全166件 (166件中 1-50件目)

2012年04月07日
コメント(0)
地震の後遺症。それは津波で海水が大地を覆う事。塩害とも言うでしょうか。 作物を作るには少々厳しい状況にもなるのである。 塩害の中和をするとしても、経費も時間も費やす。 さてさて、政治家や役所が「塩害」を想定しているか。危機感が弱そうでもある。結局、輸入などの大場しのぎで、日本の農業支援は、しないのである。 政治家、官僚などの国税は自分のポケットマネーとしか考えていないであろう。なんとも、さもしい限り。
2011年03月13日
コメント(1)

2010年11月15日
コメント(0)

2010年11月02日
コメント(0)

オリジナル
2010年10月28日
コメント(0)

2010年10月19日
コメント(0)

2010年10月08日
コメント(0)
ここんところ、なにかと生霊の言葉が飛び交うけれど・・・疑問・疑問のラビリンスに迷い込んでる感じです。源氏物語りの「六条御息所」の状態が生霊かと感じます。一回だけ生霊化しました。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::心霊地帯に旅行先のホテルです。深夜の事。友人は「やめて~」で起き上がる。寝ていた私と別の友人はビックリして起きる。話を聞いたら・・・「アナタが私の体を揺さぶりつづけたー」「やってない!寝てた」と反論。実際、被害者の友人と私の間に別の友人が寝ていました。その別の友人を乗り越えて行くのは不自然なこと。被害者の友人が叫ぶ前に私は変な夢を見ました。もちろん目を覚まし、また寝なおしました。友人が叫んだのは寝なおした後ですよん。今思うに霊夢ですね。私が被害者の友人のそばにいます。友人が私の手を払う「なんで?なんで?」心で叫んで友人に詰め寄る。それでも友人は私の手を払いのける・・・夢は終わります。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::気がつきましたか?友人の出来事と、私の夢のタイムラグに。タイムラグが有る以上この状況は幽体離脱ではありません。私の状況と六条御息所の状況がなんとなく似ていますね。これが生霊ならば、★生霊は遠くに飛べない。★本人の意識が無いとき、もしくは眠っているときに生霊化する。★寝ているときならば昼より夜これをふまえると生霊は、やたらめったら人に取り付くなんて不可能に近い。なら生霊が多く叫ばれるのは、生霊と言う名の別なモノと、捉えるのも有りでしょう。生霊を【念】とも取れるのですが、本人の意識から離脱して災厄を及ぼすとなると・・・念とは別の存在ともなりそうです。なにやらキナ臭い、企みによって、生霊が一人歩きもしていそうです。なんともメンドクサイ!!
2010年09月13日
コメント(0)
最近の占いブームは、鑑定者の【神秘】のためか、姓名判断は忘れられる傾向でしょうか。占いに興味ある方なら姓名判断の重要性は知っている事ですね。そして姓名判断の【落とし穴】と言うものも。画数、数字、線、漢字の空間などなどのマジックです。漢字が違えど画数が同じ・・・同じ運命をたどるか?たどる場合と、たどらない場合がある。姓名判断の【主】として、天格・地格・外格・総格・人格の画数から判断します。それプラス『内格判断法』を行えば、さらに的確な判断が可能ともなりそうです。自分は、こちらを【主】に姓名鑑定したりもしています。内画判断法は『知る人ぞ知る』内容ですので、一般人には馴染みの無い事でしょう。画数ごとに解き明かされる内容。長く鑑定をしていると理解できるものです。ですが、これすらを凌駕しそうな感覚を、姓名から見ると感じたりもします。画数、数字・・・大本の意味は『易』からなのです。でも自分の感覚は、『易』以上に【数秘術】が深淵で関係していると感じます。それが【落とし穴】となる状況があるのですね。多くの占いにも通じます。プロともなれば占いの【深淵】を読んでなを【落とし穴】に気が付くものです。その為に、姓名判断と同時に生年月日、生まれた土地、誕生した時間をも要してもいます。●●画数での用心●●天格・地格・外格・人格・社会運・家庭運などなどに【同画数字】としない。これ、大事ですぞ。
2010年09月11日
コメント(0)

ファッションを凝らしてみました
2010年09月09日
コメント(0)
霊能者、他の能力者でも見解が色々となるモノ●がん細胞的な存在とも●ウィルス的存在ともたぶん、遠からず近からずの回答でしょう。邪はシタタカで用心深く、周到に目的を果たす。常に命あるモノに付きまとうし、もっとも望む魂である能力ある者のスキを突き、先回りも出来る。魂を邪である自らの手中にしてもなを、邪は貪欲に魂を取り込む。能力者の言う【防衛】すらも・・・時空間を利用して無効にもできるを知っているのも【邪】です。なかなか一筋縄には防衛も難しい~。邪の事を知れが知るほど、【やりきれない】の感がしてくるかもです。それでも、それだからこそ、【邪】に囚われないが必至でもあります。詳しい話は禁止事項なのも【邪】の話。後は皆様で考えてくださいませ。答えは皆様の内在宇宙が知っているかと。
2010年09月09日
コメント(0)

自分としては「美味しい」です。大人の味ダークチェリーとはアメリカンチェリーです
2010年09月03日
コメント(0)
ほとんどの人は知っていても、知らぬふりと話題の流れに便乗しているのが「3D」なんでしょう。立体映像の流れは土地神話にも似ているようです。 過去の遺物にならない事を願うばかり。 高性能の「脳」を敵にまわすと・・・後が面倒です。3Dには「ポケモン映像ショック」と別格なシュールでミステリアスな現象を「脳」はお膳たてしているとも。「脳」はトランプカードのジョーカーとロイヤルストレートフラッシュを隠し玉している。実にスリリングで面白い。 自分としては3Dは「●●●●」ですけど。
2010年07月31日
コメント(0)
悪魔の手毬唄 (1977年4月2日・東宝、市川崑監督)の作品を何度と無く再放送されています。多くの「金田一耕助 作品」の中で、自分としては1番でしょうか。 守ろうとした。でも守れなかった。 墓場まで持っていく秘密。一番知られたくない人に知られてしまった。 自分が守ろうとした者を、自分で、自分の手で失ってしまった。 悔やんでも悔やみきれない。 誰が悪いのか・・・それすらも解らない。何が正しい、何が間違っている・・・それすらも見えなくなる。この乱心すらも解らない。 この映画を見ていないのなら是非☆海外に出しても、色あせない映画だと感じます。人間が考える「人間の何故」が凝縮されていそうですから。 そして現実には起こらない事件です。でも日常での「秘め事」「墓場まで持っていく秘密」 これらは、誰でも1・2つはありそうです。 自分ですか?自分もあります。 でもトップシークレットで墓場まで持って行きますよん☆
2010年06月27日
コメント(1)
問題を起さない限りは気にも留めないし、メディア自体も面白おかしく報道されています。ですが、我としては、これはこれで実に、はた迷惑で用心すべき状況だと考えております。通常の意味のカルトには目を光らせての監視システムもどき、もしくは回りが警戒しますから公的機関も乗り出せる状況があります。ですが「派生的な意味でのカルト」は「趣味」「興味」「熱烈なファン」から広がる人と人のつながりで少数と位置づけです。この「少数」の位置づけに疑問があります。それは少数という人数が曖昧だからであります。事件を起した人数の報道を例にするなら、5人でも集団として報道します。事件の大小で集団と少数の判断は妥当だと取るのはいかがかと。我は1対1以外以外で1対2人以上の論争だとしても、対等でない場合、その2人でも「集団」です。また、2人一組での行動ならばと「相棒」ですが、3人以上で一組なら「集団」です。我としては1個人の集中力を妨げ、なをかつ防衛できない事と精神的な苦痛となる人数を「集団」と考えます。そこには少数などと言う言葉で収める状況下ではないはずです。「少数」の言葉を使うのは論文や報告書などの「紙」の中でのことです。もし言葉で「少数」をクチに出すのなら危機感のある場合が望ましいはずです。なぜ「派生的な意味でのカルト」に、こだわるかと言えば、嫌な思いをしたからであります。乗っからない我は、よく「村八分」状態になりました。今にして思い返すなら「派生的な意味のカルト」の人たちが奇妙で怖いと感じていたからでしょう。実際そうだと思います。その、のめり込む姿、言動と行動には目に余る時がありますから。これがエスカレートしたのならを考えてみてください。なにやらキナ臭い感じが湧き上がってくるのは気のせいでしょうか?続きは2の2と言う事で。
2010年05月29日
コメント(0)
この書庫を閲覧される皆様へ。誤解のないよう、お願いいたします。これは神さまを総否定しているのではなく、別の見解、もしくは自身の体験ほかから導き出した考えを記載しているものです。それでも全てを語れないのですね。この世、3次元の地球、宇宙での神さまの有無ですが、この世界において、神さまは実在も存在もしません。ですが、この世以外の世界では存在します。そして別世界から3次元での遺功が有ったものの痕跡を先人の方々が伝承して現在に至ったのですが・・・長きに渡る編成のせいでしょうか、支離滅裂になってしまっています。そして「神」の存在する別世界に人間がいるならば、その人間にとっては「神」の存在ではありません。まったく違う存在として息づいています。3次元のみ、「神」なる存在なのです。では3次元で語られる「神」が別世界では、どのような存在かですが・・・これが禁止事項となります。申し訳ございません。語ることができない内容です。別世界は別世界で、他の世界のモノが干渉するにおいても制約が多いのです。それは聖人でも同じ事が言えます。では、別世界の人間の神さまはと言うと、いま居る世界の人間とは別の世界に存在する事となります。実に解りにくい説明となってしまて・・・すみませんです。幽玄夢幻なのが「神さま」なのです。これが神さまと思ったのなら、神さまは、もう存在も考えた事も「無」となってしまいます。けっして人間の考える、思う存在にはならないのが「神さま」なんです。冷静に考えるなら、存在と実在の区別ができます。また存在の有り方、実在の有り方も状況しだいなのだと、考えていただきたいです。では「神」が存在するで話を進めます。そうなると自身のみ「神」は居ます。ですが自分の「神」を他人に強制と誘導するものではありません。他者には他者の「神」があります。神とは個人のみしか通用しない、適用しないモノでもあります。全ては有と無、幽と夢、そして空と喰うの「殻」なんですね~。なので人間が見る予知夢とか未来には「神さま」は無関係です。今回はここまで☆
2010年05月22日
コメント(0)
前の記載からの延長です。「風」が【冷】であるからして、「風」と密接な霊能者も・・・多々影響を受けるかもです。もちろん、影響を回避・受けない能力者もいます。基本、【霊】と密接に活動する霊能者は自身で「ほどこし」しないと厳しい年でしょう。自業自得などとは言うのも、なんです。今年の軌道からですので、あしからずです。この内容は能力者・霊能者なら感知しのいますね。もし知らないのなら、【未熟】の、何ものでもないでしょう。今年は何時もの年以上に、用心しましょう☆
2010年05月19日
コメント(2)
5月を境に増えだす【心霊】の話・・・でも今年は少々違う気配が???【心霊】に関わる「風」が今年は違うのですね。今の「風」状態では、心霊現象と言われる【霊】に対して【冷】なのです。そうなるのも当然かも。我々、人間が関係している以上、【霊】にも「風」は【冷】なのです。「風」の【冷】なる状態が、どこまで続くか・・・?人間である自分は「不可侵」なる域なので、感知はしません。成る様に成るです。
2010年05月17日
コメント(0)
今頃といえば・・・です。 自分的な理由なのですが、天地・地球・月・宇宙の軌道が1月~4月は不安定すぎましてね。ようやく安定。でも一時的とも。その安定した状態が「開運」とも言えるのかも~。 生年月日・性別などなどを考慮した開運カラーは他で確認してください。自分は万人用となりそうです。 今現在からは、上《オフホワイト》・下《アースブラック》・中《ミントグリーン》となります。上・下・中の色の補助色は・・・微妙で、あるのですが、言葉では表せません。なにぶん、未熟ですので。 9月を境に開運カラーも変化しそうですが、先の話です。 余談、何時如何なるのか不明ですが、開運カラーは変化するのです。1年中、同じ色と固定しないのですね。 個人的の使用から、変化の理由は抑えていません。詳しく知りたい人は調べてみるのも有りですね。
2010年05月11日
コメント(0)
霊能者さんの鑑定で「何度も同じ夢を見るなら前世」て言いますね。そうとも取れます。そうでない場合もあります。もし霊夢で「前世の夢」だとしても霊能者さんは、その先を語っていませんよ~。霊能者さん、誤解まねく話はしない。するなら最後まで話すです。霊夢について少しだけ話します。●内容がドラマ仕立て。全部が全部「前世」とは限りません。●場所とか風景。●人物。●動植物。●剣などの道具。「前世」で強く感じた対象物そのもの&対象物をデホルメしています。霊夢以外の夢も言える事です。どこで夢を操作しているかと考えると・・・「脳」です。ま~、奇想天外、奇天烈な事をするの「脳」ですから、全部が全部を「前世」と思うのは間違いなんですね。現在の自分が、内面の自分と向き合い、心晴れやかになれば、「夢」は変わります。仮に、前世の夢で「自分の首が剣で切られて血を流す」とします。そのような夢を見ている時の現在の状況は・・・色々の苦難から、心身が辛いはずです。今現在の心身の辛さが和らぐ過程と比例して、自分の首が剣で切られて血を流す⇒剣で切られても首から血が流れない。このように夢が変わりだします。最終的には、前世のドラマは見なくなります。不思議なことに「霊夢」などは、自身に知識が付けば付くほど見なくなるのですね。やはり「脳」が曲者~w余談、「見たい夢を思うと、夢になる」は「霊夢」他の夢とは別な位置となります。「脳」の使用部位の違いからで~す。 oq,io-ih
2010年05月02日
コメント(0)
誰にでも『気』の性質を持っています。自分流解説です。一部、霊能者さんとダブりますが、プラスアルファの自分見解です。流し読みでお願いいたします。●陰陽五行⇒火・水・木・金・土これは現世での性、魂魄のハクの気質です。性格の長所・短所⇒適職・好き嫌いなどが読み取れます。これは相手との相性判断も可能なんですね。●4大要素⇒火・水・風・土個々に霊力の質があります。なので魂魄のコン、タマシイの自分のパワー性質とも取れます。●●火⇒酸素・燃焼物があって火となるパワー。絶大なパワーがあるが制御が難しい。浄化の炎・地獄の業火から、天地を問わず火は邪を焼き払う。陰陽に携わる人は『火』のパワーが多い。●●水⇒酸素・水素に圧縮がともない水となる。大地あって水がたまる。雨のときは、天の力で水のパワーは停止されるようです。大地に下りてから水のパワー発動となる。聖水などに使用されることなどから吸収・保管などのパワー。●●風⇒色々の風がある事から、火の性質と同等に絶大なパワーの位置にある。霊的世界から『生と死を受け流す』役割のパワー。なので霊能者さんとなる人のは『風』のパワーが多い。●●土⇒大地の力に系統します。生み育てる・・・他3つの要素の『ゆりかご』的なパワー。これにより、能力者なるパワーは『火と風』になります。能力者を生み育てるのは『水と土』なのです。『水と土』のパワーは生み育てる役割から、能力者としての発動は、ほとんどしません。それでも媒体であるパワーは、ぶれない・犯されないの揺ぎ無いパワー。大地に根ざすパワーは『火・風』とは別の意味で絶大なパワーなのですね。陰陽五行・4大要素の活用で占う事も可能です。自分は『どうしても視る』の場合と、自身の自己防衛に応用しています。まだまだ序の口で一部分の公開です。今回はここで終了します。軽い感じを限定しないで記載するのも考えていますが・・・時期が先ですね。
2010年04月20日
コメント(0)
我自身、いつも記載するときなどは心に言い聞かせている事である。ブログ、書籍などは見る人が主体であるできと。それには画像や文章などに、自身の思惑を大きくアピールしてはならない。このような考えでブログと向き合っております。もし見る人を自分の考えに誘導するような画像や文章ではマインドコントロールと同じになったしまうのではと考えているからです。見る人に考えてもらうよう、自分の考えを記載する事はあります。ですが、そこには断言の言葉を記載しても相手が疑問と考える余地を置く配慮もしています。しかし、それが出来ているか否かは我に知るよしがないのが現状です。我の考える、見る人への配慮例(画像)>画像添付の場合、極力、言葉の解説はしない。>文章とは異なる画像の添付はしない。人間の情報処理の大半は「視覚」からであります。文章を読むのも「視覚」を利用してです。そして「視覚」からの情報を処理するのが「脳」となります。ですが、「視覚」情報でも画像の場合は、画像そのものを「脳」が脳内でプリントしてしまうので、ほとんど加工や考えるの処理を怠る事が多いと考えるべきかと。もし脳が加工と考える処理をするにしても、多くの問題が発生する事があります。まずは刷り込みです。もしくわマインドコントロールであります。こうなると脳内では「美化」がされてしまう確立が大きいかと。このような問題を発生したくないの考えから、我は画像添付を控えております。我の考える、見る人への配慮例(文章)>断言する「言葉」の使い方です。>自分のみの考えである事を相手に理解したうえで、相手に考えてもらう文章としています。マインドコントロールだと多くの人が思うような文章では、垂れ流しメディアと変わりありません。主体は見る人です。その中で自分の考えと社会やその他の問題点についての疑問を、読者に考えてもらう文章と画像添付が望ましいと考えております。ブログを日記と言う人もいます。そうとも言えます。ですが、不特定多数の訪問者の閲覧を考えるなら、日記といえども見る人への配慮は「あってしかるべき」ではないでしょうか?見る人に不快感、光悦感を与えるような内容は日記などど言えないのでは?日記とは、徒然であり、もし秘密日記なのであれは非公開日記となります。多くのブログ開設者は今一度、考えてみてはいかがでしょう。今回、我もブログを書くたびに考えている事を題材として記載した次第です。見る人の配慮を考えての記載となれば、非難のコメントにも配慮される可能性はありそうです。そうです。コメントにも配慮は「あってしかるべき」でしょう。
2010年04月18日
コメント(0)
結局、こちらの受信回線がネックなんです。櫻さんの満開の場所には近寄れな~い。とくに夜は、なおさら空間パワーが!!と言うのは大げさで近寄れます☆が、回線を遮断するものの・・・回線自体はあるから一般人のような楽しみかたにはなりません。もともと地球は多重次元の<軸>ですから、現世で櫻さんの満開地以外でも『幽玄夢幻』の感覚は、あいちらこちらと出会います。多くの植物さんや土地や建物でも『幽玄夢幻』の感覚はあります。それでも櫻さん満開の異空間感覚はスゴイ!!圧巻です。回線遮断でも情報が来るぐらいです。感覚では色々のホログラフィー映像が幾重にも重なる感じで、一般人の居る空間もホログラフィー化して同化状態になる。その中に居たとしても、自分自身の周りだけは同化不可の空間が覆われています。自分で空間シールド出せるはずもなく強制介入によるモノ。どこのだれかは不明ですが、結果としては『疎外感・違和感』の感覚が生まれて花見も楽しめないです。櫻さんのコメント『思うだけで良いです。あなたの来訪は緊急時ですから』だそうです。ようするに《ふるさとは遠くにありて思うもの》みたいな感じでしょうか。きっと意味は違いますね。でも櫻さんに嫌われている訳ではないから安心です。自分と縁ある神所有地の櫻さんには感謝の訪問に行きます。
2010年04月14日
コメント(0)
花びらの薄ピンク色からか?【サクラの下のは死体がある】なんとも春の花なのに、陰のある話です。サクラの名称他説の意味合いも関係あるかも。なのでサクラさんは、<神木+霊木>の位置にいます。それだけに霊験あらたかな木さんです。ほんとに死体なんて埋めたら・・・神仏さまの背信行為ですな。基本、木の下にはモノを埋めるのは【要注意】です。例外は神仏さまの儀礼です。それには遂行者も限定されます。針葉樹では松の木。ほかの広葉樹・針葉樹にも<神木+霊木>の位置の木はあるみたいですが、木の種類が思い出せません。藤の木さんは、<霊木>です。<霊木>は、ほとんどの木さんがそうです。そのなかでも藤の木さんは強いです。<神木+霊木>のパワー性質は、そう多く存在しません。家に植えているのでしたら【神酒】で感謝をよろしく☆余談家庭で植える木は低木がベストです☆神木の位置にある木を民家に植えるのは・・・オススメできません。それなりに敷地が大きいのなら、なんとか植えれます。ただ狭い敷地が大半の住宅事情です。狭い敷地に背丈が高くなる木があるのと・・・敷地の空間バランスが、なんともな事です。敷地空間を考えてのガーデニングしましょう。
2010年04月12日
コメント(0)
サクラさんの名称由来の他説として、1)春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)だからサクラであるとも考えられている。2)富士の頂から、花の種をまいて花を咲かせたとされる、「コノハナノサクヤビメ(木花之開耶姫)」の「さくや」をとって「桜」になった、とも言われている。今回の【帰ります】は(1)の他説がフィットしますね。数年前からサクラさんは言っていました。ピン感しないので「そうか、このご時勢だもの、しかたがない。」そんな感じです。ソメイヨシノさんは「人工交配種」接ぎ木で都市に広がってます。自然種より短命で60歳超えるば長寿でしょう。自然種の生育環境は山~里山です。それを都市に植えつける・・・厳しい環境ですから寿命も年々短くなってるみたいです。ましてや「花見」もイベントで、愛でるなんてしない・・・これでは人からのパワーももらえず山のパワーも届かず・・・衰弱します。サクラさんが都市にいる理由は「人間に観賞」の為じゃないので、だから【帰る】みたいです。人間の勝手な思惑が、櫻さんを人間社会から遠ざける・・・なんとも残念な事です。日本が軍事に走っていた時。人生を語る時。今は卒業、恋愛などの使用でしょうか。高次元と密接に関係する【樹】である櫻さんのは、なんともな事ですけど。自分としては、浅はかな人間の言動と行動について申し訳なくと櫻さんに伝えています。そしてサクラさん、ありがとう。お疲れ様です。環境が整ったら、また戻ってきてください。お待ちしています。
2010年04月08日
コメント(0)
これは予知でも占いでもありません。あくまで個人である自分の、サイコメトラー感性からであります。2010年の軌道。天は「忌性」、地「怨性」これが今年の軌道のようです。この深い内容は記載できないものの、言える事は何事も「用心」です。嫌な事、凶悪な事が増えそうな気配が見え隠れしております。
2010年04月03日
コメント(0)
我の持つ写真にも心霊写真の部類が入り込んでいます。でもなにも起こらない、起こっても気づかないので、そのままにしています。もちろん、写りこんでいるモノ自体も「赤いモヤ」しかありません。この「赤いモヤ」でも霊能者なら御託を言うと考えられます。我としては、霊能者の言葉に振り回されるとなれば不本意だと考えていますので見せるつもりはありません。仮に「人かた」が写りこんでいたとしても「お焚き上げ」でエンドします。さて、「悪意」でもイ・タ・ズ・ラの部類に入るのは、注目の的・見るものを【あざける】笑いがある。これらが与える実害と言えば、信頼を裏切る行為ということだ。また、人に信じるの行為自体がバカらしいと思わせるは、人間を信じる価値なしと言わんばかり。◆もし、「人間を信じる価値なし」を発信したいのなら別の手法ですべきである。◆また、「イ・タ・ズ・ラでも騙し」なら、発信する時点で相手に前もって伝えるべきである。◆もし、「あざける」をするのであれば、あざける人間の対象を考慮すべきである。善良な人間は除外するのが当然で、社会の悪に対してあざけるべきである。◆なを、「注目の的」となりたいのなら、心霊写真以外を発信すべきである。◆◆◆さて、「悪意」でも社会悪が大きな問題となっている霊感商法と新興宗教がある。これらは集団で個人をターゲットにして騙す手法。実に巧妙で実害も大きい。人の弱みにつけこむは「悪意」でも金銭欲が大きい。よく使われる言葉としては「供養」、よく使われる物は「お守り」が常套手段と覚えておくべきかと。これらの「悪意」に使われるのが【高度画像処理】であります。pcの普及とともに一般化していることから考えるなら「心霊写真」での霊障鑑定はするべきでは無いかと。皆さまなら冷静なる判断でお解りでしょう。故に我の内容にも納得していただけると考えております。
2010年04月03日
コメント(0)
詳細は検索してください。我流で、その内容を紐解きします。●『ツイン』の名⇒現世に転生する場合のみの使用名です。現世を軸に考えるとツインソウルは魂魄(こんぱく)を指します。お手本、基本的なツインソウルの関係が魂魄です。もちろん、応用・上昇的なツインソウルもあります。今回は基本中の基本である、魂魄のツインソウルの説明をしますね。『魂魄でのツインソウル』魂(こん)=魂の世界での情報(過去・現在・未来)を記憶しているタマシイ。転生のおけるあらゆる情報を自分と他で検証し理解している。いわゆる【理性】魄(はく)=現世の世界の記憶(ピンポイント・アバウト)をしているタマシイ。感情が支配している。いわゆる【本能】この世を去る場合の魂魄の行動。●魂⇒タマシイの世界に帰還します。現世での情報を開示して分析後は一時的の休息。その後は今後の活動を思案します。●魄⇒魂という求心力なき後は拡散。タマシイの世界とは別の次元で待機します。気の分子・原子レベルの拡散です。別次元での存在には同分子の結合で存在を保持します。別次元・・・場所は言葉に表せない場所です。感じる事でしか理解できない世界なんです。例)喜怒哀楽・・・他、体験による感情、動植物・性別・年齢分類などなどで結合。この結合は他人の魄もカテゴリ訳で一緒になります。いわゆるデーターベース化する事で、魄の存在が正常かつ清浄に維持できるみたいです。魂が現世に転生する時、魄はデーターベースから【魂と共にある形の魄】の個人識別化します。そして魂と結合、現世に転生と相成ります。魂魄同士、共鳴波動があるから出来る⇒ツインソウルといえますね。魂魄となる結合には、転生を繰り返す場合と新規の転生の場合とでは【魂と共にある形の魄】の形状化は違います。魄の形状化の違いについては、まだ話す時期ではないようです。別のブログ記載で書くかも???詳しくは話せないので、すみませんが自分で考えてください。話せば、まだまだ続く~けれども打ち止めします☆
2010年03月30日
コメント(0)
心霊写真の審議は審議。問題なのは大きく、ミスリード、イベントとして取り出されることだ。なんとも、遺憾である。人の心のシフトを考えるなら、どう扱うべきか解る。もし善意だとしても「偽善」と考える。そう結論をだしたのは我の経験からだ。以前、知人から「心霊写真を見て」と言われた。とりあえず承諾して後日、写真をチェック。まず写真を見た感じから「これ心霊写真?妙な写りこみ」と言って、相手の動向を伺う。理由は、相手の反応がプラス・マイナス思考の、どちらにシフトしているかの確認である。もとより鑑定を依頼された時点で相手の思考が「マイナス」にシフトしていると解っているが、再確認は必要。写真といえば、室内で写して中に、写真の上に白いモヤと白いモヤの車が写りこんでいたモノ。人物ではないし、前後で写す合間のカメラ機器の誤作動から「シャドー残像」とも取れる写真でした。当人は「ありえない」と言い切るから否定はしませんでした。当人の心境を酌みこんで、写真の「お焚き上げ」となり一件落着。もちろん、お金は絡んでいません。この内容から、お解りかと。自身では解らないものが有るだけで不安に駆られる心、弱さ、怯え。それから開放されたいの思いしかありません。ならば心の不安を除く方法を教えるだけです。霊能者の御託など聞く耳があるかと言えば、当人は「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」ですから、霊能者の御託は聞いていないと同じ事です。よって、我は不安解消のみでエンドします。もし、霊能者の御託で相手を諭すのであれば、それは「偽善」行為かと。それは霊能者が、相手と霊能者の置かれている立場を考慮しない事からのあつれきです。対等の立場での助言だけです。相手が助言をどう行動するか、行動での良い悪いの結果は相手です。責任も相手です。それ以上、相手を干渉するのは筋違いと考えるべきかと。対人関係の深さが関係します。なら、霊能者は「金」と「信頼関係」からの助言です。けっして自身の人生の明暗を霊能者が握るのも、ゆだねるもあってはならないのです。次は「悪意」です。
2010年03月15日
コメント(0)
しかもスピリチュアルでも「オーラの色鑑定」も絡んでの事です。我としては霊能者が公共での公開に「オーラ」使用に色鑑定していますが、その霊能者の安易な言動などに腹が立ちます。多くの視聴者に興味と願望と熱望をかき立てるなどは何事ですか!能力の乱使用と我は取らせていただきました。しかるに公ではない場所での鑑定と、依頼者にオーラ鑑定他を他言無用としたのなら良しといたします。「光」の色の使用には多くの制約があります。その内容を詳しく記載したいものの、悪用される事を考えると記載には踏み切れません。なにとぞご容赦ください。もし記載して悪用されたのなら、我自身が悪の片棒となってしまいます。詳しく話すとしたら個人的で、信頼関係にある人のみの伝達しか致しません。この記載を最後まで読んでいただいた方にはお解りかと。その感謝と致しまして、少しだけ使用のアドバイスを致しします。このアドバイスには「風水」にもつながる内容でもあります。一般人の身につけるもの、部屋の使用する小物に「光」の色を使用するのであればワンポイントのみでお願いいたします。これだけも「光」パワーは十分に届いておりますので。
2010年03月06日
コメント(1)
考えれば考えるほど見えてくるものです。なぜ動植物の一部が「青」を受け入れ、一部が「青」を拒否したのか?それには生命の戦略があったと考えても良いのではないでしょうか?人為的に「青」を入れるのであればリスクがあるはずです。生命活動が長くなれば元の体内物質が活動して「青色」が失われ本来の色に戻る。今だから「青」が活動できるなら、今こそ「青色」を自然界に君臨させる。それのは他の色の活動域の後退を促す。促す方法は全て人間にある、委ねられているのではないでしょうか?色、光の情報を知識としてできる地上の動物は「人間」でしょう。使用次第で人間自体の繁栄もあれば衰退もあるのではないでしょうか?もちろん繁栄が望まれるべきでしょう。なぜここまで「青いバラ」にこだわるのでしょうか?青いバラから考える事は、「青」に多くの人間が囚われている、翻弄されているです。これでは「光」の情報から遠ざかり、真理にも、宇宙からも遠ざかるでしょう。また、このような心理状態が続くのであれば、「悪」に付け入る隙を与えているようなものだとは考えるべきかと。もし自分の内面と向き合い、本当に欲しいモノに気づくのなら「青」など他の色に固執しないはずです。◆情報の氾濫と同時に色の氾濫から考え出した我の方程式◆色に無頓着であるのなら「光」に無頓着と言うことです。「光」に無頓着であるのなら「生命」に無頓着と言う事です。「生命」に無頓着なにであれば「宇宙」にも無頓着と言えます。少々、言いすぎになってしまいました。でもあまりにも社会に色が乱使用されている事の警鐘からでして、ご容赦ください。この状況を打破したい思いから辛口の記載となってしまいました。
2010年02月22日
コメント(0)
自然界において、「青色」の色素発色する花は多く存在しません。我は生物・植物の細胞の知識が乏しいものの、メディアから知った情報から多くを考えるにいたった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆青いバラを作るのは従来の品種改良では無理。突然変異種のバラが「青い色素」をもつならば可能だが、バラの遺伝子と酵素に「青い色素」の発現させるモノは存在しない。故に突然変異があっても「青色」の色素を有する事などできない。別の変異を起す事で可能な方法としては、花の色を決める酵素と遺伝子の「青い色素」をバラに人為で組み入れる、人為的にコントロールして「青色」の花弁とするのみです。この手法で青バラは世にお目見えしました。販売もされるとの事。昆虫・爬虫類・鳥類・魚類などの青色は、外界と接触する「身体」に青色を持つ。哺乳類は「目」に青色を持つ。植物は多年草・1年草など、樹木化しないモノ。植物の丈も低いモノ。花弁の数が少ないモノが青色を持つ。鉱物では青色より赤色系統が多い。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今、思い浮かぶ考えを記載しますた。色には多くの情報があります。白と黒は色ならざる色なので、今回は除外いたします。色の中で情報量が多いのは、ダントツで「青」です。その次は同列で、赤、黄、緑、となります。お解りかと、上げて色は「光」の原色とも取れる色であります。色の情報には「光」が大きく、多く入り込んでいる、もしくは「光」そのものの情報とも取れます。とは言うものの、色分けにより「光」の情報も色自体で情報の分担化はしています。「光」の情報には地球と宇宙があります。そこのところを混同してしまわないようにお願いいたします。地球でも、地球自身と地上の生命があります。宇宙でも、3次元の宇宙と多重次元の宇宙があります。カラーセラピーなどは生命でも人間の表層意識と深層意識でも表層意識に近い部分に働きかけていますが、カラーセラピー使用の認識では「光」の情報でも情報の表面活用であります。多くの問題が山積みであります。
2010年02月08日
コメント(0)
そうなんです。色々な【メッキ】を付けて歩くのが人間です。しかも、他人に【メッキをはがす】などの行為があるのなら、怒涛の攻撃と速攻の逃げ足ですから、【メッキ】を付けるのも良し悪しでしょうか。自分は、もちろん【メッキ】を付けております。それは他人からの見た目重視ではありません。自分を優れている、特別などの為でもありません。ほとんどの人間は、こちらを重視していそうです。そして、この【メッキ】がはがされると、上記の行動となるのでしょう。自分、【メッキ】ははがれるモノと考えております。他人にも、自分でも【メッキ】ははがされるからです。なので【メッキ】がはがれても、うろたえない程度の【メッキ】使用であります。他人には、ほとんど【メッキ】がされているか解らない程度。そして、自己防衛の為の【メッキ】でもあります。【メッキ】の仕方も個人個人で変わります。回りの状態で【メッキ】の使用も変わります。別な言い回しですと、「演じる」ともなりそうです。『自愛』からの【メッキ】使用が最良なのでしょう。どんなモノが【メッキ】?【メッキ】をどう身につける?それこそ、自分自身で考えて【メッキ】を使用するのが筋なのであります。ほとんどの人間は無意識で【メッキ】を使用していますので。意識しての【メッキ】使用で『自愛』をよろしくお願いいたします。
2010年01月30日
コメント(0)
そんなんです。過去の、お馬鹿な出来事でした。その対談も、霊か?自分の深層心理なのか?は・・・今となれば「どうでもいい」と開き直りました。開き直ったのも、自分自身に実害がなかったからです。強いてあげる実害は・・・超がたくさん付くほど「疲れる」で、睡眠時間が長くなるでした。対談を筆記にまとめようと、しました。ですが、相手の言葉が早いし、昔言葉で理解もしづらいなどなどで、書く字が・・・ミミズと化してしまうのでした・・・とほほ。会話内容は、神さま・天魔・宇宙・人類ほか。絵画内容は、色彩・造形・テーマほか。音楽内容は、楽曲・音の質感。そのほか色々です。ところが絵画と音楽を自分で現実表現するなら・・・どんどん遠ざかる~、なんか違う~と感じるし、記憶が曖昧になる~で、とほほです。会話は最悪!自分が見下されている~!!!終いには「人知がおよばない」ですから・・・いやな感じ~。しかも自分の事を「無知にあらずムゲである」「イが無い」だそうです。よく解りませ~ん。でも霊能者さんの一部には、これらのほとんどは「低級霊」のやらせだと言います。しかしながら、自分が付き合っている霊能者さんは、自分の経験した事に対しては「低級霊」だとは言いませんでした。なのでナゾで~す。今は昔ほどでわありません。たま~にピン感した言葉を書き留めています。なにはともあれ、これは現実社会に役に立つのかを考えると、役に立ちませんです。ですから自分探しみたいな気休めみたいですね。もしこれで「神さまの声を聞いた」なんて思うのは、やめましょう。「霊」ではない、姿も存在もはっきりとは解らないモノを盲目的に信用するのは、いけません、いけませんです。無用心ですよ~。自分の会話経験から、相手は怒るし、無視もします。これって、高次元の方とは考えられないでしょう。自分と会話した方も色々で、でも相手は自分を「神」とは言いませんでした。また、名のる事もしませんでした。今も不思議でナゾです。そして、関係ない、どうでもいい~と開き直りしました。これは前向きの開き直りですよん。この世をしっかり生きるが大事だからです。
2010年01月21日
コメント(0)
感覚の世界では、ものの1分かからない事が文章説明になるとA4用紙10枚をも超える感じですね。そう考えると感覚の世界とは高速の光速的な世界に似ているかも。でも光速とも違うんです。これも説明に時間ががかかる。とりあえず話しを進めます。お付き合いお願いします。また記載後、説明不足に気づいて補足説明などで話が前後するかもしれません。いまだ勉強中と言う事でご容赦ください。霊による影響。心身に原因がない場合、多くとも3割以下で1割強の範囲と感じます。この説明で「それほど多い割合ではないのに影響が出る」と感じる方、自身の霊体・霊力が過敏に反応していると考えて良い時期にきていますね。でわ自分で出来る事を考えましょう。原因が解れば打つ手もピンポイントですが、解らないが大多数です。まずは部屋の整理整頓から。年末大掃除の前倒しと考えて実行しましょう。【1】部屋がスッキリするは自身の霊域を確保する。邪気の進入の抑制・進入しても霊域パワーで即退散と浄化の手助け。浄化の手助けなら自身の「徳」に繋がります。【2】30代~の方、学生時代の小物・教材の整理で自分の過去と未来の確認。世代後半の行事としてオススメします。かならず世代ごとに転機があります。過去と未来を確認して進むは自分の発見・自信のために必要でしょう。また過去には決別が大事です。心の不安の大半は過去からの自分のメッセージ。整理する中、過去を思い出し、しっかり受け止め今の自分の言葉で過去の自分に語りかけていただきたい。この手法は自分自身で実証して効果ありました。個人差はあると思いますが、お試しあれ。問題は不要なモノの処理。日常で出るゴミと訳が違います。不要のゴミは別のゴミ袋入れして、「感謝処分」なのですね☆
2010年01月20日
コメント(0)
浮遊霊・低級霊・守護霊・背後霊・・・などなど。先人さまの付けられた名前の一部でしょうか。自分も使用します。ただ・・・使うたびに違和感もあります。理由は『なにを物差しに?感覚では名前と一致しがたい時もある。』そう感じる時は自分の感覚での名前で、ブログ内容に記載しています。●人間に立ち意なおらない災いの霊⇒邪霊(通常、浮遊霊・自縛霊・低級霊などでしょうか)●守護霊⇒高次元霊体(守ってくれる背後霊も入ります)そのうち、もっと自分の感覚での名前が増えるかもです。実際、霊は生者とはパワー性質が違います。霊の力が弱かろう・良かろうとも、生者にとってパワー性質の違い・交信用のパワー使用などで分が悪い、厳しいです。いろいろのケースを想定して考えると、『なかなか言葉では表すのは難しい』の見解ですね。感覚・波動で捉えるのがベストでしょうか。もしくは・・・主導権が鍵です☆
2010年01月19日
コメント(0)
奇妙な言葉だったので検索して確認してみました。そうすると、やはりの内容でした。それなりに目に見えない世界に精通していれば、使用しない言葉の1つになりうるのが、この言葉「ダークサイド=暗黒面」なんですけど。なぜかスピリチュアルを推奨する人、批判する人が使用するのは、どうなんでしょう?ダークサイドとは「スター・ウォーズ用語」すなわち映画製作者が考えた言葉なのです。意味ともなると、スターウォーズの物語を見れば解ります。ダース・シディアスが操る暗黒面のこと。暗黒面とは、おおまかに言えば人間であれば誰もが持っている「裏」「弱さ」のことを意味する。ようするに人間の心理の裏腹、善⇒悪へと表面化した。これで考えるのなら、ダークサイドは心理学の分野となるのです。ですが、日本では何故かのスピリチュアル・・・奇妙な話です。もし映画製作者が知ったら、呆れる・信じられない・おかしい、などなどの発言も考えれるでしょう。それより、言葉の使用に待ったが入る・・・なんたってアメリカです。ダークサイドの言葉を商標登録を視野にするなら、今後は使用は慎むのが無難かと。我としては、いらぬ争いの種には近寄りません。それはダークサイドの言葉も該当していおります。なんとも【キナ臭い】を感じる言葉の1つに入ります。言葉を熟知していれば別な言葉で問題なく通じるものです。ダークサイドの言葉も然り
2010年01月16日
コメント(0)
お久しぶりの怪現象ここ最近は心身が安定していたのでが・・・うっかり???身体は硬直状態と動ける状態の繰り返し。目を閉じても、まぶたの裏には訳の解らない場所やら人影が見える・・・やな感じ~。意識を保とうとすれば、まぶたの裏で自分の部屋も見える。終いには、自分の精神体で自分の精神体を触る始末。怪現象中でも、いい加減に、うんざりしてしまいます。その中で自問自答して爆睡してしまいましたね。自分の精神体で自分の精神体を触る中、子供手が自分の腕を捕まえたのですが、もちろん、振り払いました。この状況では、止むおえない処置ですね。子供の波動は浮遊霊・邪霊の類ではないのですが、子供の後ろに控えている「何者か」を警戒するのなら、無害の子供の霊でも排除するしかないのです。もともと子供には好かれる自分です。遊んでもらいたいのかな???それとも・・・あの、その、まっいいか~。この怪現象でも詳しい話はできないのですね。とりあえず記録しておきました。
2010年01月13日
コメント(0)
多くの人・、能力者は言うでしょう。運命・宿命は変えられるとも運命・宿命は変えられないともそもそも何故ゆえの「命/めい」なのか、から考えるべきでしょう。他の呼ぶ名では「命/いのち」とも言います。人間で例えます。運命・宿命となると「物質世界において、肉体に生命力の有るモノに与えた寿命に、さらに申し与えた動向」となるのでは?言い換えるのなら、物質世界において、肉体も無く、命も無いモノには運命・宿命は与えられていないとも取れそうです。俗称の霊体は、肉体は無いけれど、命はありますので、「命/めい」の取り方も変わりそうです。しかも3次元では無い、異次元の存在が霊体ですから。もし、運命・宿命が変えられるのなら、これは「革命」ともなるのでは?もし、運命・宿命が変えられないのなら、これは「定命」とも言えるのでは?この「革命」と「定命」は、運命・宿命の結果がでたらの「命/めい」なる言葉です。結果が伴わない場合は使用する事はないでしょう。たぶん運命と宿命には各部分で変われる場合と、変われない場合がありそうですが・・・どうなんでしょうか?時間がある人は考えてみてください。
2010年01月12日
コメント(0)
あるんですよね。人が人を裏切るの【セオリー】てのが。細かい説明のメンドクサイですので、各自でセオリーを考えてみてください。裏切りをまともに受けると・・・人間不信と言うか、他人も自分も「信じられない」心境に陥りやすそうです。それなりに長生きすると、人は裏切る動物と割り切れるのでしょうが。それも、なんとも釈然としませんね。裏切りは往々にして【負のスパイラル】と【裏切りの連鎖】を伴います。気づかないと・・・厳しい状況になる???気づいても・・・苦しい状況になる???モノは考えようです。セオリーの本質を自分で構築するなら、何てこと無いです。これも【道具】になるのですね。ポジテブに【裏切り】を考えると・・・摩訶不思議のワールドが全開します。本来、裏切りには、心には傷と争いと、下手すると流血騒ぎとなるでしょう。ですがポジテブ使用の【裏切り】は無血で無傷なんですね。もしくは、心身に【よかった】とも、なる場合があります。例とするなら、映画のラストでしょうか。映画を見ているものが落胆している中、映画のラストでどんでん返しのハッピーエンド。もし裏切るをするのなら「ポジテブ」で行きましょう☆これは人心操縦術にも繋がりそうです。ポジテブの裏切りにも【飴とムチ】の使用があるのですね。ん~奥が深い。それなりに生きてきた自分です。裏切るも、裏切られたも、ありました。でも人間不信とまではいきませんでした。自分は人間ですから、いろんな人間が居ての社会ですもの。なんてことない、選別・区別すれば問題なし。心理学は、まだまだ発展と細分化しそうですね☆
2010年01月09日
コメント(1)
もちろん、我流です。2010年を数秘術で分析してみました。多くの有名・無名の占い師が「2010年」を占うでしょう。ほとんどの人は「自分」の占いを複数の占いで確認するでしょう。占いにしても、個人の軌道と2010年の軌道は微妙に違うし、微妙に連動するのです。その「連動」を踏まえて占いを見ることが大事なんです。さて、自分の「占い」、オオザッパです。多くの訪問者さま?が閲覧して、不快にならないの配慮でもあります。2010年は2009年と別な意味で「メンドクサイ」年となりそうです。もし多くの占い師が「来年は良い年」と言うかもしれません。たしかに、そのような数字も伺えます。それでも妙な数字、それが気になります。なので、2009年とは別な意味で「気の引き締め」をお願いいたします。理由はサイクル軌道です。通常であれば、年での月サイクルの軌道が読めます。ですが2010年の軌道は2009年と別な意味で同じに、軌道サイクルが読めないのですね。なので、個人の軌道で良い・悪いを含めて「気の引き締め」をです。なにがあっても大丈夫なる、心身の万全を持つのなら、吉報は来る予感があります。あとは他の占いで、よろしくです。
2009年12月25日
コメント(0)
もう3年?か、もう少し前の情報です。今現在の異常気象と地殻変動の情報は前々から来ていました。悪い流れを大きくしてはマズイと考えてココロに留めていましたが、結果は変らないでした。トホホ・・・今後の流れは、●●と、●●地方、●●の太平洋側地域が危険域に入るようです。オオザッパなヴィジョンでは、◆◆を中心にして蜘蛛の巣上に日本全体の地殻に光る筋があります。不思議と北海道は蜘蛛の巣から外れています。最終目標は「◆◆の陥没」みたいですが・・・霊能者さんの話では「4大要素」が日本を守るで、日本のどこぞに配置していたのが「北海道」に来ているとの事です。そうだとしても、だからなに?一般人に要素の配置なんてできません。出来る人は・・・いないはずです。自然の流れだと感じます。もし、その流れを人間が阻止しるなら・・・「さかなぎ」と「背信」行為でしょう。自分が感じてるから、多くの霊能者さんも「天変地異」を感じているはずです。そうなると、水面下で阻止を目的に動いているかと。自分の感じでは「4大要素」が北海道に来たのは「地殻変動」を予想をしての回避行動と感じます。北海道は、たんに「仮の宿」です。日本の地殻が落ち着けば、北海道から離れ、元の場所か、新しい住処を目指します。動かないで居るの手もありますが・・・要素の固定、地殻変動からの防衛などなどのフルパワーはシンドイはずです。コレばかりは祈るしかない。 隠している、●●と◆◆は解る人には解る場所なんです。解らない人には不安を大きくするのも、けしからんの意味から隠しました。なにとぞご了承ください。
2009年12月20日
コメント(0)
前回のチカラの内訳は、目に見える世界での説明です。今回は目に見えない世界での内訳を書き書きします。そうなると言葉で分けるより、波動での判断になりますの。必要最低限の事のみ書きます。大いなるチカラとは確定していない過去・現在・未来を良き方向に向けることらしい。過去の歴史でも、記載されていない過去は変えれる。それは現在・未来もしかりです。例題個人の過去視で惨劇があった⇒現在は、その過去・前世が悪影響で人生が狂う⇒未来も悪影響する大いなるチカラとは、その悪影響の元凶を浄化する。すなわち、過去・現在・未来に光がさす。過去から現在・未来と関わった悪しき存在・惨劇の本人・関係者すべてに光がさすチカラです。前回のチカラの内訳に分類できないチカラですの。神仏さまが直接するなら1回で済みます。ただ現世で人間が、このほどこしをするのは細心の注意が必要です。邪霊の邪魔だては必ずですから。しかも1回で済まないし、次空間の運行を読んで行動するから時間を要します。これが出来る人は、そうそう見つからないでしょうね。自分は知識だけの人ですから・・・無力なのよん。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅が鍵ですの。言葉が・・・出てこないから、これにてごめんなさい。
2009年12月13日
コメント(0)
余談で、四方山話みたいな感じです。パワーには大きく分けると、霊能力・超能力・神通力に分かれます。大本は霊力でして、大なり小なりで言えば「大」なる発現能力が、これです。霊能力=2つに枝分かれします。仏法(宗教の概念の神仏さま)・神道(森羅万象の力)どちらの力も借り物です。 霊能者になるは仏法系の力の人。 神道の人も霊能者になれます。それには神仏合体のパワーから仏法の力を借ります。 神道で霊能者は「江原氏」 神道系は神事をする力です。 仏法の力を借りたとしても人霊にたずさわるは負担・負荷がかかるから・・・ 今後は鑑定から距離をおきますね。 仏法系の霊能者は「みわ氏」です。なんとなくでも皆さん、霊力強い方ならパワーの違いが感じるとおもいます。しかも霊能力は8・10以上に能力分けになります。残念な事に自分は内訳を見逃してしまい、詳しい事はわかりません。いまの未熟では先送りにされたと考えます。とりあえず内訳のパワーには名称があり全部漢字で、最後に「******師」がつきます。そこまでしか記憶していません。 超能力=次空間パワー。異次元空間パワーを3次元に召喚することで発揮する。 これはテレパシー・脳のキャパがあっての召喚です。 自身のパワーとはいかないにしても、操ることで自分を守るのなら有効なパワーでし ょう。悪用は困りますけどね。 霊能力以上に繊細かつ微妙なパワーでもあります。神通力=霊力に上乗せされるパワー。 使用できるのは陰陽師・魔道師。 使用に当たり神通力⇒通力に変わります。 広辞苑では略字と意味されますが 目に見えない世界では「神通力」は神仏さまが使う力。 人間が使う時は人間の意識です。そこには神仏さまの意がありませんね。よって通力となります。この世での能力者となると、複合能力ともなりそうです。他には「術」などの儀式が絡むとなると、ややこしい~。なので、これらの力を持つ人の区別となると、一概にはできないので、自分としては一まとめに「能力者」と考える事にしました。こんな感じで今後も・・・書くのはいつになるか?知っておくと為になる?でも他の人に話しても理解不能の話ですから、ここだけの話ですね☆
2009年12月12日
コメント(0)
基本、自・殺する時は発作的でもあります。それでも、考えてほしいものです。それは場所・遺書・関係者に対する配慮です。ほとんどの一般人は「考える余地がないから自・殺する」でしょうか。そうとも言えます。でも、そう考えるは短絡的とも、自分には関係ないからの意識が見え隠れしていそうです。自殺の配慮をするのなら、自殺は回避行動とも成りうるのです。これは現実社会を生きるか死ぬかを考えている行動ともなります。ほとんどの自殺には「生き詰まり」の意識と、意識からの逃避になります。もし本当に自殺しても「配慮」なくするのなら、本人も回りも「悔い」が残りとは考えないのでしょうか。自分は、考えます。だから自殺は出来ないのです。【場所】公共の電車ほかには、遺族に多大な損害金の賠償を求められます。大勢の場所で自殺現場目撃もしかり、もし現場目撃で精神が苦痛を味わうのなら、賠償を求められるとなりそうです。自殺してなを遺族に怨まれるのは?【遺書】遺書がないと遺族には気持ちの整理ができません。また遺書に内容が怨みつらみ、無念のみも遺族にしてみれば「苦痛」でしかありません。それらを踏まえての、文章力を身につけて書いていただきたいです。このように考えると、自殺なんて簡単にできません。それより生きるを選びたくなると思うのですが、どうなんでしょう?ウツからの自殺となると話は別です。思考回路が【自己破壊】に向いていますから、関係者はウツ者の思考回路の変更に尽力するでしょうか。人間、メンドクサイ生き物ですね。
2009年12月08日
コメント(0)
全ての生命には「愛」を遺伝子レベルでインプットされている。そうなると受精卵子の前、精子と卵子の時から「愛」をインプットされている事となる。よく言われる「母性愛」などは「母性本能」と同意義かと。自然界の動物なら、これの「愛」でも生存の意義はあります。ですが、人間社会は自然から逸脱しての生活が「愛」を複雑にしてしまった。悠久の歳月で根付いた「愛」が未だに人間を縛る、苦しめる、堂々巡りしております。これこそ、過去からの呪縛であります。遺伝子による「マインドコントロール」でもあります。勘違いする「愛」としては、<愛するものを守れ>があります。ですが、これは「愛」を守るのではなく、守ろうとする人の思いにあるのです。良い事でもありますが、行き過ぎると厄介でもあります。大切に思う人を失う事の恐れ、悲しみを味わうのを悲観したくないの気負いであります。よって、自分を主体にしての<愛するものを守れ>となります。これは人を守るのであり、「愛」を守るのではありません。遺伝子の「マインドコントロール」による「愛」を推し進めるだけで良いのでしょうか?自然界から逸脱している人間なら、その先を考えるべきかと。過去の「愛」は常に、有償、無償の「愛」でも有言実行でなければ認められない事が定義と成っております。この定義に外れる「愛」は「愛」とは認められない。ですが、これでは前進しないのでは?もちろん、遺伝子レベルの他に考えれらるのは「精神レベル」があります。ですが遺伝子のマインドコントロールの支配下にあるのであれば、なんら変わりが無いのであります。遺伝子レベルの支配下の「精神」が「愛」を説くほうが逆に危険でもあります。そう考えるのは「宗教」などの信仰に「愛」を説くことが上げられます。昨今の異常な社会状況から、お解りかと。過去の「愛」は未だに遺伝子に取り付き、精神を蝕んでいるとしか考えられない。実に嘆かわしい限り。
2009年12月06日
コメント(0)
愛だけでは救えないこの不完全な世界と不完全な人間が推奨する「愛」とは、信用する値が有るのだろうか?苦しい、悲しい、痛い思いをしてでも欲しがる価値があるのでろうか?この世は「愛」で作られた世界でもない。故に我思う。救うことが出来ない「愛」に固執する必要はない。愛がなくてもこの世は生きていける。愛さない、愛されない人が淋しい人とは限らない。愛に翻弄される人は?愛で拘束しあう人は?愛を追及する人は?淋しい人ではないけれど何かに、おびえているごとし。我は、愛されない、愛さない人間でもない。世間一般の「愛」を受けて育った人間だ。不完全の人間の作りし寓話から「愛」に固定概念が付いてしまった気がしてならない。寓話の「愛」とは傷つき、悲しみ、苦しみが伴う。そして障害を乗り越えて勝ち取るのが「愛」みたいな事を推奨している。はたして、そうだろうか?この寓話からの固定概念の付いた「愛」はキナ臭いし嘘くさい。我としては寓話の「愛」は否定的である。故に我、考える。「愛」は、もっとリベラルのはずだ。2の2に続く
2009年12月04日
コメント(0)
アニメの手法で観客を魅了する映画作品であります。本来、娯楽であるはずの映画ですが、昨今の映画事情と社会を意識して作品を作成しています。それが『テーマとメッセージ』その内容として、自然と科学文明の対立、文明の破壊と再生、公害や自然破壊などの環境問題や人間の存在意義。自分は「映画は娯楽」と考えています。テーマは必要ですが、必要以上にメッセージが強い作品は・・・脳が拒否反応しだします。なので宮崎駿作品は昔から距離を置いて観賞しています。作品は原作者の【作り】なのです。思い入れするのも、ほどほどで良いのです。作品自体で世界を社会を動かすとします。結果が良かったとしても、それはそれです。よく考えたのなら【不自然】な感じでしょう。できれば【不自然】と感じ、その後は、よ~く自分で考えてほしいです。
2009年11月24日
コメント(0)
自然界でも強者と弱者の関係はあります。捕食-被食関係、自然選択(自然淘汰)などがあげられます。しかしながら、これらは種の保存と生命の存続から、最低限度とルールで自然界を維持しております。では人間は?万物に霊長との名目とオゴリからでしょうか。捕食ー被食関係、自然選択の頂点からの横暴は自然破壊に他種の破滅と滅亡、終いには種としては同属である人間同士の抗争ですから情けない。そして過ちに気づいての行動も、自然保護・種の保存、戦争の無い世界を掲げております。なんとも弱者からすれば、上から目線であり傲慢であります。人間が自然から背を向けて作った「人間優先の世界」。強者である「牙」は存在しなくとも、「知と武器」が人間の「牙」に相当します。自然から隔絶した社会でも、強者の特権である「牙」は使用したいの欲望、すなわち本能がかきたてられる。結果は、この現実です。自然界の捕食-被食関係を人間同士で節度なくする横暴。なにが「万物の霊長」でありましょうか。これでは「万物の愚長」でしかありません。このようなありえない構図も人間社会だから、まかり通るとしても愚かでしょう。実に不条理、極まりないです。そう、節度がないのです。人間には動物と違い、理性があると言うのに、おかしな話であります。ならば人間は自分自身に暴走していると考えるべきかと。強者の横暴も、弱者の中でも強者と弱者の構図をから起きる惨劇も、根本原因は同じなのです。我々は、自分自身の「本能」が暴走しているのです。そして、ほとんどの人間は気づいていないのであります。もちろん自然界での本能は「生存」にあります。ですが人間社会での本能となると生存以外にも多くあげられます。よく言う「欲望」「差別」「優越感」などなど。実に痛ましい、救われない社会が人間社会だとしても生きていかなければなりません。まずは、なにごとにも「タフ」になり、そして・・・です。我の考えでは、なにごとにも「節度」が「本能」を抑止するのではないかと。皆様も、色々と考えてみては、いかがでしょうか?
2009年11月08日
コメント(1)
自分しか見えないヒト自分を愛さないヒト自分を誇示するヒトこれらも個人主義の1つなどと考えているのでしたら、違います。また、個人主義を通す中で、自分と他人を巻き込み『善』と『悪』の論争からに多くの犠牲を出したのならば、それらに関わった人たちは個人主義を悪用した『存在悪』です。もしも砂漠に1人だけ・・・なにを、だれに主張します?主張なんてできません。
2009年11月03日
コメント(0)
全166件 (166件中 1-50件目)


