「きらりの旅日記」

PR

カレンダー

プロフィール

ほしのきらり。

ほしのきらり。

2013.05.05
XML
カテゴリ: スポーツ

ミスター「長嶋さん」って・・・どんな生い立ちなのでしょうか?



長島 茂雄

ながしま しげお

1936年2月20日生まれ  (現在=77歳)

千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)

元プロ野球監督

2001年より株式会社よみうり専務取締役

読売ジャイアンツ終身名誉監督

【生い立ち】

1936年、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)に

父「利(とし)」と母「ちよ」の間に

兄1人・姉2人の4人兄弟の末っ子として生まれた。

幼少時代、

阪神タイガースの藤村富美男のプレーを見て野球選手を志すようになる。

小学4年生から兄の影響で野球を始めたが、

当時は終戦間もなくということもあって道具があまり揃えられず、

母親にビー玉と堅い布でボールを作ってもらっていたという。

また、グラブも母親の手縫いのもので、

初めて握ったバットは青竹を割った手製のものであった。

小学6年のときに兄が所属していた地元の青年野球団ハヤテ・クラブに入団。

兄の下で遊撃手として育てられた。


【高校時代】

1951年4月、千葉県立佐倉第一高等学校に進学する。

2年生から4番打者を担う。

高校時代はほぼ無名だったが、

高校最後の大会地区予選で勝ち進み、

南関東大会に千葉県代表校として出場を果たす。

第1回戦、熊谷高校との試合(昭和28年8月1日大宮球場)で、

遊撃手の長嶋は試合前に負傷していた三塁手・鈴木英美に代わって三塁手を務めた。

遊撃手で度重なるエラーをしていたことからのコンバートであり、

以降、三塁手として定着。

同試合には敗れたものの、

6回表に福島郁夫投手から高校公式試合で自身唯一の本塁打を放った。

このバックスクリーン下の芝生への鋭いライナー性の本塁打を、

当時の新聞は飛距離を350フィート(約107m)と推定した。

この特大の本塁打により長嶋は野球関係者から大いに注目を集めることとなった。

この本塁打を見ていた1人に朝日新聞記者・久保田高行がいた。

久保田からその話をきいた報知新聞記者・田中茂光が、

内野手のスカウトにあたっていた富士製鉄室蘭野球部マネージャー・小野秀夫に話をした。

小野は長嶋に富士製鉄室蘭への入社を勧めるも、

長嶋の父親は進学を希望し、

さらに上司から北海道からの新人が内定したとの連絡を受けたため、断念。

小野はかわりに、自らの出身校・水戸商高の先輩にあたる砂押邦信が監督を務める立教大学への進学を勧めた。

砂押の教育方針に感銘を受けた長嶋の父親は、

読売ジャイアンツからのプロ入りのオファーも長嶋に知らせない上で、

進学を理由に勝手に断っている。

プロ入り志望の長嶋は激怒したという。

同年秋、伊東スタジアムで行われた立教大学野球部のセレクションで、

フェンス直撃を含む3本のヒットを打ち、砂押にも認められた。

【大学時代】

1954年に立教大学経済学部に進学するが、同年6月に父親が急逝。

長嶋家は一家の大黒柱を失い困窮するが、

母親が行商をするなどして生計を支えた。

この時期、大学を中退してプロ入りすることも考えたが、

母親から反対され断念している。

野球部では砂押監督に目をかけられ、「特別扱いの猛練習」を重ね、正三塁手となる。

翌年に先輩の大沢昌芳(大沢啓二)らが砂押排斥運動を起こす。

砂押の退任後、辻猛の下で同期の杉浦忠投手(南海ホークス)、

主将を務めた本屋敷錦吾内野手(阪急ブレーブス、阪神)と共に

「立教三羽烏」と呼ばれ、

東京六大学野球において1956年春季・1957年秋季に首位打者を獲得する活躍を見せた。

また1955年秋季から1957年秋季まで、5シーズン連続でリーグベストナイン(三塁手)に選ばれる。

1957年には六大学リーグの通算記録となる8本塁打を放った。

高校時代から既にプロ入りが確実視されており、

さまざまな球団が長嶋との接触を図っていたが、本命は南海ホークスとされていた。

時を前後して、読売ジャイアンツが長嶋の家族に接触して説き伏せる作戦に出ていて、

母親から「せめて在京の球団に」と懇願されたのが決め手になり、

長嶋は南海から一転、巨人への入団を決め、11月20日に契約した。

背番号は千葉茂(前年引退)のつけていた「3」(当初は15を提示されたが拒否)、

契約金は当時最高額の1800万円(南海は2000万円を提示していた)、年俸は200万。

鶴岡にはオープン戦の時に南海行きを断ったことを謝罪。

このとき鶴岡は「関東の男の子が関東のチームに入るのは、一番ええ」と笑って答えたという。

杉浦は鶴岡への仁義を尽くすとしてそのまま南海入りしたが、その後も長嶋との友情は絶えることがなかった。


努力の人に・・・・・・・・・・・ぽち。っと にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013.05.06 18:18:57
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: