「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2013.11.04
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カテゴリ: 話題の人

今回の文化勲章を授与された「高倉健」さんとは、どんな方なのでしょうか?

高倉 健


1931年2月16日生まれ   82歳

日本の俳優・歌手。

本名:小田 剛一 (おだ ごういち)

愛称:健さん

2006年度文化功労者。2013年、文化勲章受章。


日本を代表する映画スター


半世紀以上活躍しており


代表作は映画『網走番外地』シリーズ

『日本侠客伝』シリーズ


『昭和残侠伝』シリーズ

『新幹線大爆破』

『幸福の黄色いハンカチ』

『八甲田山』


『南極物語』

『鉄道員(ぽっぽや)』など


いずれも邦画史上に残るヒットを記録している。



身長180cm、血液型B型

高倉プロモーション所属


高倉健さんの・・・・生い立ち


1931年に福岡県中間市の裕福な一家に生まれる。

父は旧海軍の軍人で、

炭鉱夫の取りまとめ役などをしていた。


母は教員だった。

幼少期の高倉は、

肺を病み、虚弱だった。

終戦を迎えた中学生の時、


アメリカ文化に触れ、

中でもボクシングと英語に興味を持った。

学校に掛け合ってボクシング部を作り、


夢中になって打ち込み、戦績は6勝1敗だった。

英語は

小倉の米軍司令官の息子と友達になり、


週末に遊びに行く中で覚え、

高校時代にはESS部を創設して英語力に磨きをかけた。


福岡県立東筑高等学校全日制課程商業科を経て、

貿易商を目指して明治大学商学部商学科へ進学。


在学中は相撲部のマネージャーを1年間務めていた。

大学卒業後、思ったような就職先がなく一旦帰郷した。


健さん・・・・【俳優へ】

1955年に大学時代の知人のつてで、


美空ひばりらが所属する新芸プロのマネージャーになるため

喫茶店で面接テストを受けたが、


その場に居合わせた東映東京撮影所の所長で

映画プロデューサー・マキノ光雄にスカウトされ、


東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。

同期に今井健二・丘さとみ・岡田敏子・五味龍太郎らがいる。


当時、ニューフェイスは映画デビューまでに俳優座演技研究所で6か月、


さらに東映の撮影所で6か月の修行期間(エキストラ出演など)を経ることが決められていたが、


俳優養成所では「他の人の邪魔になるから見学していてください」と云われる落ちこぼれであったと後に述懐している。


採用から1か月半で主役デビューが決定した。

その際に、マキノの知人から「高倉健」と芸名をつけられる。


本人はデビュー作の主人公の役名「忍勇作」が気に入り、

「これを芸名に」と希望したが却下され、嫌々ながらの芸名デビューともなった。


演技経験も皆無で、親族に有名人や映画関係者がいるわけでもない無名の新人だったが、


翌1956年の映画『電光空手打ち』で主役デビュー。

元々俳優を目指していた訳ではないことから、


初めて顔にドーランを塗り、

化粧をした自分を鏡で見た時、情けなくて涙が止まらなかったという。


その後、アクション・喜劇・刑事・ギャング・青春・戦争・文学・ミステリなど、幅広く現代劇映画に出演し、


この頃から主演スターの一人として活躍していたが、まともな演技のトレーニングも受けたこともないまま、


数多くの作品に出演し続けることがコンプレックスになっていた。

1960年代前半まで時代劇映画をメインにしていた東映では、


片岡千恵蔵・中村錦之助・美空ひばりの映画などにも助演していた。

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最終更新日  2013.11.04 19:08:47
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