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Oct 18, 2024
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カテゴリ: GSX-R
2021年お亡くなりになられた横内さんの命日ですね。。。

横内さんがいなくなって、スズキもレース活動の縮小とか、開発、販売機種の縮小とか。。。悲しいニュースばかり。。。

天国で、どのように思われていることでしょうか。。。


下記は、3年前、10月20日に訃報を聞いての記事です。




<訃報> スズキの名物エンジニア 87歳で逝く~さようなら横内悦夫さん


GSX-Rの、GK71Bの生みの親、元スズキの開発部長、横内悦夫さんが亡くならられたと、80's Meetingでお世話になている、RIDEの中村浩史のFacebookと記事で知りました。。。

横内悦夫さんには、GSX-R 20周年の2004年のスズキミーティングで、GK71B CLUBでブースを出したとき、ゲストの希望を聞かれて、もちろん生みの親の横内さんのお名前を書かせていただきました。
可能であればって希望でしたので、まあ、無理だろうなあと思っていたら、うちのブースに来られたのは。。。本物だ!!!!
一同、驚いて、興奮と感動で、子供のような目で、質問攻めしたのでした。


次の年にも、ブースに来ていただき、お話しさせていただきました。
本当に、感動して、ものすごく楽しくて、GSX-Rに対する愛情が一層深まった時でした。


横内さんがいなければ、GSX-Rも無かったでしょうし、私もバイクに乗っていなかったかもしれません。
本当にありがとうございました。

ヨシムラの活躍や、たくさんの名車を開発いただき、夢を感動をありがとうございました。

御冥福を、お祈りいたします。




2004/07/17(土)-19(月)天竜-袋井 GSX-R 20周年記念 GK71B CLUB MEETING
なんと、あの伝説の方が。。。
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なんと、GK71Bの生みの親と言っても過言ではない、当時2輪設計部長、スズキ2輪設計の顔”仏の横内”と社内で恐れられていた(?)横内悦男さんがGK71B CLUBブースに来られました!!

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クラブ用テント申し込み時に、特典として、SUZUKI関係者を誰かブースに呼ぶことができるということで、横内さんを希望と出しておいたのですが、まさか本当に来られるとは!!
一同感激で、何から聞いていいのか分からないような状態でした!!
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先日放送のあった、プロジェクトXでも、火事で塞ぎこんでいたPOPさんにGSを送って、打倒RCBと元気付けたという伝説の方です。
もちろん、GK71Bの開発に関しては一番のキーマンであり、当時の開発秘話はモト・ライダー'84年8月号「スズキGSX-Rのすべて」のなかの「GSX-R開発秘話&メカニズム解説 不可能と思うな、挑戦しろ!」で何度も読み直しているので、本当に感激です!!

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これなんですよね。横内2輪設計部長が、GSX-Rに求めたこと!!
開発当時のお話をたくさん頂きました。
日本中を巻き込んだバイクブーム!!猫も杓子もレーサーに憧れ、F-3はこれでもかってほどのエントリー数。
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4大メーカーが集まって、次世代バイクの自主規制をどれだけにするか。。。
60psか50psか、、、世の中は暴走族やバイクの事故による死亡事故が多発し、バイクは悪役になってしまっている頃でした。。。

横内2輪設計部長は、それを危惧し、59psを提案。決定後、すぐに開発陣に59psでの適正重量を計算し、52kgに決定!!とにかく軽くするべきだ!!

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「少小軽美」横内さんは、その経緯を、グラフにして、熱く説明くださいました。
「バイクは、少なく、小さく、軽く、美しく」それこそが大事だと。
世間のバイクのりは、皆サーキットに憧れを持っている。サーキットこそバイクの一番光る場である。
少小軽美こそ、全ての面で武器になりうる。
軽さ、パワーウエイトレシオは、ストッピング能力、加速、コーナーリング性能、全てにおいて運動性能を決定付けるものとなる。
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そのために、FWで限界まで軽量化したエンジンまで、さらに軽量化
「壊れるまで、回せ!!壊れたら、他の部分をもっと軽くしろ!!」
耐久性を犠牲にして、限界まで削り取った珠玉のバイク。。。
最新の技術をつぎ込んだ現在のバイクの中にも、匹敵するものはないくらいの性能。
しかし、その耐久性を削ったバイクが、20年経った今でも、目の前にあり、現行車あいてに走り回っている。

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「オイルをきちんと交換して、メンテしてやったら、いつまでも元気に乗れますよ。」誇り高き笑みを浮かべ、横内モト設計部長は語る。
「大切に乗ってくれて本当に嬉しい」我が子がこれだけ、皆に愛されて、今でも元気に走っている姿、美しく磨き上げあれた姿に、本当の父のような笑みを浮かべ、さらに言葉は続く。
「バイクは美しくあるべき!!」
「洗車をして、磨いていると、見逃してしまいそうなクラック、油染み、色々なトラブルを事前に発見することができる」
皆をひきつけるスタイリングも大事、ただ、愛車を磨き、常に愛情を持って接してやることが、事前にトラブルを見つけることもできる。愛情を持って接してやれば、決してマシンは裏切ることはない。。。
GSX-Rに対する愛情は、決して他の人には負けないと思い続け、その想いが痛いほど分かる皆は、うんうんと、頷くだけでした。。。


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「軽さのために、メーターがぐらぐらしてもいい!!って言われたそうですね」
コウイチさんが開発時のエピソードについて訊ね、横内さんは、「ああ、これね。。。」と初期型のメーターを、ぐらぐらとしてみせる。。。
メーター周りは、初期型と2型は違うため、そんなことになっているのは、まったく知りませんでした。。。
おお、たしかにぐらぐらしてる。。。
2型はスポンジのようなのがベースについているんですよねぇ~

20年以上前から、我が子のように暖め、世に送り出した横内さん
20年、十何年、一緒に走った距離、時間は違うけれども、恋人以上に愛し続けたGK71B CLUBメンバー、、、
今まで同じ想いを持って乗り続けている人と話をする機会もほとんどなかったみんなが、恋人のお父さんと、語り明かしたような数十分でした。。。
緊張もしましたけど、本当に感激するような話ばかり。。。
頭の中には、中島みゆきの「風の中のすばる~♪ 砂の中の銀河~♪ みんな何処へ行った 見送られることもなく~♪」が、こだましてました。。。
NHKさん、ぜひ、プロジェクトXに使ってください~!!!
それくらい感動を呼ぶ開発秘話でした!!



当時のモトライダー8月号、「GSX-Rのすべて」を横内さんに見ていただきました。「当時の開発秘話でてますよ!!!」
先ほどまでお話いただいた内容が、細かく書いてあります。また横内さん以下、開発陣の写真も出ています。
「おお!!なつかしい面々だなぁ~!!おった、おった!!」
と懐かしい当時の、若かりし開発陣の姿を見て、当時の思いが蘇っておられたような感じでした。


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「GSX-RとΓは一番思い入れのあるバイクなんだ~」
横内さんから、そんな言葉を頂いて、全員感激しまくりです!!


感激ついでに、モト・ライダーにサインをいただきました!!直筆の「少小軽美」のメモとともに、GK71B CLUBのお宝として大切にいたします!!!

ほんと、GSX-Rに乗り続けて来て良かった!!!!


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<訃報> スズキの名物エンジニア 87歳で逝く
~さようなら横内悦夫さん

2021-10-20
中村浩史


スズキ数々の名車を世に送り出した名物エンジニア
 スズキ1970~80年代初頭のロードレース、モトクロス世界グランプリ時代のレースグループ長であり、市販モデルの世界ではGS750/1000やRG250Γ、GSX1100SカタナやGSX-R(400)/750などの名車を世に送り出した名物エンジニア、横内悦夫さんが亡くなりました。87歳でした。
 横内さんは、昭和9年4月、宮崎県出身。昭和32年に鈴木自動車工業(当時)に入社、設計課に配属となり、同42年には短期間だけアメリカに駐在、同49年にレースグループ長に任命されてモトクロス、ロードレースのチームマネジメントとマシン開発を担当。 両競技とも数々のワールドタイトルを獲得し、同53年にはレースグループ長を兼任しながら市販車の二輪設計部次長に配属されました。
 ロードレースでは世界グランプリ500ccクラスでのメーカタイトル7年連続獲得という偉業を達成しながら、市販車ではGS750/1000やGSX1100Sカタナ、RG250/400Γ、GSX-R(400)/750などのヒット作を連発。同63年には取締役・二輪生産管理部長となり、二輪設計の現場、第一線からは退いたものの、次世代エンジンの開発やスズキオリジナルF1エンジンの設計検討を進め、実際に3500ccのV型12気筒エンジンの試作機も完成させていました。しかし、スズキがF1エンジンを実際に生産することはありませんでしたね。
 スズキ退職後は静岡県浜松市に住み、後進の指導や講演会の出席などを楽しんでいました。オーナーズクラブのミーティングやイベントにも精力的に顔を出し、自分が手掛けたオートバイにずっと乗ってくれているファンンのみなさんとの交流が本当に楽しい、っておっしゃっていましたね。




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2007年 ヨシムラの鈴鹿8時間耐久レースの優勝祝勝会で ヨシムラの活躍をいつも楽しみにしていた

横内さんの大きな功績のひとつに、スズキのレース活動のサポートがあります。2ストロークマシンで行なわれる世界グランプリGP500クラスには、ワークスチームとして参戦していたスズキですが、もうひとつの柱である4ストロークマシンで行なわれるレースでは、あのポップ吉村こと、故・吉村秀雄さんと合流し、AMAやヨーロッパの耐久レース、鈴鹿8耐で、ヨシムラを通じてスズキGS750/1000をレースでアピールしました。
 ポップとの出会いは1976年夏、アメリカ・ロサンゼルス。GSのエンジン設計図を見せただけでその高性能を見抜いたポップにレーシングマシンへのチューニングを依頼した時に
『吉村さん、スズキのエンジンをやってくれますか』
「やりましょう」
とふたつ返事で交渉がまとまり、契約書も何もなくジョイントが決まったというエピソードは有名です。

「最初に市販車のGS1000を2台、(当時、ヨシムラの本拠地のあった)アメリカに送ったんだ。オヤジさんはね、必要なパーツをちっとも要求してこない。こちらが『何か送りましょうか』というと、必要最小限なだけ言ってくる。こりゃ信頼に値する人だと思ったよ」と、横内さんが当時のことを話してくれたことがあります。
 1978年の第1回鈴鹿8時間耐久レースに、そのヨシムラチューンのスズキGS1000が優勝。それまでは「2ストロークの」といわれていたスズキの4ストロークモデルが世界に優秀性を証明した瞬間でした。

 市販車の世界では、RG250ΓやGSX-Rシリーズなど、80年代スズキの名車を手掛けていたことは、バイク雑誌を通じてユーザーの目にも触れるようになりました。新型モデル発表の時には、プロジェクトリーダー的な立場で新商品の説明をし、それが雑誌に載って「横内ファン」がどんどん増えていました。メーカーの技術者が有名になってファンがつくなんて、今でもめったにないことですね。
 スズキの広告に顔を出していたこともありました。メディア向けの発表会・試乗会では試乗会場でにらみを利かせていて、試乗したライダーのコメントに耳をそばだて、納得のいかないことがある、と言うと「どういう風に良くなかったんだ?」と詰め寄る姿が有名でした。「1日24時間バイクのことばっかり考えている」(本人談)厳しくも優しい、名物エンジニアでした。



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同じく2007年の祝勝会で 渡辺篤と酒井大作に挟まれての横内さん

 横内さんとお会いした人は、みんな豪快で、温かい人柄にいっぺんにやられていましたね。僕もそのひとりで、失礼して、僕と横内さんとの思い出を書かせていただきます。
 僕が横内さんのことを知ったのは、まだこの仕事を始める前、1980年代初頭、中学生の頃です。GSX1100Sカタナが好きでたまらなかった中学生は、その後に出たRG250Γに衝撃を受け、GSX-Rに、GSX-R750に歓喜します。そのモデルが載っているバイク雑誌に、ほとんど横内さんのお顔があり、開発のエピソードやコメントがありました。
 ヤッコダコと呼ばれたRG250Γのテールカウルの形状のことを尋ねられると
「だって(レーシングマシンの)RGΓがそうなってるんですから」
 アンチノーズダイブのアイディアを問われると
「犬が走っている姿をていたら、前足を突っ張って曲がっていくんだ。そこからフロントフォークを沈ませない機構を考えた」
 油冷エンジンの着想を尋ねられると
「子どもの頃、ばーさんに五右衛門風呂の湯沸かしを頼まれてね。沸かしている最中に竹の棒で湯をかき混ぜると早く沸くんだ。それが熱境界線の破壊、ピストンクーラーの原理だよ」
 横内さんの考えた独創的メカニズムのエピソードは、まだまだたくさんありますね。

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ご自身のGSX1100Sカタナと 初期モデルをお持ちで、最近あんまり乗ってなくてね……という車両をユニコーンジャパンがレストアして実走コンディションに仕上げたものだ

 バイクのことなんか何も知らない、免許すら持っていない少年が「ヨコウチエツオ」の名前を覚えるまでに、そう時間はかかりませんでした。
 1988年にこの仕事を始めてしばらくして、なにか理由をかこつけて、会いたくて会いたくて、スズキに「横内さんの取材をしたい」と申し込んだことがありました。
 でも、その時すでに横内さんは二輪設計の第一線から退いて「取締役二輪生産管理部長」という部署に就いていらして、最初は二輪雑誌の取材を受ける立場にない、と断られたんですが、そこをなんとか、と広報の窓口を口説き落として、時間を取ってもらえることになりました。当時の僕の愛車は初期モデルのGSX-R750。無論、横内さんが担当されたモデルでした。

 そのページのコピーもまだ持っているんですが、どうも内容は横内さんの思い出話ばかりで(笑)、一体なんのテーマで取材を申し込んだのかわからない。ただ、本が出来てお送りした時には編集部に直接電話をもらって
「アンタ、私の若い時のことを良く知ってるんだね、ガハハハ」と言ってくれたことは忘れられません。そうそう、横内さんは大笑いする時はガハハハと笑い、小声で笑うときにはうしししし、いひひひって笑い方する人だったなー。
 その後も、鈴鹿8耐の時にはヨシムラのピットにいらしたり、イベントや講演会で何かにつけてお話しする機会があり、顔も覚えてもらい、ユニコーンジャパンさんが横内さんの愛車GSX1100Sカタナをレストアした時には試乗させてもらったり。実は、この横内カタナに乗せてもらって、僕はユニコーンが組み上げたカタナレストアを購入することになるんです。
 カタナを買ったことを報告しに浜松に行った時には
「アンタ私のカタナを楽しそうに乗ってたからね。買うんじゃないかと思ってたんだよ、ガハハハ」ってアタマをくしゃくしゃくしゃっ、と撫でられて。奥様が隣で「お父さん、中村さん子供じゃあるまいし~。すいません」って笑っていたこと、忘れられません。

 その後も80歳をお祝いする会に出席したり、トークショーの相方をさせていただいたり、ご自宅に呼んでもらえたり。ご自宅の畑で一緒にキャベツの収穫をして、収穫時期を逃して大きくなりすぎたキャベツをもらったこともありました。
 横内さん、あれキャベツ虫がいっぱい食ってたよ、って後日に電話すると「あらら、そうかね。そりゃアンタ、虫が食べるほど美味しかったんだよ」って。

 この数年は、電話すると嬉しそうに出てくれて、それでもあの太くて口調が強い声が弱々しくなっていたり、この1年ばかり誤嚥性の食道炎を患っていらしたようで、衰弱し、病院で最期をお迎えになったそうです。逝去の連絡をいただき、この時節柄もあってご親族だけで葬儀出棺をする、とのことでご自宅に連絡差し上げたのですが、ご家族の方が「バイクの世界ではたくさんみなさんによくしていただいて。いい思い出をたくさん作っていただいて、本当にありがとうございます。みなさんによろしくお伝えください」とのことでした。

 二輪界、ロードレース界、モトクロス界に多大なる影響、貢献をいただいた「生涯いち技術者」(本人談)の一生でした。心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

 横内さん、さようなら。今年もスズキとヨシムラがジョイントしたチームが世界耐久選手権のチャンピオンになったんだよ! GSX-Rだよ! オヤジさんのお孫さんがチーム率いてるんだよ! まだまだ、きっと勝ちまくるチームだと思うよー!


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2002年かな、スズキの竜洋テストコースでのイベントで横内さんとお会いしたときに、僕のカタナと一緒に撮っていただきました。また写真がデジタルデータじゃなかったころの話、この元ネガがないんです……

 厳しくて優しい、大好きなおじさんでした。今はとにかく悲しいです。

写真・文責/中村浩史





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Last updated  Oct 31, 2024 11:40:15 PM
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