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Jun 23, 2017
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カテゴリ: カテゴリ未分類
本当に悲しくて。。。

ずっと、なんとか助かって欲しいと願ってたのに。。。

ニュースが流れ。。。ああ・・・と

本当に、外見も、心も、これ以上ないほど、美しい人でした。。。

誰からも愛され、誰もを愛すことができる。。。

こんな人を、他に見たことがありません。。。

悪く言う人もいないし、本当に誰からも愛され、苦しく、悲しかっただろう闘病生活まで、幸せそうに見えました。。。


誰からも嫌われて、ずっと独りの私なんかが、生き残って。。。

なんで、誰からも愛される人ばかり、早く星になってしまうのだろう。。。



独りでたくさん泣いたのではないですかね。。。でも、最後まで、家族に、友人に、周りの人々に幸せと愛を振り撒いて。。。

本当に、美しく、強い人でした

御冥福を、お祈りいたします。




小林麻央さん「もし病気、試練を乗り越えられたら…」切なる願いはかなわず

小林麻央さん(撮影日:2010年3月11日)

 乳がんで闘病中だったフリーアナウンサー、小林麻央(こばやし・まお、本名・堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日、死去した。34歳。麻央さんは2014年10月に夫で歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)と受診した人間ドックで乳がんが発覚。昨年6月に海老蔵が進行性の乳がんであることを公表していた。

 「役者・市川海老蔵をパートナーとして支えられるチャンスを神様くださいって、いつも思うんですね」

 涙ながらに打ち明けた切なる願いはかなわなかった。今年1月9日に放送された日本テレビ系特番「市川海老蔵に、ござりまする。」で、麻央さんは昨年6月にがん公表後、初のテレビ出演。闘病と夫への思いを肉声で初告白したが、深刻な病魔が体をむしばんでいた。

 14年10月に乳がんが判明し、闘病1年が経過した時期にかわした夫婦の会話に2人の愛があふれていた。

 麻央さん「これ以上迷惑をかけられない」

 海老蔵「1年がなんだよ。ずっと支え合うんだよ」

 海老蔵のこの言葉に励まされたという。「病気になる前は理解できなかった主人の考え方や心の持ち方を、想像できるようになった。病気をして得たものの1つかな」と、絶望の中でも明るさは失っていなかった。



 「主人と結婚したからこそ、こうして生きていられる。そうじゃないと心が死んじゃっていたかもしれない」と感謝を込めて、7分のインタビューを締めくくっていた。
 闘病のかたわら、15年11月には長男、勸玄(かんげん)くん(4)の初お目見えとなった東京・歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭」に帯同し、病院から通って愛息をサポート。誰にも弱音を見せず、25日間に及ぶ初お目見え興行を乗り切った。

 長女の麗禾(れいか)ちゃん(5)を含め子育てにも追われながら、海老蔵の妻として名門・市川宗家を支えてきた。

 “梨園の妻”として麻央さんは波瀾(はらん)万丈の人生を送った。結婚した10年11月に、海老蔵が重傷を負う暴行事件が発生。当時、麗禾ちゃんを身ごもりながら夫の騒動をわびる一方、病院に泊まり込み、懸命に看病した。

 13年2月には義父、市川團十郎さんが死去。勸玄くんの出産が翌月に迫る中、悲しみに暮れる海老蔵に寄り添い、無事に跡取りも誕生させた。夫とともに多くの苦難を乗り越えてきた麻央さん。日本中が奇跡の回復を願う中、大きな足跡を残して天国へ旅立った。

海老蔵が涙の会見、麻央さんは「『愛してる』と言って旅立ちました」




 乳がんで闘病中だったフリーアナウンサー、小林麻央(こばやし・まお、本名・堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日、死去した。34歳だった。

 夫で歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)は23日、東京・渋谷で予定されていた自主公演「ABKAI2017~石川五右衛門 外伝~」の1回目の公演を予定通り、正午から気丈に務め上げた後、公演を行った劇場で午後2時半過ぎに記者会見を開き「昨日夜に妻、麻央が旅立ちました」と、麻央さんの死去を自らの口で涙ながらに報告した。

 海老蔵は「私は昨日(22日)も舞台でございまして、それまで麻耶さんと麻央のお母さんでずっと看病をしていました。私は舞台が終わったあとに別の撮影がございまして、その後にロビーで別の稽古がございました。そのときにお母さまからLINEが来てたんですけども、見ることができませんでした。約1時間半ほど遅れて見た内容が『(麻央さんの)具合が悪い。お医者さまも来ていて、家族を呼んだほうがいいと』」というような内容でございまして、私も慌てて急いで家に帰ったわけです」と前日を振り返った。

 自宅に戻ったという海老蔵は「まだ麻央はこの世にいてくれて。たまたま私がちょうど妻の前に座って、呼吸が苦しそうだったので…。おとといまではしゃべれたんですけど、昨日はちょっとずっとしゃべれずにいたので、これは本当に不思議な話ですけれども、息を引き取る瞬間を私は見てました。そのとき、『愛してる』と言って…。彼女がその一言を言って、そのまま旅立ちました」と話し、涙を流した。さらに「何と言うんでしょうか。愛されていたのはよく分かっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに…」と言葉を詰まらせた。

 自宅で麻央を看取ったことには、「お母さまもお父さまも、私もお兄さまも麻耶さんも、子どもたちもずっとそばにいられたので、すごく良かったなと。私は父を病院で亡くしてるので、病院のときとでは違い、家族の中で家族とともに一緒にいられた時間というのは、本当にかけがえなのない時間を過ごせたと思います」と話した。

 海老蔵はこの日午後5時から、「ABKAI2017~石川五右衛門 外伝~」の2回目の公演が予定されている。

小林麻央さん「子供たちにとって強い母でありたいから」 ブログで振り返る闘病生活

小林麻央さん(撮影日:2010年8月7日)

 乳がんで闘病中だったフリーアナウンサー、小林麻央(こばやし・まお、本名堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日、死去した。34歳だった。

 麻央さんは2014年10月に夫で歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)と受診した人間ドックで乳がんが発覚。昨年6月に海老蔵が進行性の乳がんであることを公表していた。同9月には公式ブログを開設。闘病生活を赤裸々に語り、大きな反響を呼んでいた。

 麻央さんは昨年9月1日、公式ブログ「KOKORO.」を新たに開設した。「子供たちにとって強い母でありたいから」とがんの陰に隠れず生きることを決意。ブログでメッセージを発信するのは6年半ぶりで、病気に悩む母親たちにも寄り添うなど、200万人以上の読者を生んだ。麻央さんがブログに込めた思いを振り返る。

 ◆2016年9月1日 旧ブログを更新した2010年3月15日以来、約6年半ぶりに新ブログを開設 「力強く人生を歩んだ女性でありたいから 子供たちにとって強い母でありたいから ブログという手段で陰に隠れているそんな自分とお別れしようと…」

 ◆9月2日 金髪のかつら姿を公開。「私としては!!き、き、きんぱつー!?と驚いて欲しかったのですが、きっと皆、私の気持ちを盛り上げようとしてくれていたのでしょう」と家族の気遣いに感謝。ただ、金髪ウィッグは「私にとっては挑戦すぎるので辞めました」

 ◆9月20日 肺や骨などにもがんが転移している事実を公表

 ◆10月1日 病と闘う上でストレスを軽減するなど、生活の質を保つ目的で手術を受けたことを報告。「一時は、胸や脇の状況が深刻になってしまったため、手術さえも選択にありませんでした。手術したからといって、肺や骨にがんは残っており、痛みもあるので、これからが闘いです」

 ◆10月3日 がんが進行度合を示すステージ0~4で、最も進行した段階「ステージ4」であることを報告。「私はステージ4だって治したいです!!!5年後も10年後も生きたいのだーっ あわよくば30年! いや、40年! 50年は求めませんから」

 ◆10月8日 乳がん、卵巣がん症候群の遺伝子検査の結果が陰性だったことを報告。乳がんを経験した実母を思い、「母は、ずっと胸の内で『私のせいではないか』と自分を責めていました。私は、娘のことも、とても心配で私のせいで将来もし、、、と苦しい気持ちになりました」

 ◆10月10日 長女、麗禾ちゃん(5)と長男、勸玄くん(4)が通う幼稚園の運動会に参加したことを報告。「娘も息子も、思いっきり楽しんで参加していて、本当に嬉しかった。幼稚園のママとの再会には涙があふれてしまいました」

 ◆10月14日 帯状疱疹(ほうしん)になったことを報告。「思いもよらず驚きました。思いこみは怖いです。病院で診てもらうことは大切ですね。早めに分かり、安心しました」

 ◆11月23日 英国の公共放送BBCが選ぶ世界の人々に感動や影響を与えた「今年の100人の女性」の1人に日本人として初めて選出。「私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生です」

 ◆12月20日 体力回復に向けて入院 「入院しようと何度か言われても『負けてたまるかー』と謎のひとり勝負を続け、そして今になり、あっけなく入院。頑固。自分を思い知らされることばかりです」

 ◆2017年1月29日 退院を報告 「今回の入院は底まで行って、考え、弱気になりました。暗くなりました。ブログを書くことで奮い立っていました」

 ◆4月22日 再入院を発表 「家で回復させたかったのですが、今は、自分の力では難しいので、医療の恩恵を受けて、元気になりたいと思います」

 ◆5月5日 約2週間ぶりに2人の子供と面会 「今日はこどもの日なので、『会おうね』と約束して会えるスペースで約2週間ぶりに会いました」

 ◆5月26日 顎にがんが転移をしたことを公表

 ◆5月29日 退院を報告 「退院前は、これから家族へかけてしまう負担が怖く、退院が近づくたび不安でしたが、やはり我が家は最高の場所です」

 ◆6月9日 海老蔵が1年前に自身の病状を公表したことに触れ、主人が会見をしてくれて「家族皆の気持ちが落ち着いていったのを今でも思い出します」

 ◆6月20日午前6時15分 「オレンジジュース」と題し、「ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます 正確には、自分では絞る力がないので、母が起きてきて、絞ってくれるのを心待ちにしています。今、口内炎の痛さより、オレンジの甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!」などと報告。これが最後のブログとなった。




【麻央さん死去一問一答】海老蔵「私が先に逝って、彼女にはもっと幸せに…」

妻の小林麻央の死去について会見で話し、途中両手で目頭を押さえる市川海老蔵=東京都渋谷区(撮影・早坂洋祐)


 乳がんで闘病中だったフリーアナウンサー、小林麻央(こばやし・まお、本名・堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日、死去した。34歳だった。

 夫で歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)は23日、東京・渋谷で予定されていた自主公演「ABKAI2017~石川五右衛門 外伝~」の1回目の公演を予定通り、正午から気丈に務め上げた後、公演を行った劇場で午後2時半過ぎに記者会見を開き、「昨日夜に妻、麻央が旅立ちました」と、麻央さんの死去を自らの口で涙ながらに報告した。

 以下、海老蔵の一問一答。

 ――麻央さんの存在は

 「できればずっと一緒にいて、私の方が先に逝って、彼女にはもっと幸せに、もっと楽しく…。家族やお友達や、麻耶さんやお母さまやお父さま、そして私が役者として成長していく過程をずっと見守ってもらいたかった存在です」

 ――子どもの様子は

 「(長女の)麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。彼女の横でずっと寝ると言って寝てました。(麻央さんの死を)認識はしてると思いますね。(長男の)勧玄は分かっているんですけど、まだ分かっていないところもあって。今日の朝も麻央の横になってるところに、2人が麻央の顔を触ったり、足をさすったり…。そういうところを見ると、私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないもの、子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました」

 ――麻央さんから学んだこと感じたこと

 「元気になったら、彼女は自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、多くの人の救いになるような存在になりたいと、一生懸命闘病しました。それでブログというものも始めたんです。同じ病の人たちや苦しんでる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、私からすると人ではないというか、すごい人だなっていうか。言い方おかしいですけど…。総合的に教わったこと、今後も教わり続けることは『愛』なんだと思いますね」

 ――今、麻央さんの浮かんでくる表情は

 「全部ですね。初めて会ったときの彼女から、今日の朝まで全部です」

 ――麻央さんの子どもへの思いは

 「心残りだと思います。2人のことについて、どうすればいいんだろうって考えても答えが出なかったものだと思います。ですから、今回も子どもたちが出演したり…。そういうのを見に来ることを一つの目標として、いろんなものを作ったんですけど…。でも、きっと見てると思うので。心配で心配でしょうがないじゃないでしょうか」

 ――麻央さんから託されたことは

 「多すぎて言葉に出せないですよね。これからも舞台やって…。麗禾の成長のことも考えますし…。5歳と4歳ですから、これからお母さんっていう存在が非常に重要な存在な訳で。それを失った。僕は代わりにはなれないですけど、できる限りのことをやっていくように、と思ってます」

 ――麻央さんのよく言っていた言葉で印象的なもの

 「言葉というか、(麻央さんの姉の)麻耶さんが調子悪くなったとき、私が舞台で非常に疲れたときも、彼女自身はもっと重い病にかかっている、お母さまが看病で疲れているときも、麻央のほうがもちろん大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ。言葉ということではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち。これが一番多かったですね」

 ――改めて麻央さんに言いたいことは

 「まだね、昨日の今日なので、こういうところも聞いてると思うので。言うことは、言わなくても伝わると思うんで」





麻央さんの姉、小林麻耶 看病と心労でダウンしたことも「妹のそばにいたいと思った」

小林麻耶(左)と小林麻央さん(撮影日:2014年10月16日)


 乳がんで闘病中だったフリーアナウンサー、小林麻央(こばやし・まお、本名・堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日、死去した。34歳だった。麻央さんは2014年10月に夫で歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)と受診した人間ドックで乳がんが発覚。昨年6月に海老蔵が進行性の乳がんであることを公表していた。

 麻央さんの姉でフリーアナウンサー、小林麻耶(37)は、献身的な看病を続けてきた。最近は麻央さんと同居。在宅治療に切り替えた麻央さんを支えるとともに、麻央さんの長女、麗禾ちゃん(5)と長男、勸玄くん(4)の母親代わりを務めていた。

 麻耶は過労による体調不良や心労が重なり、昨年5月19日のフジテレビ系「バイキング」(月~金曜前11・55)の生放送中に体調を崩し、病院へ救急搬送。当時はレギュラー番組5本を抱える中、妹夫婦の自宅に通い、朝食を作ったり、2人の子供の世話をしていた。

 麻耶はその後、休養を取り、今年4月3日放送のフジテレビ系「バイキング」(月~金曜前11・55)にVTR出演して11カ月ぶりに“復帰”。ダウンした時期は麻央さんを支えようと仕事を調整していた矢先だったといい、「妹のそばにいたいと思った」と説明した。

 休養中の生活について、「自分のペース以外のものについていけなくなってしまって。3階のエレベーターにも乗れなくなって」と振り返った。麻央さんの病状には「一進一退。1日の中で元気な時間もあれば、ガクッとなるときもある」と涙ながらに語った。

 「本当に妹は強いなと思う。何度も危険な状態があったけど、乗り越えてくれて、支えるはずの私たちがいつの間にか引っ張ってもらっていた。妹が常に明るいので、すごく救われています」

 4月に再入院した妹を毎日見舞い、マッサージなどをして献身的に看病してきた。5月に自著のイベントに出席した際は「日によって体調が違い、お話ができる日もあれば、そうでない日もあるんです」と明かした。

 笑顔を絶やさず、気丈に振る舞っていたが、最近の体調について聞かれると「そうですね…」と言葉に詰まる場面も。そして「すごく、本当に頑張っています」と声を振り絞った。

 最近は麻央さんと同居し、療養生活を支えていた。「笑いは免疫力がアップする。これからも思いっきりぶりっ子を演じて、妹が笑う時間が増えたら」。エンターテイナー精神を忘れず、妹にとっての“良薬”になることを誓ったが、その願いは届かなかった。


麻央さんの所属事務所が追悼「素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られた」

小林麻央さん(撮影日:2010年1月29日)


 乳がんで闘病中だったフリーアナウンサー、小林麻央(こばやし・まお、本名・堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日、死去した。34歳だった。麻央さんが所属した事務所「セント・フォース」は23日、久保地美晴社長の名前で報道各社にファクスを送信。麻央さんが亡くなったことを報告するともに、関係者、ファンへの感謝の言葉を明らかにした。以下はその全文。

 平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申しあげます。

 弊社所属の小林麻央さんは、昨年6月の病の公表以降も、ご家族の身を尽くされたご看病のもと、懸命に病と闘って来られましたが、昨日22日、誠に残念ながら逝去されました。

 いつも周囲のスタッフや出演者の方々に温かい心配りを忘れない、そして自然と周りを笑顔にする、本当に心優しいお人柄でした。

 アナウンサーとしての活動は7年余りでしたが、皆様に愛され、たくさんの素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られたと思います。また、そのような時間を共に過ごさせて頂いたのは、本当に幸せでした。

 また、病を公表してからの皆様の温かい励ましのお言葉、改めて本当に有難うございました。

 皆様におかれましては、どうぞご家族の御心情をお察し頂き、今はどうか静かに見守って頂けますよう、心よりお願い申し上げます。

 平成29年6月23日

 株式会社セント・フォース

 代表取締役 久保地美晴



真木よう子、小林麻央さん訃報に「あんなに美しい命が奪われる筈がない」

真木よう子


 乳がん闘病の末に亡くなった小林麻央さん(享年34)と、2005年にDVDドラマ「東京フレンズ」で共演した女優、真木よう子(34)が23日、所属事務所を通じて、追悼コメントを発表した。

 真木は「言葉にはできない感情をコメントにする事は此れ程までに難しい。あんなに美しい命が奪われる筈がない。と、信じていました」と悲しみをつづった。

 ともに1982年生まれでママでもあり、「麻央ちゃんは、麻央ちゃんの愛している人たちだけでなく、日本中世界中に愛の素晴らしさ、愛のもたらす強さを教えてくれました。私の心の中では永遠にあの日の笑顔の麻央ちゃんが生き続けています」と悼んだ。


嵐の櫻井翔が涙 小林麻央さんの訃報に「家族を失ったような気持ち」

 嵐の櫻井翔(35)が23日午後1時ごろ、東京都内で取材に応じ、乳がんのため22日夜に亡くなったフリーアナウンサー、小林麻央さん(享年34)をしのんだ。麻央さんとは、日本テレビ系「NEWS ZERO」(月~木後11・0、金曜23・30)がスタートした2006年10月から約3年半にわたって共演。黒いスーツに黒いネクタイ姿で現れた櫻井は「ただただ残念です」と声を震わせた。

 「『NEWS ZERO』は本当に温かい番組で、出演者やスタッフのことを“ZEROファミリー”なんて呼んでいます」と振り返ると、長い沈黙の後、「まさに家族を失ったような気持ちでいっぱいです」と涙。

 何度も言葉を詰まらせながら、同番組の村尾信尚キャスター(61)ら出演陣やスタッフで闘病中の麻央さんに手書きのメッセージを送って励ましていたと明かし、「少しでもよくなるようにと願っていたので…。悔しいです」と唇をかんだ。

 村尾キャスターも、この日、日本テレビを通じて「天の非情を感じます。市川海老蔵さんはじめ、ご家族のことを思うと言葉がありません。麻央さん、よく頑張りましたね。若い世代で日本を変えようと、一緒にニュースを伝えたこと、私は誇りに思います」と追悼した。


宮本亜門氏、麻央さんは「まるで観音様のような温かい眼差しで…」

宮本亜門氏

 乳がんで闘病中だったフリーアナウンサー、小林麻央(こばやし・まお、本名・堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日、死去した。34歳。夫で歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)の自主公演などで演出を手掛けた演出家、宮本亜門氏(59)が、追悼のコネントを発表した。以下は全文

麻央さんは怒涛の最終舞台稽古のときも、最前列の一番端の席に座り、まるで観音様のような温かい眼差しで、海老蔵さんや皆を見守っていました。

余りに優しい穏やかさに満ちて、それはそれは全てが美しい方でした。

どうぞ安らかに。

これからもご家族を見守ってあげてください。

海老蔵さんとともに、いい作品を精一杯作らさせていただきます。

宮本亜門





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Last updated  Jun 23, 2017 11:00:51 PM
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Re:小林麻央さん「もし病気、試練を乗り越えられたら…」切なる願いはかなわず(06/23)  
あくちゃん さん
全く同意見です。
とても悲しいです。 (Jun 24, 2017 12:17:42 AM)

Re[1]:小林麻央さん「もし病気、試練を乗り越えられたら…」切なる願いはかなわず(06/23)  
あくちゃんさん
>全く同意見です。
>とても悲しいです。
-----
やっと、月曜くらいから、ニュースも見れるようになりましたが。。。

どれを見ても、号泣してしまいます。。。

私が知らなかった苦労や苦しみ、涙も。。。
本当につらかったことでしょう

それを、明るさ、やさしさに変えてしまう

ほんとうに、すごい人でした。。。 (Jun 27, 2017 08:08:24 AM)

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