「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2012.12.28
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カテゴリ: スポーツ

松井秀喜(まついひできさん)の足跡をたどると・・・・♪ 星稜高等学校からプロへ

巨人 → ヤンキース → エンゼルス → アスレチックス → レイズ → 本日引退



現役最後のチームとなった「レイズ時代」2012年・・・のお話です。

レイズ時代 年が明けてからも、

古巣ヤンキースやロサンゼルス・ドジャース、

ミルウォーキー・ブルワーズなど様々な球団が浮上したが正式な契約には至らず、

プロ入り後初めて未所属のまま開幕を迎えたが、

4月30日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだことが発表された。

5月1日にはマイナー契約としては異例の入団記者会見を行った。

AAA級ダーラムでは13試合で打率.170、0本塁打と調子が上がらなかったが、

主力選手に故障者が相次いだチーム事情もあり、29日にメジャー昇格。

背番号については、

55は主力投手のマット・ムーアが付けていたため、

35を付けることになり、

プロ入り後初めて背番号が変わることになった。

昇格当日のホワイトソックス戦でフィリップ・ハンバーから1号2点本塁打、

さらに6月1日のオリオールズ戦でチェン・ウェインから

2号2点本塁打を放ったものの、以降は本塁打なし。

安打も7月1日のタイガース戦での2安打を最後に出なくなった。

それでも監督のジョー・マドンは復調を信じ、

またエバン・ロンゴリアら主力が依然故障という事もあり、

6月の時点で出ていたという戦力外の話について

100打席打った結果で判断することを決め、先発での起用を続けた。

しかし、4番右翼で先発出場した7月2日のヤンキース戦での守備で、

右翼への打球を目測を誤って落球した上、ファウルを追った際に左太もも裏を痛め、

一度も打席に立つことなく途中交代を言い渡され、以降出場機会は激減した。

6月には一塁守備練習を練習したり、

大量リードの場面での投手としての救援登板を自ら志願する場面もあったが、

外野手や指名打者、代打以外での出場機会はなかった。

7月下旬に入ると、

凡退の度に本拠地トロピカーナ・フィールドのファンから大きなブーイングが起こるようになり、

地元紙でも「穴を掘ってマツイを埋めたい」という批判が見られるようになった。

結局出場34試合で打率.147、2本塁打、7打点、OPS.435という成績に終わり、

出場機会のなかった7月24日のオリオールズ戦の試合後に

マドン監督から戦力外を通告され、翌25日に球団からDFAが発表。

8月1日には本人の希望により自由契約となり、

他球団からのオファーを待ったが、

ポストシーズン出場のための移籍期限となる8月31日までに獲得に動く球団はなかった。

退団後は去就について「何も決めていない」としていた。





2012年12月28日(EST27日)午前7時過ぎ(同午後5時過ぎ)から

ニューヨーク市内のホテルで緊急記者会見を開き、

2012年シーズン限りで現役を引退することを明らかにした。

自身の引退後については「ゆっくりしながら今後のことを考えたい」という姿勢を示している。

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最終更新日  2012.12.28 14:23:21
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