「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.03.05
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​オランダはバブル時代から一気に衰退してフェルメールも借金を残して43歳の若さで11人の子どもを残して亡くなります

ヨハネス・フェルメール
​Johannes Vermeer​

『恋文』1669年〜1670年頃

オランダ「アムステルダム国立美術館」所蔵。

ヨハネス・フェルメール
Johannes Vermeer
(1632-1675)


1632年10月31日?〜1675年12月15日?(43歳没)

 Jan van der Meer van Delft


オランダ(ネーデルランド共和国)の画家。

バロック期を代表する画家のひとり。


オランダは・・・

バブル時代から、衰退へ。

フェルメールは、

膨大な借金を残して、

43歳の若さで死去。


ヨハネス・フェルメール
​Johannes Vermeer​

『レースを編む女』1969年〜1970年頃

フランス・パリ「ルーヴル美術館」所蔵。


脂ののったフェルメールは・・・

『レースを編む女』

『恋文』 などを制作し、




しかし、

1672年、 フランスのルイ14世がオランダに侵攻。

加えてイギリスとの戦争も再び勃発し


オランダの経済状況は、ますます悪化します。


フェルメールは、40歳になっています。

不況のため絵も売れず、

3年間ほとんど収入がないまま

借金は膨れるばかり・・・。


義母に頼る生活が続きます。

金利で生計を立てていた義母は、

返還されない貸付金の回収を

フェルメールに任せます。


フェルメールは、



制作に専念できなくなるという悪循環のなか、


国の衰退に寄り添うように・・・

43歳で死去しました。


11人の子どもを抱えた未亡人は、

夫がこの世を去った翌日、

裁判所に自己破産申請の嘆願書を提出。


夫が遺したのは、

数枚の作品と借金だけ


パン代のかたに、

遺された絵を渡すほどでした


​遺産の絵画は競売にかけられ、各方面に散逸。​


フェルメールに光が当たるようになったのは、

死後200年経ってからのことなのです。


​フェルメールの死因・・・とは?​

未亡人によれば、

晩年のフェルメールは、

「ある日は元気かと思えば、

 ある日は病気という具合でした」

と言い、

躁鬱病のような状態だったと思われる。

自分に借金取りを任せる義母との同居も、

困窮生活にあえぐ画家を、

さらに追い込んでいたのかもしれない?


(参考文献:朝日新聞出版/フェルメールへの招待より)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2022.03.05 00:10:10
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