきばかりで」といった歌詞でのキレのある発音が印象的です。かつて、ある偉大な音楽家は「アーティキュレーション(発音)」によって音楽はまったく表情が変わる、ということを言っていましたが、奈保子さんの歌い方は正にそれを体現しています。マニアックなところでは、サビの終わりの歌詞「あー あなた」「あー 罪な」の「た」や「な」のところでわずかにフォール(ダウンポルタメント)がかかっているのが、意図的か自然にそうなったかはわかりませんが、個人的にはツボなポイントです。どのアルバムについても同じようなことを言っている気がしますが、『Summer Delicacy』もまた、一つ一つの曲に魅力があります、というか、河合奈保子さんの歌唱が曲の魅力を引き立たせていて、繰り返し聴いても飽きることがありません。その中で、B面から特に自分が好きな一曲を選ぶならば「メビウスのためいき」ということになるのですが、この曲のキーもEマイナー(ホ短調)だったりします。前に「風の船」の記事で、奈保子さんのEマイナーの曲に惹かれる、と書きましたが、やはりその法則(?)がここでも自分には当てはまるようです。ちなみにこの曲、確かにEマイナーではあるのですが、ピアノで音程を確認しながら聴くと、通常よりかなり高いピッチでチューニングされていることがわかります。普通、ポップスやクラシックの場合は基準音となるラ(A4)の音が440~442ヘルツあたりの音程(古楽奏法の場合、より低いピッチになります)でチューニングされますが、「メビウスのためいき」の場合、正確にはわかりませんが少なくとも442より高いピッチになっているのではないかと思います。そのうち書くつもりですが、同じB面の4曲目でシングルカットされた「疑問符」は異常に高いピッチになっていることから、「メビウスのためいき」のチューニングも意図的なものではないかと思われます。さて、ここから余談なのですが、チューニングについて調べていたら偶然、ジョン・レノンの「イマジン」は444ヘルツでチューニングされている、という記事に遭遇しました。ラ(A4)が444ヘルツだと、ド(C5)の音は528ヘルツとなり、これがDNAを修復する効果(?)の高い「ソルフェジオ周波数」というもので、ジョン・レノンは世界平和のメッセージを込めた「イマジン」にこの周波数を使った(ために暗殺された)のだとか…あやしいな~と思って、ネット上にある「イマジン」を聴いてみましたが、私のいい加減な耳には普通に440ヘルツのチューニングにしか聴こえませんでした…ということで「イマジン」のピッチに関しては都市伝説が出回っているようですが、「メビウスのためいき」は確かに高めのピッチでレコーディングされています。なお、「イマジン」のドラマーは、別に書いたプログレに関する記事で触れたイエス(←バンド名)に加入するアラン・ホワイトだった、という話は都市伝説ではありません。彼はイエスの代表作のアルバム『危機(Close to the Edge)』が完成した後脱退したドラマーのビル・ブルーフォードの後を受けて加入し、ライブツアーのために演奏時間20分弱の難曲「Close to the Edge」をわずか3日ほどで習得したと言われています。
2024.10.27
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前に「BOSSA-NOVA」についての記事で、河合奈保子さんが20歳のバースデーライブでオフコースの「YES-NO」を歌った話について書いたので、YESつながりでプログレバンド「Yes(イエス)」の話をします…いや、これ以上トピックを広げてどうする、と我ながら思ってはいますが、とにかく今回はプログレの話です。ちなみにバンド「イエス」の英語表記は、 アルバムのロゴだと字体が崩れていてよくわかりませんが、"Yes" とするのが一般的のようです。私がスタジオアルバムをコンプリートしているミュージシャンは河合奈保子さん以外にも何人(組)かいますが、デビッド・ボウイ、X JAPAN(『ART OF LIFE』を入れても4枚しかありませんけど…)、そしてイエスやムーディー・ブルースをはじめとするいくつかのバンド(大半がプログレ系)があります。ほかに、ショスタコーヴィチのCDが無数にあります。何という支離滅裂な組み合わせだと思われる方もいると思いますが、自分にとって魅力的な音楽を聴いてきたらたまたまこうなった、というだけの話です。前に少し書きましたが、私がプログレに関心を持ったのは、『ファイナルファンタジー』シリーズのコンポーザーとして有名な植松伸夫さんがプログレ好きで、たしかサントラCDのライナーノーツの中でイエスやジェネシスに言及していたのがきっかけです。とりあえず「イエス」「ジェネシス」というバンドが存在することを知った自分は、「プログレ」なるものがいかなる音楽なのかわからないまま、たまたまCDショップで目に付いたイエスのアルバム『リレイヤー(Relayer)』を購入しました。一緒にキング・クリムゾン(King Crimson)の『ザ・コンストラクション・オブ・ライト(The ConstruKction of Light)』も買ったと記憶しています。ちなみに、プログレバンドとして最も有名なのはロングセラーのギネス記録を持つアルバム『狂気(The Dark Side of the Moon)』を出したピンク・フロイドだと思いますが、これは小学生の頃、PCゲーム『レリクス』のオープニング曲が「ピンク・フロイドのようだ」と当時のPCゲーム雑誌に書かれていたので、名前だけ知っていました。今にして思うと、『レリクス』の曲のどこがピンク・フロイド風なのかよくわかりませんが…実際の曲は、オープニングクレジットによると、何とクリスタルキング…もしかして「キング」つながりで私の頭の中で「クリスタルキング」がいつの間にか「キング・クリムゾン」に変換された可能性もなくはありません…いずれにしても、私にとってプログレとゲームミュージックは不思議なつながりがあるようです。当時は今のように手軽にインターネットで曲を聴くという訳にはいかず、身の回りにプログレに詳しい人もいなかったので、どんな音楽なのかはまったく知らないまま「植松さんが好きなジャンル」という動機だけで購入したのでした。そして私はイエスの『リレイヤー』、キング・クリムゾンの『ConstruKction of Light』両方とも気に入り、繰り返し聴くようになりました。当時は、曲調がよりハードで、歌詞に社会派っぽいテーマを感じさせるキング・クリムゾンの『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』の方をよく聴いていたような気がします。これらのアルバム、じつはいずれも彼らの代表作というわけではありません。『リレイヤー』は1974年のアルバムですが、70年代イエスの代表作と言えば何といっても『危機(Close to the Edge)』や『こわれもの(Fragile)』が挙げられます。これらのアルバム制作時のメンバーだったビル・ブルーフォード(ドラム)とリック・ウェイクマン(キーボード)は『リレイヤー』の時点では脱退しており、ドラムはアラン・ホワイト、キーボードはパトリック・モラーツに交替していました(ちなみにモラーツは後に一時期ムーディー・ブルースにも参加しています)。キング・クリムゾンのほうは、デビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』が、インパクト絶大なアルバムジャケットと共に有名です。これらの作品を入手したのは多分少し後のことですが、『こわれもの』や『危機』を聴くうちに、私はだんだんイエスの世界に嵌まっていったのでしたが、アルバムを本格的に買い集めるようになったのは社会人になってからのことです。『こわれもの』と『危機』はジョン・アンダーソン(Vo)、スティーヴ・ハウ(G)、リック・ウェイクマン(Key)、クリス・スクワイヤ(B)、ビル・ブルーフォード(Dr)というメンバー構成で制作された作品で、私の記憶ではこの5人によるアルバムは、この2作のみです。『こわれもの』収録の「ラウンドアバウト」は、彼らが2017年にロックの殿堂入りした時にも演奏された代表曲のひとつで、ベースのリフがたいへん印象的な曲なのですが、バンド結成時から一貫して在籍していたベーシストのクリス・スクワイヤがすでに故人となっていたため、同じくプログレバンドとして有名なラッシュ(Rush)のゲディー・リーがベースを務めるという、マニアにとっては夢のようなコラボが実現しました。なお、この時あわせて演奏された「ロンリー・ハート」では、同曲リリース時にはイエスから離脱していたギタリストのスティーブ・ハウがベースを弾くという、これまた珍しい場面が見られました。イエスを中心に、プログレに関する記事も余裕があったら書きたいと思っています…
2024.10.26
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前に河合奈保子さんの「夜ヒットBOX」を頼むから出してほしい件について書きましたが、さらにハードルが高い、というか、おそらく不可能だとは思いますが、「ミュージックフェア」での河合奈保子さんの歌唱映像も何とかできないだろうか、と思ったりします。というのはたまたまですが、前の記事を書いていた時に「レモネード・サンバ」で検索したら、どういう訳か「ミュージックフェア」での「シェルブールの雨傘」の映像が上のほうに出て来たのでした。「ミュージックフェア」の歌唱映像は、たいへん貴重かつ素晴らしい演奏が多いのですが、奈保子さん自身の持ち歌の映像も含めて今は見られなくなっているものが多いようで、「シェルブールの雨傘」も削除されたものと思っていたのですが、思いがけず出て来たので見入ってしまった次第です。この「シェルブールの雨傘」は、おそらくテレサ・テンさんと共演した回の映像で、1986年のものと思われます。私は世代的にはもちろん元のミュージカル映画を知らず、DVD化されたものも見たことは無いのでオリジナルについてはまったく知らないのですが、奈保子さんはヘッドボイスで情緒豊かに歌っており、それだけでも十分印象的なのですが、リピートのたびに転調してキーが上がっていくこの曲、最後の転調で奈保子さんはミックスボイス(あるいはヘッドミックス的な歌声)に切り替えて大きく表情を変えています。それまではウェットな雰囲気だったのが、情熱的な歌唱になり劇的な盛り上がりを見せています。曲調に応じた表情の変化は、もともと奈保子さんの得意とするところでしたが、この「シェルブールの雨傘」は特に印象的で、こうしたスケールの大きい表現は「ハーフムーン・セレナーデ」を通して身に着けられたものではないかと私は思っています。テレサ・テンさんとの「ある愛の詩」もたいへん印象的なデュエットでした。「ミュージックフェア」といえば、30年にわたって番組の音楽監督を務めたのが服部克久さんで、「けんかをやめて」のライブ弾き語りバージョンのアレンジャーでもあります。その服部さんとピアノ連弾で共演しつつ「SOMETHING」を歌った映像は、服部さんの追悼番組でも映像が使われたのでご存じのファンの方々も多いでしょう。それと同じ回の放送(1985年3月17日)では、ピアノ三重奏をバックに小柳ルミ子さん、河合奈保子さん、しばたはつみさんの三人による「エリーゼのために」という、とても珍しいコラボレーションがありました。バックのピアノ奏者も豪華で、服部さんがいるのは当然として、『宇宙戦艦ヤマト』などの音楽で知られる宮川泰さんに、ジャズピアニストの前田憲男さんという顔ぶれでした。わずか2分ばかりの演奏なのですが、女声三人のコーラスがたいへん美しく、奈保子さんはこの中で主旋律のパートを担当していました。また、1988年のようですが、服部さんのピアノをバックに「追憶(The Way We Were)」を歌ったこともありました。これも美しさとパッションを併せ持つ素晴らしい歌唱です。もちろん私はリアルタイムで見たわけではありませんが、この演奏を公開収録で聴けた方々がうらやましい限りです。この曲は、出だしと終わりがハミングになっているのですが、(偉そうな言い方になってしまい恐縮ながら)こうした弱音を聴かせられるのが「本物の歌手」だと思う次第です。だいぶ遡って、正確な時期はわからないのですが(髪型から、おそらく「けんかをやめて」か、その少し前あたりの頃だと思うのですが…)、宇崎竜童さんのギターをバックに山口百恵さんの「さよならの向こう側」を歌った回もありました。初期のライブで「秋桜」や「いい日旅立ち」などのカヴァーを披露していた河合奈保子さんですが、この「さよならの向こう側」も、正統派の歌唱で原曲の良さを引き出し、バックのオーケストラ&宇崎さんのギターに負けない芯の強さを見せた演奏です。サビの最後に大きくリテヌート(音を保持するような歌い方)をするところでは、バックの音がなくなって奈保子さんの歌声だけになるのですが、この数拍のリテヌートがたいへん印象的です。同じく山口百恵さんの「秋桜」は、「兄」である西城秀樹さんと共演した回だと思いますが、「ミュージックフェア」でも披露しています。上述の初期のライブでは非常に情熱的な「秋桜」を披露している奈保子さんですが(幸いなことに、この録音は「Naoko Live Premium」またはタワーレコード限定の「NAOKO IN CONCERT」で聴くことができます)、「ミュージックフェア」の演奏ではヘッドボイスで、というか、むしろ敢えて「ファルセット」と言いたくなる抒情的な歌い方をされています。それから、また時期が遡りますが、1984年に作曲者であるさだまさしさんと共演した「秋桜」もありました。たしか、さだまさしさんとは「精霊流し」も共演したのではなかったかと思います。さらに加えて、五輪真弓さんとグランドピアノ2台で共演した「恋人よ」、高橋ノブさんとMILKの二人をバックに歌った「海は恋してる」、加山雄三さん、森山良子さん、本田美奈子さんという超レアな顔ぶれの「君といつまでも」、松田聖子さんとの「振り向かないで」などなど…こうした素晴らしい演奏の数々、形に残せないとしても、サブスクリプションでも何でも良いからきちんとした形で聴けるようにしてもらえたら、と願わずにいられない日々であります。。
2024.10.26
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河合奈保子さんのアルバム『Summer Delicacy』は1984年6月1日にリリースされました。デビュー5周年という節目の年を迎え、本作から3か月ごとに1作というハイペースでのアルバムリリースが続きますが、初のL.A.レコーディングとなった『DAYDREAM COAST』、全曲筒美京平&売野雅勇コンビによるコンセプト性の強い2作『さよなら物語』に『STARDUST GARDEN -千・年・庭・園-』と、いずれも充実した作品が続きます。『Summer Delicacy』は前作『HALF SHADOW』までの手法を踏襲して、A面とB面で作詞作曲陣を変えていますが、A面は全曲を八神純子さん作曲(作詞は八神さん自身が2曲、売野雅勇さんが2曲、三浦徳子さんが1曲)により、B面は『あるばむ』と同じく来生えつこ・たかお姉弟が担当しています。八神純子さんは圧倒的な歌唱力を持つシンガーソングライターですが、他の歌手への楽曲提供が非常に少なく、Wikipediaの情報によると、奈保子さん以外への提供は岩崎良美さん、太田貴子さん、沢田研二さん、宮崎好子さんにそれぞれ1曲ずつあるのみです。アルバム片面を担当し、シングル曲「コントロール」に未発表曲「デリカシー」を加えて7曲(カヴァー含む)を提供しているのは異例、というか河合奈保子さんのみです。「Naoko Premium」の解説によると、スタッフサイドが以前から八神さんの楽曲を奈保子さんに歌わせたかったとのことですが、ご本人も奈保子さんの大ファンであったようです。1981年には雑誌の企画で対談しています(残念ながらネット上で確認できる記事内容では、お二人が音楽に関してどのような話をされたのかが不明ですが…)。奈保子さんは八神さんの妹さんと同じ学年にあたるようで、八神さんから見て親近感もあったようです。1983年の『オールスターものまね王座決定戦』では、本人の予想に反して2回戦に進んだ奈保子さんが、八神さんの代表曲のひとつ「みずいろの雨」を歌って見事に2回戦を突破しました。普通、ものまねでこの曲を選ぶ人はいないと思いますが、このあたりはやはり奈保子さんの思い入れによるものだったのではないかと思われます。ちなみにこの「みずいろの雨」の演奏、歌いだしのところでバックバンドの演奏テンポが遅かったため、奈保子さんは振り返ってバンドにアピールしてテンポを上げてもらうという珍しい場面が見られます。余談になりますが、準決勝では「東京ららばい」を歌って91点と高得点を出しましたが惜しくも敗退しました。さて『Summer Delicacy』A面には、八神さんのカヴァーである「夏の日の恋」も収録されており、これはシングル「コントロール」のB面にも採用されました。上述の「みずいろの雨」では、この時期、自身の持ち歌ではあまり使っていなかったヘッドボイスを使い(「マーマレード・イヴニング」のアウトロでのスキャットなど例外もありますが)、オリジナルの八神さんよりもソフトな歌い方になっていました。それに比べると、「夏の日の恋」ではオリジナの八神さんが非常に高音域のヘッドボイスでソフトに歌っているのに対し、ヘッドボイスを使わず低いキー(Aメジャー→Aマイナー)で歌う奈保子さんバージョンは、サビでのパワーが前面に出た表現になっています。「低いキー」と言っても、サビのリピートではレ(D)まで上がりますので、ヘッドボイスを使わない音域としては十分高く、八神さん提供のシングル曲「コントロール」と同様、歌い通すのはかなりきついのではないかと想像します。八神純子さんと河合奈保子さんは、いずれもフルパワーでの声量が半端ではないという点や、歌声の美しさなど、共通した特徴があると感じます。「夏の日の恋」の終わりは実に4小節に及ぶロングトーンがありますが、お二方ともに素晴らしく伸びのある声で歌われています。そのいっぽうで、全体的にレガート気味に歌う八神さんに比べると、奈保子さんの歌い方はやはりスタッカートとレガートの区別が明確なため、同じ歌詞でもかなり異なる印象を与えます。また、奈保子さんバージョンの方がメジャー→マイナーへの転調による変化がより明確に感じられますが、これは大村雅朗さんによるアレンジ(ギターによる下降音型のリフ)の影響が大きいでしょう。総じて「夏の日の恋」は、いわばお二人の「似ていると同時に異なる」面がよく表れていると言えるのではないでしょうか(「似て非なるもの」ではなく…)。じつはこの記事、元はアルバム冒頭の「太陽の下のストレンジャー」について書くつもりでいたのですが、八神さんと奈保子さんの聴き比べをしているうちに「夏の日の恋」の話になってしまいました。「太陽の下のストレンジャー」もとても魅力的な曲なので、改めて書きたいと思います。
2024.10.25
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『ショスタコーヴィチの証言』をめぐるその後の状況についての記事で書きましたが、今アラン・B・ホーとドミートリイ・フェオファノフによる"Shostakovich Reconsidered"を読んでいます。かなり分厚い本ですが、文体は比較的平易なので思ったよりも楽に読み通せそうです。彼らが批判しているリチャード・タラスキンの文章は、エッセイ的なものであっても内容がかなり専門的な上に語彙が独特なので、私のようにいい加減な英語力かつ音楽の専門教育を受けているわけではない人間にとっては、かなり苦労してやっと読めるレベルなのですが、それに比べれば"Shostakovich Reconsidered"は「易しい」本と言えます。さて、この"Shostakovich Reconsidered"に序文を寄せているのが、指揮者/ピアニストのウラジーミル・アシュケナージです。2004年から2007年までNHK交響楽団の音楽監督を務め、その後桂冠指揮者となったので、日本のクラシックファンにはなじみのある指揮者の一人といってよいでしょう。といっても、私は彼が指揮する実演に接したことはありません。高齢となった現在、彼は音楽活動から引退しているようです。"Overture"と題してアシュケナージが寄稿した序文は、英文で3ページの短いものですが、ここで彼は何を語っているでしょうか。冒頭で紹介されるのは、アシュケナージのピアノ教師がショスタコーヴィチと初めて会った時のエピソードです。それによると、彼女はショスタコーヴィチと同じアパートに住んでいたのですが、ある時ショスタコーヴィチから自宅の水道が止められていると語りつつ、その理由はわかっている、と言ったそうです。それは、いわゆる「ジダーノフ批判」により、ショスタコーヴィチが他の作曲家(アシュケナージは名前を挙げていませんが、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン、ミャスコフスキーら)と共に窮地に立たされていた時期のことでした。アシュケナージは、ショスタコーヴィチが置かれていた困難な状況は音楽界においては周知のことだったが、それらは決して公然と語ることはできなかったと述べたうえで、ショスタコーヴィチがソ連のシステムを忌み嫌っていたことはまったく疑いない(without a shadow of doubt)と言います。この後、アシュケナージは自身が聴くことができた、いくつかのショスタコーヴィチ作品のモスクワ初演について語っています。実際にモスクワ初演に接したかどうか明記されていませんが、交響曲で言うと第10番から13番について言及されています。これはアシュケナージの個人的な体験や印象をつづったものですから、他人がとやかく言う筋合いのものではないかもしれませんが、これらの曲について、もっぱら「ソヴィエト体制との関係性」の文脈でしか語られていないのは、音楽家の発言としてはやや気になるところではあります。ショスタコーヴィチの生涯がスターリンおよびソ連の政治体制との関係性を抜きに語れないのは理解できますが、その音楽は、果たしてそうした政治的文脈「だけ」によって意味を持つものなのでしょうか?そして『証言』を読んだアシュケナージは、この本に「ほんとうのショスタコーヴィチ」が書かれていることに疑いを持たなかったと言います。そして、『証言』に対するソ連当局の非難が無ければ、その信憑性が問われることは無かったと「確信」している、とも述べています。いっぽうで、西側の「いわゆる「専門家」」(So-called 'expert')の何人かが「真実を歪める」ことに未だ固執しており、あるいはソヴィエトの現実に対して受け入れがたいほどの知識の欠如を示している、と苦言を呈しています。カッコ付きの「専門家」という言い方は、ホーとフェオファノフが "Shostakovich Reconsidered" で繰り返し使っている用法であり、それに倣ったアシュケナージが意識しているのが、フェイやタラスキン、とりわけ後者であることは明らかです。最後にアシュケナージは、まともな読者がホーとフェオファノフが示した「証拠」を読めば、『証言』の信憑性について疑問を呈することは決して無いだろう、締めくくっています。なお、カッコつきで「証拠」と書いたのは私の意図によるものであることをお断りしておきます(原文の evidence にカッコはありません)。さて、ホーとフェオファノフが真贋論争に終止符を打ったかどうか、結論的なところは "Shostakovich Reconsidered" を読み終えてから判断したいと思いますが、アシュケナージの見解については若干書いておきたいことがあります。それは、フェイが2002年の論文で指摘しており、このアシュケナージの序文自体にも示されていることですが、彼とショスタコーヴィチの間には直接のコンタクトがほとんど無かった、ということです。1963年に西側に亡命したアシュケナージは、生前のショスタコーヴィチに会う機会は限られており、それも基本的にフォーマルなものでした。当然ながら、ヴォルコフが取材していたと主張する1970年代のショスタコーヴィチの姿を、アシュケナージが知る由もありません。ヴォルコフは、少なくとも数回はショスタコーヴィチに取材したことは明らかで、その内容のいくらかは『証言』の内容にも反映されていることが窺われますが、アシュケナージが『証言』の信憑性について確信できるほど、ショスタコーヴィチを知る機会が無かったであろうことは踏まえておく必要があるでしょう。もちろん、直接ショスタコーヴィチを知っていなければ『証言』について語る資格は無い、などと言うつもりはありません(そんなことを言い出したら、私には当然その資格はないことになります)。ここでアシュケナージとショスタコーヴィチの関係について敢えて言及しているのは、『証言』の内容に疑義を表明している人の大部分(そのほとんどが、生前のショスタコーヴィチと近しい関係にありました)が、そこに書かれている内容の真偽を問題としているのではなく、そこに描き出されたショスタコーヴィチの人物像や人間性が、彼らの知るショスタコーヴィチと乖離していることを問題としているからです。アシュケナージは「専門家」が「真実を歪めている」と言っていますが、そうではなく『証言』はショスタコーヴィチの「人間性を歪めている」可能性があることに、彼は無自覚であるように見受けられます。ここでさらに、彼が指揮したショスタコーヴィチの演奏について言及することもできますが、長くなりすぎるので別の機会にしたいと思います。<参考文献>Allan B. Ho and Dmitry Feofanov WITH AN OVERTURE BY VRADIMIR ASHKENAZY"SHOSTAKOVICH RECONDIDERED"
2024.10.24
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河合奈保子さんのアルバム『HALF SHADOW』B面は谷山浩子さんの作詞・作曲で、「エスカレーション」についての記事でも少し触れましたが、季節の移ろいの中での恋の行方を描写したストーリー仕立ての構成になっています。したがって、5曲を続けて聴くのが本来の姿かと思われますが、もしその中から1曲選ぶとすれば、私がダントツに好きなのは3曲目、唯一マイナー調で書かれた「風の船」です。魅力的な曲が詰まっている本アルバムの中でも白眉と言ってよい楽曲だと思っています。まあ、私の場合基本的にマイナー調が好きなせいもありますが。「風の船」のキーはEマイナー(ホ短調)で、ミニアルバム『ビューティフル・デイ』に収録された、同じく谷山浩子さん提供の佳作「こわれたオルゴール」も、私の記憶が正しければEマイナーで書かれています。そして河合奈保子さんの代表作である「ハーフムーン・セレナーデ」も、前に書いたフィギュアスケートの記事のとおりEマイナー、筒美京平&売野雅勇コンビの傑作シングル「唇のプライバシー」もEマイナー、アルバム『JAPAN』収録の「晩夏に人を愛すると」もEマイナーだったかな…ということで、どうも私は奈保子さんの歌うEマイナーの楽曲にどうしようもなく惹かれてしまうようです。さてこの曲は、アルバムの中では「渚のライムソーダ」の次に配されています。超ポップに弾けた「ライムソーダ」の後に、静かなピアノのイントロで始まる3連バラードの「風の船」が流れるのでコントラストがとても大きいのですが、奈保子さんもがらりと歌い方を変えていて、なかなかこれをうまく表現する語彙が自分にないのがもどかしいのですが、とにかく心に染み入る歌唱です。「風の船」は、「渚のライムソーダ」で出逢った彼から「手紙が来ない」まま時が過ぎてゆくのを「風の船」にたとえて歌ったものですが、ほぼピアノのみでアレンジされた1コーラス目では、弱音で愁いを帯びた表情で歌われます。ちょっと細かい話ですが、サビの「秋の日のたそがれ」のソフトな発音が美しいです。どんなに弱音で、かつ情感を込めていてもあくまで「歌」になっているところが奈保子さんの特徴であり魅力と言えるかと思います。どんなジャンルの音楽にも言えると思いますが、弱音の表現にはその歌手や演奏者の力量がよく表れます。たとえば、ちょっと話が飛躍しますが、ムラヴィンスキーが指揮したレニングラード・フィルの演奏が凄まじいのは、強奏時の凝集力だけではなく、弱音での恐ろしく柔軟な表現、あるいは張り詰めた緊張感にあります。2コーラス目になるとベースとドラムにストリングスも加わり、アレンジが厚めになりますが、これに合わせて奈保子さんの歌い方も情感が増してきます。ものすごく単純に言うと声量を上げているだけなのですが、言葉の端々に気を配った細やかな歌い方をされているので、聴き手にとっては声量を上げたというよりも歌の「主人公」の「想い」がよりダイレクトに伝わってきます。サビのリピートではさらに募る想いが溢れるように「風の船 風の船…」と歌われます。80年代はドラマ等の仕事を入れずにひたすら歌手としての道を追求していた奈保子さん、『ヤンヤン歌うスタジオ』のコントなどでは時に拍子抜けするほどの演技を披露して逆に笑いを取っていましたが、歌における表現力と、いわゆる「演技力」とはまったく別次元のものであることがよくわかります。個人的には、これでアルバムが終わっても良いくらい余韻を残す歌なのですが、ここからまた一転してちょっと能天気な「45日」へと続くのが谷山浩子さんらしい、といえばそうなのかもしれません。ところで、恥ずかしながらわりと最近気づいたことなのですが、アルバム『HALF SHADOW』がA面を「Shady Side」、B面を「Sunny Side」と銘打っているのは前に紹介した通りですが、いずれも構成としてはそれぞれの「Side」を象徴するような導入的な曲(A面は「イノセント」、B面は「WHATHER SONG」)を冒頭に置き、続く曲は季節の流れに沿って配されているのが特徴です。B面はストーリー的に「時間軸」が歌われるのでわかりやすいのですが、A面のほうも夏の「エスカレーション」に続いて秋の「UNバランス」、同じく秋の「ママレード・イヴニング」、そして曲名のとおり「12月のオペラグラrス」で終わる形です。そしてA面が「別れの冬」で終わるのに対して、B面が「結ばれる冬」のエンディングで対比しており、構成的によく考えられた作品になっています。繰り返しになりますが、『HALF SHADOW』は他にも魅力的な楽曲がたくさんあるのですが、その辺りはまたの機会にしたいと思います。
2024.10.23
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「Please Please Please」について書いた記事の中で、私が最初に入手したアルバムは『JAPAN』だと書きました。これより前に「ゴールデン☆ベスト~シングルA面コレクション~」を聴いて、アルバムも聴きたくなった私はとりあえず近所のブックオフに出かけたところ、たまたま売っていたのが「JAPAN」だったのでした。すでに「ゴールデン☆ベスト」で「十六夜物語」を知っていたということもあり、『JAPAN as waterscapes』というタイトルからのイメージと違和感なく聴いたように記憶していますが、家族は「十六夜物語」が「演歌みたい」だと言っていました。私は「十六夜物語」の抒情性もさることながら「桜の闇に振り向けば」に痺れました。何度かアルバムを聴くうちに「晩夏に人を愛すると」も、心に染み入ってきました。さて、この「演歌みたい」という感想、当時のファンの方々の中にもあったようです。「夜ヒット」では着物を着て歌った回もありましたし、最優秀歌唱賞を受賞したプラハのコンクールでも着物で歌われていたことが「徹子の部屋」で紹介されていました(もちろん、私はそれらをリアルタイムで見ていたわけではありませんが)。たまたま読んだ音楽関係の方の記事でも「十六夜物語」のコード進行は、ザ・演歌的なものだという指摘がされています。ちなみにちょっと話がそれますが、その記事には「MY SONG」というアルバム『Scarlet』から『Members Only』までに付けられた標題が英語として誤りである、というような記述もありました。記事を書かれた方はアメリカへの留学経験もあるようなので、何らかの根拠があってのことと思われますが、理由が書かれていないので、なぜそのような記述をされたかは不明です。私の英語力はかなりいい加減ですが、「MY SONG」という言葉の使い方は特におかしいとは思われず、何なら私の好きなイギリスのバンド The Moody Blues のアルバム『童夢("Every Good Boy Deserves Favour")』には、まんま "My Song" という曲があります。ちょっと『JAPAN』から話がそれてしまいましたが、ここで ①『JAPAN』の音楽は演歌なのか?ということと、②仮に演歌だったとして、それがアルバムの価値とどう関わるか、という二つの論点を考えてみましょう。これらに対する私の考え方としては、少々身も蓋もないのですが、①については「どっちでもよい」であり、②は「アルバムの価値とは関係ない」です。そもそも私は演歌についてはまったく疎いので、『JAPAN』あるいは「十六夜物語」のコード進行が演歌的である、と言われても「そうなんですね」としか答えようがありません。そして、『JAPAN』の音楽が演歌的なものだったとして、それがアルバムの音楽的な価値とは何の関係も無い、という点は私にとっては自明のことです。音楽の「ジャンル」はアルバムの価値に関わるのではなく、単に聴く側の好み(つまり主観)に影響する、というだけのことだと考えています。私は別のカテゴリでショスタコーヴィチに関する記事も書いていますが、同じ理由で、クラシックの音楽が他のジャンルより価値がある、などとは考えていません。「演歌みたい」という印象がアルバムのセールスに影響した可能性はあるかもしれませんが、それでも本作はオリコン最高7位で、前作『Scarlet』よりは下がっていますが、さほど影響があったわけでもなさそうです。ちなみに、オリコン順位(売上)とアルバムの完成度の関係についての私の考え方は、前に人気や売上と歌手としての実力について書いた記事と同じです。仮に『JAPAN』の音楽が演歌であるとすれば、その「演歌的」な世界をポップシンガーとしての歌唱法で表現した、という点にむしろこのアルバムの価値があると私は思います。「桜の闇に振り向けば」にしても「十六夜物語」にしても、いわゆる「こぶし」を用いない一方、ポップス的な装飾表現(いわゆる「しゃくり」など)を使って歌われており、「十六夜物語」のサビの歌詞で三度出てくる「月」のロングトーンなどは、演歌では使われないタイプの歌唱法ではないかと思います(まあ、上述のとおり私は演歌に疎いのでそんなことはないのかもしれませんが…)。いっぽうで、もともと演歌歌手である坂本冬美さんが持ち歌をポップス的なアレンジで歌ったりすることもあるわけですが、その坂本さんは「また君に恋してる」のカヴァーが大ヒットしたことでも知られています。演歌歌手が別ジャンルの曲をカヴァーするとヒットして、ポップシンガーが演歌(的な曲)を歌うと「演歌みたい」で済まされてしまうのであれば、それは演歌というジャンルに対する偏見を意味するのではないか、などど、演歌にまったく知見のない自分が感じるのは変でしょうか。ちなみに河合奈保子さんは「能登半島」や「帰ってこいよ」の素晴らしいカヴァー(生演奏)がありますが、ここで奈保子さんが「こぶし」をつけていないことに文句をつけるのも、かなり的外れなことのように思われます。そもそも、オリジナルの石川さゆりさん自身の歌い方が、時期によってかなり違うことがネット上の映像から看取されるわけですが、同曲異演の本来の魅力は、ものまね・歌まねではないのです。河合奈保子さんはライブも含めて多くのカヴァー演奏がありますが、そのいずれもオリジナルの模倣ではなく、かといって自分流のキャラクターに変えるというのではなく、オリジナルの持つ魅力をあくまで音楽的に昇華して表現している点に最大の特徴があるように私には感じられます。というわけでつまるところ、演歌だろうと何だろうと、自分にとって好きなものであればそれでよい、という、前に書いたのと同じような結論に落ち着くわけです。
2024.10.22
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「河合奈保子さんとエーデルワイス」というタイトルでピンと来る方は、それなりにコアなファンの方かと思われます。私がこの話についてどこで知ったかよく覚えていないのですが、河合奈保子さんと「エーデルワイス」がなぜつながるかと言うと、1996年、奈保子さんの婚約発表直後に収録されたテレビ番組『関口宏の東京フレンドパークII』出演時のエピソードによります。この番組に、奈保子さんは当時ミュージカル『ヤマトタケル』で共演していた三田村邦彦さんと出演しました。余談ですが『ヤマトタケル』はもともと1994年に上演された作品で、1996年2月~3月にかけて再演されていたようです。残念ながらこのミュージカル『ヤマトタケル』の映像や音楽についてはほとんど情報がないようで(スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の方は有名のようですが)、私が知る範囲で言うと、奈保子さんの婚約発表を報じた番組の中で、稽古時の映像がわずかに流れたのを見たことがあるのみです。さて『東京フレンドパーク』は、関口宏さんが「支配人」、渡辺正行さんが「副支配人」の「フレンドパーク」で二人ペアの出演者がさまざまなアトラクションに挑戦する、という番組です。アトラクションをクリアすると10万円相当の金貨一枚をゲットし、最後にその金貨一枚につき一回のダーツゲームにトライできる、という形になっていました。この番組の中に「フール・オン・ザ・ヒル」というアトラクションがあり、これは出演者の一人が音楽に合わせて光るパッドを叩いて曲を演奏し、もう一人がその曲を当てるというものでした。最初のデモンストレーションでは、奈保子さんの婚約を祝って「結婚行進曲」が演奏される予定だったようですが、アシスタントの三井ゆりさん(と思われます)が失敗して何の曲だかわからない、という一幕もありました。さてこのアトラクション、最初のトライは奈保子さんが演奏し、三田村さんが回答する形でしたが、ここで堺正章さんの「さらば恋人」の冒頭部分をうまく演奏して、三田村さんが一発で正解して幸先よくスタートします。ですがその後は失敗が続いて、4回目のトライでは1発で正解しないとクリアできない、という状態に追い込まれます(1回間違えるごとに正解時の得点が減っていくルールでした)。ここで三田村さんが演奏し、奈保子さんが回答することになりますが、三田村さんは出だしから失敗してしまい、一音も出せないまま終わってしまいます。一音も出ていない状態ですから、普通なら曲名がわかるはずもありません。会場にいた誰もが、当てずっぽうで曲名を答えて失敗に終わる、という光景を想像したと思われますが、何と奈保子さんは「エーデルワイス」と正解して見事にコインをゲットし、会場からは盛大な拍手が起こりました。一音も聴かずに何の曲かわかったのは、光るパッドのリズムと、3番目に光ったパッドが「高いド」の音であることを、奈保子さんがそれまでのトライで憶えていたためでした。このアトラクションでは、パッドを正しいタイミングで叩かないと音が出せないのですが、それとは別にビート音が入るため、良く聴いていれば曲が3拍子であることがわかります。そして、パッドの光るタイミングから最初の3つの音が「ターン・タ・ターーン」という組み合わせ(3/4拍子だとするとニ分音符・四分音符・符点二分音符)であることと、3つ目の音が「高いド」である、という情報を組み合わせて「エーデルワイス」という回答を導きだしたものと思われます。テレビ放送時には、奈保子さんが指さしているパッドの音が確かに「ド」の音である旨のテロップが表示されました。奈保子さんの音感の良さを示すエピソードで、これには三田村さんも驚愕というより、やや唖然としているのが画面から窺えます。正解として流れた「エーデルワイス」は、変ロ長調で「レーファード…」という音型になっていました。といっても、私の音感はかなりいい加減なので、これはピアノで確認したものです(これまでの記事でも「この曲のキーはEマイナー」とかもっともらしく書いていますが、聴き間違いが多いので記事にする際は事前にピアノで確認していることを白状しておきます…)。さて、河合奈保子さんは別の機会に「エーデルワイス」を歌ったことがありました。1991年に大阪センチュリー交響楽団(当時)と共演した際、ポニージャックスと山口俊彦さん(および客席のお客さんたち)とともに歌われたものですが、この時の演奏も変ロ長調でした。同じ「エーデルワイス」でも、調(キー)が違えば当然音が変わるわけですが、もともとこの曲が使われた『サウンド・オブ・ミュージック』の動画を見ると、映画の中では一音低いキーである変イ長調で歌われていたようです。この場合、3つ目の高い音は「シ♭」になります。Wikipedia「エーデルワイス(1959年の曲)」の項にリンクされている録音は、ずっと低いヘ長調の演奏になっています。大阪センチュリー交響楽団との共演は『東京フレンドパーク』出演時より約5年も前のことですが、この時演奏された変ロ長調の「エーデルワイス」が、もしかしたら奈保子さんの印象に残っていたのかもしれません。
2024.10.21
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さて、「エスカレーション」に引き続いて「UNバランス」についても書いておきたいと思います。河合奈保子さんの14枚目のシングルであり、アルバム『HALF SHADOW』のA面3曲目に配されています。奈保子さんはこの曲で、1983年末の紅白歌合戦に出場しました。で、この曲なんですが、現時点でのWikipediaの記事について若干の私見を述べておきたいと思います。まず「アンバランスという英語は無く、imbalanceである」というもっともらしい記述については、普通に"unbalance(アンバランス)"という英単語があり、辞書にも載っています("imbalance"という単語も存在しますが)。「UNバランス」という曲名が "unbalance" に由来することは明らかでしょう。いっぽう「サウンド・アレンジは同年発表されたドナ・サマーの「情熱物語 (She Works Hard For The Money)」に酷似している」とある点については少々微妙です。イントロの印象的なコーラス「UN UN ア・UNバランス」の音型や、ブラスセクションの使い方などはたしかに「情熱物語」と似ており、アレンジの大村雅朗さんが「情熱物語」を意識したという推測は成り立ちます。ですが全体的に見れば、ストリングスやピアノも使った「UNバランス」に対して、シンセ(キーボート)とエレキギター主体の「情熱物語」のサウンドは、そこまで似ていないという見方もできます。そもそもメロディーラインと曲調がまったく異なるこの2曲を比較することに、それほどの意味は無い気もします。両曲の類似は偶然の一致と見なすか、大村さんが「情熱物語」を模倣したと見るか、あるいは、差し詰めショスタコーヴィチのように「暗号」として埋め込んだと考えるのか、それは聴き手の自由でよいのではないでしょうか。余談になりますが、奈保子さんはライブで「情熱物語」のカバーも披露しています(84年春のコンサートなど)。ところで、問題の(?)イントロのコーラスですが、この部分、当初はシングルリリースされたものとは異なっていまして「UNバランス ア・UNバランス…」という形でした。これは、この曲が初めて披露された83年7月24日のバースデーライブの映像(「Naoko Premium」ボックスの特典DVD)で確認できます。ここからは完全に私の妄想ですが、この曲、じつは元のタイトルは「UNBALANCE」だったのが、ある時点で「UNバランス」と変更されるのに伴って「UN」を強調して「UN UN ア・UNバランス…」という形にコーラスが変更されたのではないか、などと考えたりもします。さて、歌唱以外のことについての話が長くなってしまいましたが、河合奈保子さんの歌について、まずは冒頭の「ルルルルル…」でヘッドボイスを使っているのが印象的です。奈保子さんのヘッドボイスは、通常のミックスボイスでの歌唱と同じ強度で発声できるのが特徴で(もちろん弱音の表現もできましたが)、そのいった意味で八神純子さんあたりと近い面があると言ってよいかと思います。ちなみに、82年秋のシングル「けんかをやめて」のB面「黄昏ブルー」でもバックコーラスによる「ル~ル~ル~…」がありましたが、「ルルル…」と歌われるとなぜか秋の雰囲気が出るのは考えてみれば不思議なところです。とはいえ「UNバランス」のバックコーラスであるEVEが「ルルルルル…」とやっていたら、秋の雰囲気は出なかったかもしれません(笑)。この曲での奈保子さんの歌い方も「エスカレーション」と同様、テレビやライブでの歌唱に比べるとスタジオ収録版の方が細かい表情づけが目立ちます。「UNバランス」のキーはエスカレーションと同じくDマイナー(ニ短調)なのですが、曲調は大きく異なっており、Aメロはかなり低い音域で、かつ半音階の音型が多いために音程が取りにくいメロディーではないかと思います。ライブだとハイテンションなので(85年EASTのライブではテンポも相当速め)、低音でも張りのある歌声が聴けてそれはそれで魅力的なのですが、スタジオ収録の方はより情感豊かに「息づかい」が感じられます。じっさい歌詞の中にも「息」というワードが使われていたりします。また、前にも書きましたが、Bメロ冒頭では1コーラスの「恥ずかしい…」と2コーラスの「向こう見ず」で表情を大きく変えていて、奈保子さんの歌が曲調と詞を踏まえた表現であることがよく窺えるポイントだと思います。ちなみにこの箇所、メロディーとしてはBメロなのですが、詞としてはAメロの終わりの部分につながっているのがちょっと変わっていて面白いところです。サビでの歌詞「愛しさは淋しさの別の名前ね」は、「エスカレーション」とよく似た言葉の使い方ですが2コーラスの「恋しさはどこかしら苦しみめいて」といった詞は、より危うい世界を感じさせる方向に行っています。作詞の売野雅勇さんによると、この曲や翌年の「コントロール」では精神分析的なことをやろうという意図があったようです。途中で入る "ah" のフレーズは、テレビやライブで歌う時は "ha" で歌われることが多い印象があります。いずれにしても、「エスカレーション」で一歩新しい領域に踏み込んだ河合奈保子さんですが、「UNバランス」ではよりその表現を深化させたと言ってよいと思います。
2024.10.20
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1980年に発表されたローレル・フェイの論文は『ショスタコーヴィチの証言』の信憑性に対して重大な疑問を投げかけるものでしたが、ヴォルコフの回答はないまま年月が過ぎ、ファーイの論文自体も音楽学の領域以外では注目されることはなく、そのセンセーショナルな内容だけが広まり、最初の記事で書いたように西側の音楽界やクラシック音楽ファンのショスタコーヴィチに対する見方が大きく変わることとなりました。ある意味で、ヴォルコフによる『証言』は、東西冷戦という状況下で「西側の人々が見たがっていたショスタコーヴィチ」を見せた、と言うことができるでしょう。証言の出版直後、ソ連では生前のショスタコーヴィチと特に親しかったボリス・ティシチェンコやヴァインベルクら6名の作曲家が『証言』を非難する声明を署名入りで発表しました。当然のごとく、『証言』の内容を支持する西側の人々は、これを当局によって強制されたものであるとみなしました。ティシチェンコの見解をはじめとして、この声明に関わる事柄については、マルコム・ブラウン編 ‟A Shostakovich Casebook”(※未邦訳)に収録されています。 1990年になると、イギリスの音楽評論家イアン・マクドナルド(Ian MacDonald)が “The New Shostakovich”(※未邦訳)という著作を出版しました。これは、『証言』が描いて見せたショスタコーヴィチ像に全面的に依拠して、その音楽を「新解釈」したものと言われます。マクドナルドは、アメリカのロシア音楽研究者で、一貫して反ヴォルコフの急先鋒だったリチャード・タラスキン(Richard Taruskin)により手厳しく批判されました。私は "The New Shostakovich” を未読でしたが、2006年に出た改訂版を最近注文したところですので、後日内容を紹介するかもしれません。 その後、ヴォルコフを擁護するアラン・B・ホー(Allan B. Ho)とドミートリイ・フェオファノフ(Dmitri Feofanov)によって“Shostakovich Reconsidered”(『ショスタコーヴィチ再考』※未邦訳)が1998年に出版されました。これは787頁にも及ぶ大著で、ヴォルコフを擁護し、フェイやタラスキンを批判するものでした。旧ソ連出身で、西側に亡命した指揮者/ピアニストのウラジーミル・アシュケナージ(昔NHK交響楽団の常任指揮者をしていた時期がありました)らがその内容を支持したこともあり、この本は『証言』の信憑性を強力に擁護するものとして「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」、「タイムズ文芸付録(Times Literary Supplement)」など多くの雑誌に好意的な書評が寄せられました。ただ、本書は一般にはあまり知られておらず、現時点では絶版となっているようです。私も遅ればせながら中古で安価なものが販売されているのを見つけて、ようやく入手したところです。何しろ分厚い上に英語ですので、すぐに読み終えるというわけにはいきませんが、本書に序文を寄稿しているアシュケナージについては、近いうちに書いておきたいと思います。 “Shostakovich Reconsidered” で批判されたローレル・フェイは、2002年に新たな論文 “Volkov‘s Testimony Reconsidered” を発表し、1980年の論文では未解明だった『証言』の問題点をさらに明らかにするとともに、ホーとフェオファノフに対して反論しました。この論文は、上述の ‟A Shostakovich Casebook” に収録されています。 さて、『証言』を巡って出版された主な書籍は、私の知る範囲で言うと以上です。他には、タラスキンが自著の中でヴォルコフやマクドナルドらをたびたび批判しているほか、『証言』について多少なりとも言及した著作は少なくないですが、その真贋に関わる問題を主要なテーマにした著作はないのではないかと思います(もっとも、日本語と英語以外の文献まではカバーできていませんが…)。「真贋論争」と言っても、じつはそれほど華々しく議論が戦わされているわけではない、と捉えて差し支えないでしょう。 “Shostakovich Reconsidered” を読み通すにはかなり時間がかかりそうなので、まずはこれが出版される1998年までの状況について ‟A Shostakovich Casebook” からいくつかのトピックを紹介していきたいと思っています。
2024.10.19
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シングルA面曲について取り上げてこなかったこともあり、河合奈保子さんの「振付」について触れる機会がありませんでした。「エスカレーション」について書いたので、この機会に振り付けについても書いてみようと思います。当時のいわゆるアイドル歌手の方々の映像を見ると、基本的には振付を交えて歌われるのが一般的です。田原俊彦さんのように驚異的なダンスをしながら歌うのはちょっと例外としても、「アイドル」という範疇で活躍する歌手にとって、見た目に印象的な振りを入れるのはテレビという媒体では欠かせない要素だったのでしょう。ちなみに「アイドル」ではない「アーティスト」はどうかと言うと、わかりやすい「振付」こそないものの、視覚的な要素はやはり表現として重要な比重を占めているように思われます。さて、デビューシングル「大きな森の小さなお家」以降、河合奈保子さん初期のシングル曲に関しては比較的「おとなしめ」の振付と言ってよいかと思います。歌唱時に左手でマイクを持つ奈保子さんの振付は基本的に右手の動きが中心で、イントロや間奏でのステップも初期のシングル曲ではそれほど大きくない傾向があります。とはいえ何度も見ている「大きな森の小さなお家」のサビの右手の振りを再現しろと言われても、たぶん私はできません…初期のシングル曲の中で振付が印象的なのは、やはり「スマイル・フォー・ミー」ということになるでしょうか。この曲はスタンドマイクを使って歌われたため、イントロでの回転など大きな動きを入れることが可能になりました。歌唱中も両手が使えるため、Aメロでの両手指差しポーズ(?)など一目で覚えられるインパクトがありました。間奏中は両手を高く掲げて手拍子を打っていましたが、「レッツゴーヤング」などの映像を見ると、手拍子の音をマイクが拾っていたりするのも面白いところです。続くシングル「ムーンライト・キッス」でもスタンドマイクでしたが、こちらはサビとBメロでカスタネットを使うという趣向でした。この曲ではコーラスの3人組・マキシムが奈保子さんの後ろに並んで一緒にカスタネットを叩くスタイルが撮られていました。余談ですが、そのマキシムと、当時奈保子さんのバックバンドだったザ・ムスタッシュは1981年10月に「NAOKO SENSATION」というシングルを出しており、この曲は「Naoko Live Premium」ボックスの「貴重音源集」の中に収録されています。この「NAOKO SENSATION」は、負傷により入院していた奈保子さんが退院し、療養のため山梨の温泉地に入った際のテレビ番組で奈保子さんと電話を繋いだ状態で披露されました(といっても、もちろん私はリアルタイムで見てはいません)。なおウェブ上の情報によると、マキシムとザ・ムスタッシュのメンバーが並んで写っているこのシングルのジャケットで、ゴリラの仮面を付けた謎の人物は河合奈保子さん本人のようです。その後、奈保子さんはシングル「ラブレター」で復帰しますが(歌番組への復帰は81年11月30日の「夜のヒットスタジオ」)、この時はコルセットをつけており腰に負担がかかるような動きが出来ないため、ほぼ右手のみの振付になっていました。いきなり高音のサビから始まるこの曲、振付を右手のシンプルな動きに絞ったのはかえって印象的だったかもしれません。初期シングルの掉尾(?)となる「夏のヒロイン」は負傷からの完全復活を印象づける明るい曲ですが、振付のほうも特徴的で、Bメロに入るところでスカートを使った動きをつけ、「甘いですか 酸っぱいですか…」ではマイクを右手と左手で持ち替えながら歌い、サビは小刻みにステップを踏みながら歌う(ソワレさんが「タモリ倶楽部」出演した際「これがけっこう大変」と言っていたような)など、見た目にも動きのある楽しい振付になっていました。「夜のヒットスタジオ」では浴衣に下駄という装束でスクール・メイツとともに歌った回がありましたが、下駄でもちゃんとステップを踏んでおり、歌唱後は司会の芳村真理さんが「よく動けましたネェ~」と感嘆する場面がありました。さらに余談ですが、この回のオープニングは『あるばむ』以降、奈保子さんに楽曲提供することになる来生たかおさんが「スマイル・フォー・ミー」を歌って(これが来生さんにまったく似合ってないわけですが笑)、奈保子さんにバトンタッチするというシーンもありました。次の「けんかをやめて」は、シングル曲としては初のバラードということで、ほぼ振付がありませんでしたが、かわりに「ザ・ベストテン」などで初めて弾き語りでの演奏を披露しました。「Invitation」もおだやかな曲調にあわせて動きは控え目でした。…と書いてきたらだいぶ長くなってしまったので、続きは別の機会にしようと思いますが、「エスカレーション」以降、歌唱のスケールアップに合わせるように振付も動きの大きなものが目立つようになる印象があります。
2024.10.18
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日本ファルコム(当時)の『英雄伝説III 白き魔女』(以下『白き魔女』)は、「英雄伝説」シリーズの第三作目として1994年に発売されたPCゲームです。「詩(うた)うRPG」をキャッチコピーとしてPC98向けに発売され、その抒情的なシナリオが絶賛され、Windowsやプレイステーション、セガサターン、PSPなど様々な媒体でリメイクされました。本作をはじめとして『朱紅(あか)い雫』、『海の檻歌』の3作は「ガガーブ・トリロジー」と呼ばれ、それぞれ異なる地、異なる時代のストーリーでありつつ、同じ世界を舞台とした作品になっています。ちなみに、その次の「英雄伝説」シリーズ『空の軌跡』以降は、「軌跡シリーズ」として今に至るまで多数の作品がリリースされています。さて、小学生の頃アクションRPGの名作『イース』の楽曲に魅了されて自家製サントラまで作った私ですが、自宅にあったFM-77は早々にフェードアウトしたために移植されたゲームも少なく、続編(正確には後編)である『Ys II』もたしか移植はされず、私のファルコム作品との付き合いはしばらく途絶えることになりました。その間、スーパーファミコンの『ファイナルファンタジーVI』に触れて植松伸夫さんの音楽にはまり、後にプログレの世界に引き込まれるきっかけになったりしました。大学に進学して東京に出てきた私は、CDショップに数多くのファルコム作品のサントラがあることに驚きました。地元には私が高校生くらいの頃にHMVが開店しましたが、そこで入手できるゲームミュージックは、当時まだ別会社だったスクウェアやエニックスなどのスーパーファミコン作品が大半だったような気がします。上京当初PCを持っていなかった私は、懐かしさもあってゲームをやったことがないファルコム作品のCDを入手し、サンプリング音とはまったく異なるFM音源の独特なサウンドにふたたび惹きこまれたのでした。白き魔女のサントラを買ったのは、たぶん大学に入って間もなくだったと思いますが、はっきりとは覚えていません。『白き魔女』はPCゲームとしてはかなりのヒット作だったので、もしかすると地元にいるうちに入手していたかもしれません。いずれにしても、美しいオープニング曲には大いに魅了されたものでした。ライナーノーツで絶賛されていた「迷いの森」もたいへん魅力的な曲です。それからしばらくして、たまたま縁あって中古のPC(OSは当時すでに古くなっていたWindows3.1だったと記憶しています)を譲ってもらう幸運に恵まれた私は、Windows版のゲーム『白き魔女』を購入しました。これは後にリメイクされたバージョンとは異なり、オリジナルをそのまま移植したものでした。このゲームを始めてみて、私は『白き魔女』の音楽が持つ本当の力にすっかり惹きこまれてしまいました。音楽単体で聴いても十分良い曲が並んだサントラではありましたが、ゲームの物語の中で聴くと、画面と音楽の相乗効果で双方が素晴らしく引き立てられ、画面やセリフには表れない様々な感情や風景が浮かび上がってくるのです。これは、映画やドラマでも同じようなことが言えますが、ゲーム作品がこれらと決定的に異なるのは、映像が「リアル」な世界ではないことと、自分がプレイヤーとしてゲームの世界に入っていること(文字通り「ロールプレイ」)もありますが、『白き魔女』をはじめとするファルコム作品に関しては、FM音源にしか出せない「音色」によって、たいへん独特の世界が生まれているのです。当時はすでにプレイステーションが発売されており、FM音源より同時発音数がはるかに多いサウンドと3Dで表現されたゲームが続々と発売されていましたが、2DのグラフィックとFM音源で表現された『白き魔女』の世界は、プレイステーション以降のゲームのような「リアル」さとはまったく次元の異なる、この作品の中だけにしかない「美しさ」を、間違いなく持っていました。画面を舞い落ちる雪のアニメーションに始まり、静止画とスクロールするテロップ(この文章がとても印象的なのです…)のバックにテーマ曲「白き魔女ゲルド」が流れるオープニングは、今でも私にとってゲーム作品の最も美しいオープニングとして記憶に残っています。物語が始まるラグピック村で流れる「愛はきらめきの中に」のさりげない情緒、フィールドで流れる「LET'S START OK?」の躍動感、物語の謎が大きく解き明かされる「回想ーレクイエムー」の哀しみ、「INVASION」や「ルード城」の疾走感、そしてエンディングで再び流れる「愛はきらめきの中に」の深い抒情性などなど…本作を彩る音楽はサンプリング音や高性能のシンセサイザー、あるいはオーケストラのような派手さ、壮大さとは無縁ですが、一つひとつがまさに珠玉といってよいものです。『白き魔女』のサントラは、今ではMP3で入手できますが、岩崎美奈子さんのイラストが楽しめるCD版をおススメしたいところです。ちなみに『イース』と同様、『白き魔女』もその後何度もリメイクされていますが、BGMに限って言うと、私見ではオリジナルのFM音源バージョンを超えるものは無いように思います。
2024.10.17
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ショスタコーヴィチの交響曲を演奏した最良の指揮者は誰か、と問われれば、私は迷わずエフゲニー・ムラヴィンスキーの名前を挙げます。私は、ムラヴィンスキーと、彼が指揮するレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(現サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団)の実演に接したわけではもちろんありませんが、録音で聴く限り、彼らが当時間違いなく世界最高峰の演奏を実現していたと思っています(これはショスタコーヴィチに限らず、彼らの演奏全般について言えることですが)。仮に、ヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』に書かれているようなムラヴィンスキー評を実際にショスタコーヴィチが言ったとしても、そのことはムラヴィンスキーの演奏の価値をいささかも減じるものではありません。当時のソ連の録音機材は質が悪く、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの演奏は音質に難のあるものが多かったのですが、近年はリマスタリングによってかなり良い音で聴けるものが増えているほか、1970年代以降の来日公演での録音(その一部は非公式録音でした)が、幸いなことにかなり良好な音質でCD化されています。来日公演で演奏されたショスタコーヴィチの交響曲は第五番のみですが、これだけでも、真摯な聴き手であれば『証言』に書かれていることの真偽などは本質的な問題ではない、ということに直ちに気付くだろうと思います。さて、『ショスタコーヴィチの証言』の中で、ショスタコーヴィチがムラヴィンスキーに対して否定的な言辞を述べているのは第六章「張りめぐらされた蜘蛛の巣」の中です。少し長いですが、人口に膾炙して拡散した部分も含んでいるので、中公文庫版『証言』より引用します。「あるとき、わたしの音楽の最大の解釈者を自負していた指揮者ムラヴィンスキイがわたしの音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした。交響曲第五番と第七番でわたしが歓喜の終楽章を書きたいと望んでいたなどと、およそわたしの思ってもみなかったことを言っているのだ。この男には、わたしが歓喜の終楽章など夢にも考えたことがないのもわからないのだ。いったい、あそこにどんな歓喜があるというのか。第五交響曲で扱われている主題は誰にも明白である、とわたしは思う。あれは《ボリス・ゴドゥノフ》の場面と同様、強制された歓喜なのだ。それは、鞭打たれ、「さあ、喜べ、喜べ、それがおまえたちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。そして、鞭打たれた者は立ちあがり、ふらつく足で行進をはじめ、「さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ」という」(『証言』p. 321~322)さて、ここでムラヴィンスキーがじっさいに「交響曲第五番と第七番でショスタコーヴィチが歓喜の終楽章を書きたいと望んでいた」と言ったかどうかは、確認のしようがありません。また、仮にそのように言ったとしても、前後の文脈によっていくらでも意味が変わります。また、ムラヴィンスキーが自分の音楽を「まるで理解していない」と感じていたのであれば、なぜショスタコーヴィチは自身の交響曲の初演を彼に任せ続けたのでしょうか。戦争によってムラヴィンスキーによる初演が不可能だった第七番を除いて、ショスタコーヴィチは自身の交響曲の初演を常にムラヴィンスキーに依頼しています。第十一番はムラヴィンスキーによるレニングラードでの演奏(1957年11月3日)に先立ってモスクワで初演(10月30日)が行われましたが、わずか数日違いです。また、「歓喜の終楽章」とはほど遠い終わり方をする交響曲第八番はムラヴィンスキーに献呈されています。あまり知られていないかもしれませんが、ムラヴィンスキーはソ連当局にとって必ずしも好ましい人物ではなかったため、もしショスタコーヴィチが望まないのであれば、ムラヴィンスキー以外の指揮者を起用することにはさして障害はなかったと考えられます。交響曲第一三番「バビ・ヤール」の初演をムラヴィンスキーが引き受けなかったことで、二人の間は一時期疎遠になりましたが、ショスタコーヴィチの晩年には交流が再開していました。交響曲第十四番のレニングラード初演(指揮はルドルフ・バルシャイ)の際、ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチやボリス・ティシチェンコらと供にボックス席で演奏を聴いていました。最後の交響曲第十五番の初演は作曲者の希望により息子のマキシム・ショスタコーヴィチが行いましたが、レニングラード初演はムラヴィンスキーが担当しています。そのマキシムは、西側に亡命して間もない頃にボリス・シュワルツのインタビューを受けた際、ショスタコーヴィチは「自分の音楽について語ることを好まず、厄介なインタビュアーを追い払うために時々は(自分の音楽について語ることに)同意した」と述べています。そして、ショスタコーヴィチの音楽の解釈者として、どの指揮者がお気に入りか、との問いに対しては「ムラヴィンスキーです。彼が父の考えに最も近い(※この時点でムラヴィンスキーは存命)」と即答しています。ムラヴィンスキーの演奏に関する「証言」は下に参考文献として記載したグレゴール・タシーの著作をはじめとして無数にありますが、それらを参照するまでもなく、彼の指揮したショスタコーヴィチの交響曲がいかなる演奏であったかは、遺された録音を聴けば贅言を要しません。さらに付け加えるなら、ショスタコーヴィチ自身が語った(かもしれない)ことを頼りにしなければショスタコーヴィチの音楽を聴いたり解釈することができない、などということはまったく無いことは、ショスタコーヴィチに限らずあらゆる音楽家、表現者についてあてはまることと言えます。なお、「バビ・ヤール」の初演に関しては、少々込み入ったいきさつがありますので、機会があれば別に改めて紹介したいと思います。<参考文献>グレゴール・タシー『ムラヴィンスキー 高貴なる指揮者』天羽健三訳Boris Schwarz "Music and Musical Life in Soviet Russia 1917 - 1981"
2024.10.16
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河合奈保子さん7枚目のアルバム『HALF SHADOW』は1983年10月21日にリリースされました。A面とB面でスタッフを変えるという手法はこの作品にも踏襲されていますが、本作ではA面を「Shady Side」、B面を「Sunny Side」としています。A面の作曲陣は後藤次利さん、筒美京平さん、小田裕一郎さんと三名を起用する一方、作詞はすべて売野雅勇さんが手がけています。前作『SKY PARK』ではシングルA面曲をひとつも入れないという構成でしたが、『HALF SHADOW』には筒美京平さんによるシングルA面曲「エスカレーション」と「UNバランス」が収録されています。いっぽうB面は全曲谷山浩子さんの作詞作曲で、季節の移ろいの中での恋愛をつづったストーリー仕立てになっています。さて、ここまでの記事を読んでくださった方の中には、1989年の「悲しみのアニバァサリー」を除いてシングルA面曲を取り上げていないことにお気づきの方もいるかと思います。もちろんこれは意図的にやっていることでして、河合奈保子さんの楽曲の中でもあまり知られていなさそうな曲、注目されない曲を紹介しよう、という意図から選んでいます。なので、アルバム『HALF SHADOW』に関して書くとしたら、たとえば冒頭の「イノセンス」や、B面だったら「MY LOVE」あたりを取り上げるのが本筋(?)かもしれません。ですが、今回は敢えてシングルA面曲、それもセールス的には最大のヒットとなった「エスカレーション」について書いてみようと思います。というのも、アルバム『HALF SHADOW』を聴いていて、自分はもしかしてこの曲について少し誤解していたのではないか、という気がしてきたのです。ファンの方々には言わずもがなではありますが、「エスカレーション」は河合奈保子さんのシングル曲としては初めて筒美京平さんを作曲に迎えており、作詞に売野雅勇さんが起用されたのは、筒美さんが売野さんを誘ったもののようです。売野さんは「エスカレーション」の作詞をしていた時点ではまだ河合奈保子さんとは面識がなく、ご本人いわくレコード会社からの注文も特になかったことから「僕が勝手に刺激的な歌詞にしちゃった」とのことです(『JEWEL BOX2』ブックレットより)。たしかに「大胆すぎるビキニよ 選んだ意味が わかるかしら」「まっすぐに見れないの 案外内気なひとね」といった歌詞はなかなか刺激的であるのに加えて(とはいえ「唇のプライバシー」ほどではありませんが…)、テレビやライブでの歌唱は総じてスタジオ録音の音源よりパンチが効いていることもあって、「挑発路線」というラベリングを、私も何となくそのまま受け入れていたところがあります。ですが、「大胆すぎるビキニよ…」を含むAパートの歌詞、スタジオ録音の奈保子さんはスタッカートを効かせてシャープに発生していますが、声量を抑えてひそやかに歌っています。「挑発」というよりも「ちょっぴりパッショネイト」のような、秘めた情熱と言ったほうが似合う表現と言ったほうがよいように感じられます。「まっすぐに見れないの…」以降のBパートもまだまだ控え目ですが、透き通った声とフレーズごとのアクセントで緊張感を保ち、「今さら退けないわ」で一気に盛り上げてロングトーンからサビにつなげています。ここで「(今)さら」のところで声を抑えて起伏を付けているところが私にはツボだったりします。この後サビに入ると完全に声を張った歌い方になりますが、このパワフルな歌声に耳を奪われがちなものの、ここでの歌詞は「恋した女の子は淋しがり…」「恋して 初めて知った淋しさを…」となっていて、かつ奈保子さんの「淋しがり」「淋しさを」「(ひとりじゃ)もういられない」といったところでの表情づけを聴いていると「口づけていいのよ」というような歌詞はやはり刺激的ではあるものの、Dマイナーのこの曲、じつは情熱と切なさのないまぜになった世界を歌っているように感じられ、「挑発的」で済ますのはもったいないように思えてきます。私は、河合奈保子さんという歌手の本質は「エモーショナル」な部分にあると思っています。それゆえシングル曲の場合、スタジオ収録の(ある意味落ち着いた)歌唱よりもテレビやライブでの生歌のほうがより魅力的であることが多いのですが、こと『エスカレーション」と次のシングル「UNバランス」に関しては、逆にスタジオ収録版にしか無い魅力もあると言ってもよいのではないでしょうか。ちなみに『HALF SHADOW』のA面はこの2曲に加えて、売野さんらしく刺激的な「イノセンス」、売野さんの作詞とは思えない(笑)「マーマレード・イヴニング」「12月のオペラグラス」とバラエティ豊かでありつつ充実した内容で、『あるばむ』『SKY PARK』を過渡期として、この作品以降、歌手として大きくスケールアップした印象を受けます。さて、「エスカレーション」では「勝手に刺激的な歌詞にしちゃった」売野さんですが、奈保子さん本人に「お会いした時は、なんていい人なんだろう、この人は!」と思い、「この世知辛い世の中でこんな人がいてくれたらいいなあ、なんていう救いになる存在なんですよ」「優しくて、悲しみを感じることのできる深い感受性を持っている奈保子さんに、会えば会うほど魅力がわかってくる」とすっかり魅了されてしまったようですが、ヴォーカリストとしての河合奈保子さんの才能を当時おそらく世界一、いや宇宙一(笑)よく理解していたのが売野さんで、「後追い」の目から見ると、歌手としての河合奈保子さんの魅力を引き出したのはやはり売野さんの力によるところが大きいと思います。<参考文献>『JEWEL BOX2』ブックレット「どんな作品でも表現できる最高のボーカリスト」(売野雅勇)
2024.10.16
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河合奈保子さんのアルバム『SKY PARK』に続く作品は『HALF SHADOW』になりますが、その前に20歳を記念して発売されたミニアルバム『ビューティフル・デイ(It's a Beautiful Day)』について紹介したいと思います。この作品は1983年7月21日、誕生日(7月23日)の直前に発売された6曲入りの企画アルバムですが、作詞作曲陣が1曲ごとにすべて異なるのが特徴です。「Birthday Night」は尾崎亜美さん、「こわれたオルゴール」は谷山浩子さん、「あの夏が続く空」はNSPの天野滋さんがそれぞれ作詞作曲を担当、4曲目の「Twenty Candles」は大村雅朗さん作曲・売野雅勇さんが作詞、続く「BOSSA-NOVA」はオフコースの松尾一彦さん、最後の「薔薇窓」は来生えつこ・たかお姉弟という陣容になっています。ちなみにアレンジは鷺巣詩郎さんが2曲(「Birthday Night」と「薔薇窓」)、瀬尾一三さんが2曲(「こわれたオルゴール」と「あの夏が続く空」)、大村さんが自作曲を含む残り2曲を担当しています。尾崎さん、谷山さん、来生姉弟らは他のシングルやアルバムでの楽曲提供がありますし、大村雅朗さんはアレンジで奈保子さんの作品を多く担当していますが、天野さん、松尾さんに関してはおそらくこの作品しか河合奈保子さんへの提供がなく、その意味でも貴重です(大村さんも作曲という意味ではこのアルバムの「Twenty Candles」1曲のみのはずなので貴重ですが)。このアルバム収録曲、いずれも異なる魅力があり、曲調に応じて表現を変える奈保子さんの歌唱の幅を楽しめる充実した内容になっています。作曲メンバーがすべて異なるので当然といえば当然の話なのですが、これまで何度か書いたようにポップシンガーは曲がどうという以前に自分の「個性・スタイル」で勝負する面が強く、その結果、曲よりも自分のキャラクターが前に出てしまうためにどんな曲でも同じように歌われる方が少なくないので、奈保子さんのように1曲ごとに歌唱スタイルを柔軟に変化させる人は、意外と少ないのではないかと思います。さて、松尾一彦さん提供の「BOSSA-NOVA」、曲名のボサノヴァってそもそも何?ということでちょっと調べたところ、「BOSSA NOVA」とは「新しい傾向」というような意味で、サンバの新しいスタイルとして1950年代にブラジルで生まれたジャンル、ということです。前に紹介したのが「レモネード・サンバ」ですから、期せずしてちょうど良いつながりと言えそうです(笑)。様式としては、クラシックギターでサンバのリズム(2拍子+シンコペ)を演奏し、テンポはゆったりめ、複雑なコード(ハーモニー)を使ういっぽうでパーカッションがシンプルで、ヴォーカルも基本的に穏やかなのが特徴ですが、その後ジャズの要素が入って作法が変わって来たとのことです。…というような前提知識がなくても、河合奈保子さんの「BOSSA-NOVA」を聴くことはもちろん可能です。この曲での奈保子さんの歌い方は、比較的息漏れの多そうな(じっさいに多いのか私にはわかりませんが)ソフトな歌声を使っており、その点ボサノヴァ風に歌っている、と解釈することはできるかもしれません。ただ、ここからは私の妄想ですが、奈保子さんはボサノヴァの様式を踏まえてそのように歌った、のではなく、曲調や歌詞を踏まえて自然に歌った結果が、この演奏のようになったのではないかと思います。いずれにしても、同じ「ビューティフル・デイ」での「Twenty Candles」のような緊張感のある表現や「エスカレーション」以降の筒美&売野作品のようなエモーショナルかつパワフルな歌唱の一方で、「愛が痛い 薔薇の棘のように」と寂寥感をもって歌う奈保子さん、「少女から大人へ」というような定型的な言い方はあまりしたくありませんが、硬軟併せ持つ表現力が本格的に開花しつつあるのを確かに感じることができます。「BOSSA-NOVA」はバラエティに富むこのアルバムの中では、一聴するとやや地味な印象を受けるかもしれませんが、ピアノのドラマチックな展開やストリングスの使い方も印象的な大村雅朗さんのアレンジと相まって、飽きのこない魅力があります。ここで「BOSSA-NOVA」という曲名に立ち返ってみると、これは実は曲が「ボサノヴァ調」であることを意味しているのではなく、河合奈保子さんの「新たな一面」を引き出す、という意味で「BOSSA-NOVA」なのではないか、という気がしたのでした。さて、「BOSSA-NOVA」を提供したのはオフコースの松尾一彦さんでしたが、このアルバム発売直後、20歳の誕生日に行われた初のEASTライブでは、そのオフコースのヒット曲「YES-NO」も歌われました。幸いなことに、この「YES-NO」の貴重な歌唱は「Naoko Premium」ボックスの特典DVDで見ることができるほか、合歓の郷での合宿風景(たぶんもとはVHSとして発売されたもの)が、インターネット上で見ることができます。
2024.10.15
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引き続いて、アルバム『SKY PARK』の曲についてのお話です。このアルバム、A面の作曲はその後河合奈保子さんに多くの楽曲を提供することになる筒美京平さんが担当、B面は石川優子さんが全曲のを担当した(作詞も石川さん)のは既述のとおりです。前回はA面冒頭の「ちょっりパッショネイト」について書きましたので、今回はB面の曲について取り上げたいと思います。A面の楽曲は音の跳躍が激しい「アリバイ」など、奈保子さんの歌唱力を試すかのような難度の高い楽曲が目立ち、これは筒美さんによる奈保子さんへの提供曲に共通する一面ですが、石川優子さんによるB面の楽曲はよりナチュラルな曲が多く、奈保子さんもたいへん伸び伸びと歌っている印象があります。曲調的に変化をつけているのはマイナー調で書かれた「初めての疑惑」ですが、テクニカルな面で異色な曲が、「レモネード・サンバ」と言えます。ちなみに、アルバム終わりの曲「Sky Park」は私にとっては(おそらく多くのファンの方々にとっても)永遠の名曲ですが、これについては適切に語る語彙をいま私は持ち合わせていないので、仮に書くとしても相当先のことになるのではないかと思います…「レモネード・サンバ」ですが、この曲、まず何と言っても最後の"Yay!"がよい、ということを私は言いたいです(笑)。以上、で終わるとあんまりなのですが、これだけで良いんでは、と言っても私的には過言ではないくらい気持ちの良い"Yay!"です。「夏のヒロイン」でもテレビでの歌唱時にはたまにサビの後などに"Yay"が入ることがあったようですし、ライブではおなじみと言ってよいと思いますが(「夏のヒロイン」では「イチ、ニ、サン、ハイ!」もおなじみですが)アルバムの歌唱でこれが入るケースはあまりありません。だから何なんだと言われそうですが、奈保子さんの"Yay"は歌唱と同じく発声がよく、実に爽快で心地よいのです。1986年の「夜ヒット」マンスリーゲストで電子ドラムを叩きながら「悲しい伝言(Tell Her About It)」を歌った時も、間奏に入るタイミングで"Yay"が入っていました。余談ですが、河合奈保子さんは「Tell Her About It」を「レッツゴー・ヤング」でも歌われていたことを「星とカワセミ好き」さんのブログで最近知りました。この時はローランドのシンセを弾きながらの演奏でタイトルも「あの娘にアタック」となっており、ピエロの衣装で歌った83年春のコンサートと基本的には同じバージョンと思われます。さて、もちろん「レモネード・サンバ」の魅力はこれだけではありません。曲名どおりサンバ風にアレンジされたこの曲、きちんと歌いこなすにはリズムがかなり難しい曲です。いわゆる「ハネ系」の符点を多用した音型が続くのですが、個人的には符点音型というのは声楽・器楽を問わず力量の差が出やすいものだと思っています。簡単に言えば歌手(奏者)のリズム感が甘いと符点(3:1)ではなく三連(2:1)に近くなり、「ハネ系」のシャープなリズム感が出なくなりやすいのです。また話が飛びますが、私がN響の演奏する「風林火山」オープニングがもったいないと感じるのは、こうした符点の甘さによるところも大きいのです(それ以前にトランペットが全体的に安全運転に過ぎるのですが…)「レモネード・サンバ」に話を戻すと、この曲の構成はA-B-A-間奏-A-B-A(リピート)→"Yay!"→アウトロ、となっているのですが、特にBパート「♪(恋は)軽いサンバのリズムで」以降の展開は符点のリズムが連続する上にテンション高く歌わないと格好がつかないので、非常に難度が高いところです。これを無難にすませるには、すべて音をつなげて歌ってしまうという方法もありますが、それだと躍動感が出ず、「軽いサンバのリズム」にはまったくなりません(「♪かーるいーさんーばのーりずーむでー」というベタっとした歌い方を想像してみてください)。奈保子さんは非常にキレのある発音で拍頭(強拍)の音をきちんと発音しつつ「甘く酸っぱい」のところでは表情を変えるなど、なかなかの離れ技を披露しています。Aパートも決して易しくはなく、いわゆる「アップビート」にあたるところが常に「符点八分休符+16分音符」の形になっているので(たとえば歌いだしの「カラフルビーチ」の「カ」の音)、この16分音符をシャープに歌わないと、やはりもっさりしたかんじになってしまいます。奈保子さんはデビュー前のレッスンの際にリズム感が弱いことを指摘され、これを鍛えるために縄跳びをするように指導されたという話をどこかで見ましたが、ポップシンガーとしてずば抜けたリズム感、だけでなく、そのリズム感を表現する歌唱力を磨くことで、後に「MANHATTAN JOKE」のような難曲も歌いこなすことができたのだと私は思っています。そういえば、「Tell Her About It」もAパートでハネ系のリズムが続くので、歌手のリズムセンスが試される曲と言えます。
2024.10.14
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前回の記事までの内容で、『証言』の中でショスタコーヴィチのサインのあるページの文章が、生前の既出記事からの引用であることをフェイが指摘したことについて紹介しました。仮にショスタコーヴィチが、過去の記事を忠実に再現して、しかもそのすべてを再現するのならまだしも中途半端なところで中断して、いきなり矛盾したことを語り出すというのは、普通は考え難いことです。『証言』を擁護する人々は、ショスタコーヴィチが音楽に関して驚異的な記憶力を持っており(一度聴いた曲を決して忘れず、ピアノで再現できたと言われています)、しばしばゴーゴリやドストエフスキーの文章を正確に引用したことをもって、過去の記事を忠実に再現することも可能であったと主張しているようですが、こうした記事はショスタコーヴィチの名前で出されたものだとしても、そもそも本人が実際に書いたり言ったりしたとは限らないことは、十分考慮されるべきでしょう(ただし、後日紹介しますが実際にショスタコーヴィチ自身が書いた記事があったのも事実です)。また、ショスタコーヴィチがゴーゴリやドストエフスキーなどの文学作品を広く愛読していたことは家族や友人の回想から明らかですが、自分の記事もそれと同じくらい熱心に読んでいたのでしょうか。そして決定的に不自然なのは、この「忠実な再現」はどういうわけか、すべてショスタコーヴィチのサインがあるページに限って表れていることです。なお、フェイは同論文で、出版社に対してオリジナルのロシア語原稿の閲覧を求めたものの拒否された、と述べています。さて、ショスタコーヴィチのサインがあるページの記述に関するフェイの疑義は以上ですが、これに加えていくつか『証言』の内容について不審な点を指摘しています。たとえば、ヴォルコフは『証言』の序文の中で、ショスタコーヴィチの弟子だったフレイシュマン(独ソ戦で戦死)のオペラ《ロスチャイルドのヴァイオリン》を1968年4月に「初演」するプロジェクトに関わったと記述していますが(『証言』p. 9)、フェイは同作品が1960年7月20日にモスクワ作曲家協会で既に初演されており、さらに62年2月にはラジオ放送され、65年にはピアノスコアも出版されていることを指摘しています。同論文で、フェイは『証言』に掲載されたショスタコーヴィチとヴォルコフの写真についても言及しています。この写真は私の手元にある中公文庫版には掲載されていないものですが、フェイによると、写真には妻イリーナ、ショスタコーヴィチ、ヴォルコフと、ボリス・ティシチェンコ(ヴォルコフとショスタコーヴィチを仲介したのはティシチェンコでした)が並んでおり、写真に記されたショスタコーヴィチの献辞と、ヴォルコフをフルネームで記している点から、両者の親密な関係よりもフォーマルな形式が看取されると述べています。ショスタコーヴィチとヴォルコフが「秘密の面会」をするほど親しい間柄であれば、父称を含むフルネームで記すのは不自然、ということでしょう。さらに、ショスタコーヴィチはこの写真に「グラズノフ、ゾーシチェンコ、メイエルホリドについて語った思い出のために」と書いているのですが、わざわざこの3人の名前が記載されているのは、この写真が撮影された時、ショスタコーヴィチが実際に話した話題をそのまま記したと考えるのが自然で、『証言』全体の内容の信憑性を担保するためのものとは考え難いこともフェイは指摘しています。ちなみに、この写真に記されたショスタコーヴィチの献辞によると、日付は「1974年11月13日」です。ヴォルコフはこの献辞について、『証言』の原稿がすべてまとまり西側に運び出した後、『証言』に関する「話し合いの最後に」記されたもの、と述べています(『証言』p. 14)。後述しますが、この写真が撮られた時の取材内容については、その場に同席していたティシチェンコが後に「証言」しており、その内容はヴォルコフの主張を否定するものです。この点については、別途紹介するつもりです。加えて、『証言』が出版された場合に家族に及ぶであろう影響を気にすることなく、ショスタコーヴィチが自分の死後に『証言』を出版することをヴォルコフに依頼したということ(ショスタコーヴィチが極めて家族思いだったことは、息子のマキシムらが回想しています)、ヴォルコフが西側に亡命してから『証言』の翻訳出版までに3年以上を要している点などについてもフェイは疑問を投げかけています。結論として、フェイは『証言』の信憑性については極めて疑わしいと述べ、『証言』の元となった速記メモや、ショスタコーヴィチからヴォルコフへの手紙などの確実な証拠がない限り、『証言』の内容に関してショスタコーヴィチの回想とヴォルコフの創作の境界がどこにあるのかは推測するしかない、と述べています。ただし、この言い方からも明らかなように、フェイの述べる「信憑性(Authenticity)」の問題は、『証言』の内容がショスタコーヴィチ自身によるものであるかどうか、という点に関わるもので、書かれている内容そのものの「真贋」を問題としているわけではないことを、前提としておさえておく必要があります(『証言』の真贋論争に関して、この点が見過ごされていることがあるようです)。フェイはこの論文を学術雑誌「ロシアン・レビュー」に発表した際、ヴォルコフに対して同誌上で応答することを公式に依頼し、ヴォルコフは翌月(1981年1月号)の誌上で回答することを約束したということですが、結局その回答は無いまま現在に至っています。フェイの1980年の論文 “Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?” についての紹介は以上です。この後、2002年にもフェイは『証言』に関する論文を発表していますが、こちらはかなり長いので、後日準備が出来てから紹介したいと思います。その間に、ヴォルコフの擁護派・批判派双方からのいくつかの反応を紹介したいと思います。<参考文献>ソロモン・ヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』水野忠夫訳(中公文庫)Laurel E. Fay “Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?”
2024.10.14
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河合奈保子さん6枚目のアルバムは、1983年6月1日、シングル「エスカレーション」と同時発売された『SKY PARK(スカイ・パーク)』です。アルバム本体の表記は「SKY PARK」ですが帯は「スカイ・パーク」となっています。前作『あるばむ』と同様、A面とB面で作曲者を変えており、A面は「エスカレーション」も手掛けた筒美京平さんが全曲を作曲、B面は石川優子さんがすべて作詞作曲を担当しています。A面の作詞は、来生えつこさんと秋元康さんが2曲、売野雅勇さんが1曲となっています。いっぽう、アレンジは全曲を大村雅朗さんが手がけています。このアルバムにはシングルA面曲がひとつも使われておらず、「エスカレーション」B面の「恋のハレーション」のみが収録されています。「けんかをやめて」がリリースされた後、たまたま竹内まりやさんは筒美京平さんらと同行してニューヨークに行く機会があり、その際に筒美さんが「けんかをやめて」を褒めてくれたので、竹内さんは「京平先生に褒めていただけたのなら本望だなあと思った」と回想されていますが(クリス松村さんとの対談記事)、こうしたエピソードを考えると、その後筒美さんが河合奈保子さんの楽曲を手掛けることになったのも、ある意味自然な流れだったと言えるのかもしれません。筒美京平さんは言わずと知れた昭和~平成期のポップス界を代表する作曲家で、膨大なヒット曲を世に出した方ですが、河合奈保子さんにも数多くの楽曲を提供しました。歌手・河合奈保子さんに最も多くの曲を提供した作曲家は、河合奈保子さん本人ですが(アルバムで言うと『Scarlet』~『ブックエンド』までの全曲と『engagement』のうち5曲を作曲)、それに次ぐのが筒美さんで、シングルでは「エスカレーション」「UNバランス」「唇のプライバシー」「北駅のソリチュード」「ジェラス・トレイン」「刹那の夏」の6曲(B面曲も作曲)、アルバムではこの『Sky Park』のほか『HALF SHADOW』、そして『さよなら物語』と『STARDUST GARDEN-千・年・庭・園-』の二つのアルバムでは全曲を筒美さんが作曲しました。ざっくり数えると、筒美さんの提供曲は合計35曲くらいになると思います。アルバム冒頭の曲「ちょっぴりパッショネイト」は、前作『あるばむ』のB面も担当した来生えつこさんが作詞しており、タイトルからは何やらお茶目な曲調を予想させますが、じっさいはDマイナーの大人びた雰囲気の曲です。これまでのアルバムは明るいメジャー調の曲で始まることの多かった奈保子さん(『トワイライト・ドリーム』のみマイナー調の「愛してます」からスタート)ですが、マイナー調アップテンポで陰のあるこの曲は、前作からさらにまた違った世界へと踏み出した印象を与えるものと言えます。「ちょっぴりパッショネイト」というタイトルは、敢えて曲調とのギャップを狙ったように思われますが、歌詞に使われている「情熱」という単語を用いるのを避けた面もある気がします。そして、曲の中で歌われているパッションの度合いは「ちょっぴり」と言うにはやや熱量高めなのですが、それが秘めたものであるがゆえに「ちょっぴり」なのかもしれません。曲の構成はA-B-A-B-C-B(リピート)という形を取っていて、Cのパートはいわゆるブリッジと見なせますが、むしろここがクライマックス的に作られています。ほぼ全曲を通じてバスドラムのビートが続くのは、詞で歌われているように疾走するバイクを思わせ印象的です。Aパートの歌いだしはかなり抑えていて、すこしずつクレッシェンドしていくのが、徐々に高まるパッションを表現しているようで、低音でしっかりと発声できる奈保子さんの長所が活かされています。このアルバムは「エスカレーション」と同時期にレコーディングされたと思われますが、前作『あるばむ』で来生えつこさんが「若さだけが持つ、張りのあるツヤ」と表現した声の色はそのままに、さらに芯の強いロングトーンを使うようになったことは、特にマイナー調の曲でより深みのある表現とスケール感を出すことにつながっている印象があります。さて、本作以降の河合奈保子さんは、筒美京平&売野雅勇コンビの作品を軸として、谷山浩子さん、八神純子さん、尾崎亜美さんなどとのコラボレーションにL.A.録音の『DAYDREAM COAST』や『NINE HALF』と、一作ごとに様々なタイプの音楽に取り組んでいきます。デビュー直後の日本橋三越でのイベントでの質問コーナーで「これからどんな歌を歌っていきたいですか」という質問に対して「どういう歌と決めつけたくなくて、いろんな歌に挑戦していきたい」と答えていた奈保子さんですが、その言葉どおりに歌手としての幅を着実に広げていったと言えるでしょう。ちなみにあ、『SKY PARK』は石川優子さんによるB面の曲も魅力的なので、次も引き続き同アルバムの曲を取り上げたいと思います。
2024.10.13
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前回の記事から引き続き、フェイの論文“Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?”について紹介します。フェイによると、『証言』第五章冒頭部分の元となった記事の中で、ショスタコーヴィチは自身の交響曲第七番について語っています。この交響曲は、1941年6月の独ソ戦開始後に作曲され、もともと曲を作るのが速いショスタコーヴィチとしても異例の短期間で完成しました。そして初演されるとファシズムに対する戦いの象徴として熱狂的に支持され、「レニングラード」の標題が付けられました。ショスタコーヴィチは独ソ戦が始まると直ちに軍に志願したのですがあっさり却下され、音楽院からの志願者たちと共に塹壕掘りなどに参加しました。その後ショスタコーヴィチは音楽院の消防隊に任じられ、実際に空襲時に消火活動にあたることはありませんでしたが、音楽院の屋上にヘルメットをかぶって立つショスタコーヴィチの写真は、ナチスに対するレニングラードの英雄的抵抗のシンボルとして、世界中に拡散されました。この写真は、ショスタコーヴィチの楽曲CDのジャケットにもしばしば使用されているので、見たことのある人もいるでしょう。彼は戦火が迫る中もレニングラードに残り続け、10月になってようやく、当局の要請により妻子とともにレニングラードからモスクワへと避難しました(その後、首都機能の疎開にともなってクイブイシェフに移動)。『証言』の該当箇所から一部を引用すると、ショスタコーヴィチは交響曲第七番について以下のように述べています。「交響曲第7番《レニングラード》を、私は一気呵成に書き上げた。書かずにはいられなかったからだ。周囲のいたるところに戦争があった。わたしは人々とともにいなければならず、戦争に突入したわが国のイメージを想像し、それを音楽で表現したいと望んだ。戦争の最初の日々から、わたしはピアノに向かい、作曲の仕事をはじめた(後略)」(中公文庫版『ショスタコーヴィチの証言』水野忠夫訳p.273~274)ところが、『証言』の場合、こうした記述の後でショスタコーヴィチは「自分の作品についてはかなり長いこと構想を練っていて、それが頭の中で完全にできあがるまでは、けっして書きはじめないのである」と述べ、「第七交響曲は戦争のはじまる前に構想されていたので、したがって、ヒトラーの攻撃にたいする反応として見るのはまったく不可能である。「侵略の主題」は実際の侵略とはまったく関係がない。この主題を作曲したとき、わたしは人間性に関する別の敵のことを考えていた」「ヒトラーが犯罪者であることははっきりしているが、しかし、スターリンだって犯罪者なのだ」「第七番が《レニングラード交響曲》と呼ばれるのにわたしは反対しないが、それは包囲下のレニングラードではなくて、スターリンが破壊し、ヒトラーがとどめの一撃を加えたレニングラードのことを主題にしていたのである」等、最初に述べていたことと矛盾するような内容を話しています。明示的に述べているわけではありませんが、第七交響曲はナチス・ドイツに対する抵抗ではなく、スターリンによる大粛清をはじめとした犯罪への抵抗が真の主題である、と言いたげな内容です。ちなみに、上記引用の中にある「侵略の主題」とは、第1楽章の中間部で繰り返し反復されるモチーフのことで、どういう訳か、昔アーノルド・シュワルツェネッガーが出演する栄養ドリンクのCMに「ちちんぶいぶい」という歌詞(?)付きで使われたので、世代によっては聞き覚えがある人も多いでしょう(現在もネット上で視聴可能です)。果たして、十年以上も前の記事、ものによっては40年近く前の記事をほぼ忠実に再現して語ることができるのか、はなはだ疑問です。少なくとも常人には不可能でしょう。ヴォルコフは「編者序」の中で(周到にも?)「彼(ショスタコーヴィチ)はしばしば矛盾したことを語っていた」と述べる一方、『証言』の中で過去に出版された記事を使ったとは認めていません。また、取材はテープ録音ではなく速記メモによって記録され、「集められた資料を適切につなげて脈絡のある節にまとめ、ショスタコーヴィチに見せると、彼は私を認めてくれた」と述べています。ファーイはこのようなヴォルコフの主張は、『証言』に対して起こり得る異議に備えて記述されたものと推測しています。フェイの論文にはまだ続きがありますが、これは次回にしたいと思います。記事の続きはこちら<参考文献>ソロモン・ヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』水野忠夫訳(中公文庫)Laurel E. Fay “Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?”Laurel E. Fay “SHOSTAKOVICH A LIFE”
2024.10.13
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さて、前回の記事に続いて、ローレル・フェイが1980年に発表した論文“Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?”について紹介していきます。先の記事に書いたとおり、フェイはこの論文で、『証言』の中で7か所、しかも各章冒頭の「読了 D. Shostakovich」という自筆サインのある箇所の文章は、過去ソ連国内で出版された記事の流用であることを指摘しました。これらの記事は、1932年から1974年までの間に出版されたものでした。なお、この時点で『証言』のロシア語原稿は公開されていないため(現在も公式には公開されていないはずですが)、ファーイは『証言』の英語版の文章と、ロシア語の記事を比較せざるを得ませんでした。このため、厳密な比較は難しかったのですが、それでも『証言』の各章冒頭と、ロシア語の既出記事をファーイ自身が英訳して照合した結果、両者の内容が酷似していることが示されました。さらにフェイは、これらの流用が疑われる『証言』の文章の中で、元ネタとなった記事の出版時期がわかるような箇所の表現が変更もしくは削除されていることを明らかにしています。たとえば、中公文庫版『証言』のp.196、第四章「非難と呪詛と恐怖の中で」の冒頭は、1932年10月に出た元の記事では「私は2年半ほど《ムツェンスク群のマクベス夫人》に取り組んできたところです」となっているのが、『証言』では「ほぼ三年にわたって、わたしは《ムツェンスク群のマクベス夫人》をオペラにする仕事をつづけていた」と過去形になっています(後者の文章は中公文庫版『証言』によります)。オペラ《ムツェンスク群のマクベス夫人》は1932年末に完成していますので、作曲の最終段階の時期に発表された元の記事で上述のような書き方になるのは当然のことと言えます。また、第六章「張りめぐらされた蜘蛛の巣」の冒頭では、1960年に出版された記事が引用されているのですが、フェイによると、チェーホフの生誕100周年に言及した一文だけが丸ごと削除されているといいます。チェーホフは1860年生まれなので、1970年代に取材したはずの『証言』の中でチェーホフの生誕100周年に言及するのは不自然であるがゆえの削除、と考えるのが自然でしょう。『証言』の第五章の章題は「わたしの交響曲は墓碑である」ですが、これはショスタコーヴィチの楽曲CDの解説などにたびたび引用されて、その界隈の(つまり私のような)人々にとってはなじみのあるものです。この章の冒頭部分は、元は1965年に出た「音楽的なコンセプトはいかに生まれるか」という記事が流用されているのですが、オペラ《カテリーナ・イズマイロヴァ》の改訂に関して述べたくだりで「結局のところ、(《カテリーナ・イズマイロヴァ》を)作曲してから30年近く経ってしまった」との一文が『証言』では削除されています。《カテリーナ・イズマイロヴァ》は《ムツェンスク群のマクベス夫人》を改題したものですが、《マクベス夫人》が作曲されたのは上述のとおり1930年代初頭なので、ヴォルコフがショスタコーヴィチに取材した(と主張する)1970年代だと「30年」という表現では辻褄が合わないわけです。この部分でショスタコーヴィチは「レニングラード」の標題を持つ交響曲第七番について語っているのですが、詳細については少々長くなりますので、次回の記事で述べたいと思います。記事の続きはこちら<参考文献>ソロモン・ヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』水野忠夫訳(中公文庫)Laurel E. Fay “Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?”Laurel E. Fay "SHOSTAKOVICH A LIFE"
2024.10.12
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河合奈保子さん5枚目のアルバム『あるばむ』は、1983年1月21日にリリースされました。オリコンチャートで最高1位を獲得した作品であるとともに、それまでのいわゆるアイドル路線からニューミュージックへと舵を切った転機となる作品でもありました。A面の曲は竹内まりやさんと林哲司さん(「砂の傷あと」のみ)が担当、B面は来生えつこ(作詞)・たかお(作曲)姉弟によるもので、シングル曲としては「けんかをやめて」と「Invitation」の2曲が収録されています。残念ながら私の好きな両シングルのB面曲「木枯らしの乙女たち」と「黄昏ブルー」は収録されていませんが、曲調的に本アルバムに入りようがなかったことは理解できます。なお、アルバムA面とB面で作曲や作詞の担当を変えるという制作手法は、このあと1984年6月リリースの『Summer Delicacy』まで続きました。さて、この『あるばむ』ですが、じつは私にとっては比較的再生頻度の低いアルバムでして、わりと久しぶりに聴いてみましたが、自分の好みから言うとやはりどうしてもB面の来生姉弟の曲のほうに惹かれてしまいます。ちょっと蛇足ですが、「挑発路線」といわれた売野雅勇さんの歌詞よりも竹内まりやさんの歌詞のほうがある意味よほど「挑発的」と感じるのは私だけでしょうか(笑)。ともあれ、来生たかおさんの曲は、必ずしも表面的な派手さはないもののメロディーに味わいがあり、時に独特のコード進行も交えて飽きの来ない魅力があります。中でも今回は、とりわけ地味(?)な一曲「ささやかなイマジネーション」を取り上げたいと思います。この曲、B面一曲目の「浅い夢」から続けて歌われるミドルテンポの曲ですが、「ほんのありふれた 午後でいいから…」というサビの歌詞がいかにも河合奈保子さんに似合っている、と感じるのは、もちろんご本人には会ったこともない私の妄想です。ですが、「ありふれた…」という歌詞そのままに、いたってナチュラルな雰囲気が特徴で、大村雅朗さんによるアレンジもそれに合わせて、細かい技巧はちりばめられていますが、基本的には余計な装飾を排したものになっています。こうした曲をきちんと聴かせることは、じつはそう簡単ではないと思います。どんなジャンルの曲でも同じですが、たとえば技術的な難易度の高い曲は誰にでもわかりやすいインパクトがありますし(ヴォーカル曲なら極端なハイトーンとか、ハイテンポでの早回しなど)、抒情的なスローバラードならメロディーやアレンジの美しさで聴かせることもできます。ですが、「ささやかなイマジネーション」は、このようなわかりやすい要素とは無縁で(メロディーは美しいですが)、いわばごまかしの効かないタイプの曲といえます。シンプルでアレンジが薄め、歌詞も文字通り「ありふれた」風景を歌うこの曲は、歌い手の本当の表現力が試される一曲と言ってよいのではないかと思います。奈保子さんはこの曲を実にさり気なく、力みなく自然に歌っていますが、ライナーノーツで来生えつこさんが「とても正統派の歌手の声」と評しているのは、こうした面も含めてのことではないかと感じられます。ポップシンガーというのは、むしろ「クセ」を「個性」として表現していく面がある、というようなことは前にも少し書いたような気がしますが、奈保子さんの声はそうした「クセ」とは無縁で、自らのキャラクターよりも前に「音楽」があり、その音楽の世界を歌で表現する、という姿勢が一貫しています(だから、ライブでは超エネルギッシュなメドレーを歌った後にMCで実に品の良い女性に早変わりしてしまいます)。「個性」が先に立つ歌手の場合、どんな曲でも似たような歌い方になるのですが、河合奈保子さんの場合は曲によって歌い方を変え、曲の中でも表情を変えることができました。そして、この『あるばむ』以降、ニューミュージックにとどまらず、筒美京平&売野雅勇コンビによる尖った楽曲や、八神純子さん提供の難技巧の楽曲、AORやテクノポップを歌ったかと思えば『JAPAN』のような「和」の世界まで、非常に幅広いジャンルの曲を歌うことができたのは、まさに「正統派の歌手」であったからこそできたことと言えるでしょう。「ささやかなイマジネーション」に話を戻すと、この曲は「ありふれた」風景を歌いつつ、じつは「イマジネーション」というタイトルが示すように、歌の主人公にとってのいわば妄想、と言って悪ければ少なくとも現実にはかなえられない世界を歌っています。だからこそ曲の終わりに「Just only a dream」「かなえてよ かなえてよ」という歌詞が配されるわけですが、奈保子さんはここで少しだけ陰影をつけて切なさを表現しているように感じられます。というわけでこの曲、「ほんのありふれた午後」をさり気なく歌いながら、じつはそうしたものが現実には手が届かない、というなかなか深い歌なのです。この点を考えた時、「浅い夢」から「ささやかなイマジネーション」へと切れ目なく続く流れは非常に納得感があります。
2024.10.12
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河合奈保子さんの初期のアルバムから1曲ずつ紹介してきたので、順番でいうと次は「けんかをやめて」が収録されているアルバム『あるばむ』です(まぎらわしい笑)が、その前にシングル版「けんかをやめて」のB面に収録されている曲が「黄昏ブルー」です。再び竹内まりやさんには申し訳ないのですが、「けんかをやめて」が様々な意味で河合奈保子さんにとってひとつの転機になったことを十分認めつつ、私はB面の「黄昏ブルー」の方が好きなのです。いや、「けんかをやめて」の歌詞にもあるように(ないけど)、違うタイプの曲を好きになってしまうのです。。「木枯らしの乙女たち」のところで書いたように、「黄昏ブルー」は私が勝手に名付けた「若草恵B面三部作」の一作目です。といっても、実は一つ前のシングル「夏のヒロイン」のB面「ゆれてーあなただけ」も若草恵さんのアレンジではあるのですが…ともかくこの曲、作詞:竜真知子/作曲:馬飼野康二/編曲:若草恵という組み合わせなのですが、私には刺さりまくるタイプの曲です。「スマイル・フォー・ミー」をはじめ、いわゆる「アイドルソング」的な楽曲を奈保子さんに数多く提供してきた馬飼野康二さんですが、西城秀樹さんの「傷だらけのローラ」や「ブルースカイブルー」などの作曲者でもあります。この「黄昏ブルー」は、そうした馬飼野さんの別の面を聴くことができます。今は見られなくなっているようですが、だいぶ前に『宇宙戦艦ヤマト』の画像にこの曲をBGMとして流した動画を見たことがありまして、歌詞を別とすればまったく違和感なくはまっているように感じました。イントロや間奏でのピアノが印象的なこの曲、たぶん『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』のア・バオア・クーの戦いのバックで流しても合いそうな気がします。そういえば、実際に挿入歌として使われた井上大輔さんの「めぐりあい」は「黄昏ブルー」とはテンポがまったく違う曲ですが、やはりピアノが印象的な曲です…と思いつつ調べてみたら、この曲の作詞は「井荻麟、売野雅勇」となっているではありませんか!いや、だから河合奈保子さんの「黄昏ブルー」が『ガンダム』に合う、と主張するのはあまりに無茶なのは十分承知しているのですが…話が妙な方向にいってしまいましたが、「黄昏ブルー」はAマイナーでアップテンポの哀愁感あふれる曲です。若草恵さんらしくリリカルなピアノソロに始まり、ストリングスの情熱的なメロディーのあと、トレモロに切り替わると秋風を思わせる女声コーラスが入る…というイントロだけでも十分ドラマチックですが、歌の展開も起伏に富んでいます。Aメロの終わりで一度頂点を作ったあと、Bメロの「愛していても…」でいったん音量を落としてレガート気味に歌ってから後半でふたたび盛り上げるのですが、サビに向かってのロングトーンに重なるストリングスの上昇半音階がスリリングです。サビでの奈保子さんの歌い方は、すでに同じようなことを何度も書いていて恐縮ですが、やはり発音の良さと音の切り方、抜き方がたいへん素晴らしいです。これを「けんかをやめて」でも聴ける芯のある澄んだ声で歌われるのですから言うことはありません。それに加えて、サビ後半のフレーズ「まっすぐに…」の「ま」が良い、と言ったら聴き方としてはあまりにマニアックかもしれません。そういえば「デリカシー」について書いた時も「まま」の発音について触れましたが、どうも私は河合奈保子さんの「ま」の発音に惹かれてしまうようです。少し調べたところ「ま」は分類としては「ぱ」や「ば」と同じ「破裂音」なのだそうです。奈保子さんは破裂音に限らず子音の発音がはっきりしており、いわゆる活舌が良いタイプであることは歌唱時以外の喋り方からも感じられるところですが、この「まっすぐに」は特に印象的です。この部分の譜面が、実際にどのように書かれていたのかはわかりませんが、私には「2+3」のリズムに聴こえます(無理やりクラシックのたとえを用いると、いわゆる「ブルックナーリズム」)。ただ、「まっすぐに」の前半のリズムは「ま」の次が「っ」で実質発音されないため、冒頭の「ま」がとても重要なポイントになります。これを明確に、かつ綺麗に発音することで、文字通り「まっすぐ」な表情が出ていると私は感じます。ちなみに、奈保子さんは破裂音を常に明確に発音しているわけではなく、この曲でいうとAメロの「ぽっかり」はソフトに発音されています。そのいっぽうで、このあとの「待ちぼうけ」の「ま」がまた良いのです…ちょっと変態か自分?さて、「まっすぐに」と同じリズムのサビ後半の歌詞は「ゆれながら…」、ここも前半と同じ「2+3」のリズムになっている、はずなのですが、奈保子さんの歌い方は「まっすぐに」とは違って、後半の「ながら」を遅らせ気味に歌っていて、文字通りリズム「ゆれて」いるのです。この「まっすぐに」と「ゆれながら」の対比が、この曲の一番の聴きどころではないかと私的には思っています。さて、こんなマニアックな聴き方をしなくても「黄昏ブルー」は十分良い曲だと思いますので、ご存じない方はぜひ一度聴いてみていただければと思います。
2024.10.11
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ショスタコーヴィチについて語る際にしばしば引き合いに出される書物『ショスタコーヴィチの証言』(以下原則として『証言』と記します)に関して、一介のマニアに過ぎない自分が無謀にも述べようというのがここでの試みです。かなりの長文になるので、少しずつ分けて掲載していきます。なお『証言』からの引用は、私の手元にある1986年中公文庫版のものであることをお断りしておきます。1980年のハードカヴァー版とはページ数、文章とも異なる可能性があることにご留意ください。『証言』の原題は "TESTIMONY: The Memoirs of Dmitri Shostakovich as related to and edited by Solomon Volkov" といいます。ショスタコーヴィチは、生前はソ連国内で最も卓越した作曲家として知られており、ソ連の音楽界を代表するアイコンとして体制側に利用された面もありました。前の記事に書いたように、生涯何度か体制による批判を受けて窮地に立たされる一方、スターリン賞やレーニン勲章など数々の栄誉を受けており、1961年には正式にソビエト共産党員にもなっていたため、日本ではバリバリの共産主義者というイメージを持つ人もいたようです。そうしたショスタコーヴィチのパブリックイメージは、ショスタコーヴィチの没後、1979年に西側で出版された一冊の書物によって大きく揺らぐことになりました。それがソロモン・ヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』です。これが大きな反響を呼んだのは、それまでは少なくとも共産主義体制に従順な人物と見られていたショスタコーヴィチが、本書の中では陰鬱でシニカル、時には冷笑的とも言うべき語り口で、スターリンや共産主義を批判する発言を厭わず、さらには自身と関わりのあった音楽家たちに対しても辛辣な発言を繰り返していたためです。その舌鋒の対象には、彼の交響曲の初演を多く手掛けた指揮者のエフゲニー・ムラヴィンスキーや、作曲家としての先達にあたるセルゲイ・プロコフィエフなども含まれていました。本書の内容を読んで、それまでムラヴィンスキーを賞賛していた人が、その意見をひっくり返すようなこともあったようです。ヴォルコフによると、『証言』はショスタコーヴィチが長期にわたる取材に答えたメモ(速記録)をもとに編集したもので、ショスタコーヴィチの死後に西側で出版するように託されたもの、とされています。ショスタコーヴィチはヴォルコフがまとめた原稿に目を通し、自らその原稿にサインした、とヴォルコフは主張しており、初版ではショスタコーヴィチとヴォルコフが並んだ写真が掲載されるとともに、自筆サインが各章の冒頭に掲載されており、これが『証言』の信憑性を担保するものとされました(私の手元にある中公文庫版では、この写真とサインは掲載されていません)。サインは筆跡鑑定によってショスタコーヴィチによるものとされており、この点についてはヴォルコフの批判派・擁護派ともに認めています。本書が各国の音楽関係者に与えた衝撃は大きく、ショスタコーヴィチのイメージは、共産主義体制を擁護するアイコンから、音楽によって体制に抵抗しようとした抵抗者(dissident)へと正反対に振れました。さらには、ショスタコーヴィチの音楽の中にはそうした体制への抵抗を示す密かな「暗号」が埋め込まれている、という見方もされるようになりました。ショスタコーヴィチは自身の曲の中に自作曲や他人の曲からの「引用」をたびたび行っており(たとえば、彼の最後の作品となったヴィオラソナタには、自身のそれまでの交響曲からの引用が走馬灯のように続く箇所があります)、こうした作曲手法をもとに「暗号解読」を試みる、という聴き方はショスタコーヴィチ受容のひとつの典型と言ってもよいものになっています。【24/11/16追記】上述の箇所で「自身の交響曲からの引用が走馬灯のように続く箇所」を当初「交響曲第15番」と書いていましたが、これは「ヴィオラソナタ」の誤りでしたので訂正します。しかしこの『証言』については、早くからその真贋について疑義が呈されていました。この問題は現在に至っても完全に決着したとは言えない状態ですが、ヴォルコフが『証言』の元にしたと主張する速記メモが公開されていない(おそらく現存しない)以上、たぶん永久に解決しないでしょう。ただ、先にこの件に関する私の立場を述べておくと、基本的に私は『証言』は「贋」だろうと考えています。といっても、それは本書に書いてある内容がすべて嘘であるとか、ヴォルコフの創作である、ということではなく、本書が「ショスタコーヴィチに対するヴォルコフのインタビューをもとにして作られたものではない」、という意味です。『証言』の中には事実と認められる事柄(『証言』以外のソースによって確認可能)も多く含まれており、またショスタコーヴィチが実際に周囲の人に語ったことも含まれている可能性が高いですが、ショスタコーヴィチが自らそれをヴォルコフに語った可能性は極めて低い、ということです。まず、『証言』の信憑性に関する基本的な疑問として提示されたのは、アメリカの研究者ローレル・フェイ(Laurel E. Fay)が1980年に発表した論文 “Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?” でした。フェイは『証言』の信憑性を示す最大の拠りどころだった、ショスタコーヴィチ自筆のサインがある各章冒頭の内容が、ショスタコーヴィチの名義で過去に雑誌や新聞に掲載された別の記事とほぼ一致している、という点を指摘しました。そして、流用または剽窃と考えられる部分の途中で話のトーンが変わり、「反抗者」としてのショスタコーヴィチが姿を現してくることを示しています。次回以降、このフェイの論文の内容について紹介していきますが、元は英文ですので、翻訳の誤りや引用上のミスに関してはすべて私の責任になります。記事の続きはこちら【24/11/21追記】当初Laurel Fayの表記を「ファーイ」としていましたが、こちらの動画から「フェイ」の方が適切と判断し、訂正しました。<参考文献>ソロモン・ヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』水野忠夫訳(中公文庫)Laurel E. Fay “Shostakovich versus Volkov: Who‘s Testimony?”
2024.10.11
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河合奈保子さんのバックバンド「NATURAL」は、1985年頃から88年頃まで、ライブやテレビ番組の演奏で奈保子さんのバックを務めたバンドです。よみうりランドEASTでのライブでは85年~88年まで、バックがNATRUALとしてクレジットされています。「タカちゃん」としてファンの方々からも親しまれたというバンドマスターのベーシスト山村隆男さんは、映像で見る限りバックが「ザ・ムスタッシュ」だった頃から奈保子さんのライブに加わっていたことが見受けられ、付き合いは長かったようです。83年のEASTライブ「NAOKO 20'S Carnival」に備えた合歓の郷での合宿でのフランク・シナトラ「Let Me Try Again」や「Sky Park」のリハーサル風景でも、奈保子さんの後ろで演奏する山村さんの姿が映っています。NATURALが、いつから奈保子さんのバックとして活動を始めたのか正確な情報を私は持っていませんが、命名は河合奈保子さん自身によるもので、オーディションで選ばれたバッキングボーカル「MILK」とともに、88年までほとんど常に行動を共にしていたことは、MILKのメンバーだった宮島律子さんのブログでたびたび触れられているところです。88年リリースのアルバム「Members Only」は、河合奈保子さんとNATURAK & MILKの活動の集大成とも言うべき作品で、アレンジと演奏にNATURAK & MILKが参加して制作されました。この中の一曲「ローマでさよなら」がテレビ番組で披露された貴重な映像(番組名不詳)が残っていますが、コーラスの出番はないのにMILKの二人もちゃんとバックに加わっているのが印象的です。さて、その「Members Only」でのアレンジも手掛け、ギターというポジション上、ライブパフォーマンスでも目立つことが多かったのが、チョビ髭が特徴的な風貌の永島広さんです。同じく「Members Only」の曲「Girls Like a Party」のテレビライブの中で(これも番組名不詳)、NATURAK & MILKのメンバーそれぞれが自己紹介するという、これまた貴重な映像が残っているのですが、永島さんは「こんにちは、堀内孝雄です。今日は僕のコンサート、よろしく!」とボケをかまし、しかも誰も訂正しない(テロップで「永島広」と表示はされている)という面白いシーンが見られます。ここで奈保子さんが突っ込みを入れず「どうもすいません、こんな変なメンバーで…」というのも「らしい」ところです。この演奏、奈保子さんは本当に楽しそうに歌っており、アウトロでのスキャットも美しく、おススメの映像です。永島広さんというともう一つ、私の印象に強く残るのは、85年のEASTライブ「感電するゾ熱い夏」での「コントロール」の演奏です。この85年EASTは、ライブタイトルのとおり「熱い」演奏が目白押しなのですが、「コントロール」もおそろしくハイテンションで、これを聴いたあとでシングル版を聴くと、やけに落ち着いた演奏に聴こえてしまうくらいの違いがあります。「コントロール」は84年EASTのほうが曲名通り「コントロール」された演奏かもしれませんが、この85年EASTでは「コントロール」などかなぐり捨てたかのような奈保子さんの振り切れぶりが魅力です。で、この「コントロール」の間奏場面、永島さんは膝スライディング(サッカー選手がゴールパフォーマンスでよくやるやつ)でステージ前方に登場、エモーショナルなギターソロを披露します。紙テープが積もりまくったステージでは膝スライディングもやりやすかったかもしれません。ここでの永島さん、とにかくめちゃくちゃ楽しそうに弾いていて、演奏する喜びが爆発しています。その隣で奈保子さんも超ノリノリです。こういう映像が見られるのがライブの良いところですが、このシーンの印象が強いので、私の中では永島広さん=膝スライディングとインプットされています(笑)。他にも、「Naoko Live Premium」ボックスのブックレットによると、86年のチャリティーコンサート「EARTH ARK」で演奏された「ハーフムーン・セレナーデ」を含む楽曲のアレンジはすべて永島広さんと記載されていますので、ライブでのNaturalのアレンジの重要な部分を永島さんが担っていたものと推測されます。映像で見ることができる河合奈保子さんのライブパフォーマンスについても、おいおい書いていきたいと思っています。
2024.10.10
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「ダイアリー」に続く河合奈保子さん4枚目のアルバムは「サマー・ヒロイン」、19歳の誕生日直前の1982年7月21日にリリースされました。1981年秋の事故による負傷からの完全復活を印象づける1枚と言ってよいでしょう。シングル曲としては「ラブレター」と「夏のヒロイン」が収録されていますが、「ラブレター」はロングバージョンで、ヴォーカルもシングル版とは別に再レコーディングされたものが収録されています。「Naoko Premium」のブックレットによると、当初「けんかをやめて」もこのアルバムに入る予定だったのがシングルに回され(9月1日リリース)、代わりに入ったのが「夏はSEXY」だということです。このアルバムへの楽曲提供は作詞:竜真知子/作曲:馬飼野康二のコンビが7曲、作詞:伊藤アキラ/作曲:尾関裕司のコンビが2曲、作詞・作曲ともに竹内まりやさんの曲がひとつ、という構成です。アレンジは私の好きな若草恵さんが多く担当し、ほかに大村雅朗、清水信之の両氏が参加しています。竹内まりやさんによる「アプローチ」以外のすべての曲でストリングスが使われているのも特徴のひとつと言ってよいかもしれませんが、これは、若草恵さんがストリングスを使ったアレンジを得意としたことにもよるでしょう。「夏のヒロイン」というタイトルのままに「I My Me Mine」をはじめメジャー調アップテンポの弾けた曲が目立つアルバムの中で、マイナー調の「帰れない」と並んで変化を付けているのが、「Please Please Please」ではないかと思います。作詞:竜真知子/作曲:馬飼野康二/編曲:大村雅朗という組み合わせによるこの曲、テンポ的にはバラードの部類に入りそうですが、A♭メジャーの広がりのある曲で、イントロのホルンのところだけ聴くと、80年代ハリウッド映画のサントラみたいな雰囲気があります。と言っても私はハリウッド映画にはかなり疎いので、なぜそのような印象を持つのか自分でもよくわかりませんが…ポップスの楽曲としては珍しくティンパニが使われており、間奏のギターの後で鐘の音が入るのも特徴的なところです。「夏のヒロイン」収録の他の曲についても同じことが言えますが、前作「ダイアリー」までの河合奈保子さんと比べると、「Please Please Please」での歌声は、透明感はそのままに、音の強弱を問わず、よりヴィヴラートを効かせた歌い方で深みが増しており、同じバラードでも「Twilight Dream」や「湖サンセット」とはまた違った世界を表現しています。発声もさらに良くなり、決して声を張り上げているわけではないのですが、スケール感のあるバックに負けない強さがあります。歌詞は別れを予感させるものなのですが、メジャー調かつオーケストラ風のサウンドにこの歌声が乗ることで、かえって切々とした秘めた情熱が伝わってくるようです。サビの歌詞「Please」の歌い方、一度目と二度目でさりげなく表情を変えているところも隠れた聴きどころです。この「Please Please Please」を聴くと、このあと「けんかをやめて」から「エスカレーション」へと続いてゆく流れを確実に予感させるものがあります、といったら奇妙に聞こえるでしょうか。「けんかをやめて」と「エスカレーション」を同じ文脈で並べるのには違和感を持たれるかもしれませんが、ここでは音楽のジャンルや曲調ではなく、奈保子さんの歌唱や表現の話と考えていただければと思います。河合奈保子さんのアルバムについて語る場合、デビュー作「LOVE」から「サマー・ヒロイン」までの4作を「第一期」または「前期」として位置付けられることが多く、私もその区分けに基本的には異論ありません(次の「あるばむ」は過渡期と言ってもよいかもしれませんが)。この時期を「アイドル期」と呼ぶのも、そのままの意味で正鵠を得ている言ってよいでしょう。私はたまたま最初に入手したアルバムが「JAPAN」だったこともあり、河合奈保子さんの自作曲によるアルバムから聴き始めて、だんだん遡っていった結果、初期のアルバムをいちばん後で聴いたのですが、ここまでの記事を書くのに4作を改めて聴いてみると、中期(「あるばむ」~「NINE HALF」)や後期(「Scarlet」~「engagement」)とはまた違った魅力があり、この時期のアルバムでしか聴けないようなタイプの曲も多くあります。もしも「アイドル時代の奈保子さんには興味がない」という方(あまりいないかもしれませんが…)、あるいはシングル曲しか聴いたことがない、という方がいたら、ぜひこれらのアルバムも聴いていただきたいと思います。
2024.10.09
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先にロンドン・フィルハーモニーによる『ドラゴンクエストVI』の演奏をくさした記事を書いてしまいましたが、オーケストラによるゲームミュージックが常に駄作、とは限らない例もあります。私は『信長の野望 全・国・版』以来、光栄(現コーエーテクモゲームス)の歴史SLGはけっこう遊んでいまして、最近の作品はフォローしていませんが、『信長の野望』シリーズで言うと『嵐世記』あたりから生演奏のオーケストラサウンドをゲーム中で使うようになったと記憶しています。が、だいたいオープニングを聴いたとたんに脱力するケースが多く、ゲーム中のBGMはむしろ内蔵音源で演奏したほうが良いレベル、「猫も杓子もオーケストラなゲームミュージック」の悪い例を実践してしまっています。ですが、ゲーム中に生オーケストラの音を使うなど想像もつかなかった時代、光栄が出していたアレンジもののオーケストラバージョンの中には実はかなりの良作がいくつかあるのです。…といっても、それを知ったのはわりと最近の話で、「今川氏真」さん(「義元」でないところが素敵です笑)というチャンネルで偶然聴いたのがきっかけでした。中でもずば抜けて素晴らしいのがこの『信長の野望・天翔記』オーケストラバージョンです。作曲は近年は大河ドラマ『おんな城主直虎』の音楽も手掛けた菅野よう子さん。オーケストラはワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団による演奏です。私はゲーム『信長の野望・天翔記』(1994年)自体は学生時代に持っていて、音楽が菅野さんであることも知っていましたが、このオーケストラバージョンは「今川氏真」さんのチャンネルで初めて知りました。このワルシャワ国立フィル、「オーケストラっていうのはこういう音なんだよ!」と声を大にして言いたくなる演奏をしてくれています。ロンドン・フィルと比べたら知名度でははるかに劣るオーケストラですが、この『信長の野望・天翔記』に関しては、ロンドン・フィルの『ドラクエVI』を完全に上回っています。録音も良く、音もクリアです。この「クリア」というのは、各パートの音が分離して聴こえる、という意味ではなく、変な加工をしていない「ホールで鳴り響いたであろう音」に近い音、という意味です。実際、クレジットによると録音はスタジオではなくワルシャワ・フィルハーモニーホールで行われています。スタジオでの録音ではこのような広がりのある音にはならず、さらにマイクを多数使ってミックスした録音だと各パートの音が溶け合わなかったりおかしなバランスになったりすることが珍しくありません。どの曲も弦楽器は透明度が高く、たいへん美しい響きを作っています。多数の奏者が同じ音を出す弦楽器は、パート内で奏者の音が溶け合わないと、いくら一人一人が上手くても音が濁ってしまうのですが、この演奏の弦セクションは各パートが純度よく溶け合っています。いっぽう、音を「溶かす」ことにとらわれ過ぎると、綺麗ではあっても表情に乏しい弱弱しい音になりかねないのですが、この演奏ではどの曲も表情豊かで、緊迫感のある曲での凝集力も高いです。「覇王組曲」の後半で少しアンサンブルが乱れているのだけが玉に瑕、といったところでしょうか。ちなみに、弦楽器の「純度」と「凝集力」の双方を極限まで鍛え抜かれた信じがたいほどのレベルで兼ね備えていたのが、エフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮した旧ソ連のレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団でした。ワルシャワ国立フィルに話を戻すと、管楽器も引き締まった音を出しており、たとえば「月下の陣」での張り詰めた金管楽器のコラールは、ロンドン・フィルがやらかしてしまった気の抜けた『ドラクエVI』の演奏とは雲泥の差があります。菅野さんによるアレンジも巧みで、「風蘭」という2分ほどの短い曲があるのですが、ポーランドのオーケストラで演奏することを意識したのか、ピアノソロも使ったショパン的なワルツというかポロネーズ風の楽曲になっています。オーケストラもこれを意気に感じたのか、ルバート的な表現を使って見事に応えています。ピアノは菅野さん自身が演奏されているようです。いっぽう「覇王組曲」は、大河ドラマのオープニングに使われてても不思議でない曲です。が、実際の大河ドラマでオープニング曲を担当するNHK交響楽団には、残念ながらこのような演奏はできないでしょう(実のところ、大河のオープニングでのN響も「お仕事モード」のものがけっこうあるのです…)。近年も日本のテレビやゲーム等のサントラをたびたび担当しているワルシャワ国立フィルハーモニーは、大河ドラマ『風林火山』の劇中BGMも担当しています。ちょっと記憶が定かでないのですが、昔ネット上でワルシャワ国立フィルが演奏する『風林火山』のOPテーマを聴いたとき、N響の演奏にくらべて大いに納得したような記憶があります。N響の演奏は、トランペットが弱いうえにリズムが甘いために、せっかくの名曲が締まりのない印象になってしまっているのです(とはいえこのワルシャワ国立フィルによる「風林火山」、何分はっきり憶えていないので、私の妄想である可能性も否定できませんが…)。アルバムの最後は新居昭乃さんの歌うヴォーカル曲です。河合奈保子さんとはまったく異なる歌い方ですが、このCDが制作された1994年というタイミングを考えると、もしもこれを奈保子さんが歌っていたら、などという妄想もついしたくなってしまいます。
2024.10.08
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フィギュアスケートの陳虹伊選手が、2023年のフリー演技で河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」を使ったことで、ファンの方の間でちょっとした話題になったようです。私も遅ればせながら、陳虹伊選手の演技を見てみました。実は私、フィギュアスケートもかなり好きなのでして、女子シングルの選手では現役選手なら坂本香織選手、引退した選手であれば何といってもイタリアのカロリーナ・コストナーさんがお気に入りです(コストナーさんのソチオリンピックでの演技は何度見ても素晴らしいです)。男子シングルの選手だったら、現役なら今コストナーさんがコーチを務める鍵山優真選手、引退した選手だったらパトリック・チャンさん、あと今はグランプリ・シリーズには出ていないようですがジェイソン・ブラウン選手も良いですね。さて、陳虹伊選手の「ハーフムーン・セレナーデ」に話を戻すと、私がまず気になったのは演奏(インスト)がDマイナー、つまりニ短調であることでした。これが後半はアレンジが変わって、Gマイナー(ト短調)になっていました。河合奈保子さんのオリジナルバージョンはEマイナー(ホ短調)で、Dマイナーより一音上のキーになります。「ハーフムーン・セレナーデ」が香港では「月半小夜曲」としてカヴァーされて大ヒットし、ポピュラーソングになっていることは、ファンの方々にとっては周知のことかと思います。じっさいネット上にはさまざまな方の歌う「月半小夜曲」がアップされています。そのすべてを聴いたわけではありませんが、女性歌手の多くはDマイナーで歌われているようでした。アレンジ、歌唱ともさまざまで、情感豊かにしっとりと歌うものからスケールの大きなものまでありますが、私の聴いた範囲では河合奈保子さんと同じEマイナーで歌われているものは見当たりませんでした。いっぽう、もともとこの曲を香港でヒットさせた李克勤(ハッケン・リー)さんは、男性ということもありGマイナー(ト短調)で歌っていました。ヴァイオリンによるインストカヴァーの映像もいくつか見てみましたが、やはりGマイナーで演奏されていました。「作曲:河合奈保子」とクレジットを出していながらト短調で演奏されると、ちょっと複雑な気分になってしまうところではあります。陳虹伊選手の演技に使われた演奏が、オリジナルのEマイナーではなく、DマイナーからGマイナーという構成になっていたのは、香港で歌われる「月半小夜曲」の大半がこれらのキーを使っていることによるのでしょう。「ハーフムーン・セレナーデ」を原曲と同じEマイナーでカヴァーされていたのは、私が見た限りでは柴山サリーさんのみでした。たぶん、国内の「歌ってみた」系の方には他にもEマイナーで歌われている方がいるとは思いますが…河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」の場合、Bメロからサビにかけて、ヘッドボイスで強靭なロングトーンを使ったり大きなヴィヴラートをかけたりしつつミックスボイスの領域と行き来するような非常に独特の歌い方になります。このような歌い方をするには、ミックス領域とヘッド領域(という言い方があるのか私は知りませんが)で同じ強度の発声が必要になりますが、これをDマイナーに下げると最高音がド(C)になりますので、きちんとトレーニングされた女性歌手の方であれば、ミックスボイスのまま歌える音域になります。サビ直前のロングトーン(原曲ではド)も一音下がってシ♭になり、比較的楽になるでしょう。香港の女性歌手の多くがDマイナーで歌っているのは、このような事情によるのではないかと勝手に推測しています。さて、フィギュアの方に話をもどすと、現行ルールではヴォーカル入りの曲を使うことも可能ですので、河合奈保子さんの歌う「ハーフムーン・セレナーデ」をバックに演技するフリープログラム、というのも夢ではありません。スタジオ録音盤の「ハーフムーン・セレナーデ」は5分30秒かかるのに対してフィギュアスケートのフリー(シングル)の演技時間は4分±10秒なので、だいぶ省略する必要はありますが…ちなみに「FOR THE FRIENDS」だったら4分7秒でちょうど良く、「Wings Of My Heart」もちょっと調整すれば収まりそう…坂本香織選手はスケーティング技術が極めて高く、圧倒的なスピードを活かしたスケールの大きな演技ができる方ですので、河合奈保子さんの歌う「ハーフムーン・セレナーデ」の世界を表現できるのではないか…などと妄想が広がります。
2024.10.08
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河合奈保子さん3枚目のアルバムは「ダイアリー」、1981年8月10日にリリースされました。「日記」をテーマにしたコンセプチュアルな面があり、女の子が日記に書くような内容を歌ったような楽曲が多いようです。「Naoko Premium」のブックレットによると、ご本人は「日記をつけていなかったのに、恥ずかしかった」とコメントしているそうな…。紙ジャケットを再現した「Naoko Premium」版の「ダイアリー」に付属している歌詞カードはCD用とはいえ広げるとかなり大きく、帯に記載されているとおり「特写カラー満載」、1981年8月から11月までのカレンダーが付いています。70年代歌謡曲風な陰影の曲が多かった前作「TWILIGHT DREAM」に比べると、よりストレートに明るくリズミカルな曲が目立ついっぽう、「湖サンセット」のように抒情的なバラードもあれば、ロカビリー風の曲もあったりとバラエティに富み、全体を通して楽しめるアルバムになっています。最初は突き抜けた高音が素晴らしい「別世界」について書こうと思っていたのですが、アルバムを通して聴くと、どの曲もそれぞれ異なる魅力があり、何について書くか迷ってしまいます。とりあえず、今まで取り上げていないタイプの曲について書こうということで、メジャー⇔マイナーの転調系の曲ははずし、バラードの「湖サンセット」はとても良い曲なのですが、同じくバラードの「Twilight Dream」について書いたばかりなので後回し(ちなみに「湖サンセット」もマイナーからメジャーへの転調があります)、シングル曲「スマイル・フォー・ミー」はよく知られているのでこれも除外、ということで、結局「危険なサマー・タイム」にしました。ざっとネット検索したところ「危険なサマー・タイム」について書かれた記事は非常に少ないので(サマータイム導入反対の記事がヒットしたりする)、ここで取り上げる意義(?)もあるだろう、というところは良いのですが、この手のアメリカンな雰囲気のロックンロールな楽曲は私にはかなり疎い分野なので、何をどう書こうか、また迷います(私にあるていど馴染みがある範囲は、ぎりぎり遡ってもビートルズ以降のブリティッシュ・ロックです)。とりあえずロックンロールって何だ、ということでプレスリーの曲を聴いてみたり、50年代つながりで映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の "Johnny B. Goode" の動画に迷い込んだりして…そういえば奈保子さんは、中村雅俊さんとのデュエットでプレスリーの「監獄ロック」をパロディにした「看護婦ロック」を歌ったこともありました。ロックンロールよりは幅広い範疇になりますが、86年のEASTライブではオールディーズメドレーを披露したりもしているので、こうしたジャンルは奈保子さんも好きな分野だったのかもしれません。結局、にわか仕込みで「ロックンロール」について語ろうにも無理があるので、自分が聴いたままを書くしかありません。「危険なサマー・タイム」は作詞:湯川れい子/作曲:馬飼野康二/編曲:後藤次利というメンバーによるもので、河合奈保子さんの楽曲で湯川れい子さんが作詞したものは、ちょっと自信がありませんがこれ一曲だけではないでしょうか。ついでに言うと、歌詞の中に「ビキニ」というワードを用いたのも、この曲が最初と思われます(「エスカレーション」が最初、ではないのです)。曲はF#メジャー(またはG♭メジャー)の明るいサウンドで、A-B-A-B-Bの構成、アレンジはピアノとサックスが目立ちます。クレジット上は「Keyboards」と記載されていますが、私の印象としては電子ではなく本物のピアノで演奏されているのではないかという気がしています。サックスはテナー&バリトンサックスを使っていて、語彙が貧弱で申し訳ないですがブイブイという感じ。このサウンドに奈保子さんの弾む歌声が違和感なく乗っています。Aメロの歌い方が特徴的で、同じ節でも「夢から覚めても」「くちびるあたりに」「ホイップクリーム」といった歌詞に応じて表情を変えています。出だしの「夢から…」はスタッカートを強調して溌剌と歌うのに対し、リピートの「くちびる」はささやくように歌っていますが、「くちびる」のところを抑えて、続く「あたりに」でクレッシェンドして勢いを出しています。同じフレーズをリピートする際に2回目の表情を控え目にして変化をつける奏法を「エコー」と言ったりしますが、単に機械的に弱くしているのではなく、言葉のイメージで表情を付けている印象です。後の「UNバランス」で「恥ずかしい…」と「向こう見ず」でガラッと表情を変えているのと似ています。いっぽう「ホイップクリーム」はちょっとコミカルな表情を出しています。スタッカートとレガートを織り交ぜながら歌うサビ的なBメロでは、高音での歌声の伸びだけでなく「抜き具合」もたいへん巧みで、これが実に生き生きとした躍動感を与えています。このメロディーをベタっと歌うと、ロックンロールな雰囲気は決して出ないでしょう。初期の河合奈保子さんの歌い方を俗に「ハネる」、と形容するらしい、ということは実は最近知ったことなのですが、このような形容が生まれたのは、ここに書いたようなメロディー、音楽への表情づけによるところが大きいと思います。この曲に続いて躍動感あふれる「スマイル・フォー・ミー」が歌われると、非常に納得感があるわけなのですが、その一方で「湖サンセット」のような美しくリリカルな曲も含まれているこのアルバム、繰り返しになりますがバラエティに富んだ充実した作品です。
2024.10.07
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またいきなり別ジャンルの話ですが、旧ソ連の作曲家ショスタコーヴィチの話です。私のニックネームについている「DSCH」、そのスジの人が見たらすぐわかるのですが、ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチのドイツ語表記(Dmitri Dmitrijewitsch Schostakowitsch)の頭文字を取ったものです。続きのSKYPARKは河合奈保子さんのファンの方には説明不要かと思います。で、ショスタコーヴィチはこのDSCHを音名に読み替え「レ(D)ーミ♭(Es=S)ード(C)―シ(H)」というモチーフにしてしばしば自らの曲に使いました。中でも弦楽四重奏曲第8番と交響曲第10番は有名です。私はかってにこの「DSCH」を自分のニックネームに使っているというわけです。ショスタコーヴィチはロシア第一革命直後の1906年に生まれ、幼少時からピアノと作曲に天賦の才能を示し、わずか13歳でペトログラード(その後のソ連時代はレニングラード)音楽院に入学、音楽院の卒業制作として19歳の時に作曲した交響曲第1番が高く評価され、生涯に15曲の交響曲と、同じ数の弦楽四重奏曲をはじめとする多数の作品を残しました。1936年にオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が『プラウダ』紙上で批判され(その記事はスターリン自身が書いた可能性が高いとも言われます)、第二次大戦後はいわゆる「ジダーノフ批判」によって一時職を失うなど、何度か窮地に立たされながら、終生ソ連で作曲活動を続けた人物です。そのショスタコーヴィチについて語る際、しばしば引き合いに出されるのが、ソロモン・ヴォルコフ著『ショスタコーヴィチの証言』(以下『証言』と記します)という本です。この『証言』に関しては、出版直後から主に英語圏、というかアメリカとイギリスで真贋論争が起こり、今に至るもはっきり決着がついたとは言い難い状況です。論争の内容についてはWikipedia「ショスタコーヴィチの証言」の項にて概略を知ることはできますが、この問題に関する論文や文献は批判派、擁護派によるものいずれも邦訳されていないものが大半で、日本では一般(のショスタコーヴィチ好き)には「なんか『証言』は贋作っていわれてるらしい」ぐらいの認識かと思われます。先に「英語圏」と書きましたが、実はアメリカやイギリスを除いた欧州ではそもそもこの問題に関心が低いというような話もあり、日本もそれに近いかもしれません。しかし、ヴォルコフはその後も「ショスタコーヴィチとスターリン」という書籍を刊行しており、これをロシア文学者として有名な亀山郁夫氏が翻訳しているような状況もありますので、『証言』の問題について、できるだけ正確な理解を持つことは、すくなくともショスタコーヴィチマニアという、世間一般からすれば極めてニッチな層にとっては必要なことだと思います。また『証言』以外にもショスタコーヴィチに関する海外の文献は豊富にあるのですが、邦訳されているものは非常に少なく、やはり亀山氏の翻訳によるソフィア・ヘーントヴァ著『驚くべきショスタコーヴィチ』と、ヴォルコフ批判の先陣を切ったローレル・ファーイ著『ショスタコーヴィチ ある生涯』くらいしかなく、しかもこの両書とも絶版で入手困難な状況となっています。ちなみに亀山氏は自身で『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』という著作も書いています。そこで、たいへん困難ではありますが、私の貧弱な語学力をなんとか駆使して、ショスタコーヴィチおよび『証言』に関する文献や研究について、今後少しずつ紹介していきたいと思っています。なお、ファーイの著作は英語版はKindleで入手できますので、英語が読める方はこちらをおススメします。ほかに、ショスタコーヴィチの伝記として比較的簡易なものとして、英国ブリストル大学の教授Pauline Fairclough著 "Dmitry Shostakovich (Critical Lives) " もKindleで入手可能です。といっても、河合奈保子さんに関する記事メインでやっていくつもりではあります。
2024.10.06
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河合奈保子さんのセカンドアルバムは「TWILIGHT DREAM(トワイライト・ドリーム)」です。Wikipediaの記載は「トワイライト・ドリーム」とカタカタ書きになっており、ものによっては「Twilight Dream」と表記されることもありようですが、私の手元にあるアルバムジャケットと帯の表記は全部大文字なので、とりあえずこれに従います。リリースは1981年5月10日、このアルバムからピクチャーレーベル仕様となり、LPの両面には爽やかな笑顔の奈保子さんがプリントされています…といっても、私はLP盤を持っていませんので、全LPのレーベル面が収録された「Naoko Premium」のブックレットで確認しています。 このアルバム「TWILIGHT DREAM」も、ファーストアルバム「LOVE」と同様にマイナーへの転調を含む曲が多く、「そしてシークレット」のようにそもそも基本がマイナー調の曲もあれば、「イチゴタルトはお好き?」のように一見ちょっと(かなり)お花畑系の曲も途中に転調があったりして、後追いファンである私にとっては、そういった面のほうがむしろ魅力的に聴こえるところです(というか、基本的に自分の好みがマイナー調ということなのですが…)。ストレートに明るい曲は、LP盤でB面冒頭の「ハートはもう春」くらいでしょうか。 アルバム冒頭の曲は河合奈保子さんの3枚目のシングル「愛してます」ですが、シングル版と異なり、冒頭に波の音が入っているのが特徴です。それと対をなすのがアルバム最後の曲「Twilight Dream」で、この曲は、ひとつ前の曲「ふたりのWonderland」が終わるとそのまま波の音が入って曲が始まり、アウトロも波の音に消えていくようになっています。つまり、アルバム全体が波の音に始まり、波の音で終わるように構成されています。 この終曲「Twilight Dream」、河合奈保子さんの曲としては初めての本格的なバラードで、Dメジャー(ニ長調)のいわゆる「3連バラード」です。元の譜面がどのように書かれていたかわかりませんが、私には12/8拍子に聴こえます。たいへん抒情的な曲で、再び竹内まりやさんには申し訳ないのですが、同じ3連バラードである「けんかをやめて」よりも「Twilight Dream」のほうが私は好きです(奈保子さん自作の「想い出のコニーズ・アイランド」とか「悲しい人」もよいですが)。「Naoko Premium」の解説によると、ご本人も初めてのバラードであるこの曲がお気に入りだったようです。 季節の移り変わりの中で、「愛を見送った」少女の姿を描いたこの曲の清澄な美しさは比類のないもので、「私が好きな河合奈保子」で10番目に収録されている(投票順位としては9位タイ)のも納得です。アレンジはシンプルで、ギターのアルペジオをから始まり、ストリングス、ベースなどが加わりますが余計な装飾を排し、奈保子さんの歌声が引き立つようになっています。基本的に船山基紀さんがアレンジを担当したアルバム中、この曲だけは作曲者の馬飼野康二さん自身が編曲も担当していますが、とても良い仕事をしてくれたものです。作詞は先年亡くなった三浦徳子さん、いまさらですが「徳子」は「よしこ」と読むそうです。 バラードだから当たり前、といえばその通りですが、この曲では初期の奈保子さんの歌い方の特徴であるいわゆる「はねた」歌い方を封印し、真っすぐな、としか形容のしようが無い歌い方をしています。この曲での奈保子さんの歌い方について、細かく分析したり解説したり、といったことは素人の私でも頑張ればできないことはないのですが、そのような試みがまったく余計な夾雑物にしかならない、ということを感じさせる純粋さがこの曲の魅力でしょう。ただ、この曲でも、奈保子さんのことばの発音がとても綺麗であることは、強調しておきたいと思います。 「悲しみのアニバァサリー」でも同じようなことを書きましたが、「Twilight Dream」もまた、ただその歌声に静かに耳を傾けて聴けばそれでよい、そんな曲です。Ad
2024.10.06
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Yahoo知恵袋あたりを覗くと、いまだに「松田聖子と河合奈保子、どっちが上?」みたいな比較に熱心な層がある程度いるようです。同じ80年デビューのアイドル歌手として、当時もそのような話題が盛んだったようです。私もそこに「参戦」しようと思えばできるのでしょうが、そのような比較は基本的に不毛だと感じますので、このお二方を比較するつもりはありません。ただ一点だけ私の意見を言うとすれば、二人はまったく異なるタイプの歌手だった、ということです。そして、あくまで私の主観の範囲ですが、河合奈保子さんがどのような歌手であったかということについては、多少なりともこれまで書いてきた通りです。そもそもルックス等は言うまでもなく「歌唱力」ですら、ある程度までは比較可能ですが、基本的には主観的なものだとわきまえるべきだと考えています。先日、とある記事を読んで少々、というか、かなり「ん?」となったことがありました。その記事では河合奈保子さんと松田聖子さんを比較し、雑誌の人気投票では二人が拮抗するほど人気を二分していた一方(82年組がデビューするとこの状況は変わりましたが)、シングルの売上では歴然たる差がついていたことを紹介していました。そこまでは事実なので別に良いのですが、それに続けて、売上では明白な差があったものの、河合奈保子さんは「人気」があったことと、NHKにとっては81年10月の事故という「負い目」もあったので、(記事を書いた方によると)歌手としての力量に見合わない形で紅白歌合戦に出場することができたのだろう、という主旨のことが書かれていました。さて、私はもちろん紅白歌合戦の選考基準については知る由もないし興味もありませんので、NHKがどのような理由で河合奈保子さんを選出したかについて詮索するつもりはありません。テレビ番組である以上、出場する歌手の人気は当然重要なファクターとして考慮されたでしょう。ただ、上述の記事で腑に落ちないのは、人気や売上と、歌手としての力量や表現力といった要素、もっと言えば「歌手として魅力的かどうか」はまったく関係が無い、ということを認識されていないように見受けられたことです。この記事の文脈でいうと「売上がそれほどでもない=歌手としての力量がそれほどでもない」ということになってしまいかねません。記事全体を読んだところ、書いた方の意図としては必ずしも河合奈保子さんに対して悪気があるわけではないことは理解できましたが、それだけになおさら、売上と歌唱力が比例するかのような単純なとらえ方をされているのは残念なところです。実力があっても売上に恵まれない歌手は、私の知らない方も含めて実際たくさんいるでしょう。河合奈保子さんらと同期デビューの岩崎良美さんは、技術的な安定感ではずば抜けていましたがセールス的には苦戦が続き、代表作の「タッチ」ですらオリコン12位、「ザ・ベストテン」でも10位内にランクインしていません。「花の82年組」に対して「不作の83年組」という不名誉な称号を与えられてしまった83年デビューの女性歌手の中には、たとえば桑田靖子さんのように十分な実力を持った方がいました。「ヒデキの妹募集オーディション」で河合奈保子さんとともに大阪代表に選ばれた小林千絵さんも83年組でした。クラシック音楽の世界は実力本位と思われているかもしれませんが、必ずしもそんなことはありません。とくに、自ら演奏するわけではない指揮者の世界ではその傾向が強く、「世界的指揮者」と言われるような指揮者による演奏が、録音で聴くかぎり何が良いのかさっぱりわからない、というのはわりとよくあることです。この場合、①生で聴いたら素晴らしい、②私の耳がおかしい、③録音のせいで本来の演奏が「破壊」されている、という可能性もありますが(じっさい③のケースはかなり多いと私は思っています)、実力に見合わない「名声」や「評価」を得ている指揮者がいるのも事実です。私はだいぶ前、あるプロのオーケストラ奏者の方と食事をご一緒する機会があった時、その方が「指揮者コンクールなんか何の意味も無い」とおっしゃっていたのが印象に残っています。さて、はじめに述べたとおり、「歌唱力」というのはかなりあいまいで主観的な評価軸です。もちろん、失礼ながらお世辞にも歌唱力があるとは言えない方もいるのは事実ですが、そのいっぽうで、一般には歌唱力が高い、と言われている「アーティスト」が、私からするとあまり魅力的とは感じられない、ということもあります。これは、ポップスやロックの歌手というのは、歌以外の部分も含めて自らの「歌唱スタイル」を確立し、それを「個性」として勝負していく側面が大きいことにもよると思います。それが一般には「表現力」と受け取られることもしばしばあるように感じます。一度その「スタイル」がはまってセールス的な成功につながると、かえってそこから脱却することが難しくなったりします。本人としては新たな領域を目指したとしても、ファンが付いてきてくれなかったり、訳知り顔の評論家からは「迷走」とか言われるかもしれません。そこでセールス的に成功しなければ、音楽的な評価など関係なしに「失敗」の烙印を押されがちです。デビッド・ボウイはその生涯にわたって自らのペルソナを創造しては破壊することを繰り返し、次々と新たな表現スタイルを追求し続けた稀有なミュージシャンであり表現者でしたが、80年代に「Let's Dance」が大ヒットしてインターナショナルな人気を得た時、70年代のグラムロック路線を支持していたカルト的なファンからは「裏切り」と見なされたようです。私の好きなプログレバンド「イエス」はメンバーが何度も入れ替わりながら現在まで活動を続けていますが、1970年代の、しかもリック・ウェイクマン and/or ビル・ブルーフォードがいた頃のイエスしか認めないとか、ヴォーカルはジョン・アンダーソン以外ダメ!というような頑固なファンも少なくないようです。というわけで、話がややとっ散らかってしまいましたが、要は自分の価値観を大事にして、世間一般の売上とか人気に関わらず好きなものは好き、と思っていればよいのではないでしょうか。ということと、本当に力のある表現者というのは必ずしも「スタイル」にとらわれない幅の広さを持っている、と私は言いたいのです。
2024.10.05
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前に「イース」について書いた時、自分はドラクエの音楽にはあまり興味がない、というようなことを書きましたが、その理由を簡単に言うと、サントラの演奏が良くないから、ということに尽きます。あまりネガティブなことは書かないほうが良いと思いつつ、つい書いてしまった以下の記事、ドラクエファンの方は読まないことをおススメします…基本的には電子3音+効果音しか出せなかったファミコンで、クラシックの作曲技法によるオーケストラ的なサウンドを使い、実際にオーケストラでも演奏された「ドラゴンクエスト」の音楽は、たしかにそれまでのゲームにはなかったものであり、これを聴いてゲームミュージックが好きになった人も少なくないでしょう。あるいは、ゲームミュージックというジャンルの「地位」を高めたのが「ドラゴンクエスト」である、と言われることも少なくないように思います。ただ、そのような言い方の背後には、クラシック音楽(あるいはオーケストラの演奏)が他のジャンルより「高尚」なもの、という無意識の思い込み、あるいは意識的な偏見があるのですが・・・その後、家庭用ゲーム機はバージョンアップし、スーパーファミコンでは効果音含め(たしか)8音出せるようになり、サンプリングによってストリングスや管楽器、ギターなどの音も(あくまでサンプリングとしてですが)出せるようになりました。プレイステーションになるとさらに同時発音数が増え、プレイステーション2ではサントラとして生演奏を使うケースも多くなりました。「ファイナルファンタジーVIII」はオープニングとエンディングで初めて生オーケストラを使い、挿入曲としてフェイ・ウォン(王菲)さん の歌う「Eyes On Me」がヒットしました(ちなみに「FF8」は世間的な評判はいまいちのようですが、ゲームも音楽も私は結構気に入っています)。以降、ハードの進化にともないゲームミュージックのサウンドも制約がなくなり、表面的にはできることが多くなった結果、他のジャンルの音楽との差異がなくなりました。ゲーム全編で生演奏を使うことも珍しくなくなり、私の知る範囲で言うと、ストーリー重視のRPGとかコーエー(現コーエーテクモゲームス)の歴史SLGでは頻繁にオーケストラが使われています。が、これらの多くは単に「オーケストラを使いました」というだけで演奏の水準が低いものが多く(下手をすると、レベルの高いアマチュアの方が良い演奏ができる、というレベル)、私はサントラを買って聴く気にはまったくなれません。いま私の手元にある「ドラクエ」のCDは「I」の「組曲 ドラゴンクエスト」と「VI」だけですが、この記事を書くにあたり、ロンドン・フィルハーモニーの演奏による「VI」のオーケストラバージョンを聴いてみました。曲作りとしては文句なく巧みで、特に「エーゲ海に船出して」などはたいへん印象的です。しかし弦楽器の音が不自然になめらかで、加工されているような違和感があります。記憶が定かでありませんが、これは大昔うちにあった「ドラクエIV」のカセットでも同じようなかんじだったように思います。オーケストラの演奏としても無難にこなしただけで平板な印象で、バトル曲では弛緩していて明らかに「流して」います。金管楽器の荒さも目立ち、「悪のモチーフ」とか「暗闇にひびく足音」なんかちょっとヒドイですし、ラスボス曲「魔王との対決」は出だしはともかく、その後のトランペットで脱力します…(ロンドン・フィルはクラウス・テンシュテットが指揮したマーラーの交響曲のように、もの凄い演奏を生みだすことができたオーケストラなのですが…)。エンディング曲「時の子守唄」はメロディーの美しさが際立つドラマティックな曲ですが、やはりここでも演奏の生気のなさが残念なところです。この「ドラクエVI」オーケストラバージョンの演奏を、むりやり河合奈保子さんの楽曲を用いてたとえるなら、何の抑揚もなく歌った「スマイル・フォー・ミー」といえば通じるでしょうか(いや、むしろ通じにくくなるか笑)。オーケストラはおそらく譜面のとおりに演奏しているのでしょうが、それだけの話で表情に乏しく、楽譜から何かをくみ取って音楽として昇華するに至っていないのです。これはオーケストラの音が薄く木管楽器のソロだけになるようなところで特に目立ちます。指揮はすぎやまこういちさん自身が務めていますので、ゲームミュージックの大家に対してたいへん恐縮ながら、これはすぎやまさんの指揮者としての力量にもよるでしょう。意地悪く言えば、ロンドン・フィルにやる気がなく完全に「お仕事モード」だった、とも言えます。という訳で、ドラクエ音楽のファンの方々に言い訳をしておくと、正確に言えば私は「ドラクエの音楽に興味がない」のではなく「ドラクエの音楽の演奏に興味がない」といった方が近い、ということにしておいてください。。家庭用ゲーム機がサンプリング音を使ったサウンドに傾斜していく中、PCゲームのファルコム作品ではFM音源を使ったサウンドが洗練されてゆき、「白き魔女」「朱紅い雫」「ブランディッシュ」のような、「ゲームミュージック」であるからこそ表現できた魅力的な音楽が次々と生み出されていきました。このあたりについては、また別の機会に書きたいと思います。
2024.10.05
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何となくアルバム順に書いて「エンゲージ」まで来ましたので、ループして河合奈保子さんのファーストアルバム「LOVE」の曲に行きたいと思います。アルバムリリースは歌手デビューから約4か月後の1980年10月10日で、直後の10月14日には初ライブが行われています。その模様は一文字違いのアルバム「LIVE」として12月にリリースされました。初ライブがアルバムとしてリリースされる歌手がどれくらいいるのか私にはわかりませんが、これが単に「初々しい」とか言う形容ではなく、しっかり聴ける内容になっているところが素晴らしいところです(復刻CDボーナストラックの音楽劇「パパと二人だけにして」は内容が悲しすぎて聴くのがつらいですが…)。さてアルバム「LOVE」のほうですが、河合奈保子さんの初期の楽曲を多く手がけた馬飼野康二さん、水谷公生さん、川口真さんがそれぞれ3曲ずつ担当し、最後の曲「LOVE」のみ林哲司さんが作曲、作詞のほうはデビュー曲「大きな森の小さなお家」も手掛けた三浦徳子さんのほか、竜真知子さん、伊藤アキラさん、「甘いささやき」は櫛田露孤・伊藤アキラ(補)としてクレジットされています。このアルバム、最初の「プロローグ」と最後の「LOVE」は比較的素直な曲ですが、間の8曲は広い音域を要求される曲ばかりで転調のある曲も多く、爽やかな笑顔のジャケットの印象とは裏腹(?)に、並みの歌手には歌いこなせないような高難度の曲が並んでいます。コピーに「微笑みさわやか、カナリー・ギャル」と付けたスタッフ陣には、河合奈保子さんをアイドルとして売り出しつつ、歌唱力をアピールする意図があったのではないかと勝手に想像します。「新世紀」はアルバムの2曲目に配されており、作詞:伊藤アキラ/作曲:水谷公生/編曲:船山基紀という陣容です。メジャー調(長調)のAメロから、Bメロでマイナー(短調)に転調し、サビで再び長調に戻り、クライマックスでは高音のレ(D)まで上がるという展開で、2番のサビの後に「ああ!ふたりの新世紀」というコーダ的なフレーズが付くのも特徴的です。3分半ほどの短い曲ですが、たいへんドラマチックに作られた一曲です。「ザ・ベストテン」出演時に、普通使う音域は下のラ(A)から上のド#(Cis)と言っていた奈保子さんですが、実際はそれより高い「レ」まで使う曲もそこそこあり、後にライブで定番となる「ANGELA」も高音の「レ」まで上がる爽快なナンバーです。なお、Wikipediaの「涙のハリウッド」の項には「シングル曲の中では地声のキーが最も高い楽曲」との説明ありますが、前にも書いた「地声」という用語の問題はさておき、この「キーが最も高い」が単に最高音が高い、という意味であれば誤りです。「涙のハリウッド」の最高音は「レ♭」で、「大きな森の小さなお家」や「ラブレター」と同じです。いっぽう「ヤング・ボーイ」や「Invitation」は半音高い「レ」まで使っており、「美・来」にいたってはさらに高い「ミ♭」まで使っています。また、「キー」が本来の意味である「調」を指しているとしても、「涙の~」は「大きな~」や「ラブレター」と同じA♭(変イ調)ですので、やはり「最も高い」という記述は正確ではありません。ちなみにA♭より高いAキー(イ調)のシングル曲としては「ジェラス・トレイン」などが挙げられます。「涙のハリウッド」に関するこの記述の出所は(残念なことに)「Naoko Premium」のブックレットです。話がそれたので「新世紀」に戻しますと、既に何度か書いている、音を切る/つなげる歌い分けはこの曲でも明らかなところですが、もう一つ特筆すべきは、中低音の美しさでしょう。河合奈保子さんは音域が広いので、サビでの高音に耳を奪われがちなのですが、特に低音域での美しい歌声はこの頃からすでに完成された域にあり、この低音があったからこそ後に「けんかをやめて」につながったと私は考えています。高音域では声量がある歌手でも、低音域になると意外と弱かったりすることがありますが、奈保子さんは低音域でもよく通るだけでなく、透明感と艶のある歌声を持っていました。低音がしっかりしているからこそ高音の伸びが生きる、というのはYoutubeで「Room3 大阪のお喋り男女バンド」さんが奈保子さんの歌唱を評しておっしゃっている通りで、激しく同意したいところです(笑)。この低音の艶は、特にマイナー(短調)になると憂いを帯びてさらに魅力的になります。河合奈保子さんの初期のシングル曲はマイナーからメジャー(またはその逆)に転調する曲が多いことはしばしば言及されるところですが、この歌声を聴いたら、作曲する側としてはマイナー調を歌わせたいと思うのはまったく不思議ではないところかと思います。ちなみに「けんかをやめて」より前の河合奈保子さんのシングルA面でマイナーへの転調がない純粋メジャー調の曲は、デビュー曲「大きな森の小さなお家」以外には「スマイル・フォー・ミー」と「夏のヒロイン」の2曲しかありません。ファーストアルバム「LOVE」には、他にも魅力的な曲が数多く収録されています。個人的には「フォーエバー・マイ・ラブ」や「甘いささやき」、「素肌の季節」などの非シングル曲が特に印象的なところです。「エスカレーション」以降、売野雅勇さんによるいわゆる「挑発路線」の曲を歌うようになる奈保子さんですが、「甘いささやき」などは、私にとっては「エスカレーション」よりよほど危険な香りを感じてドギマギしてしまいます(笑)。いずれにしても、「LOVE」の河合奈保子さんは、「けんかをやめて」以降に深みを増した表現力や「エスカレーション」以降のようなパワーはまだ身に着けていないものの、歌手としての基本的な素養がたいへん高いことを示しており、より多くの人に聴いてもらいたいアルバムです。
2024.10.05
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「Calling you」、「ブックエンド」と来たので次は「エンゲージメント」、ということにしたいと思います。ファンの方には言うまでもありませんが、この作品は18枚ある河合奈保子さんのオリジナルアルバム(2006年のピアノ曲のみの「nahoko 音」を除く)の中では、「現時点で最後」にリリースされたものです。アルバム「エンゲージメント」は、売上的にはオリコン圏外という結果に終わり、この記事を書いている時点でのWikipediaの記述もいたってシンプルな状態ですが、ファンの方に支持されている曲が多いようです。ファン投票により選曲された2枚組「私が好きな河合奈保子」のDISC2(シングルB面&アルバム曲からの選曲)の中には、4番目に収録された「言葉はいらない」をはじめとして、35位までの中に4曲もランクインしています。河合奈保子さんはこのアルバム制作にあたり、当初はヴォーカルのみに徹する予定だったようですが、ご本人が書いた曲のコンセプトを見た吉元さんに作詞を強く勧められたそうで、最終的に10曲中5曲は奈保子さん自身が作詞・作曲を担当する形になりました。ちなみに、このアルバム収録曲以外で本人作詞の曲は、私の知る限りでは「夢かさねて」のみかと思います。コンポーザーとしてもシンガーとしても非常に挑戦的なアプローチを取り、抽象的な歌詞も取り入れた「ブックエンド」と比較すると、「エンゲージメント」の楽曲はいかにも90年代的というか、非常にパーソナルな世界を歌っています。曲の作り方もいたってシンプルで、河合奈保子さんの楽曲としては比較的落ち着いた音域を使っており、常人にも歌いやすいような曲が並んでいます。私はカラオケというものには縁がありませんが、仮に河合奈保子さんの楽曲をカラオケで歌うなら、このアルバムの曲が良いでしょう。アレンジも尖ったところがなくアコースティックなサウンドで、ベースとドラムを使っていないのが特徴です(ベースラインはシンセで演奏されています)。本作には「Wing Of My Heart」と「FOR THE FRIENDS」という、言葉に尽くせないほど素晴らしいバラードが2曲収録されているのですが、それはまた後日にして、今回は「三日月の草原」について書きたいと思います。アルバムの8番目に収録されたこの曲は、作詞・作曲:河合奈保子/編曲:清水信之という組み合わせによるもので、ちょっとボサノヴァ風で肩の凝らない雰囲気の曲です。Cメジャー(ハ長調)の曲は明朗な雰囲気が出やすいですが、この曲も良い意味で素直なメロディーライン、最高音は私の聴き間違いでなければラ(A)ですから、「美・来」ではミ♭(Es)まで出している奈保子さん(ヘッドボイスを使った曲ではさらに高音域まで出しています)としてはかなり音域の狭い曲です。高音が苦手な人でも歌える「やさしい」曲と言えます。「エンゲージメント」の曲は歌いやすい、と書いた所以ですが、それはあくまで譜面上の話で、じっさいにはこの曲を奈保子さんのように歌える人はなかなかいないのではないかと思います。この曲、奈保子さんは実にさり気ない歌い方をしていて、技術的に難しいことは何もしていないように聴こえますが、まず歌詞の発音がとても綺麗です。そして、河合奈保子さんの歌唱の基本は音を切るところとつなげるところの歌い分けがしっかりしていることだと前に書きましたが、この曲の歌い方にもその特徴がよく表れています。歌声自体は柔らかいのですが、たとえばサビの「夢の中で誰も嘘をつけないの」のように、ソフトに歌いながら自然に音を分けたりつなげたり、という表情付けをしています。仮にこれを楽譜に書くと「ゆめのなかで」の音はひとつひとつにスタッカートが付くでしょうが、単にスタッカートにするだけでは音がブツ切りになってしまうので、奈保子さんの歌うように表現するには「流れのあるやわらかいスタッカート」にする必要があります。このような表情づけは楽譜上では表せないので、歌い手に委ねられることになりますが、これを頭で「解釈」したテクニックではなく、感性として表現している(ように私には感じられる)のが河合奈保子さんならではです。とはいえこの曲の場合、奈保子さんは作曲者でもありますので、曲を作りながらこのような歌い方をイメージしていたのかもしれません。昨日の記事に書いた「今日を生きよう」とはほとんど真逆の世界ですが、このような表現力の幅広さが、シンガーとしての河合奈保子さんの大きな魅力の一つです。それからこの曲、詞のほうもなかなか深いです。シンプルで「やさしい」曲にこのような歌詞をのせているところが、この曲に奥行きを与えていると思います。「エンゲージメント」で奈保子さんが詞を作った他の曲を見ても、吉元さんが作詞を勧めたのは大ファインプレーだったと言ってよいのではないでしょうか。
2024.10.04
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河合奈保子さんについて書いていたのがいきなりゲームミュージックの話をし始めてどうしたんだという話ですが、私はこの分野についてもかなり好きなのです。というか、音楽に関してはかなり雑食性で、80年代ポップス(うち97%くらい河合奈保子さん)、クラシック(うち80%くらいショスタコーヴィチ)、ロック(特にプログレ)、そしてゲームミュージックあたりが、特によく聴いてきた分野です。といっても最近はほぼ河合奈保子さんの楽曲しか聴いていないのですが…ちなみに私がプログレにはまったのは、ゲーム『ファイナルファンタジー』のコンポーザーとして有名な植松伸夫さんがプログレ好きで、何かの記事でイエスやジェネシスに言及していたのがきっかけです。で、そのゲームミュージックの画期と言うと、ゲームをやらない人も含めて多くの人は『ドラゴンクエスト』と言うのではないでしょうか。かく言う私の場合も、小学生の頃、家にファミコンが無いのに『ドラクエIV』のカセットはありました。これは、親がピアノ教師をしていたため、生徒から「ドラクエの曲が弾きたい!」というリクエストを受けて買ったものだったと記憶しています。演奏はNHK交響楽団、コンサートマスターは徳永二男さんだったはずです。家にはファミコンがなかった代わりに、富士通のパソコン「FM-77」がありました。そのPCで小学校高学年の私が夢中になったのが、日本ファルコム(当時)の名作RPG『イース(Ys)』でした。もともと日本ファルコムは『ザナドゥ』など難易度が高い硬派のアクションRPGでヒット作を出していましたが、『イース』は誰でもクリアできるバランスでありながら、要所の仕掛け、それぞれ個性のあるボス戦に、印象的なストーリーによってPCゲーム史上屈指の名作として、現在まで続くシリーズとなった作品です(ストーリーとしては「I」と「II」で一つの作品となっています)。この『イース』、私にとってはゲームミュージックの画期として絶対外せない作品なのです(ドラクエは、ファミコンがなかったのでそもそもリアルタイムで遊んでいないし…)。『イース』の音楽を作ったのは、最近だと『世界樹の迷宮』シリーズなどがある古代祐三さん。『宇宙戦艦ヤマト』のファンの方は「こだい」と読みたくなるでしょうが、「こしろ ゆうぞう」と読みます。また、一部の楽曲は現在ファルコムの取締役である石川三恵子さんが担当しており、私の家にあったFM-77版のエンディング曲は石川さんによるものでした。当時のファミコンに対して、PCゲームである『イース』のサウンドははるかにハイクオリティでしたが(といっても『三国志』のように本編音楽なしのPCゲームもありました)、音だけでなく、曲もたいへん魅力的で、特に疾走感のある楽曲群はアクションRPGである『イース』の世界を彩って有り余るものがあり、ゲームそっちのけで音楽だけ聴いていることもしばしばでした。そのうち雑誌記事か何かでラジカセをつなげばPCの音源より良い音が出る、と知った自分はラジカセをつないで『イース』を遊んでいるうちに、そのラジカセで録音できることに思い当たりました。というわけで『イース』の自家製サントラづくりが始まりました。アクションRPGである『イース』は、放っておくと敵が襲って来てダメージを受けたりするーつまり効果音が混ざってしまうので、敵が来ないところで待機したり、敵から逃げ周りながら録音します。ボス戦はどうするか?問題ありません。最初のボスである「ジェノクレス」は画面の隅が安全地帯で、そこで待機していればダメージをうけることはありません。ただ、最終ボス「ダルク=ファクト」だけは困りました。この戦闘では四方八方から火の玉が飛んでくるのでダメージは避けられず、逆にダメージを与えた場合はその場所に穴が開き、そこに嵌まると即死してしまいます。というわけで、このラスボス曲「Final Battle」だけは、じっさいにダルク=ファクトと戦いながら録音しました。ので、カッコいい楽曲の間に「ボーン」「ザシュッ」といった効果音が入り交じり、ダルク=ファクトを倒すと「ドゥルルルルルルル…」という激しい音とともに終わる、という「収録」になりました。ちなみにこのラスボス曲、本当は30小節あったのですが、手違いで前半の14小節だけでループしてしまう状態で製品化されていたことでも知られています(FM-77AV版のみ、完全な形になっていたようです)。この自家製サントラカセットは、いわばテープが擦り切れるぐらいリピートする愛聴盤となりましたが、その後どうしたかはよく覚えていません。ですが、大学時代以降さまざまなファルコム作品の音楽CDを買い漁ったおかげで、わが家にはかなりレアな『イース』やファルコム作品関連CDがあります。ゲームとしての『イース』自体もその後何度もリメイクされていますが、音楽のアレンジでもっともおススメなのは原曲のFM音源っぽいサウンドを活かした『Ys I & II Complete(完全版)』です。【24.10.26追記】上記の文章で当初、おススメを『Ys I & II Chronicles』と書いてしまいましたが、正しくは「Complete(完全版)」の誤りでしたので訂正します。私の持っているMP3版のタイトルが『Ys I & II Chronicles (original mode)』であったことからの勘違いです。ややこしいのですが、PSPで発売された『Ys I & II Chronicles』はBGMをPC-88モード、オリジナルモード(『Ys I & II 完全版』)、新アレンジモード(Chronicles版)から選択できるようになっており、私のお気に入りは「オリジナルモード」です。この音源は現在『Ys I & II Chronicles (original mode)』としてAmazonデジタルミュージックなどで購入可能です。ちなみに、クラシックを多く聴いてきた自分があまり『ドラクエ』の音楽に興味がない理由は、そのうち書くかもしれませんが、書かないかもしれません。。追記:結局後日書いてしまった『ドラクエ』の音楽に関する記事はこちら
2024.10.04
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昨日は「Calling you」について書いたから、いよいよ「ブックエンド」について書きますよ!…と聞いて盛り上がる人がどれだけいるのか、はなはだ心もとない…「ブックエンド」は河合奈保子さんの歌手活動10周年を記念する作品でありながら、オリコン最高69位と、前作よりさらに順位を落としており、ファンの方でもこの作品は知らない、という人も少なくないかもしれません。ちなみに、私が入手した中古の「Naoko Premium」ボックスは、河合奈保子さんのスタジオアルバムがすべて収められているのですが、「Calling you」と「ブックエンド」はいずれも未開封状態でした。なんと「愛・奈保子の若草色の旅」や「デリカシー」を含む特典CDまで未開封、、このボックスを購入するくらいですから、前の所有者も河合奈保子さんのファンであったはずなのですが、何ともったいないことをしたものか…さて、「ブックエンド」のオープニングはコンポーザーとしての河合奈保子作品の中でも最もスリリングでドラマチックな名曲「美・感性」なのですが、この曲について書くのはたいへんなので後回しにして、ひとまず3曲目の「今を生きる」について紹介したいと思います。「ブックエンド」収録の楽曲には、いずれもサブタイトル的な英語が付されているのですが、この曲の場合は"Make it easy"となっています。リフレインが印象的なコーラスの "You make it easy on yourself" から取られたものですが、このフレーズ、実はちょっと捻った結果ではないかという気もします。というのも、これが "make it easy" だけだと命令形なので「気楽にやろうよ」みたいに声をかける感じになりますが、主語の "You" が付くと、直訳すれば「君は自分で物事を楽にしていく」みたいなかんじで、だいぶニュアンスが変わります。で、曲の作り方としてもちょっと独特で、メジャー調の「棄てて行く 棄てて行く…」をAパート、マイナー調に転じて「あゝ 生まれたこと いま、ふたたび…」からどんどん盛り上がっていくパートをBとすると、全体でギターソロの間奏を挟んで A-B-A-B-A という形になっており、明確なサビを持たない構成です。ですが、バックのシャープな演奏と、「Calling you」では封印気味だった奈保子さんの超パワフルな歌声が相まって、まったく隙のない密度の楽曲になっています。「ブックエンド」での河合奈保子さんの歌唱の特徴は、「美・感性」や「朝への誓い」で聴けるような芯のある美しいヘッドボイスと、この「今を生きる」や「美・来」で聴けるような力強い歌声で、後者はたぶん、分類としては「チェストミックス」と言えるのではないでしょうか(といっても、前に書いたように私はヴォーカルの専門家でも何でもないので嘘を書いているかもしれません、あしからず…)。若い頃の奈保子さんの歌声ーといっても「ブックエンド」の時点でも十分若いのですがーは、より裏声成分の多い「ヘッドミックス」に近いと思いますが、「今を生きる」の歌声は、よりチェストボイス(胸声:いわゆる「地声」)の色合いが強く、たいへん強靭です。このような歌い方は、89年から始まったミュージカルでの取り組みの中で身に着けていったものかもしれません。とくにBパート最後のクライマックスでの声の伸びは驚異的です。さて、この強烈な「意志」を感じさせる歌声と、短調と長調の間を行き来するメロディー、そして歌詞カードに書かれたメッセージ(これが作詞の相良好章氏によるものか、プロデューサーのミッキー吉野氏によるものかは不明)を合わせ考えると、やはりコーラスの主語 "You" は敢えて付けられたものと私には思えます。つまり、この曲は「気楽にやろうよ」と呼び掛けているのではなく、自ら「今日」を切り開いていこうとする「自分」に向けて歌われているのではないかと感じるのです…この曲はバックのギターとベース、ドラムの演奏も魅力的です。私はスタジオミュージシャンには詳しくないのですが、ギターのレイ・オビエドとベースのポール・ジャクソンはジャズ奏者、ドラムのデヴィッド・ガリバルディはR&B/ファンクの分野で有名なドラマーで、「ローリング・ストーン」誌が選んだ「史上最も偉大なドラマー」の企画で46位にランクされているようです。余談ですが、私の好きなプログレバンド「イエス」のドラマー(後に「キング・クリムゾン」に移籍)ビル・ブルーフォードは同企画の16位です。イエスについてもそのうち何か書いておきたいものですが、それも後回しということで…
2024.10.03
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「木枯らしの乙女たち」「デリカシー」と書いたので、何となくこのままマイナー路線で行くことにしました。マイナーといっても「短調」の意味ではなくて(先述の2曲はじっさい短調ではありますが)、「知名度が低い」曲について書こう、という意味です。ちなみにこの用法での「マイナー」という意味は英語の"minor"にはもともとなく、和製英語のようです。というわけで、今回は河合奈保子さんのアルバムの中でも特に知名度が低い「Calling you…呼びよせられて…」(以下「Calling you」と表記)からの一曲です。このアルバムはオリコン最高53位と、前作「Members Only」(13位)から大きく順位を落としており、本作と次の「ブックエンド」の曲は、ファン投票で選曲された2枚組CD「私が好きな河合奈保子」には1曲も入っていません。ブックレットに記載されているDISC2(シングルB面&アルバム曲)のランキング35位内に入っている曲もありません。ミッキー吉野さんがプロデューサーを務めたこの時期の楽曲は、それまでの自作アルバムと比べて、コンポーザーとしてもシンガーとしても表現の幅を確実に広げていたのですが、残念ながら売上も人気も付いてこなかったようです。おそらく、その理由のひとつは「Calling you」の多くの楽曲が、いわゆるファルセットで歌われていることにあるでしょう。特に「ローゼの海」や「ミッドナイト・コール」など、本作にはソフトな歌声を使っている曲が目立ちます。「スマイル・フォー・ミー」のような爽やかなアイドルポップス(←もちろん、この言葉は悪い意味で使っていません)が好きな方にしろ、筒美京平&売野雅勇コンビによるパンチの効いたヴォーカル曲を期待する向きにとっても、「Calling you」はあまりにかけ離れた世界といえます。ここで「いわゆるファルセット」と書いたのは、「ファルセット」という用語の定義が実のところあいまいで、人によって、あるいはジャンル(クラシック/ノンクラシック)によって、さらには国内外で、また時代によって様々な意味合いで使われているらしく、混乱を招きやすいからです。といっても私はヴォーカルに関しては素人(というか、音楽自体について素人ですが)なので、ここでファルセットの定義の問題について正確に解説する力はないのですが、自分なりにいろいろ調べた結果として、河合奈保子さんの「いわゆるファルセット」は「ヘッドボイス」と言った方がおそらく正しい、ということと、奈保子さんの場合、その領域でもさまざまな発声を使い分けている、ということができると思います。なので、以降「いわゆるファルセット」は「ヘッドボイス」と書くことにします。ちなみに、「ファルセットでない歌い方」を一般に「地声」と言うことが多いかと思いますが、これも用法としてあまり適切でなく、特に奈保子さんの場合は「ミックスボイス」と言うのが良いようです。奈保子さんが「地声」で歌っているのは、たとえば「ヤン火」の番組中にお遊び的に歌っているようなケースに限られるでしょう。また、ミュージカルでは地声成分(チェストボイス)の強い歌い方をするシーンもありました。前置きがやたらと長くなりましたが、ここでようやく本題の「悲しみのアニバァサリー」の話になります。この曲は、河合奈保子さん主演のミュージカル「THE LOVER in ME ~恋人が幽霊」のテーマ曲で、作曲は奈保子さん自身、作詞はさがらよしあきさん、編曲は横倉裕さんによるものです。このミュージカルは私の知る限りでは映像化されていませんが、ネット上で、ゴールデン・アロー賞の演劇新人賞と最優秀新人賞を受賞した時の放送の中でほんの一部だけ見ることができます。残念ながら「悲しみのアニバァサリー」の歌唱シーンはありませんが、最優秀新人賞を受賞して、元から大きな目をさらに見開いてびっくりしている奈保子さんの姿を見ることができます。最初「Calling you」の曲を紹介しようと思った時には「ダンシング・グッドバイ」か「わたしは旅人、あなたは罪人」あたりを考えていたのですが、アルバムを通して聴いて結局「悲しみのアニバァサリー」について書くことにしたのは、単純にこの曲が今の自分にもっとも響いたからです。メロディーの作り方としては、ミッキー吉野さんが「素直」と評した面がよく出たシンプルに美しいもので、その意味ではむしろ前作「Members Only」までの路線に近いものがあります。いっぽう「ダンシング~」や「わたしは旅人~」は、それまでにない新たな面が見られる曲でアレンジも洗練されており、アルバム「Calling you」の魅力を紹介するにはこれらの方がふさわしいのですが、まあそのあたりはまた後日ということにしたいと思います。「悲しみのアニバァサリー」では、特にサビの部分でヘッドボイスの美しい歌声を聴くことができます。奈保子さんは、初のL.A.レコーディングとなったアルバム「DAYDREAM COAST」あたりからすでにこのような歌い方を見せており、「NINE HALF」でさらに磨きがかかった印象があります。私は発声に関する細かいことはわかりませんが、クラシックの歌唱と近い印象がありつつも同じではなく、独特の色合いがあり、私はこの澄んだ歌声がとても好きです。ミッキー吉野さんとのプロジェクトは、奈保子さんにとって音楽的に充実したものだったのだろうと思いますが、この曲のように、シンプルで自然なメロディーが、やはり奈保子さんの音楽の根本のところにあったのではないかと勝手ながら妄想しています。長々と書いたわりに、あまり楽曲の内容に立ち入りませんでしたが、結局のところ、この曲はただ耳をすませて聴けばよい、というのがふさわしいように感じます。
2024.10.02
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河合奈保子さんの楽曲や歌唱について書くつもりで始めたこのブログですが、それはそれとして、言っておきたいことを早めに書いておこう、ということで。テレビやライブでの河合奈保子さんのパフォーマンスは数多くDVD化されており、ライブでは84年~88年までのよみうりランドEASTでのライブ(83年EASTライブは一部のみ「NAOKO PREMIUMU」ボックスに収録)、テレビでの歌唱はNHK「レッツゴーヤング」や紅白歌合戦の映像が「河合奈保子プレミアムコレクション」に、TBS「ザ・ベストテン」や「8時だヨ!全員集合」などの映像が「NAOKO ETERNAL SONGS」に収録されています。ほかにもいくつかライブの映像やミュージックビデオの映像を収めたDVDがあります。しかしながら、テレビ番組の中で河合奈保子さんの最も重要な活躍の場であったフジテレビ系「夜のヒットスタジオ」(以下「夜ヒット」と書きます)の映像は、今のところDVD化されていません、なんてこった!私は今のところ、まだ自分の余命を指折り数えるほどの年齢には達していませんが、それでも人間いつ何があるかわかりません。ましてリアルタイムでファンだった方々が、「夜ヒット」のボックスが出るまでは死んでも死に切れん!と思う気持ちは、とてもよくわかるつもりです。クリス松村さんが「早く出しなさい」とおっしゃる通りです。「最も重要な活躍の場」と書いたのは、単に河合奈保子さんの「夜ヒット」への出演が多かったから、というだけではありません(Wikipediaの情報によると、80年代の女性歌手としては松田聖子さんと並び最多の87回、歴代でも15位の出演数)。「夜ヒット」での奈保子さんの生歌唱は、他の番組と比べてもたいへん伸びやかで、スタジオ録音を上回るような素晴らしいものが少なくないのです。これは、同番組の司会を務めた芳村真理さんや井上順さんらとの関係性にもよるのかもしれません。そして、「夜ヒット」の場合バックはもちろん生演奏、かつフルコーラス演奏されます。生演奏は当時の歌番組ではそう珍しくなく「ザ・ベストテン」等でも同様ですが、フルコーラスで聴けるのは一部の例外を除けば「夜ヒット」だけでしょう。また、奈保子さんは「夜ヒット」が「DELUXE」バージョンになってから始まったマンスリーゲストの企画に1986年9月と1988年5月の2度、出演しています。これらの演奏はいずれも特別なパフォーマンスで、シモンズを叩きながらのビリー・ジョエル「Tell Her About It」や山口百恵メドレー(横須賀ストーリー~イミテーション・ゴールド~夢前案内人~ロックンロール・ウィドウ)、ヴァイオリニストの漆原啓子さんと共演した「ハーフムーン・セレナーデ」、オードリー・ヘップバーン作品のメドレーに「メンバーズ・オンリーLIVE」などなど…いずれもたいへん貴重な演奏です。奈保子さんは86年のEASTライブ冒頭でもシモンズの演奏を披露していますが、80年代に限らず、電子ドラムを叩きながら歌った歌手というのはかなり珍しいのではないでしょうか。ほかにも、ランキング番組でない「夜ヒット」ではシングルB面曲やアルバムの収録曲も演奏されており、「ジャスミンの夢飾り」「黒髪にアマリリス」「ときめき・夏恋」など、他のテレビ番組での歌唱がほとんど、もしくはまったく無さそうな曲も少なくありません。「美・来」はシングルA面曲ですが、私の知る範囲だと「夜ヒット」以外にはミッキー吉野さんらがバックを務める番組名不詳の映像があるだけかと思われます。しかも、私見ですが「美・来」のテレビパフォーマンスはスタジオ録音を上回る素晴らしい歌唱です。さらにさらに、おそらく当時のファンにとっては忘れられない出来事であろう1981年11月30日、大怪我からの復帰後初のテレビ出演での涙の「ラブレター」や、ヒデキの妹オーディションへの応募テープに吹き込んだ曲「オリビアを聴きながら」を杏里さんとコラボしたり、最優秀歌唱賞ほかを受賞したプラハのコンクール課題曲「LOOKING FOR LOVE」日本語ヴァージョンなど、とにかく貴重な映像が多いのです。もちろん、シングル曲でもパワー漲る「ジェラス・トレイン」の歌唱(たぶん、奈保子さんのファンだった立花理佐さんと「ヤング・ボーイ」をちょっと歌った回)、西武ライオンズ優勝の際、やはり奈保子さんのファンという工藤公康さんが握手してもらったあとの「ハーフムーン・セレナーデ」(を歌う奈保子さんに見惚れる工藤氏)、珍しく歌詞を間違えながら素晴らしい歌声を聴かせてくれた「十六夜日記」などなど…書いているときりがありません。残念ながら、上述の演奏の多くが、現在はネット上では視聴できなくなっています。まあ、権利関係とかまっとうなことを言えばやむを得ないのはわかりますが、それならそれで、「河合奈保子・夜ヒットBOX」をファンのためにも(リアルタイムのファンだけでなく、私のような後追いもいるのです)、また日本のポップミュージックの貴重な遺産(という言い方にはやや抵抗ありますが…)としても、頼むから発売してもらいたいと強く思うのです。万難を排して、頼むからお願いしますよフジテレビさん!!
2024.10.01
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