「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2017.09.02
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カテゴリ: 美術館・博物館
1440年代のフィレンツェ絵画における中心的な存在となったカスターニョは、

行政長官庁舎にアルビッツィ家の絞首刑図を描く前年の1439年

師であるドメニコ・ヴェネツィアーノとともに

サンテジーディオ聖堂の装飾を行っている。

それは現在、一部の装飾帯しか残っていないが

ひょっとするとこの壁画がその後のフィレンツェ絵画における

写実的な動向を決定づけたのかもしれない。


『キリストの洗礼』

Battesimo di Cristo  1448-1450年頃 

ロンドン・ナショナル・ギャラリー 167×116cm テンペラ・板



鮮やかな色彩による丹念な描写が大きな特徴である

ピエロ・デラ・フランチェスカの代表作『キリストの洗礼』

主題は、イエスの生涯の軌跡を綴ったキリスト伝(新約聖書)の中でも

特に重要視される教義のひとつで、ヨルダン川におもむき、

旧約における最後の預言者である洗礼者聖ヨハネから

洗礼(清めの秘儀)を受ける場面を描いた『キリストの洗礼』で、

本作は、その典型を為す代表的な作例としても広く知られている。

洗礼者聖ヨハネが、イエスに洗礼をおこなった際、

天上が開け、イエスの頭上に父なる神の三位である

鳩のような形をする精霊が舞い降り、「我が愛し子よ」と声が響いたと伝えられる、

イエスが神に選ばれた存在であることを初めて示したこの重要な神性を、



極めて完成度の高い作品へと昇華させた。


【独自の道】

このプロジェクトにピエトロ・デッラ・フランチェスカも

参加していたこたが記録でわかっている。

彼は、すでに27歳ほどであったが

いまだ画家としての業績は残して居なかった。



商人になるための教育を受けていたからだ。

単独で作品を依頼されているももっとも古い記録は、

彼の生地であるボルゴ・サンセポルクロのミゼリコルティア信徒は

1445年6月11日のことであった。

つまりピエトロは、30代になってから

画家としての活動を本格化させていたのである。


サンテジーディオ聖堂でカスターニョとともに仕事をしたことと

年齢的に遅いデビューは、その後

彼が、フィレンツエを活動の拠点として選ばなかったことと無関係ではないだろう。

彼は、1439年の時点ですでに目指す方向や

自分の技術で可能な表現が定まっていたのであろうし

それがフィレンツェ絵画の動向と合致しないことも理解していたに違いない。

その独特な表現は、ピエロがボルゴ・サンセポルクロの

サン・ジョバンニ・バッティスタ聖堂のために制作したとされる

『キリストの洗礼』で見て取れる。


【数学的な思考に基づいた表現】

この板絵の制作年代についてはさまざまに議論されてきたが

1450年の年記をもつベルリンにある『悔悛する聖ヒエロニムス』や

同様に、1451年の年紀がある

リミニの『聖シギスムントとシジモスモンド・マラテスタ』

あるいは1452-55年頃とされる

アレッツォの『アダムの死』との様式的類似から

1452年と考えるのがもっとも妥当だと思われる。

ここに描かれてるイエスは、

非常に美しいが、その形態はと言えば

頭は、卵型、上腕は円錐といった

単純な幾何学形態に置きかえられており

全体的に生きている人間というよりも

大理石の彫刻のように見える。

感情を抑え込んだ頭部は

そのまま洗礼者ヨハネに繰り返されている。

あたかもそれは、ひとつの立方体を平面で示すには

正面と真横からの視点から見なければならないと

画家が言おうとしているようだ。

実際、のちにピエロは、

人体の頭部を複数の視点から分析している。

きわめて数学的な論理思考は

人体だけではなく空間の表現に対してもなされている。

画面前景から後方へ向かって蛇行していく

ヨルダン川に沿って立つ人物や木は、

後方に従って小さくなっており

前景と中景の人物の高さは

おおよそ 4 : 2 : 1 となっている。

こうした人物像および木の位置や大きさは

厳密な計画によって決定されているように思える。


【幾何学的な構図方】

この作品の構図がきわめて整然としているので

これまでも多くの研究者がその構図法を探ろうと

作品の複製上にさまざまな線を引く試みを行ってきた。

だが、それらは製作者自身の視点から離れ

あまりにも複雑な方法によって作図しているように思える。

いくら論理的な思考をピエロがもっていたにせよ

板絵を描くことは建築の図面を製図することや

幾何学の難問を解くことは異なる。

「キリストの洗礼」を描くのにあたって何よりも重要なのは

主役であるイエスと洗礼者ヨハネ

それに聖霊を表す白い鳩をどこにどれくらいの大きさで

バランス良く配していくかということである。

そのために煩雑な計算が必要だったことは思えない。

画家はまず、パネルの大きさと形体を決めたはずだ。

彼は一辺、約116cmの正方形の板と

その上に正方形の一辺を直径とする半円の板を連結させた。

そして、このパネルを左右に等分する垂直軸を引き

半円と正方形を仕切る水平線との交差点周辺に

鳩を置くことにしたのだろう。

彼がこの水平線を明確に意識していたのは

鳩の翼が真っ直ぐに横にのびていることからもわかる。

そしてイエスも垂直軸上に置き鳩の真下にくるように配した。

問題は、その大きさだが、画家は正方形の一辺を半径とする

4つの四分円を描き、それらと垂直軸の交点に

イエスの頭と支脚である右足が来るように設定したそうだ。

さらにピエロは、洗礼者ヨハネの位置を決めるために

正方形に内接する円を描いたと思われる。

そしてこの円と先ほどの四分円とが交わる2点を直接に結び

その線上にヨハネの頭頂部と支脚が来るようにした。

大きさは隣りに立つイエスとほぼ同じ大きさにした

さらに左右のバランスを保つため

内接円と四分円の反対側の交点を結び

その線分上に前景の木を置く」ことにしたはずだ。

こうした数学的な構図法は明らかに

マザッチョに始まるフィレンツェ絵画に由来するが

その一方で形態の単純化や

感情を抑制した人物表現は

同時代の動向とは明らかに異なっている。

彼は自身の考えや表現を貫くため

フィレンツェを活動の舞台に選ばれなかったのだろう。

その独自な表現が再評価されるようになったのは

写真の普及によって絵画におかる写実主義が

絶対的なものではなくなった19世紀後半以降のことである。



ピエロ・デラ・フランチェスカ・・・とは?


ピエロ・デラ・フランチェスカ
Piero  della  Francesca

1415-1492   イタリア  初期ルネサンス、ウンブリア派

15世紀に活躍したウンブリア派(ウンブリア地方に始まった画派)最大の巨匠。

生地であるサンセポルクロで修行時代を過ごした後、

マザッチョ、ウッチェロ、ドメニコ・ヴェネツィアーノの作品から

遠近法、明瞭な色彩、量感に富む人体の描写を学び、

秩序高い空間構成によるウンブリア派独自の画風を確立するとともに、

その地位を不動のものとした。

また制作をおこなった各地で多大な影響を与えたほか、

遠近法や数学者としても活躍する。

画家の著書『絵画の遠近法』は興味深い書籍のひとつである。 


・・・主な作品・・・

『聖十字架伝説』

Leggenda della Croce   1452-1458年頃

フレスコ  サン・フランチェスコ聖堂(アレッツオ)

ピエロ・デラ・フランチェスカ最大のフレスコ作品で

サン・フランチェスコ聖堂壁面に描かれた『聖十字架伝説』

数多くの聖人伝説を元に形成された伝承≪黄金伝説≫が典拠となった、

イエスが架けられた十字架にまつわる物語

『聖十字架伝説』の各場面を描いた本作は、

現存するピエロ・デラ・フランチェスカの作品の中で、

最も大規模に制作したものである。

正面、右壁面、左壁面に描かれるのは、

旧約聖書からはアダムの死、

シバの女王とソロモンなどの場面が、

新約聖書からはコンスタンティヌス帝とマクセンティウス帝の戦い、

ヘラクリウス帝とホスロー帝の戦い、聖木の運搬、

十字架の発見などの場面が描かれている。


キリストの復活

Pesurrezione di Cristo   1463-1465年

225×200cm   フレスコ   サンセポルクロ市立美術館

ピエロ・デラ・フランチェスカの代表的なフレスコ作品『キリストの復活』

現在は美術館となっているサンセポルクロ宮殿の壁面に描かれた本作は、

磔刑に処され息絶えたイエスの死から三日後の早朝、死に勝利し、

復活を遂げたイエスを描く『キリストの復活』であるが、

本作は復活した勝利者としての姿が強調された、

当時の神学に基づくイタリア美術の特徴を示しながらも、

イエスがサンセポルクロの旗を掲げるなど、

政治的な意図も含まれた図像にて描かれている。

また一説では、画面下部に配される左から二番目の眠る兵士は、

ピエロ・デラ・フランチェスカの自画像とも云われている。


セニガリアの聖母

Madonna di Senigallia   1470年代

61×53.5cm  テンペラ・板   マルケ美術館(ウルビーノ)

ピエロ・デラ・フランチェスカの代表作『セニガリアの聖母』

ウルビーノ宮廷と画家の良好な関係がうかがえる本作は、

セニガリア地方の人物が旧蔵していたことから、

『セニガリアの聖母』と呼称されるようになった。

主題は、厳粛な面持ちの聖母マリアと祝福のポーズを取る幼子イエスを中心に、

左右へ2天使を配した『聖母子』で、

部屋へと射し込む柔らかい光の表現や、柱や壁、小物などに見られる

細密な描写にネーデルランド絵画の影響が指摘されている。

人体の構造的表現や、

敬虔を意味する穏やかな聖母子の表情などは、

極めてピエロ・デラ・フランチェスカの特徴をよく示しており、

屈指の良作としても知られている。


モンテフェルトロ祭壇画(ブレラ祭壇画) 1472-1474年

Pala di Montefeltro (Pala di Brera )

251×172cm  テンペラ・油彩・板   ブレラ美術館(ミラノ)

ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロから寄進されたことから、

そう呼称されるようになった、

ピエロ・デラ・フランチェスカの代表的な作品のひとつ『アンナレーナ祭壇画』

マザッチョら先人たちの作品から学んだ、

極めて正確な遠近法によって描かれる背景の建物の表現は

圧巻の一言である本作の主題は、聖母子を中心に、

洗礼者聖ヨハネ、聖ベルナルディーノ、聖ヒエロニムス、

福音書記者聖ヨハネとされる老聖人、殉教者聖ペトルス、

聖フランチェスコら諸聖人を配した『聖会話』で、

画家の残す聖会話作品の中でも、

完成度の高さから代表作とされるのみならず、

明るく明瞭な色彩や、

厳粛な中にも深い神性を感じさせる聖人たちの卓越した感情表現など、

ルネサンス芸術を代表する絵画として、今日も高く評価されている。



ウルビーノ公夫妻の肖像(バッティスタ・スフォルツァの肖像) 1472-1474年

Ritratti di Federico da Montefeltro e di Battista Sforza

47×33cm   油彩・板  ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ピエロ・デラ・フランチェスカを代表する対画肖像作品

『ウルビーノ公夫妻の肖像(バッティスタ・スフォルツァの肖像)』

夫であり、ウルビーノ公であったフェデリコ・ダ・モンテフェルトロの肖像とともに、

イタリアルネサンス肖像画の傑作のひとつとして、

どの時代でも評価されてきた本作は、

半身、真横という、この時代における

イタリア特有の肖像形式を取りながらも、

背景には空気遠近法を用いるなど、

ネーデルランド絵画の特徴を示しているが、

バッティスタ・スフォルツァの肖像における背景は円形を暗示しているとされ、

対を為す肖像画と同様、ウルビーノの繁栄を単純化し、

象徴したものと研究されている。



ウルビーノ公夫妻の肖像(フェデリコ・ダ・モンテフェルトロの肖像)

Ritratti di Federico da Montefeltro e di Battista Sforza  1472-1474年

47×33cm   油彩・板   ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ピエロ・デラ・フランチェスカを代表する対画肖像作品

『ウルビーノ公夫妻の肖像(フェデリコ・ダ・モンテフェルトロの肖像)』

妻であったバッティスタ・スフォルツァの肖像とともに、

イタリアルネサンス肖像画の傑作のひとつとして、

どの時代でも評価されてきた本作は、半身、真横という、

この時代におけるイタリア特有の肖像形式を取りながらも、

背景には空気遠近法を用いるなど、

ネーデルランド絵画の特徴を示しているが、

フェデリコ・ダ・モンテフェルトロの肖像における背景は

正方形を暗示しているとされ、対を為す肖像画と同様、

ウルビーノの繁栄を単純化し、象徴したものと研究されている。

ウルビーノ公であるモンテフェルトロは、1460年代頃から

ピエロ・デラ・フランチェスカと深く親交を持ったことが記録に残される。

また片目を失っていたモンテフェルトロの肖像画が、

横顔で描かれることは珍しいことであった。

空気遠近法を用いるなど、

ネーデルランド絵画の特徴を示すこのウルビーノの繁栄を単純化し、

象徴した背景は、正方形を暗示しているとされる。


ピエロ・デラ・フランチェスカの歴史・・・とは?


イタリア中部トスカーナ州のアレッツォ近郊の山間の町

ボルゴ・サンセポルクロに靴職人の子として生まれる。

サンセポルクロの地方画家アントーニオ・ダンギアーリのもとで

1430年代までに徒弟修業を終え、その後しばらく

ダンギアーリの助手ないし協力者としてサンセポルクロとその近在で仕事をした 。

1439年ごろフィレンツェに行き、

フィレンツェ派の巨匠、ドメニコ・ヴェネツィアーノに師事、或は、その協力者として仕事をした。

イタリア各地で制作しているが、生涯のかなりの部分を郷里とその周辺で過ごしている。

数学や幾何学に打ち込んだ最初期の画家の一人であり、

美術史上最も徹底してその研究に打ち込んだ人物である。

晩年には、『算術論』『遠近法論』『五正多面体論』の3冊の著作を残している。

これらの著作は全てラテン語ではなく俗語で書かれており、

高度な数学・幾何学的内容にも関わらず問題集といった性格に終始し、

人文主義的関心は低く、職人的実用性によって書かれている。

【評価】

ピエロ・デラ・フランチェスカが

巨匠として再評価されるようになるのは20世紀になってからと言われる。

代表作『キリストの洗礼』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)に見られる

明瞭簡潔な画面構成、人物や樹木の単純明快な形態把握、

明るい色彩感覚などには現代美術に一脈通じるものがある。

この作品ではサン・セポルクロの周囲の風景がリアリティを持って描かれており、

「イタリアのパネル画で初めて、見る者に

戸外にいるという感覚を抱かせる」とも評される。

『キリストの鞭打ち』では、

主題であるはずの鞭うたれるキリストの姿は画面向かって左の奥に押しやられ、

むしろ画面右手前にたたずむ3人の人物の方がずっと大きく表現されている。

これらの服装も年齢もまちまちな3人の人物が何を表しているかについては諸説がある。

ウルビーノ公を描いた、真横向きの肖像画もよく知られている。


【代表作】

キリストの洗礼 1450頃(ロンドン、ナショナルギャラリー )

聖十字架伝説 1452-58年頃(アレッツォの聖フランチェスコ聖堂)

ウルビーノ公夫妻の肖像<対画肖像作品>1472-74年頃(ウフィツィ美術館所蔵)

ブレラの祭壇画 1460年代末(ミラノ、ブレラ美術館)

キリストの鞭打ち 1453-54頃(ウルビーノ、マルケ美術館)等々、多数ある。

復活 1463-65年(トスカナ、サンセポルクロ博物館)


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最終更新日  2017.09.02 00:00:12
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