「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.02.14
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ジョアン・ミロは 1936年の秋にスペインのモンロチから親子三人でパリに戻って来ましたよ

Joan Miró i Ferrà
ジョアン・ミロー・イ・ファラー
1893年4月20日〜1983年12月25日

『肖像II』1938年

カンヴァス 油彩 162.0cmx130cm

スペイン「国立ソフィア王妃芸術センター」所蔵。

​​ Joan Miró 
ジョアン・ミロ

1893年4月20日〜1983年12月25日(90歳没)

​​Joan Miró i Ferrà​ ジョアン・ミロー・イ・ファラー)​​

スペイン・カタルーニア地方出身の

画家・彫刻家・陶芸家・壁画家。

ホアン・ミロ(カタルーニア語読み)

パリでシュルレアリスム運動に参加し

20世紀美術に独自の地位を築いた。

​​ ​1935年 (42歳 )の秋、

ミロはパリに戻った。

久し振りのパリは、

スペインに発つ前に見た最後の様子とだいぶ違い、

当時ヨーロッパのほとんどを

日の出の勢いで制覇した独裁政権によって、

流浪者や亡命者たちの町と化していた。


ミロは、こうした心的苦悩に加え、

物質的にも窮地に立たされていたため、

とりあえず、

ジュール・シャンブラン街の簡素なアパートを借りた。

そこには親子三人が住むのがやっとで、

とうてい仕事のできる広さではなかった。


1937年 (44歳 )​、

グランド・ショーミエールのデッサン教室に入り、

再び生きたモデルに直面する。

ここで描いた100点余りの素描には、

ごく最近までの作品に現われていた変形がいまだに見られる。


モデルの姿は常にゆがみ、

当時ミロが抱えていた激しさや内なる苦悩を表わしていた。

だが、

モデルの姿の現実性を捉えることによって、

彼はまとまりのあるフォルムを取り戻したのである


自分のアトリエを持つこともままならなかったミロは、

グランド・ショーエールに行かない日は、

ピエール画廊の中二階で絵を描いた。

代表作の一つ
​​​​​
『古靴のある静物』 ​を描いたのもここである。

1937年 の1月から5月までの​

5ヶ月を費やしたこの作品は、

悲劇的リアリズムとして説明される。

オブジェや色彩、

そして脅威的な雲の効果のなかに、

悲劇がはっきりと現われている。

確かに、スペイン内乱そのものが具現されてはいないが、

そこには悲劇がある。


りんごに突き刺ったフォーク、

ボトル、パンの皮、片方の靴などが

スペイン戦争のあらゆる恐怖を実に簡潔に表わしている。


オブジェには、

グランド・ショーミエールで描いたヌード同様、

写実描写が取り入れられ、

威かくと強迫観念を感じさせる。

また、

色彩はオブジェを変形させているとさえ思えるほど、

どぎつく厳しい、

まるでカンヴァスの外から入って来た一条の光線によって、

輪郭とふくらみをさらに強めているようだ。


こうした表現方法は、

これまで平面画法を常としてきたミロにしては、

後戻りしているような感じさえ受ける。

だがこの場合、

オブジェに施した立体表現や走馬灯のような陰影は、

当時のスペインのあらゆる民衆と

事物に与えた恐慌を表わすうえで絶対に不可欠だったと言える。


そして同じ 1937年、

パリ万国博覧会スペイン共和国のために

『刈り入れ』 ・・・あるいは 『反逆するカタロニアの農夫』

・・・が描き上げられた。


このスペイン館の設計にあたったのは、

ルイス・ラカサと

ホセ・ルイス・セルト(彼は後年、パルマ郊外のミロのアトリエと

バルセロナのジョアン・ミロ財団を設計している)だった。


建物は、機能的かつ簡素なものだったが、

設計者たちは造形芸術家たちと密に協力し合い作業を進めた。

ピカソは・・・
​​​

『ゲルニカ』 を描き、



ジュリ・ゴンザレスは彫刻『モンセラット』を、

アルベルトは、『スペイン民衆は星に向かう道を行く』

と題する野外彫刻を制作、それぞれ出品した。

そして、こうした作品のそばには、

スペインのフォークアートが展示された。


6枚のセロテック板をつなぎ合わせて描いた

ミロの作品は・・・

全体が縦5.5mx横3.65mもある大きなもので、

展示場の壁いっぱいに並べられた。

これは画家にとっての最初の大作だったが、

不幸なことに後に行方不明となる。

おそらく、



真偽のほどはわからない。

いずれにしろ残っているのは1枚の写真だけである。


ピカソの『ゲルニカ』 と、

ミロの『刈り入れ』 の間には、

はっきりした対比が見られる。




そのなかにすべての苦悩と絶望を描いているのに比べ、


ミロは“野生絵画”に見たミロの展開的な人物の一人を通し、

全社会の攻撃と激怒をあからさまにしている。


このべレティナ(カタロニアの農夫特有の赤い毛糸帽子)を

被った人物を我々は以前に見ている。

だが、ここで彼が手にしているのは、

ワイン入れでも、

猟銃でもなく、

かまである。

人物の激しさが彼の身ぶりや態度、

顔つきから伝わってくる。

画面には説明的なものは何もなく、

すべてが農夫の顔つきと

振り上げた手に持つかまに集約される。

顔の表情はミロの怪物と完全に一致し、

目は眼窩から飛び出し、

鼻は額にくい込み、

歯はナイフのように尖っている。

これこそ、ミロにしか表わせない激怒の叫びである。


つづいて、この作品とは全く対照的な、

実に詩的とも言える繊細な絵が

ベニヤ板を使って6点描き表わされた。


外的要素から離れ、

彼は初めにふと心に浮かんだテーマを発展させた。

したがって、

絵には特定の事実や出来事ではなく、

普遍的なものが表現されている。


ミロが、変形を施しながらも独特の写実で

肖像画や風景画を描いたのは初めの頃だけであって、

1923年以降、

つまり主観的な見方を抑え、

内的経験や精神状態を客観的に捉え始めてからは、

作品のなかには、

経験した事物が普遍的に表わされるようになった。


この後、この繊細な絵に代わって、

同じ木版に描いた

『頭部』 のような攻撃的な作品が登場する。

作品には新しい要素としてタオルが使われ、

ベニヤ板の堅い表面にしっかりと固定された。

これによって背景には新しい肌理が生じ、

画面の荒々しい雰囲気を一段と強めている。


頭部はややでこぼした線で画面いっぱいに表わされ、

わずかに残った空間に、

その輪郭を強めるような激しいブルーが置かれている。


目は実に大きく、

我々を鋭く観察しているようだ。

また、ノリで堅くなったタオルの肌理は、

緑がかったオークルで、

いっそうその粗さを増したようにすら思える。


おそらく今日では、

絵の表面にタオルを使用するのはなんの驚きもないだろう。

物体や紙片、

木片などを使った絵画を現在ではよく見かける。

だが、

この 『頭部』 が描かれた 1937年当時 に目を移せば、

それがどれほどの勇気と必要としたかがよくわかる。

つまり、

ミロがやった価値はそこにある。

彼は常に、

自分の仕事の確かさを信じ、

さらには次の世代に新しい道を切り開くような

独自の方法で、物事を進めたのであった。


“悲劇的リアリズム”期 の最後の傑作は・・・​

1937年の暮れ に描いた 『自画像1』 である。



この肖像画は鉛筆による大きな素描画で、

油絵のわずかなタッチが加えられている。

ミロは初め、

鏡を前に油絵用の下絵のつもりでこれを描き出したが、

描写はだんだん細かく複雑になり、

ついにカンヴァスを全体占めるようになった。


そして1960年、

これと同じ素描画を新たに描き起こし、

その上に、

23年後の新しい自画像を重ねたのである。

ぶ厚いストロークで塗られた色彩は、

特に目を強調しながら、

モデルの最も特徴的な姿を捉えている。

ほとんどバロック的に描かれた1937年の素描と、

1960年の自由で独特な線描には歴然とした対比がある。


この 『自画像1』 は、

着色の段階まで行っていないという点で、

ミロの唯一の未完の作と思われるかもしれないが、

素描画としては十分と言える。

初め写実的に捉えようとした画家の顔は、

徐々に現実を超えた形で現れ、

さらにその表情は、

非常に悲劇的な概念で表わされている。


さらにその表情は・・・

常に悲劇的な概念で表わされている。

ミロが自分の顔にこうした表現を施すのはこれが初めてで、

また唯一である。


彼はかつてこう言っている。

自分の顔でも他の対象物と同じように扱い、

画家としてそれを描いた。

そしてさらにこう付け加える。

一つは星で、

一つは太陽。

それはまた、

鳥であり、

花である。

そして髪の毛は炎のようだ、 と。


星のような目は、

1938年 『自画像II』 にも現われ、

『自画像II』1938年

ここではカンヴァスの大半を占めるほど大きく拡大されている。

これら2点の『自画像』を比較するのは少し難しい。

二作目はモデルとのつながりが見られず、

色彩だけが完全に調和している。

両者の間には・・・

明らかに関係性がなく、

苦痛的絵画と単純化の区切りが如実に示されていると言える。


画面の構成上、 『自画像II』 にかなり近いのが、

『星が黒人女の乳房を愛撫する』 である。



ミロはここで苦痛的な図形と地味な色彩を捨て、

代わりに平坦な画面に、

記号のような実に単純な図形とフォルムをバラバラに置いた。


『肖像』I 、II、III、IV、の連作には・・・

ミロの筆跡が記号に発展した過程が明確に現われている。

題材は、

いずれも同じで一人の人物が非常に単純化されている。


『肖像I 』 には、いまだに“野生絵画”の特徴が見られ、

背景の色彩からは、苦痛的雰囲気が漂っている。

巨大な頭部が太陽をほとんどさえぎり、

ほんのわずか、

針の刺さった毛糸玉を思わせるように太陽がのぞいている。


『肖像II』 では、単純化が極度に進み、

頭部を表わす平坦な円形と半円形の胴体が

プルシアンブルーの背景から、

くっきりと浮き出ている。

フォルムは色彩によって厳密に分割され、

画面の単純化は実に素晴らしい。


『肖像III』 も、

フォルムの単純化と色彩の最大表現において

これを踏襲している。


​『肖像IV』​ では、

記号が大胆に取り入れられ、

ミロの作品の女性器を表わす記号からして、

女性を象徴した作品と言える。

アーモンド形は、

一本の縦線を境に二種類の異なった色が塗られ、

その周りをくねくねした黒線が囲っている。


これら4点の『肖像』はミロの方向を指示し、

同時に彼の円熟した作風を表わしていると言える。


限られた種類の色の使用や

力強いコントラストによってもたらされる色彩の豊かさ、

正確な配置、

みごとなリズム感など。

そしてこうしたすべてが、

フォルムの単純化と記号化に結びついている。

(参考文献:美術出版社/Joan ​Miró​​ジョアン・ミロより)
(写真撮影:ほしのきらり)


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最終更新日  2022.02.14 00:10:12
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