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血液検査の結果も聞く。水分不足、栄養失調とのこと。今まで血液検査をしてきて栄養失調と言われたことなど一度もなかった。特に咳がひどくなってからは、確かに食欲がなくなってきたのは確かだった。一か月位、ほとんど食べない、というより食べられない状態だった。ご飯を口に入れても噛まないで出しているときもあったり、残して流しの三角コーナーに捨てている時もあった。これではまずい、と思って何度も病院へ行くように言うのだが、行かない・・・息をぜーぜーさせながら、灯油を入れたり、買いに行ったり、引きずるようにポリタンクを運んで。体重を測ってもらったら何と!5㌔以上痩せてしまっていた。急激に心不全がひどくなってしまったのだろうか。どうしてここまでひどくなっていたのに、受診しようとしなかったのか・・・とにかく利尿剤を飲んで症状は取れて、いくらか楽になったようで、顔色もよくなって来た。食欲も出て来た。先生から運動してください。歩くのが一番良いですよ、とのことで、散歩を勧められた。しかし、もともと散歩などする人ではなく、常に自転車で移動の人。道路を挟んで目の前のコンビニにも自転車で行く始末。歩いて2分位なのに。寝っ転がってテレビばかり見ている。今思えば、心不全の症状で倦怠感があったのかな。具合が悪いか聞いても「別に悪くない」と答えるだけだったけど。自覚症状がなかったのか、口に出して言えないのか、プライドがあって我慢してたのか。この先が思いやられる。
2022年02月16日
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検査結果を聞きに行く。心臓のエコーの結果は心不全以外は大丈夫、とのこと。腰が痛いと訴えたため、腰のレントゲンも撮ってくれた。結果は、3番4番、6番7番がくっついていた。これでは痛いはずだ、とのこと。それなのに整形受診もせず、腰が疲れているとか素人判断で、湿布を処方してもらって済ませていたようだ。「痛み、我慢できますか?」「大丈夫です・。(はぁ~~。ほんとですか。いつも痛い痛いと顔をしかめているのに・・)「一応痛み止め出しておきます。1日2回飲んで下しさい。」(よかった~~)そして煙草をずーと吸っていることを話し、そのせいでぜーぜーしているのかと思っていました、と伝えておいたので、呼吸の検査もしてくれた。結果は何と!慢性閉塞性肺疾患COPD。肺年齢は95歳以上と出た。あれだけ若い頃から吸い続けていればこうなるだろう。「奥さんに、助けられたんですから、たばこを止めないのは人間としていかがなものか、と思いますよ。止めてください。」「はい、わかりました。」(ほんとにわかったのかな。10年前の心筋梗塞の時も医師から煙草を止めるように言われて、しばらくは止めていたがいつのまにか吸い出して今に至っている)気管支拡張薬が処方されて、一日1回吸入することになった。一度に色々なことを言われて、頭が混乱してしまったのか、薬も増えて、わけがわからなくなってしまったようで、自分で何もできなくなってしまった。朝晩食前。朝夕食後、今までと変わらないのに少し数や種類が変わっただけで、茫然。仕方がないから、最初だけ二人で揃えた。薬を吸い込むことも出来なくて、一回目はめちゃくちゃ、1週間ほどつき添ってみてあげなければ、蓋の開け方も覚えられない状態。いったい何なの!10年間ただ漫然と薬をもらい続けて来ただけの結果がこれ。問い詰めたら、「変わったことは、ありません。」で終わらせていたとのこと。患者が悪いと言えばそれまでだが、聞くと聴診器を当てられたことはなかったという。月一私も受診しているが、必ず私のかかりつけ医は聴診器を当て、喉をみて、目も見てくれる。首のまわりも触ることがある。ずーっと前から、近くの病院に変わった方がいいから、紹介状書いてもらって、といっても聞く耳持たず。ずーっと行ってるから恩がある、と。「うちで診てもいいですよ。」と言ってくださったので、お願いすることにした。
2022年02月12日
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とりあえず利尿剤を処方してもらい帰宅。次の日に検査をするとのこと。一晩様子を見て朝電話してください、と言われた。その日は相当辛かったみたいで、夕飯も「噛めない」と言って食べないので、お粥にした。薬を飲んでベッドに入っても「寒い、寒い」と言うので、あんかがあったはず、と探し出して足元に。それでも寒いというのでペットボトルにお湯を入れて手に持たせる。11時過ぎまで「死んだ方がましだ」とか騒いでいたが、何とか寝てくれた。自業自得だよ・・と言いたかった・・朝「夜中に4回もトイレに起きた」と言って起きて来たが、たった一日であれほどゼイゼイして咳もずーっと出てたのに、ほとんど収まっていた。びっくり。診療時間の開始を待って電話をする。「喘鳴と咳が大分収まりました」「それはよかった。そうは言っても心不全だからね。今日は検査を色々しますので、来てください」家から近いので、午前と午後にレントゲンとエコー、血液検査の結果を聞きに行くことに。まだ食欲はあまり無いようで、ほとんど食べない。足取りもふらついている。「こんなに、尿が出るのかと思うくらい、身体の中の水分が無くなってしまうんじゃないかな。」と夫の感想。心臓が弱っていて水分を外に出す力が無くなっていて、むくんでいるので、薬で水分をだすしかない。1錠でこんなに症状が収まるものなのかと。これ以上ほって置いたら、心臓止まっていたかもしれない。
2022年02月11日
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1年ぐらい前から、咳が時々出るようになり呼吸がぜーぜーしているのが気になっていた。10年ほど前に心筋梗塞で救急搬送されステントを入れてから、月一度ずーっと受診して薬をもらっている。糖尿病にもなっていたようでその治療もしている。地元の総合病院でいつも混んでいる。煙草を吸い続けているので、そのために咳が出たりぜーぜーするのかと思っていた。「苦しくないの?」と聞いても「苦しくない」というのだが、「受診の時症状を言って診てもらって」と、言いうのだが毎回「なんにも言われない」と言って帰って来る。腰もずーっと痛いと言って湿布薬をもらってくるだけで、整形外科を受診して診てもらってと言っても「混んでるから」とそのままにしている。昨年の暮れごろから本当に咳と喘鳴がひどくなり、食事の量も減ってきて、やっとの思いで生きているように思えて「近くのクリニックでもいいから行って診てもらって」と言ってもがんとして拒否。ほとんど休まない礼拝も1/23は欠席。娘夫婦が救急でかかるよう、連れて行くからと勧めるも「いい」と。抗原検査キットをわざわざ家から持って来てくれて、検査してくれて「陰性だから行きましょう。すぐ見てくれますから」とっても拒否。「寒いからだよ・・」と。「もう知らない。好きにしなさい」次の日、もっと状態が悪くなったので、無理やりに歩いて2.3分の所にあるクリニックに連れていく。一旦わたしは家に帰るも、すぐ「奥さん、来てください。先生からお話しがあるそうです。」と看護師さんから電話があり、急いでまた戻って診察室に入ると「心不全ですよ」「えっ!!」危ないところだったらしい。あれだけ毎月、毎月定期的に通っていて、こんなになるまで、いったい何を診てもらっていたのか。循環器科に通っていて、どういうこと!開いた口がふさがらないとはこのこと。とりあえず一番強い利尿剤を1週間分出しますから、飲んでください。途中で具合がもっと悪くなったら救急車を呼ぶか通っているK総合病院へ行ってください。入院を打診してくれたようなのだが、コロナで手が回らないと、言われたそうだ。「家で看れますか」「はい、看ます」声も出にくくなっていた。
2022年02月10日
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大分前から自律神経不調の状態が続いていたが、左手首骨折をきっかけに益々不調になってしまった。かかりつけ医には、もうずーっと体調不調を訴えていているのに、「何なんでしょうね~~~」というだけで、あまり気にしていない様子。(実はそれが正解だったのだが)整形の先生に訴えて、軽い精神安定剤を1か月位飲んだら、「術後鬱」のような状態からは脱した。いくらか良くなったと思ったのだが、また最近おかしくなってきて、血圧が急に200位になってしまう。突然「何か変!」と思って血圧を測ると200とか180とか…もうびっくりで慌ててしまう。何度か救急のお世話になって、CTを取ったり色々するものの、しばらくすると下がって来るので、帰される。最近は血圧が高くなっても急に下げない方針みたいだ。帰って体によくないそうだ。先々月の定期受診で、急に血圧が200近くに上がることがよくあるが、3回ぐらい図ると130台になるんです。と話すと「3回目で下がるなら大丈夫です。高い人はずーっと高いです。」と言われた。それを聞いて安心したのか、その後は高くなっても、慌てずに3回ぐらい測ると130台になる。気にしなくなったら、安定してきたので、良かった、と思っていたら、先日精神的なダメージを受けることがあったら、急にまたおかしくなり血圧乱降下状態が1週間ほど続いた。落ち着いてきてよかった^^と思っていたのに、今日はまたお昼頃、おかしくなり測ったㇻ190!すぐベッドに横になり何回か測り直したら130台に戻った。本当にいったいなんなんだろう。まあ、どっちみち、いつどうなってもおかしくな年齢だから仕方ないか。あまり気にしすぎて血圧を測ってばかりいるのも駄目らしい。朝晩測るのをやめている。
2021年11月27日
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夕飯、「ひき肉のカレー」を作ろうと思ってニンジン、玉ねぎを用意して、まずジャガイモを切った。ふと、そう言えばピーマンがあったらか「ピーマンの肉詰め」を作ろうと思っていたことを思い出し、切り替えた。ひき肉を二度引きして、卵を繋ぎに入れて片栗粉を混ぜて、ピーマンに詰めた。「待てよ、これでよかったかな・・いけない!玉ねぎのみじん切り入れるの忘れた!」しかしもう詰めてしまったから、オールミートの贅沢品でやろう。切ってしまったジャガイモはどうしよう、茹でてポテトサラダにしよう、と思ったら、何とマヨネーズを切らしていたんだった。昨日買うの忘れた。カットトマトがあるからトマトスープにしよう。オクラを入れてトロトロのガンボ風スープ出来上がり。こんなおいしいピーマンの肉詰め食べたことない。今度娘たちに作ってあげよう。家にばかりいるから何だか頭が働かない。何やってんだか・・と思ってしまったが、美味しい夕食が出来た。コロナいつまで続くの~~~。
2021年09月02日
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モデルナ社の異物混入ワクチン。「何なの!」と思っていたら、昨日長女から電話がかかってきて、「Tが2回目ワクチン打ったんだけど熱が39度以上40度近くにまで上がってしまって大変だった。しかもロットナンバーを確かめたら、異物混入があったというナンバーとぴったりだったの」「え~~!どうしよう」「どうすればいいんだろうね・・」「保健所かどこかに連絡したほうがいいのかな?」お友だちの看護師に聞いてみたら「誰が、どこで、どのロットナンバーで打ったかは、把握できてるはずだから、問題があれば連絡あるはず」と言われたとのこと。確かに、今のところ健康被害は出ていない、との発表はあったけど。辛い思いをして打ってこれではあまりにもかわいそう。予備校生で職域で打たせてもらったらしい。来年の受験の時期におおかしなことになっても、と思い打つことにしたらしいが、2回目でよかったと思うしかない。モデルナ2回目が打てない難民が出ているというニュースが流れていた。何が良くて、何が悪いのかまったくわからない状況になっている。一人一人がしっかり判断して決めていくしかない。データーがないのだから、それぞれの判断、そして選択がこれからの未来というか歴史をつくり上げて行くのだと思う。そこには神がいつもともにいる。T、早く良くなって。
2021年08月27日
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第一回目が7月29日になっていたので、役所の方から「前倒しが出来ます、大型接種会場で7月10日と30日に予約が出来ます。良ければ回答書を出してください。」との文書が来た。6月15日にかかりつけ医の受診日だったので、29日を2回目に出来ないかどうか相談してみた。「キャンセル待ちにしてみますか?」と言われたので【お願いします!」と。「先生、キャンセル待ちでお願いしておくと、その日、ということありますか?」「そういうことはないです。少なくとも前日には連絡が行くと思います。」(良かった・・)受付でキャンセル待ちの手続きをして帰って来た。自宅について何時間も経たないのに、「キャンセルが出ました、土曜日19日の午後5時から5時半の間に来れますか?」「はい!行けます。お願いします。」早い、相談して良かった。土曜日、第1回目のワクチン接種終了。2回目は7月10日の土曜日。夫の7月5日の1回目より早く終わる。近所に住む友人は2回目の予約で、1回目の私より早く予約が取れて5月31日、もう2回目が済んでいる。一生懸命予約して8月や9月の人もまだいる。おかしなシステム。自分でどんどん働きかけないと、そのままになってしまう。副反応はほとんどなかった。接種部位が痛くなったが、従来のインフルエンザのワクチン接種も腫れたり痛くなったりしていたから同じようなもの。筋肉注射と皮下注射では比べられないとは思うが。ただ2回目はどんな副反応が出るか未知数。高齢者は倦怠感があった人もいれば、何の問題もなかったという人の方が多い。ただ、看護大学に行っている孫は2回目を接種して熱が出たらしい。打った方がいいのか悪いのか・・・高齢者と医療系従事者は実験台みたいな気がする。ワクチンデマって何なんだろう?足の引っ張り合いとしか思えない。
2021年06月24日
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スポーツクラブへ行く朝、隣の市に住む友人から「今日からワクチン接種の予約が始まるんだけど、全然繋がらながないの。かけてるしかないの?」「あとはネット予約になってしまうから、かけ続けるしかないと思う。頑張って」終わって入浴も済ませ3時ごろになってしまったが、彼女の所に電話してみた。「繋がった?」「ううん、全然…ずーっとかけてるんだけど・・」(かわいそうに・・まだつながらないのか・・)「帰りに寄って予約してあげようか」「いいの?助かる」娘さんと暮らしているのだが、看護師をしていて、時間が取れないとのこと。スマホは持っているが、使いこなせていない。部屋に入ったら、書類が散乱していて、疲れ果てた様子。早速彼女のスマホで予約開始、と思いきやQRコードアプリが入っていない。インストールするも何回やっても作動しない。仕方がないから、私のスマホから入ることにした。後で聴いたら、娘さんが契約する時に余計なものはインストールしないように制限をかけているとのことだった。やり方が行政によって違うので、よけいに時間がかかる。しかも、もう夕方になっていたので空きがほとんど無い。かかりつけ医で受けたいというので検索すると9/29の二枠しか空いていなくてそれでもいいというので、早い時間で予約しようとクリックしたら、もうだれかが入れてしまったらしく埋まってしまった。即その次の時間にしたら、取れた。2回目の予約もするようになっていたので続けて行くと、遠い場所ばかりで、車の運転も出来ないし行けない所ばかりなので、とりあえずまだ日にちが先だから、コールセンターで聞いてみよう、となった。本当に、やってくれる家族もいない、ネット予約も出来ない、そういう人はどうするんだろう。この方法は若い世代なら問題ないかもしれないが、高齢者は無理だよ。私でぎりぎりかも。この前も定期受診で待合室にいたら、私より高齢の男性が、二つ折り携帯を持って、「ここで予約できますか?」「病院では出来ません。市役所の方で予約してください。」可愛そうになってしまった。絶対予約できないと思う。置いてけぼりになってしまう。今日も電話が繋がらない。2日間かけてるけど繋がらない、という話を聞いた。
2021年06月04日
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下の子が幼稚園の頃から40年以上親しくしている近くに住む友人。5/3、いただき物があったのでおすそ分けしようと電話をしたが出なかった。LINEが来たので開けてみたら「○○病院に入院しています。」えっ!ど、どうしたの?元気だったのに」4/27日に電話で話したはず。「緊急入院したので、落ち着いたらまた連絡します」「了解。お大事に。」「ありがとう」急いで共通の友人に電話を掛けるが「知らない・・何なんだろう・」「もう少し、詳しく言ってくれないと余計心配するよね・・」一人暮らしで、息子さん夫婦が近くに住んでいるから、聞けばわかると思うけど、本人がそう言ってるから聞きに行くのも変だし・・・2人で考えていても仕方ないから、とりあえず連絡来るまで待つことにした。冷静になって考えてみたら、畑をやっている人で彼女と仲良くしている人がいるので、もしかしたら知っているかもしれないと、ひらめいて早速訪ねてみた。やはり、知っていた。偶然家の前を通ったら、お嫁さんに会って「雨戸が閉まっているからどうしたんですか」と聞いたら、27日お腹が急に痛くなったが、我慢していた。次の日も痛くて我慢できないと連絡があり、来てみたら玄関でうずくまっていて、顔面蒼白。「車に乗せて行けないから、救急車呼ぶよ」と言って救急車で運んでもらい、腸閉塞とのことで緊急手術したとのこと。私にLINEがあった日にか細い声で携帯に電話があって「畑が心配で・・」「畑はどうでもいいから、自分の身体の心配をしなさい」「何の病気かわからないのよ」「えっ、お嫁さんが腸閉塞って言ってたよ」医者から説明があったと思うけど、耳が遠いからよくわからなかったのか・・しかも黄班性症で目も見にくくなっているし・・大丈夫かな・・しばらく立ち話をして、ついでに携帯の番号を聞いて帰って来た。10日から2週間の入院予定とのこと。しかし、自分が何の病気で手術したのかわからないって、言うのも不思議な話。そう言えば、黄斑変性症で手術した時も「何だかわからくて」と言っていたような気がする。退院して来て、書類を見せてもらってちゃんとした病名が分かったし。とにかく早く退院出来ますように。
2021年05月07日
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3月いっぱいに作成すれば、5000ポイントつくという知らせが来て、ポイントにつられて申請した。顔写真が必要とのことでスマホで自撮りしてメールで申請。娘に話したら「結構チェックされるみたいよ。友だちが自撮りでしわを1本修正したら、だめですって言われて取り直したらしい。修正するとわかるみたい。バックに影が写っていても駄目みたい。」見てみたら何となく後ろが薄暗いような気もしたけど、だめだったら戻されるみたいだから、そしたらもう申請するのやめよう、思っていたら、何とか通ったみたいで、受け取り書が届いた。受け取るにも予約が必要で、電話で日時を決めて、必要書類をそろえて受け取りに行った。受け取りはすぐ出来たけど、「ポイントはその日には付きません。次の日からです。わからなかったらこちらでも出来ますから、また来てください」と言われ帰って来た。「現金を20,000円入れて使わないとポイントはもらえません。消費を促す意味合いもあるので・」なるほど・・ただではもらえないということね。よく使うクレジットカードにしようと思い、パソコンで調べながら、進めていったが、ややこしくて全然、最後まで到達しない。myナンバーカードに紐づけしなければいけないので、そのためのID番号を作成しろ、カードのID番号は?そんなの知りません。やっぱり役所に行くしかない。申請とかをする席に案内されて、しばらくすると担当者が来て、パソコンを持って来た。スイッチを入れてやり始めたら、フリーズしてしまったようで、まったく動かなくなっていた。「すいません。昨日はちゃんと動いたんですが・・」「お急ぎでなければ少し待っていただけると・・ダメだったら午後ならだいじょうぶです」「はあ?!帰ります。次は『フリーズしてませんか』って電話してから来ますね!」途中で他の電話に出たりして、こっちは暇じゃないんですけど。「あっ、何とか動き出しました。お待たせしました。」と言われたので、すぐ出来るのかと思ったらそこからまた時間がかかって結局3.40分かかってやっと、手続きが始まった。「何なの!役所でこんな状態じゃ困るんですけど」「すみません。すみません」そればっかり。自分が使いたいカードに紐づけしようと思ったら、やはりID番号がわからないと、その場では出来ないとのこと。「じゃあ、すぐ出来るのでいいから、それにしてください」結局、普段あまり使わないクレジットカードには裏にID番号が書いてあって、現金を取り扱っているスーパーで20,000円入金すれば、すぐに5000ポイント付くと言われそれにした。その代わり10月までに使わないとだめになるとのこと。買いたいものを考えておかないと。保険証としても使える(予定)と書いてあったのに、延期になったらしい。住民票とかもコンビニで受け取れるとか言ってますが、この年でもう住民票とかを使う用事もないよ。結局何の役にも立たないのかも。年寄りにmyナンバーカードを作らせるのは無理があると思う。私でぎりぎり。しかも、3月いっぱいって言ってたのに、4月いっぱいまでになったらしい。もうぐちゃぐちゃ・・あきれた。
2021年04月27日
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精神安定剤が処方されて2か月目。「少しづつやめてみてください」と言われ、内科の主治医からも「週3回位までになればいいですね」と言われている。1か月分追加された次の日から、一日2回朝晩1錠づつの処方を朝1回にしてみた。何とかやり過ごせている。今までは起きるときから倦怠感があり、やっとの思いで一日を過ごしていたが、飲み始めて方ら朝は大分楽になった。洗濯物をたたむのもおっくうで、洗ったものを取りこんで山になっているところから引っ張り出して着ていたが、たたむのもい気がついたら自然にやっている。全く何もやる気がないっていうのは本当に辛い。気分が悪くない、というのはすばらしい、と思う。調子が良いので1回朝飲むのをやめてみたら、やはりお昼近くになったら、ものすごく気分が悪くなり、飲んでしまった。一昨日もやめてみたのだが、やはり頭が重く、くらくらする、気分が悪い・・・また飲んだ。無理して飲むのをやめることもないのかな、とも思う。次回は2月2日が診察日。来週のどこかで1日飲まない日を作ってみるつもり。我慢できるかもしれないし。やっぱり、鬱なのかな・・・
2021年01月21日
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2月からのコロナ騒ぎで電車に乗ったのは去年は2,3回ぐらいだったと思う。ほとんど車でスポーツジムに通うかスーパーへの買い物ぐらい。緊急事態宣言が取れたと思ったら、左手首骨折で、1か月でジムに復帰したものの、手首を使う運動は出来ず、気づくと左右の腕の太さが違ってしまっていた。トレーナーから特別レッスンで手首の強化のプログラムを作ってもらって家でもやっている。身体もバランスも崩れてしまったみたいで、体調が今まで以上に悪くなり「なんでこんなに調子が悪いのか」と発狂しそうになりそうだった。血圧が急に200以上になったり、アップダウンが激しく、降圧剤を増やしてもらったものの、あまり変わらなかった。整形外科の受診が月一度あり、骨粗鬆症の薬も出たので、これからも受診は続きそう。11月の受診の時、あまりにも体調が悪いので「先生、何が悪いのか、どこが悪いのか、とにかくすごく調子が悪いんです。発狂しそうになります。」と訴えたら「骨折したり、痛い思いをしたりすると、気持ちが落ち込んだりすることがあるから、薬を飲んだほうがいい。1か月分出しますから飲んでください」と。リーゼという薬が処方された。調べたら自律神経の調整、不安感や緊張感、脳の興奮を抑えたりする効能があるみたいだ。精神安定剤のようなものなのか・・最初は眠くなったけどだんだん慣れてきて、気分が落ち着いて来た。何より焦燥感が亡くなったことと、夫に対するストレスが減ったことが大きい。先月の受診時に先生は真っ先に「薬飲んでみてどうでした?」と聞いてくださった。「はい、おかげさまで大分気分が楽になりました。不安になったり、どうしよう、どうしようとかがなくなり、何より夫へのストレスが減りました。ありがとうございます。」先生は笑って「良かったですね。怪我の功名ですね。」思えば10年以上前から、こんな調子が続いていたかもしれない。「もしかしたら、軽いうつのような感じになっていたのかもしれないですね。」納得。仕事を辞めてから心疾患を始め、血圧の不安定が続き、教会でもいろいろなことがあり、よくやって来たな、と思う。「今、冬だし、気候も暗い感じだから、春になるまでもう少し続けましょう。」といってもう1ヵ月分処方された。整形外科の先生に救われるとは思ってもみなかった。緊急でかかった時からの先生でやさしい。「こういうことは経験しているので」とおっしゃっていた。今はまたもや問題発生。右股関節が痛くて、階段を上がる時に大変な思いをしている。今年も自分の身体と付き合って行かなければならない。年を取るってこういうことなのか。
2021年01月02日
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骨折して10月6日に3度目の検診があり次は11月。もっと早く良くなるものと思っていたが、やはり年なのかな・・・手術して次の日に帰って来たが、麻酔の後遺症で口の中がおかしく、声もかれている状態が続いた。しばらく残りますとは言われていたが、賛美歌が歌えなかった。今はもとに戻った。布巾もまともに絞れずぐちゃぐちゃ、瓶のふたも開けられないので、椅子に座って腿で瓶を挟んで開けていた。ドライヤーも意外と重くて左で持てないので苦戦。ちょっとした角度で飛び上がるほど痛い時があり涙が出そうになった。傷口も痛くて「こんなにいつまでも痛いものなんだろうか」と思い、1か月検診の時に聞いてみたら、縫った糸とわたしの体質が合わないのかもしれない、アレルギー反応を起こしているとのこと。ステロイドの貼り薬を出しますので、貼ってください、と言われ。1週間ほど貼ったが、よくなるどころか傷口がケロイドのように真っ赤になってしまったので中止した。傷口の上の方がしびれていて、だんだんおさまっては来たが、まだしびれている。10月のレントゲンで、なぜか骨密度が低下していることが判明。特に骨折し左手首の所がスカスカ。ビタミンDが処方された。薬局で聞いたら、1か月以上運動しなかったり日に当たらなかったすると、骨密度低下するとのこと。やはりスポーツクラブに通っているのは相当体のために良いことなのだ。9月から無理のない程度に始めている。傷口だけがおもわしくない。洋服ですれるので痛いと、医師に話したら、傷口を保護するテープを使うようにと言われ、ドラッグストアで買って、使い始めたらとてもいい。赤みも減って来たし痛みも減った。テープがブラウンなので傷口が目立たない。まだまだ痛みがあるが少しづつ治って行くのだろうと思う。日にち薬・・・どんどん手を使い、身体を動かすように言われている。
2020年10月15日
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麻酔科から呼ばれて部屋に入った。当日どのようにして手術をするのかの説明を受ける。全身麻酔で1時間半から2時間ぐらいかかるそうだ。当日3人手術受ける人がいるが最初に受けるとのこと。「麻酔をかけると呼吸が止まるので、その間挿管します」。(えっ!)「歯は丈夫ですか?口の中に器具がグッと入って口が大きく開いて、歯に力がかかるので、ぐらぐらしている歯や弱い歯があるとあると、抜けたり、かけたりします。」(えっ!)ちょっと口の中を見せてください。大きく開いて。」「大丈夫ですね」(ほっ)「麻酔を徐々にかけていきますが、とにかく深呼吸をしてください。深呼吸をしているとそのうち眠くなります。目が覚めたら手術終わっています。」(えっ!)「何か、心配なこととかありますか?」と聞かれたので、全身麻酔と聞くと今でも頭から離れないエピソードを思い出す。6歳の時、母を肺がんで亡くしているが、実際の死因は肺ガンの手術を終わったあと、麻酔から覚めることなく息を引き取ったとのこと。6歳と4歳の子どもを残して、「さよなら」も言わずに・・・・28歳の若さで・・・父曰く、麻酔の失敗だった、とのこと。病院側は詫びて、是非解剖させて欲しい、と言われたが断った、とのこと。73歳で父が亡くなり、遺品の整理をしていたら、亡き母の葬儀の時のお香典の控えが出て来た。そこには、今でも有名な某国立病院からの香典料の控えが一番最初に書いてあった。他の誰よりもずば抜けて高額だった。父の言ったことはやはり本当だったのだ。どんなにか無念だったろう。私は医師にそのことを話し「全身麻酔をするのはとても不安です。」と話した。私自身が麻酔をすると危険な体なのかもしれない、とずーっと思っていた。医師はちょっと表情を曇らせ、しばし間をあけてから「その時から比べると麻酔は各段に進歩していますから、安心してください。」と答えてくれた。それはそうだ。もう60年以上も前の医療体制だったのだから。心配するのやめよう。だから、体重や肺の状態、心臓、その他の検査を全部したのだし、手術をしない、という選択もあるけど任せようと思った。
2020年09月13日
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7/24(金)祭日。自粛中でほとんど近所しか出歩いていないのに、よせばいいのに扇風機の調子が悪くて買い換えようと思い、少し離れた家電量販店に行った。駐車場に車を停めて入店する前に「マスク!」と思いバッグからマスクを出してつけようとした途端、車止めにつまずいて、アッという間に転倒・・左手首で全身を受け止めてしまった。何やら鈍い音が、今まで経験したことのない、「ググッ」という感触。「痛い!」と思って見てみると。親指の付け根が変形していて、見る見るうちに赤くなって来た。絶対骨折!と思い、とにかく病院へ行こう。行きつけの総合病院は救急受け付けてくれるはず、とりあえず娘に電話して、まだ痛くてもハンドルに手は添えられたので、安全な道を選んで病院へ。何ということか、その日は救急の担当医が整形外科の先生だった。看護師さんがにっこり「良かったですね」レントゲンを撮り、やはり骨折、とのこと。ポキッと折れていた。(後で聞いたら、骨粗鬆症や骨の弱い人は粉砕骨折になり、手術不可能とのこと)とりあえず整復して固定してもらい、次の日受診。手術を勧められる。固定で治すとしたら元通りには治らないかもしれないが、手術をすれば限りなく元の状態に戻る、と。手術をお願いすることにして、いろいろな検査をすることになった。29日に入院、30日に手術、31日退院。肺活量、骨密度、心臓も問題ないということで一安心。手の手術だけなのに、全身麻酔で行う、とのこと。骨折した部分をボルトで止めて骨に縛り付けるそうだ。聞いているだけでもなんだか怖い気がしたが、自然治癒より、術後すぐ手を動かせるのでリハビリに通う必要もないとのこと。手術の説明と提出書類の説明、入院の説明と最後に麻酔科からの説明があるので聞いてから帰ってくださいとのことだった。心臓のステント手術の時よりずいぶんと大げさなんだ、と思った。あの時はカテーテル検査で冠動脈にに詰まりがあったのでその場で「ステントを入れて血管を広げますよ」と言われ「はい」で済んだ。麻酔も何もしなかったので、意識は鮮明だった。
2020年09月10日
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3月は3~4回、4月は1回行ったきり、スポーツセンターは自主休業になっている。なるべく5000歩以上は歩くようにしているが、毎日毎日は歩けない。買い物も出来るだけ行かないようにして、行っても買う物を考えておいて小走りにかごに入れて、さっさとレジを通り、支払いもトレイの上ですまして、言葉も交わさず、帰ってくる。近くの友人とも、一緒に歩きたいが、マスクでしゃべると息苦しいし、蜜になるので何となく最近はいかないよぅにしている。用事がある時訪ねても、公園へ行って、離れて座り少ししゃべって帰って来る。子どもも都内に通っていて、やっとテレワークになったものの、もしかしたら感染しているかもしれないからと、来ても玄関先で帰って行く。何だか寂しい。こんな生活行くまで続くのか。LINEやFBで交流していても直接会えないからこれも寂しい。あまりにも運動不足になるので、ネットの動画配信ででストレッチやヨガ、エアロビをやることにした。なんだかんだで一時間ぐらいやると、結構汗をかいて、気分がすっきりする。もっと早く気が付けばよかった。自分の好きな時間に出来るので便利だ。といっても、やはり実際にスタジオでみんなと楽しく身体を動かすのとでは大きな違いがあるが仕方ない。先生方、どうしていらっしゃるのかな・・早く会いたい。
2020年05月04日
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週に3回スポーツクラブに通っているが、車で片道20分弱。同じ道なのに、そう人通りも多くはなく住宅街を通って行くのに、一度どして何の問題もなく到着する日はない。昨日の朝も小学校があり、もう少しで信号機のある所にさしかかった時、もちろん小学校の近辺は徐行なのでスピードは緩める。その付近で、歩道を通らず、杖を突きながら車道を歩いている高齢の方がいたので、もっとスピードを緩めて反対車線ギリギリまで寄って通り過ごした。「なぜ?車道を?」と通りながら見てみると、右手に杖(車道側)、左手はガードレールを触りながら歩いている。どうやら手すり代わりにしているようだ。そうしなければ歩行に不安があるのかもしれない。交差点をどちらに行くのかわからなかったが、その先はどうされるのだろうか。ガードレールがな無くなったら、困るだろうな、と思いながら。車いすを使うほどではないけれど、何とか外出したい、という方は沢山いらっしゃると思う。確かにガードレールを手すり代わりにして行くのは、いくらかは安心かもしれない。反対側に歩くときは、歩道側でガードレールを触って行けるから危なくないけど、車道側は危険だ。私もいつそういう状況になるかわからない。優しい街づくりにするのはどうすればいいのだろう。
2020年01月18日
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散歩をしてあちこち歩いていると、本当に空き家が多い。もう何十年もそのままになっている家もあるが、それなりに庭などはきれいになっているので、誰かは管理しているのだと思う。我が家の裏の2件もずーっと空き家で、一軒はご主人が亡くなって奥様が長く一人で暮らしていたが、病気で亡くなってしまい、その後ずーと空き家。息子さんは別の場所で暮らしている。もう一一軒はやはりご主人が亡くなり、一人で暮らしていたが、病気がちなため、息子さんが引き取ることになり、空き家となってしまった。裏だからそんなに気にならないとはいえ、何となく防犯上気になる。ところが、突然、一軒の方が、長く空き家にしておいてももったいないのでお嬢さんが住むことになった、ということであいさつに来られた。息子さんも時々泊まりに来るとのこと。良かった。外出の時は前を通るので、この前も車を洗っている時にお会いして、年始の挨拶が出来たし、時々もらったから、と言って野菜をいただくときがある。洗面所にいると、電気が付いているので裏が明るい。良かった。もう一軒も先日、売りに出したようで。不動産やさんが見にきていたとのこと。近い将来人が住むようになるかも。こちらも良かった。
2020年01月04日
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遠方に住む孫(長女の二番目の子)の高2の男の子が、お友だち4人で東京へ遊びに来るとの連絡があった。お友だちの一人のお父さんが単身赴任で来ているのでその住まいにお邪魔するとのこと。25日の夜行バスで来て29日に帰って行く予定。27日は午前中だけ単独行動の許可をもらって私たちに会いに来てくれるとのこと。そんな年齢になったのかと、感動してしまった。しかもわざわざ時間を割いて顔を見せに来てくれる、そんな気持ちも持ち合わせるように育っていたのかと思うと、嬉しい限りだ。9時ごろ行こうと思ってる、とLINEが来た。到着時間も知らせて来た。夫は待ちきれなくて駅まで迎えに。夏にも家族と一緒に来たけど、一人で入って来たときは、なんだかぐっと大人びて見えた。しばらく話した後、大好きなサンドイッチやさんへ行ってモーニングセットを3人で食べた。その後戻って来て、午後からお友だちと合流するから、と言って12時頃帰ることに。ディズニーランドで遊ぶ予定になっていて、お友だちは先に行っているらしい。名残惜しいので買い物をついでに途中の駅まで車で送っていく。年をとってもこんなに嬉しいことがあるとは。これからも楽しみだ。
2019年12月28日
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2019年12月08日
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2009年1月から書き始めた胡蝶蘭のこと。カテゴリーにまとめてあるので、探しやすい。その年から毎年毎年、花を咲かせてくれている、職場からいらないからといって持ち帰って来た白い胡蝶蘭。去年はやっとの思いで咲いてくれたみたいで、花がいつもは8~10個は咲くのだが、4個位しか咲かなっかった。二女から母の日にもらった小ぶりの赤い胡蝶蘭は2本も枝が出て来て綺麗に咲いてくれたけど。今度こそ駄目かも、と思った。植え替えもしないで、そのままにしているのもいけないと思う。土が少なくなっているので、今年の夏ゴーヤに使った野菜用の土が余ったので、入れてみた。いつもなら10月の最後の方には花芽が出てくるのに、全然出てこない。11月に入ったら、毎日毎日鉢を四方八方から見ているのだが出てくる様子なし。ところが、この2,3日何となく膨らみが出てきたかな、もしかして、と思いながら観察していた。昨夜10時ごろ、もう寝ようと思って、鉢を見てから、と思い近くでよーく見てみたら、何と花芽が出ているではないか。しかも1個は確実、2個目も出て来そうな気配。二女からもらった方も2個出ていた。何で急に出て来たのか。下の方の葉が枯れて来たので、もしかしたら、と期待はしていた。葉っぱの栄養をもらって花芽が成長する、と聞いたことがある。花のために葉が犠牲になるんだね。楽しみ、楽しみ。来年また咲いてくれるんだ。もう10年も咲き続けてくれている。胡蝶蘭を見ていて、10時に寝るはずが11時過ぎになってしまった。
2019年11月23日
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もう何年も子宮頸がんの検診をしていなかったので、検診を受けて来た。今まで何ともなかったことへの感謝といつまで続けるのか、という疑問もわいてきた。役所が行っている集団検診。若い人の方が多いが、私と同年代の人もいた。問診の時に、「いつまで、続ければいいんでしょうか」と聞いたら、人の顔も見ないで「ご本人次第です」と、冷たく一言。ご本人次第なんて百も承知です。もう少し何か言い方がないんですか、だから役所は嫌なんです。あなたに聞く方が間違っていました。検診を待つ間、番号札が後ろに下がった椅子に座らされて、まるで囚人。間違いないようにするためだから仕方ないけど。おまけに検診車が止まっているすぐそばで、男性の人が3人位で何かを点検しているのか、しばらくそこにとどまっていた。女性が沢山出入りしいてるんだから、何も今しなくてもいいのではないでしょうか。嫌だったのは私だけだったのか・・家に帰ってネットでググってみた。出てました。【評価】細胞診による検診では、75歳まで新たな検診による予防効果がみられた一方、HPV検査は55歳で陰性であった場合、検診を受け続けるベネフィットは乏しいと考えられた。日本では現在までのところ子宮頸がん検診の終了年齢について定めたガイドラインはない。 関連するメディカルオンライン文献はい、もう受けないことにしました。私の判断です。
2019年11月07日
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時々お友だちからいただく手製のセロリのジャム。以前、ご主人と入ったカフェで頼んだトーストについて来てとても美味しかったのでそれから頻繁に作るようになったとのこと。ほんのり甘くて臭いも気にならない。同じ緑色でもキーウィのようにつぶつぶがないので綺麗だ。とても美味しい。作り方を聞いているのだが、なかなか作れない。
2019年11月04日
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消費税が10%になってからほとんど食料品しか買わなかったので、今までと変わりなく過ごしていた。前職場の人たちから誘われて食事会あったので、その前にいつもお世話になっている美容室へ。ご夫婦で経営していて、奥様の方が二女と同じ年なので親しみやい。二人ともとても良い感じだ。やってもらいながら何気に「5%還元ってやってる?」と聞いたら「やってます」「クレジットカードでいいのかな」「大丈夫です。私たちも今回初めて導入したので、まだ慣れないんですが・・」終わって会計をする。いつもは7000円台なのに今回は8000以上になっていた。やはり10%、ちょっと高いな、と思った。でもまたそのうち慣れて当たり前のように払うんだろうな、と思う。カードを渡して、何かいろいろやっているようで少々手間取っていると、ご主人がさっと来て、一言声をかける。「こうすると、伝票が出てくるんだよね・・出て来た」「すみません。まだ、慣れなくて」いつも思うけど、仲の良いご夫婦だ。ペンでボードにサインをするのだが、これがまた書きにくくて小学生低学年のような字になってしまう。無事に終了。後でカード会社からポイントが振り込まれてくるらしい。通帳を確かめないと。「私たちのような小さいお店が対象みたいです。大きいところはないそうです。」これも期間限定だから、その後が恐ろしい。よく考えて買おう。
2019年10月22日
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10年以上使っていた夫の部屋の液晶テレビが、昨日の朝突然映らなくなったと大騒ぎ。予定がいっぱいあって(と言っても家の中での仕事だが)見てあげられないから、「居間のテレビを見ていて」と言っても「野球がどうしても見たい」と言ってきかない。あちこち触ってみたが、やはりテレビ自体が壊れているようなので、電気店に持ち込んで見てもらうようにと言うなり、アッという間にテレビを抱えて車で出て行った。部屋を見ると携帯も持たずに出て行った(いつものことだけど)ので連絡しようがない。しばらくして帰ってきた。壊れてもう修理しようにも部品がないと言われ新しいのを買って来た、とのこと。10年前とは違いテレビがお友だちのような生活になっているのだから、もっと大きいのを買ってくればいいのに、今までと同じサイズ・・・とにかくメカに弱くパソコンも使えない人なので、設定も出来ないので「やってくれ」何とか初期設定だけはやったが、他の所がうまくいかないので「後でゆっくりやるから、とりあえず地上波は映るから見てて」と言うも「どうしても、ケーブルテレビをみたい」サポートのセンターに電話すると、台風の影響で60万世帯の停電がありその影響でまったく繋がらない。夫に電話させていたが「繋がらない。繋がらない。電気屋を呼んでこようか」「電気屋さんの問題じゃなくて・・」といっても理解できないらしい。パソコンで調べてみたが、思うような答えにヒットしない。LINEでも受け付けます、という表示があったので、繋げてみたら即対応してくれた。メッセージが出ている画像を送ったり、この部分がわからない、とコメントすると、すぐ答えてくれてやっと解決。結局終わったのが夕方。疲れました。まだ操作方法がわからないところがあるけど、この大変な停電が落ち着いたらサポートセンターも大丈夫だろうから、また後日。1日でも1時間でも早く復旧しますように。夫は操作方法が以前と変わってしまったが、何とか見れるので、ご機嫌である。この先、何かあるたびに、こんな調子では困ったなと、思ってしまう。高齢者にやさしいことはこの先ないような気がする。
2019年09月11日
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医療福祉関係の仕事を20年以上やって、しかも最後の15年は介護支援専門員という過酷な職に就いてしまい、身体がボロボロ。やっとの思いで辞めたと思ったら心疾患が見つかりOPE.血圧がずーっと高くて薬を飲んでいても改善されなかった。利用者さんの所で血圧を測ってあげる時があり、「ケアマネさんも測ってみてください」といわれ測ってみたら上が230位あって、利用者さんより高くて「大変、すぐ帰ってください」と言われた笑い話のようなこともあった。仕事を辞めても下がらず去年の夏は熱中症にかかるは、血圧が急上昇するはで、何度救急にかかっただろう。死ぬのかかもしれない、思った。ところが今年は血圧が低すぎるくらいになっている。昼90/50とかひどい時には下が43ぐらいになる時があり、夜は疲れて眠くて起きていられなくなるくらいなので、8月の受診で薬を減らしてもらった。「上がってきたら、また来てください」と言われた。時々低くなりすぎて薬を減らす時があったが、1週間も経たないうちにまた上がってしまうので元の量に戻していた。今は一番最低の量を飲んでいる。今回、どうだろう、と思いながら過ごしているが、まったく上がらない、むしろまだ低すぎるぐらいだ。寝る前はいつも100/50位。このままでいてくれるといいな、と思う。スポーツクラブに4年位通っているのも体に良いのかもしれない。クラブで仲良くなったお友だちも、薬を飲まなくなった、と言っていた。私もやめたい。2週間目に入るけどこのまま落ち着いて欲しい。
2019年09月03日
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7月12日から14日まで北海道に二女夫妻と行って来た。以前から北海道に行ったことがないので、行ってみたいと話していたので、「よかったら、行きませんか?」と誘われた。70歳の古希のお祝いを兼ねて計画を立ててくれた。札幌、小樽、函館とまわって来た。レンタカーで移動したので、荷物も持たなくて移動できたので楽だった。初めての北海道。道が広い・・家が可愛い、木々が本土とはちょっと違っていて景色が違う、風が爽やか、車も人も少ない、観光地も人混みでごったがえしている、ということもなかった。食べ物がおいしかった。婿殿がコンクリートの研究者で、北海道でも仕事をしていたことがあるというので、その後どうなっているのかを見てみたい、なんだかいろいろ寄り道をした。その中でどうしても一度見てみたいというものが函館にあるということで、ナビで検索しながら行くことになった。コンクリートの研究をしている者にとっては是非とも見たいと思うだろうと思った。日本最古のコンクリート電柱がまだ現役で活躍していた。私が知っている昔の電柱は確か木で出来ていたような気がする。婿殿、しばらく眺めていて、手で触っていた。「この部分、修復しているな・・」帰ろうとすると、学生風の男の子が来て、写真を撮っていた。「専門なの?」と聞いたら「いいえ、違います。」と、笑って答えてくれた。
2019年07月23日
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7月5日は父の誕生日。忘れたことはない。今生きていてくれれば99歳・・生きていてもおかしくない年齢。先日何十年ぶりかで倉庫の片づけをしたら、父の油絵が一杯出て来た。遺品の整理をしていて、処分出来ないものは私が預かった。大きなものはキャンパスから外して持って来たが、40号ぐらいの絵はそのまま置いてあった。また思い出してしまい、涙が出る。いつまでも置いておくわけにはいかない。子どもたちに負担になるので、思い切って処分することにした。でもどうしても捨てられないものは、家の中に置くことにした。そうでなくても壁は父の絵で一杯なのに。SNSで絵を公開したら、お友だちが欲しいと言ってくれたので選んでもらって一枚譲ることが出来た。感謝。母が6歳で亡くなり、父の兄の所に預けられたが、会いに来てくれるたびに私の様子が寂しそうだったのか、小2の夏休みに急に私を引き取ることにしてしまった。その後、父の仕事が不規則で、私は学校へ行かなくなり、そのうち喘息になり、ひどい状態に。私を養護施設に預けることも出来ただろう。父は都内でかなりの仕事をしていた。小4の時に、突然引っ越した。転職したのだ。家に居る時間が多い仕事に変った。私のためだったと思う。子どもの虐待のニュースを聞くたびに、私は父になんて愛されていたんだろうと思う。何も言わなかったが、年を取るにつれて父の優しがあらゆることで感じられる。幼い時から、隣に寝ていて目を覚ますと必ず絵を描いていた。どこに行くにもスケッチブックを持っていた。7月5日・・何をしようか・・・私は自分が死んだあと、子どもたちに、このように私という親を思ってもらえるだろうか。自信がない。生きている間は気づかなかったことが沢山ある。親ってそういうものなのだろうか。
2019年07月03日
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久しぶりに電車に乗った。スポーツクラブのお友だちと映画を観にいくために。いつもは近くの映画館で見るのだが、上映していなくて一つ先の駅にある映画館でやっていたので、車ではなくて電車にした。誰かを乗せるのは出来るだけ控えたいと思っている。乗った途端、席を譲られた。男性の方から。「ありがとう」と思わず言ってしまった。嬉しかった。私も席を譲られる年齢になったんだなと思った。席を譲るより、譲られる方が気持ちが良いということが分かった。今まで、席を譲ろうとすると「結構です。次降りますから」とか「大丈夫です。」とか断られることが多く、そうかと思うと、いかにも「譲れ」と言わんばかりの態度をする人。ある時は、ほんの少しの隙間でも、無理やり座ろうとする人、何度出会ったことか。そういう時はすぐ席を立つことにしている。「あら、ごめんなさい。立たせちゃったわね。」だったら座って来るな・・待ち合わせしていたお友だちと乗換駅で会って、「今、席を譲られたの。嬉しかった。」と話すと、「あら、よかったわね。嬉しいわよね。年寄り扱いするな、ぐらいに言ってくる人いるけど、思いやりが嬉しいわよね。」「年を取ると、うれしいことがあるわね」というと「これからもっといいことあるわよ」と言われた。そのお友だちは私より年上で、今年から後期高齢者になったので、バス代が半額になった、とのこと。いつもは最寄りの駅まで自転車を使ってくるんだけど、バスで来たのよ、と。これから暑くなるから、よかった。身体も楽だし。年を取るのも悪くない。10年位前までは生きにくい、と思っていたけど、だんだん楽になってきた。
2019年06月20日
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スポーツクラブへ行く日で車を使う。しばらく走行していると、車道を走っていた高齢の方が乗っておられる自転車がフラフラとよろめいて来て走行車線の真ん中あたりまで来てしまったので、慌ててブレーキを踏み、反対車線にはみ出て回避・・車が来ていなかったから良かったものの。すぐ信号機で青だったので「やれやれ」と思い渡ろうとしたら今度は青なのに平気で高齢者の方が自転車で渡ってきた。一瞬何だろうと、自分の目がおかしいのかと思ったが、やはり青!またブレーキを踏んで止まる。青でなぜ止まる?と思ったが、反対車線の車も止まっていた。安心して青信号も渡れない。勝手気ままに道路交通法無視で動いている高齢者の方が多い。横断歩道のない所を車の途切れた時にさっとわたるのはまだ仕方がないとしても、車が来ているのに、それを止めて、手押し車を押しながらゆっくりゆっくり渡っている方がいつもいる。それで渋滞になっている。高齢者だから許されるというのはちょっとおかしい。もしかしたら認知症になっているのかもしれないが。そのうち街中が認知症で溢れるようになるかも。自分もいずれそうなることは予想されるが気をつけたい。
2019年04月16日
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日曜日。礼拝後二女夫婦に誘われて、もう今年は最後になってしまうかもしれないと、お花見に誘われた。近くにある土手沿いの桜の木が満開で、風が時々爽やかに吹くので花弁が雪のように散って綺麗だった。こんなに満開で花弁がひらひら散るお花見は初めての経験。近隣の方たちが訪れているようで、みなさんゆったりとお花見をしていた。高齢の方が一人でお花見に来ていたようで、帰り支度をしていた。洋服に食べ物をこぼしてしまったようで、一生懸命拭いていらした。可愛かった。私たちもしょっちゅうこぼしている。こんなに穏やかな日曜日は何年ぶりだろう。ベンチがちょうど空いたので座る。娘たちがお茶の用意をしてくれた。携帯のコーヒー沸かし器を持って来ていて、温かいコーヒーを入れてくれた。お菓子を食べてしばらく桜を眺めながら時を過ごす。今日は洗礼式があった。60歳で決心をされた方。去年は11月に小学2年生から来ている子が洗礼を受けた。初めて私が授けたのだが、もう2度とないだろう、と思っていたのに、こんなに早く2回目があるとは。神様の計画は人の思いを遥かに超えている。受難節に洗礼・・そしてこんなに穏やかな日本の桜の風景・・・
2019年04月09日
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昨日の新元号で号外が出てあちこちで大変なことになってしまったニュースが流れていた。この年になると繁華街に出る機会も減り、号外をもらうチャンスなどないと思う。私が初めて号外を手にしたのは「ケネデイー大統領の暗殺」だった。初めて衛星放送で中継する歴史的な日だったのに。画像がぼけて大統領が車の中で倒れこんでいる写真で衛星放送の画面から写したようだった。まだ覚えている。衝撃的だった。号外を配る人から手渡された。場所は仕事帰りに遊びに行っていた有楽町。2回目は「三島由紀夫自決事件」四谷の自衛隊の駐屯地で演説をした後、切腹。一緒にいた同士だかなんだか知らないが、その人が介錯。首が転がっている写真も掲載されていた。場所は神田、仕事中。外に用事で出ていてもらったという社長の秘書から見せてもらった。良いことで号外が出るのは喜ばしいが、衝撃的なことで号外が出るのは、もらう方はショック。まだ二十歳になったかならない頃・・若くて事の重大さを受け止められなかった、というより頭が悪かったのかもしれない。
2019年04月02日
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ヨガを習うようになって3年以上。今日も朝ヨガに行ってきた。いつもの先生は私用でお休みということで代行の先生だった。何回か代行で習っているがとても素敵な先生。レッスンを受ける前に少しレクチャーがあった。ヨガは科学だそうだ。インドの外科医が始めたとのこと。テラピスはリハビリ。ヨガは呼吸。人と比べない。自分だけを見つめる。余計な力は入れない。脳にも良いとのこと。認知症の予防にもなる。ほかにもいろいろと話してくださったが忘れた。全部覚えていられなかった。自律神経を整える。体幹を鍛える。その他にもいいことが一杯。身体を気持ちよく動かして、いい汗をかく。いつも「周りを気にしないで。自分が出来るところでやってください。」と言われる。若い時から、足の長さが左右違い、ズボンの丈をつめる時長さが違っていたのだが、娘から最近「足の長さが同じになったね、左右同じにしてるよ。」と言われた。丈つめはずーっと娘にお願いしていたから。骨盤の修正も出来たのかも。10年20年ずーっと動けるように、体調を維持して行けるように・・といつも励まされている。周りの方たちも私よりずーっと年上の方ばかりなのに、みなさんとても若い。今日も終わった後立ち話をした方男性の方、80歳とのこと。(@_@)10歳は若く見えた。これからも出来るだけ続けたい。キリスト教徒はヨガはだめだと言われているけれど、本当の根拠は何だろう。
2019年03月25日
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去年の猛暑と熱中症の影響で、夏の間のお花の手入れが行き届かず、今年の春は何だか寂しい。長年咲き続けていた白い胡蝶蘭はもう今年こそ咲かないだろうと思っていた。葉も少なくなってしまったし・・と思っていたら、なんと花芽が出てくれた。もう今年こそ植え替えをしよう。去年の母の日に次女夫婦からもらった、ピンクの胡蝶蘭。お店の人から「来年は咲かないかもしれません」と言われた、と言っていたが、なんと!こちらも花芽が出て来た。形を整えているわけではないので、自由にさいている。それが可愛い。こちらは、何とか咲いてくれた白い胡蝶蘭。
2019年02月17日
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私ぐらいの年代になると、ご主人が退職されて家に居ることになったという友人が結構多い。ご主人を亡くされた友もいる。別に居てもかまわないし、気にする必要もないと思うのだが、お互い夫が在宅だと訪ねるのも気を遣う。そんなわけで、外でランチをしたり、どこかへ出かけたりということで交流していることが多い。一緒に散歩に行ったりもする。「今日は夫がいないから、遊びに来て」と誘われること多し。新年早々、近くのスーパーで一年ぶりぐらいに友人に会う。30年来の友人。毎年味噌作りであうぐらいしか、なかなか何度も会えない。もう一人の共通のお友だちと3人で我が家で新年会をする約束をした。理由は夫がその日朝から日帰りバス旅行でいない日だからだ。いつもお邪魔するばかりで、もう何年も家に来てもらったことがない。キッチンのリフォーム、トイレのリフォームのことも知らない。一人はその日午前中体操、午後は3時半から2度めの体操があるとのことでその合間に来ることになった。年をとっても皆本当に忙しい。家に居る暇はない様だ。餅ピザを作って食べることにした。やって来たときの手土産の多いこと。畑で採れた、白菜と大根、干し芋。朝、揚げてきたというお持ちのかき揚げ。美味しいと評判の近所のお肉屋さんで買ってきてくれた焼き豚とミートボール。いただいたというキーウィー。わかめ沢山(2人で分けた)。即席味噌汁。今年の味噌作りの日程を相談したりして、他の話にも花が咲き、食後のコーヒーを飲む頃はもう3時近くになり一人は帰った。もう一人としばらく話していると、携帯に電話がなり、何かと思ったら、今度は彼女の近所のお友だちが「お汁粉作ったから、食べに来て」という誘いの電話だった。急いで帰って行った。夕方からお汁粉ですか・・元気です。今年は血圧が寒いのにも関わらず低めに安定していいるので、何とか来月の1年検診まで体調落ち着いてくれるといいな、と思っている。
2019年01月16日
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冠動脈の手術をしてから、主治医に運動をするように勧められ、ちょうど友人の紹介もあり、近くのスポーツクラブに通い始めて、早3年以上。もともと虚弱体質で運動嫌い、家の中で読書や手芸をしている方が好きな方だったので、こんなに続くとは思ってもみなかった・仕事だと思って行くようにしている。週2~3回。主にスタジオレッスン。ストレッチヨガ、ウエーブリング、エアロビクス。骨盤エクササイズ・・・いろいろ組み合わせてやっている。身体を動かすのはとても気持ちがいい。終わった後、ゆっくり入浴して帰ってくる。家でお風呂に入らなくて済むので楽だ。4日の金曜日は今年初めてのレッスン。平日は同世代の方が多くて和やかな雰囲気。会話を聞いているだけで楽しい。二人の方は、どうやらご主人のことで気が合うらしく、いつも不満を言いあっている。お正月に泊り客が合ったらしく、ご主人に布団を干しておいて、とやり方まで事細かに教えて出かけたのに、帰って来たら全然違う事をしていた。問い詰めたら「聞いてない」と、のことで・・相手の方も「うちもそうよ、実は・・」と話し出す。ここでストレス解消されているみたいで何よりだ。ほかにも料理の話、お子さんの話、いろいろな話しが聞ける。あまり深入りしないようにしているが、それでも声をかけてくださる方が何人かいてお友だちになっている。映画に誘われたり、ランチを一緒にしたり、と去年は交流が増えた。今年もいつもお話しする方から「フジ子フェミングさんの書いた本読みます?違うお友だちに貸してあるんだけど、もう少しで戻って来るので」「読みたいです。あの方のファンなので」「あの方絵も描かれるのね。楽しい本だからぜひ読んでみて」「ありがとうございます。楽しみしてます。」去年は肺炎になったり、熱中症になったり、いろいろ体調を崩したが、運動をして体力がいくらかついているから、大事に至らなかったともいえる。今年も出来るだけ通って、体調を維持して行きたい。
2019年01月07日
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ユーザー登録をしてください、というメッセージが出て、なぜ今日記が書けているのにユーザー登録??乗っ取られたのかと思い、怖くなったので、しばらくほっておいたが直らない。ログインしなおしてみたら直った。ログインしっぱなしでもよくないのか・・・いちいち面倒だから、ログアウトしないで閉じていたのもよくないのかも。良かった。問い合わせするのも面倒だった。
2018年12月15日
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なぜか突然、コメントが書けなくなった。ユーザー登録をしてください。そうでなければ書き込み出来ません、といメッセージが出る・友人のブログへ行って書き込みをしたら、何も入力されていません、というメッセージが出て、コメント書いているのに、アップ出来ない。
2018年12月12日
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30年来の友人がずーっと前から視力が弱くなってきて、お嫁さんから「眼科へ行ってください」と再三言われていたのに、なかなか行かなくて、メガネの度も合わなくなり、ようやく重い腰を上げて眼科を受診したら、「ここでは治せないから大きい病院へ行ってください」と言われ総合病院へ行ったら「ここでは手術出来ないから、大学病院へ行ってください」と紹介状が出たとのこと。メガネをかけても0.3しか視力がなかった。白内障が右目の方が悪いと言わた、とのこと。白内障で大学病院じゃなきゃ手術出来ないなんて、相当悪いんじゃないの、と思って「何かほかにある?」って聞いたら「何とか、って言ってたけどよくわからなかった」大学病院受診したら、加齢黄斑変性症だとのこと。相当進んでいるらしい。やっと受診する気になったのは、字を書いていて、線が歪んで、気になったから、とのこと。彼女耳も悪くて、お嫁さんから補聴器の調整をしてきてください、とずーっと言われているのに、行かないから先生の説明もよく聞き取れなかった、とのことで、その後はお嫁さんがずーっと付き添っている。白内障だけの左目だけを最初にやって、1週間後に悪い方の右目を5日間入院で手術した。退院しても週に1度受診している。まだ違和感があってあまり良くない、と言っている。「だから早く行ってください、って言ったのに。これでわかったでしょ」と言われたらしいが、懲りないかもしれない・・メガネを作り直さなければいけないので、今のところ裸眼で過ごしているため、転倒の危険があると思われてお嫁さんから行動規制がかかっている。趣味のハイキングも体操教室も畑仕事も禁止。家に居るのが嫌いな人だから、認知症にでもならないかと心配。週1回は訪ねるようにしている。昨日はわたしの眼科受診だった。友人が加齢黄斑変性症で手術したので心配になった、と話したら『自覚症状ありますか?」と聞かれ「特別ないんですが」というも「一応検査してみましょう」と言うことになり、網膜の検査をしてもらった。「正常で、問題ありません」とのこと。近視、乱視、緑内障、そのうえ加齢黄斑変性症にまでなったら、もう目も当てられない。最近眼圧は低く抑えられているので進行はしていないようだ。ホットして帰ってきた。
2018年12月05日
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知り合いのご主人が亡くなった。自宅でお酒を飲んでいて、吐瀉物がのどに詰まって窒息死。外出から帰ってきた奥様が発見したとのこと。自宅で亡くなると検視が入って大変だ。まず身内が疑われる。犯人扱いされて大変だったと聞いた。75歳。現役の頃は相当の地位にいて良い仕事をしていたらしいのだが、定年後何をしていいかわからず、酒浸りになっていったようだ。最近は自宅の離れにこもりっきりで、家族も手を焼いていて、まったく言うことを聞かなかったらしいから気苦労が多かったことだろう。順調に人生を歩んで来て、仕事に邁進して、パッと定年の日を迎えた・・・今まで歩いて来た道が突然切れて、次はどこへ行けばいいのかわからなくなってしまったのか。切れた先にある道が見つからなかったのか、わからなかったのか、気づかなかったのか、そこで立ち止まってしまったのか・・行くべき道、最後まで続いている道を歩いて行ける安心感を味わってほしかった。
2018年09月26日
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何でこんなに疲れるのかと思っていたら、熱中症だった。食欲もなくて、何もやる気がしなくて、ごみを一つ片づけるのも思い切ってやらないと行動に移せなかった。暑いせいだとたかをくくっていたのがいけなかった。熱中症は体力がすごく消耗するらしい。経口補水液をたくさん飲んで、安静にして、本当はシャワーも浴びない方がよかったらしい。それだけでも体力が消耗するとのこと。熱中症になっていた頃からだと思うが、咳が出始めた。いつも無頓着な夫でさえも「咳が出るな・・」と言っていたほど。救急で診てもらった後、かかりつけの医院で受診して、咳が出ることを伝えて、咳止めをもらって飲んでいたが、あまり改善しないし、呼吸がぜーぜーして、痰も出るようになってきたので、再度受診。胸の音を聴いてもらうと、確かにヒューヒューしているとのこと。聴診器を当てている時も何度も咳込む。念のためレントゲンを撮るが異常なし。呼吸器の方ですね。喘息かもしれません。以前喘息がありましたよね。二十歳まで喘息で、小中学校は休みがち、いまなら落ちこぼれ、親が「この子は結婚出来ないかもしれない」と思われていたくらいだったのに、結婚したら治ってしまった。熱中症で咳が出るのかと思っていたら、熱中症で体力が落ちたために、収まっていた昔の古傷の喘息が出てきてしまった、ということになる。昔の苦しかった記憶がよみがえって来て愕然となった。まだそれほど苦しくはないのだが。「吸入をすればいくらか楽になるかもしれません」と言われ、生まれて初めて吸入なるものをした。いくらか楽になった。自宅でも吸入をしてくださいと、吸入薬を処方され、咳止め薬をまたもらって帰ってきた。5日後にまた来てください、と言われ、昨日受診。よくはなっているが、それほど良くはなっていない。結構長引いていますね。抗生物質を出してみましょう。それから、痰を切る薬も出します。まさか、最後になって、喘息が出てしまうとは・・・薬剤師の方に、疲れないようにしてください、と言われる。早く収まらないと、何も出来ない。スポーツクラブも8月はほとんど行っていない。9月は結構予定が入っている。先生は、もう熱中症の方は大丈夫でしょう、とのこと。こんなことでは、来年の夏はどうなってしまうのだろう。もういないかもしれない。
2018年08月31日
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7月中旬からずーっと体調が悪かったのはどうやら熱中症になっていたかららしい。家の中でクーラーの効いていない場所に出ると急に汗が噴き出して来てびっしょり。汗をかくのは循環が良いから、とか言われたりしていた。血圧が急に190とか200とないなってしまい、しばらくたつと下がる。夜は100以下になり夜9時まで起きていられない。身体がフラフラする。すごく疲れて何もする気が起きなかった。猛暑だから家の中にいて外にはあまり出ないようにしていた。7月に行きたかった「レース展」もお友だちが「こんな暑さではどうかなるかもしれないからやめましょう⦆と言われ中止にしたくらいなのに。夏休みで長女一家が戻って来て、夕方皆で食事に行った。座敷を予約して食べていたのだが急に具合が悪くなり、横になってしまった。しばらくしたら良くなる。次の日は皆で仙台に一泊旅行の予定があり、体調万全ではなかったが車の移動だしと思い決行。仙台は涼しくてむしろ体調よかった(気がする)。帰って来たらまた猛暑。何となく体が熱い。微熱があり、だるい。気持ち悪い。義息子が「お母さん、病院へ行きましょう。僕たちがいるうちに出来ることをしてあげたいので」と。次の日には帰ることになっていた。もう夜も8時過ぎでかかりつけの医院も夏休み、2日後には受診の予約が入っているから、その時に診てもらおう思っていたのだが、救急病院に連れて行かれた。何と熱中症だった。点滴をしてもすぐには良くならないとのことで、経口補水液を1.5リットル飲むように言われた。身体の外側が熱くなっているので冷やしてください。確かにクーラーの効いた部屋から出ると急に身体が熱くなっていたのを思いだした。漢方薬を1日分出します。薬局でも売っていますし、病院でも出してもらえます。とのこと。「自分は熱中症にはかからない、大丈夫」と思ってはいけない。熱中症になった時と熱中症予防との対策は違う。ただ水分補給をしていればいいのでなく、素人判断は危険だと思った。早めに受診した方がいい。パンフレットに書いてあったが、誰かが気づいてあげることが大切、と。義息子が気づいて連れて行ってくれなかったら、もしかしたら死に至るかもしれなかった。医師の言うとおりにして過ごしていたら、今は体調良くなり、だるさもとれて、少しづつ動けるようになってきた。体温機能調節が乱れてしまうらしい。まだ、生かされているし、やることがある。出来ないかと思っていた子どもデイキャンプも日曜日無事に終了。子どもたちいっぱい来てくれた。感謝。感謝。まだしばらくは注意が必要だけど。
2018年08月21日
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先日50年ぶりぐらいに、高校時代の部活の友人たちに会うことが出来た。クラス会には時々参加していたのだが、共通の友人がいて、「機会があったら会いたい」旨を伝えていた。彼女は時々彼らと飲み会をしているらしく、「一人女の子の都合が悪くなったので、来ない?ちょうど会いたいって言ってたでしょ」と連絡が来た。体調も落ち着いたので、行くことにした。待ち合わせ場所は育ったところなので、大丈夫。でも50年も合わなくてわかるだろうか・・定期的に会っている彼女がいるから心配はしていなかったけど、どれだけ変わったのだろうか。もうお互い60代後半。待ち合わせの場所で会った途端、まったく変わっていないことに驚く。しゃべり方も雰囲気も同じ。年は取ってもこんなに変わらないものなのか。一辺に当時に戻ってしまった。行きつけのお店に案内されて食事をしながら当時の話をする。まるで昨日のことのようにはっきりと思い出せる。私たちは放送部に属していた。私は最初体操部に所属していたが、持病の喘息が出てしまい、夏休みのが合宿が終わって退部することになってしまった。その時、「放送部に入らない?女子私一人なの」と誘われt入ったのがきっかけだったが、あまりの楽しさに、その後卒業するまで、放課後、昼休みすべて部室に入り浸っていた。最近知ったのだが、私たち戦後のベビーブーム、それ世界的にもそうだったらしいが「対抗文化」を生み出したらしい。世界中で既成の権威や枠組みに抗した「文化」を指して用いられる表現だとのこと。大したことではないかもしれないが、私たちも確かにそうだった。放送部は部活動であったが、少し他の部活と違っていて、学校側についてるような感じだった。入学式、卒業式、運動会、文化際、といった行事物には放送機材を使った放送技術が必要だったので、それを提供していた。昼休みや下校時間の音楽もすべて担当していた。それらの中で、まず私たちは、長年使われていた音楽を全部廃止して、部活の活動費で全部好きなレコードを買ってしまった。そして、下校時の音楽を「蛍の光」から「グリーンスリーブス」に変えた。当時あまりにも斬新で、みんなから「下校の時に、素敵な音楽を聴くことが出来てよかった」卒業生からの手紙をもらったりした。その後、他の学校も「グリーンスリーブス」に変えたという話をずいぶん聞いた。何かを変えたい、という思いがあったことは確かだ。「よく、顧問の先生が何も言わなったね。不思議だね」と当時を振り返って話し合った。そんなことがいっぱいあったので、忘れられない。「忘れてなかった?」と聞いたら「忘れるわけないよ」と。その後学生運動が始まったが、それも「対抗文化」の一つかもしれない。
2018年07月23日
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届いた保険証券と今まで入っている証券を一緒に持って予約時間に訪ねる。指定代理人の手続きもすべて終了していた。担当者がずーっと変わらないのも安心だ。「安心の輪ファイル」というのに、すべてまとめてくれた。1番最初が「病気とケガへの備え」保険対象者、受取人、指定代理人、連絡先、保険会社と証券番号が一目でわかるような表紙を付けてくれた。それに関連する書類が次にファイルされた。2番目が「がん、三大疾病への備え」。また、同じような内容の表紙を付けてがん保険がファイルされた。3番目。「残された家族への備え」として、死亡保険金が受け取れる証券がファイルされた表紙。私は持ち帰った後、このところにわずかではあるが株券と国債の証券をファイルした。証券会社に聞いたら、死亡証明書があれば、相続できるとのこと。他に、記録しておきたいこと、としてノートが挟んであったが、これは毎年更新しているエンディングノートがあるので大丈夫。娘が「どうだった?」と後で来てくれたので、ファイルを見せて「どこへしまっておこうか・・」と迷ったが、結婚した時に持ってきた小さなサイドボードがあるのだが、3個引き出しが付いている。その真ん中の引き出しに入れておくことにした。何かあったら、すぐ出せるように。キリスト教徒はいかに死ぬかではなく、いかに生きるか、だ。「時間の節約や他人の称賛は意味はない。大事なのは目の前にある仕事だ。全力を捧げなければいけない。長く生きることに執着してはいけない。私が去った後の時間は私のものではない。生まれる前と同様わたしのものではない。さあ、仕事を片付けるのだ。」 (あるユダヤ人の方のことば)
2018年06月22日
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2回目の予約。自分が入っている保険証券をすべて持参して内容をチェックしてもらう。30年以上入っている夫婦型のがん保険は、保障が少ないものの、夫が亡くなっても妻に引き継がれるし、払込金がすごく少ないのでこのまま継続しましょう、と。37歳の時に友人が生命保険会社の勧誘員だった時に勧められて入った保険で途中で払い済みに変更していたものがあった。死亡受取金が270万円位。これは最高に良い保険。こんな良い保険はもうありません。払い込んだお金が90万円位なのに約3倍の受取金。まさしくリスクの無い投資、素晴らしいです。解約しなくてよかったですね、と。「これは死後清算金として残しておきましょう」と言われた。それから、入っているすべての保険に指定代理人をつけることにした。私が保険を請求出来ないようなことがあった時困るので、近くに住む二女にお願することにして、これは自分で保険会社に連絡して手続きをしてください。と言われた。新しい保険は最初から代理人の手続きをしてもらった。他に骨折した時に出る保険も入っていたが、今度の新しい医療保険で賄えるので、解約してもいいでしょう。そうすれば今までより少し高くなる保険金に回せます。と。新しい医療保険は通院や抗がん剤にも保険金が支払われることになっている。日帰り手術も含まれる。これから何が起こるかわからない。病気になる罹患率も高くなる。保険に入らなくてもお金を貯めておけばいいという人もいるが、貯めるまでに時間がかかるし、そのためにお金を貯める人は少なくて、結局使ってしまう人が多いとのこと。無理な保険料を払ってまでも、保障をあつくする必要はないが、分相応な保険は安心のために必要と思う。しかも今回入った保険は5年間3日以上の入院をしなければ、6年目からは保険料が半額になるという。契約も窓口で出来るということで、お願いする。スマホにしてよかったことがいっぱいあるのだが、今回もスマホを使って、契約を簡単に済ますことが出来た。印鑑押したり、銀行の口座がどうのこうのもないし、スマホで決済が出来た。スマホすばらしい!でも、これも窓口の担当者が一緒にやってくれたからこそ出来たことだ。保険の契約もこういう時代なのね、とびっくりすることばかり。保険証券が自宅に届いたら、その証券をもって、またご来店ください。予約をして帰ってきた。
2018年06月15日
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とりあえず、今回更新手続きの案内が来た医療保険の書類をもって、予約時間に訪ねた。いつも利用している駅の周りなのに、車です通りしていたらしい、全然気づかなかった。こんなに駅のそばにあったのか、と。対応してくれた女性は娘とあまり変わらないぐらいの年齢でフィナンシャルプランナー。苗字が嫁いだ長女と同じだったので親近感を覚える。まず、事情を説明する。この年齢で、しかも心臓の病気をしているので、更新するしかないのか、を聞くと、病気をしていても3年以内に3日以上の入院、手術をしていなければ、加入できる保険、緩和型というのが幾つかあります、と言われた。私の条件に合う保険をいくつかシュミレーションしてくれて、今入っている保険料の2倍以上払わなくてももっと条件のいい保険があることが分かった。更新するよりはずっと保障が良くなる。説明だけ受けて、次回は今自分が入っている保険を見直してもらえるということで、他の保険証券をもって、次回の予約をして帰ってきた。1社だけに聞くと、自分の所の保険しか勧めないし、解約するか更新するかの話しかしてくれなかった。減額するか更新かないのかと思っていたので、とても気持ちが楽になった。説明も詳しくしてくくれて10時に予約して話に入ったのだが、3時間近く納得がいくまで対応してくれた。難しかったら娘に一緒に話を聞いてもらおうかとも思ったが「理解力が早くてびっくりです。とてもそのようなお年とは思えません。」と言われ、お世辞だと思うが、なんだか気分がよくなって帰ってきた。
2018年06月13日
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この2年ほど本当に体調が悪くて、何回も救急で(救急車ではない)お世話になっている。落ち着いたかなと思うと、突然おかしくなり、5月の初めも夕方急に寒くなり、何か上に着よう、暖房をつけようか、と思っているうちに今までに経験したことにないような頭痛が右後頭部に来て、胸が痛くなった。血圧を測ると200以上、すぐベッドに横になったが、胸の痛みは軽減するも気分が悪いのはおさまらないので、かかりつけより検査とかで行っている大きな病院の方がいいと思い夫に車で乗せて行ったもらった。やっとの思いで着いたら、もう午後の診察は終了。緊急外来へ行ってください。15分ぐらい待たないと開かないとのこと。病状を伝えて、座っていることも出来ず長椅子に横になってしまった。このままなんだか死んでしまいそうな気がした。車の中でも意識がもうろうとして、このまま終わりになるのかな、でもこういう時なんて言えばいいのか、言い残す言葉も見つからない、と思った。でも自分の中では何となくまだイエス様から「行こう」って言われてないような気がした。やっと時間が来て診察。気分が悪いのは大分おさまっていた。脳出血していることも考えられるから脳のMRIを撮りましょう、と言われ検査室の前で待つ。夫は何の役にも立たず、ちょうどその日は娘が休みだったことに気づき連絡して来てもらった。娘が来た途端「俺は帰っていいか」とさっさと帰ってしまった。「何か飲み物買ってこようか」と言われたが「どうしようか・・・」というと、看護師さんに聞きに行ってくれて「今はやめておいた方がいい」と言われたとのこと。検査の結果は異状なし。しかも脳はしっかりと詰まっていて隙間はなかった。先生から「しっかりしてます」と。安心した。その後回復室でしばらく休んでいると、血圧下がってきた。200以上あって先生も薬を出すかどうか考えていたらしいが、「今は血圧は急に下げないようにしています。急に下げて脳梗塞になる症例も出ているので、体を起こしても高くならないようだったら帰っていいですよ。」この1年ほど急に血圧が高くなる、ということがたびたびあり、身体がすごく疲れる。思えばいつどうなってもおかしくない年齢になっていた。いらない物は極力捨てるようにして、部屋の中も整理している。他の事も整理しておかなければ。エンディングノートは毎年元旦に見直している。医療保険の更新の手続きが来て、中身を読んでみると、15年で契約更新をする保険に入っていたらしい。わかっていたけど、今年なのね。何と払い込み金が3倍近くに跳ね上がっている。どうしよう、経済を圧迫する金額。電話したら、減額は出来るが保障が少なくなって、入っていてもあまり意味がないような気がする。長女に相談してみると、次の日「保険の窓口」に行ってみたらどうか、とのこと。自分も保険の見直しで相談しに行ったら、とても親切でいろいろ教えてくれたから、と書いてあって近くの「保険の窓口」のホームページを貼り付けてくれていた。すぐ、検索すると、予約もネットから出来るようになっていたので、早速予約をした。
2018年06月08日
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娘たちが中学校を卒業した記念に植えた2本の梅のうち1本の小梅が毎年実を付けている。去年は出来が良くなくてあまり収穫出来なかった。しかも黒い斑点が出来てしまって、とりあえず塩漬けにして保存。でも美味しく食べていいる。今年は豊作で実がたわわに生って、きれいなうちに収穫することにした。まだ早いとの声もあったが、ジュースにするなら青い方が香りが出て美味しいと聞いたので。一人では無理なので娘に手伝ってもらった。1キロ半位取れた。500グラムづつ3瓶作ろうと思い早速作業に取り掛かる。実際はこの倍は取れています。作り方を調べてみたら、お酢を入れるといいと書いてあったので「そういえば新しいお酢を買ってあったはず」と思い出し、上から注いで1本目終了。ところが!瓶を見たら、なんと!らっきょう酢ではないか。らっきょう酢を入れてしまった。らっきょうをつけようと思って買っておいたのをよくラベルを見もしないで使ってしまった。仕方ない。これは私が飲むことに。どんな味になるのか想像つかない。たくさん入れたわけではないので、何とか飲める状態になってくれればいいけど。次の2本は普通のお酢を入れて終了。娘に1本上げる約束をした。すぐ気づいてよかった。
2018年05月24日
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長女から(芍薬) 二女から( 胡蝶蘭)
2018年05月22日
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