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西ヨーロッパ最高峰の山『モンブラン』標高は・・・4810.9m
登頂するには、フランスのモンブランの街から、
「エギュイー・デュ・ミディ展望台」標高3842mまでケーブルカーで登り
そこからモンブラン山頂までの標高差は・・・1000m程だそうであります。
装備が、整う現在では、ベテラン登山家にとっては、難しくはないらしい?
「ル・ブレヴァン展望台」標高2.525mからの眺め 2015年6月28日撮影
(写真下)ロープウェイから降りると・・・モンブラン連峰が見事に広がる
フランス語でモン Mont は・・・「山」
ブラン Blanc は・・・「白」
Mont-Blanc 「白い山」の意味である。
イタリア語では・・・「白い山」の意味のモンテ・ビアンコ Monte Bianco
「白い婦人」La Dame Blanche・・・というフランス語の異名もある。
モンブラン 「白い婦人」La Dame Blanche初登頂の看板には
何と記してあるのでしょう・・・Mont Blanc
左右の写真は、初登頂した2人の写真
水晶採掘人 と 医師
なかなか初登頂が叶わなかった・・・名峰「モンブラン」
「人間は高い山の上で夜を過ごすことはできない!」
「呪われた山、モンブランに登れば生きては帰れない!」
という恐ろしい言い伝えがあったからであったからであります・・・
1786年、ある登山隊がモンブラン山塊のボス(4513m)の山陵に到達した。
この時、悪天候により引き返さざるをえなかったが、
水晶細工人・水晶採掘者・猟師のジャック・バルマ(Jacques Balmat)は
雪の中にうずくまって嵐の去るのを待ち、 氷河の上で夜を過ごした。
翌朝、彼は付近の雪原を視察したあと無事にシャモニの町に戻った。
☆これで、シャモニーの怖い伝説の壁は、解決☆
シャモニ生まれの医師、ミッシェル・パカール(Docteul-Michel-Paccard)は
バルマとは知己の仲であった。
バルマが賞金とモンブラン初登頂の野心をいだいていたのに対し・・・
気圧計をモンブラン山頂に持って行って観測してみたいと思っている、
純粋な山に魅せられた男でありました。
1786年8月7日に登攀を開始した。ボソン氷河上部のコートの山頂に露営し、
翌8日朝4時には氷河地帯に突入した。
そして18時23分に2人一緒に頂上に達した。
この様子はシャモニから望遠鏡で見守られていた。
しかし野営地への夜間の帰路は大変な難行だった。
往路で帽子を失っていたパカーはほとんど雪盲の失明状態にあり、
翌日、バルマは彼の手を引いて町にたどり着いた。
★当時のフランスは革命直前にあり、日本では江戸時代の後半で
なんと・・・平賀源内が活躍していた頃になる★
「ル・ブレヴァン展望台」標高2.525m・・・モンブランとは、反対側の景色
パノラマ写真「モンブラン連峰」
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