2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全15件 (15件中 1-15件目)
1
何ですかい?トラックバックされなきゃいけないんでしょか?あるいは、しなきゃいけませんか?管理人の責務でしたか?「トラックバックは まだ、一件も投稿されていません」だってさ、、、”まだ” とか ”も” とか、強調せんでもいいじゃん!ほっといてチョッ!と思っていたら、消せるんじゃん、これ(HAPPY)!
May 31, 2004
コメント(7)
昨日に引き続き ” ミ ス タ ー ・ レ ッ ド ” の話。105円で買った ”ネクタイ” や ” 靴 下 ” を自慢するその ” ミ ス タ ー ・ レ ッ ド ” は考えようによっては、(あくまで考えようにっては、と言う注釈付きである。)オ シ ャ レ さ んでは ある。しつこいようだが、 ”考えようによっては、、、”と言う事で、よろしくよろしく♪たしかに、彼のネクタイは 105円 だっ!でも、エライ事に20本くらいまとめ買いしたそうなのだ。ネクタイ 20本 と言うのは 普通の本数以下(これは僕の判断基準)だと思うが、昨今のビジネス・マンを見ているとどうも数本しか持っていないような感じじゃないかな? 一週間でワン・サイクルってのはちと寂しいでしょう?それから ”ミスター・レッド” はさらに、靴下もベルト(これも105円)も多量に購入したらしく「色のコーディネート」もちゃんと(一応、かな?)考えてはいる。ただ、ここで言いたいっ!入社したての新入りならともかく、 はたして ” い い 年 の お じ さ ま” が身につけるモノなのでしょうか?昔から、「 足 元 を 見 ら れ る 」 なんて言葉がありますがこれとて、 ” 足 元 以 外 は 完 璧 ! ” って前提があってのこと。たとえば ” 商 談 ” をする時にしても、 安物のスーツにアイロンのかかっていないシャツ、105円のネクタイ に 皮のバンドがボロボロになった腕時計に何日も履き続けているような靴に色違いのどう見てもビニールのベルト。初対面の時に、そんな相手を信用できますか?やはり、身だしなみは最低の礼儀ではないでしょうか?さて、ここからが本題です。長い前振りですみません。近頃、そんな若者が増えてきています。これはどうしたことなのでしょう? 誰 も 教 え て あ げ な い か ら ? そうなのでしょうか。今更、誰が教えてもきっと直らないと思います、そういう価値観がないのです。この日記をご覧の ” ご 同 輩 & 奥 様 ”あなた(あなたの旦那)はどうですか?最低の着こなしを心がけていますか?あなた(あなたの旦那)が良くても、子供がみてますよ、同じになりますよ。良いんですか? そのままで、、、、、たかだか ” ネクタイ ひとつ で大げさな ” と思わずにひとつひとつ考えて行動しましょう、子供が親に似るのは 遺伝もありますが後天的な理由も大きいと言えますよ。「色のバランス考えてますか?」「靴は磨いてますか?」「歳相応のものですか?」「ポリシーは持ってますか?」**最後に、、**文末にはふさわしくないのかもしれませんが、今日の日記とも重なることでもあり、この話でも十分に日記が書けますが、誰かと議論を戦わせるような気もないのであえてひっそりと書きますね。「 育 ち が 出 る 」 と言う言葉がありますが、今回、イラクで起きた不幸に巻き込まれてしまった 橋田幸子さんの受け答えに心打たれた方も多いかと思います。どうしてあんなに凛としていられるのだろう?そんなことをしている間にも飛んで行きたいはず、、誰よりも悲しいはずなのに。きっと彼女を育てた彼女の両親も素晴らしい方なのでしょうね。もちろん亡くなった橋田信介さんも人格者だったに違いありません。そう言った事からも 残念でなりません、 ご冥福をお祈りいたします。
May 30, 2004
コメント(5)
ウチの会社の女子社員から ”ミスター・レッド” と呼ばれる出入り業者の ”おじさん” がいる。”おじさん” と書いてしまったが、実は僕より年下だ(苦笑)つまり、世間一般じゃぁ僕もリッパな ”おじさん” ってわけだ。その ”ミスター・レッド” はちょっと前から、”100均”にはまっている。今は”105均ショップ” と言うのが正しいのかな?3月のある日の事、女子社員に向かって「これ、 100均ショップで買ったんよ、 とても100円には見えないでしょう。」と自慢げに締めているネクタイを指差していた。「たしかに100円には見えないが、1000円以上にも見えない。」と声にならない呟きを飲み込んだ僕。「すっご~~~い、○○さん 10,000円以上のブランドのネクタイしてても全然高く見えない人の方が多いですもんね。」とR絵、、「それ、フォローになってないじゃん! って言うか K常務の事か、そりゃ?」とマイつぶやき。それ以来、”ミスター・レッド” は、、、、、すみません、そのころ彼は”100均 おじさん”と呼ばれてました。「それではそのまま過ぎて可哀相」だと T子が100円=one handred yenの REDから ミスター・レッドと命名したのだ!そう、それ以来、来る度に 新しく買った 100円のいや、 ”105円のネクタイ” の自慢を始めるのであった、、、、、ところが、昨日、意外な攻撃に撃沈!「この靴下、100円に見えないでしょ!」確かに、、、、僕もちょっと欲しくなるような、ギリギリ・ビジネス・ライク な オチャメな靴下。 く や すぅぅぅぅいっ!
May 29, 2004
コメント(2)
みなさんはTバックパンツって持ってますか?わたくし、実は愛好家なんすよ。お休みの日は「必ず着用している」と言っても過言ではありません。そのTバックパンツも少々くたびれてきたのでそろそろ買い替え時期のようです。ひさびさにメーカーのHP B・V・D を覗いて見ました。で、面白いもの発見! Vバックって、、はいたまま○○○が出来そう(爆) トレーニングするときやジョギングする時って汗かくでしょ、普通のトランクスやボクサーパンツではオシリにくっついて気持ちが悪い、その点Tバックは、、、、、ってな理由でした、ちゃんちゃん♪
May 27, 2004
コメント(6)
今日の一言”言わぬは言うにまさる” 言葉に出して言うより何も言わない方が心の中の思いを強く表現する。深い思いは言葉では言い表せないものだ。
May 23, 2004
コメント(2)
本日の晩刊、本日創刊!簡単に言えば、今日の新聞から一つ二つネタを拾って日記をUPしようと言うセコイ企画モノです。朝刊でも夕刊でもなく「晩刊」不定期更新ですがご勘弁を、、「今日のお題」以前、テコンドー協会の分裂によって岡本依子さんのことについて「協会やJOCも本人の気持ちを考えて!」って書いたけど、今日はすこし違った見方を紹介しよう。先日、体育協会の重鎮の方と話をする機会がありました。その方が今回の問題についてとても憤慨しておりました。要点を述べますと、、たとえば女子バレー、アテネオリンピックの出場権を獲得しましたが予選に出ていた選手がオリンピックの舞台に立てるとは限りません。柔道にしても重量挙げにしても、予選で 「枠」 を獲得した功労者でも出られないことがあるんです。そんな中、テコンドー協会(?)の分裂と言う"非常事態 + 世論の後押し"によって岡本選手はオリンピック代表に決まってしまいました。”予選をやるべきだった”が氏の持論です。僕自身は彼女が権利を取ってきたのだから、今回の事はこれで良かったのでは?と思いますが、たしかに他の競技の代表選考にくらべて公正を欠いたことは間違いないことではあります。このように、「一つの出来事にはいろいろな視点があってしかるべきだ!」という事を 「晩刊」 ではお伝えしようと思います。それから、「女性セブン」の広告、、”聖子42 本当に買っていたあのCMマンション”だってさ、、CMに出ていても絶対に使っていなそうな”シャンプー”のCMや加入してなさそうな ”○○保険”のCMに出ているタレントに比べてなんと気持ちの良い事か、、、うがった見方をすれば、「CM出演料が現物払い?」 って事も、、、、(笑)最後に、敬愛していた、金田一春彦先生とE・ジョーンズ氏のご冥福をお祈りいたします。合掌
May 20, 2004
コメント(4)
とある方のHPを見ていて、ふと気になった事があってちょっと調べてみました。それは、、、ほら、”みつばち”って身近なところにいますよねぇ、、あなたの近くにも。僕のちかくにも、、ってことはですよ、、、どこかに巣がアルわけですね。でも見たことありませんよね。まさか、すべてが養蜂用のみつばちではないはず、、、でも解決しました。ニホンミツバチすごいことになっているもんだ。
May 19, 2004
コメント(3)
ってそんなにすごいんですか?「バックします、50円ください」って喋るトラックのこととはちゃいますね、あ゛あ゛ ちゃかしてごめんなさい。説明よんでも意味不明!「世界とつながります!」ってことは今まで繋がってなかったのか?あ゛あ゛ 揚げ足とってごめんなさい。そんなにスゴイですか?どれくらいスゴイのか誰かスッキリ・ハッキリ・ぽっくり(?)教えてください。。。。。あ゛あ゛ やっぱり教えてくれなくていいでする。もっとこまめなサービスっつうんですか?地道なサービスに目を向けたほうがみんなが喜ぶと思うんですけど、、、、どうでしょう?
May 17, 2004
コメント(1)
今日は、あるところで行われた行事のお手伝いに行きました。いろいろな軽スポーツの複合大会みたいなもので、参加者も子供から年配の方までいろいろ。しかし、本当にお粗末な人もいるもので開会式が始まっても私語に興じる者、携帯のメールをする者、整列せずに自分勝手な事をしている者、、、、。そのほとんどが大人なのです。最近はどこに行っても同じような光景に遭遇します。我々ボランティアは楽しんで帰ってもらえるように努めるのも仕事なのでうかつに注意も出来ません。しっかし なさけない、、、先日、近くのお寺さんの入り口に張られていた”名言”を紹介しよう。 ”本日の一言” 「子供は親の言う通りには育ちません。 親のしているとおりに育ちます。」 間違いナイっ!
May 16, 2004
コメント(3)
僕は子供の頃 “不思議な感覚” を持っていた。たとえば、地震が起こる日は朝から胸騒ぎがして 「今日地震が起こるよ」 と言って親を驚かせたり、近所の火事も予言した。 親からは 「人には言っちゃダメよ」 と言われていたのでよほど親しい人にしか知られていなかったがそんな “不思議な感覚” も中学生の頃には無くなり “ただの人” になっていた。はずだった、、ところが、高校3年の夏のとても暑い日 おじいさんが死んだ。 学校にいた僕はその瞬間おじいさんの声を聞いた、 「ああ、逝ってしまったのだな。」 と思った、後からまさしくその時間に亡くなったと聞いた。それからしばらくしておじいさんが夢に出てきた、 おじさんは 「おまえに頼みたい事があるんだが、」 としゃべり始めた。 「実はわしが使っていたタンスの右上の引き出しなぁ、あれを取り出すと中に通帳と印鑑がはいっているんだが一つはお前名義の通帳だ、お前の好きにするがいい。 あとは義男(僕のオジ)に渡してくれないか。」 と、確かにその引き出しの奥に通帳はあった。不思議なことではるが、僕は今でもこう思っている。 たぶん、僕が幼少の頃、おじいさんは 「何かあったときはここの引き出しの奥に通帳が入れているからな。」 というような事をすでに聞かされていたんじゃないか?と。 ちょうど49日の法要の頃だったからそんな夢を見たのだと思う。その頃に “不思議な感覚” 形を変えて戻ってきた。 前のように地震予知は出来ないのだが、 “突然鳥肌が立ち、誰かに見られている感覚” に襲われる事が始まった。 きっと “得体の知れないモノ” がそこにいるからかもしれないと思いあたるのに時間は掛からなかった。 でも、そんな感覚に囚われる事はめったにない。 年に一回あるかないかの事だが場所なんてお構いナシだ、 家の中にいても 「来たっ!」 って感じることもある。 でもそのことを人に教えたりはしない、 その感覚が分からない人には説明のしようがないばかりか面白おかしく話してヘンなことになったら困る、結構小心者なんだろう。だから いつだって “霊体験” を語る前述の彼女達にも何も言わずただ聞いているだけだった。 階段を上りながら、ぼくは怖くて後ろを見られなかった。 “いつまでたっても鳥肌が立ったままだ” という事は “憑いてきているのか?” 玲子も真っ青な顔で黙ったまま今まで以上に腕にしがみついてきた。広美の店に入っても僕たちは普通に喋れなかった、カウンターの下では手を繋いだままだった。手を離すと怖いことが起こりそうで仕方なかった。 広美には悪いが限界だった、 まだ鳥肌は収まらない、背後の気配は消えない。 玲子が 「気分が悪くなったから帰るね」 と言い5分足らずで店を出た。 手を離す事が出来なかった僕たちはとても不自然な格好で支払いを済ませ広美の見送りで店を出た。 今、思えばエレベーターが開いた時に引き返せば良かったのかもしれない、またあのホールを通って帰らなければならないのだ、意を決した僕は聞いた 「何か感じるの?」 すると玲子が 「女の人がいるの、そこに」 僕の顔を見たまま広美の店の方を指差した。僕は玲子の肩を抱きながら階段をゆっくりゆっくり下りた、自分の足元しか見られなかった、階段の踊り場を曲がるたびに上階と下階が気になった、誰かが立っているような気がして、、広美の店のあるテナントビルを出ても 鳥肌はおさまらなかった。 玲子はまた黙ったままだった。 僕たちは街をあてなく歩いた “得体の知れないモノ” から逃れようとして、、、、、でもまだ憑いて来ている様だ、“このままでは家に帰れないし、ましてや玲子を一人にすることは絶対に出来ない。” そう思った。 しばらくして僕たちは駅前のホテルにたどり着いた。 なにも言わずにホテルに入り、チェックインした、 たぶんここでもヘンな客に思われただろう。 部屋に転がり込んですぐにベッドに潜り込んだ。 僕らは息をこらして抱き合った。抱きしめることで僕は玲子をとられない様に守ろうとし、玲子は僕にしがみつく事で恐怖に堪えていたのだろう。不思議な事に、 “得体のしれないモノ” は部屋に入ってくる様子がなかった、ただ気配は感じるからたぶんドアの向こうに居るに違いないのだが、すこしだけ落ち着くことが出来た。 しばらくすると玲子が 「服がシワになっちゃう」 と言ったからぼくは少し笑った。 つられて玲子も笑った。途中で繋ぐ手を変えながら玲子はワンピースを脱いだ。 私だけじゃイヤだと言う玲子が僕の Tシャツを脱がした。 また手を繋ぎかえながら、、、ベッドに潜り込んだあと玲子が喋り始めた、 子供を産んでから “何かが見られる様になった” という亊、でも “誰にも言っていない” って事、 出来れば “事実じゃないと思いたかった” って事 僕も おじいさんの事や 「見られないけれど何かを感じることがアル」 と言った、すると玲子は 「そういえばヒロって地震を予知してたね」 ってまた少し笑った。 僕らはベッドの中で空が白んでくるまでくだらない話で気を紛らわせていた。気がつくと玲子が寝息を立てていた、その時 鳥肌が消えているのに気付いた。いつの間にか僕も眠っていた。どれくらい寝ていたのだろう?目が覚めると 玲子が居ない。 僕は飛び起きて 「玲子」 と叫んだ。だけど 夢だった、、、、、あの不思議な出来事から1年近くたっているのにいまだに あの日の夢を見る。最後に玲子がいなくなる夢だ。 実際にはそんなことはなかったのだが、、、あの日、すっかり明るくなってから僕たちはホテルを出た、 「ゆうべの事は一体 何だったのだろうか?」 と思ったがお互いにそのことには触れなかった、 “そのことを口にした瞬間また悪夢が蘇りそうで触れられなかった” というのが本音だろう。 玲子をタクシーで家の近くまで送り、再び戻った人気のない街を歩いて帰った。その日の午後 広美から電話があった、 あの日の僕たちがあまりに変だったので教えたばかりの携帯電話に何度も掛けたらしい。 「呼び出しはしてたのに出なかったね、どうしてたの?」 って言われても携帯は鳴らなかったし着信履歴さえもない、玲子の携帯も同じだったそうだ。 「心配させてごめんね」 とは言ったもののあの日の事は今でも言えない。 あれから、玲子にも広美にも逢っていない。 もちろん広美の店にも、、、、、、。
May 15, 2004
コメント(4)
世の中には “得体のしれないモノ” が見える人がいるらしい。“らしい” という表現を使うという亊自体「僕には見えない」 って言っているようなものだが見えないものはやはり見えない。ところが、僕の友人にも 「見える!」 と言い張る人が2人もいる。そう、 “2人も、” である。 みなさんの周りにはいるのだろうか? そんな方が。友達の2人が “見える人” なのだ、これは平均値よりもかなり高いなのではないかと思うのだが、どうなのだろう?そのうちの一人に言わせれば、 “得体の知れないモノ” には見た目の種類が2通りあるらしい。まず、 “私だけが見えるモノ” と “みんなにも見えるけれど、私だけその正体が分かるモノ” があるらしい、、、、“私だけに見えるモノ” っていうのは結構存在するらしく、「今、こうしていても貴男のとなりに白い服を来た女の人が、、、」 と平気な顔をして言う。でもなんで、そういうモノはいつも白い服なのだろう? そして近代の人(?)の格好なのだろう?一人くらいは 「弥生時代の人の亡霊を見た!」 って人がいてもいいと思うのだが聞いたためしがない。有名な古戦場にでも連れて行ってみたいものである。それから “みんなにも見えるけれど、正体が私だけに分かるモノ” って言うのはめったに逢わないらしいが僕らの目には普通の人に映るらしい、、、以前、TVでそんな話を聞いた事があるから受け売りなのかも?ある日の事、僕は彼女に提案してみた 「一緒にいて見つけたら教えてね」 とね、、、、手っ取り早いところで近所の墓地に行きました。彼女曰く 「あの、背の高い墓石の右側とあそこの木の下に2人いるよ。」やはり僕には見えませんでしたし何も感じませんでした。そんな彼女に聞いた事がある。 「そんなに見えて怖くないの?」 ってね。考えてもみてよ、車を運転していて道路端に血まみれの女性が立っていたり、病院中を歩いているモノ(?)がいっぱい見えたりしたら平気ではいられないでしょ、 もしも僕が “得体の知れないモノ” が見る事ができたらどうだろう。誰かに言うのだろうか? そう考えた時にふと思った。彼女たちはひょっとすると “誰かに言う事で自分の恐怖感をやわらげているのかもしれない”ただ、どうしても 自分の目で見られないモノはいくら彼女が 「見える。」 と言っても“「見える」。と言う彼女” が信じられないよね、とはいえ、 “得体の知れないモノ” を否定しているのではない。 つまりは “得体の知れないモノを見られる” と言う人を否定していたんだ。そう、あの日までの僕は、、、、、、僕たちは高校のクラス会の2次会に参加していた、 このクラス会は5年目になる。その5年前のこと同級生のSが突然死した。朝、彼を起こしに行った奥さんが見つけたときにはすでに亡くなっていたらしい。 その葬儀に駆けつけた仲間で彼をしのんで飲んだ、それ以来、彼の亡くなった月に集るようになり、今年は今まで以上に参加者が多く、二次会も盛り上がっていた。今年は、そのなかに玲子がいた。玲子は数軒隣に住んでいた時期があり、高校はおろか中学も小学校も幼稚園、保育園さえも一緒だった。さらに言えば、彼女の母親はちょっと身体の弱い方だったらしく 僕の母が母乳を与えたこともあると聞いた。つまりは “同じカマの飯をくった仲(笑)” である。玲子の家族は随分前に引っ越して行った、玲子に会うのもたぶん10年以上振りだろう、変わってしまった部分に時の流れを感じつつも、変わらない部分に、 “ほっ” としたりした。変って欲しかったけど変わってなかった部分もあるわけで、、、、そう、2次会が始まってから玲子はそこがまるで自分の席であるかのごとく僕の隣にあたりまえのように座っていた。そして突然 回りには聞こえない声で 「ねぇ、ヒロミって憶えてる?」 と言った。「ヒロミってあの広美?」 玲子と僕にとって共通の知り合いの “広美” は一人しか居ない。僕は広美のことを思い出すと今でも胸が締め付けられる思いがある。彼女は玲子の従姉妹で中学1年生の時に転校して行ったがそれまでは三人でよく遊んだものだ。その引越しの前日、 「もう逢えないね」 と言う彼女に「せいせいするよ」 と言ってしまった事だ、もちろん本心ではなかった。女の子を泣かせたのはあのときが最初だったのかもしれない、感情を素直に出すことが出来なかっただけで、本当は悲しかった。 ひょっとするとその点は未だに成長していないのかもしれない。「そう従姉妹の広美よ、彼女旦那さんとBARを始めたの、ここから近いのよ。このあと2人で行くからね。」と言った。ああ、この女は幾つになっても変わらない。玲子はある意味 僕の天敵。事の発端は幼稚園児時代に遡るがぼくはそのころ 「玲子ちゃんだ~いすき」 が挨拶代わりだったらしい。 らしいというのはつまり “憶えていない” って事なのだが、玲子は 「憶えている」 と言う。僕が思うに、僕の両親も彼女の両親も事あるごとにそのことを笑い話のネタにしていた。それを憶えているだけだと思うのだが、“事実は事実今更まげようがない” どうやらその事が玲子に優越感をあたえてしまったらしいのだ。大きくなるにつれ、なにかと世話の焼ける女になっていったがまんざらでもない僕がいたこともまた事実である。二次会が終わり、 「次の店に行こう」 と言う段になって玲子は “待っていました!” とばかりに 「このあとヒロとデートなの、ごめんね♪」 と言った。「わたし(僕)も行く」 と言った同級生に向かって 「20年ぶりのデートを邪魔するつもりなの?」 と冷たく言い放った。これでまた “玲子マニア“ から睨まれてしまう、、、、だいたい今回、男の参加者が多いのは、あんた目当てだって事気付けよっ!成人式の時もそうだった、 僕の街ではその頃の成人式は生まれ年で区切りをしていた。つまり4月生まれの玲子と1月生まれの僕は一緒の成人式には出られないはずだった。ところが玲子は 「そんなのバレはしない、私は晴れ着を着たいから朝美容院へ連れていって欲しいしその後 おばあちゃんのおウチにも連れて行って欲しいから一緒に行こう。」 結局玲子に押し切られた僕は彼女の付き添いで成人式でも “玲子マニア” から冷たい目でみられたものだ。そうそう、彼女の真っ赤なゴルフはウインカーを出そうとするたびにワイパーが 「ちゃう、ちゃう」 しやがった。未だに外車に乗ると思い出す赤っ恥だ!名残惜しげな同級生に 玲子は 「ばいば~い♪」 と手を振りながらまたまたあてつけるかのごとく僕の腕をしっかりと腕を巻きつけて来た。“来年のクラス会は針のむしろやな” と思った。 玲子本人が来ればそんなことにはならないが 来年玲子はたぶん来ない、いや、きっと来ない、それどころかこの女は “そんな状況も私の手のひらの上!” とでも言いたげに 「どうだった?」 と笑いながら聞いてくるに違いない、そんなヤツだ!広美のBARは歩いて10分くらいのところにあった、 その間、僕たちは腕をくんだままだった。歩きながら玲子は 「ねぇ、広美はヒロのことが好きだったの知ってた?」いたずらっ子のような大きな目で僕に聞いた。「ん?」 返事しない僕に「でもね、広美はヒロが私のことが好きだと思い込んでて言えなかったんだって。おしかったね」何が惜しいのだろう、、、、僕たちは広美との思い出を語りながらもうすぐ実現する再会に胸躍らせていた。広美のBARはテナントビルの5階だった、入り口奥のエレベーターまでホールを歩きながら広美に会うのはあの日以来だ、あの日のことをあやまらなきゃいけないかな。でも憶えていなければ謝るのもシャクにさわる。 ましてや、玲子が隣にいる現状では、、、、、そんな事を考えていた。エレベーターのドアが開いた瞬間、玲子が 「あっ」 と叫んだ その叫び声と同時に 全身に鳥肌がたった。そして2人同時に 「階段で行こう」 と言ったが無人のエレベーターから目をそらすことが出来なかった。
May 14, 2004
コメント(0)
聞くか?そんなこと。売れてないからでしょ、、、それしかナイでしょうドラフト・ワン。僕の友人、数字の ”3”が大好き!なんでか理由は聞いたが忘れた。と言うか憶える気もなかったからなぁ、、、、その友人が車を買い換えた。何年か前から車のナンバーをお金で買えるようになった。当然ながら彼も、、、、、でも、 ○○ 332 ○ ・ 333 ってのはなぁ、、、、
May 13, 2004
コメント(1)
女子バレー、アテネへ行けると良いですね。僕自身はバレーに興味がないのでこれ以上書けるネタはありませんが「吉原さん」でしたっけ?いい顔してますよね、”勝負師の顔”です。ちょこっと見ただけですが今日試合に出ていた選手はみんな”いい顔”してましたね。
May 12, 2004
コメント(0)
いろいろリセットしたいことがありまして、、、いえ、一つ一つはたいした事ないんですけどね。たとえば、ライブを終えた達成感の裏側にある虚脱感とか、思いどおりに進まなかった仕事やプライベートのあれこれ。たまたまたくさん抱えていたんです。今朝の事です、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」 のサイトを見ました。「最近FM等でバンバン宣伝してるあれか?」と思いながら中をみてみると、、、世間ではとっても?流行っているらしい(笑)「映画を観にこうかな?」とも思ったが、年齢とともに涙もろくなている昨今(爆)「人前で泣いちゃうと、やっぱカッチョ悪いジャン」ってな訳でいそいそと原作本を買いに行きました。イッキに読んじゃいましたし、三回も涙しちゃいました。”泣いた”って程は泣いていませんがおかげでモヤモヤもスッキリしました♪いや~~~~行かなくて良かった映画館! アベックだらけだったそうだ。危ねぇ危ねぇ、、、ふぅ
May 8, 2004
コメント(4)
そう言えば「花は何処へ行った」ってな英語の曲を授業で歌った記憶がありませんか?さあ、皆さんご一緒に、、♪ほえり~~~~ずぅ ふらわぁずご~~~~~~~~~ん♪ご唱和ありがとうございました。なんてね、朝、日記を更新したのにどこかに行ってしまったようだ、たいした内容(量、質とも)ではないのでどうでも良いのだけど、もう一回書くのは面倒だなぁ、、本日から、毎年恒例のライブツアーに出ます。一泊2日なんすけどね、年に二回のお楽しみ(苦しみ)です。**演奏予定曲**「M」「明日への扉」「いつでも夢を」「東京ブギウギ」「ワンダフル・ライフ」「さとうきび畑」「春よ、来い」「あの日に帰りたい」「恋のバカンス」「花」「魔法使いゲゲゲの暴れん坊3世」(インスト)
May 3, 2004
コメント(2)
全15件 (15件中 1-15件目)
1


