2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全54件 (54件中 1-50件目)
家族のつながり って なんだろう。 お互いが分かり合える?お互いが許しあえる? 家族といる時が一番心が癒される。家族のつながりは 会話で成り立っていると考えています。長男が思春期に差し掛かったとき、暗黙に自分の気持ちを理解・受け取って欲しくて、何も言わずに拗(す)ねることがありました。その時には、「コミュニケーションは会話でのみ成り立ってるんだから、黙っていたら家族だから分かるけど、他の人なら分からないし、伝わらへんで。オレは言葉で意思表示しない限り、絶対に受け取らへん。」 と 言ってきました。なので、我が家では 親兄妹 皆オープンに話しています。それぞれに会話の無い日はありえません。(あたりまえか。)(でも、当たり前が、当たり前で無くなる時、 おかしくなっちゃうんだよね <たしか「家裁の人」で言ってた>)長男は、高校1年生です。小さいときから食事の時に必ず器を持って食べるように注意してきました。「オレの家ではイヌ食べは許さん。」と。最近では意識しなくても正しい姿勢で食べています。長男が 「友達に、『おまえちゃんとお茶碗もって食べんねんなぁ』と、 感心されんねん。」 と最近 話していました。食事にしろ、会話に しろ、こういうことが大切な教育なのではないかと考えています。
2006.06.30
コメント(5)
お父さん仲間の”りいぱぱ”さんのブログ「こんな子育てもありますよ」もCRN(チャイルド・リサーチ。ネット)<管理者:子供学研究所>に推奨ブログとして推薦されています。”りいぱぱ”さんのブログは とっても 良質なコンテンツなので、多くのファンがおられます。私も、ホンネで辛口のコメントを入れさせていただいたりしています。これからも、お父さん仲間同志(同じココロザシ)チャカしたり・本音ったり、よろしくお願いします。
2006.06.28
コメント(2)

「みんなで かんらんしゃに のっている いちばんうえに いったときが おもしろかった りんごのきが いっぱみえた」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.28
コメント(0)
先日、末娘が どうやらクラスで女子の中で除け者扱いされているという、話をカミさんより聞きましたが、今日夕方、家に帰る途中、近所の友達と集団で遊んでいる末娘の姿を見かけました。ちょっと安心しました。考えてみると、幼稚園に入る前から、ずーと一緒に遊んでいる友達が沢山います。流行(はやり)遊びのような「いじめゲーム」も最初は真新しい新鮮な遊び感覚なのでしょうけど、結局、今までの絆(きずな)が 時間とともに全てを癒(いや)してくれるものなのでしょう。こういう経験をして、自分が辛(つら)かったことを人にはしてはいけないんだな。と考えるようになるのだと思ってます。
2006.06.27
コメント(8)

「しょうぼう じどうしゃの おじさんが はしごに のぼっている。 ほーすから みずをだして ひをけしている」拡大対応の作品をレビューします < 画面 クリックで 拡大 > 本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.27
コメント(0)

「だいぶつさんが ごじゅうのとうの おうちのなかでぼーるあそびをしている ぼーるをけるのが とってもじょーすだった」本日の作品:PC本日の作品:携帯 おかげさまで、次回のパソコン(PC)掲示の :本日の作品 で100作品目 と なりました。 後残り、20作品弱です。最近、仕事の変わり目で少し掲示スピードが落ちて申し訳ございません。 は、ちょっと 真面目に お父さんのありかたを考えるHP「お父さん講座」で、 6月23日 CRN(チャイルド・リサーチ・ネット)の ナビゲーターに登録されました。貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.26
コメント(2)

「うさぎの うーたんが にんじんを たべている おいしいおいしいと いって たべている」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.25
コメント(0)
今日は、末娘の参観日でした。ので、小学校にいってきました。行く道々、カミさんと歩きながら話をしていると、最近、末娘はクラスの女子にノケ者にされているそうです。ノケ者にされている子をカバうとノケ者にされるそうで、友達をカバった結果、ノケ者にされてしまったようです。本人も先生に、連絡帳に書いて知らせたそうです。「ふーん。そうかぁ。」・・・とどの詰まるところ、自分で乗り切るしか無いのです。長女も口には出しませんでしたが、吃音(きつおん)が激しく、オシャベリの中心の女の子世界には入って行けなかった時期が長くありました。今でもその時の経験を活かして、けっこうドロドロしている派閥の間を、飄々とウマく渡っているようです。今日の末娘の参観を見ていると、グルーピングの場面ではうまく男子生徒グループにもぐりこんでましたし、先生も気を使って、よく話しかけてくれてるようなので、大丈夫だろうと確信しました。辛(ツラ)かったら、いつでもお母さんお父さんが話を聞いてあげるさー。なんくるないさー。(いったいどこの家族)
2006.06.25
コメント(4)

出張で倉敷に行ってきました。早朝(朝7時半頃)に人気もまばらな川辺の町並みを楽しんでいました。 部活の朝錬でしょうか。土曜日なのに、不思議と学生がよく歩いています。初夏の日差しの中、懐かしい街並みを女子学生が歩く光景はスガスガしいなぁ。絵になるなぁ。と思いました。ハタと「絵」になる違いに気がつきました。自転車に乗っている学生が少ない。 のです。 大阪に較べて。きっと街自体が美地区になっているので、放置自転車が出ないように自治体・学校など地域ぐるみの取組みなのでしょうか。だとすれば、建物景観(ハード)を最大限に引き出す街並景観の取組み(ソフト)は素晴らしいものだと思います。人気の無い 早朝のIVY・スクウェア です。
2006.06.25
コメント(4)

「ごじゅうのとうを まもっているひとが やねまでのぼって みんなをみている」拡大対応の作品をレビューします < 画面 クリックで 拡大 > 本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.24
コメント(0)
自分の道がなかなか定まらない20代が多いそうです。「 私の夢は、夢を探すことです。 」 ということ?。そういう生き方に対して、どのように考えますか。yyoshiyukiさんにコメントをもらった後でまた考えてみました。・ ・ ・「夢」は一貫したものである必要はないと思います。私自信、20代はベンチャー・ビジネスの起業を夢見ていました。それも、そんなに息セキって駆けるわけでなく、10年後。くらいに。仕事とは全部、そのための習得しておくべきノウハウと考えていました。それでもって今は、全然違った夢に変わってしまっています。(そのときの 夢は なんだったんだぁ。って感じですか。)たぶん「夢は自分で(or が)かなえるもの」と考えることに、間違いないでしょう。とすると「夢は自力(自立)なもの」が、やはり前提なことになると思います。まずは、その前提を固めることから始めてみて、その過程で、自分らしさを自分で選んで 「夢」を形づくれば良い。 と思います。
2006.06.24
コメント(3)
逆説的なタイトルから、まだ誤解されてるかたが いると困りますので。終章として、「個性なんかいらない」の「正しい」意味を確認したいと思います。 以下、小林道雄氏(講談社)からの引用ですほとんどの人は「個性がある」とか「個人的」と言われる人に対して、今までずっと憧れを持っていたし、そうなりたいとも思っていたのではないかと思う。そこまでの”目立つ個性”への憧れはなぜなのか。私にはそれが、親や周囲から個性的であることを求められながら、それとは逆に個性を潰すように育てらてれてきた結果のような気がする。自分を表現したいと思いながら表現できなくされているという矛盾した状態にあるから、よけい「個性的」への憧れが強まっているのではないかと思える。はっきり言ってその母親たちが言っている個性は、「才能」と言ったほうがいいかもしれない。運動能力がありそうだったらプロスポーツの選手に、絵を描くことに才能がありそうだったらイラストレーターに、歌や遊戯で褒められるようだったらタレントに、おそらくそう望んでいるということだろう。ただそこには、自分が目立つ存在ではなく平凡な結婚をしているということから、子どもには「光る存在」になってほしい という願望もありそうに思う。だから、申し合わせたように「個性を伸ばす」「伸びの伸び育てる」が家庭の育児方針になっている。もちろん、さちんとしたシツケがともなうなら、伸びの伸び育てることは結構なことだ。ところが、この個性を伸ばす方針は子どもが成長するにつれて、他の子どもと同じでないことを不安に感じる母親によって、逆にブレーキが掛けられるようになる。それは、何よりも子どもの「安全」を考える母性本能的なものだから、いつの時代も変わらないかもしれない。ただ、最近それが強くなったのは、中流家庭としての横並び意識に加えて、母親、自身が< 人と同じでは嫌。でも、みんなと全然違うのも何だか嫌 >という気持ちで育ってきていることにありそうだ。とどの詰まるところ、個性はどんな子も生まれついて持っているので、「個性」と「才能」を履き違えてはいけませんよ。ということなのです。だから、親が考えている「個性なんかいらない!」んだ、ホントは。子供たちとって。と言うのが、正しいタイトルなのではないかと考えています。だって個性は生まれついてみんな持ってるんだから子供たちは。
2006.06.22
コメント(4)

「だいぶつさんと げんきにしていると おはなししてから あそんだ だるまさんがころんだで あそんだ」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.22
コメント(1)

「だいぶつさんが やきいも ごはんを たべている おいしかったと いっている」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.22
コメント(0)
シンデレラ エクスプレスって 覚えていますか。遠く離れた恋人達が、束の間の睦逢いのあと、別れを惜しむプラットホームでの光景です。ウィキペディア(Wikipedia)によると正しくは、東京駅21時00分発新大阪駅23時43分着の東海道新幹線最終下り「ひかり289号」。のことだそうですが、どうもショートストーリ的な印象で残っています。ここ数年間、型にハマッた仕事をしていたため、久しく新幹線を使っての出張がありませんでしたが、仕事の変わり目で、火曜日の夕方5時仕事を終えて博多へ、1泊して翌会議終了後水曜日の夕方5時に大阪へ帰える。という出張業務をこなして来ました。その途中で何年か前には見慣れていた、シンデレラ・エクスプレスビューがとっても斬新に思えました。シンデレラ・エクスプレスビューでのショートストーリが多くの人を惹きつけたのは、シンデレラ・エクスプレスビューに浸(ひた)っている2人の世界の当事者( 恋人 )たちは、人生の中で最も人間関係の密度の濃い時間を送っているからです。・・・ 何十年も寄り添って互いに生活を支えあっている「妻」と「夫」。なのに、だから? お互いが「空気のような存在」になってしまう。空気のような存在だからこそ大切な存在なのに。お互い年を重ねるからこそ、より濃厚な関係になるはずなのに、なぜか「希薄な関係」を感じ取ってしまうようであれば、やはりお互いの「気遣い」が希薄になってしまっているのでしょう。シンデレラ・エクスプレスが多くの世代に印象として残っているのは、相愛中の若い世代はもとい共感性を、暮らしを重ねた世代には表現にまで至らなかったけど、「純愛」と「馴合」(なれあい)の小さな蹉跌(さてつ)を感じ取ったから。ではないでしょうか。
2006.06.21
コメント(4)

「みんないもをひっぱって いもをだしている ともだちも いもをだしている ところ」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.19
コメント(2)

「ともだちと ごじゅうのとうで あそんでる ぶらんこで あそんだら きもちよかった」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.18
コメント(0)
昨日は子供たちが好きで見ている「ギャルサー」という番組を、一緒に見ていました内容は若い女の子達が、大人と向き合おうとせず「言ってる意味ワカンネー。」「どーせ話しても通じネーし。」と自分達の世界にだけ引きこもろうとするのを、アリゾナから来た素朴な男性が、「同じ日本語なのに、なぜ通じない。」とか「なぜ自分達の世界に引きこもって話し合おうとしない」という疑問をブツケる。ドラマなので、面白おかしく作ってある。また、内容もコジツケの点が多いが、現世層の問題点を多くの人に投げかけるという点では、「視点論点」的な1部の純知識人しか見ない番組より、絶対量的効果(見てそれなりに心を動かされた人数)では評価してもいいのでは?と考えてしまいました。でも、ドラマだから無駄なく会話が構成されているので、「こんなふうな会話を今時の子たちは、たぶんしないだろうな。」とも 考えるのでした。
2006.06.18
コメント(4)
今日は今ひとつ体調が悪く、いつも早起きして楽しむ休日を、3度寝(朝寝・昼寝)してしまいました。brick2006さんの絵に触発されて、散歩に出かけました。丁度、雨が上がった 日暮れ時に 歩いて お散歩しました。緑の息吹の聞こえそうな芝生の中庭を抜けて、外に出ます。 これから梅田にでも行くのでしょうか若いカップルが寄り添って歩いています。ゲートで昨年地域の行事でお世話になった方に出会いました。ゴルフ帰りでしょうか。犬を2匹連れて散歩させている、お父さんがいます。 これからお出かけでしょうかハッチバックに犬を命令して入りこませているお父さんもいます。小さい子どもの手を引いて、若いお母さんが歩いています。セーラー服を着た帰宅途中でしょうか、女子高生にも出合いました。桃色・紫色・空色に色付いた紫陽花が咲いていました。緑が深まる公園の水たまりをよけて歩きました。道の向こうに遠々と連なる薄暗がりの信号機。また、ポツポツと雨が降ってきましたので、傘をさして雨音を聴きながら帰路(いえじ)に向かいました。五感が呼び覚まされたようなステキな散歩でした。
2006.06.17
コメント(4)
子供たちを自立させる処方箋(しょほうせん) という サブタイトルがついていました。小林道雄氏の 「個性」なんかいらない! を 読み終えました。最近のライブラリの中では 良書 でした。ただし、どんな本でもそうですが、自分の心の琴線に触れるところしか読んでいません。 自分の主義に反する記述も、十人十色 当然あります。全部が全部、自分の主義そのままな本なんて10年に1回邂逅(かいこう)するかしないかです。要は琴線が触れる回数の問題で、自分なりの良書かどうかが決まります。今の女子高生(みんながそうとは限りませんが)というのは、仲間たちだけごく狭い世界の中で、「カワイイ」という価値観だけでしか生きていないんです。・・・・社会なんていうものには関心もないし、まったく分かっていません。ちゃんとした本を読むとか大人とまともに話すといった訓練をしていませんから、言葉を知らないし使えません。言葉がなければ考えを組み立てられませんから、自分の心の状態や感情すら整理して認識することができないんです。いい例が "ムカツク"。ですよ。あれはまったく生理的な表現でしょう。面白くないことにもいろいろあるはずですが、それを区別して自覚できないから何でもムカツクになるわけで、単に流行というだけじゃないんです。ですから、自分の思っていることも人にきちんと伝えられないし、言われても分からないから、そういうことはタブーになって、カワイイで共感し合うしかないんです。----- 妙に言いえているような気がしてなりません。我が家でも、「ムカツク」と「ウザイ」は兄妹間の言葉でも禁句のルールとしています。生理的に嫌いな言葉だったのですが、ここまでハッキリ解明してくれたのはこの本だけです。
2006.06.17
コメント(2)

我が家の大豆(だいず)です。長男が、無農薬・有機栽培の実験中だそうで・・・。カゴのプレートには、ご丁寧に「実験中」と書いています。もともと、ここには私のパセリが無農薬有機栽培で植わっていたのに!
2006.06.17
コメント(2)

りいぱぱさんへの コメントでしたが、なんとなく絵になる光景でしたので、絵にしてみました。< 今日あった 良いこと > より・・・ウォーキングでの帰宅途中、中之島の公園ベンチに腰掛けていますと、周りが若いカップルばかり。で、その前を浮浪者のオッちゃんがフラフラ歩いて行きました。しばらくして、黒く図太い猫がのっそりのっそり、後を付いていきます。このシチュエーションに絶妙のタイミング。この場面だけを切り取っても人生のショートムービーだなぁと感動しました。
2006.06.17
コメント(4)

「だいぶさんが よろこんで おそなえものを みている さくらんぼと みかんをみて わらっている」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.17
コメント(0)
引用の引用で恐縮ですが、再び「個性」なんかいらない!よりです。>「バカ」呼ばわりできる訓練を< ・・・・・私は幼稚園には行っていない。そのころ行っていたのは良家の子女ばかりで、私の家は良家ではなかったということもあるが、理由はそれだけではなかった。私の両親に限らず、当時の親には「幼稚園に入れたら子どもが弱くなる」という思いが強くあったようなのだ。今は幼稚園に行くのが当たり前になっているから、そんなことを言われてもしかたがないと反発されるだろうが、私は当時の親の考え方を正しかったと思っている。私たちは四~五歳ごろから一緒に遊んでいる仲間に、よく「バカ」と言った。もちろん、母親に見つかれば「そんなことを言ってはいけません」と怒られる。でも、仲間と遊んでいるときはしょっちゅう言っていた。これは子どもたちだけの遊びだからできたので、幼稚園でやれば間違いなく「悪い子」として矯正される。それで「いい子」にされたら、これはたいへん具合が悪い。子どもでも、何もなくてバカとは言わない。「バカ!」と呼ぶのは相手が悪い、自分が正しいと思うからなのだ。正しいかどうかは別として、自分を正しいとする自己主張は、発達のプロセスにはきわめて大事なことだ。それを「バカ」と言ったから、小突いたからと「悪い子」として否定してしまったら、自分を貫こうとする勇気は育たない。人間は人の間で生きて行かなければならないのだから、自分を通して行く「たくましさ」や「したたかさ」が必要なのだ。また、そのぶつかり合いの中で人の心が分かるようになっていくのである。脳科学者の澤口俊之 -北海道大学教授- は、こういうぶつかり合いができる状態こそ、人類が「普通」としてきた環境だとして、次のように述べている。「近所の幼稚園や小学校の様子を見ると、『自由で自発的で複雑な社会関係」を抑えることこそが重要な教育の一つだと勘違いしているとしか思えてならない。先生たち-そして親たち-もいわゆる『いじめ』や『問題行動」にあまりにも過敏になり過ぎている。そのため、ちょっとした喧嘩やいざこざ、あるいは取っ組み合いを決して容認しない。これは声を大にして言いたいが、礼儀正しく整然とした社会関係など「普通の環境」ではない。いじめや喧嘩、いざこざ、取っ組み合い、そういった一見ネガティブな関係と仲良く助け合い、協力し合い、喜び悲しみ合うといったポジティブな関係が入り交じった複雑な社会関係こそが、「普通の環境」に近いのである - 「幼児教育と脳」 - 私達は、人類うん(十?百)万年のあいだ、滔々(とうとう)と受け継がれてきた社会文化をもっと研究し、現在に照らし合わさねばならないように思えます。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」というのは、正にその通りだと思います。「今の世の中が当たり前」と考え、経験だけで物事を計るのは、安直すぎるような気がしてなりません。
2006.06.16
コメント(4)
只今、小林道雄氏著作の新書 「個性」なんかいらない! を読んでいます。その中からの紹介です。「一人でいられる力というのがひどく落ちているんです。 それで、一人でいることの不安が強くなって、みんなつるむ。」「今は、中学生はもちろん小学校高学年ごろから群れていないと不安で そこにしか生きる世界がないんです。 自分の行動は仲のいい友達グループの中だけで決まっちゃって、 そこから弾き出されたら生きていけない。・・・ そんなふうにたがいに縛り縛られ合っている上に、やれ携帯だ やれメールだという『つながってなくっちゃなんない症候群』が 広がっています。」確かに、電車の連絡通路で歩きながらメールを打っている若い女性にそこまでしないとイケナイ関係なのか?と感じていまいますが・・。
2006.06.15
コメント(8)
子供たちが、兄妹かわいがっていた。ジョニーが死んでしまいました。ジョニーと言うのは、先日ブログで写真紹介した、学校のプール掃除で、末娘が捕まえて来たヤゴのことです。高校生の長男も、生き物が好きですので、動かないとエサを食べないので、生シラスを箸で揺らしてジョニーがカブりつくまで根気良く餌付けしていました。まだまだ体が小さかったので、これから大きくなるんだと思っていたら、実は糸トンボのヤゴで、ここ数日の気温上昇で羽化してしまったのです。気付かない間に脱皮して羽化しようとしたので、まだまだこれから大きくなってから羽化すると考えていた私達は、羽化のためのつかまり棒を用意してなかったのです。結局、羽化の途中で溺れて死んでしまいました。飼育するということは、飼われる側の命をコントロールするということ。無知が命を無造作(むぞうさ)に奪う場合があることを改めて思い知らされました。
2006.06.15
コメント(4)

「だいぶつでんに しかが たくさんきて おおきいなと おもって しかのともだちと あそんでる」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.15
コメント(0)

「きりんのおとうさんと おかあさんと こどもが おにごっこして あそんでる」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.14
コメント(0)

「つなひきしようと しているところ」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.13
コメント(0)
最後にもう1度 「娘は男親のどこを見ているのか」(岩月謙司)よりの引用です 。<夫婦愛再生プログラム>以降の件(くだり)から ・・・・(男性が)誇りを持てる行動をするのはむずかしいことではありません。自分の行動の意思決定をする時、誇りがもてるほうを選択しつづければいいだけです。・・・ 強い男とは、誠実に仕事をする男です。相手のことを考えて誠実な対応ができる男性のことです。 ・・・女性は男性の美しい行為に惚れるのです。一貫性のある生き方に惚れるのです。3年前に出版された本ですが、今の時代ますます当てはまっていると思います。
2006.06.12
コメント(4)

「だいぶつさんのおうちを きれにおそうじしてる だいぶつさんは わらってる」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.11
コメント(0)
今日は高校生の長男と中学生の長女の3人で映画「TRICK2」を見に行きました。長男と私は「もう少しオドロオドロしい方が、TRICKらしくていいかも。」という感想でしたが、長女はコメディタッチ路線が楽しかったようです。次は「MI:3」を見ようかと話をしています。しかし、映画館は、前後左右カップルばっかりでした。いずれは、長男・長女ともに、好きな女性・男性と映画を観るのでしょう。でも、10回に1回でいいから、お父さんも誘ってほしいなぁ。「なにをおっしゃる。お父さんには、お母さんがいてるでしょ。」と、言われそうですが・・・。
2006.06.11
コメント(2)

「だいぶつでんに いるところ めちゃくちゃ すごいと おもった」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.11
コメント(0)
もう1度 「娘は男親のどこを見ているのか」(岩月謙司)>よりの引用です <妻との絆>より・・・娘がお父さんを尊敬するポイントは、...夫婦仲がいいかということです。たとえばお父さんがお母さんにプレゼントをしたとしましょう。娘はプレゼントを受け取った母親の気持ちをチェックするのです。本当に悦んでいるのかどうかをさりげなく探るのです。そして、夫婦の間に愛と信頼の関係があるかどうかを見ているのです。...娘は妻を愛せないような人が娘を愛せるはずが無いことをよく知っているのです。なかなか娘は鋭いのです。
2006.06.10
コメント(6)

娘がかわいがっています。うちの奥さんも情が移ってしまいました。でも、立派に育てられるかな?ヤゴくんです。無事にトンボになれるかな?
2006.06.10
コメント(0)

「しょうぼうしのおにいさんが しょうぼうしゃ こんなんだよって おしえてくれた」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.10
コメント(0)

「しょうぼう じどうしゃの おじさんが はしごに のぼっている。 ほーすから みずをだして ひをけしている」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.10
コメント(0)
うちの娘も部活がんばってます。ホボ毎日、朝錬(あされん)に行ってます。が、他力本願で、いつもリビングのテーブルに「7時に起こして」と大きなメモがあります。自力ではどんなに目覚ましがケタたましく鳴っても絶対に起きません。他のみんながその目覚ましでイヤイヤ起こされて、別に起きたく無かった他のみんなに小突きまわされてヤッと起きます。 昨夜、「お母さんの寿命が縮むから、休みの日は自力で起きや!」と注意しました。「お母さんも休みくらいは、ゆっくり寝かしたって。」「オレの大事なお母さんの寿命を縮めんといて。」と。娘の切り替えし、「じゃあ、お父さんが起こして。」「お父さんやったら寿命が縮んでもええんかい!」「ええやんか、どうせ男の人の方が先死ぬんやから。」これを聞いた、私と長男。ほぼ同時に口をそろえて、「おまえ、なんちゅうことを親にいうんや。」わたしがさらに付け加えました。「しまいにグレるで。」 私は休みの日は1日がもったいないので疲れてても早起きです。すると今日もリビングのテーブルの上にまた書いてありましたよ。「7時に起こして!」と。 さて、どうしたものか・・・ 。
2006.06.10
コメント(2)

<画面クリックで拡大>「だいぶつさまを しかがみて わらってる」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.09
コメント(0)

「ごじゅうのとうを まもっているひとが やねまでのぼって みんなをみている」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.09
コメント(0)
友達に進められて、「14歳からの哲学」(池田晶子)を読んでます。< 第17節 仕事と生活 > からの 引用です。君のお父さんは仕事をするのが楽しそうだろか?・・・たしかに仕事をするということ、お金を稼ぐということは何かをあきらめることなのだと、多くの大人が思っている。・・・大人にとって生活とは「しなければならない」もの、・・・食べるためには稼がなければならない、そのためには仕事をしなければならない、この「しなければならない」の繰返しが大人のいうところの生活だ。・・・ちょっとまって、これを14歳の子供たちが、お父さんに当てはめて考えてしまうと、お父さんにとっては、相当シビアだと思うんだけど。ここでもう1冊 「娘は男親のどこを見ているのか」(岩月謙司)<父親のホンネはバレている>より・・・娘は父親の本音と動機を鋭く見抜き、・・・不一致ですと、コイツは信用ならないと軽蔑してしまうのです。・・・父親が「おまえたちのために辛い会社勤めをやってるんだ」と言い始めると、それだけで嫌悪します。「自分の仕事に自信と誇りを持てないダメなヤツ」と、ますます落胆してしまうのです。 [一部抜粋] ・・・ 最後に再び、「14歳からの哲学」(池田晶子)に戻り、・・・こんなふうに生きているのはイヤなんだけど、死ぬのはもっとイヤだから、・・・だったら、(大)人は自分で自分の人生を選んでいるということをはっきり自覚して生きるべきなんじゃないんだろうか。それでも人は、自分がしたくないことを自分が選んでいるのを認めるのがいやで、やっぱり人のせいにしたくなるのかもしれない。たしか、最近、「40歳からの哲学」(だったような?)も池田晶子さんより出たと思います。仕事の勉強本4冊を全部読み終わったらそれも読んでみようと思ってます。
2006.06.08
コメント(4)

<画面クリックで拡大>「らいおんのめすが きと くさで あそんでいるのをみて おもしろかった」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.07
コメント(0)

本日は、子育て実践派な お2方(おふたかた)を 紹介します。 お1人目は、アウト・ドアを通じての子育て実践派・・・静岡ファミリーキャンピングクラブ所属の富士山ログハウス物語さんです。 お2人目は、クラフトを通じての子育て実践派・・・ヤンチャルキッズの猫娘さんです。 これぞ、正統な育児 実践者な 方々です。
2006.06.06
コメント(5)

「だいぶつさんと げんきにしていると おはなししてから あそんだ だるまさんがころんだで あそんだ」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.06
コメント(0)

<画面クリックで拡大>「おいも ほりにいったとき ふんばって ほってると おもった」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.05
コメント(2)

「みんないもをひっぱって いもをだしている ともだちも いもをだしている ところ」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.05
コメント(0)

<画面クリックで拡大>「みんながきて うれしかったから だいぶつさまが わらってる」拡大対応の作品をレビューします本日の作品:PC本日の作品:携帯貫江田幼稚園の作品レビュー <拡大・一時掲示版>
2006.06.04
コメント(2)

「だいぶつでんに しかが たくさんきて おおきいなと おもって しかのともだちと あそんでる」本日の作品:PC本日の作品:携帯 貫江田幼稚園の作品 <保存版>
2006.06.04
コメント(0)

yoshiyukiさん から 質問のあったど根性ニンジンです。詳しい解説は こちら にて
2006.06.03
コメント(1)

磯日記もアップしてみました。>>ページが大き過ぎるのでアウトドア日誌は別画面でどうぞ<<子どもとは よく 海に行きました。ブクセット(携帯用の水槽エアー送り出し装置)を持って、捕まえた海の小動物を、スケッチしました。
2006.06.03
コメント(0)
全54件 (54件中 1-50件目)