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大阪での仕事を終え、新幹線では無く、在来線で帰宅したら、どうなるか、ネットで乗り継ぎなどをシュミレーションしたら、新幹線での乗り継ぎならば、DOOR to DOORで2時間、在来線の「新快速」を利用したら3時間という結果が出たので、経費節減、ベストな乗り継ぎでの最短時間に挑戦してみた。新幹線と同じ乗り継ぎ回数で済む事も分かり、しかも3000円も安い。1時間で、3000円という金額を、どう判断するか、だ。大阪駅から18時に「新快速」に乗り、米原でまた「新快速」に乗り換える、これだけの事で3000円、節約が出来る。今後、大いに活用しよう。米原で列車を降り、乗り換えのホームに向かう途中、自宅に電話を入れた。新快速から新快速への乗り継ぎで、予想以上に早く帰ることが出来ることを伝え、時刻表を見て、到着時間を告げた。乗り換えを済ませ、席に座って、到着時間を間違えて伝えたことに気が付いた。列車には、もう既にそこそこの乗客が座っており、私の隣にも既に男性が座っている、なので、携帯電話での会話は、憚れる。なので、娘の携帯にメールした。先ほどの到着時間は間違いだった、それよりも30分ほど後の時間だ、と。すぐに娘から返事が来た。そのメールを見て、笑いを堪えるのが大変だった。が、やはり、どうしても、少し笑いが漏れたようで、となりの男性が、少し怪訝な顔を私に向けているのが分かった。娘から来た返事は、「 たわけ!! 」であった。娘にも、適わないなぁ・・・
Mar 22, 2010
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息子が、数日前から、プール監視員のバイトに行っている。テストを受けて、合格した者が、監視員に成れるのだが、緊急の場合は、人の命に関わること、当たり前と言えば、当たり前だが、そのテストで、試験官に泳ぎを披露したところ、「上手いなぁ・・・ 監視員では無く、我々のメンバーに成ってくれないか?」と言われたそうだ。親バカとしては、こんな事も、やはり嬉しく感じる。何はともあれ、バイトの初日、偶然にも、小牧市の名古屋空港で、息子も通った、アメリカのパイロットライセンス学校のOBが集まり、「セスナを飛ばす」、それに参加しないか、とお誘いを受けた、とのこと。息子は、かなり行きたいそぶりを、家内には見せたらしいが、「バイトに行く。」と、キッパリ、諦めて、初日からプールに行った。しかし、これも何とも偶然に、その日は午後から天候不良で、プールがClose、息子は午後から、急遽、名古屋空港に向かった、「曇ってるから・・・ 飛ばないだろう・・・」と、言い残して。私は2階で、ネットビジネスに没頭していたが、数時間後、家内が、慌てて2階に上がって来て、窓から空を見上げている。「飛行機の音が・・・」おお・・・ 確かに、軽飛行機のエンジン音が・・・私も、家内の横に立ち、空を見上げると、何と、空港の方向から、セスナが飛んで来るではないか!「あれが、そうなのかなぁ・・・」帰宅した息子に、我家の付近上空を飛んだか、どうか聞いてみたが、「四日市まで、飛んで来た。」と、そっけない回答。では、あれは、違う飛行機だったのか・・・息子は、あくまでもアメリカ国内のライセンス、だから未だ、日本で操縦桿を握ることは出来ないが、それでも、久々に、少しは晴れやかな息子の顔を見た気がした。PS:息子に再度、確認したところ、四日市に向かってのフライト、なので、コースが全然違う、だから、あれは、息子たちのセスナでは無いそうだ。しかし、こういう偶然も、あるものだな、と感じた。
Jul 20, 2009
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2日の火曜から、どうやら中国に行くことになりそうだ。しかし、メインの打ち合わせは、9、10日の2日間。顧客より、インフルエンザを考慮し、7日間、中国国内で滞在し、その後でないと、敷地内での面談は出来ない、と通知が来た。つまり、9日に打ち合わせを行うため、その7日前に中国入りしなさい、ホテルなどで、7日間を過ごし、その後、来社しなさい、そういう一方的な「指示」だ。ため息が出てしまう。何とか、そのナンセンスな処置を取り下げてくれないか、と打診したが、何と回答は、「お互いの健康のタメに」全くモチベーションの上がらない出発ではあるが、他に、やるべき事も無いわけでは無い、逢いたい人、逢うべき人も、居ないわけでは無いので、有意義に「時間」を使うつもりではあるが、それにしても、この一方的な処置は、やはり、中国人独自の考え方なのか・・・かつての、サーズの時は、さて、中国人は、どう思って海外に出ていたのだろうか・・・もし、「入場制限」を設けていたら、どう反応しただろうか・・・何とも、納得しがたい気分だ。
May 31, 2009
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昨夜、アメリカから無事、息子が帰宅した。プライベート、そして商用の飛行機操縦ライセンスを取得しての帰国だ。無論、そのライセンスはアメリカ国内でしか通用せず、日本での使用は不可能らしいが、それでも、初心者パイロットであることには違いは無い。mixiで、毎日、アメリカでの生活を記録し、それを我々夫婦が日本で読んでいたが、周囲の人に恵まれ、本当に良い体験をしたと思う。それにしても、昨年の7月末から、本年の4月末まで、髪の毛を切らずに通したようで、駅で迎えに行って、その顔を見たときは、笑ってしまった。もう少し、感動的な再会を考えていたのに・・・さて、この次は、何を、どう目指すのか、勿論、息子が決めることだが、1つの事を成し遂げた彼、また我々夫婦を、楽しませてくれることを確信している。今夜は、息子の好物で、夕食を楽しもう。
Apr 26, 2009
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色々な事が起きた週末だった。先ずは直前に締切が迫った「確定申告」、亡き父の土地を私の名義にしたので、そこの駐車場収入を申告しないとイケナイ。青色確定申告ガイドの書籍、そしてソフトを使えば「誰にでも出来る!」、そういうキャッチコピーで、それぞれ購入したので、初めての私にも、すぐに「出来る」と、簡単に受け止めていたが、まずソフト自体の使い方が良く分からない。正確に言えば、使い方の説明に出てくる「用語」が分からない・・・簿記の用語を全く知らずに、いきなり記帳しようとしたので、何を、どうすれば良いのか、全く要を得ないのだ。なので、これは基本を先ず学ばないと、そう思い、毎晩、眠る数時間前に指南本を読み、そして週末、ソフトを使い記帳を始めた。最初に感じたハードルの高さが嘘のように、スラスラと進む。やはり、基本を疎かにしてはダメだと、つくづく感じた。スラスラ進むと、今度は作業が楽しく感じてくる。まるで日記のように、昨年度の自分の行動が思い出される。さすがに自動ソフト、金額は無論だが、経費の「按分」をいじると、色々と「決算」が変わり、これもある面で、楽しく感じる。固定資産税は無論だが、自宅の減価償却も計算してくれる。確定申告をすること、それは自分の経済的行動を全て見直すこと、そう感じた。しかし・・・ネットでの収入、そして昨年までは父の収入としていた駐車場の収入、それを私の年間の総収入として申告するのだが、やはり支払うべき税金の金額を見て、ため息が出てしまう・・・ 駐車場の固定資産税を払い、更に税金を・・・覚悟していた金額よりも、少々、高い・・・駐車場収入を得る為の母の労働の対価、その他を税務署の相談会で家内が確認をし、最後の記帳を済ませ、確定申告をフィニッシュするが、それにしても、事業としての経費が認められないならば、駐車場収入など、会社から給与を貰う身分であると、固定資産税と、今回の確定申告での税金で、殆ど残らない、それもソフトのシュミレーションで判明したが、何とも割り切れない気持ちだ。週末の夜、これで何とか確定申告は乗り切れるな、そう感じて、リラックスして呑んでいたら、娘のバイトが終わり、その迎えに行った家内が、なかなかと帰って来ないので、何となくイヤな予感がしたら、その通りの電話が娘からかかってきた。全く大した事の無い、小さな小さなトラブルだが、何故か電話を取る前から、そういう予感がした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・尚、本日、家内が確定申告の相談会に出向き、指導を受けたが、「今年は、白色申告しか出来ません。」と言われたとの事。昨年度、「青色申告承認申請書」を出していないので、青色申告の「権利」が無いのは、無論承知していたが、てっきり私は、「青色申告」を、今年は認めては貰えない、控除は受けれないが、提出だけは、青色申告のフォーマットで、そして、それに必要な書類の提出で、行うものとばかり思っていたのだ・・・言い訳がましいが、先に税務署で相談をした時、そんな説明など、一切、無かった・・・しかし、これで「来年」は、もう怖いもの無しだな、と思っている。
Mar 9, 2009
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随分と久しぶりの更新となるが、あまりにもサボルと、アメリカに居る息子が、もしかしたら心配するかも知れないので、近況を・・・来年からは、また、どうやら海外営業に専念することになりそうだ。私に任される地域は、まだ未定ではあるが、やはり今までの経験を活かせる職務になりそうだ。また、数年来、お付き合い頂いている方からも、全く違う分野で、共に協同でビジネスを進めて行きましょうと、ありがたいオファーも頂戴している。これほどにまで、新しい気持ちで新年を迎えるのは、多分、生まれて始めてではないだろうか・・・我ながら、面白いと思うのは、とことんまでの窮地を経験すると、もう怖いものが無くなる、という事で、前に、上に、進むしか無い自分に気が付いている。さて、09年、私の新しいスタート、どうせ200歳までは生きられない、なるべく早く、贅沢など必要無いが、家内と悠々自適の暮らしをしたい、それに向かって、我武者羅に成ってみるか、「会社員」としては、どうせ10年しか残っていないのだから、家族を犠牲にしない範囲で、とことん、やってみよう、会社員として、そして、協同ビジネスを・・・
Dec 27, 2008
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今回の私の九州出張に際し、「とあるユーザーを訪れる。」と、そのユーザーの名前をジュニアに伝えたのだ。何故なら、そのユーザーは、かなり昔から、ジュニアの会社の、一番大切な顧客で、何か情報が得られるかも、そう私が考えたのだ。するとジュニア、「私も、その日、合流しても良いですか・・・? ご一緒させて下さい。」私は、無論、快諾したが、私と社長とジュニアの3人で、その顧客を訪問し、かなり驚いた。顧客の広大なオフィースで、誰とでも親しく、「やあ、久しぶり! どうしたの今日は!?」と会話するジュニア・・・「ここの社長、常務、工場長、誰とでも、いつでも会えますよ。」そこまで、深い関係だったのか・・・更にジュニア、顧客のキーマンに対して、「このHirabayashiさんは、謂わば、我々の先輩です。オヤジも、一度、会社でセミナーをして欲しい、若い奴に、特に営業を教えて欲しいと言っているほどです。ですから、全く心配など要りません。今回、ひょんな事から、コラボレーションを組んで、こちらでの対応をさせて貰います。」、とPR。顧客は、「貴方が、そう言うなら、間違いないでしょう。分かりました、次回から、必ず候補にします、今後、協力を宜しくお願いします。」謂わば、トントン拍子で話が進んだ。実は、私個人は経験を積んでいる分野ではあるが、会社自体は、未経験な分野なのだが、それは今後、互いの技術交換で、互いのスキルアップとなるだろう。あのセミナーで、ジュニアが質問しなかったら、今回の展開は、あっただろうか・・・本来は、男女の縁を言う言葉であるが、「縁は異なもの、味なもの」、面白いものだ。
Nov 6, 2008
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4日目は、実に、縁は異なもの、味なもの、を実感する日であった。実は私、名古屋市内で開かれた、とある外国のセミナーに出席した。その国には、私も数度、訪れた経験があり、それなりの情報を持っているが、企業誘致を目的とした、その国の、最新情報、日本との係わり、今後の経済状況をプレゼンテーションするセミナーで、それ自体、さほど収穫は無かったのだが、セミナーが終了し、しかし、予定時間を越してしまったので、司会が、「今から質問を受けますが、時間が無いので、2人だけにします。」と宣言し、最後に質問をした人物、その会社名を聞いて、かなり驚いたのだ。私が以前勤めていた会社の協力会社で、その質問者の「苗字」は、その会社の社長と同じで、ああ、ジュニアだな、とすぐに分かったのだ。しかも、そのファミリーとは、我家が家族でハワイに行った時、ワイキキの空港で、入国審査の列で偶然に、あちらから、「Hirabayshiさん!」と声をかけられた経験もあるのだ。彼の質問が終わり、セミナーも終了となり、私は、彼のトコロに行き、自己紹介をした。彼、ジュニアは、「覚えてますよ! ハワイ! ええ、覚えてます!」互いに名刺交換し、その数日後、私は、ジュニアの会社を訪問し、今は「会長」となったジュニアのお父さん、旧知の現在の社長と再会し、情報交換を行った。
Nov 5, 2008
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ロスに居る息子が毎日つけているmixi日記、私も家内も、それを読むのが毎日の日課となっているが、今日、1つの節目となった。本日、初めて地上でのペーパーテスト、オーラルテスト、そして、実地テストを受けた、息子の日記の一部を抜粋・・・------------------------------------------------空港に戻ってきて、飛行機を止めたら握手とコングラチュレーションでココにプライベートパイロットが誕生しました!------------------------------------------------ 日記に依れば、天候が悪くて飛べない日も、時々あるようだが、親バカとしては、そういう日は、安心して日記を読んでいるが、流石に、こんな訓練をしているのかと思うと、やはり、飛行訓練を知らない私としては心配してしまう。以下、数日前の息子の日記より、一部、抜粋。------------------------------------------------内容はフードを着けての飛行。簡単に言えば、外を見えないようにして計器だけ見て簡単な飛行をする練習。出来は、悪くないけど、疲れたし、少し気持ち悪くなった…。サンダーストームに入ったと仮定して教官が、メチャクチャ揺らして変な姿勢にしてからのリカバーの練習なんかその時は平気だったけど、降りてきて目を閉じると、グワングワンする…。しかも、今日はスティープ・ターンもやったしうぇ~、って感じ。------------------------------------------------「教官曰く、俺は完璧に気に入られたらしい!(笑) 」などとも書いてあり、教官や環境に恵まれたとも言えるが、とにかく息子は、プライベートパイロットという最初の関門を突破した。アメリカに単身乗り込んで、2ヶ月と5日、まだ、今までに、何通も息子にはmailしていないが、今日は、「おめでとう」のmailを送信した。
Oct 4, 2008
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翌朝、殆ど頭痛は感じなかった。ホテルの「会員」となったので、チェックアウトは、数秒で完了、余裕で、ゆっくりと朝食を摂り、迎えに来てくれたSW君にクルマで、高速道路のバス亭まで、送ってもらう。福岡空港、到着したのは第一ターミナルであったので、バスの中で、「名古屋行きは、第二ターミナル」とテープのアナウンスがあったが、小牧、または、県営名古屋は、第一だろう、そう思い、第一ターミナルでバスを降りた。JALのカウンター前で、預け荷物のセキュリティーチェックをしている女性Staffに、「県営名古屋空港行きは、こちらですか?」と聞くと、「第二」との答え。「第二です。」でも、「第二ターミナルです。」という答えでも無い、ただ、「ダイニ。」とだけ発する職員。名古屋のJALスタッフが100点ならば、彼女は5点だ、間違った解答をしなかったから、5点は、あげよう。帰路も、WEBサイトから予約したが、そういう「違い」は、WEBサイト上で明記されていなかった。チケットレス・チェックインだとか、WEBチェックインだとか、私でさえ良く分からない新しいシステムをPRするよりも、こうした、ベーシックな情報を、赤い文字で大きくWEBで表示する、それが使う側には、とても大切な情報、アナウンスである事、分かっていないな、そう感じた。第二ターミナルまで移動し、カードを機械に入れチェックインを済ませ、カバンを預け、2階の出発ロビーに移動するが、福岡空港の活気、大きさを実感した。1時間のフライトで名古屋に到着し、迎えに来ていた家内のクルマに乗り込む。ちなみに、かつての名古屋国際空港の、国外用ターミナルビルは、エアポート・ウォークという、映画館も併設したショッピングセンターとして、この秋にオープンするようだ。家内と二人で、家内のお気に入りの、「あんかけスパ」を食べ、帰宅し、最初の九州出張を終えた。
Oct 3, 2008
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週末、娘のバイト先で、家内の誕生日祝いをした。我々夫婦、私の母、そして娘の4人で、この地域では、まず知らない人は居ないと思われる、私も接待したり、されたりで良く行く「しゃぶしゃぶ屋」に行く。亡き父の、法要も、その店でしたのだが、娘の「顔」で会食するのは、2回目で、今回も、娘が、事前に色々とアレンジ、予約してくれた。娘を可愛がってくれている従業員、バイト仲間の方々が、いつも気を遣ってくれるので、恐縮してしまう。先ず、娘の好物、「土瓶蒸し」、これは我家が、そして私が、このフランチャイズを良く利用するという事での「サービス券」で、娘がオーダー。その後、これも娘がオーダーした、娘に依れば「お値打ち」の、「伊勢海老のおどり」が運ばれる。うん、美味い! しかも、ピチピチの刺身が、タップリの量だ。その後、コースの、「天ぷら盛り合わせ」、お祝いに相応しい金箔が載った「刺身の盛り合わせ」、そして何と、娘に依れば、「板長」の、心遣いとのことだが、TVで聞いた事のある、「大間産まぐろの握り寿司」が、やはり金箔を載せて10貫も出てきた。生まれて初めて口にする「大間産」、評判通りだ、何とも言えない、実にサッパリとした美味さ、いつ、喉を通ったのか、分からない程だった。その後、やっとメインの「しゃぶしゃぶ」、「すきやき」が出るが、間違いなく、食べきれない量と最初から分かっていたので、4人で、「しゃぶしゃぶ」2人前、「すきやき」1人前をオーダーしていたが、また、「サービス券」で、霜降り肉を1人前追加していたので、それらが運ばれて来て、それを見るだけで満腹感が・・・私は、最近接待で「しゃぶしゃぶ」を良く選ぶので、少々、飽きを感じており、前回の接待では、「すき焼き」を1人前だけオーダーしたら、これがまた美味かったので、見よう見真似で、我家で、同じように「すき焼き」をしたが、全くプロには勝てなかった・・・今回も、「俺は、すき焼きをメインに食べる!」と宣言していたが、家内も、私がそこまで言うならば、と、「じゃあ、すき焼きを・・・」と、その場で食したら、「本当! 凄く美味しい!」と絶賛。接待の時は、会話に夢中で分からなかったのだが、割り下と共に入れる「昆布汁」、これが隠し味で、美味いという事を教えて貰った。しかし、他にも、飲み物を含めてサービスをして貰い、これも、娘の「人徳」かな、と嬉しく感じたが、何より、娘の、そして彼女の同僚、先輩の笑顔が、接待が、何より嬉しく感じた。人を喜ばせる、人に尽くす、そして感謝してもらう、こういう事を言うんだな、と娘から学んだ気がした。しかし、食べ盛りの娘の除いて、我々は、実に、食べ疲れるてしまった・・・ これも、「歳」なのかな、とも感じたディナーであった。
Sep 12, 2008
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コメントを書いて頂いた「楽天真弓さん」からのアイデアで、娘の踊る映像を、YouTubeにアップした。娘の踊る姿は、6回、録画したが、その中で、一番、娘が映っているモノを選び、アップロードしようとした。しかし、どれだけ待っても、「アップロード中」のメッセージが消えない。YouTubeのヘルプにある、容量以内にも関わらず、だ。仕方ないので、またネットで調べると、どうも、容量オーバー「らしい」。なので、3つのファイルに分けてアップロード。それでも、アップするのに、1つ、1時間もかかる。しかも、YouTubeでの画像は、かなり、画像の質が落ちていて、ガッカリするレベル。非常に、荒い画像ですが、宜しければ、どうぞ。「期間限定で公開します。 そのPart1です。 ... 2008 どまつり ...」と、メッセージのある映像です。1/3と、2/3では、画面の奥で踊っていますが、3/3では、手前にポジションを移動し、画面の前面で踊っています。この日、4、5回目の演技で、私の目からみると、疲れのせいか、ちょっと、足が上がりきっていないと思われますが・・・(笑)2008 どまつり 1/3http://jp.youtube.com/watch?v=qh_nq05tuX82008 どまつり 2/3http://jp.youtube.com/watch?v=mXqrQ3Q-zyk2008 どまつり 3/3http://jp.youtube.com/watch?v=8CNc6xI_iA8ネットの接続環境にも依りますが、最初の1回目は、映像が途切れ途切れになるケースがありますので、一度、全部、映像が終わってから、「もう1回観る」をクリックされると、映像が止まることなく、ストレスなく、ご覧になれると思います。前の本楽天の「写真」も含めて、期間限定で公開、しばらくしたら、削除する予定ですので。追記:またまた、「楽天真弓さん」からアドバイスを頂戴しました。画面の右下にある、「高画質で表示する」、これをクリックすると、画像の質が上がりますので、宜しければ、どうぞ。
Sep 10, 2008
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娘が参加した、毎年名古屋で夏に開かれるイベント、「にっぽんど真ん中祭り」、通称「どまつり」、そのイベントで娘のグループの踊りを撮影した映像、それを娘からのリクエストで、DVDにしてみた。これにも便利なソフトがあり、タイトル画面、そこに流れるBGM、オリジナルDVDを作成するのも、なかなかと楽しいものだと感じた。さて、そのDVDのパッケージ、これも少し、凝ってみようかと考えた。イベントの公式ポスター、これがなかなかとイイなと感じていたので、ネットで調べ、公式ページからポスターを4つ、ダウンロードした。ポスターを縮小させ、4種類のポスターを並べて、パッケージにしようと、PDFファイルを、まず、手持ちの「Photoshop」で加工し、印刷。これで、OK、そう思い、午前中の作業を終わり、家内と映画を楽しんだ。映画を2本、観終わり、午前中に印刷したパッケージを眺めていて、どうも、もの足りない・・・ そうだ、娘の顔を真ん中に入れてみよう・・・そう思った。デジタルビデオで撮影したので、良い静止画も取り出せる筈、そう思い、デジタルデーターから静止画を取り出すフリーソフトをネットで探す。フリーなので文句は言えないが、良いソフトが見つからず、3本目をダウンロードして、それでも満足出来ないが、アトは自分で加工してやろうと、夕食の時間になったので、ビールを飲みながら、家内の話も、耳に入らず、作業を続ける。「PhotoShop」で仕上げを行おうとしたが、長く使っていなかったので、娘の顔と、先に作成したポスターの写真の「合成」方法が分からない。そうだ、JPEG自体を切って、それをつなげば・・・好きなフリーソフト「JTrim」を使い、合成が終了。ホームページビルダーに付属する「ウェブアートデザイナー」で、ロゴを入れて、これで完成!と思いきや、今度はプリンターの余白設定が上手く行かず、どうしても、左端に余白が出来て、ロゴがギリギリのレイアウト。JPEG自体を小さくしたりしたが、まあ、これでいいか、と、やっと完成。出来上がったパッケージを眺めながら、何本目かの缶ビールを美味しく飲んだ。ハワイのお友達、出来上がり、そして、わが娘、如何ですか!?ちなみに、頬の赤いモノは、フェイスペインティングですので・・・
Sep 8, 2008
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昔、小さな会社を自分達で興し、そこで共に働いた、私より1年後輩の「U君」、先日連絡があり、就寝中に心臓が停止し、脳死状態となった、とのこと。彼とは、十何年ぶりに、この5月に再会し、また、昔のように呑もう、そんな会話を、先日、したばかりだった。現在は、生命維持装置のお陰で、呼吸はしているが、医者に依れば、脳波が出ていない、脳死の状態、生命維持装置を外すこと、それは、「死」を意味する。残された奥さんの、決断のみという状態だ。青春を謳歌する魂と、消え去って行く魂・・・彼が逝くタイミングは、私には分からない、しかし、冥福を祈ろう、彼が、この世に残した大切な若い魂と共に
Aug 26, 2008
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久しぶりに、自宅で映画を楽しんだ。最近、DVDプレーヤーの調子が悪く、上映中に色が褪せていく現象が出るので、120インチスクリーンで観るのが、何となくイヤになっていたのだが、その原因が、映像コネクター部の接触不良の為と分かり、それを修正してからは、問題は無くなった。この週末に楽しんだのは、「壬生義士伝」、「小さき勇者たち ガメラ」、「ダイハード4.0」。「壬生義士伝」は、中井貴一の演技力に驚いた。でも、映画だけしか知らない人には、納得の出来るストーリーかな、それは無理だろうな、そう感じた。また、あくまでも、「お涙頂戴」も、却って、引くなぁ・・・と。「小さき勇者たち ガメラ」、伊勢と名古屋のロケなので、知っている場所が出てきて、実に楽しめた。怪獣映画に、シリアス性を求める向きと、あくまでも、おとぎ話を求める向きと、その両方をまとめるのは、かなり困難なんだろう、そうも感じた。ただ、「ポニョ」でも思うのだが、製作側が「子供に」と、大人の目線で意図するモノ、それは本当に、「子供向け」なのかな、大人が勝手に、「子供」を解釈して、押し付けてるのでは、そう感じるトコロもあったが、しかし、この映画は、かなり楽しめた。「ダイハード4.0」、これは機内で観てしまったが、やはり、120インチで観ると迫力があり、理屈抜きで、面白いと感じた。しかし、家内と同意見であるが、「どこか、ほんの少しだけ、抜けてるマクレーン」、そんな場面が無いのが、ちょっと淋しい気もしたし、迫力はあるが、「感動」の無い作品かな、そう思った。レンタルビデオ屋で見つけた、ロック・ハドソン、エリザベス・テイラー、ジェームス・ディーン主演の「ジャイアンツ」、私の大好きな映画だが、パッケージを観て、これはお盆休みに観よう、と。何せ、241分なのだ。しかし、楽しみだ。
Aug 4, 2008
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息子や、娘に、ことあるごとに、海外へ行け、見聞を広めろ、そう言っているが、私のような小心者にとって、家族が一人で長期間、海外に行くという事が、どういう事か、本当は何も分かっていないことを、イヤというほど知らされた。息子のフライト、倹約家の彼が見つけたチケットは、この時期で一番安い、北京周りのロス行き。先ほど、現地時間で、既に夜の10時前、「無事着いた。」とmailが来た。息子は、ホームステイをするのだが、現地のネットの状況をmailでたずねたら、「いつでも使える、ワイヤレス」との事。これで、一安心だ、いつでも、何かあれば、私の、娘の携帯に、PCに、mailが出来る、日本とアメリカで、何の時間的な障害が無く、しかも、同時に複数の場所に連絡が取れる、これで、一安心だ。
Jul 30, 2008
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息子の渡米が、やっと決まった。大阪のアメリカ領事館の面接予約、ビザ取得の関係で、予定よりも随分と遅れたが、7月29日、ロスに渡り、約6ヶ月、アメリカに滞在することとなった。私は、ほんの少し、助言をし、ネットで領事館に支払いをしただけ、航空券からアメリカの滞在先まで、息子が自分でアレンジした。昨日、その大先輩となる人より息子に電話があり、息子は、その方と一緒に昼食を摂って来たが、随分と素晴らしいアドバイスを貰ったようで、意気揚々と帰宅した。娘も、そんな兄貴を見て、出発の日には空港まで見送りたいと言う、都合がつけば、家族で見送るつもりだ。実は、息子にはガールフレンドが居て、彼女も、息子が渡米している期間に合わせて、ニュージーランドにステイするとの事。彼女にとって、2回目の海外ステイだ。若さは素晴らしい、とにかく、存分にチャレンジして欲しい。そんな状況の我家、昨夜、久々に4人揃った夜、私が、ほんの少しだが、何かの景品で貰った「花火」をしようと提案。ものの10分だろうか、家の中庭で、4人で花火を楽しんだ。大人になった我家の子供、しかし、花火を楽しむ姿に、昔の面影が見えた。3人の笑顔を見て、私は、もうこれ以上の、何も要らない、そう感じた。
Jul 24, 2008
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先般、ゴルフ帰りの友人2人が、我家に来てくれた。数時間、色々な話をし、彼等は帰って行った。直後、そのうちの1人よりmailが来て、「安心した」と、伝えてきた。私が転職をして、この楽天日記への記事のアップ回数が減り、もしかして、新しい会社で、思ったほど、上手く事が運んでいないのでは、そう危惧していたらしいのだ。前の会社を辞める時、やはり、この日記を読んでいてくれていた人より、「頑張って下さい」と、嬉しいメッセージを数通、頂戴していた、先般など、名古屋駅でバッタリ会った人にも、「毎日、読んでます、タイ出張、ご苦労さまでした。」などと声をかけられたが、そういう方々にも、私の現状を報告すべき、そう感じた。やりたい事、やるべき事が、山ほどあり、思い通りに進んでいる案件、予定以上に進む案件、思っていたよりも現状打破が困難な案件、つまり、全てが、順風満帆という訳では無い。しかし、私を取り巻く社内、社外の人々、それぞれの組織、マンパワーは、「打てば響く」モノばかり、これに一番感謝しており、それ故に希望も夢も持てている。企業は人なり、と言うが、仕事も人なり、そうつくづく感じる。まだまだ改革すべき事、私が旗を振って新しく興す事、色々とあるが、自他共に認める「スーパー親バカ」の私が、自分の息子を入れても良いと感じる事の出来る、初めての会社であることは間違いが無い。このBLOGを読んで頂いている、そして、今後も私の会社に、私個人に協力をして頂ける方、これからも、何卒、宜しくお願い致します、互いにWin & Win、これで行きましょう。では、今から東京に向かいます。
Jul 17, 2008
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先般、親友の1人である中国人のLiu Wei、彼が私の会社を訪問した。彼の意見を聞きたい案件、彼の知識を拝借したい案件、そして、彼の会社との今後の発展的な関係、その他、色々な案件を彼と話をした。夕食の事を考え、彼と共に、「近鉄電車」とタクシーで移動したが、その移動中も、時間を惜しむように、2人で英語で話し続けていたので、すれ違う人、周囲の人の、視線が時々気になった。会社では常務を交えて、2時間、やはり殆ど途切れることなく会談、実に実りの多い時間であった。Liu Weiと、彼の会社、知り合い、その他のコネクションで、やはり夢が、ドンドンと膨らんで行く、単に「私のアイデア」であったモノが、努力とアレンジ次第で、実現可能な「プラン」と成っていく、自ら生み出したモノが、ドンドンと形を整えていく、これは、実に嬉しいものだ。また近鉄で名古屋に戻り、夜、彼の好物の「しゃぶしゃぶ」で会食。食事も、ビールも、あまり進まない、何故なら、「しゃべりっぱなし」なのだ。この、「飲兵衛」の私が、中ジョッキよりも小さいグラスビール、それを3杯も呑んでいないのだ。能力があり、夢があり、行動力があり、交渉力があり、「やる」と口にしたら、必ず実行する人間、話をしていて、楽しくないわけが無い、彼のお陰で、すぐにでも上海に飛ぶことになるだろう、いや、私も至急、それに対応すべく準備を整えて、飛ばなくてはいけないのだ、彼と、喉が渇くほど話続けた「プラン」の実行のために。上海では、以前、私が絶賛した、創作料理のような、新しい「しゃぶしゃぶ」、それをLiu Weiと食べに行く事で同意した、楽しみだ!
Jul 16, 2008
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会社の慢性的なマンパワー不足を補う事、エンジニアー不足を補う為、我社に協力をしてくれる、簡単に言えば「外注さん」、無論、能力、経験豊富な人に越したことは無いが、そういう会社、人物を紹介する事も、今の私の期待されている業務の1つで、先日、昔の同僚で、一人で仕事をしている人物を、会社に紹介した。打合せを行い、会社の求める人材である事が分かり、可能であれば、持ってるキャパの出来る限り多くを、当社に注ぎ込んで欲しい、無論、優遇するという趣旨を伝え、また、彼からは、「紹介して頂き、ありがとうございました。」という返事も貰った。一人で仕事をしている彼、仕事の山谷もあるだろう、しかし、我社の外注となれば、フルにキャパを投入してくれれば、年間、1千万円も無理では無い、間違いなく、「安定」はする。しかし・・・昨夜、彼から電話があり、「迷っている」と。話を聞くと、ここ数年、とある「ビジネス」を一緒にやろう、そう声を掛けられ、その人物と共同で事業を興すかどうか、もし興すならば、私のオファーには応えられない、と。その事業の内容を聞いて、「ああ・・・またか・・・」、そう率直に感じた。彼に依れば、気孔の上を行くパワーを持つ、波動、それにより、体質改善は無論、クルマの燃費も良くなる、その波動をビジネスにしたい、と・・・実は、彼は、今までに、私から言わせれば、「その手」の商法に、何度も手を染めていて、仲間では、要注意人物と見なされている。彼も、既に49歳、まさか、いまだに、同じような事を言い出すとは・・・クルマの燃費が良くなるので、自動車会社に、運輸会社に、このビジネスを展開していく、と言う。全否定は、私には出来ない、そういう未知のモノも、もしかしたら存在するかも知れない、しかし・・・そういう「考え」を持った人間は、どうしても同じ事を繰り返す、また、いかに、こちらが論理的に説得しても聞く耳を持たない、むしろ、閉じこもってしまい、頑固にさせるだけ、それを経験しているので、その「ビジネス」に、早急に何百万円も出費しろなどという事が無いのだね、また、数ヵ月後、数年後、そのビジネスに見切りをつける時が来たら、再度、我社に対する「協力」を再検討してくれる事、それだけを確認して、私からの「外注さん」のオファーについては、最終判断を後日、彼より貰うことで、彼との長い電話を切ったが、何とも、いたたまれない、気持ちになった。もし、彼と私が、もっと親しい仲ならば、間違いなく、時間をかけても、他の道を説得しただろうが、彼の悲劇は、そういう人間が彼には居ないこと、そう断言出来るだろう。波動か・・・ 宇宙戦艦ヤマトでも、あるまいに・・・
Jun 12, 2008
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踊りの会場から、クルマで15分ほどのトコロで、家内と昼食を摂りながら、「俺は、踊り、見てないんだよなぁ、写真を撮っていたから・・・デジカメの画面を通してしか、見てないんだよなぁ・・・」「じゃあ・・・ 2時からのも、行く?」「間に合うよな・・・ 行こうか!?」2人で、慌てて昼食を終え、クルマを、もう一度、会場に向かわせる。先ほど、偶然、メイン会場に行ったので、場所は分かっている、しかも、すぐ裏に、パチンコ屋の、広大な駐車場もあったので、そこにクルマを停めれば良い、しかし、到着寸前に、娘の踊りのスタート時間となってしまった。途中、多分、数十メートルだが、一方通行の看板を見落としたかも知れない・・・パチンコ屋の駐車場に入ると、家内が、「あ、もう、踊ってる! 今、敦盛、やってる!」そうなのだ、娘のグループの「出し物」は、どうやら、「信長」をテーマにしているらしいのだ。クルマが止まると同時に家内は、クルマから飛び出した。私も続こうと、クルマから出ると、年配の女性に声をかけられた。「あのう・・・ 申し訳ありませんが、ココは、パチンコ屋へのお客さん専用駐車場で、店から、このイベントへの客のクルマを停めないように、言われているんです・・・ですから・・・ 協力をお願いします・・・」「分かりました、じゃあ、アトで、パチンコ、しますから、それならイイでしょ!」「ええっ!?」彼女には悪いが、時間が無い、私は、駆け出した。家内と舞台の正面に立ち、娘の踊りを鑑賞した。今回は、写真は撮らず、しっかりと、見物。踊りを終えて、ステージを満面の笑みで降りてくる娘、他のグループの若者とハイタッチをし、その後、記念撮影などしている。来て、良かった、そう感じた。パチンコ屋の駐車場で、「番」をしている、先ほどの女性に、「さっきは、申し訳なかったですね、帰りますから。」と声をかけて、クルマを駐車場から出した、ものの4分ほどの事なのだ、彼女も笑顔で、送り出してくれた。また、娘から携帯に電話があり、どうやら、私達と、少し、話がしたかったらしい。また、近くで、こういう機会があれば、見に来よう、そう心に決めて、次の目的地の図書館にクルマを走らせた。
Jun 3, 2008
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日曜、家内と2人で、娘の踊りを見物に行った。娘は、とある、踊りのサークル、同好会に属しており、もともと踊ることが大好きな娘、高校では新体操を頑張っていたが、大学では、そのサークルで、仲間と踊りを満喫している。練習で、時に帰宅が遅くなることがあり、その都度、私が苦言を呈していたが、まもなく始まる教育実習、それまでは、どうしても続けたいと、本人の意志が固いので、娘に、押し切られるカタチで、今も踊りのサークルに属している。時には他県の催しにも参加しているが、先の週末は、犬山市にある、「モンキーパーク」、また市内の特設会場で踊りを披露するとのこと、我家からクルマで30分ほどの距離なので、見に行こうか、という事になった。色々なグループが、それぞれの踊りを披露する。大きなグループでは、80人ほどの人が踊る。しかし・・・ 多すぎて、どうも、「伝わらない」、そう感じた。娘のグループの前に、10人ほどのグループの踊りを見たが、「伝わって来た」、素直に、いいなぁ、と感じ、一人一人の躍動が、よく見えた。さて、娘のグループが。数えると、16人ほど。程よい人数と思えた。しかし・・・ 私は、娘の踊りを、鑑賞出来ない。デジカメの画面経由でしか、娘を見ることが出来なかった。最新のデジカメ、その望遠のお陰で、娘の躍動する姿を、連続して捕らえる事が出来た、その写真には満足した。まさに、「スナップ・ショット」、娘の踊りの、瞬間瞬間を切り取った撮影が出来た。 娘のグループの演技が終わり、退場する娘のグループをクルマで追い、娘を探しているうちに、メイン会場を見つけ、その会場の脇をクルマで通過していたら、娘から携帯に電話があり、我々が見物していた事に気が付いたことなど、家内が少し、会話を交わしたら、最後に娘が、「次は、メイン会場で、2時10分からだよ。」と。歩道を歩く娘のグループを見つけ、クルマのクラクションを軽く鳴らし、家内と、昼食を摂るため、クルマを走らせた。家内が、「次は2時から、って、また見に来て欲しい、という事かしら・・・」
Jun 2, 2008
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もう、随分と前から、家内が愛用しているバッグが、ダメになりかけていた。上海空港の免税店で買い求めたバッグで、一応、ブランド品だが、家内に依れば、大きさ、使い勝手が良いとの事だが、取っ手の根元の皮の部分が、ほころびてきた。かなり以前から、代替のバッグを探していたのだが、予算を度外視しても、使い勝手で納得出来るモノが見つからなかった。週末、家から徒歩で、市内のデパートに行ってみた。ここ数年で、色々な人から頂いた「商品券」、合計すると、それなりの金額となっていたので、それだけの金額ならば、それなりのモノが買えると、出かけた。すぐに、イイものが見つかった。家内は、2つ候補を選んだが、1つはカジュアルに、もう1つは、フォーマルな感じだが、どちらも使い勝手が良さそうだ。結局、カジュアルなタイプに決めたが、それも一応、ブランド品ではあるが、スーパー・ブランドでは無い、しかも、そのブランド名は、多分、見た目には分からないデザイン。金額を見て、商品券の合計の3分の1程度の値段・・・しかし、デザインも、使い勝手も、非常に良い、そもそも、家内が満足してくれれば、それで良い、購入した。今度は、ネックレス。普段、身に着ける、手軽なネックレス、これも前から探していたが、これについては、私が選んだ。どこにでもあるデザインでは無く、ちょっと変わったタイプを選ぶ。バッグとネックレス、合わせて商品券の、半分ほどを使った。家内の嬉しそうな顔を見て、もっと早く、ココに来れば良かった、と感じ、そして、家内の喜ぶ姿を見る事は、この自分の喜びなのだと、改めて実感した。
May 28, 2008
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まだまだ、それこそ文字通り「駆け出し」の途中状態の、私の日々の業務であるが、つくづく、人との繋がりを強く感じる。先般の15年ぶりに再会を果たした方、その人の関連で、ドンドンと話が広がる、正確には、広がる可能性が出てきた。1つの繋がりが、2つに、4つに、全く予想が出来ない広がりをみせている。もう1人、やはり10年ほどぶりに再会した人、その人からは、私が未経験の分野のノウハウ、情報を、惜しみない提供を受け、会う度に新しい発見がある。情報提供を受けた私が、私独自のアイデアを上乗せし、それを逆に提示する、というケースもある。いずれにしても現段階では、単なる「アイデア」、実現に結びつけることが、私の業務。ただ感じるのは、そういう大切な人物、相手、その人達と、仕事、プライベート、両方の面の話をしていて、まるで、自分が自分と話をしている錯覚を覚える時がある。その人達を通して、過去の自分、付き合いの途切れた期間の自分、今の自分、そして、次のステップとして、この人と自分は、こうなっていたい、そう想像される自分、それらが、何故か、垣間見える瞬間がある。これは今までに感じた事のないモノで、多分、初めての経験で、上手く言葉に出来ないが、簡単に言えば、まるで「鏡」を見ている瞬間を感じるのだ。今、これは仕事なのか、それとも、自分のしたい事を、自分が満足する為に、相手にも満足して貰えるように、己の感ずるままに行動させて貰っているが、さて、その結果は、いつ、どういう形になるのか、逆に、それは客観的に楽しみにしている。
May 27, 2008
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週末、とある方と2人で呑んだ。年賀状や、時々mailの交換はしていたものの、実に15年ほどぶりの会食であった。既に、数日前に再会を果たしていたが、もっとプライベートな事を、話したく、また聞きたく、2人で会食をしたが、時間が足りないと思うほど、話は尽きなかった。特に、家族に対する考え、想い、これが共通し、尚且つ問題意識が同じであること、以前から、それは知っていたが、それが再認識出来たこと、仕事上での、お付き合いと言えども、互いに腹を割った話が出来ること、それを非常に感謝している。15年という時間が、我々の間に流れたこと、これも事実だが、互いに、その時間を、自分らしく過ごした、そんな感じがした。私自身の業務、職務は、非常にフレキシブルで、これから、どうなるのか本人が一番、分かっていない、しかし、どういう形でも、これからも大切にしたい方である、それを痛感した夜であった。
May 20, 2008
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新しい会社で、また新しい業務に取り組み始めて、ちょうど一週間が過ぎた。アタマで色々と考え、それを実行し、また新しく気付いた事で軌道修正したり、また、日々、こういうアプローチはどうだろうと、アイデアを出して、それをチェックし、やはりまた、行動を修正する・・・まさに、PDCA、つまり Plan、Do、Check、Action の繰り返しを行っているが、自己管理、これが非常に大切だと感じている。既に自宅勤務を1日経験したが、殆ど自由な活動が許されている今、その自由という意味、価値は、自己管理という重さと同じだと思っている。自由であることは、全てを自分で管理し、その上で成果をあげる、遣り甲斐を感じるし、この自由度をフルに生かそう、そう考えて、2週目に突入だ。今度の会社には、改善すべき点が、既に幾つか見えてきているが、その中でも、最も直すべきことの1つが、データー管理だ。私が、どうしても欲しいデーターが不完全である事を知らされた時、いかに会社が、現状で良しとしてきたかを思い知らされた。今よりも、少しでも改善を、と日頃から考えているならば、当然、残しておくべきデーターが無い・・・私個人のPDCA、これは最も大切にするべき基本であるが、社内の全ての部署にも、これを徹底したいと考えている。
May 15, 2008
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翌日、そのインド人エンジニアーのリーダーから返事が来た。「 驚いている、そしてmikioさんと仕事が出来ない事を悲しく感じている。mikioさんが我々にしてくれた事に、非常に感謝しており、それは、忘れることが出来ない。しかし、mikioさんが選んだ道ならば、きっと、その先には成功が待ってる。もし、差支えがなければ、mikioさんの計画と新しい連絡先を教えて貰えないだろうか。仕事の付き合いが無くなろうとも、コンタクトを続けたいと思っています。プレゼントは、mikioさんの仕事に対して贈るのではありません、mikioさんという「人」に、感謝の気持ちで贈るのです、どうか受け取って下さい。mikioさんの未来を、神が見守られますように。金曜、お会い出来るのを楽しみにしています。 」そうか・・・ インドの神様も、見守ってくれるのか・・・大船に乗った気分だ。彼等の仕事の最終日に、約束通り、彼等に以降の業務、つまりインド現地での仕事の打ち合わせを兼ねて合いに行った。打ち合わせを終えると、全員が揃い、私にプレゼントを渡してくれた。また、インドで、もしくは日本で、再会しましょう、と硬い握手をして分かれた。帰宅し、そのプレゼントを開けると、象の置物であった。我家の玄関にある、私の海外の記念品のコレクション、そこに、その象を飾った。
May 3, 2008
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会社を退社するにあたり、色々と暖かい言葉を頂戴した。先にメルマガで私の退社を知り、連絡をくれた人達以外にも、このBLOGを見て、出張先からmailを送信してくれ、応援してくれる人、「惜しいよ・・・ 辞めるの、止めなさいよ・・・」と言ってくれた大先輩、「また、違う舞台で、ひと暴れですか!」と言ってくれた人、多くの人に、「頑張って下さい」と言われ、実に嬉しい最終日となった。日本に8週間滞在したインド人エンジニアーにも、かなり驚きを与えたようだ。彼らは、会社が発注した、謂わば「外注」、顧客では無い、なので、慣れない日本の生活をスタートさせたが、顧客のようなアシストは必要無い、そう考える人に対して、私は、顧客と同様のケアーをしたつもりだ。その彼等に、私はいち早く、会社を辞めることをmailで伝えた。インド人達、会社から1時間弱離れた工場で仕事をしており、帰国する前には、必ず私に逢いたい、渡したいギフトもある、そう言われていたので、mailで連絡したのだ。あなた方には突然の事だが、4月で会社を辞めることになった。貴社を担当する後任が決まったら、すぐに連絡します。あなた方に逢いに行くことは出来るが、私へのギフト、それは、私の後任にプレゼントした方が有益、なので、私は、もう、あなた達と逢わないかも知れない。あなた方との経験は、私の大きな喜びです、今まで、ありがとう。See you & take it easy my friends.最後に、「friends」とタイピングしたら、何だか、かなり、淋しい気持ちになった。この会社で、最期の最期に、また気の良い外国人と知り合いになれたな、もう、生涯逢えないかも知れないけど、それも自分の財産だな、と・・・
May 2, 2008
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今日、4月30日を以って今の会社を退社する。「過去は変えられない、しかし、未来は自ら創り出すことが出来る。」ゴールデンウィークが明けたら、新しいフィールドに旅立ち、大きな夢へのチャレンジを開始する。迷いがあった。山の頂上を目指し歩き始める、しかし、そのルートは、本当に山頂に向かっているのか、もしかして、間違っているのでは、その点で迷った。しかし、こう考えた。懸命に、そのルートを登り、自分の能力の限界まで出し尽くし、その結果、もし間違いであると気が付いたら、その時点で、頂上を目指す新しいルートを、自分で、または仲間と相談して、新しく見つければいいではないか、と。観光地にハイキングに行くのでは無い、誰でも登れる山頂を目指すのでは無い、いわば、人跡未踏と言っても良いチャレンジなのだ、最初から、「間違いの無いルート」など用意されていない、だからこそ、チャレンジなんだ、そう考えてみた。この俺が出来ないなら、誰にも出来ない、そうも考えた。しばらくは、海外に出ることは無いだろう、しかし、遅くとも数年後の私のフィールドは、やはり、「海外」だ。最期の仕事となったインド・プロジェクトでも、インド人を交えての会食に併せて、お別れ会をしてくれた。営業部からも、送迎会に招かれ、バラの花かごが贈られた時は、さすがに嬉しく思い、楽しく深夜1時過ぎまで飲み明かした。私の想い、これからの事を、皆、理解してくれた、これも嬉しかった。なので、私個人としては、円満退社であったと思っている。今回、私の想いを、最も理解してくれた、現社長の息子、彼とは、深夜1時過ぎまで呑んだが、何度も私に謝罪をする、そして、「遅かったんですね・・・」と言う、それが私には心苦しい、何故なら、今回の転職は、私の、我侭なのだから・・・もしかして、この会社とは、何かの機会に、協力して仕事をする、そんなチャンスも有るかも知れない、可能性はゼロでは無い、そう考えている、いや、正確には、望んでいる。私のメルマガで、私の決心を知り、話しかけてくれた人、mailをくれた人、海外からも、友情は変わらないとメッセージをくれた人、そして、この会社で、お世話になった人、全ての方に、万感の想いを込めて、「ありがとうございました。」
Apr 30, 2008
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父の49日法要を無事に終えた。夜の会食は、娘のバイト先で、それなりの料理を注文、やはり、料金だけの事はある、食べきれない程の料理、そして、娘の顔を立ててくれた、特別の最高級の肉で、皆、満足してくれたようだ。また、何十年ぶりの従兄弟達との会話、私の母方の祖父、叔父の昔話にも花が咲いて、実に楽しい「49日」であった。その翌日、息子の直樹は、新天地に飛び立った。JALのマイレージ予約と、ICレコーダーのみ、私が手配したが、その他は、全て、自分で決めて、アレンジし、そして、第一歩を踏み出した。家内が、私に「心配じゃ無いの?」と、聞くが、自分でも驚くほど、何も心配などしていない。家内に、そう聞かれて、「アイツなら、やる。」と、最初から思っていることに、改めて気が付いた。私も、ここのトコロ、悩んで、迷っていたことがあった。自分の人生の転換となる、決断を求められる大きな問題だ。どうせ決めるならば、息子が大きな一歩を踏み出した、その同じ日にしよう、父の49日の、次の日にしよう、俺の、記念日にもしよう、そう考えて、そして、「決めた」。若い魂の息子の勇気に、つられるカタチで、私も、一歩を踏み出した。家内には、いつも心配をかけるが、もう、アトには引けない、前進あるのみ。
Apr 14, 2008
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先ず、楽天ショップ、「楽天」自体のレスの良さには、驚いた。「楽天」に、クレームのmailをして、数分後には返事が来た。曰く、当該のショップに連絡をします、と。この対応は、賞賛すべきと感じ、「楽天」の対応の早さ、的確さ、これがあれば、「楽天」でのショッピングは、今後も出来るな、そう感じた。しかも、注文をしようとしたICレコーダーのサイトだが、何と、在庫に関する情報が追記されていた。「楽天」からの指導があったのだろう、やるなぁ、そう感じた。一方、「e~ぐる」とかいうショップ、私がキャンセルのmailを入れたにも関わらず、「入金はまだですか?」と言うmailが、もう2回も送信されてきた。ま、そういうトコロなんだろう、徹底的に、ダメなショップだ。キャンセルしたmailを転送してやろうかと思ったが、とっくに削除してあったので、ま、このまま放置しておこう。そしてJAL。息子が、フライトの時間を変更したいと言ってきた。マイレージの予約、変更出来るかな、一度予約したら、もしかしたら変更は出来ないかも、そう感じたが、とにかく、サイトにログインしてみろ、そう息子に伝えたが、結果、変更は可能だった。ううむ・・・ JAL、いいなぁ・・・しかも息子、2回も予定を変更したが、ちゃんとOK。期限付きなのがサービスとして惜しいが、JALマイレージ、GOOD!
Apr 11, 2008
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息子の旅立ち、先ずは北海道、飛行機での移動だ。私は、JALのグローバル会員、ノースウェストのプラチナエリート会員、それぞれ、マイレージでは、TOPカテゴリーの会員だ。この2社で貯まったマイレージを使えば、息子は、北海道でも、アメリカでも、どこでも無料で行ける。先ずは北海道。色々と不祥事も続くが、さすがJAL、WEBサイトからマイレージにて航空券を入手するのは、非常に簡単だ、かなりの好感度を抱いた。これなら、飛行機に乗り慣れていない人でも、また、ネットに慣れていない人でも、さほど困難を感じず、すぐに「予約」出来るだろう。次に、ノースウェスト。これは、まだ正確な日程が決まらないので、あくまでも参考としてチェックしてみた。以前、直樹がカナダに行った時にもマイレージを使ったが、全くサイトの使い勝手が改善されていない、とんでもなく、使いにくい、また、反応も、かなり鈍い。例えば、行きたい場所を、空港の国際コードで入力しなくてはならず、名古屋なら「NGO」、ロスならば「LAX」、私は知っているが、これは、それほど一般の人にはポピュラーでは無い。ましてや、いつのまにか私は、「一般マイレージ会員」に成っていて、しかし、最高ランクのプラチナエリートに成る資格を得る為に必要なマイル数は、「0」と表示されており、データー管理も、お粗末この上無い。間違いなく、日本のノースウェストのマネージャーは、このサイトで実際にマイレージでの航空券申し込みを、シュミレーションしていないだろう、そう思った。お話にならないレベルで、前回のカナダ行きの時もそうだったが、電話をして確認しないと、さっぱりラチが明かない。全く、これではWEBサイトの意味を成していない。それでも何とか6月のマイレージでの空席状況を調べてみたが、人気シーズンなのだろう、6月は2日しか、マイレージが普通に使える日が無い。まさしく、ナンセンス・・・ 無意味・・・直樹がロスに旅立つには、ノースウェストのマイレージでは無く、帰りオープンの、ディスカウント・チケットになるかな、そう思った。
Apr 9, 2008
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息子が父の49日法要の翌日、新しい旅立ちをする。先ず、北海道に行き、そこで特殊な勉強をする私学に入学する。帰って来るのは、6月だ。その授業に必要ということで、ICレコーダーが欲しいと言ってきた。息子と2人で、先ず大手の家電屋に散歩がてら行くと、色々と機種がある・・・録音時間は無論、PC対応、ファイル数、フォルダー数・・・帰宅して、ネットショップで調べてみたら、案の定、販売店よりも、かなり安価で出ている。機種は、ソフトが充実していると評価の高いPanasonicにした。先ず、最安値のネットショップでオーダー。しかし、mailでの回答は、「在庫なし」・・・じゃあ、ダメじゃん・・・次を調べると、「完売御礼」、次も「在庫無し」・・・人気商品らしい。ならば、数千円分のポイントが貯まっている、ココ、「楽天」では、どうか。最安値の何軒かは、やはり、「在庫無し」。その「在庫無し」と表記されていないショップにオーダーした。しかし・・・ 自動返信のmailが「楽天」からは来たが、ショップからは、何の返事も無い。それが、土曜、5日の夕方のことだった。日曜、月曜と過ぎ、月曜の10時を過ぎても何の連絡も無いので、仕方無いので、電話をした。転送電話だった、しかも、「今日は閉店しました。」11時になり、やっと電話が通じたが、要するに、「納期は、振込み後、確認して連絡します。」との事。貴方の店は、在庫無しとは表記していなかった、だからオーダーしたのだ、今、納期回答が出来ないのは、オカシイと言うが、相手は反応しない。結局、土曜に、最初にオーダーしようとした最安値の店から、「土曜発送、日曜必着」という返事が来たので、そこにネットで振込みをした。楽天では、今までに何度も買い物をしているが、こんな不快で、しかも不親切なショップは、初めてで、その件を、楽天にmailした。もう金輪際、DCCグループ 【e~ぐる】で買い物は、しない。
Apr 8, 2008
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娘が、無事、運転免許を取得した。きっと、運転したくて、仕方ないだろうな・・・そんな娘、今日は「先生」の結婚式に出ている。前日、式に出るためのワンピースを、家内と一緒にデパートに買いに行ったとのことだが、先日、宮崎から帰って来たと思ったら、すぐに静岡に合宿、そして、運転免許の試験を受けて、結婚式に出ている・・・何とも、目が回るような忙しさだ。息子の時と違い、少々、怖さを感じるが、娘の運転するクルマに、いつ同乗出きるのだろか・・・?アーサー・C・クラークの命日に、娘は免許を取得したこととなる。くどいなぁ・・・
Mar 20, 2008
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今朝は、外注のインド人2人が、本社では無く、我社の、別の工場で作業をスタートするので、その工場での「勝手」を彼等に教えるため、本社ではなく、その分工場に朝から出かけた。もう、随分と日本に、また我社に慣れた彼等、その分工場での勝手も、すぐに理解した。分工場の責任者に彼等を紹介し、私は、ほどなく本社に移動。さて、mailチェックしながら、ネットのニュースもチェック。数ヶ月前から、なかなかと、真意を突いた書き込みもある「2ちゃんねる」、その見出しをチェックしていて、ああ・・・ と思った見出し。【訃報】SF作家、アーサー・C・クラーク氏が死去、90歳「2001年宇宙の旅」などで知られるSF界の巨匠そうか・・・ とうとう・・・本物の知識人で、最高の作家、私が一番好きなSF小説家・・・もう、彼の作品は、読めないのか・・・「2ちゃんねる」の書き込みを、ザッと見ると、書き込みをしている人、結構、よく読んでる、よく知ってる、評価してる、さすが、アーサー・C・クラークだなぁ、と感じる。今、ここに書いていて思い出したのは、オヤジと同じ年に亡くなったのだなぁ、と。私が、最も感銘を受けた、彼の小説に出てくる、父が、最愛の娘に贈る言葉、この世で大切なものは、たった2つしかない。それは、愛と知識だ。
Mar 19, 2008
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父の死、やはり母が何と言っても、一番ダメージを受けてることには間違いが無い。葬儀の間、とにかく、喋りまくっていた母。誰それ構わず、しかも、同じようなことを何度も何度も話し続ける母、まるで、泳ぐのを止めたら死んでしまう魚のように、お喋りを止めようとしない母、あれは、きっと、やはり精神にダメージを受けていたのだろう。そんな母のお喋りに、イヤな顔をせず相手をする家内、ともすれば私など、同じ事ばかり言うな、と怒ってしまうのだが、家内は、母の相手を、ニコニコしながらしていてくれる。家内には、感謝の言葉もない。葬儀が終わり、自宅で家族が一服し雑談していると、母が、こう言った。「あの係りの人、パパを(私の事)、見損なった、と言ってたよ。」「な、な、何? 見損なった??」「最後の喪主の挨拶、あれが、とても良かったって。それで、見損なった、って。」これには、家族が大爆笑。「それを言うなら、見直した、だろうに!」すると母は、「そうそう、見損なった、って。」「だから、違うってば! 間違えるにも、ほどがある、全く、逆じゃん!」しばらく、笑いを止めることが出来なかった。
Mar 12, 2008
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葬儀に限らず、形式ばったこと、しきたりとか、あまり肯定的では無い私、父の葬儀は、恥ずかしくないことをしたつもりであるが、私が死んだら、「お別れ会」などのようなものとして、葬儀にお金など使うことは、子供達にさせないつもりだ。我家の葬儀の担当者、私の目から見ても、実に感じの良い人で、気さくな感じで、尚且つ、レスポンス抜群の営業マン。ただ、こういうイベントに対して「斜」に構える私、祭壇から始まり、花、引出物、料理などを順々に取り決める時も、あまり意義など感じず、苦々しく、イヤミしか言わない私。我家の家族は家族で、例えば、営業マンが焼香の方法を説明している時、まるで関係の無い話を勝手に始めて、まるで説明を聞いていない。私が、「おい!聞いてるのか!」と叱ると、「あら、ごめんなさい!(爆笑)」というありさまで、全ての場面で、営業マンは我家に対して、最低でも同じ説明を2回、した。いつも、笑いの絶えない、打ち合わせであったが、営業マンは疲れたと思う。その営業マン、私の居ない時に、家内に、「ご主人は、こういう事、お好きじゃないようですね・・・」と言ったらしいが、最後に、私の「うれし涙」の喪主の挨拶について、「挨拶、良かったですよ、見直しました。」と言われた。この場合、「見直す」という言葉が適切なのかどうか、私は咄嗟に判断しかねて、苦笑いしただけで、そう言われても、嬉しくも、何とも無いが・・・全てを片付け、葬儀屋を出る時、また、その営業マンに、「いつも、笑顔の、楽しいご家族ですね! 実に羨ましいです!」と言われたが、それを我家のモットーにしていきたい。父が生前、言っていた。父と母の部屋まで、私、家内、息子、娘の笑い声が聞こえる時、あれが一番だ、これが、幸せなんだ、そう感じる、と。父の遺志を家訓としたい、そう考えている。
Mar 11, 2008
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葬儀の最期に、喪主の挨拶をしなくてはならない。息子として、それなりの感慨を持って葬儀に臨んでいた私、最期の挨拶、特に何という事も無く済ませる自信があった。しかし、マイクを持ったまま、涙で、しばらく、言葉が出なくなってしまった。故人と最期の別れ、と棺の蓋を開け、それこそ友人から貰ったタバコをはじめ、父の服、帽子、そして花で、父の体が見えなくなりそうになった時、集まってくれた親戚の、叔父の、叔母の涙を見て、目を真っ赤にして泣きじゃくる妹、そして姪達を見て、私は、「うれし泣き」を止めるのに必死だった。ありがとう、父の為に、涙してくれて・・・最後に、もう一度、父の額を触れて、棺に蓋がなされ、喪主から、お礼の言葉を頂戴します、と司会よりマイクが渡された時、アタマの中は、「父の為に・・・ ありがとうございます・・・」この言葉しか浮かばなくなり、涙を止めることが出来なくなった。右手でマイクを強く、強く握り締めて、何とか平常心をと思うが、何十秒も、涙を流しながら、うつむいたまま、何も発することが出来なかった。それでも、何とか、一通りの挨拶を済ませた。葬儀の全てが終わり、親族も帰宅する時、私が叔母に、言い訳がましく、もらい泣きでは無いけど、皆が泣いてるから、伝染した、と言うと、それは逆よ、mikiちゃんの挨拶で、余計に泣けちゃったんだから、と言われた。私の涙、あれは、間違いなく、うれし涙であった。
Mar 7, 2008
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自宅で亡くなる場合は、病院と違い、検死という手続きが必要となる。第三者が不在で、人が死亡するのだから、それは致し方ないし、私は知識として知っていた。が、掛け付けた妹は、自宅に来ていた警察官に、どういう関係の人かと聞かれ、まるで犯人扱い、と若干だが憤っていた。父の最期は、母しか見ていない。いつものように電動ベッドで母が、おかゆを父の口に運んでいたら、2、3口目で、「もう、いい」というような事を言い、少し苦しそうになり、そのまま逝ったとのこと。肺ガンを患い、抗癌剤の不適合で苦しみ、入退院を繰り返した父、その最期は、殆ど苦しむことも無かったようだ。警察官より、もう入ってもいいです、と言われ、既に息の無い父と対面した私、そっと、父の額を触ると、まだ、温かみがあった。葬儀で母が親戚に、父は、ガンに侵されてからも、殆ど、痛い、とか、苦しいとか言わなかった、それが立派だった、と漏らしていたが、さて、もし自分が同じ目に遭ったら、自分に出来るだろうか、そう感じた。最期は、本当に楽に逝けたこと、それが良かったと感じている。ちなみに、検死担当の警察官、確か男性が3、4人、女性が1人来ていた。女性警察官は、我家の間取りまで私に聞き、スケッチしていたが、何のタメなのか、よく分からなかった。その内の1人の男性警察官の携帯電話が鳴った。その呼び出し音が、TV番組の「西部警察」のオープニングテーマ曲であった。妹に言わせると、「いかにも、という呼び出し音・・・ ミーハーだなぁ・・・」「そうそう!」家族一同、大笑いした。
Mar 6, 2008
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父は、私の息子がイタリヤに、娘が宮崎に、それぞれ出発する、まさに、その前日に亡くなった。会社で昼休みにインド人と会話をしていて、席に戻ったトコロ、そこに、家内より電話があった、至急、家に電話を、とメモがあり、それを見た瞬間、私は父の危篤を疑わなかった。そうか・・・ とうとう・・・ という気持ちと同時に、すぐに、息子、娘には、予定通り、旅立たせると決めていた。自宅に着くと、病院で亡くなったのでは無く、自宅での死亡なので、警察が何人も来ていた。警察に依る検死が行われ、父が入院していた病院の院長が来て、改めて検死が行われ、その後、やっと父の顔を見ることが出来た。家内は、息子、娘が旅を終えて、家に居る時に、逝って欲しかった、そう、こぼしたが、私は、旅行途中で無くて、それだけでも良かったじゃないか、息子も、娘も、最期の挨拶が出来るじゃないか、と言うと、家内も納得してくれた。翌日、息子、娘とも、早朝の出発であったが、父に、きちんと挨拶を済ませ、それぞれ旅立って行った。入院中、息子のヨーロッパ行きを伝えた時、自分の孫を見て、「俺に似て、イイ男に成ったなぁ・・・若い時は、どんどんと色々なトコロに行けよ・・・」そう口にしていた父、私の父なのだ、疑いも無く、孫の旅を喜んでいたと思う。
Mar 5, 2008
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通夜に駆けつけてくれた、いつもの友人達、焼香を済ませた一人が、私のトコロに歩み寄り、高校時代から親しくしている、離れた市に住む、とある友人について、「遅れてくる、と伝えてくれとの事だ。」と伝言に来てくれた。「うん、分かった、ありがとう。」その知らせ自体、嬉しいものであったが、更に彼は、私に、「これ。」と言って、何かを手渡す。私の手に握らされた、それは、何と父が好きだった銘柄のタバコ。無論、肺がんを宣告されて以降、禁煙した父、そのタバコを吸ってはいなかったが、学生時代、私の家に、よく集まってくれた友人は、父が好きだったタバコの銘柄を覚えていてくれたのだ。「峰」という、マイナーな銘柄のタバコ、自販機などでは買えないだろう、それを、わざわざ持って来てくれたのだ。自分の手の中のタバコ、「峰」を確認し、視線を友人に戻した私、「おい、これ・・・!?」としか、その場では言えなかった。まさしく、言葉を失った。私と視線を合わせた友人、ほんの少し、はにかんだように見えた。友人が去ったあと、この話を親戚にすると、さすがに、友人の気配りに皆が関心していた。「このタバコ・・・ 色々と探してくれたんだろうね・・・」生涯、忘れることの出来ない、ニクイことをやってくれた友人に、感謝の言葉も見つからない。これは、誰にでも誇れる自慢話だ。
Mar 4, 2008
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父の葬儀、何と言っても、義弟には、感謝しても、しきれない程、色々と世話になった。危篤を知り、いち早く駆けつけてくれた。葬儀の献花などの取り決めも、的確にこなしてくれた。そして、通夜には、私達夫婦に付き合って、葬儀会場に一泊してくれた。線香を絶やさないように、気配りもしてくれた。通夜の夜、普段、あまり呑めない義弟も、私と共にビールを何杯も呑み、深夜まで語り合った。そんな義弟に、私は、かねてより思っていたことを明かした。「義理の弟という関係以前に、俺は、君のこと、親友だと思ってるよ、いつもいつも、本当にありがとう。」それに対して、義弟が、何と答えたのか、眠気と、ビールの酔いで、覚えていないのだが・・・彼が、義理の弟で、本当に良かった、それを再認識した。亡くなった父も、可愛い娘の旦那として、何の心配も無く、安心していただろうと思う。
Mar 3, 2008
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父が他界しました。2月26日、母が昼食を摂らせていたところ、三口目くらいで、「もう、いい。」と一言残して、殆ど苦しむこともなく逝ったとのことです。本人が希望していた、自宅での逝去を迎えることとなりました。父の逝去に際し、父は私に、人の「恩」ということを教えてくれた気がします。ありがとうございました。
Mar 2, 2008
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23日は、息子の誕生日であった。誕生日当日、彼は終日、外出予定であったので、前日、スキヤキで誕生祝をした。麻雀を4人で楽しみ、息子の誕生日を祝った。その息子、27日より12日間、イタリヤに観光に行く。冬のヨーロッパを勧めた私のアドバイスのせいかどうか、それは知らないが。もう何度も海外旅行を経験している彼、特に私から、何も言うことは無い。せいぜい、デジカメのバッテリー充電の為、コンセントの型式を確認しておけよ、とアドバイスをしたくらい。何とも偶然に、娘も、27日から宮崎に行く。自動車免許取得の合宿なのだが、どうせならと、自宅から、一番遠いところを選んだとのこと。息子と娘が、同じ日に、同じ空港から旅立つ、何とも偶然なことだ。春・・・ 若い魂は、やはり、ジッとしていられないようだ。
Feb 25, 2008
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我々夫婦の銀婚式となった昨夜、家族のこともあり、自宅より出ることなく、お寿司をとって、実に、ささやかに祝いをして過ごした。mailや、カードで、お祝いのメッセージを頂戴し、また、この楽天日記でも、嬉しい書き込みをして頂いた。ありがとうございます。「銀婚式」など、何だか、年寄りのような響きがあって、その日を迎えるまで、嬉しいと感じなかったが、実際に、「その日」になると、それなりの感慨を感じ、また、お祝いのメッセージも、誕生日のそれよりも、遥かに嬉しく感じた。それにしても、昔から好きな唄、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の"サンライズ・サンセット"、その歌詞が、心に沁みてしまう、この頃・・・この腕に抱いた幼ない娘が、遊び回っていた坊やが、 知らぬ間に、いつこんなに大人になったのか子どもだった頃が、まるで昨日のよう日は昇り、日は沈み風のように歳月は流れ気づかぬうちに季節は移ろい喜びと涙の時を重ねる
Feb 13, 2008
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今日で、25年か・・・アッという間だったなぁ・・・昨日の事のように、色々と想い出される・・・ありがとう、全てに、感謝。
Feb 12, 2008
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ここ数週間、とある方の提案、そして共同作業として、日本のビジネス向けモデルを、アメリカ市場向けに変換する作業をしている。もともとは、アメリカから来たビジネスツールなのだが、それを日本市場に展開する方法を開発したのが、その「とある方」で、彼より、北米市場に逆輸入させたら面白い、協力して欲しい、とプロポーズを受けたのだが、実際にスタートすると、今、自分が北米に居ない事が、こんなに、しんどいとは思わなかった。思いもしなかったことに、さて、これは北米では、どうなんだろう、どうやって調べればいいのだろう、と途方に暮れることも多々ある。立ち止まってばかりでは、ちっとも進まないので、分からないトコロ、判断出来ないトコロは、スキップして、やっと、ほぼ完成に漕ぎ着けたが、まだ、オープンのままの項目が多々ある・・・やはり、このフィールドを良く知っている、最低でも我々と同じくらいのスキルのあるアメリカ人を参画させないと、完成度の高いものは出来ない、それが、今後の一番の課題だ・・・面白いと言えば、面白い展開となる、か、な・・・今回、もし完成まで至らずとも、貴重な経験をしている、それを実感している。
Feb 11, 2008
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週末、娘がまた、晴れ着を着た。美容院からの、どうしてもやり直しを、というリクエストに応えたのだ。髪のセットに、予定よりも時間がかかったが、バイトに行く時間を遅らせた息子も、晴れ着姿の妹を見て、私と同じような表情をしていた、まるで、鳩が豆鉄砲を喰らったような・・・家の前で、兄妹、そして、数枚は、家内を入れて写真撮影し、写真屋へ。成人式の日は、前後にお客が居たが、その日は我々だけ。先回も、丁寧と感じていたが、それ以上に、時間をかけて、色々とハナシをしながら、笑いが絶えない中での撮影。最後の1枚は、シャッターだけ、家内が押した、そういう写真も、時々、プロには撮れない表情の出来もあるとの説明だった。写真屋を出て、近くの神社で、新しいデジカメで撮影しようと思うが、家内が、市内の神社よりも、隣の市で、藤で有名な「寺」はどうか、と。確かに、あの寺は、境内も広く、地元では有名なので、そこに向かった。到着して境内に入り、大正解だと思った。境内自体も広く、まるで、京都の有名な寺院のようだ。また、数軒ある屋敷の庭が素晴らしくて、そこで写した娘の表情、背景は、先回の成人の日と併せて300枚ほど撮影した中でも、最高の出来だった。小さい頃は、色黒だった娘、親としては、それが悩みでもあったのだが、それが近年、写真屋でも言われたが、肌が白くて、色が飛んでしまう、私も、デジカメで撮影しながら、そう感じが、若干、色が飛んだ肌の娘、その背景に綺麗な緑の庭園、期待した綺麗な写真が撮影出来た。自宅に戻り、着替えが終わった娘と家内と私の3人で、焼き肉やに行き、少々遅くなったランチを、お腹一杯、食べた。
Feb 4, 2008
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デジカメをネットで注文し、2日後、我家に納入された。買う意味が、幾つか、ここ数日で発生したので、価格ドット.comで、色々と情報を入手して、評価ナンバーワンのデジカメを選んだ。「買う意味」の、一番、それは娘の晴着姿。自分で撮った写真が、どうも気に入らないのだ、シャープさが、購入当初から比べて、劣化していると感じたのだ。幸いにも、美容院の強い要望で、もう一度、撮影のチャンスを得たのだ、撮り直しの為に、最新の、しかも評価No.1が欲しくなった。また、娘の友人の多くがデジカメを持参していたのも、きっかけの1つだ。次の理由は、息子が来月、ヨーロッパに旅行に行くと聞いたからだ。私が以前薦めた冬のヨーロッパに12日間、なので、少しマシなカメラを持たせてやろう、そう思ったのだ。さらに、今春からの、息子の新しい旅立ち、就職をするのでは無いが、その新しい生活にも、デジカメがあれば役に立つかな、なので、デジカメが2台になっても、有効に使えるな、そう判断したのだ。また、価格.comの、とある書き込みにも同感した。カメラ本体の値段も大切でしょうが、そのカメラで撮影する写真、映像は、もっと大切だと思います。最新の機能満載のデジカメで、綺麗な思い出を残す、そういう面から、検討されるのも価値があると思います、というような内容の書き込み、確かに、その通りだ、と、すぐに購入を決めた。早速、試し撮りをしてみた・・・期待、そして評価通り! 買って良かった!
Jan 30, 2008
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正月休みに、作った携帯サイトが、ヤフーカテゴリーに登録された。2つ、立て続けにヤフーに登録されたが、それを友人に紹介したところ、それがきっかけで、BLOGやら、WEBについて、殆ど素人の、その友人に色々と教えることとなった。サイト作成の、テクニカルな基本を人に教えるのは初めてでは無いが、それにしても、知らぬうちに自分も、随分と、奥の深いトコロまで来たな、そんな感じがした。友人には、この「楽天」のように、気楽に、無料で、しかも簡単にスタート出来るBLOGを勧めたが、例えば、PC用のサイトを、一から作っていた数年前と今では、テクニカルな知識が、スキルが、随分と増えていて、とてもでは無いが、自分の持つノウハウを、一朝一夕に人に「教える」事など、不可能であることに気が付いた。利用している、無料、有料のソフトの解説、使い方だけでも、かなりの時間がかかるだろう。よくもまあ、ここまで、独力でやったものだ、そう思った。その友人からのヒントで、携帯サイトを、サクッと2つ作成した。とても、面白いアイデアで、彼ならではの経験、視野から出たモノだ。私が考え、作成し、ヤフーカテゴリーに登録された2つのサイトは、とてもマニアックなサイトで、だからこそ、隙間があり、登録されたと思うが、そういう意味合いで、アクセス数も、さほど伸びない、それは、最初から分かっていた。しかし、友人のアイデア、これは、もしヤフカテ登録となれば、かなり、面白いし、色々と期待が出来る。携帯サイトも合わせて、これから、その友人と、また刺激しあいながら、ヒントを交換しながら、楽しめるといいな、そう考えている。と、日記を書いていたら、友人からmailで、BLOGを開設したと・・・拝見すると、なかなかの出来、しかも、内容がタメに成る!もう少し充実したら、ココで紹介しよう、楽しみだ。
Jan 25, 2008
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