全146件 (146件中 1-50件目)
昔は、登校拒否といった。最近は、拒否しているのでなく、行きたくてもいけない子もいるので、不登校と言う。シューレなどでは、選択登校といっている。新聞には、不登校は減ったようなことが出ていたが、現場の教師の間ではそのような実感は、全くない。不登校は、大きく5つつのパターンに分けられるようだ。ひとつ目。・・・息切れ型。親が敷いた安全なレールの上を期待どおりに走って来たが、途中で息切れしてしまうタイプ。中高生に多い。本人は、プライドが高く、優越感があり、友人の評価も高い。不登校になると、このパターンはひきこもる傾向がある。(続く)
2004年08月22日
コメント(0)
塾のこと、学校のこと、これから、どうするか、ああではないか、こうではないか、考え、疑っている。そうした自分の殻の中で、あれこれ考えている。どうすることが、自分に一番いいのか、いつも、まず自分のことを考えた。なにか、せまいところを右往左往していたようだ。おおいなる願い、そこに一つになっていくとき、自然にちいさな自分も生かされていく。自分を離れたときに、自分が最も生かされていく道が開かれることを忘れていた。蚊のような小さな虫も、鳳(おおとり)の翼に乗れば、九重の天までも駆けることが出来る。大いなるものと共にあるとき、自分の小さな迷いというものは、吹き消されてしまう。自分ではなく、大いなる願いを中心に置こう。
2004年08月20日
コメント(0)
「あのね、いま家の上にゆーふぉーが来とるよ。」「どんな人がのっとるの?」「あのね、こどもみたいな人」・・・・レイキのセッション中に、レイキをしている祖母に向かって、「おばあちゃんの横に、ひげの生えたおじいさんがニコニコしてたっとるよ」「おばあちゃんの頭からズーッとひかりがでて、天につながっとるの」等という。後で、レイキの祖、臼井甕雄師の写真を見て、「このおじいさん」といっていたそうな。あの時、6歳でサードまでアチュ-ンメントを受け、おじいちゃんと一緒にお花が育つように、レイキしていたきょうこちゃんも、小学校5年生になる。
2004年08月13日
コメント(0)
古本屋で国書刊行会発行の本を見つけた。アレイスタークロウリーの黒魔術関係の本は、チョット読むのが怖かった。というのも、以前知り合いがタロットに凝って、そのせいか、近親者が事故でなくなっている。岐阜の木星王という人に習ったとかで、基盤は、悪魔信仰だ。身近な者に不幸が訪れても、それを乗り越える意志がないといけない、云々。以来、黒魔術関係は、避けてきた。しかし、その大家であるA・クロウリーについて、さまざまに言われきたことも、一方的ないわれ方であるかもしれないと、最近思うようになった。怖い物見たさで、つい手にとって立ち読みした。印象に残ったのは、真言密教と魔法との共通点だ。魔術でも、密教でも壇を作り、象徴を飾り、四方(東西南北)を結界する。心身を清め、守るための章句(マントラ)を唱え、文字に書く。心理的な準備をし、さまざまな象徴を用い、対象とする霊の召還を行い、祈念に入る、など、形式は異なっても、その手順はかなり共通している。結局、呼び出すのが、悪魔か神仏かの違いなのだ。もともと、ヨーロッパではキリスト教会から異端とされたから、魔法、悪魔呼ばわりされたといえるのではないか。そもそも教会では、人間は決して神にはなれず、神との合一を唱えるものは、異端者なのだから。したがって、新プラトン主義など、神秘主義者は、教会側からみれば悪魔信仰者だ。しかし、インドから日本にかけては、古代からシャーマニズムがあった。さらに、もともと神の存在を設定しない仏教では、神霊との合一という思想が自然と受け入れられ、密教が興ったのだろう。魔術も密教も同じと言っては、乱暴すぎるだろうか。しかし、考えてみれば、ある霊とつながり、その力を利用するのは、宗教だけではない。先に述べたタロットは、背後に宗教的な思想があるが、占いなどインスピレーションにたよるものや、レイキなどのヒーリングも、なにかの霊とつながったり、協力を得て成されているように思われる。それが先天的なものか、訓練によるものか、コントロールできる、出来ないのちがいはあるが。キリスト教原理主義者から言わせれば、その全てが魔法となることだろう。呼び方はいろいろだが、大切なのは、どのような意図(宗教的に言えば、祈り)をもって行うか、ということ。これが、自他に起こる結果に大きく関わってくる。最近、最高の祈りとは、感謝、ではないかと思う。
2004年07月31日
コメント(1)
17世紀、アメリカに渡った多くの西洋人は、アメリカ先住民と接触し、彼らの平等、自由な生き方を見て衝撃を受け、多くを彼らから学んだのでしょう。当時の思想家たち、特に啓蒙思想家たちは、かなりアメリカ先住民族の思想に、影響を受けたらしいのです。例えば、「民主主義思想の父」と呼ばれるイギリスの思想家ジョン・ロックは、のちのフランスのモンテスキューやヴォルテールに影響を与えます。彼はアメリカ原住民族の社会構造を引用しながら、自然法、平等、司法権、立法権などの考え方を打ち出します。「人間不平等起源論」のジャン・ジャック・ルソーもアメリカ先住民族から学び、人民主権、自然への回帰を訴えます。あのベンジャミン・フランクリンもそうです。アメリカ先住民族の行政官を務めた彼は彼らとの交渉の中から彼らの考え方・生き方を学びました。トマス・ペインもそうです。名著「コモンセンス」に影響を与えました。さらには、フランクリンを師としたトマス・ジェファーソンもかなりアメリカ先住民族を研究したそうです。そうです。そのジェファーソンからあの偉大なアメリカ独立宣言が生まれ、その後のアメリカ合衆国憲法へと帰結します。この二つも大分、アメリカ先住民族の思想から影響を受けています。その後、このアメリカ先住民族の自由と平等の意識は、フランス革命に受け継がれ、フェミニズムのルーツにもなり、マルクス・エンゲルスの社会主義にも影響を与え、世界中の独立革命にも影響を与えていきます。そして、現在の日本国憲法、国連創設、世界の民主主義に行き着くわけです。これほど私たちにアメリカ先住民族の教えが影響を与えていたのは驚きました。そして今、私たちは再度、彼らから学びなおさないといけない時期にきています。彼らの思想は人だけでなく、自然と共生することを根源としています。私たちは物質的豊かばかりを求めて、自然を破壊し、私たちの心も貧しくしてしまっています。彼らから自由と平等の意味をまた学び直さなければなりません。本当は人だけでなく、動物・植物・虫たちも平等だという意味だったのです。民主主義といえどもまだ、差別をしてしまいます。お金を持っている人・国が、貧しい人・国を支配しかねません。私たちは彼らから、自然と共生していく方法、他の人々と平和に生きていく方法、欲の制御の仕方、正しい考え方、精神的な豊かさを重視していく生き方など、まだまだ学ばないといけないことはあるのです。
2004年07月30日
コメント(0)
いじめによる十代の子供の自殺、7割が男子。一方、いじめ電話相談をしている保坂展人さんによると、相談してくるのは、ほとんどが女子だそうだ。ここに、男は、小さなときから、「男の子は泣いてはいけない」、「男の子は弱音を吐いてはいけない」、という「男らしさ」の縛りが見えてくる気がする。四十代、五十代の男性の自殺が多いのも、根源は同じではないだろうか。ついでに言うなら、定年後の男性が、ある日突然、妻に離婚される。妻はわかってくれている、と、男として、家族のために、仕事だけをしてきた夫の悲劇。いったい、「男らしさ」とは何なのだろう。
2004年07月17日
コメント(2)
「消費者契約電子通信料金未納の最終通達書」このたび、ご通達致しましたのは、貴殿のご利用された電子通信料金未納分について、ご利用通信会社から委託を受けましたので大至急、当社までお支払いください。・・・法務省認可特別法人・・・という葉書。消費者センターに電話したら、今日だけで20件ほどの連絡が入ったそうである。葉書のところに電話すると、30数万円を請求してくるそう。「こうゆうのは処罰してもらえないのか」と聞いたら、「警察に電話してください」警察に連絡したら、「ほっといてください。」「書いてある番地に行っても、なにもないし、電話も他人名義で、探しようがないんです。」と、捜査する気がないという返事。これを真に受けて数十万のお金を払った人は、泣き寝入りするしかないようです。詐欺に遭ったときのための保険があったら入っておきたい。
2004年07月15日
コメント(3)
必ず・・・と、約束したから、いまここに、いることができる。数々の事を越えて、やっと、ここまで来ることができたのも、あのときの約束があったから。なのに、どこか脇に忘れてしまっていたことは、なかったろうか。なんのためのこのいのち、いつまで続くのかは、誰も決められない。ただいのち続く限り、あの約束を忘れず、まっすぐに、歩いていこう。
2004年07月12日
コメント(0)
天風哲学のすすめ 新風 特別号 2004/07/05 より----- Original Message ----- From: "Ogawa Kotaro"Sent: Friday, April 30, 2004 3:27 AMSubject: FROMイラク前略。皆様、お元気でしょうか。私はイラクにいます。バクダッド到着日に新たに2人の日本人が人質になり、その次の日に3人の人質が解放、その2日後に2人も無事解放と人質関係の仕事ばかりしてました。その後はサマワに行ったりしたけど(その模様は30日金曜日に「報道ステーション」で放送予定)、今ははっきりいって暇です。 米軍の報道規制が厳しいのと誘拐の恐れがあるのでバクダッドから動けないのです。同行したジャーナリストの叔父も早々に引き上げ、今は通訳と2人で午前中は難民キャンプなどの取材、午後は読書とチグリス川で釣りをする毎日です。大手テレビ局が引き上げたので、何かあったときのためのスタンバイという感じです。 日本では人質事件以降イラク報道の熱が冷めたように聞いてるけど、本当ですか。イラクは実は今こそ酷いことになってます。特にファルージャという町での米軍の蛮行は目に余るものがあります。スナイパーが面白半分に通行人や子供を撃ち殺し、町は手当たり次第に空爆、でも報道規制があまりに厳しいため、こうした現実は町から命がけで逃げ出してきた避難民の証言でしか伝えられません。2週間で1000人近い人が死んでる。これはもう戦争というより虐殺です。罪のない無実の人間を殺す、これこそテロ以外に何者でもないと思う。 今イラクのみならず、アラブ世界全体が「ファルージャを救え」と叫んでいます。すでに10万人近い市民が町を脱出したけど、脱出途中に撃ち殺されたり、無事抜け出せても住むところもなく、バクダッドに急遽できた難民キャンプで不自由な生活を強いられています。イラク全土で憎しみが増幅しています。もちろん米兵も沢山死んでいます。「大本営発表」の倍は死んでる。ここまで死人を出してアメリカが守りたいものが結局「石油」や「復興ビジネス」でしかないのだと思うと、怒りを通り越して虚無感を覚えます。 人質がバッシングの嵐に遭っているそうですね。かわいそうなことだと思います。2回目の2人は地元の人の忠告を無視して危険地帯に突っ込んだので仕方ないにしても、最初の3人を責めるのは可哀想だと思います。 彼らが通った陸路は我々も3月に通って何の危険もなかったごく一般的なルートでした。何よりもかれらはそれぞれイラクのために役立ちたいと考えて来たのに、まるで罪人あつかい。自衛隊の活動に迷惑がかかるというが、自衛隊も外交官もNGOもジャーナリストも各々がイラクの役に立ちたいという共通の願いを持って来ていて、その思いに上下貴賎はないと思うのですが。むしろ、自衛隊は守りが堅固で攻撃したくても難しいから民間人が狙われたのです。こんなこと言ったら今の日本ではバッシングの対象ですか。個々の自衛隊員には全く罪はないし、とても大変な任務を頑張っていると思うけど、狙われているのは残念ながら事実です。 ここ20年、日本のNGOもジャーナリストも世界の紛争地で危険にさらされることなく活動してきた。第二次大戦以降、日本人がここまで明らかに政治的意志を持って狙われたのは今回が初めてだという事実をもっと真剣に受け止めるべきじゃないのかと思います。誘拐は追い詰められたファルージャの人々の「窮鼠猫をかむ」的行動でした。でもなぜ日本人かというと、日本がイラク戦争に賛成し、今も軍隊を駐留させているから狙われた、それだけのことです。自衛隊が人道援助に来ているというのはサマワの半数ぐらいの人とバクダッドの一にぎりのインテリしか知らないことで、大多数のイラク人は残念ながら「日本はアメリカに味方して軍隊を送っている」としか思っていません。 それでも、バクダッドなどのイラク人は相変わらず親日的なので、町を歩けば皆笑いかけてくれるし、誘拐事件のことは「卑劣な行為だ」とまるで我が事のように同情してくれます。しかし、ファルージャなどの追い詰められた人々はそんな余裕はありません。もちろん、アメリカの占領に対して武力でしか戦わないイラク人にも問題はあります。 アメリカはイラクの占領政策について「日本のGHQをお手本にする」と言ったそうだけど、日本とイラクでは事情が違いすぎます。アラブ人は千年前は自分たちが世界の中心だったという強烈な自負と誇りがあり、決して抵抗を諦めないでしょう。それがデモなどの政治運動に繋がればいいのだけど、彼らはそれよりも武力を信頼しています。身の回りに武器があふれていて、政治活動という回りくどくて勝ち目のない戦いよりも、操作さえ覚えれば敵を殺せる「武力闘争」のほうがはるかに説得力があって、どうしても惹かれてしまうのです。日本で言えば戦国時代の思想なんだけど、武器だけは近代的だというのが問題です(それも結局アメリカ製だったりするんだけど)。ここでは「兵器」という名の「思想」がはびこっています。それでも結局彼らに勝ち目はないでしょう。兵力に差がありすぎます。 人質事件が起こった今こそ、日本でもイラク問題に関する根本的な議論が行われてもいいと思うのだけど、バッシングだけで終わってしまうとしたら寂しいことです。世界の中で日本がどうあるべきか、ということを考える近年まれに見るよい機会だと思うのですが。でも、日本にいるとそんなこと考える余裕がないというのも確かだと思います。僕自身、働き始めてからはそうした問題はなるべく考えずに避けて通ってたし。仕事に追われ、そのうさを晴らすように腹いっぱいメシ喰って、ポンだチーだと叫んでやり過ごしてた。 でも、今回ばかりは・・・という気がします。前回イラクから帰って心から思ったけど、やっぱり平和というのはいいものです。日本で満開の桜を見て、それを楽しむ人たちを見るだけで涙が出そうでした。有難いことだな、と。できれば世界中の誰もがこの幸せを感じられればと思うのだけど、自分に出来ることといえば、目の前で起こってることをなんとか伝えることと、こうして心ある人にメールを書くことくらいです。 安全には十分注意を払い、現地大使館とも連絡をとりながら、なるべくおとなしく暮らしています(今の大使は立派な人で、外務省の退避勧告が出てるのに、私ごときの駆け出しジャーナリストを応援してくれます)。いのしし歳なので、ときには理不尽な現場に突撃したい衝動にかられるけど、ぐっとこらえてチグリス川の川面を眺めています。きっといつか役に立てる日が来ると思いながら。なんだかわからない何かを知るために。 少々飲みすぎて感傷的なメールになってしまいました(イスラムの国でも「不良」のためのヤミ酒屋があります)。あと1ヶ月くらいはバクダッドにいる予定です。また、メールします。再見。小川功太郎*5月初旬発売の月刊『現代』に前回ファルージャに行った時のことを書かせてもらいました。よかったら読んでください。
2004年07月05日
コメント(0)
トム・クルーズが難読症(学習障害の一種)だった。トップ・ガンに出ていたときは台本が読めなかった。周りの人と作品のことを話題にして、せりふを覚えていったと彼自身が語っている。また、トットちゃんこと、黒柳徹子も、専門家から言わせると、窓際のトットちゃんに出ている様子から、LDであったろうということだ。さらに、黒柳さんが引き算ができないというのは、「小さいときから考えてきたこと」(新潮文庫)に詳しい。読み書きそろばん、とはいうものの、子供が何かに感動すること、小学生には特に重要だ。知的な訓練は、その後でも可能だが、この時代に育まれる感性が、一生の感情体験の基盤になるように思える。また、脳の発達自体も、15歳ごろから論理的な思考に適するようになることが、脳科学の立場からも証明されている。
2004年07月02日
コメント(0)
ぐっと涙をこらえて、演技しようとした生徒、「頑張れって言って」といった生徒、一言ではいえぬ想いに、一瞬、立ち尽くします。これに呼応するように思い出されたことがありました。昨日、その生徒は、授業が終わり、友達と並んで教室を出るとき、振り返って言いました。少し言いよどみながら、でも嬉しそうに、「先生、OO(名前)って優秀?」一瞬、なんと言おうかためらいました。「ああ、今日は君が一番できたよ。」直接は答えられず、誤魔化してしまいました。生徒の言葉が胸にこたえます。もっと何か別の答え方があったのでは。思い出すのは、彼女が1学期の初め、自己紹介の用紙で、授業についての希望の項に書いてくれた言葉。「数学が苦手なので、ゆっくり教えてください。」わたしの担当した生徒たちは、新入生テストで数学が30点以下でした。そのテストで30点以下は、中学校1年程度の計算が、できていないことを意味しています。彼ら、彼女らは、中1からずっと、「優秀」という言葉とは、反対の立場にたたされてきたのでした。「自分は優秀な子ではない」「出来ない子」と、何度、心に繰り替えされたでしょう。「できないのは、本人が勉強をしてこなかったから」ということは、事実。でも、一人一人に、事情はあるのです。そうなった ゆきさつ があります。これまでどんな思いを抱いて来たのかと思うと、「先生、OOって優秀?」と聞かれて、簡単に評価を下すだけでは、不十分に感じたのです。「全部正解して、嬉しいんやね」その時の感情を返してあげればよかったのでしょうね。
2004年06月26日
コメント(0)
子供を褒めること、簡単なようで、難しいですね。 教師をしていると、立場上、注意、命令、お説教、の三拍子。 正直、なかなかよいところを褒める余裕がありません。「具体的に褒める」ことで、以前に勉強したことを思い出しました。行動心理学では、相手の行動を変えて欲しいときなどに、自分の感情を伝えるために、「わたしメッセージ(アイメッセージ)」を使う事を教えています。相手に注意するときに、「あなたがこうすると、・・・」「あなたは、・・・ね。」など、「あなた」という言葉を使うことが多いのですね。どうしても、相手を責めているように聞こえがちになります。それを「わたし」を主語にして、自分の感情を伝え、相手の助力を求めるというものです。これを褒めるのに使います。 たとえば、 「黒板の字がきれいに消してあると、 授業がすぐに始められて、 ほんとに気持ちがいいね。」 「お母さんうれしいわ。 おもちゃが片つけてあると、 お掃除がとっても楽なのよ。」 などです。 このように、 「相手の具体的な行動」 「その具体的な影響」 「その時の自分の気持ち」 の三つを入れて作ります。 三つの順序は、特に決めなくていいでしょう。 これにより、相手は具体的に行動を起こしやすく、 協力しやすくなるはずです。 また、相手が実際に行動した後でなくても、 順序を変えれば、予防的に使うこともできますね。
2004年06月19日
コメント(0)
明日、地球が最後の日を迎えるとしても、わたしは、りんごの木を植え続けるだろう。そう言った人がいた。なにがどうなろうと、「魂の願い」は変わることはない。
2004年06月18日
コメント(0)
政治の腐敗、官僚の専横、財政の破綻、改革の失敗、享楽主義の蔓延、グルメの流行、教育の荒廃、政治体制が崩壊するときの兆候。いたるところで制度の軋みが聞こえてくる。この時代に何を子どもたちに伝えるのか。資本主義は、自由競争による利潤の追求であった。言い換えれば、もっともっとという欲を抱えながら、ライバルと戦い続けること。気がつけば、巨大プロジェクトにより環境は破壊され、財政は破綻、回復不能な状態まで来てしまった。出生率が1.5を割ったら、国家は存続しなくなるという。現在出生率1.2。流産の増加が原因ではないか。環境ホルモンなどによる奇形児は、医師から母親に知らされることはないのだ。
2004年06月16日
コメント(0)
花に寄せて 詩:星野富弘 1. たんぽぽ いつだったか きみたちが空をとんで行くのを見たよ 風に吹かれて ただ一つのものを持って 旅する姿が うれしくてならなかったよ 人間だって どうしても必要なものは ただ一つ 私も 余分なものを捨てれば 空がとべるような気がしたよ 2. ねこじゃらし 思い出の向こう側から 一人の少年が走ってくる あれは白い運動ぐつを 初めて買ってもらった日の 私かも知れない 白い布に草の汁を飛び散らせながら あんなにも あんなにも嬉しそうに 今に向かって 走ってくる 3. しおん ほんとうの ことなら 多くの言葉は いらない 野の草が 風にゆれるように 小さなしぐさにも 輝きがある 4. つばき・やぶかんぞう・あさがお 木は自分で 動きまわることができない 神様に与えられたその場所で 精一杯枝を張り 許された高さまで 一生懸命伸びようとしている そんな木を 私は友達のように思っている いつか草が 風に揺れるのを見て 弱さを思った 今日 草が風に揺れるのを見て 強さを知った 一本の茎が 一本の棒を登っていく 棒の先には夏の空 私も あんなふうに登って行きたい 5. てっせん・どくだみ 花は自分の美しさを 知らないから 美しいのだろうか 知っているから 美しく咲けるのだろうか おまえを大切に 摘んでゆく人がいた 臭いといわれ きらわれ者のおまえだったけれど 道の隅で 歩く人の足許を見上げ ひっそりと生きていた いつかおまえを必要とする人が 現れるのを待っていたかのように おまえの花 白い十字架に似ていた 6. みょうが 畑の草を一日中むしり かいこに桑をくれ 夕方 ひょいっと出かけてみょうがをとり それを売っては 弁当のおかずを買って来てくれたっけねえ いつもしょっぱい こぶのつくだ煮 花の咲いたやつは安くなるからと 花を抜いて売ったことも あったよね もんぺと地下たびの間は 蚊にさされた跡がいっぱいだった かあちゃん みょうがを食うとばかになるというけれど おれは 思い出すことばっかりです 7. ばら・きく・なずな 淡い花は 母の色をしている 弱さと悲しみが 混じり合った 温かな 母の色をしている 母の手は 菊の花にに似ている 固く握りしめ それでいてやわらかな 母の手は 菊の花にに似ている 神様が たった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れる ぺんぺん草を見ていたら そんな日が 本当に来るような気がした
2004年06月11日
コメント(0)
易しいことをするときは、注意深く、難しいことをするときは、易しいことをするように。練習のときは、本番のように、本番では、練習のように。
2004年06月07日
コメント(0)
<緊急告知!!> 『石井典彦先生の命を守る会』 知り合いの方から、連絡がありました。 ↓↓↓ 生徒さんの為に一生懸命頑張ってこられた大変人間性の優れた 学校の先生が日本では治せない重い心臓病に罹りアメリカで 移植手術をしなければならないというのです。 それも6月いっぱいをめどに渡米しなければ間に合わないと いうのでその先生の同僚や教え子の卒業生が 『石井典彦先生の命を守る会』というのを設立して必死な思いをして必要な金額の7000万円募金目標に向かって活動なさっているというのです。 下記URLをご覧の上、ぜひ、ご協力をお願い致します。 http://www.user.kcv-net.ne.jp/~norikun/toppage.htmlhttp://plaza.rakuten.co.jp/sanri00/diary/2004-05-13/埼玉りそな銀行 狭山支店 「石井典彦先生の命を守る会」 口座番号 普通 5145626 東京三菱銀行 狭山出張所 「石井典彦先生の命を守る会」 口座番号 普通 0716828 郵便局振込 朝霞溝沼郵便局 「石井典彦先生の命を守る会」口座番号 00160-2-333770
2004年06月02日
コメント(1)
今日は、脳性麻痺の少年と算数の勉強。一桁の足し算をするにも学ぶ順番がある。向山式というのが、よく考えられていたので、そのワークブックを使った。公文式よりいいのではないか。繰り上がりのない一桁の足し算、一桁の引き算、繰り上がりなしの三つの数の足し算をやって、繰り上がりの必要な一桁の足し算に持っていく。繰り上がりの計算には、これだけの準備が必要なことが、やっていてよくわかった。障害のため、鉛筆を持って数字を書くことだけでも、非常な努力をする。文字を書くのにも、盆踊りのように勝手に体が動いてしまう。見ていて、自分の意思どうりに体が制御できないもどかしさを感じるが、本人にとっては生まれつきアタリマエで、もどかしいとは感じないようだ。あっという間に1時間が過ぎる。終わって、とても嬉しそうな笑顔がよかった。
2004年06月01日
コメント(0)
来年から、うちの県でも難病相談支援センターを開所することになった。そこで、今日は、県の庁舎で難病患者の会8団体が出席して、難病センターの活動内容について、意見交換会。何でも厚生省が言う難病は、121種類あるそうな。難治性リュウマチ、モヤモヤ病、網膜色素変性症、ベーチェット病、シャイドレーガ-症候群、IgE腎症、ALS、潰瘍性大腸炎など、原因も治療法もわかっていないこれらの病気の中には、治療・療養のための経済的負担が大きいにもかかわらず、特定疾病の援助の対象にもならず、身体障害者の認定からもはずれ、福祉政策の谷間に入ってしまっているものも多い。しかし、一人ですべての難病患者の相談に答えることは、だれもできない。初めは、センターが相談窓口になり、後は専門医など各方面に話しを振ることになる。患者団体の代表としての立場上、自分の団体の会員の利益を考えて発言したが、本来、われわれの会に入会していない同じ病気の人たちのことも含め、相談センターの活動を位置付けるべきでもある。逆に、会の活動に参加できない非会員のほうが悩みは深い場合があることを考えると、相談センターの活動は、そんな人たちにこそ必要なのだ。
2004年05月30日
コメント(0)
嫌なことがあると、すぐ投げ出したくなるんですよね。相手が人間だと、その場から帰りたくなる。その場では、我慢するのでいっぱいいっぱい。「自分のほうが正しい、相手のほうが何とかして欲しい。」「こんな所にいるより、別のところにいったほうが楽しい。」そんな思いでいっぱい。自分のことで心がいっぱい。心の器が、自分のことしか入れられない。そんなときに、正しいこと、楽しいこと、より、優しくなれること、を選ぶ。「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい。」といった人がいたそうな。「上着を取られたら、下着も与えなさい、」といったかどうかは不確かだけど。「汝の敵を愛せよ」だったか。相手のことを思うことが、自分の心の器を大きくすることになる。そのための協力者が、「いやな奴」だ、と言えなくもない。優しくなれることを選ぶ、それが本当の優先順位。「優しさ」が先で、優先。そうでしたね、あまちさん。
2004年05月28日
コメント(0)
懇切丁寧に教えるいい先生。それは、生徒をゆっくりつぶしていく先生になり勝ち。生徒が転んだら助けあげて、更に、転ばないように注意してあげる。そうすると、親や生徒は、「いい先生」だと喜んでくれる。しかし、実は、転んだとき立ち直る練習ができない。その機会を奪っている。ほんとうは、普通に歩いていても、足を引っ掛けて転ばす。立ち上がろうとしたときは、さらに踏んづける。そうされて初めて、子どもの本当の力が出る。懇切丁寧なわかりやすい指導、それで成績が上がるから困ったものだ。本当の学力は別。じつは、生徒は、手順を覚えただけだったりする。いつまでも誰かに助けてもらわなければ、問題の解決ができない、たち直れない。生徒の力を信じ、問題解決は、本人にさせることだ。自分で答えを出すことが、一番の力になる。それがたとえ、大人から見て不完全であろうとも。子どもに任す勇気が、どれだけあるだろうか。
2004年05月27日
コメント(0)
あしたの夢にふくらむいきものの星 地球そこには犬がすむ鳥がすむハトとメダカと蝶々も人間をにいさんにしてああ、みんな地球の子ども(ある児童合唱団で歌った)
2004年05月25日
コメント(0)
今までじゅうぶん「がんばって」きたじゃない。だから、もうそれ以上、「がんばらなくていい」。でも、「あきらめない」希望はすてない。希望にむかって、いきていく。
2004年05月24日
コメント(1)
【天才はなぜ生まれるのか】正高信男(著)ちくま新書¥680あの、有名なエジソンは、注意欠陥障害だそうです。この病気は、ある一つのことに集中したら、他の事に気が行かなくなるそうです。驚異の集中力!アインシタインは、癇癪もち!で、空想癖があったそうです。脳に障害があって学習できませんでした。イメージの構築力がすごかったのですね!アンデルセンは、童話作家だったのに、実は、ラテン語の学習障害でした。ようするに、文法が理解できない方だったようです。それで、仕方なく、自分流の文学を考え出したら、それが、童話と呼ばれたみたいです。電話の発明のベルは、聴覚障害で、発達障害でした。他人との係わり合いが、出来ませんでした。要するに、他人の心が判らない人でした。ミッキーマウスで、お馴染みのディズニーは、多動性障害でした。落ち着きが無く新しいモノに非常に興味があったみたいです。ディズニーランドのゴチヤゴチヤしたのは、そういう訳があったのです。そして、6人目の障害者は、レオナルド・ダ・ビンチです。わらし仙人にもっとも近い人物です。彼は、短期的語彙貯蔵障害でした。要するに、単語が覚えられないのです。だから、メモを多用しました。ちょうど、頭の天辺の後ろに、脳項葉があります。そこが、損傷していたようです。(引用終わり)わらし仙人さんは、IQが149もあったのに、人の名前などは、三分も覚えていられなかったそうな。その代わり、画像の記憶力が発達したと言うことです。ちなみに、脳科学者の池谷という人は、著書で、自分が九九を使わないことを書いています。それでも、東大に入れるんですねー。あらためて、人間の能力は、測りがたいものと感じます。失った物が大きいほど、得るものも大きいほんとにそうかもしれません。結局、失ったとか、獲得した、と思っているのは、人間だけで、宇宙から見れば、ただ変化しているだけなのかも。色即是空、空即是色・・・・。そう思うと味気ないが、私たちは、そのひとつひとつに、歓びを感じることができる。得ることは、一面では、何かを失うこと、失うことは、反面、何かを得ること、長所は短所、短所は長所。どのような場合も、常に生かされる歓びを感じることができる。空をしることは、常楽に至ること。その境地から新たな行動を起こしたい。
2004年05月23日
コメント(0)
多分、鈍くさい、と書くのでしょう。わたしの田舎では、のろま、不器用、のことを「どんくさい」「どんくさー」と言います。子どものころ、よく言われました。何をするにも、おそい子。生れもやや遅かった(12月)せいもあるかもしれませんが、走るのが遅い、本を読むのが遅い、字を書くのが遅い、朝起きてくるのも遅い、食べるのも遅い、ついでに、トイレから出てくるのも遅い、生活、学習全般に、ゆっくりした子、でした。(今でも)「はよしなー、遅いことは猫でもする!」よく母に急かされました。今考えると、意味不明ですね。当時は、猫は、おそいんやナー、と本気で思っていた。さらに、親は、不器用な私を心配してか、事故で死んだときの保険をかけていたくらいです。事実、三年前、ボーっとしていて車にはねられてしまい、九死に一生を得たのでした。おそるべし、親の眼力。因みに、同時に保険に入った弟は、傷害保険なのでした。(弟は、要領がよかった。)あまり毎日、「どんくさい」「どんくさい」と言われると、落ち込むものですが、幸いなことに、「この子は、よっぽど悠長な家に育ったんやと思いました。」「マイペースやねー。」と肯定的に言ってくれる先生に、小学校4年から6年まで、担任してもらえました。その先生には、「どんくさい」「はよせー」とは、言われた覚えがありません。全校生徒が40人の山間の小学校、同じ学年は、自分も入れて3人。複式学級といって、2学年が一緒に同じ授業を受けたりします。それでも1クラスは、十数人。年に何回かある神社やお寺の祭礼のときは、もちほり(お餅放り)があるので、朝から子どもたちは落ち着きません。「今日は宮さんのもちほりやから、はよおわるでの!」と言ってくれました。珍しく大雪のときは、「きょうは、よおけ雪が積もったで、全校で雪合戦や!」今、教師の立場で考えると、あんな簡単に時間割を変えてもいいのか、と思いますが、・・・よかったのでしょう。塾もなく、競争とは縁遠い、田舎の小学校。夕焼け空を西から東へ、カラスがカアと鳴いて飛んでいく、童謡のとおりの情景がありました。
2004年05月21日
コメント(0)
最悪の目標とは、多くの知識を蓄えること。最悪の方法とは、点数化による競争。すべての生徒を博士にすることが教育の目標になっていないか。知識を獲得するのに、丸暗記した物と、実物をとうし、経験した物とが、テストでは、同列に扱われる。知識の質が問われることがない。どれだけ深刻に把握されたかは、問われることは、ない。覚えただけの知識、これを自我に還元されない知識と呼ぶ。このような知識を得るための教育は、知育とさえ呼べない。知育偏重、でさえない。死んだ知識の蓄積を点数化し、順位を決め、人の価値が決められる現実。このような中では、ノイローゼになるものが出ても不思議ではない。教師に神経症が多いのが事実。真面目に捉えれば、ノイローゼ、無視すれば落伍者、落ちこぼれの烙印、真実の狭い道を歩める者は、どのくらいあろうか。いわゆる、悪魔の所業か。天国の狭き門か。遅くても、内容を把握した知識、五官をとおした知識、現実から演繹された知識を獲得したい。インスタントな知識は、それだけの栄養しかない。
2004年05月20日
コメント(0)
時々、朝がしんどいことがある。吐き気はするし、体はだるいし、よっぽど仕事を休もうかと思うが、今連絡しても学校には誰もいないだろうし、自習の教材も用意していないし、結局重い体を引きずるようにして、7時前のバスに乗る。到着しても、しばらく机に張り付いたまま。それなのに、授業が終わると、スッキリさわやか。あれはなんだったのだろう。生徒のパワーか、教えることがエネルギーをもらうことなのか。普段、体が辛くて起きられないで家にいるときは、夕方までしんどいのに。生徒に会うことが自分を元気にしていてくれるのがわかる。与えるほど豊かになる。欲しいと思い、集めようとするほど、貧しくなるものか。頭と体は使わないと、衰退する。逆に、使うほど発達する。心も自分のことばかり考えていれば、貧しくなる。人に振り向けることが多ければ、豊かな心になれる。心が豊かだから、人のことが考えられるのではなく、人のことを考えるから、豊かになれるのかもしれない。与えたら、与えられる。では、今の命が与えられたのなら、命をくれた人があるということ。いのちを分けてもらったのが先。親からもそう、もしかしたら、生きとし生けるものから命を分けてもらっているのかもしれない。
2004年05月19日
コメント(0)
あなたが、他人と自分を比べて、何かの物事を成し遂げようとする場合、二つの選択肢がある。それは、自分より実力が上の人間と比べて、常に敗北者としての気分を味わうか、自分より実力が下の人間と比べて、いつも井の中の蛙となるか。このどちらかだ。もし、あなたが、比べる対象を、自分自身に打ち勝つことに、それを求める場合、今度も、選択肢は二つだ。それは、自分自身の過去の記録をやぶり、自分自身の過去の限界に打ち勝った「勝利者」となるか、もしくは、自分自身の過去の記録を破ることに常に挑戦をいどむ「勇者」となるかこのいずれかだ・・・
2004年05月16日
コメント(0)
けなされて育つと、子どもは人をけなすようになるとげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる広い心で接すれば、キレる子にはならない誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ認めてあげれば、子どもは自分が好きになる見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つやさしく思いやりを持って育てれば、子どもはやさしい子に育つ守ってあげれば、子どもは強い子に育つ和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
2004年05月15日
コメント(0)
大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに 謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった 偉大なことができるように 健康を求めたのに よりよきことをするようにと 病気を賜った 幸せになろうとして 富みを求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった 世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに 得意にならないようにと 失敗を授かった 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いは すべて聞きとどけられた 神の意に添わぬものであるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りは すべて叶えられた
2004年05月10日
コメント(0)
最近地域通貨が各地で流通し始めているらしい。種類はいろいろだ。何かしてあげると、ポイントがもらえ、そのポイントを使い、何かしてもらえる。ポイントのことを地域通貨として名を付け、基本的に地域限定で流通させる。犬の散歩します。子どもと遊びます。俳句教えます。菜園のきゅうり売ります。介護します。など。物品の販売から、労力の提供など、さまざま。ただし、無利息だから、貯めているだけでは無意味。誰でも何かすることが、出来る。一種の助け合いのようだ。ルドルフ・シュタイナーは、文化は自由を、政治は平等を、経済は博愛を根本精神にすべきだと。経済は、自由でなく、博愛を基盤とするというのが、気に入っている。地域通貨もそうであり続けて欲しい。
2004年05月07日
コメント(0)
夢の中で、話しが続いている。記憶も夢のなかでだけ続いている。このあいだこうゆう約束をした・・・と、何日も後の夢で、前の夢の内容を思い出すことがある。現実では、まったく思い出すこともない。まるで、夢の中に別の人生がもうひとつあるよう。夢でも、塾をしていることがあるが、小学生がほとんど。たくさんの子どもが登場する。そんななかに、とても幸せを感じている自分がいる。夢は、自作自演の芝居。自分で自分の心を癒しているのだろうか。
2004年05月06日
コメント(0)
言うことを聞かせるより、喜びを分かつことが大事。なかなか勉強をしない生徒に、お説教したりしても、ほとんど効果がない。それは判ってはいるけど、言わずにはおれない。立場上・・・本人は、いやいややっている。お説教されたり、怒られたりするのがいやで、宿題をし、テスト勉強をしているのが傍目でも判る。。これでは、逆効果で、やったらやっただけ、学ぶことが嫌いになってしまう。本当に大切なのは、自分から進んで取り組むこと。それには、おもしろいと思わないと続かないだろう。これまでは、解かるようになれば、出来るようになれば、おもしろくなるだろう。そう思っていた。そして、おもしろくなるまでは、我慢、努力をさせるべきだと。しかし、別のやり方もある。おもしろさが伝わるように教えることだ。自分がおもしろいと思ったから、この仕事をしている。自分の原点に帰り、喜びを分かち合って、学習すればいい。おもしろさをプレゼントする。感動をプレゼントする。生徒を喜ばせて、なんぼ・・・が、教師の仕事かも。自分の言うことをきかせる。解からせる。とは、違うベクトル。コントロールしようとする方向。共感、共鳴、協働、シンクロの方向。とはいうものの、最近のカルトのマインドコントロールに、負けてしまってはいないだろうか。欲望にシンクロするのが、カルト。高度な感情にシンクロするのが学び。
2004年05月05日
コメント(1)
パソコンを使ったデータ入力の仕事で、よさそうな物があったので、資料請求をしたら、すぐに電話があった。とても懇切丁寧に説明をしてくれたので、送られた資料を見ながら、契約をするつもりになっていたが、話しの終わりになって、仕事を始めるには、50万円の費用がかかり、分割払いにすると、70万ほどになるという。結局、仕事をした分のほとんどが、支払いに消えてしまう。8ヶ月くらいはただ働きと同じ事になることが判明。会社名を元に、ネットで検索をすると、内職商法、悪徳商法で、被害者が出るわ出るわ。始めは、売り込み姿勢もなく、丁寧な方だと思っていたが、途中から支払いのことになると急ぎだし、怪しいと思ってはいたが、人は信用する物、証拠もないのに疑うのは失礼という観念がどこかにあり、契約の一歩手前まで進んでいた。内容証明かで、断りのはがきを書いた。今年に入ってから、サイドワークを探すと、こんなのがほとんど。お金が先にかかって、収入は、いつになるやら、というのばかり。お金が必要だから、という気持ちで探すと、いつもこうなる。やはり、自分のするべきことに中心をすえるべきと、さいど心に誓う。まったく、油断も隙もないとはこのこと。テレビの害を受けないようにと、見なくなって半年が経つが、テレビとは別の意味で、ネットの世界も危険がいっぱいといえる。幸い、検索をすることで裏付けが取れるるのが、ネットでは救いだ。無条件で人を信用できないのは、寂しい。ときに、だまされても良いから、疑うことをしたくない。だましたいと思っているなら、だまされてあげよう、と、変な奉仕の精神が思いが浮かぶのは、なんなんだろうか。私と同じ人工透析をしている障害者たちの間でも、在宅で仕事をしたいという人は多い、犠牲者が出ていないか心配になってきた。
2004年05月02日
コメント(1)
今が一番貧乏かもしれない。得がたい体験・・・あまり続いて欲しくないけど。ストレスがたまっていると、不幸な選択をしがちである、とは、セルフケア・キネシオロジーさんの言葉だが、まさにそのとおりだ。このところ、地に足がついていない感じがする。お金儲けも必要だけど、心儲けを忘れないでいたい。自分がワクワクすること。人を喜ばせること。人を尊敬すること。感謝すること。希望をもつこと。速くなくても、方向を間違えないこと。一生は短い、かも知れない。けれど、人生のたびは、永遠に続く。私は、今、何を学ぼうとしているのだろうか。
2004年04月28日
コメント(1)
生徒に注意はしても、自分を見返ることは少ない。いつも、相手に注文をつけるけれど、言うだけ自分が実行しているのか、見返るだけで冷や汗が出る。こんな自分の言うことを聞いてくれている相手のほうが、心が広いというべきか。みんな、ありがとね。
2004年04月27日
コメント(0)
4月に入って、学校の授業は、午前中に集中することになり、夕方に余裕が出来た。これまでなら、断っているところなのに、今年は、塾のほうに申し込みがない。こんなのは、塾を初めて20年になるが、はじめて。おかげで、かなりな収入減。これは、チャンスかも。空いた時間に、公民館を借りて、算数数学の勉強会をはじめよう。会費、月謝は取らない。ボランティアでやる。名づけて、「なまけもの数楽道場」実は、数学が好きなやつは、なまけものなのだ。これは、私の持論。如何に計算を楽にやるか。この工夫が、数学のちから。公式、なんていうのも、なまけるのためにあるようなもの。イチから計算を避けるために作るのが、公式なんだから。なまけものが、楽をするために、頭を使う、これをコンセプトで、やってみたい。最近真面目に数学をやりすぎ。もっとでたらめにやる。小学生に、微分積分をやらせて、高校生をビビらす。中学生に、あっと驚く分数計算の裏技を教える。しんどいことは後回し。面白そうなことだけしかしない。解かる所だけしかやらない。「なまけものだから、考える力がつく。」マジデッ!「わかることをするから、たのしい。」当然!数学の問題を仲間と一緒に考えるのが、テレビゲームをひとりでやるより楽しい。そんな教室をやってみたい。仕事が減って、収入がないのは、心配だけれど、おもしろそうなことを優先してやってしまう、と、決めた。連休明けには、実動開始。
2004年04月23日
コメント(2)
その1.ノートコンテストをする。優勝者には、何かご褒美をだす。きれい、かつ、上手にノートをとることで、記憶に残る。特に雑なノートを書く男子をなんとかしたい。基準つくりは、簡単にして、上位を投票で決める。分からない生徒が自分にわかるために書いたノートは、どこにも売っていない、最高の参考書になる可能性がある、できる生徒が解かっている事をきれいにまとめても、面白くない。その2.1時間に1個、テストに出す問題を発表する。中間テストまでに2~30題にはなる。テスト勉強に対するモチベーションを高めるとともに、就職試験を意識させる。その3.100ます計算・・・小学生で、2分で合格。先日、2年生(高校)にやらせたら、足し算に5分以上かかった生徒が一人。2分以内はいなかった。道理で計算を面倒がるはず。毎時間始めにやって、2分をきるまでやる。全脳活性に非常に良いことが、脳科学者により証明されている。こればかりは、すべての生徒が、集中して取り組める。脳の活性化をしてから、授業に入ると良い。学年での留意事項1年は、良い学習習慣(話を集中して聞く、使えるノートのとり方など)を自分の物にすることで、三年間の学習を充実させるための基礎を作り、将来、仕事をするときに必要な姿勢を身に付ける。三年は、就職試験をターゲットに、小学校から数1まで、11年間学んできた知識を整理し、基礎の計算力を高め、応用として、過去問演習をする。2年生は、・・・どうしよう・・・。
2004年04月18日
コメント(0)
ココイチ(ここイチ番屋)という、カレー専門のチェーン店があります。よく病院の帰りに寄りました。なにしろ、人工透析の後は、お腹がすくのです。人工腎臓で、血液中の毒素と一緒に、栄養も抜いてしまうのです。そのうえ、毒素を抜いたせいか、味覚も復活、何を食べても、とてもおいしい。透析後は、うちに帰るまで待てない人が多いですね。納豆カレーは、ここで食べたのが初めて。ご飯に納豆をかけ、そのうえにカレーがかけてあるようです。納豆くささがカレーによってなくなり、その上体に良い。カレーに含まれる飽和脂肪酸により、血液がどろどろになるのをナットウキナーゼが防いでくれる。と、思っています。子どものころから、カレー大好きでしたが、ある日、カレールーに含まれる油脂が体に非常に悪い、と聞いて、三度の飯よりカレーが好きな私は、かなりなショックを受けました。そのカレーの欠点をナットウが補ってくれる、らしい。なっとうカレーを食べるようになったのは、そんなわけだったのです。
2004年04月17日
コメント(2)
今年度の授業始めだった。きょうは、新一年生と、新三年生と顔合わせ。新一年生は、まだ中学校から上がったばかりという感じで、かわいい。少年少女である。新三年生は、笑い方ひとつにも、狎れを感じる。いびきをかいて寝るなって。そこの女子・・・。今年から、朝漢が始まる。え、なに?朝漢って。朝の漢字学習・・・らしい。始業も5分遅くして、漢字テスト。いつも多い遅刻者は、今年からどう出るか。と、思ったら、遅刻届が、遅刻カードになっていた。遅刻を繰り返すと、それに記録されていくので、目に見えてたまっていくのが判る。これは、遅刻しにくい!職員室の机の並びも十数年ぶりに変わった。いろいろ変わって、いろんなところが混乱しているが、これもやる気の現れ、こちらも、やってやろうじゃん!という気になる。去年、あまりに規律が乱れていたから、そうなるのも当たり前か。登校する日は、6時起き。今ももう眠い。早寝早起きが実現したら、うれしいな。
2004年04月14日
コメント(1)
バーバラ・アン・ブレナン(アメリカのヒーラー)の「癒しの光」の中に、ヒューマンエネルギーフィールド(普通、オーラという)の更に奥の次元に、ハラというレベルがあるのを発見するところが、ある。ヒューマンエネルギーフィールドを作り出す次元、それを意図(ハラ)の次元というらしい。この次元に働きかけるヒーリングは、さきのエネルギーフィールドに働きかけるより、非常に強力。そこで、ハラ ラインのエネルギーを通すことが大切なことが述べられていたのだが、意図のレベル、というのがよくわからなかった。意識、ではない。それが、「覚悟があれば、知識などは、あとからついて来る」と言う言葉に遇って、覚悟・・・それが、意図のレベルなのだ。覚悟を決めれば、知識や方法は、後からついて来る。なにか、今の政治状況を批判しているようにも思える。覚悟がなく、知識や方法で、問題を解決しようとしてはいないのか、と思う場面がしばしばだから。政治だけでなく、問題が起こると、それに振り回されたり、あれこれ考えたり、そんな時は、覚悟が甘い、のかもしれない。覚悟を決め、実行し、また覚悟を決め、実行。その繰り返しなのだ。
2004年04月11日
コメント(0)
このごろは、昼よる関係がない。らしい。以前、陰陽師(おんみょうじ)と言う漫画で、百鬼夜行のシーンが描かれてあった。平安時代のお話。今は、もっと判りにくい。「儲かる」ビジネスが、じつは、「悪徳」商法だったり、「楽しく、自由に」と言う人の背後に、カルトが隠れ見えたり。欲があるから、そんなものに引っかかると、言われれば、そのとおり。しかし、欲のない人は、多分いない。洗脳は、もう古いそうだ。マインドコントロール、という。洗脳より、もっと洗練され、強力、かつ、巧妙になっている。知らないうちに、コントロールされているかも。
2004年04月10日
コメント(0)
目覚ましが鳴る。腕を伸ばし、宙を手がさまよう、・・・止めた。布団をかぶりなおす。・・・・・・!自慢ではないが、幼稚園からの遅刻常習犯。最近もちょくちょく、授業に(!)遅刻します。いちおう、先生やらせてもらってます。非常勤なので、「来年は結構です」と言われるのが心配です。どーしても直らないんですが、ひょっとして、これで直せるかも、と思ったことがあります。それは、「言い訳をしない。」ということ。遅刻するのが悪いこと、と思うと、「性格だから」、「体調が、悪いから」、「昨夜は遅かった」心の中で言い訳をチョイスする自分がいます。良い言い訳を考えると、スッキリ。良い言い訳とは、「そ、仕方なかったね」と、言ってもらえるもの。遅刻して恥ずかしい、と思うから、余計に、「本当は、仕方なかった。」ということを主張したくなる。解かってもらいたい。だから、治らない。言い訳をしているうちは、治らない。「この状況に、私は勝てません。」と言っていることと同じなんだから。積み重ねると、意志が弱くなるんじゃないか。ぶつぶつ、言い訳をやめてみよう。誤魔化さず、恥ずかしい、という感情をよく感じてみよう。
2004年04月08日
コメント(0)
授業の後の感想を書くのだが、「むずかしかった。」と書いたので、書き直させた。「悪いことは書いてはいけない。」半強制的。そしたら、「わかるようになりたい。」と。自分なりに考えたようである。実際、出来なかったことはなかったので、むずかしくても、出来るようになったのだから、喜んでも良いようにも思うが、出来た喜びが薄い。その原因は、教える側にある。こちらがまず、否定的な言葉をはかないように、きをつけないと。知らず知らずのうちに、注意をするという形で、パワーを奪ってしまっているのだ。つねに、よく、人間関係は、エネルギーの奪い合いに陥ってしまう。どちらが偉いか、どちらが強いか。被害者を装ったり、脅迫したり、無関心を装ったり、質問攻めにしたりすることで、自分を優位に立たせ、相手をコントロールしようとする。コントロールされるほうは、非常に疲れる。自然なままでいられない。落ち着かない。別の言葉でいえば、エネルギーが奪われる。これでは、形は出来たように見えても、実はあがっていない。当然自分から勉強をしようという気にはならない。悪循環になってします。良循環を作っていこう。
2004年04月06日
コメント(0)
苦しみにとらわれ、喜びに浮かされ続けていて、なんになろう。苦と、喜びの間から、なにか、を掴み取ることこそが、平安へのあゆみだ。 大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに 謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった 偉大なことができるように 健康を求めたのに よりよきことをするようにと 病気を賜った 幸せになろうとして 富みを求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった 世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに 得意にならないようにと 失敗を授かった 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いは すべて聞きとどけられた 神の意に添わぬものであるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りは すべて叶えられたニューヨークの病院にあった落書きだそうです。
2004年04月05日
コメント(0)
おおきなことってなんだろう。おおきないえをたてること。たくさん、おかねをもらうこと。ひとをいっぱい、あつめること。ちしきをたくさん、みにつけること。おおぜいのひとをよろこばすこと。れきしにのこる、しごとをすること。ゆうめいになること。じゃあ、ちいさなことはちいさないえをたてることすこしのおかねをもらうことひとりのひとに、であうことたった、ひとつのことをしることひとりのひとをよろこばすことあたりまえのしごとをすることひとりのひとに、ほめてもらうことおおきなことができるひとは、りっぱ、だとおもいます。ちいさなことに、まごころをこめられるのは、いだい、だと、きづかされました。
2004年04月04日
コメント(0)
自信がないからだと思う。心理学的に言うと、達成欲求が低い。自信をなくすような言い方をされてきた子。教育水準の高い親、のなかには、子どもの欠点に焦点を当て、良い点にはあまりフォーカスしない親がいる。先生も、「よくできたね、でも、・・・」これまでの教育そのものが、減点方式だからだ。自分の欠点ばかり直すように指摘されれば、達成した、という喜びが、ディスカウントされる。だから、親と話せば、子どもの学力不振の原因が、ほぼ見当がつく。親が変われば、子も変わってくる。親が積極的な言葉を使えば、子は元気になってくる。ポイントは、言葉、だ。言葉の使い方で、運命を変えることが出来る。悪口をいってしまったら、「なんちゃって」を付け加えて、リセットするとか。「・・・と昔はいった。」とか。いった言葉は、その場限りで消える、と思ったら、えらいめに、あうことになる。いわれた人間は、何百回も繰り返している。心の中で、自分を何度も傷つけていることがある。もしかしたら、その一言が、一生残ってしまうことも。心無い言葉によって、無限の罪を作ることだってある。ものいえば、くちびる寒し、秋の風 (芭蕉)その反対の事だって出来る事を思うとき、常に、積極的な言葉を使うように心掛けたい。
2004年03月30日
コメント(0)
花がきれいに咲いている。「きれい」それで、良いのですね。美しい物を見たら、その美しさにフォーカスする。醜い物を見たら、その醜さにフォーカスする。それで終わり、で、よい。そこから、ああではないか、こうではないか、いつも自分の殻のなかで、探ったり、疑ったりしている。それがひとつの力を持って、生活に影響を与える。美しい物は、「美しい」と感動する、そこで想念をとめる練習をしていこう。過ぎたことは、戻らない。未来はまだこない。いま、ひとつのことに精一杯の真心を込める、その心こそが、大切。自分のからを捨てたところに、本当のよろこびが、うまれる。
2004年03月29日
コメント(0)
こんな経験は、しばらくなかった。自分は何をしてきたんだろう、(なにもしてこなかった)そんな悲しさ。ため息が出ます。きょう、母校の高校の吹奏楽部の定期演奏会に行ってきました。演奏もすばらしかったのですが、それ以上に、印象に残っているのは、彼女たち(全員女子)の笑顔。そして、真剣な顔。演奏しながら、ステージの前に交代に出てきて、自分たちの演出で、曲にあわせて踊ったり、寸劇をしたり、全身から、喜びがあふれてきているようでした。伝える表現、でなく、伝わる表現です。「今」に生きているから出来る。演奏の練習だけでも大変なのに、小道具を作り、踊りの練習をし、衣装を縫って、準備をしてきたのがわかります。これをしたら、疲れるとか、面倒だとか、そんなことは考えてない。やりたくて、やっているんですね。とてもすばらしい演奏会でした。そうであるほどに、何か、悲しくなっていく。自分は、彼女たちに比べ、何かいえるだけのことをしてきたのか、と思うと。ときどき、クラブへ行って、えらそうにお説教していた自分がとても恥ずかしくなりました。当たり前かもしれないけれど、これをやっていくらもらおう、なんてない、来てくれた人を楽しませようと、精一杯。(なかには、意味不明なこともあったけど、)その純粋な姿に触れて、いったい自分は何を目指してきたのか、そういう思いが湧いてくるのです。とても計算高い生き方をしていた部分が、わかりました。誠実に生きてきたつもり、だったから、余計に落ち込んだのですね。「見返りを求めない純粋さが、ほんとうの喜びを生む」心に刻んでおこう。そして、素晴らしいものをくれた後輩たちに、あらためて、感謝したいです。きょうは、感情的になって、読みにくかったかもしれません。
2004年03月28日
コメント(0)
我欲を持ったまま成功のイメージをすると、我欲に引きずりまわされてしまうことになる。禅では、魔境というのだろうか。執着心を抱えたまま、祈り続けることは、結局我が身を滅ぼすことになる。自分がなにもせず、神仏にご利益だけを願うのは、神さまをいわば使い物にするということであり、本来の神仏ではなく、周りにいる眷属や低級な霊の波動に通じてしまうことから、人生が狂ってしまう。耳元に何者かの声が聞こえるようになり、いろいろ命令するようになる。一人で会話をして、だれもいないのに、話し出す。次第に体の中に入ってきて、言われたことを聞かない体の中で暴れる。そうなれば、社会復帰は困難だろう。本人の意思が強い場合は、家族が犠牲になってしまう。そこにご利益信心のの怖さがある。「信心するやつは、欲が深い」とは、一面真理であろう。最近もてはやされる成功法則も、アメリカのカルト教団から発している物があるようだ。願うだけでかなう。何も努力する必要はない。願いのかなった状況をイメージしなさい。と。そのような考えでは、人間関係も良くなるはずはない。まず与えてこそ与えられるものなのだから、自分が何もせずに、欲望だけかなえて欲しいと、人に要求するという乞食の様な心では、成功などおぼつかないことだろう。人にやさしく、親切を尽くすことを喜びにすることで、人に喜んでもらえて、自分を応援してもらえる人も出てくることを考えれば、まず、自分を欲望を空にすることから始めることだ。空とは、何もないことではない。とらわれていた物から自由になること、感謝で心が満たされていること。青空のように、何もないようで、透明なエネルギーに満たされている状態。そのとき、心のそこから生れてくる願いこそが、成功のイメージを描くのにふさわしい。
2004年03月27日
コメント(0)
全146件 (146件中 1-50件目)