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今年最後の日記は(ちょっと報告が遅れたけど)とびきりすてきなニュースで彩ろう。11月15日の日記でも間接的に触れたが、この小さな日記サイトにロシア人の女性がメールをくれた。そして「火の鳥2772」サイトを立ち上げられたそうだ。世界で初めての「2772」専門サイトではないか?日本にもまだファンサイトがないのに、遠い異国の人がこの快挙。管理人のAnnaさんは、モスクワの東洋研究所で日本語を専門に研究されている言語学者さんで、日本語が大変お上手だ。サイトは、ロシア語と英語のバージョンがあって、コンテンツも盛りだくさん。「2772」のファンの人も、初めて知る人もきっと楽しめることでしょう。翻訳サイト片手にお邪魔してみよう。そして、Annaさんに感想のメールを送ろう!↓http://www.2772.otaku.ru/index.htm
2004.12.30
12月ももう後半だというのに、何もしていない・・・気ばかり焦る。さて、今日は私のどうしようもない人生の中での、数少ない宝石のような思い出のひとつを書く。私は中高時代は同じプロテスタント系のミッションスクールに通っていた(労働者階級の両親がかなり無理をして通わせてくれた)。その時の思い出。その学校の中高講堂には先生や父母の方々がお金を出しあって買ったカナダのカサバン・フレール社製のパイプオルガンがあった。高校2年生の時、彼を初めてみた。彼の名前はたしかブライアン・ガブリエル・アシュレー。アメリカ出身のオルガニストだ。モーニングサービス(朝の礼拝)で賛美歌などの伴奏をしていた。礼拝の中で3年生の、授業で音楽コースを選択した先輩方がにわか聖歌隊となってバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を日本語で歌い、アシュレーさんがその伴奏をした。私はすごくその3年生たちがうらやましかった。さて、彼は1、2回モーニングサービスで姿を現しただけでいなくなってしまった。そしたら、私が3年になった秋、礼拝の時に、また来たのだ。この年はバッハの生誕300年の年だった。その頃の日記のノートを燃やしてしまったので、正確に覚えていないのが残念だが、現代的?な曲を後奏で弾いたり、前奏ではバッハのシュープラー・コラール「目覚めよと呼ぶ声がきこえ」を弾いてたりした。ちょっと、神経質なところがあるが、印象的な演奏だった。その頃のアシュレーさんはまだ26歳。髪がまだあった(泣)。なかなかハンサムな人で、私はたちまち目がハートマークになってしまった。ワインレッド色のセーターを着ていたのが印象に残ってたっけ。風邪をひいていて、咳をしたりハンカチで鼻水をぬぐっていたり。「あんなハンサムな外人さんでも、風邪には勝てないのねえ」などと思った。彼をみたその日、お昼休みにアシュレーさんが一人、オルガンの練習をしているのを偶然にみつけて以来、私は一人、開いているドアのかげからこっそり聴くようになった。まるで、「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」という本の中のアンナ・マグダレーナのような心境だ。練習では、同じパッセージを繰り返し弾いたりしていた。彼の厳しい緊張感が伝わってくる。本番の演奏とはまた違う魅力があった。練習が終わって、帰っていくアシュレーさんをひそかに追った。どうしてあの時声をかけなかったのだろう。一言、「あなたの演奏は素晴らしいです」と言っていれば・・・。そして、ある礼拝の日、その日にお話を担当した先生がアシュレーさんの中新田バッハホールでのリサイタルがあることを話した。実は、私はそのずっと前からそれを知っていた。教員室の前にリサイタルのポスターがはってあったのだ。それで、内気で、自分から人に話しかけることが苦手だった私が勇気をふるって電話で問い合わせてチケットを買った!リサイタルの日、その日を忘れない。中新田でのリサイタルを最後に、彼の消息がわからなくなった。彼の名前に再び接したのは、なんと、1988年に行われた第1回武蔵野市国際オルガンコンクールの優勝者としてだった。その本選での若々しい演奏は、NHKーFMで聴くことができた。以上、かなりはしょってしまった思い出もあるが、私の心のときめきをわかっていただけると嬉しい。考えれば、こうしてときめいていられるのも、平和あってこそだねえ。
2004.12.20
昨日は、しあわせだったなあ・・・はあ。妹からちょっと早いクリスマスプレゼントということで、父と私はディナーに招待された。青葉通り、ワシントンホテルの1階にあるシャンゼリゼというレストランで、簡略化されたものではあるが、生まれて初めてフランス料理を食べた。あんなにいいものだとは思わなかったよう・・・。はじめにシャンパンで乾杯した。前菜?のキャビアののったサーモンの料理も、次の、はまぐりのスープも、ソースたっぷりの魚の料理、アスパラのグラタン風、牛肉のステーキにも、おいしくて舌鼓を打った。デザートのクリームブリュレなんて、食べたとたん、バター風味のクリーミーな味が全身をかけ抜けていった。フォンダンショコラは濃厚なチョコレートの味。泡立ったほろ苦いコーヒーとよく合った。妹に感謝。帰りはゆっくり走る車の中から、定禅寺通りの仙台光のページェントをみて帰った(最初は歩く予定だったが、雨が降っていたし、予想外に寒かったので)。街中が光に包まれているようだった。思い出のひとつになるディナーだった。
2004.12.19
12月3日の日記でパソコンが不調だと書いた。最近フリーズしやすくなったりしていた。いろんな人に聞いてみて、デフラグという作業をすればいいことがわかった。うちはパソコンがリビングにあって、父がパソコンのことを知らないのでデフラグ(長時間かかるらしい。ちなみにうちのパソコンは約2時間かかった)していて父にいじられたりすると困る。今日は父が出かけたのを見はからってデフラグを開始した。いったん始めたらあとはほうっておけばいいので楽だ。さて、デフラグが終わった。パソコンの調子はどうかな?こないだはこわれたのだと思い込んで恥ずかしい・・・。
2004.12.16
今日は最近、気になっていることを書きたい。音楽についてだけど、音楽を評価する場合、政治などと切り離してその音楽がすぐれているかどうかを評価したい、と言う人がいる。まあ、劇作家の故飯沢匡さんが芸術は政治に隷属するものではない、というようなことをおっしゃっていたのでその気持ちはわからないでもないが。ただ、やはり本当にすぐれた芸術というのは、その生きた時代の空気を敏感に反映していると私は思う。芸術家といえども、芸術家である前に人間だ。後世に残っている芸術家は生き方も含めてトータルに評価されて残っているのではないか。千住真理子さんが朝日新聞に載った対談の中でこう言っていた。たとえばベートーヴェンを弾くとする。2004年に、日本人の私がベートーヴェンを弾く意味は何なのかが重要なんです。聴衆だって今を生きている。地震や洪水があったり、世界でテロがあったりの、そういう空気を抱えながら私たちは生きている。同じ時代を生きている演奏者と聴衆がいる空間で、ベートーヴェンはどう弾くべきなのか。私は、この時代の音を出していきたい。その通り!素晴らしいわ、千住さん。それから、うちでとっている新聞で「新・ワーグナー家の女」という記事があった。ヒトラーがワーグナーの芸術に心酔してドイツ精神発揚に利用したのは有名だが、ワーグナーの長男の妻ヴィニフレッド(イギリス出身)は早くからヒトラーを支え、その娘フリーデリントはナチズムを嫌い、アメリカに亡命する。この2人を素材にした福田善之の劇「新・ワーグナー家の女」から2人の対決を引用したい。ユダヤ人虐殺の事実を否定する母に、娘は娘「ママ・・・人間がいなくては、音楽もないのよ」母「間違ってる。お前も、私もいなくなっても、音楽は残る。ドイツがなくなっても、大ワーグナーの芸術は・・・」娘「人間の絶滅した廃墟の上に鳴り轟(とどろ)くのね、お祖父様(じいさま)の音楽が」考えさせられるセリフだ。次は、男性の責任も追及したいけど。
2004.12.12
去年の今頃に発見したこと(笑)。「劇的ビフォー・アフター」という番組をご存知だろうか?おうちのリフォームの番組だ。うちの父が夢中になってみている。あの番組の中でいざおうちのリフォームが始まる時に流れるリズミカルなピアノ主体の音楽がある。思い出せるだろうか?どこか民族的な・・・。何年も前に買ったバルトーク(ハンガリーの作曲家)のピアノ曲集のCDをちょっと聴いただけで長いことほうっておいたことがある。「現代曲は難しい」などと言いながら・・・。でも、去年の今頃に何を思ったかもう一度ちゃんと聴いてみた。今度は楽しめた。とくに「ルーマニアのフォークダンス」の冒頭の曲なんて、始まってすぐにくるものがあった。民族の古い記憶を呼び起こすような、郷愁を誘うような、また子守歌のような旋律・・・。そして、最後の曲の出だしを聴いて、驚きのあまりひっくり返ってしまった。あら!あの「劇的ビフォー・アフター」の音楽じゃない?って。なぜあの番組でこの曲が流れるのかはわからない。でも、あれを聴いて、「この曲、なんかいい」とか、「何て曲だろう?」と思う人がいるといいね。こういう出合いもすてきだ。さて、11月27日の日記で落としたことをここで補足。フランス語やフランス文化について好きなのは自分だけだと思って孤立しているように思ってきた。でも、それは違うことがわかった。私は独りじゃない。ここに仲間がいると思った。まだ書きたいことがあるが、今日はこの辺で。
2004.12.09
とうとう12月になってしまった。これから先、日にちが過ぎるのが早いだろうなあ・・・。師走・・学校の先生も走りまわる月。このところパソコンの調子が不安定だ。2、3窓開けて作業をしていると突然フリーズしたり、画面がぱっと消えて今までみたこともない表示が・・・。結果、強制終了させてばかりいる。強制終了するとパソコンにダメージを与えるのでやりたくないのだが、そろそろこわれる時期なのか?少なくとも3年以上(5年以上かもしれない)使っているが。こわれたとしても、うちは生活費だけできつきつだから、修理費なんて出せない。どうしよう。・・ということで、もし私がネット界から急に消えたら、それはパソコンがこわれた時です。今のうちからそう言っておきます。くうう、これからだって時に・・・。かんじんな時になると何かが起きる。最近、新聞に何事も継続していくことの大切さについて書いてあったが、日記さぼってばかりいる自分は耳が痛いが、継続の最たるものは生き続けることだと私は思っている。死んだら何もかもおしまいだからね。私と同じ統合失調症の人で、幻聴や妄想からくる不安から逃れるために突発的に5階のマンションから身を投げた人がいるそうだが私にとっては人事ではないのだ。生きてこそなんぼでしょう。だから、なるたけあくせくせず、のんびり生きたい。難しいけど。
2004.12.03
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