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「残酷な日本人」と言われてあなたはどう受け止めますか?私がシングルトンのバイブルとして大好きな「ブリジット・ジョーンズの日記」がある。イギリスを舞台にした30代前半の独身女性の話。もともとはコラムから本になって映画化された。それに対抗したように?アメリカ版は日本でも流行っているらしい「セックス・アンド・ザ・シティ」略してSATC。大きな違いは、サラ・ジェシカ・パーカー扮するキャリー・ブラッドショーはニューヨークで自由に生きる女性。彼女を取り撒く親友達も男勝りで性に対してとても攻撃的。その反面、イギリスのブリジット・ジョーンズはちょっぴり太め、たばこも酒もたしなみ、親友達も割と普通。ちびまるこちゃんがイギリス人で大きくなったらこんなになるんじゃないかなぁ、と思わせるようなキャラクターを持つ。私はこのブリジットが大好き!なんとなく自分と投影してしまう。たばこは吸わないが、ちょっぴり太め、酒は飲んで潰れ、結婚夢見る独り者。「シングルトン」(未婚の女性の意味)という言葉も「ブリジット・ジョーンズの日記」でよく使われるイギリス英語だ。映画「ブリジット・ジョーンズの日記」の最初5分くらいに、日本人が描写されている。ブリジットがニュー・イヤーで実家に帰った際、彼女のお母さんが、「マーク・ダーシーが来てるわよ。奥さんと離婚したんですって。日本人。残酷な人種。」という台詞がある。英語ではVery Cruel Race。私は「残酷」というより「冷酷」がニュアンス的にも合う気がするのだが。この発言があった為、映画公開当時、日系アメリカ人達が抗議した記憶がある。そしてその後友達のサンクス・ギビングディナーで出会った日系人女性もそうだった。「許せないわ。私メールを送ったの!」映画の他愛無い話をしていて、話題が「ブリジット・ジョーンズの日記」になった時、突然彼女の表情が変り息巻いたのだ。映画のジャンルはコメディー。イギリスのジョークやパロディーが一杯詰まっているらしい。私はイギリス文化・風習等は残念だが解からない。が、面白いのには変らない。そして私の「残酷な人種」に対する反応は、「イエ~イ! 中国人じゃなくて日本人がハリウッド映画に取り上げられた!」だった。移民の多い中国系アメリカ人はハリウッドで活躍している。有名日系アメリカ人となるとやはり数が少ない。だからちょっとでも「日本」が出れば快挙と思うのだ。まして映画はコメディー。笑いの心を持って見なければ面白くない。これはスタンドアップ・コメディーをしている時でもそうだった。いわゆる、日本人はこう、アメリカ人は、ユダヤ人は、黒人はなどとジェネラリゼーション、一般論をあげていた。100%の人が同じとは言わなくても、多くの人がする行動、言う事、それを面白おかしく話す。客席の客に向かって言ったりもする。一緒にノッテ笑いの種になってくれるお客さんもいれば、いきなり怒り出してしまう人もいる。結構、アジア人の女性に多い。こういう人に限って黒人のジョークやユダヤ人のジョークを笑っているのに、アジア人が的になると許せなくなってしまうのだ。「ここはコメディークラブだよ。ユーモアのセンスが無いなら、コメディークラブなんかに来なきゃいいのに。」中にはそう思わずにはいられない人もいる。勿論、そんな事は舞台の上からは言わないが。自分の出番が終わり、ショウーが終わると大抵笑いのネタにされた人は喜んで、話し掛けて来る。コメディアン達も、Thanks for being a good sport! (「一緒にノッテくれてありがとう!」)そう、必ずと言ってよい程そのフォローをする。それが東西関係ない「お客様は神様です」のショービジネス魂。ネタにされた人は、そのコメディアンのファンになってまた訪れたりする。お金を払って笑いに来る人達。ジョークを受け止め方を心得ている。「ブリジット・ジョーンズの日記」の「残酷な人種=日本人」もそう思って観ればいい。受け止め方一つで、コメディーがより楽しく見れる。ポジティブに、大きい器の視野を持ちたいものだ。
Dec 29, 2004
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母が3週間程遊びに来ていた。何度もニューヨークに遊びに来ている母は冬ということもあり、あまり観光らしいことはせずに近所へ買い物へ行ったりするだけの、のんびりした時間を過ごしていた。昨年12月にリタイアしたばかりの母は今回の旅行目的は普通の生活をすることだと言っていた。私にとっては朝ごはん、お昼のお弁当、夕食の三食ともバランスの良い美味しいものであったのが本当に有り難かった。そんな母と近場の暖かい場所へ旅行しようと計画を立てた。本当ならばバミューダあたりにゴルフしに行きたかったのだけれども、残念ながら母はゴルフをしない。ビーチでのんびり・・と思ったけれど、太陽には肌をさらさない母なので、プエルトリコに行くことに決めた。プエルトリコならば私も一度行ったことがあり、観光出来る場所があったからだ。それに親友が私たちの訪れた2週間前にバケーションで行っていて、飛行機・ホテル、現地情報などをいろいろ教えてくれた。朝、7時の飛行機に乗って時差一時間のプエルトリコには午前11時45分に着く予定だった。丸々半日フリーとなり、着いた直後は曇っていた空もホテルに着いた頃には青空へと変わっていた。心配していたことのひとつは天候だった。事前にネットで調べた時には滞在予定の4日間とも雨マークだったのだ。母は晴れ女で雨季のタイに5日間旅行中、一度も雨に降られずにガイドさんにまで「不思議ですねぇ」と言われた経歴がある。私の普段の行いよりも母に賭けていた。暖冬でニューヨークも暖かいかったけれど、サン・ファン空港を降りてすぐにじわっと南国特有の暖かい風が肌にあたりとても気持ちが良かった。ホテルに向かうタクシーの中で、私は10年前に訪れたこの地をもう一度思い出していた。前回は大学時代に知り合った友達の結婚式で訪れ、滞在も彼女のご両親の家だった。だから観光客が行くようなところというより、一般プエルトリコ人の生活に溶け込み、飛び交う会話もスペイン語だった。このプエルトリコ、あまり日本では知られていないかもしれないけれど、実はアメリカ自治領。プエルトリコ人はアメリカのパスポートを持っているけれども選挙権がなく、Federal Tax(連邦税)は払っていないと二日目に参加したツアーガイドさんが説明してくれた。パスポートのことは知っていたけれど、連邦税を払っていないというのは知らなかった。よく見るとレストランで食事しても税金は含まれていなかった。その代わり、サービスは良くないのにしっかり20%のチップ代を書き込まれていた。アメリカのパスポートがあることで、プエルトリカンはアメリカに自由に行き来出来る。だから近隣のカリブの島の人たちはプエルトリコに来たがっているというのも聞いたことがある。そうすれば、アメリカ本土に行き易いからだというのだ。またある時期、ニューヨークに多く出稼ぎに流出したようで、今でも多くのプエルトリコ人が住んでいる。今では2世、3世となった人たちもいるが、ニューヨークとプエルトリカンをかけて、Nuyorican(ニューヨリカン)と呼んでいる。その多くはスパニッシュ・ハーレムやブロンクスに住んでいる。そんなニューヨリカンで有名になった一人がJ.Loことジェニファー・ロペスだ。彼女の旦那で歌手のマーク・アンソニーもニューヨリカン。私が行った時、ちょうど二人は映画撮影でプエルトリコに来ていた様子。ロケ現場にも出くわした。多くの人だかりがあったので、聞いてみたのだけれど、プエルトリコ人はプエルトリカンとしての誇りがとても高い。だから世界的スーパースターとなったJ.Loをきっと誇りに思っているに違いない。ホテルにチェックインした母と私は早速ホテルのある近辺の散策へと出かけた。私にとっては初めての場所だったけれど、親友も同じホテルに泊まり、また彼女は5年前にも同じところに滞在したのでその付近の変わりようを良く覚えていた。「前行った時は何にもなかったけど、今はカルティエやフェラガモのお店も出来て、随分変わったわよ」歩いて5分くらいのところにカルティエをはじめ、5店舗ほどのブランド・ショップが並んでいた。どうも免税店にもなっているようだった。中を覗いてみるとお客は私たち以外にはいなくて、ちょっと居づらい雰囲気に包まれてしまった。私たちの泊まっていたホテルにはカジノがあり、またその一帯のホテルにもあるようだった。きっとそこで儲けた人が買い物するのかな、と思った。というのもプエルトリコ人の平均収入はとても低い。ガイドさんの話によるとざっと日本円にして年収160万から180万だという。その代わり、物価が安い。もちろん、私たちのような観光客は観光客相手の場所へ行くために、あまり安いと感じないけれど。カリブの緑色ともライト・ブルーともいえる海沿いに面してはホテルが立ち並んでいた。けれどその多くが立て直しか取り壊しがされていた。もしかして、昨年のハリケーンでダメージがあったのではないかと思ったので、ホテルのコンシェルジェに聞いてみると、その辺り一帯は多くのホテルが倒産したという。けれどまた最近、そこが買われて再建されているのだと聞いた。次に訪れることがあれば、きっとそこはさらに賑わっているかもしれないと思った。 ・・・ 続くホテルからの眺め
Jan 26, 2006
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