朝日は、なぜ言わない、ヒロヒト ( 裕仁 ) の事を! 戦争責任は死去しても問われ続けるべき! その歴史の真実を隠すな!! 2025-10-15 はんぺん
80年前の9月2日のミズーリ号甲板上の降伏調印式の写真は、有名だ。 天皇制ファシスト国家の「大日本帝国」が、敗北(崩壊)した記念日だ。
日本人にとって、 (めでたい日)(祝勝日) だということだ。
これで、 多くのさらなる犠牲 を出すことは無くなった。
戦争中は、 多くの無駄死 があったが、日本人は、悲しみをこらえて、我慢するしかなかった(反戦などの声を挙げれば、 特高 に捕まり拷問されるため)
「悲しい事を悲しい」 と言えないのが、戦前の日本だった。 「すべては、お国のため、天皇陛下のため」 という考えが、強制された。これほど、バカな話は無い・・・と思えるが・・・ (洗脳) とは、そういうモノだ。
国家総動員法 で、日常生活での不平不満は、厳禁された・・・ 「ぜいたくは、敵だ!」「ほしがりません、勝つまでは!」 として押し付けられた国民は、 困窮 した上に、 都市爆撃 などで、財産などを失い、生活基盤を失い、路頭をさ迷ったのだ!
「戦争に負けて良かった」 とつくづく、人々は(本音で)感じたに違いない。そういうことだから、 9/2 の降伏調印式は、(屈辱的と)感じるムキもあっただろうが、人々の多くは、ホッとしたに違いない・・・・
(屈辱的) と感じたのは・・・ ずぶずぶに(洗脳)された連中 だった。
(洗脳)が、解けるまでには、相当の時間が必要だっただろう・・・
それにしても、この朝日新聞の記事だが・・・ なぜ、ヒロヒト(裕仁)の戦争責任に触れないのか? 戦争の張本人は、戦犯ヒロヒトだ。この本質の迫らない記事は、読者を迷わせるばかりだ・・・ 違うだろうか?
「メディアとして史実を直視しなければと思う」(本文) と言うのであれば、ヒロヒト(裕仁)の戦争責任の問題は、避けられない・・・のではなく、 第 1 級の問題 では無いのか?? 世界中の民衆に 無尽蔵な不幸をもたらしたヒロヒト(裕仁) の戦争責任は、真っ先に取り上げられるべきであり、絶対に避けられるべきでは無い!!
皆さんは、どう思われるか? はんぺん
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戦争が終わった日(天声人語) 2025 年 9 月 2 日 朝日新聞
午前3時起床。午前9時、東京湾に停泊中の米戦艦ミズーリに到着。連合国軍総司令官マッカーサーが2、3分演説。そして、「九時四分署名す」――。
80年前の9月2日、当時の外相だった重光葵 ( まもる ) らが降伏文書に調印した。『重光葵手記』とその続編に、詳細な記録が残る
▼読んで感じるのは、政府内部の混乱ぶりだ。 責任逃ればかりで、だれも降伏文書へ署名する役割を引き受けない。 重光は 「此危局に対して軍部も政府も之を見出し得ざるは悲嘆の至なり」 と憤っている
▼ ようやく政府代表で重光、統帥部代表として陸軍参謀総長が決まったのは、調印式の6日前 だった。 天皇 は「何人も嫌がる仕事を命じ気の毒なるも(略)自愛せよ」と言葉をかけたと記されている
▼調印後に待っていたのは敗戦がもたらす現実だった。2日夜、占領の基本方針を布告する意向が日本側に伝えられた。 日本を軍政下に置き、英語を公用語とするなどの内容 に驚いた重光は、翌朝にマッカーサーを訪ねる。必死の説得で 「間接統治」 の要請が受け入れられた
▼軍政との分かれ目だったと知ると、「9月2日」という日が持つ重さを実感する。そして、改めて考える。 あの戦争が終わった日は、「玉音放送」が流れた8月15日なのか。中国や北方四島などでは、15日以降も戦闘が続いた
▼重光の手記は敗戦を受け入れ、責任を引き受ける難しさを示す。だからこそ、 メディアとして史実を直視しなければと思う 。9月2日を、語り継いでいくために。
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